17年前にタイムトラベル!!

いよいよ本が収納しきれなくなり、先日押し入れの整理をしておりました。
手つかずのボックスがひとつ出てきたのですが、そこにはわたしが高校生時代のもがぎゅうぎゅうに詰まっていました。半分くらいは学参図書やノート、あとは、授業中に回覧していた自作雑誌。まぁ、どれを見てもゴミばかりでした。「どうしてこんなものを取っておいたのだろう?」…自分でも謎です。おそらくは、片付けきれずに適当に詰め込んだものだと思います。
その謎のボックスから、日経新聞が出てきました。時代は、1993年9月29日。
いまから、17年前にタイムスリップです。おつき合いください。

まずは、夕刊一面。

「コメ100万トン緊急輸入 〜米・豪・タイ中心に〜」

そうでした。米不足、ありましたね〜。その米不足がどうも1993年だったみたいです。この時の米不足は「1993年米騒動」だとか「平成の米騒動」と呼ばれています。この夏、日本列島は記録的な冷夏に見舞われ、1000万トン必要といわれたお米の需要に対し、収穫量が800万トンを下回る事態に陥りました。
この対策に追われていた9月29日。政府が100万トンを輸入する方針を決めたことが、一面に記されています。主食用の60〜70万トンをアメリカとオーストラリアから、加工用米の30万トンをタイを中心に輸入する方針を30日の閣僚会議前に固めたことが報じられています。

さて。この時期の首相は誰だったでしょうか?

1993年になにがあったかというと、プロ野球界では、元選手の江夏豊が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたり、巨人のルーキーだった松井秀喜が1軍デビューを果たしたり。一方、真夏の千葉の船橋には室内スキー場の「ザウス」がオープンし、翌日には横浜ではランドマークタワーが落成、さらに、レインボーブリッジが開通したりと、バブルも末期の頃合いです。しかし、一番記憶にのこっているのは、皇太子徳仁親王と小和田雅子さんのご成婚ではないでしょうか?

そろそろ、にわかに思い出せる方もいらっしゃるかもしれませんね? 首相、首相、だれだったか…だれだったか。
はい(教師風に)。細川護煕さんですね。1993年8月〜1994年4月までの、8ヶ月強の連立政権のなかにありました。この頃は、新党さきがけや新生党といった新党ブーム。この2党と社会党や公明党、民社党、社会民主連合に民主改革連合と、「社会」だの「民主」だの、なんのこっちゃな…名前がたくさんありましたね。

さっき、室内スキー場の「ザウス」がオープンした、と書きましたが、これはもうとっくに潰れています。わたしの記憶では、あの建物自体がなんだかバブルの象徴、って感じです。船橋といえば近所で、近くを通ることが何度もありました。目の前にそびえる巨大で不自然な建物。高校生の身の上でも、なんだか時代がハイテンションということだけは、分かっていたように思います。この頃の日経夕刊の一面には、こうもあります。

「日経平均 一時2万円割れ」

要約すると、
・前日の28日に経済企画庁が発表した7月の景気動向指数で、景気の底割れを懸念した売りが前場で出た。
・4〜5月の相場上昇で膨らんだ信用売りの処分売りと、↑の狼狽売り。
・ただ、後場では押し目買いが入って、20,028円で終わった。
という内容です。

紙面的なノリは、悲報って感じですが…。逆に、いいなぁ〜、2万も?! って感じです。ITバブルの頃に18000円代になりましたが、ここ最近は2万円越すことなんてないですよね。去年、1万円をつけた時はちょうどトルコにいた時でしたが、ニュース的には「ようやくもどしたか」という安堵的な雰囲気だったのに、また、いま9千円台だっつーの。物心ついてから、2万円台なんてありませんし、将来的にもそんな日が訪れるなんて、全く思えません…。

さてさて。広告面をちょっと見てみましょうか。
なんと、Macintoshが元気なんですよね。「待望のMac版登場」などの記事が、紙面1/3スペースなどに、ドカドカ入っています。OSは漢字Talk7、本体の広告はもちろん、プリンターやソフトなど、多種多様。
翻訳ソフトの「PC-Transer」、これは346,000円。いまじゃgoogleかなんかでも無料で提供されています。さらに、沖電気なんかのプリンターも、30万円とか、40万円とか。
バブル末期としては記事広告も冴えています。ビル・マンション施行に、マンションのリフォームや箱根のマイホーム情報など。ゴルフも健在。

