音声で味わう羽田空港の変遷

私にとっての羽田空港は、非日常でした。1976年生まれなのでもっと非日常だったのは開港したばかりの成田空港なのですが、それでも羽田空港は特別でしたね。国内線はもちろん、なによりその非日常感を増幅させるのは、羽田空港へ向かうまでの道のりです。家から羽田空港までは30kmない距離にあります。
私の家のある千葉県市川市は、東京ディズニーランドで有名になった浦安と江戸川区、葛飾区と隣接していて、羽田空港へ行くには、湾岸高速道路という東京湾沿いの高速道路を使用していました(いまは、わたしは違う道を通るのですが)。そこから羽田方面にのぼっていくと、いまは「お台場」と呼ばれるようになったあたりだとか、有明のあたりだとか、大阪でいうところの南港、開発が凄いスピードで行われていた一帯を抜けるんです。

有明コロシアムだとか、いま見ると別段なんの変哲もないのですが、そのあたり一体はまるで近未来都市だったのです。そのころはまだまだ建設中のものが多かったけれど、まぁ、子供スケールですから、その建物ひとつの大きさにも、新都市のように形成された規模に圧倒されました。それも、屋根だとか外壁だとか、タイルじゃなくってスチールの輝きを放っているのです。いまじゃそういったアルミっぽい外壁だとか当たり前なんですけど、あの湾岸エリアに行かないと見れない景色でした。それに青島都知事時代に開発が止まってしまいましたが、「ここで万博が開かれる!」というのもその近未来さに一役買っていました。なにしろ、10歳頃のあたりは筑波万博で散々近未来チックな空間に頭がやられていましたから。

そしてメタル感漂う有明・お台場エリアを抜けた頃、東京湾にくぐされた海中地下トンネルとやらの、それこそ子供が思い描く近未来都市の象徴のようなトンネルを抜けるわけです。いま通ってもなんの変哲もない地下トンネルです…。ところが子供の頃はこれがハヤカワ文庫の世界でして…。「海中地下トンネル」「海底地下トンネル」、この名前の響きだけで完全にノックアウトなんです、子供は。ともかく近未来なわけですよ。
ちょうどその道すがらには、国鉄時代の英雄・新幹線の停車場があるんです。なんという場所か分かりませんが、新幹線が何台も何台もたくさん止まっているのです。またその規模も大きくてですね…、「うわぁーーー!」ってなるんです。

車での話になりましたが、電車で行っても同じです。浜松町で乗り換えてモノレールに乗る。
この空中を走る電車は、近未来の何ものでもないと思う! 時おり、海の上を走行してるんじゃないか、って気分になるし、ビルとビルの間をすり抜ける感じもあるし…。とにかく子供ですから「現代」という感覚は備わってないんですね、まだ。「近未来」って感覚もないですけど。見てる世界が「うわぁーーー!」の連続なのです。いま乗っても、何の変哲もない乗り物なんですが(笑)。

湾岸道路自体新しい高速道路でした。道が混んでいるときは、箱崎ジャンクション経由になります。そうすると、羽田空港に近づくにつれて倉庫街になってゆきます。「世界は一家 人類みな兄弟」という故・笹川良一氏の直筆(?)看板が目にはいりる。あのテレビCMでよく見るおじさんと猿の「人類みな兄弟」に「世界は一家」という一文があることをが発見でしたが、それが目印で、やがて待ってるのは空港。

車では、20〜30分、電車で50分。この3つのルート(京急で羽田に行くことはありませんでした)、いずれもテンションがMAXに上がった状態で空港に近づき始めると目に入るのがいつもより大きく見える飛行機たちです。それも、頻繁に!
よく見るとしっぽ(尾翼)の形やエンジンの数がちがう! 何機見たか数えきれないほどいろんな角度で飛行機が見える!

そんな体験も相まって、数ある乗り物のなかでも飛行機が抜群にスキなのです。
いまなにをみても、「何の変哲もないんだけど」でしかありません。通ってもその景色に驚くのではなく、昔の胸の高鳴りをかすかに思い起こす程度です。でもこれが、かすかではあるんですが、別の興奮が心臓をくすぐるんですねぇ〜。

ところで私がブログを始めて2ヶ月ほど経った頃、紹介した本の著者さんが突然コメントをくださいました。
2ヶ月の間、一度もコメントがついたことはなかったのに、はじめてのコメントが本の著者さんです。それも、その本に対して生意気なことを書いていたのにも関わらず…。
ここでは、その方が武田一男さんだったというのは何度か紹介しておりますので、詳細は省きますが、いま思い返しても赤面です…。

そして今回はその武田一男さんが提供してくださった羽田空港の音を紹介いたします。
いつの時代の音声なのでしょう? チャイム音、出発機、ちょっと考えながら聞いてみるのもいいですね。

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

羽田空港 出発ロビーアナウンス

羽田空港 到着ロビーアナウンス

羽田空港 国際線ロビーアナウンス

2008年6月5日に更新した記事に、武田さんのコメントを掲載しました。
それを抜粋いたしますので、読みながら、そして聞きながら時代の変遷を感じてみてください!

