とび職一代 第2回

会社が新たに開設した訓練コースは、訓練委託先によって幾つかの訓練コースに分かれておりました。
防衛庁(当時)に委託するコース。米国の航空会社に委託するコース。英国の飛行訓練学校に委託するコース。そして、私が訓練を受ける事になった、日本の飛行訓練学校に委託する四つのコースでした。
この中で一番恵まれていたのが、防衛庁に委託するコースで、訓練生として採用された時点で社員となり、当然給与も支払われていました。
一方、最も恵まれないどん底のコースが、我々日本国内委託組だったのではないでしょうか。

まず、自費で30時間ほどの飛行訓練を受けた後、ANAの試験に合格して初めて訓練生としての待遇を受けらるようになる訳ですから、これって、ひとつの賭でしたね。
しかも、訓練生待遇と言いましても、その後の飛行訓練費用だけがANAから支払われるだけで、給料はおろか、生活費まで自分持ちだったのです。
それでも試験に合格すればまだしも、試験に落ちてしまいますと、それまでの30時間分の飛行訓練費が無駄になるのです。当時で、1時間あたりの飛行訓練費は1万円ちょっとだったと記憶しております。
30時間の飛行経験など何の役にも立ちませんしね。しかし訓練費用、衣食住代、その他を振り込んでしまったからには、あとは死に物狂いでやるしかありません。

期待と不安を抱いて岡山の訓練所へと入学しました。
飛行訓練が始まる前に、航空法、航空工学、飛行機取り扱いなどの学科訓練を受ける事になります。
特に航空法の教官が厳しかった!試験で「航空機とは」 問われたら、一字一句間違いないように回答しないと点をくれないのです。「そこまで厳しくしなくても」 とその時は思っていたのですが、いま考えますと、そのお陰で航空法や管制方式基準などをしっかりと頭に入れておく習慣が付いたのだろうと、その教官には感謝をしております。

訓練所の生活は、ほとんど軍隊と一緒。外出できるのは、土曜の午後と日曜日だけでしたので、たまの休みには岡山市内まで繰り出して、仲間と酒を酌み交わすのが唯一の楽しみでした。ただ門限も厳しかったので、時間を気にしながらの息抜きとなっていましたが。

そして待望の飛行訓練が始まったのですが、訓練に使われた飛行機はセスナ C150という二人乗りの飛行機で馬力は100馬力。100馬力でも飛行機は飛ぶんですね。
最初の訓練フライト。
教官から「管制塔との交信もやってみるか?」 と言われましたので、「はいっ」 とは言ってみたものの、緊張しました。

“ Okayama tower this is JA3456 request taxi and take-off instruction.”

タワーからの許可をもらいタクシーを始めたのですが、自動車運転の癖が出てしまい、操縦桿を回して飛行機を曲げようとしてしまうのです。軽飛行機の場合、前輪がラダーと連動していますので、ラダーを使って地上滑走をする必要があったのですが。
見かねた教官に言われました、「操縦桿から手を離して腕組みしてろ」 と。そうしますと、意識がラダーへ行って、上手くタクシーする事ができたのです。

最初の離陸は教官の手で。
離陸した後、瀬戸内海上空に設定されていた訓練空域へと向かい、まずは教官が操縦のお手本を見せてくれた後、「やってみな」。
一番大事な事は、水平飛行している時と、旋回中の水平線の見え具合なのです。これさえしっかり頭に刻み込んでおけば、飛行機は安定して飛ぶ事ができるのです。
恐る恐る操縦桿に手を添えて、まずは水平直線飛行。次に30度バンクの旋回。
想像していたよりは簡単だと思いましたが、最初に教官から言われた事を今でも覚えております。

「お前、血液型は何型だ」

「はい、B型です」

「やっぱりね」

パイロットにはB型が多いと聞きますが、ある時、5、6人で集まって、お茶を飲みながら雑談をしていたのですが、そこにいた全員が何とB型だったのです。
もっとも、「B型以外はパイロットのは向いていない」との根拠など全くありませんのでご安心を。

飛行訓練は、最初に訓練空域での上昇降下、左右の旋回、失速からの回復などの訓練を行った後、空港へ帰ってタッチ・アンド・ゴーの訓練を行うのが通常だったのですが、飛行時間も10時間に近づいてきますと、訓練生の間で話題となってくるのがソロ・フライトの事でした。
我々はライン・パイロットを目指している訳ですから、一人で飛行機を飛ばす事などあり得ないのですが、「自分一人で飛行機を飛ばした」 との自信を持たせるためにも、初ソロという儀式を通過しなければならないのです。

初ソロへの期待と不安が混じり合い、訓練所の中には何となく重苦しい空気がただよい始めていた、そんなある日。
その日は、朝から晴天で風も弱い絶好のフライト日和。誰の心の中にも、「今日誰かが初ソロに出るだろう」 との思いを抱きながら飛行訓練へと向かったのですが、誰もが、「自分こそが初ソロ一番乗りをしたい」 と思っていたのは当然の事でしょう。

