エアインディアに乗った旅の記憶

まだ学生だった頃の12月23日。
初めてひとりで海外旅行で東南アジアを周遊するためバッグパックを担いで成田から出国した。
その当時は飛行機撮影が好きで、海外で色々と珍しい飛行機を撮りたい気持ちがあった。更に当時から評判が良かったシンガポール航空に乗ってみたかった。

インターネットもない当時は手間もかかったが、既に海外発の格安航空券を買うノウハウを載せた雑誌も多く出版されていた。そんな雑誌を読んでいるうちに旅をしたい気持ちが高まった。バンコク発の航空券だと、繁忙期でも途中シンガポール経由で香港や台北を周遊し日本へ帰国出来るシンガポール航空の航空券が安く買えた。航空券を買うために旅慣れた大学生に文章を英訳して貰い、航空券予約のファックスを送る。当然まだ学生だった私にはカードなんて洒落たモノもなかったから、バンコク銀行宛で送金小切手を地元銀行で作って書留で送る。
その後、まだ行ったこともないタイの旅行代理店から届いた、DHLのビニール封筒から出てきた航空券を見た時は、手間が掛かっただけにとても嬉しく感じたものだ。
第14回目は初めて乗った外資系、エアインディアのお話です。

ダイキャスト:エアインディア

上記の航空券はバンコク発であるから、当然東京〜バンコク間の航空券が必要になる。当時よく呑みに行った喫茶店のマスターがかなりの旅行好きで、話もごく自然と「航空券も安く手配出来るけどどう?」と聞かれる。スケジュールを調べてみると当時東京〜バンコク間を週2便運航していた夕方到着のエアインディアが取れるというので、それに決めた。今は殆どイーチケットになったから、こんなチケットは見たことない方も多いかも知れませんね。下記の航空券がその当時エアインディアに乗った時のもので、上がその表紙、下がその航空券の控えです。赤いカーボンのチケットも珍しくなりましたね。搭乗券はバンコクの空港で回収されたので手元に残っていませんが、JALハンドリングのフォーマットを使っていたのを覚えています。

ダイキャスト:エアインディア

今はもうないけど、私が旅行した90年代は東京〜バンコク間では格安御三家と呼ばれたエジプト航空、パキスタン航空、そしてエアインディアの3社が貧乏旅行者にとって人気航空会社であった。1年オープン等の日時変更可能な航空券が安かったからだ。その後トルコ航空やオリンピック航空、ビーマン・バングラデッシュ航空が参入して賑やかになったが今は殆どが直行便化され、路線のリストラで撤退を余儀なくされた航空会社もあった。

確かあの当時は92年冬で成田の第2ターミナルが華々しく開業したばかりであった。当時東北に住んでいた私は成田空港行きの夜行バスに乗って朝早く到着。当然展望デッキで早朝にやってくる珍しいカンタスやUTAなど撮影をしているとチェックイン開始の10時になった。それにしても学生の列が多い。職員がまだ慣れていないのか、金属探知機を通してチェックインカウンターへ入るのはわかるが、行列がすぐ出来るのが難点。やっとチェックインカウンターへ辿り着くが好みの窓側は既にないと言われ、泣く泣く通路側を選択。まあトイレへ出たりするには何かと便利だが。

推測ではあるが非常口座席などはインド人乗客が殆ど乗っていたから、最終目的地であるインドまでの乗客へ優先的に割り振られていたようだ。

新しい空港内をウロウロすると、まだ出来たばかりの新しい建物の匂いがした。ゲート番号を見るとE70と搭乗券には書かれていた。成田空港を利用する旅慣れた方ならご存知だろうが、俗に言うバス移動用ゲートなのである。私は過去KLMに乗る時にも同じゲートから出たことがあった。結構このバス移動も満員電車並みで詰め込まれるのが難点だが、バスから飛行機を撮影出来るチャンスなので嬉々して乗り込んだものだ。
それにしても、このエアインディアは物々しい。何と金属探知機を通してあるのに、再び機内持込手荷物のオープンチェックがあって面食らう。大昔に大西洋飛行中のジャンボが爆破されたという教訓から厳しいチェックが入るのも納得だが、これが出発遅れの元凶であるように思える。

