航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第6回

[title_taifuhikou]
航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

奄美大島へ

 薩南洋上、高度12000フィート。眼下は見渡すかぎり雨雲である。
 灰色の絨毯を敷き詰めた広い雲の層に、所々、らくだの瘤のような黒い塊がいくつも突き上げて険悪な様相をみせ、すぐ上空にはやや明るい灰色の厚い雲が、低い天井のように覆っている。
 567便は、その雲の層に挾まれた細長い空の空間を一路、奄美大島に向けて南下していた。今は10分遅れて後続する僚機569便YS以外は、20000フィート以下の高度に他の航空機は全く飛行していない。
 567便の飛行コースは薩摩半島を枕崎上空で抜け、東シナ海に入り、機首方向207度で屋久島の西約40マイルを通過して北緯30度線に向かう。
 30度線を東経129度49.16度にあるBOMAPポイントで通過。ここまで鹿児島からおよそ100マイルの飛行距離である。その後、機首方向207度で東シナ海を南下、奄美大島の北北西約30マイル洋上にあるポイントSATLAへ向かう。
 SATLAはBOAMPからおよそ65マイルの洋上の地点、そしてSATLAから奄美大島へ左旋回し、機首を166度に変えて下降を開始する。
 奄美大島に至るエンルートの気流は、心配するほど悪いものではなかった。
 鹿児島の南端から種子島付近にかけて9000フィート近くまでの高さに伸びていた雨雲の中では、かなり揺れたが、雲を抜けてからは、強い追い風による小刻みな揺れ以外は激しい気流の乱れはなく、台風時の飛行とは思えないほど平穏な巡航であった。
 巡航中は定期的に計器類に目を走らせ、管制交信に耳を傾ける以外、とりたててする仕事もないコックピット・クルーにとって比較的くつろげる時間帯である。
 しかも、普段ならこの薩南諸島の海上を飛行するときは、大きなガラスの窓越しに南の太陽が燦々と降り注ぎ、コックピットの中は暖くて眠りさえ誘う居心地の良い場所になる。
 だが、今日はまるで違っていた。
 日差しが雲に遮られたうす暗いコックピットの中で、二人のパイロットは口数も少なく落ちつかない様子を見せていた。
 嵐の奄美大島への着陸を考えると、この一時的な平穏が早く終わればいいとさえ思える。それは戦場で数時間後に始まる総攻撃を前に落ち着かない気持で待機する兵士のように、つかの間の平穏な時間がよりいっそう緊張感を高めるような気がするのだ。
「やっぱりさ…」
 大井機長は張り詰めた雰囲気を和らげるように副操縦士に話しかけた。
「鹿児島で勤務するかぎり、台風に当たる確立は多いよね」
「多いですよ。毎年、必ず当たりますね」
「東京で勤務するときは、めったに当たったことはなかったけどね」
そして大井機長はしみじみとした調子で呟くのだった。
「鍛えられるよ…」
「運の悪い人なんか毎回当たるんですよね」
「(鹿児島へ)来るたびにな…」
 雲を隔てた上空から沖縄や本土に飛ぶジェット旅客機の交信が聞こえてくる。
「フクオカ・コントロール。ジャパンエア611。メインテイン310」
(こちら福岡コントロールです。日本航空611便へ。高度3100フィートを維持して下さい)
「ジャパンエア611。ラジャ」
(日本航空611便、了解)
「フクオカ・コントロール。オールニッポン98。リービング290 フォー 170」
(全日空98便へ。こちらフクオカ・コントロールです。高度29000フィートから17000フィートへ降下して下さい)
「オールニッポン98。ラジャ」
(全日空98便。了解)
 そのとき、567便の無線が鳴った。
「569?」
 10分あとを飛行している569便が無線で呼び掛けてきたのだ。小山副操縦士がマイクを取る。
「トーアドメス567。トーアドメス569。呼ばれましたか?」
 高度7000フィート前後を上昇中の569便が雲の中から、先行する567便に現在の飛行高度と気流の状態を尋ねてきたのだ。
「(567便の現在高度は)10000(フィート)ですか?」
「(現在高度は)12000(フィート)です」小山副操縦士が答える。
「10000(フィート)でも、やはり雲がかかりますか?」と569便が尋ねた。
「10000でもいけると言ってくれ」
 大井機長が10000フィートで雲が切れることを569便に伝えるように副操縦士に指示を出す。
「10000でも問題ないと思います」小山副操縦士がすぐ機長の指示を無線に乗せる。
「はい。了解です」と569便。
 飛行中に他の飛行機と交信を交わすことは多々ある。例えば、電波の具合で管制官と連絡が出来ないとき、先行する他の航空機にコンタクトして管制官へ到着予定時刻や飛行高度などを伝えてもらう場合や、これから飛行するルートの天候などを尋ねる場合などである。
 569便と交信が終わると、大井機長はインターホン電話で客室乗務員を呼んだ。キャプテン・アナウンスをするためである。
「あの、13時ウエザーをもらったのですが、12時と変わっておりません。そういう状況で(奄美大島への)着陸は五分五分ですね。それでは(アナウンスを)始めますのでお願いします」
 そして機内放送のためにマイクを取った。