私もその日は、タッチ・アンド・ゴーの訓練を繰り返していたのですが、教官から、「次フル・ストップ」 と言われましたので、着陸して空港のランプ・エリアへと戻りました。
そして、しばらく考えていた教官から、「よしっ、ソロに行ってこい!3回タッチ・アンド・ゴーをした後フル・ストップ」 と言われてしまったのでした。
「ドキ〜ッ」
初ソロでの一番の心配事は、離陸する時、エンジンのパワーを出す勇気が自分にあるだろうかと言う事でした。

教官が降りて行って一人きりになったコックピットで、教官からの合図を待ちます。
そして、フライト・プランを出し終えた教官が合図の帽子を振っています。
さあ、生きるも死ぬも俺の度胸と腕次第、やるっきゃない!

FD

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    • B777
    • 2010年 3月9日 10:08pm

    教官が横に乗っていれば安心感がありますが、ソロ・フライトとなると空での心の支えである教官がいなくなる訳ですから、不安になられるのも当然ですね。そして腕次第と思われたのが凄いです。訓練して操縦出来るとは言え、なかなか思えるものでは無いと思います。ある本に海外航空会社のパイロットが休暇中にアルバイトとして、一人でセスナをフェリーするとありました。所詮アルバイトですが、腕を磨くとも言えます。訓練でのソロ・フライトと事情が全く違いますが、自信を持つ、腕を磨くと言う意味では、共通しているなぁと思いますし、それがいつかは空の男のプライドに繋がるのかと思います。そう言うのは何か良いですね。羨ましいです。でも私はAB型なのでパイロットには向いていないですね(笑)
    「航空機とは」の質問、答えられません(当たり前ですが)。根本となる事柄に対して「何か?」と問われたら、頭では分かっていても言葉が出てこない。言葉が出て来ないので文章が出来ない。文章が出来ないので口から言えない。もう地獄ですね。繰り返し繰り返し、頭に入れるしかありませんし、そうすると体もそれを覚えるものですね。
    私の従妹の元カレがB747-400の訓練生でしたが、シュミレーター訓練半ばで陸に下りたそうです。それだけパイロットは体力的なことは基より、精神的に強くあらねばならない。飛行機に乗る間際にPBBの窓からコックピットに座るパイロットを見る度に、「任せました。命預けます。」といつも思います。規律やスパルタを嫌がったり、人によっては人権侵害と言ったりとする昨今、精神的に強くならないと、いつまでも志を持てないまま、知らない内に社会から淘汰されてしまう。生きていく為には絶対に必要なことであるはずなのですが・・・、と書いている私もエラそうに言えません(恥)
    飛行機がスキなこともありますし、パイロットと言う憧れもあるので先入観があるかも知れませんが、FDさんの記事を読んでいると何か考えてしまいます。色々な経験をされて来た方の言葉には重みがあります。その様なお話は若造の私には有り難いです。
    繋がりの無いコメントで、すみません

  1. いつも楽しく、ドキドキしながら拝見しています。
    「初ソロ」・・・とっても懐かしい響きです。
    自分の初ソロを思い出しました。
    初めて一人で飛んだのはグライダーだったのですが、初ソロの前に必ずあるのが、離陸後200mくらいの高度での”模擬索切れ”。グライダーは1000mのワイヤーでウィンチに引かれて離陸します。通常500mから600mで自分で索を切り離すのですが、離陸上昇中にその索が切れた場合でもきちんと滑走路に戻って着陸できることがソロの必須条件であるため、初ソロ前(直前)には必ずある儀式でした。その模擬索切れを上手くこなせたら、次は初ソロ。教官の「一人で行って来い」の言葉に頭の中がカーッと熱くなり武者震いしたのを思い出します。離陸から着陸まで一人でもずーっとしゃべっていました。「右クリア!」「速度チェック、高度チェック」「ランウェイチェック」・・・・いつもどおり、いつもどおりと。
    その日の機体撤収後に機体係留用のロープで滑走路に張り付けにされるという儀式でみんなに祝ってもらったのも良い思い出です。
    陸上単発の初ソロは米国だったのですが、こちらはまさにFDさんが書かれていたような状況。数回のタッチアンドゴーのあと、フルストップで降りたあとに、教官が一人ですたすたと降りてソロを指示。滑走路脇で双眼鏡を構えた教官がずーっとフライトを見守っていてくれました。
    全てのパイロットにとって一生に一度の「初ソロ」。
    あの感動は一生忘れないものですね。
    ありがとうございました。

    • トメ
    • 2010年 3月10日 9:15am

    FDさんこんにちは。
    今回の掲載がいつになるのか楽しみでしたが、次回も楽しみです。
    〇十年前の出来事を昨日のように描写できるなんて素晴らしいです。
    お仕事も頑張っていただきたいですが、こちらの方面も頑張ってくださいね!

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