航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第1回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

1981年10月1日大型台風22号発生

東亜国内航空鹿児島空港支店運航課

「今朝5時現在には、この台風22号は南大東島の北東、約230キロ、足摺岬のちょうど真南約600キロぐらいの海上にあり、一時間に30キロの速さで北北東に進んでいます。中心の気圧が935ミリバール、最大風速が45メートル、また25メートル以上の暴風半径は250キロとやや狭まって台風は衰えを見せ始めていますが、まだ大型で強い台風です。
 台風を取り巻く外側の雲が今朝からこの南岸地方にかかり始めてきましたが、本州の南の海上には前線が停滞していまして…」

 東亜国内航空、鹿児島空港支店の松田仁宏運航課長は、この二日間の彼のベッド替わりになっている運航課のソファーに胡坐をかいて座り込み、TVの台風情報に聞き入っていた。
 松田は支店の運航管理を統括しているベテランの運航管理者(ディスパッチャー)で、今年で44才。自衛隊の航空管制官から民間航空のディスパッチャーに転身したという異色のキャリアをもつ根っからの”飛行機屋”であった。
 彼はディスパッチャーという正確さと緻密さが求められる仕事のせいか、それとも、規律を重んじる航空自衛官の出身であるためか、日頃から身だしなみには気使っていた。
 といっても、特別おしゃれというわけではない。唯、Yシャツの少しのしわやネクタイの捻じれなどには、すぐ、気がつくので、妻に、少し神経質すぎますよ、と、ひやかし半分の愚痴を言れたりした。
 しかし、一昨日からその神経質は影をひそめ、徹夜で首のまわりが油汚れしているのも気にならない様子だった。
 それどころか、昨晩、妻が会社に届けてくれた新しいYシャツとネクタイ、グレーのウール地のベストもソファーの角に放り投げたままで枕替わりにしていた。
 松田はティッシュ・ペーパーでメガネの汚れをとると、再び、TV画面に見入った。
 今回の台風は俗にいう迷走台風で、沖縄までの洋上を数日かけてのろのろと北上し、今朝から、沖縄の東の洋上でほぼ停滞状態になっている。
 紀伊半島沖には低気圧前線があり、四国や中国地方には雨を降らせているものの、台風自体は雨量が少ない割には強い風が吹く、”風台風”というのも今回の特徴であった。
 昨夜の午後9時の時点では、中心気圧が935ミリバールもある大型台風だったが、ジグザグに迷走する内にややで勢力が衰えた。とはいうものの現在でも960ミリバール。今年最大の台風であることに変わりはなかった。
 予定では台風の中心は鹿児島の東約150キロの海上を通過するので直接、九州に上陸することはない。しかし、鹿児島でも風は次第に強くなって、瞬間風速で20メートル近い風が吹きつづけていた。
 松田はTVから目をあげて窓の外を眺めた。
 大きな銀杏の木が強い風を受けてやっと色付き初めた葉を無残にも散らせている。
 そのとき風の音に混じって聴きなれた爆音が聞こえた。
 爆音はヒーンというターボプロップ独特のエンジン音を響かせて、風に揺れるように波打っている。松田は素早く時計に目をやった。11時15分過ぎであった。
 この時間帯、耳に届いたレシプロエンジンの音は、今朝奄美大島に向かった東亜国内航空561便に違いなかった。