「ご搭乗の皆様。本日もTDA東亜国内航空をご利用頂きまして真に有難うございます。操縦席より飛行状況のご案内をさせて頂きます。567便奄美行きは定刻より約1時間ほど遅れて出発しております。
 現在、飛行高度12000フィート、約3600メートル。飛行速度、毎時400キロメートルで順調に飛行を続けております。
 只今の位置は薩摩半島の南端から約50キロの所を飛行しております。当機はこれより北緯30度線を13時38分に通過いたしまして、目的地奄美空港には14時15分の着陸を予定しております。尚、航路上の天候は目的地までは、ほぼ現在のように、大きな雲もなく順調な飛行が続くものと思われますが、着陸進入に関しましては、かなりの揺れが予想されます。
 目的地奄美空港の天候は出発前に、ご案内申し上げました通り、台風の影響でかなり風が強くなっておりまして、現在のところ着陸出来るぎりぎりの状況でございます。
 最悪の場合には鹿児島空港に引き返すことも充分考えられますのでご了承ください。何かご不便な点がございましたら客室乗務員までお申し出下さい。本日はご搭乗有難うございました」

 乗客たちは”最悪の場合、鹿児島に引き返す”という機長のアナウンスなど気にもしていない様子だった。そんなことは離島では日常茶飯時なことだった。
 乗客たちは機内に持ち込んだ手弁当をおいしそうに食べ、ちびりちびりと懐から取りだした焼酎を呑む者もいた。
 乗客の大半は顔見知りで、機内はさながら村から村へ走る乗り合いバスの車内のように打ち解け、寛いで、機窓から嵐の雲を心配気にながめているものなど一人もいなかった。

567便乗客の客室インタビュー

「しょっちゅう乗っておるんですけどね。毎月いっぺんぐらいはね。台風のときは欠航があったりするんですよ。で、欠航とか、しょっちゅう風が強いときなんか、奄美空港なんか、よう着かんですものね。上まで飛んできて、また引っ返すとか。40分くらい乗ってから、もう、帰ったことがあるんです。(奄美大島は)空港が小さいからYSがいちばん良いです」