そして…全面広告には、坂本弁護士一家の事件を解決させるべく情報を求める紙面が。1989年に起きた行方不明事件でしたが、1995年にオウム真理教の信者が自首するまでは未解決。1993年のこの頃、日本を代表する大手法律事務所の弁護士さんや、名だたるお名前が列挙され、自民党の総裁の谷垣さんなんかも、弁護士として製作協力者のひとりとして参加されていたようです。

…とまぁ、前置きが長過ぎですが、飛行機の話題へ行きましょう。
航空関連の記事は2本あります。

「旅客機内にカジノ 〜英ヴァージン航空 ロンドン・香港線で〜」

1993年9月23日/日経新聞

要約すると、
・ヴァージン・アトランティック航空が翌年1994年の2月に開設する、ロンドン・香港線に、カジノが登場する予定。
・ギャンブル好きな(!?)香港の華僑を相手に、10時間以上の長旅を楽しんでもらうのが目的。
・設置計画では、アッパークラスを中心に、ルーレット、ブラックジャック、ポーカーをテレビ画面で楽しめる。
・ラウンジには、実物を模したカジノを設営。
・モニターに据え付けた機械にクレジットカードを通して参加。

おぉ〜。そんなことしてたんだ!知りませんでした(笑)。
記事を一見すると、すわ機内ラスベガスか?! とも思えますが、そんなに派手なカジノではありません。主力はモニター上でのカジノ、ということですから、売り上げの見込みも、1人あたり10ポンド程度(当時は1ドル=105円で、この時のレートで1,600円ほど)。このモニターの開発に2千万ドルを費やしたといいますが、これもおそらくモニター全部での開発費だと思います。
ヴァージン航空のブランソン会長いわく、
「カジノで大もうけする考えはなく、乗客を飽きさせない新サービス。われわれがもうけ過ぎたら二度とヴァージンを利用してもらえなくなる」とのこと。

そして、お次。

「『北極ルート』開設合意 〜ロシアとフィンランド 西欧ー日本航空路〜」

1993年9月23日/日経新聞

要約すると、
・ロシアとフィンランドの航空当局が、西欧と日本を結ぶルートを開設することにした。
・西欧の各都市からフィンランド、ロシア北部の上空を通って、日本に降りてくる航空路が「北極ルート」である。
・これまでに比べ所要時間が30分が短縮でき、燃料を節約できる。

とのことです。
ちなみに、北極圏ルート。もともとはスカンジナビア航空が、1957年にコペンハーゲン〜東京ルートで開設した北極圏を通るルートです。わたしも、詳しくは分かりませんが「北極圏ルート」と「北極ルート」というのは、ちょっと違う気がします。
これまではアフリカやアジア経由の南回り路線のみ。日本からヨーロッパまでのルートに「北回り? 南回り?」なんてセリフも、それまではなかった、ということですよね??
北極圏では磁石が利かない、なんて話を耳にしましたが、それを克服したコンパスをいくつも駆使して成功にこぎ着けた、当時では画期的なルートだったといいます。この北回りの北極圏ルート。1960年にはジェット機のDC-8を投入し、アンカレッジなどを経由して、日本へ渡ってました。機材面でもどこかで給油する必要があったのと、社会情勢的にロシア(ソ連)上空を回避していたからだと思います。それが、1971年に入って、モスクワ経由のシベリアルートができたものの、ロシア上空は全面開放はされていなかったわけですね…(おそらく。間違っていたらご指摘ください)。

それが1990年代に入ると、シベリア上空が全面的に解放されるようになります。そのひとつがこの記事なのではないかと思います。スカンジナビア航空が開拓した北極圏ルートを、さらに短縮化させた「北極ルート」。いまでは当たり前すぎて「アンカレッジ経由」とは、レアな響きです。

さて。縁もゆかりもないこの日付の新聞を、なぜ取っていたのかが不明です。ただ、ある場所だけくり抜かれたところがありました。場所は「スクール特集」にある1枠。くりぬかれている記事自体がないので不明ですが、おそらく「陸上単発・ヘリコプター免許」ではないかなぁ…。

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