航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第11回 夜の洋上管制、東京コントロール133.6
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★「最後の飛行」挿入20
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夜の太平洋には絶え間なく航空機の交信が続く。
「ユナイテッド882 クリア トゥ プレゼントポジション ディレクト パーバ レスト オブ ルート アンチェンジ」
(ユナイテッド航空882便へ。現在地点からパーバに直行して下さい。それ以後のルート変更はありません)
「サンキューベリーマッチ ディレクト トゥ パーバ ユナイテッド882」
(ありがとう。パーバへダイレクトに飛行します。ユナイテッド810)
続いて東京コントロールの空域に入ってきた日本航空6402便、ロンドンからポーラルートでアンカレッジを経由して成田空港に向かっている貨物便に管制官が呼び掛けた。
「ジャパンエア6402 クリア トゥ プレゼントポジション ディレクト メロン」
(日本航空6402便へ。現在地点からメロンに直行して下さい)
「プレゼントポジション ディレクト メロン ジャパンエア6402」
(メロンに直行します。日本航空6402)
メロン(MELON)は航路OTR10上の、銚子の北東約50マイルにあり、太平洋から成田空港へ進入するポジションのひとつである。
「アメリカン154 レーダーサービスターミネイテッド スコーク2000 コンタクト トウキョウレディオ126.7」
「126.7 スクオーク2000 アメリカン154 グッデイ」
管制官は東京コントロールのレーダー限界に近づいたアメリカン航空154へ東京レディオへ移管する交信をして、飛行高度を上げるリクエストをして待機している日本航空1092ホノルル便に高度39000フィートへの上昇許可を与えた。
「ジャパンエア1092 クリアー トゥ フライトレベル メインテイン390」
(日本航空1092便へ。高度39000フィートの飛行許可をします)
「クライム トゥ メインテイン390 ナウ リービング ジャパンエア1092」
(すぐに高度39000フィートへ上昇します。日本航空1092)
ハーレクインのコックピットではダウニングとネイヤーが食事をしている。
その間に三宅機長が太平洋洋上のルートとその管制方式について話をしてくれた。
「今日はノータム(飛行情報)でいうとパコッツ(PACOTS)と言うのですが、ホノルル行きのルートはふたつあるんですよ。上が(北側が)トラック11というルートで下が(南側が)トラック12というルートです。それで今日は上の方(トラック11)が混んでいそうなのでトラック12という下の、南側のルートを通っているのです」
パコッツとはパシフィック・オーガナイズド・トラック・システムの略で、航空機が混雑する太平洋空域の有効利用を図るために設定されたシステムである。(末巻、参考資料)
日本側の出入り口とアメリカ西海岸、及びハワイ西部の出入り口を定め、そのあいだを毎日、日単位で飛行ルートを選定し航空機を飛行させる。
このルート選定は毎日、日本の航空交通流管理センター(ATFMC)とサンフランシスコのオークランドARTCCが運航者の希望、天候、軍用空域を考慮して決定しているもので原則として、次の数のルート(トラック)が決められる。
- 日本から北米へ5ルート(トラック)
- 日本からハワイへ2ルート
- 北米から日本へ6ルート
- ハワイから日本へ2ルート
- 北米から東南アジアへ5ルート
三宅機長の説明のように今日のホノルルまでのルートはトラック11と12が選定されているのである。
トラック11と12のどちらを飛行するかは機長が飛行前に会社の運航管理者(ディスパッチャー)と相談して決める。
前にも述べたが現在、関西空港を前後して離陸しホノルルへ向かっているハーレクイン8673と日本航空1092はハーレクイン機がトラック12を日本航空機がトラック11をそれぞれ選んで飛行している。
日本からハワイへの東飛行の場合、夜9時から朝1時(日本時間)の間に東経160度を通過する飛行機にのみ設定される。すなはち日本を夕刻に離陸すしてホノルルへ向かう航空機がその対象となるのである。
