YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第2回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

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羽田空港離陸

 現在3時53分。今日の羽田は梅雨の影響で小雨模様、周囲は暗く一面、雲が低く垂れ込めている。ランウエイ15に向かうYSに東京グランド管制から東京タワー管制へ連絡せよ、との移管の交信が入った。
「キンキョリ9175 コンタクト タワー 118.1」(日本近距離航空9175便へ。以後は東京タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
 東京タワー管制は航空機の離発着をコントロールする。その東京タワー管制と離発着機が引っ切り無しに交信している。
「オールニッポン698 リクエスト ゲート ナンバー」(全日空698便へ。スポットは何番ですか。)
全日空698便は山口の宇部空港発のB767で現在、羽田空港へ下降中である。
「698 シナガワ マイ スポット71」(品川の上空を飛行しています。スポット71番です。)
「オールニッポン698 ラジャ」(了解しました。)
「タワー オールニッポン589 オン ユア フリクエンシー レディ フォア テイクオフ」(東京タワー管制へ。全日空589便です。タワー管制の周波数に合わせています。離陸の準備は出来ています。)
 羽田空港発、松山空港行きの全日空機B767に離陸許可が出た。
「オールニッポン589 フライ ランウエイ ヘディング フォア レーダー ベクター ウインド 210 ディグリーズ 12ノット クリア フォア テイクオフ ランウエイ15レフト チャーリー7」(全日空589便へ。誘導路C7から機首を滑走路15Lに向けてレーダー誘導します。風は210度から12ノットです。離陸を許可します。)
「ラジャ チャーリー7 クリア フォア テイクオフ フライ ランウエイ ヘディング589」(了解しました。誘導路C7より機首を滑走路に向けて離陸します。)
「オールニッポン698 クリア トゥ ランド ランウエイ22 ウインド210ディグリーズ 12ノット」(全日空698便へ。滑走路22への着陸を許可します。風は210度から12ノットです。)
「クリア トゥ ランド 698」(着陸します。)
 タワーの管制官はすかさず下降中の全日空698便に着陸許可を与えた。引き続いて女満別発TDA182便のDC-9機と交信を始めた。
「トーキョー・タワー トーアドメス182 アプローチング シナガワ」(東京タワー管制へ。東亜国内航空182便です。品川上空に進入中です。)
「トーアドメス182 トーキョー・タワー ランウエイ22 リクエスト ゲート ナンバー」(東亜国内航空182便へ。滑走路は22です。スポットは何番ですか。)
「ラジャ ゲート02」(スポット2番です)
離陸準備が整った旨を東京タワーに交信するよう副操縦士に伝えた。
「レディ(離陸準備完了)を掛けて(交信して下さい)」
「トーキョー・タワー キンキョリ9175 レディ フォア テイクオフ チャーリー7 オーバー」(東京タワー管制へ。日本近距離航空9175便です。離陸準備が完了しています。現在位置は、誘導路C7です。)
「キンキョリ9175 ホールド ショート ランウエイ ユー ウィル ビー ナンバー2」(日本近距離航空9175便へ。滑走路手前で待機して下さい。2番目の離陸になります。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
「ライトサイド クリア」副操縦士は離陸する方向を目視して確認した。
9175便の前に離陸する松山行きの全日空589便B767が、エンジンパワー全開で滑走を始めた。
「ホールド ショート…了解」滑走路手前で待機する旨を副操縦士はコールした。目の前を全日空698便B767が着陸した。
「オールニッポン698 ターン レフト ブラボー4 コンタクト グランド 121.7」(全日空698便へ。誘導路B4に入り、東京グランド管制121.7メガヘルツに交信して下さい。)
「ラジャ ブラボー4 コンタクト グランド 698」(了解しました。誘導路B4に入り東京グランド管制へ交信します。)
「キンキョリ9175 タクシー イン トゥ ザ ポジション アンド ホールド」(日本近距離航空9175便へ。滑走路内に進入し待機して下さい。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
「ファイナル クリア…ランウエイ クリアです」
 副操縦士は滑走路上に何も無いことを確認し、機長は滑走路に進入してくる飛行機がいないことを確認して、プロペラの回転が再び上がり始め、機体はゆっくりと滑走路内に進入し、離陸の許可の交信を待っている。
 機長は離陸前の最終確認であるテイクオフ・チェックリストを副操縦士にオーダーする。
「はい、テイクオフ チェックリスト」
「フュエル ヒーター…オフ」
「グランド クーリング ファン…オフ」
「ウォーター メタノール…アズリクワイアード」
「トランスポンダー アンド DME…オンにして下さい」
「ガスト ロック アンド フライト コントロール…スタンバイ…はい、ガスト ロック オフ」
「コントロール フリー」
「ラダー フリー」