 561便は今朝、8時30分に天候調査を兼ねて奄美大島空港へ向かったが着陸出来ず、50分程前に奄美大島の上空から鹿児島空港に引き返す旨、奄美大島支店から連絡があったYS-11機である。
 本州へのジェット便はまだ辛うじて運航を続けているが、離島への便は一昨日の午後からすべて欠航していた。
 松田はソファーからゆっくりと腰をあげた。そして嵐の中を着陸出来ずに戻ってきたパイロット逹から、島と台風の様子を聞くために運航課のカウンターへ向かった。
 精悍な顔に疲れた表情が見える二人の若いパイロットが、空港の入り口から運航課に入ってくるなり、松田は待ち切れないように声をかけた。
「やはり無理だった?」
「ええ。エンルートは雲も少なくてさほど問題はなかったんですが、奄美大島の上空が悪かったですね」
 フライトバックから取り出した飛行プランとデーター類をカウンターのテーブルに置いて、YS-11の機長になりたての、まだ若い平田機長が答えた。
「強いの? 風は…」
「25、6ノットぐらいかな。でも、横に回ってきたので断念しました。与論島だったら降りていたんですがね」
「ああ。無理しない方がいいね。奄美は特殊な空港だからな」
「ええ」
 着陸条件が悪い空港は会社の運航規定において特殊空港に指定され、安全基準が他の空港より、厳しくなっている。
 例えば横風の着陸の場合、一般的には25ノットの風まで着陸可能という安全基準が、奄美大島空港の場合、16ノットまでと制限されている。それは空港の近くにある海抜180メートル弱の大刈山と淀山の存在が、西から吹く風のときに乱気流を作りやすいとされるからだった。(註、2001年には、長さ2000メートル幅45メートルの滑走路が、海側に新設されたので問題はなくなった)
「お客さんは?」
「少し気分が悪いひともいましたが大丈夫です。唯、欠航が続いているので早く奄美に戻りたいというお客さんが沢山いましたね」
「そうだよね。今日はなんとかしなければね」
 この数日、船便も欠航し、離島は孤立した状態になっている。
 ご苦労さんでした、とパイロットの労をねぎらって松田は所長と今後のフライトを相談するために所長室に向かった。

奄美大島から戻ったYSの平田機長インタビュー

― 今日は何便で(奄美大島へ)飛んだのですか?
「今日は561便(鹿児島ー奄美大島)、562便(奄美大島ー鹿児島)の一往復です」
― 何時の離陸だったのですか?
「出発が8時ちょうどの定刻だったのですが、7時の天候が(出発するには)いっぱいいっぱい(の状態)だったので、8時の天候を調査するということで出発を(8時)20分ぐらいにセットし直したんです。
 奄美大島の空港は特殊空港になっていますので、普通の空港より(着陸条件が)押さえられています。とくに山側から吹き下ろす風はかなり操縦性に問題があるものですから。
 それが(奄美大島空港の着陸条件が)、いっぱいいっぱいであるということと、台風の動きによってその風が、より悪い方向に動くであろうという判断のもとで、出来れば早く、良い状態のときに行きたい(奄美大島空港に着陸したい)という気持があったのですけどね。
 それでウエザー(気象情報)を取ってOKだという判断のもとで(鹿児島空港を離陸した)のですが。唯、お客さんに対してはリターン(奄美大島の天候次第では鹿児島に)する可能性があるということをアナウンスしてもらって。
 それで飛び上がって9時の天候を又、機上で貰ったんです。(それは)実際、我々が判断の基準にしている気象観測所が出すオフィシャル・ウエザーというものなんですが、9時のデータが(そのときの)最新のデータなんです。
 それと現地の(奄美大島の)空港の運航管理者(ディスパッチャー)にコンタクトして(空港の)現況を尋ねたのですが、あいかわらず(着陸には)いっぱいいっぱい(の状況)で、多少悪い方向に風向きが変わりつつあるということでした」
― それは8ノットから30ノットくらいの風の息があるからですか?
「はい。ステディといいますか、例えば同じ方位から(風が)10ノットから20ノット(一定に)吹いている分には、まあいいんですけどね。風の息があるというのがいちばん飛行の安全性に関係するんですよ」
― (その時は)ランウエイ(奄美大島空港の)から見ればどちら方向の風だったのですか?
「(ランウエイの)左前からですね。それが段々真横に変わってくるんです」
― すると、状態が悪くなってくるんですね。
「ええ。悪くなってくるんです。そのあと(奄美大島の)ディスパッチャーが向こうから(無線で)呼び掛けてきて、風が強くなったことと、より横風気味になった、というリポートがあったのです。(そのとき)こちらはまだ上空で、天候は良かったものですから比較的落ち着いた感じで進入を開始するときでした。
(しかし、一般的に言えば)水上(海面)の波頭の砕け散る方向で風向を知ることが出来ますから、そのとき機上から海を眺めると波頭によっては約30度くらいの開きが上空から確認できたのです」
― 視程は良かったのですか?
「そうです。視程は良かったし、雲の状態もほとんど薄い感じの雲だけだったのですが、(機上から見た)水上(海面)の波頭で(地上近くでは)かなり(強い)風がいろんな方向から域を持って吹いているのがわかったし、それと最終的にディスパッチャーから貰ったインフォメーションを加味して、おそらくこのままアプローチすれば凄いタービュランス(乱気流)があると判断したのです。低高度で着陸復行、すなはち着陸できずに上昇するのは、あそこ(奄美大島)の場合、危険なんです。それで早い時期に管制許可を貰って(進入を断念し)、そう(決断するまで)約1分か2分ぐらいだったかな。そのとき丁度奄美大島の上空にさしかかっていました。それからまっすぐ鹿児島に戻ってきたのです」