三宅機長は地図を見ながら説明を続けた。
「で…、どこからそれに(トラック12に)入るかというと、メイソン(MASON)という(ウェイポイント)がありますね。メイソンから入っていくのです」
メイソンは飛行プランではウェイポイント(通過地点)NO12の北緯33度50・3分。東経149度59・8分、飛行航路OTR15上にある地点で管制エリアから言えば日本の管制(東京レディオ)の限界地点であり、ハーレクイン8673は現在、メイソンに向けて飛行をしている。
次に三宅機長はパコッツ・ルート上の管制コントロールの話を始めた。
「今はRVSMといって1000フィート間隔で飛ばすので非常にシビアな高度管理をしているのですよ、以前は2000フィート間隔だったのですが…」
RVSM(リデュース バーチカル セパレーション システム)とは29000フィート以上の高度を飛行する場合、1000フィート間隔(航空機の上下間隔が約300メートル)で飛行することが出来る管制システムである。普通は日本上空のように2000フィート間隔であるが、北太平洋や北大西洋など航空機が混雑するエリアは航路をワンウェイにして1000フィート間隔で飛行機を上下に並べて飛行させることによって交通緩和を図るのである。
このシステムが北太平洋に導入されたのは1998年1月からであった。
そのとき東京コントロールの管制官が東京コントロール133.6の限界に達したことを知らせる交信が入った。
三宅機長はRVSMの説明を中断して交信に聞き入る。東京から送信する管制官の声がスピーカーから小さく聞こえた。
ハーレクイン機は東京レディオへ
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★「最後の飛行」挿入21
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「ハーレクイン8673。レーダーサービスターミネイテッド スクオーク 2000 コンタクト トウキョウレディオ127.4」
(ハーレクイン8673便へ。レーダー捕捉の限界です。スクオーク2000 以後は東京レディオ127.4メガヘルツへ交信して下さい)
「ラジャー スクオーク2000 トウキョウ127.4 ハーレクイン8673 グッドナイト」
ダウニングが東京コントロールに最後の交信をして周波数を127.4に切り替え東京レディオを呼んだ。
「トウキョウレディオ。ハーレクイン8673」(東京レディオ。こちらハーレクイン8673です)
「ハーレクイン8673。トウキョウ ゴーアヘッド」(ハーレクイン8673へ。こちら東京レディオです。どうぞ)
レーダーサービスターミネイテッドのことは前述したように日本の東海岸から約250マイル地点までの範囲は東京コントロールのレーダーARSR(エア・ルート・サービス・レーダー)で捕捉可能な範囲である。それより先の洋上管制はオーシャン・コントロールと呼ばれる東京レディオが担当する。
本来はHF周波数が使われるが、エリアに入っても暫くの間はHFより聴きやすいVHF周波数を使用している。交信は航空管制通信官が行う。
この東京レディオの空域ではレーダーが届かないので無線のみの誘導となる。ということは誘導は航空機側からの位置、高度通報(ポジションレポート)をもとに管制をする。
ダウニングが位置報告(ポジションレポート)を始めた。
「ハーレクイン8673。 ポジション スモルト 1037 フライトレベル330
エステイメイテング メイソン アット 1107 ネクスト 33ノース160イースト ゴーアヘッド」
(ハーレクイン8673便です。スモルト(SMOLT、ウェイポイントNO9)を通過しました。通過時間は10時37分(日本時間で7時37分)、飛行高度33000フィートです。メイソン(MASON、ウェイポイントNO12)には11時07分(日本時間で8時7分)の到着予定です。そして北緯33度東経160度地点(ウェイポイントNO13)へ向かいます)
ハーレクイン機はスモルトを予定通過時間より2分早く通過している。
「トウキョウ ラジャ。 リポート メイソン エッチエフ 6532プライマリー 8903セコンドリー」
(東京レディオ了解しました。メイソン通過時にHFで報告して下さい。主周波数は6532Hz 副周波数は8903Hzです)
「ラジャ リポート メイソン 6532 プライマリー セコンドリー 8903 ハーレクイン8673」