 ウォーター・メタノールとは、離陸時の出力を増加させる為にエンジンに噴射させる液体のことで、メタノールが37%、蒸留水が63%の混合液である。YS-11はドライ・テイクオフの場合、等価軸馬力が2660馬力あるが、ウォーター・メタノールを使用すると一気に3060馬力になる。
航空機は通常、離陸前に操舵系の確認、コントロール・チェックを行なう。YS-11の場合、離陸直前までエルロン、エレベーター、ラダーの確認を行なわないと言うか、行なえないのである。中央ペデステル右側のグリップのレバーをガスト・ロック・レバーと言って、これらの操舵系が動かないようにしている。タキシング中に突風に襲われて操舵系が損傷したり、風で煽られたりするのを防ぐ為である。離陸直前にそのレバーを手前に押すと解除する。
 9175便は延々と続く滑走路の果てを見続け、離陸許可を待っている。管制官が全日空836便八丈島発のB737に進入許可を与える。
「オールニッポン836 トーキョー・タワー コンティニュー アプローチ ランウエイ22 ウインド200 アット 11 リードバック」(全日空836便へ。こちら東京タワー管制です。最終進入を続けて下さい。滑走路22は風が200度から…)
「ラジャ コンティニュー アプローチ スポット1」(了解しました。進入を続けます。スポットは1番です。)
 東京タワー管制から離陸許可の交信が入ってきた。コックピットには緊張が走った。
「キンキョリ9175 ウインド200 アット1 1クリア フォア テイクオフ ランウエイ15レフト」(日本近距離航空9175便へ。ランウエイ15Lからの離陸を許可します。風は200度方向から11ノットです。)
「キンキョリ9175 ラジャ」と副操縦士は応答し、機長に対し離陸する準備が全て整ったことを伝えた。「ダブル チェック オール コンプリートです」
「(ヘディング)151」
「オーケー レッツゴー!」
 機長はパワー・レバーを奥まで押し込むと、プロペラが勢いよく回転すると同時に角度が傾き離陸速度が上がる。
「フライト スリーオン スリーアウト…レッツゴー!」
 副操縦士はプロペラの角度が元に戻らないようにローストップ・レバーを前に押し込む。
「ウォーター メタノール インジェクション」
 ウォーター・メタノールがエンジンに噴射され、一気に回転数が上がった。
「オール エンジン イズ ノーマル」
 テイクオフパワーが安定したことを確認した。エンジンはダート・サウンドを奏でながら、滑走を続ける。
「80!」
「V1!」機長はコントロール・ホイールを握った。スピードが上がり続ける。
「ローテーション!」機首が上がった。
「V2!」
「ポジティブ クライム!」
「ポジティブ ギア アップ!」メインギア、ノーズギアが機体に引き込まれる。

テイクオフのメカニカル

 副操縦士はローストップ・レバー前に押し込む際、引っ掛かりなど異常を感じた時、機長に速やかに報告する。機長は離陸滑走の初めはラダーとステアリングによって方向を維持し、副操縦士の80ノットのコール後、左手でコントロール・ステアリングに持ち替えて、ラダーによって方向を維持する。副操縦士は中央パネル上部にある予備パネルの左にあるローストップ・アンド・セーフ、ビロー・ローストップの№1と№2のランプが消えたことを確認し、ウォーター・メタノールが噴射されているのをコールする。副操縦士のV1のコールで右手をパワー・レバーからコントロール・ホイールに持ち替えて両手とラダーで方向を維持する。ローテーションで機首を10度まで引き起こす。副操縦士は80ノットに達するまでコントロール・ホイールを押さえる。副操縦士は離陸滑走中にエンジン計器などを注視し、副操縦士側にある速度計にて速度のコールを行ない、異常があった場合は速やかに機長に報告する。機体が地上から離れ安定した上昇率を示したなら、ギアを上げる指示を副操縦士にコールし、副操縦士は中央パネル右側にある車輪の形をしたランディングギア・レバーを引き上げる。その際にブレーキを軽く踏んで車輪の回転を止める。
機長は高度200フィートでフラップを上げる指示を副操縦士に指示した。
「チェック ウィ ウィル トゥ フラップ アップ」とフラップが完全に上がったことを副操縦士はコールした。
 機体は猛スピードで加速し上昇している。
 東京タワー管制より東京ディパーチャー管制へ交信せよ、との連絡が入った。
「キンキョリ9175 コンタクト ディパーチャー」(日本近距離航空9175便へ。東京ディパーチャー管制へ交信して下さい。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
「クライム・パワー セット」
 高度400フィートを通過すると、パワー・レバーを上昇出力に設定し、副操縦士はその援助を行なった。
 副操縦士は東京ディパーチャー管制へ現在の高度を報告した。
「トーキョー・ディパーチャー キンキョリ9175 パッシング 900 オーバー」(東京ディパーチャー管制へ。900フィートを通過しました。)
「キンキョリ9175 トーキョー・ディパーチャー レーダー コンタクト クライム ベイ・ワン ディパーチャー ヨコスカ トランジション クライム アンド メインテイン 7000」(日本近距離航空9175便へ。レーダーで捕捉しています。ベイ1出発方式に従い、横須賀DMEを経由して7000フィートまで上昇して下さい。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
「クライム トゥ 7000」

