「ヨーロッパ-東京16,000キロエアバスA300大空輸作戦」

『8481がどうやってフェリーされてきたのか気になります!!』
とのまったりさんのコメントに対してのレスポンスです。

ANAフェリーのコックピットは、今のANAではとても考えられない別世界でした。歴史ですね。
東亜国内航空のA300はご指摘通り短距離機のB2です。だから大変でした。
フランスを出て二日目の寄港地アブダビまで飛ばねばならない、しかし航行距離が短いのでアラビア半島が越えられないのです。だからどこかで給油が必要。アテネで給油してレバノン、イラクを通るR-19ルートを使えばアブダビまで最短ルートですが、一週間まえから始まったイランとイラクの戦争のため飛行できない。エルサレムで給油すると以後のアラブの飛行許可が下りないのでこれは論外。となれば、カイロまで飛んで給油しそのままエジプトをナイル川にそって南下、ルクソールで左折しルートA-1に入りサウジアラビアとイラクの国境にそってアラビア半島を横断、バーレンからアラブ首長国に入る方法しかないのです。

唯、この場合距離がめっぽう長くなるので、高度33000フィート以上で飛べて強い向かえ風がなければという好条件で何とかアブダビまでとどくのです。が、途中、戦争による飛行制限がなどあって、高度をそれ以下に落として飛ぶように管制の指示が来ればカイロに戻るかサハラ砂漠に不時着してフェリーは終わり、というシビアーな状態でした。結局、何とかアブダビにはとどいたのですが、それはそれで途中、いろいろありました。

まず、カイロではエアバス発行給油カードが使えす(当時のエアバス社はまだ信用がなかったのでしょう。とくにアラブ世界では)約200万円の現金が必要になりその調達が大変でした。ともかく拝み倒して給油してもらいアラビア半島に入ると今度は通信不能…。戦争下のイラク国境上空ですから、国籍不明機に戦闘機が迎撃するかもしれないと、もうコックピットは大緊張状態。このとき前を飛行しているサウジアラビア機に VHFで通信代行をしてもらって国籍不明機ではなくなり、バーレン近くで通信も可能になってアブダビに無事着陸。

でも、東亜国内航空のパイロットの腕は見事でしたね。トレーニングフライトでエアバス社の教官が絶賛していました。その頃の香港はまだカイタック空港でした。ご承知のように着陸が難しい空港。ビルの間をぬいながら下降し最後は九龍の山の絶壁ぶつかる寸前、絶壁に書かれた白と黒のフラッグを確認するやすぐ右旋回で着陸する難所も、初見、鼻歌で見事なランディング。そして彼らが最も感激したのは、台北の管制エリアが終わり、沖縄の那覇コントロールに移管されたときでしたね。やっと日本の空に帰ってきたとお互いに握手握手…。

ともかく手に汗握る3日間でした。

武田一男

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