第22回 パイロットの間で噂になったI 機長のケース

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以前、相撲の千秋楽で優勝力士にJALカップを授与する時に登場した長身で押し出しのいいI機長とのトラブルです。
当時、彼はジャンボ機のグレイド・キャプテインで運航部の室長でした。キャプテイン・ブリーフィング(我々との飛行前の打ち合わせ)で、細かな質問をすることで有名でした。言動が傲慢で偉そうなことは以前のT機長と同じですが、操縦の技術は卓越していることでも有名でした。
その彼とホノルル便の帰りで初めて顔を合わせたのです。
我々はホノルルに着いた日本将棋連盟のチャーター便の機材に、お客様を乗せないでフェリー・フライトとして日本に乗務するだけの極めて気楽な勤務だったのです。一応制服は着用してるのですが、気分は”お気楽!”そのもの。めったに、こんな幸運なフライトはないのです。

通常のキャプテイン・ブリーフィングでI機長から、「お客はいないが、離着陸時は通常と同じで、緊張感を持って乗務するように!」というコメントがありました。お客様はいませんが、飛行機に搭載される免税品や機内備品、食事や飲み物もあるので、漏れのないようにチエックするのです。

予定通りにホノルル空港の駐機場から動き出した機体は、滑走路に通じる誘導路を通常より早い時速60km前後で移動していました。
いつものフライトとは違い、お客様がいないので、緊急時には半分の脱出口しか使用しないので半数の乗務員はそれぞれが客席に座っていました。まだ、滑走路に出ていないし、座席ベルト着用のサインも点灯していないので、ほとんどの乗務員は着席しても座席ベルトを締めていませんでした。

そんな状況の中、誘導路の途中で突然機体に急ブレーキがかかったのです。
こんなことは初めてだったので、急に何かが起こって管制塔からの急停止の指示があったのだろうと思ったのです。私は後部客室の統括パーサーだったので、機体の進行方向とは逆の乗務員席に着席していたので問題なかったのですが、私と対面する客席に座っていたスチュワーデスは座席ベルトを締めていなかったので、私のほうにつんのめるように倒れ掛かってきました。時速60kmの機体が急停止すれば、かなりの衝撃があるのです。
結果的に、スチュワーデスの1人は腰を打撲し、もう1人が小指に裂傷を負ったのでした。いずれも軽微だったので良かったのですが、私はチーフ・パーサーのAさんに、この旨を報告したのです。

やがて離陸の合図のベルト・サインが点灯し、チャイムが2回鳴り、機体は軽やかに離陸しました。
通常の乗務ではめったに観ることが出来ない、眼下に広がるワイキキの浜辺、特徴のあるダイヤモンド・ヘッドを眺めながら太平洋上を一路日本への7時間のフライトがスタートしたのでした。

運航乗務員全員の食事も終わり、前方客室に行き、チーフ・パーサーに「今日の急ブレーキは何だったのですか?」と聞いたのです。
彼はわからないし、機長からも何も言ってこないということだったので、「軽微ではあるが、後部客室の2名が負傷したので、急ブレーキの理由は聞かないとマズイでしょう」ということを進言したのです。
「だったら、君が後部客室の統括責任者なんだから、君が機長に直接聞いたら?」ということになったので、私が操縦室に出向いて、直接I機長に聞くことにしたのです。
高名な機長でもあり、彼らは通常の操縦業務に従事していて、我々は楽をしていることもあり、丁寧な言葉を選んで、誘導路での急停止の理由を尋ねたのです。

