航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第4回 滑走路24ヘタキシング開始

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★「最後の飛行」挿入07

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 地上整備員がトーイング車両とタイヤ止めを機体から外し、DC-10が自力で地上走行をするために誘導路から障害物を取り除くのを待つ間、三宅機長は夜の空港を眺めた。
 周囲は風が強くなり、夜の濃い蒼色の戸張が急速に広がっている。その薄闇の中に空港の色とりどりのライトが輝く。
 今日まで取り立てて意識することもなかった美しい夜のエアポート風景が目に沁る。
アフター スタート チエック」(エンジン始動後のチェックを始めます)
 三宅機長はクルーと共にエンジン始動後の計器点検に移った。

▼アフタースタートチェックリスト図
アフタースタートチェックリスト

 点検が終わると、地上整備員から地上の準備が完了した報告がインターホンを通じてコックピットに告げられる。
「コックピット。グランド。 バイパス ピン リムーブド」
「リムーブド チョーク ディスコネクト インターホン」と機長はタイヤ止めと飛行機につながれていたインターホンのコネクターを取る指示をして、
「ご苦労さまでした」と地上整備員の労をねぎらった。そして地上走行(タクシー)の許可をもらうべく副操縦士に指示をする。
 スピーカーからはグランド・コントロールの管制官が他の飛行機にタクシーを許可する交信が流れている。
「カンサイ・グランド アンクエア792 ロミオ3 リクエスト タクシー トゥ スポット21」
(関西グランド・コントロールへ。アンクエア792便です。R3からスポット21番に向かって地上走行の許可を願います)
「アンクエア792。タクシー ヴィア リマ タンゴ3 スポット21」
(アンクエア792便へ。L、T3の標識を経由してスポット21に向かってください)
 大分から到着したエアーニッポン(コールサインはアンクエア)のボーイング737に管制官がスポットヘの誘導をする交信。続いて管制官は福岡へ向かう日本エアシステム525便MDー80にタクシーの許可をする。
「エアシステム525。タクシー トゥ ランウエイ24 ヴィア タンゴ2 リマ ロメオ ワン パパ」
(日本エアシステム525便へ。滑走路24へT2、L、R1、P経由で地上走行してください)
 そして交信の合間をぬってダウニングが関西グランド・コントロールを呼んだ。
「カンサイグランド。ハーレクイン8673。レディ トゥ タクシー」
(関西グランド・コントロールへ。こちらハーレクイン8673です。タクシーの用意が完了しました)
「ハーレクイン8673。タクシー ランウエイ24 ヴィア ウイスキー アルファ」
(ハーレクイン8673便へ。滑走路24へW、A経由で地上走行をしてください)
 地上走行(タクシー)の許可が出た。関西空港のエアポートチャートを見て頂きたい。
 現在、ハーレクイン8673便はノースウィング・ターミナルにあるスポット1の誘導路にいる。これから右回りにタキシングして、W地点、A地点を通って滑走路24に向かうのである。

▼関西空港エアポートチャート
関西空港エアポートチャート

 ダウイング副操縦士が復誦して窓から外を見て、右側(副操縦士側)に障害物がないことを確認してコールした。
「ライトサイドクリアー」
 機長も左側(機長サイド)を確認してパーキングブレーキを外し、滑走路に向けて地上走行を開始した。エンジンパワーが上がりハーレクインDC-10はゆっくりと自力走行に移った。
 地上の整備が一列に並んで遠ざかる飛行機に手を振っている。三宅機長もそれに応えた。
「整備には、めったに、パイロットのラストフライトが知らされることはないのですが、あの日は三宅機長がそうであることは知っていました。だから、心を込めて手を振ったのです。それと僕が好きな飛行機のひとつであるDC-10もあれが最後のフライトでしたから…」(日本エアシステム関西空港の橘吉昭整備員)
 後日、そのときの整備員のひとりである橘さんが感想を述べてくれたように、この三宅機長のラストフライトには、ダウニングが、そしてネイヤーが、このフライトを最後に退職することに加えて、もう一つのラストフライトが含まれていた。