東亜国内航空鹿児島支店所長室

 松田課長は所長室へ向かう途中でロビーを覗いた。
 狭いロビーは、今561便で奄美大島から戻った客と、これから奄美大島や与論島に飛ぶ便を待っている客でごった返えしていた。
 長椅子に座りきれずに荷物と一緒に床の上に腰を下ろしている客もいる。大半の乗客は路線バスに乗るように飛行機を利用している離島の人たちである。
 中には松田の顔見知りの客も何人かいた。奄美大島で小さな病院を開業している医者。製粉業を営む中年の男性。離島を担当エリアに持つ証券マン。
 角のテーブルでは鹿児島に法事に来たという漁業長の娘が子供たちに弁当を食べさせていた。
 それを見ながら、松田も急に空腹を覚えた。考えてみればお昼近いのにまだ朝食もとっていない。所長も同じだろうと思って、ロビーの売店に立ち寄ってサウンドイッチの袋を二個買うと所長室に向かった。

 ドアを開けると、所長は新しいYシャツに着替えてネクタイを締め直しているところであった。
 眼鏡をかけた細身の鹿児島支店空港所長の早川貞雄は、どちらかと言えば、一見、役場の助役というタイプだが、実はニューヨーク航路の貨物船で通信士として働き、世界の海を股にかけたという経歴の持ち主で、地味な風貌に似合わずガッツある情熱家で知られていた。そして、鹿児島空港の所長になってからは、離島運航には並々ならぬ意欲を燃やしている。
「よう。俺も今、君に電話しようと思っていたところなんだ」
 少し乱れたうしろ髪を手櫛で直しながら所長は言った。
 昨夜は多分、所長も所長室で仮眠を取っただけなのだろと思いながら、松田はサンドイッチの袋を差しだして、食べますか? と尋ねた。
「ああ、もらうよ。コーヒーでも煎れるかな」
 部屋の角に置いているパーコレーターから、炒れたてコーヒーをカップに注ぎながら、所長は背中で尋ねた。
「561が戻って来たみたいだな」
「はい。今、平田機長から話を聞いて来たところなんですが」
 松田はかいつまんで561便の状況と奄美大島の天候について報告した。
「そうか…。今日は何とかせねばならんな」テーブルにコーヒーを運びながら所長が言った。
「奄美大島と与論島に運ばなければならない生鮮食料品も山積になっていますからね。それに頼まれている医療品もありますし…。何とかしたいですね」
「台風自体はどうなんだ?」
「さほど変化はありませんが、台風が少し東寄りになった分、今朝より幾分良い状態でしょう。問題は風の息ですね。奄美大島の上空で待機して風が弱まった瞬間を見計らって降りるかないでしょうね」
「お客さんは?」
「今朝の便で戻ってきたお客と次の便を待っているお客を合わせると、百名は越えるので最低二便は必要ですね」。
「よし、お客は振変えて567便と569便で何とかできるだろう。YS二機の出発準備を始めてくれ。ともかく準備して待とう。飛ぶ、飛ばないはパイロットの判断だからな」
「そうしましょうか」
「ところで、次の便の機長は誰だ?」
「大井機長です。すでに待機中です」

 鹿児島支店には離島を中心に飛ぶ、長年のキヤリアをもつYS-11のベテラン・パイロットと、ジェット旅客機に進む過程としてYS-11に乗務する若いパイロット逹がいた。
 大井機長は後者に属し、DCー9の副操縦士からYS-11の機長になって1年半目、今年で33才になる将来を嘱望されるパイロットであった。
「ああ、彼なら何とかしてくれるだろう。すぐにでもブリーフィング(打合せ)にかかってくれ」