割と長い時間を移動し、沖止めのスポットで303番へ到着。貨物機などが使うスポットだが、サテライトが埋まる時間帯だとこうやって沖止めから出発する便も珍しくない。無数に並ぶジャンボの窓枠には、赤い帯に風の宮殿ハワマハールのシルエットが象られている。エンジンにはエアインディアのロゴマークであるスピード感溢れるケンタウルスのマークが塗装されていた。これから搭乗する飛行機を身近に見ながら、タラップから搭乗すると何故か得した気分で妙にワクワクするから不思議である。シップレジはVT-EFJでボーイング747-237Bと呼ばれる標準的なタイプ。

当時の記録によるとスポットを離れた時間が定刻12時30分に対して12時55分。離陸が13時08分だったから割と遅れた印象は少ない。高度は35000フィートで速度はマッハ0.84と書いてある。機内を見回すとやはり、同じようなバッグパッカーの日本人学生とインド人の半々といった感じだろうか。乗客数も392席に対して約300人ほど乗っている。私の隣の学生グループもバンコクで一泊後ネパールのカトマンズまで行くと言ってたっけ。機内の音楽もシタールなどのインド音楽が中心。でも割と良かったりするから面白い。映画は主にインド映画が中心の内容であった。

私の座席は当時の記録で50Gと呼ばれる後方の座席。ギャレーが近いから食欲をそそる匂いがする。当時のメニューが、メインは若鶏のコルマとピラフ、または海老の天ぷらとフライヌードルといった内容。当然私は本場のインド料理を食べてみたいと思ったので、若鶏のコルマにしてみた。味は確かに辛いけど美味い!初めて食べた本格的なインド料理であった。さすがインド人シェフが定期的に味のチェックを入れているというのは間違いないと思ったものだ。インドは禁酒国だからかアルコールは日本やハイネケン程度のビールしか見かけなくて、機内乗務員が確か500円程度で販売していたのを思い出す。

ダイキャスト:エアインディア

翼を入れた空の写真を撮ることが多いが、赤い文字でシップレジが見えると記録性が高まって好きだ。当時のフライト記録を見ると成田から串本、鹿児島、ルートA1経由で台北へ入り、香港、ダナン上空を経由してバンコクへ入ったのがわかる。操縦席への見学は無理だったとはいえ、たった一人日本人スチュワーデスが乗務していてフライトの記録を機長へ渡してほしいとお願いすると、機長が結構詳しく書いてくれたらしく、クルーのネームリストもしっかり書いてあった。機内サービスの総責任者であるインフライトスーパーバイザーを筆頭に、フライトパーサーとアシスタントフライトパーサーがそれぞれ4名、呼び名も懐かしさを感じるエアーホステスが9名の計18名が乗務している事もわかる。熱心な航空ファンとわかってくれたのか貴重なトランプと絵葉書を頂けたのも嬉しかった。印刷の質はあまり良くないが、貴重なコレクションであり今でも大事に残してある。

ダイキャスト:エアインディア

夕陽も沈み、空も徐々に夜の帳へ染まっていくと、ベトナムのダナン上空を超えて、タイ領空へ入ったようだ。既にフライトタイムももうすぐ7時間あまりを超えようとしている。着陸はほぼ北側の21Lへ向かい、高度をさらに降下させていく。離れた窓から微かながら街の灯りが徐々に見えてくる。タイ空軍のハンガーを横目に見ながら、軽い着陸のショックとともに強力なJT9Dエンジンの出力がリバーサーによって大きな音と共に消えてゆく。約7時間12分あまりのフライトを終えて、隣の滑走路を越えていくと32番スポットへ入っていく。

その時ウォークマンで聴いていたのが、山下達郎のアルバム曲で夜翔(Night-Fly)だった。そのためこの曲を聴くと
初めてひとりで海外へ飛んで、初上陸のバンコク・ドンムアン国際空港へ着陸する時の不安さとワクワクする感情が入り混じったあの日の着陸を未だ思い出すのである。

モデルメーカーはビッグバードで1/400。シップレジはVT-EBNでこの塗装はジャンボ機が就航した1970年代から採用されたもの。就航当時はアッパーデッキがラウンジの設定だったので窓が3つだった。その後座席が設置されて客室へ変わったので窓が増加している。日本線では長いこと就航していたので馴染み深かった存在でもあり、珍しいところでは新千歳からチャーター便が運航された例もあるほどだ。

もう少し、この遠い旅の記憶を書き綴っていきたいと思っております。

では来週もお楽しみに…。

Mattari

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