ところが、I機長の口から出た言葉は私の予想とは100%違っていたのです。
「何、軽い怪我をした? 2人も? 緊張感が足りない証拠だ!」
私は、確かにそれは言えるが、知りたいのは急ブレーキをかけた理由だったのです。そこで、重ねてその理由を尋ねたのです。
「出発前に、私が緊張感を持てと指示したことが守れてるかどうかをテストしたのだ」
なんと、それが急ブレーキの理由だったのです。
管制塔からの指示ではなく、単なるI機長の個人的な思いつきだったのです。
「冗談じゃない!」と叫びたい気持ちを抑えるのが精一杯でした。
「機長、あの時点では座席ベルト着用のサインは点灯していなかったし、その連絡も ありませんでした」
「君、緊急事態の発生は必ずしも事前連絡があるとは限らないのだ。そのことを常に想定して、対応できるようにしておくのが君達の仕事だろ」
傍で2人のやり取りを聞いている副操縦士も航空機関士も機長の説明に対し、その通り、ご説ごもっともという感じでうなずいていました。その彼等の態度にも、絶対にオカシイと感じました。
I機長の説明はマニュアル的には正解だが、肝心なもの、それを使う人間の心が欠落していると感じたのです。パイロットは仕事柄、我々接客業とは違い、操縦機器、デジタルの世界で、出来るだけ人的ミスを排除する傾向にあることは理解しています。しかし、そこに人間らしい優しさ、思いやりといった柔軟な心がなかったら、単なる機械を操作するロボットと同じになってしまうと思いました。

このまま、彼と話しては仕事の邪魔にもなるし、お互いに感情的になる恐れもあったので
「ありがとうございました。しかし、納得できかねるので、仕事が終わって、少し時間を 戴いて、話の続きをしたいのですが」
「ああ、私は構わんよ」ということで、改めて到着後に話をすることになったのでした。

成田空港到着後、I機長と私は運航本部の会議室で話し合いを持ったのです。
「運航に関わる緊急事態に即応可能な態勢を保持するのが客室乗務員の務めである」
「機長の個人的な判断でテストと称して、乗務員を危険な状況に陥らせたことは看過できない」
この主張は平行線になり、感情論も加わり、最終的に
「機長の指揮下にある君が従わないことは、勤務違反であり、私はキャプテン・レポートを書いて、君をクビにする!」
とI機長は宣言したのでした。
「アナタは権威主義に偏っており、乗員乗客と機体の安全を最優先する責務にある機長職を任ずるには適正を欠くので、私もキャビン・レポートを書く」
と私もこれに応じたのでした。

半月後、私は担当部長から呼び出しを受けて、
「双方の報告書を見たが、相手のI機長にケンカを売ってるようなものだ、彼は運航部の室長であり、かたや君は一介のパーサーだぞ、君の言いたいことはわかるが、少しは分をわきまえて、ここは彼に謝罪すれば、丸く収まるから。運航部の事務方とはそれで話がついている」
私は、「納得できません!」とその申し出を固辞したのでした。
彼は、「同じ飛行機の中で命を共にしている運命共同体じゃないか、いわば兄弟みたいなものだ。今回の件は兄弟げんかだから、弟の君が年長者の兄の機長に謝るのが筋だ」
私は、「兄弟なら、年長者の兄が弟の面倒を見るのが当然で、俺の言ううことを聞かなければ殴るぞ、クビにするぞというのは筋違いじゃないですか」

そして1ヵ月後、ついに客室担当役員のA常務と運航担当役員のS常務とI機長と私、それに両本部の業務部担当課長が一同に会して、会議が開かれたのでした。A常務は実父が著名な外交官で良家の出身で柔和な人物だという噂でした。
一方のS常務は機長出身でした。いずれの役員も私は初対面で、まさかこんなに大事になるとは予想もしていなかったので、これは下手すればクビになるかもしれないと覚悟をしていたのです。

ところが、そんな突き詰めた話にはならず、
「お互いが安全運航を保っていくには、相互の情報交換と人間関係の信頼関係が必要で、それぞれの立場を超えて、今回のケースをキッカケに運航と客室が定期的な意見交換の場を持つようにしてはどうか?」
というA常務からの提案がなされたのです。
S常務もそれに賛成し、何となく和やかな雰囲気の中で、I機長が私に「機長として配慮が足りなかったことを認め、君に謝る。これからも忌憚のない意見を言って欲しい」と私に握手を求めてきたのです。
「いえ、こちらこそ・・・よろしくお願い致します」
何とも妙な具合で握手したのでした。
振り返れば、双方、仕事のプライドをかけて意地を張りあった部分があったのだと思います。
その後の乗務生活で、このI機長(後に運航副本部長)とは3度一緒になったことがありますが、お互いにいい関係でした。プライベートでも食事をしたり「よ、元気か?」と声をかけてもらったり…。