早川所長インタビュー

「数年前にも沖永良部台風という強烈な台風がありました。このときも、当然、船は何日間も欠航したちまち、島の生鮮食料品とか必需品が不足しました。
 こういった場合、一刻も早い船とか飛行機の復興が望まれ、それは島の人たちにとっては切実な要望になります。
 台風の場合、台風で荒れた滑走路の上を低空飛行して滑走路を(着陸可能かどうかを)チェックしながら第一番目の救援物資を運んだというようなこともあります。
 パイロット逹は飛行機を操縦することをプロとしているわけです。だから、自分の飛行機に愛着を持つのは当然です。彼等は離島の足を支えているというプライド持ちながら、このYS-11に全力を傾注して安全運航をしようとしているのです」

 周知のごとく東亜国内航空は東亜航空と日本国内航空が1971年に合併した会社で(1988年に日本エアシステムとなった)ある。YS-11を使った歴史は古く、日本国内航空は1965年4月1日に日本最初のYS-11定期路線を羽田-徳島-高知の路線で開設しており、東亜航空も同年5月10日に大阪・伊丹から広島、同じく伊丹から米子にYS-11の定期運航を始めている。そしてこの両社が合併して東亜国内航空が発足すると海外に輸出されていたYS-11を買い集め、東亜国内航空は42機のYS-11を運航する世界最大のYSユーザーであった。
 そして早川所長は、プロ意識に徹していた故十島機長の想い出のフライトについて語った。

「宮内庁がチャーターしたYS-11に皇太子ご一家(現天皇陛下)がご搭乗されて、鹿児島から種子島まで飛行されたことがありました。そのときのキャプテンが、今は亡き十島機長で、彼は大戦時に戦闘機のパイロットであったベテラン機長でした。
 その日も今日みたいに嵐の日でした。台風ではないのですが、低気圧の前線が停滞して鹿児島地方は低い雨雲に閉ざされ、強風が吹く日でした。
 私は種子島で皇太子ご一家をお待ちしていたのですが、低くたれこめた雲の下、海面すれすれにYSが滑走路に向かってくるのです。 普通なら雲の上から一定の高度を保って降りて来るはずが、超低空で進入してくるのですから驚きましたね。そして滑走路の上を一度ローパス(低い高度で通過)して再び上昇して着陸しました。
 着陸は素晴らしいものでしたが、(超低空で進入した理由を)あとで十島機長に聞いたところによると、鹿児島から種子島まで出来るだけ揺れない高度で飛行した結果だということでした。
 それでも途中はかなり揺れたようで、皇太子はじめお子様たちはご気分が悪くなられたそうです。唯、美智子妃だけは毅然とされていたと伺いました。私にとっては十島機長の想い出とともに、皇太子ご一家に直接お目にかかれた忘れられないフライトになりました」

つづく

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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    • まるのともだち
    • 2010年 1月11日 5:21pm

    面白そうですね。続きが読みたいな。

    • 竜子
    • 2010年 1月11日 8:11pm

    ■まるのともだちさん
    おかげさまで昨日今日と早い時間からランキングのクリック数をたくさん頂いています!
    ここは…続けて第2回をアップしてしまおうかな?!
    なんてよぎっちゃいますねっ!!!
    新年の景気づけに!
    まるのともだちさんは、どう思われますか?
    いかがでしょう?

  1. これは、面白い! とてもワクワクします。
    ドラマ仕立てになっていて、ドキュメンタリーの要素もあり、
    初回から、ガッツリと引き込まれてしまいました!!
    ありがとうございます。
    これからの連載が本当に楽しみです。

    • 竜子
    • 2010年 1月12日 12:28am

    ■Airmanさん
    はい、そうなんです!
    今回は「航空サウンド」ではなく、文章によるノンフィクションドラマ。
    「航空サウンド」はあくまで "おまけ" です。
    音でも楽しめるドキュメンタリー。2001年に刊行されたものですが、このコンセプトっていまだに新しいですよね。

    • Mattari
    • 2010年 1月12日 12:47am

    あのTDAのYS運航サイドのお話が
    読めるなんて貴重です。離島路線運航の大変さが
    伝わってきます。航空サウンドもついてるのもいいですね。
    こりゃ強力なコンテンツだね。うんっ!

    • 竜子
    • 2010年 1月12日 1:14am

    ■Mattariさん
    ね、すごいですよねっ。
    離島路線で、しかも台風の日とは…。
    どういう巡り合わせで、武田さんは取材できることになったのでしょうね?

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