567便コックピット

 567便は北緯30度線を予定より早く過ぎた。北風が予測したより速いためだ。
 まだ上空には雲があるものの、下は雲も切れ始めて灰色の荒れる海が所々見渡せるようになった。
「やっぱり、白波が立っているね。まっ白だな」
 大井機長は身を乗りだして海を眺めた。
 いつもは青く澄んでいる南の海は灰色に濁り、大きな波頭が帯を連ねたように海面一帯に伸びている。その波頭を見るかぎり海面にはかなりの強風が予想された。
 台風の中心が過ぎたと考えられる奄美大島もまだこんな風が吹いているのだろうか?
 大井機長は現在の奄美大島の出来るだけ詳細な情報が欲しかった。 しかし、情報を得るにしても、この位置からは奄美大島の東亜国内航空運航課と交信するには、距離が遠過ぎてカンパニー無線はつながらない。しかも奄美大島空港にはATIS(空港情報サービス)もないので、直接、空港から情報を得ることも出来ない。
 そのとき、ふと思いついて大井機長は無線機のマイクを取り上げた。
「564、こちら567。どうぞ」
 564便は奄美大島空港で台風をやり過ごし、今日鹿児島空港へ向かう予定のYS-11である。奄美大島の状況を聞くためにその飛行機に呼び掛けようと考えたのだ。
 もし、564便が予定通り奄美大島を離陸していれば、こちらに向かっているので無線は届く筈である。
 しかし、受信機はザーという空電を発しているだけで、飛行機からの応答はなかった。
「130.1(メガヘルツ)にしているかな?」
 YS-11に搭載している無線機はVHF1とVHF2の二つで、VHF1は管制との交信にあて、VHF2は離着陸前後はカンパニー無線の周波数に合わせ、それ以外を130.1メガヘルツにして緊急時や飛行機間の交信にあてている。
「まだだと思いますけどね」小山副操縦士が小首を傾げながら答えた。
「忙しいときだからな…」と大井機長は、もし、564便が離陸していれば今は上昇中で何かと多忙な時だろうと思いながら呟いた。
 しかし、何としても奄美大島の最新ウエザーが欲しかった。ここまで飛んで来て、みすみす鹿児島に引き返したくはない。
「トーアドメス564。こちら567。感度如何?」
 再度、大井機長は564便を呼ぶ。だが、564便からは応答はなかった。
 無線の受信機からは日本航空903便へ、福岡コントロールから那覇コントロールへの移管を呼び掛ける管制交信が聞こえる。
「ジャパンエアー903。レーダーサービス・ターミネイテッド コンタクト ナハ・コントロール1193」
(日本航空903便。こちら福岡コントロールです。レーダー誘導の限界です。以後は那覇コントロール周波数119.3メガヘルツに連絡して下さい)
 北緯130度線は福岡コントロールと那覇コントロールの管制エリアの分岐点である。
 日本航空に引き続き、福岡コントロールが567便を呼んできた。「トーアドメス567。レーダーサービス・ターミネイテッド。コンタクト ナハ・コントロール120.5」
(東亜国内航空567便へ。こちら福岡コントロールです。レーダー誘導の限界地点です。以後は那覇コントロール120.5メガヘルツへご連絡下さい)
「トーアドメス567。ラジャー。120.5」
(東亜国内航空567便です。120.5了解しました)
 VHF1の周波数を120.5メガヘルツに変えて、小山副操縦士は大井機長に管制が変わったことを報告した。
「今、コンタクトはナハ・コントロールです」
 大井機長はVHF2で564便とのコンタクトに腐心していた。どうしても情報が欲しい。そして、何とかこの飛行機を奄美大島に降ろしたい。それは離島を飛ぶパイロットの使命であった。
「今、まだ、(564便は無線のボリームを)しぼっているみたいだな」
 大井機長は再び、564便を呼ぶ。
「こちら567。564。感度いかが?」
 そのとき、564便が応えた。大井機長の顔に安堵の色が走る。
「お忙しいところお手数ですけども、奄美の状況を少し聞かせて頂けますか?」
 上昇中のコックピットの多忙さに気使いながらも、大井機長は気が急く思いで尋ねた。
「えー、了解しました」
 564便のボイスは明瞭にスピーカーから流れた。
「奄美はデータ通り、320(度方向)から360(度方向)くらいで、だいたい12、3ノットの風が多いんですが、ときどき20ノット、あるいは25ノット、ときには30ノット吹くこともありました。空港のインディケーターによると、12、3ノットの風が1分か2分くらい続きまして、それから20から25ノットの風が30秒くらい続くといったような繰返しの状況でした。風の変化が非常に激しいようでした。どうぞ」
 奄美大島の状況は予想した以上に悪いものだった。大井機長は礼を言って無線を閉じた。
 着陸時、320度から360度方位の風は、ほぼランウエイヘディングで正面の風になり20ノット以内なら問題はないだろう。  しかし、25ノットから30ノットの強風が混じるという風の変化は厳しいものがあった。
 実際、着陸の瞬間にその風が吹けば、翼面荷重が少ないYS-11の特性から考えて機体が翻弄され着陸を断念せざるをえない。
 しかし、接地するとき12、3ノットの風に当たれば着陸はたやすいものになる。
 唯、風がそれほど西に回っていないのが唯ひとつの救いであった。「これはタイミングだな」
 大井機長は小山副操縦士の顔を見て言った。
 奄美大島に近づくにつれて、コックピットは次第に緊張感が増し始めていた。

つづく

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
[ad_taifuhikou]

    • 竜子
    • 2010年 2月8日 3:08pm

    朝起きて、更新した「つもり」だったのですが、反映されてなかった…;;
    朝、楽しみにしていた方、遅くなってごめんなさい。

  1. トラックバック 0