実は、その後I機長の娘さんがスチュワーデスになり、私も1度同乗したことがあったのですが、この娘さんは人間が練れていて、「いつも父がお世話になっています。クセがあり皆さんにご迷惑をお掛けしていますが・・・」と挨拶をしていました。

尚、I機長とのケースはジャンボのパイロットの間で噂になり、加えて、他にも私は幾つか変な(威張りくさった)パイロットとトラブルを起こしていたので、いつしか私は彼らから「要注意のパーサー」として認知されたのでした。

風天マン

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
© 風天マン
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    • SportsKite
    • 2011年 3月7日 10:49pm

    こんばんは。
    今回も最後に手が出たのかなと思いましたが、平和な話し合いで解決できたとのことで、何よりでした。(^_^)
    僕自身の仕事の場でも、他部門の責任者の一方的な行動に僕のスタッフから非難の声が出て収拾がつかなくなり、人事担当役員に直訴をしたことがありました。
    その時も、人事担当役員の前に僕と問題の部門責任者が呼ばれ、ミーティングを持ちました。曰く付きの人だったので内心ドキドキものでしたが、率直に問題点を説明して、僕のスタッフの仕事が妨げられていることを話しました。
    幸いにも血の雨は降ることなく、問題解決の合意が出来て一安心でした。
    結局、話し合いが何よりも大切だったわけでした。

    • 竜子
    • 2011年 3月8日 12:01am

    SportsKiteさんのコメント、和みますね。うかつにも笑って声が出ちゃいました。そういえば、コミュニケーション不足って、諸悪の根源ですよね。連絡不足、確認不足、ディスカッション不足、飲みニケーション不足…。
    風天マンさんとは違いますが、20代の頃の職場にちょいちょい怒鳴る、ものにあたる(机蹴ったりして威嚇する)営業マンがいました。40人くらいの小さな職場だったので、フロア中にその様子が響き渡って雰囲気は悪くなるしで最悪。かといって周りは黙殺するのが毎度のことだったので(経営者の血縁だったから?)、いちどその現場へ行って「仕事中に迷惑なのでよそでやってください」って言ったら、意外や意外、「迷惑かけてすまなかった」でその場が収束してしまいました。
    それ以来、その人と日常的に居酒屋へ行って話をしたりしてクッション役をやっているうちに、キレる回数も断然少なくなりました。周りに相談相手が居なくて溜め込む人は、カッとなりやすいみたいですね。
    コミュニケーションは大切ですね!
    その職場、じつは女の社員が私ひとりしか居なかったので、今思えばクッションというミッションだったような気がしています。

    • hks32r
    • 2012年 1月29日 9:54am

    タキシー中にベルトを締めないなんてどうかしているよ(笑)マックスのブレーキがかかったら、簡単に人が前に飛びます。そんな事も知らないでお気楽に客室に居られる事は大変に迷惑。迷惑がかかるのはこちらなので!