最後の DC-10ー30日本でのラストフライト

 それはこのフライトの使用機JAー8551の機番をもつDC-10は、六日後の三月三十一日をもってノースウエスト航空に売却されることが決まっており、このハワイへの飛行がこのDC-10のハーレクインエア最後のフライトなのであった。
 1988年、日本エアシステムは予定されている国際線のためにダグラス社(現ボーイング社)よりDC-10ー30を二機購入している。その後、ハーレクインエア設立時にリースしてその一機は日本エアシステム塗装のまま残し、もう一機をハーレクインエアのオリジナル塗装に塗り替え現在に至っている。
 このDC-10について興味ある話がある。

▼エアシステムDC-10
エアシステムDC-10

 そもそもこの二機のDC-10はボーイング社に合併吸収されたダグラス社がアメリカ空軍の発注で製造したDC-10ー30タイプの最後の二機であった。ところが納入直前に突然のキャンセルを受け、それを日本エアシステムが購入したという経緯がある。
 二機のDC-10は日本で登録され機番がJA8550とJA8551となった。
 今日、ハワイへ飛ぶDC-10はその二機の内、エアシステム塗装の機番JA8551機である。すなはち、この機体がダグラスの名機として世界の空に羽撃いたDC-10ー30の最後の飛行機なのである。

▼ハーレクインDC-10
エアシステムDC-10

 三宅機長は1988年10月14日にDC-10の飛行ライセンスを取得以来、エアシステムの機長として、そして新会社出向後はハーレクインの機長として購入されたばかりの新しいDC-10を世界中に飛ばして来た。
 そしてやっと飛行機が空に馴染んだ今、彼は空を去り、飛行機も又、別の会社へと売却される運命にある。
 三宅機長も愛機とも呼ぶにふさわしい飛行機との決別は悲しいかぎりであったろう。
「DC-10が終わってしまう。JAS(日本エアシステム)に(DC-10が)入って来て国際線の花形として飛んでいたのが、このハワイへのフライトが最後で、三発の飛行機を使って太平洋を渡る国際線が出来なくなるのが淋しいですね。」と三宅機長は自分のラストフライトとともにダグラス社が製造した最後のDC-10が日本の空から去っていく寂しさをかみしめるのであった。

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★「最後の飛行」挿入08

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 ハーレクイン機は現在、誘導路を地上走行中でグランドコントロールの管制エリアにいた。関西空港では航空機を離陸させるまでに四つの管制機能がある。
 まず最初はフライトプランの承認をするデリバリー管制。次にランプアウトとエンジン始動と地上走行を担当するグランドコントロール。そして滑走路上で離着陸のクリアランスをするタワーコントロール。最後は離陸した航空機をレーダーで誘導するディパーチャーコントロールの順に変わっていく。
フライトコントロール チェック」(操縦装置の点検)
 三宅機長がタクシー中に地上で行う操縦装置のチェックをダウニングに指示した。
ラダー(方向舵) ライト。ラダー レフト」と機長がコールアウトして機長と副操縦士は、それぞれの側の操縦装置のテストを続ける。そして、
ノー アディション テイクオフ ブリーフィング」と離陸に際して追加する打合せがないことを確認すると運航課からカンパニー無線で連絡が入った。
カンサイ ゴーアヘッド」と機長はカンパニー無線に応答。ネイヤー航空機関士がマイクをとって運航課と交信を始めた。
ファイナルパッセンジャー アダルト 207 & インファント(三歳未満の幼児のこと)イズ フォー ノー コレクション オーバー」(最終乗客は大人が207名。幼児が4名です。変更ありません)
ラジャー ラジャー 207 プラス 4 コックピット ハーレクイン8673
ハブ ア ナイス フライト」と交信は終わった。
 三宅機長はタクシー中の計器点検を指示する。
タクシーチェック」(地上走行時の計器点検)

▼タクシーチェックリスト図
タクシーチェックリスト

 点検中に管制官が日本航空1092便にタクシーの許可を出し、続いてハーレクイン機を呼んだ。
ハーレクイン8673。コンタクト タワー 118.2
(ハーレクイン8673便へ。以後はタワー・コントロール 118.2メガヘルツへ交信して下さい)
 ダウニングが復誦してVHFの周波数をタワーコントロールに合わせる。ハーレクイン8673便は、離着陸をコントロールするタワー管制官に引き継がれた。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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