この段階からVHF通信はホノルルセンター管制と交信するまで使用しない。ダウニングは復誦して交信を終えた。
「サンキュー」と東京から送られてきた東京レディオのVHF音声がか細く闇に消えた。
パンナム、太平洋へ大型飛行艇就航(太平洋の空の歴史4)
パンアメリカン航空のホアン・トリップが太平洋に最初の定期便として就航させた大型飛行艇「チャイナクリッパー」こと、「マーチンM-130」は1935年9月22日午後3時46分、世間の注目を集めて午後の日差しがさす美しいサンフランシスコ湾からホノルルに向けて離陸した。
イギリスの小説家ケン・フォレットはパンナムのクリッパーを「世界一ロマンチックな飛行艇」と言う。彼が書いた一文を読めば、当時のクリッパーの雰囲気が伺われる。
パンアメリカン・クリッパーがサウザンプトン・ウォーター(イギリスの海の玄関サザンプトン湾のこと)に着水するのは、たしかこれが九回めだが、それでも新奇さは褪せてないようだ。…その飛行艇の魅力にひかれてそれだけの見物人がぞろぞろと集まってきたのだから。同じ埠頭に豪華客船が二隻、人々の頭上たかくそびえるように停泊していたが、それにはだれも注意ははらわず、みんな空を見上げていた。…「きた! きた!」子供はかん高い声で叫んだ。「クリッパーがきたよ!」…興奮のどよめきが群衆のあいだに広がっていった。…それはけたはずれに大きく堂々として、信じがたいほど力強い、空飛ぶ宮殿だ。…停泊している豪華客船にもひけをとらなかった。しかも船で大西洋を横断するのに四、五日はかかるのに、クリッパーなら25〜30時間しかかからない。まるで翼のはえた鯨のようだ
「飛行艇クリッパーの客」(ケン・フォレット 田中融二訳 新潮文庫)
1942年にルーズベルト大統領を訪問したイギリスのチャーチル首相も、イギリスを代表する戦艦「デューク オブ ヨーク」で帰国する予定をパンナム「クリッパー」に変更した。当時、飛行機嫌いで知られていたチャーチル首相がクリッパーに搭乗したことは世界的ニュースとなったという。彼の著「第二次世界大戦」の中でもクリッパーにふれ、
『私はこの飛行艇に愛着を感じた。動きは滑らかで、振動も不快ではなかった。我々は快適な午後を過ごし、愉快な夕食をとった。私はゆったりとしたベッドに入り数時間ぐっすりと眠った』
「飛行艇クリッパーの客」
このチャーチル首相が乗ったクリッパーやケン・フォレットの小説に登場するクリッパーは太平洋に就航した「チャイナクリッパー」の四年後に、ホアン・トリップが北大西洋に就航させたボーイング314大型飛行艇のことであるが、サンフランシスコ湾からホノルルへ飛んだマーチンM-130もプラット&ホイットニーツウィンワスプ830馬力エンジンx4 最大離陸重量 52250ポンド 航行距離3200マイル 定員41名とボーイング314大型飛行艇より少し小振りながら豪華さにおいては同じであった。ボーイング314クリッパーも「ホノルル・クリッパー」「サンフランシスコ・クリッパー」がのちに太平洋にも就航している。
▼ボーイング314クリッパー
コックピットのクルーはパンアメリカンの機長として名高いエドワード・ミュジークとサリバン副操縦士、2名のナビゲーターと2名のフライトエンジニア、それに通信士の合計七名。航路はサンフランシスコ…ホノルル…ミッドウェイ…ウェーキ…グアム…マニラ間の8210マイル。
クリッパーはその区間を59時間48分で飛行している。そしてそのときのスケジュールは次の通りであった。
9/22(金)15時46分 サンフランシスコ湾離陸
23(土)10時13分 ホノルル着陸
24(日) 6時35分 ホノルル離陸
24(日)14時00分 ミッドウェイ着陸
25(月)06時12分 ミッドウェイ離陸
26(火)13時38分 ウェーキ着陸
27(水)06時01分 ウェーキ離陸
28(水)15時05分 グアム着陸 日付け変更線
29(金)06時12分 グアム離陸
29(金)15時32分 マニラ着陸
つづく
武田一男
航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House
【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。
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