 ブログを拝見していると羽田空港がお好きなんですね。僕も羽田にはいろいろな想い出があります。

 古い話をひとつ。たぶん、あなたがお生まれになる前か、幼少の頃と思いますが、その頃の羽田空港国際線ロビーは華やかでした。福岡へ帰る母を送って空港へ行くたびに国際線ロビーに立ち寄ってその華やかさを羨望の想いで眺めていたものです。

 当時は一部の人達だけが海外へ行ける時代で一般人には海外旅行なんてほど遠い存在でしたから、国際線ロビーには美しく着飾った送迎の人並みであふれ、それらの人達が広いロビーにいくつもの輪を作って、その中心に花束を抱いた旅行者がまるで新婚旅行に旅発つ新夫婦のように希望に満ちあふれた満面の笑顔をみせて立っていました。その様子は一流ホテルの結婚披露宴のロビーをそのまま羽田空港に移したかのようでした。

 やがてロビーにチャイムが流れます。「パンアメリカン航空、香港経由、世界一周便にご搭乗のお客様は出国手続きをお済ませの上、5番ゲートにお進み下さい」。それを聴くと周囲から一斉に起こる万歳の声・・・。それを眺めながら、俺もいつかきっと飛行機で外国に行ってやるぞ、とハングリーな気持ちを燃やしたものです。

 国際線ロビーの帰りに屋上の送迎デッキによく立ち寄りました。昔は送迎デッキでは独特のアナウンスがあったのです。ランディングライトを照らしてDC- 8が着陸します。「ただいま日本航空1便がサンフランシスコから到着いたしました。お客様は8番ゲートからお出になります」。そのアナウンスにどんなに旅情を感じたことか…。その頃僕は学校を卒業してレコード会社に勤め駆け出しの音楽ディレクターをしていたので、ある日、ステラボックス(磁気テープのレコーダー)を国際線ロビーと送迎デッキに持ち込み、それらのアナウンスを録音して時々再生してはハングリー精神を燃やしていました。

 それから10年近く経って、羽田空港が開港50年を迎え、その記念式典の招待客にプレゼントする記念品用のレコードを作ることになり、そのディレクターを担当することになったのです。当初は音楽を中心にする企画でしたが、当時の空港長に10年前に僕が録音したアナウンスを聴いてもらい、レコードの内容を音楽にするより、羽田空港の航空音だけでまとめるプランを進言しました。そしてその案が通り、「羽田インターナショナルエアポート」というレコードが完成したのです。今、それを聴くと構成に稚拙さが残り赤面しますが、唯、作品に「勢い」がありました。演出する僕に思い入れがあったのですね。話は変わりますが、あなたがご指摘されたように僕の著作の中で「ラストフライト」は最も構成が悪い、そう僕も思います。でも、「機長席」や「台風飛行」に比べて勢いがあるとも僕は感じています。「ラストフライト」は他の作品より僕の思い入れが強いからでしょうね。飛行機を録音し始めて40年近くになりますが、その間にはいろんなエピソードがありました。それらをもし差し支えなかったら、今後もとはどき、あなたのブログに寄稿させて下さい。このブログが僕ら飛行機大好きの人間の中で「楽しめるもの」にぜひなって欲しいとおもいますから。

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    • Mattari
    • 2009年 11月12日 6:40pm

    コメント内容
    子供の頃見た絵本で記憶残ってるものがあって
    浜松町駅から見たと思われる新幹線や山手線、京浜東北線、東京モノレール
    そして空には鶴丸の747やモヒカンのトライスターと思われる
    機影が見える光景が乗り物好きの私を刺激したように思います。
    到着ロビーアナウンスは日本近距離航空の響きがとても珍しく感じ
    国際線ロビーアナウンスはまだ欧州系の南回りが多かったのと
    キャセイなど現存の便名がこの時代からしっかり
    残っているのも驚きでした。
    微かにソラリーボードがカチャカチャ切り替わる音がして
    成田空港の北ウイングから初めて出発する日を
    思い出しました。
    武田さん、貴重な音源を聞かせてくれて
    ありがとうございます。

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