 YSは離陸後、原則的に400フィートまでは直進上昇をしなければならず、130〜160ノットの速度で上昇する。離陸後、すぐ低い雨雲の中へ入った。高度1000フィート以上で、離陸後の計器チェック、アフター・テイフオフ・チェックリストが始まった。
「アフター テイクオフ チェックリスト」
「レディオ ファン…オート」
「フュエル ヒーター…オート」
「ランディング ライト…リトラクテッド アンド オフ」
「キャビン サイン…ワン オフ」
「ギア…アップ」
「フラップ…アップ」
「プレッシャリゼーション ノーマル スイッチ…チェック ナンバー1」
「ハイドロ レバー…バイパス」
 チェックリスト中に管制から交信が入った。
「キンキョリ9175 セイ アルチュード?」(日本近距離航空9175便へ。現在の高度を教えて下さい。)濃い灰色の雲が飛行機をつつみ全く視界がとれない。
「キンキョリ9175 パッシング 1600」(1600フィートです。)
「9175 トラフィック ワン オクロック スリー マイル アルチュード タイプ アンノーン」(貴機の前方1時の方向3マイルに飛行機がいます。機種は不明です。)
「キンキョリ9175 ルッキング フォア」(確認中です。)
「ラジャ」
 東京ディパーチャー管制が現在の高度を確認してきた。この悪天候で他機との間隔に神経を尖らしているようだ。
 副操縦士は途中で中断したチェックリストを再開した。
「(チェックリスト)コンティニュー」
「ウォーター メタノール…オフ」
「HPC レバー…オート」
 上昇出力に設定後、ウォーター・メタノールをオフ、フュエル・トリマーで適正なTGTを維持する。外気温度によりフュエル・ヒーターをオートにする。
 機長はチェック後、エンジンに異常がないことを確認し、会社のカンパニー交信を副操縦士に指示した。
「(エンジン)ナンバー1…(エンジン)ナンバー2…オーケー オペレーション ノーマル」
「近距離東京、近距離9175。50分、56分 オペレーション ノーマルです。」
「近距離9175、近距離東京。50分、56分 了解です。いってらっしゃい」
「はい、いってきます」
 羽田空港内にある日本近距離航空の事務所に、3時50分にランプ・アウト(タキシング開始)、3時56分に離陸、運航状況に異常がない旨を報告した。YSは梅雨雲の中を遅々と上昇していく。

YS-11が誕生するまで

ここでYSが製作されてから終了するまでの経緯を簡単に記す。昭和20年11月18日、大東亜戦争により敗戦した日本は、アメリカ連合軍最高司令部(GHQ)により骨抜き政策を次々と実行した。その一つが航空に関する全ての事項を禁止した。日本は零戦という機動力に優れた戦闘機を製造し、欧米列強を振るい上がらせた。その恐怖からか日本に飛行機を作られると零戦をも凌ぐ飛行機を作り、世界に台頭されてはアメリカに対する新たな脅威になりかねない。それを阻止すべくこの政策を打ち出したと言われている。GHQの占領政策に終止符が打たれる昭和26年にサンフランシスコ講和会議が開催され、日本は48ヶ国と平和条約を締結、翌27年に講和条約が発効し独立した。それと同じくして航空関連法が施行されて民間航空が再開した。昭和32年5月にローカル線専用輸送機の基礎研究を行うべく、財団法人輸送機設計研究協会が設立した。その研究を担当したのは、「5人のサムライ」と言われる木村秀政氏、堀越二郎氏、土井武夫氏、菊原静男氏、太田 稔氏であった。この5人によって種々検討した結果、以下のように機種が決定された。

(1)離着陸滑走路長の短いローカル線輸送機とし、滑走路長1200mとする。
(2)離着陸性能の優れたターボプロップ双発とする。
(3)航空需要の増加に対応して、60席以上とする。
(4)DOC(Direct Operation Cost=直接運航費)を最低にする狙いで決定する。

これを基本にYS-11は製造された。因みにYS-11は輸送機(Yusoki)設計(Sekkei)の頭文字に、機体がナンバー1、エンジンがナンバー1ということで名付けられた。昭和33年12月に実物大模型が公開され、翌34年には特殊法人日本航空機製造株式会社(日航製)が設立し、初代社長に財団法人輸送機設計研究協会理事長の荘田泰蔵氏が就任、新三菱工業の東條輝雄氏を技術部長に迎え、YSの設計が始まった。初年度の予算は3億円、補助金は6000万円。昭和36年、日本屈指の鉄鋼会社が名を連ね、試作一号機の部品製作が開始された。計画図面1000枚、製造図面約1万2千枚になったという。昭和37年7月11日、念願の国産旅客機が姿を現し、諸々の試験・検査や地上走行を繰り返し、同年8月30日午前7時32分、愛知県・小牧空港を離陸し約50分程の検査飛行を行った。その時の高度は1万フィート、気流は概ね安定していたと言う。同年10月にはANAより20機の契約で量産が開始、昭和39年に形式証明を取得し、量産初号機は昭和40年3月に運輸省航空局、翌月に航空会社に納入された。昭和47年にYS-11は生産を終了し、昭和52年に日本航空機製造株式会社が解散するまで、航空会社のサポート業務を続けた。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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