    • キネマ航空CEO
    • 2012年 2月25日 4:57pm

    hks32rさんのコメントを読んで、このコラムに何となくスッキリしなかった初見の記憶が蘇りました。
    確かに民間の企業で安全管理の抜き打ち査察をやることはまずありません。
    たいていは予告で行なわれて、される側は事前の確認を含めてそつなく終了させます。
    その後は技術職をふくむ事務系ホワイトカラー組は「ここまでは良いだろう」と、なし崩しに緩んできます(したがい訓練や査察が必要になる)。しかし機械設備をあつかう現場の組織はそうはいきません。生命におよぶ危険が存在しています。
    このため生産計画の達成と安全管理の任務は直接に作業者を監督する班長、組長、工長という職種に負わされています。
    基本は現場をあずかる工場長の責任となるマニュアルですが使い慣れた機械であってもヒューマンエラーは発生し、直接現場を指揮する各長の識見が上申されて機械設備の改修はもとよりマニュアルはインシデントの段階で改修されていきます。(それでもアクシデントが発生することがあります)
    さて本題の、たぶん通常のタキシング速度である60Km/hでシートベルト着用のサインがない状態のままで急制動が実施されたため負傷者が出たエピソードは別の面で貴重な記録のように思われます。
    状況はグラウンドコントロールの交信はモニターしていたのでしょうが、後方確認の難しいままタキシング中に急制動をかけたことについての空港の運行保安上からの是非はともかく、I 機長は抜打ちではなく予告はしてはいた(つもりの)ようです。(もちろんそれを具体的に察するかどうかは別の問題ですが)
    さて当地の市内運行バスの走行速度はせいぜい40Km/hですが「お立ちにならず空いた座席にお座り下さい。お立ちの方は座席背もたれのグリップをお持ち下さい(当地でも最近はつり革がなくなりました)」また「お降りの方は車が停止してから座席をお立ち下さい」のアナウンスが入ります。
    タキシング中の客室乗務員の行動マニュアルはどのようなものかは知りませんが通常のフライト・アテンダントは乗客の行動に気を配り即時対応ができるようにタキシング中はシートベルトをしていないのかもしれません。
    しかし常識的に見ればhks32rさんの指摘されたように走行速度を考えると保安要員の感覚として(まして乗客がいなければ)シートベルト着用は常識のようにも思えます。
    I機長の行動は乗客のいないフライトを選んでいることなどから推測すると営業運行時に行なうキャビン・クルーのお客様本位(?)のキャビン管理に不安があったのではと思えてきます。
    最初に読んでスッキリしなかったのは「キャビン・クルーのマニュアルはどうだったのか?」の説明が無いこと、チーフ・パーサーはこの後「どのようなキャビン・クルーの教育をおこなったのか」の二点がないことでした。個人単位の意志の疎通もさることながら企業体質の記録のようにも思えます。
    安全な航空会社はタキシング時にもキャビン・クルーがシートベルトをしている会社。タキシング時にキャビン・クルーが確認に立たなくてもいい乗客が乗る航空会社かもしれません。
    ちなみに私がバスに乗るときは足腰を鍛えるためと称して立って乗り、座っても止まる前に降車口に向かいますのであまり大きな口はたたけませんが・・・。
    竜子さん。
    復帰されたばかりなのにバーン・ストーマーの辛口コメントを追加をしました。物議をかもすようでしたら削除お願いします。

    • 竜子
    • 2012年 3月3日 11:02am

    ■hks32rさん
    安全なのが当たり前になってしまって、客室にいる乗客もタクシー中にまさかの出来事だったんでしょうね…。
    ■キネマ航空CEO
    CEO、こんにちは!
    コメントくださりありがとうございます。
    たぶん、風天マンさんは読者サービスで書いてくださったのだと思います!
    バスは飛行機よりも危なっかしいので、バスでは慎重に立ってますが、飛行機ではかなりくつろいでいます。飛行機でまさか、そんな急ブレーキがかかるなんて、もう想定もしないでいます。でも、あるんですよね…。

    • キネマ航空CEO
    • 2012年 3月3日 6:48pm

    竜子さん、フォローありがとうございます。
    私もそう思います。
    退職後に長年勤めた会社のことを書くのはむつかしいところがあります。
    読者にはかつての同僚や後輩も多かったでしょうから、その方たちが読めば同様に文章外のことを考えるはずです。
    風天マンさんもそれを伝えたかったのだと拝察します。
    いまでは事例のような確執はないものと信じています。

    • 竜子
    • 2012年 3月4日 5:54pm

    ■キネマ航空CEO
    こちらこそフォローくださり、ありがとうございます。
    さまざまな視点で意見が出てくるあたり、ありがたいです。
    確執って、自分の伺い知れぬところで芽が出てたりして、怖いですよね…。
    立場もいろいろ、考えるところもいろいろ。
    特に職場でのこととなると、それぞれのポジションで、プライドがぶつかるので、人間模様がでますね!
    最初にSportsKiteさんがおっしゃっていた通り、話し合いが何より大切、コミュニケーション不足だったってことなんでしょうね…。

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