第25回「大量輸送時代の到来」

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1970年の大型旅客機(B-747通称ジャンボジェット)導入は大量輸送時代の幕開けでもあった。
同時に日本も高度成長期という時代の中にあり、パック旅行が本格的にスタートした時期でもあった。
それまでの海外旅行は個人でパスポート・査証(ビザ)の取得や予防注射迄、結構面倒な手続きが必要であったが、予防注射は仕方ないとして、他の手続きは旅行理店が代行してくれるようになったことで、海外旅行が身近なものになってきたのでした。
更にパック旅行の場合は航空運賃・滞在地での宿泊料金(1部食事代も含まれる)も含んでの旅費で売り出され、しかもこの旅費がそれまでの個人旅行に比べ格安になったことで、海外旅行者は飛躍的に増加したのでした。

渡航先のトップはハワイ。
行きは6時間、帰りは向かい風の影響で8時間かかるが、この時間で日本とは全く違う異国の雰囲気を満喫出来るということで、これまで一部の上流家庭や有名人だけの特権を中流層も甘受出来る夢の実現となったのです。

さすがに当初は、今のような若者は稀で旅行者の主体は中流家庭のカップルや農協の団体が占めていた。当時は国内・国際線共に羽田空港だったので、地方から羽田に飛んで来てそのまま国際線に乗り継ぐパターンがほとんどで、現在の成田空港から乗り継ぐより、はるかに便利だったことも事実です。

このパック旅行による海外旅行者の急増は当然外国航空会社の便数増加となり、羽田空港の発着枠や空港施設面の問題に加え、周辺住民の騒音公害問題もあって、成田空港建設の検討が始まった年でもあったのです。

また、この頃から日米航空交渉(日本サイドに不利だった)も始まり、旅行業は儲かるということで雨後の竹の子のように旅行代理店が出現し始めた時期でもありました。
私の先輩も、これに目を付けて自分で旅行代理店を立ち上げて成功した人もいました。同時に、国際線の経験があるスチュワーデスや男性乗務員が添乗員として大手旅行代理店から高待遇の条件で引き抜きにあったのも、この頃です。
私の同期も2名が添乗員に転職しました。そのうちの1人は、その後旅行代理店を立ち上げて、元スチュワーデスの奥さんの関係でスチュワーデスを添乗員に引き抜き、華麗な外国ツアーを売りにして大いに儲けた噂を聞きました。

風天マン

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
© 風天マン
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    • Mattari
    • 2011年 4月18日 11:39pm

    何ともCAから添乗員って今では考えられない転職ですが
    遠い昔に添乗員をやっていたヒトの話ではまだツアーが
    黎明期で英語に長けた者なら家一軒ぐらいは建ったと
    いう話は聞いたことあります。私が旅行代理店に
    勤めた頃にはもう既にそんな美味しい話もなくて
    世知辛い職場という印象しかないですけどね。
    でも仕事場で得た知識を生かして趣味の旅行に
    生かせてるから良かったかも。
    さぁ今度はA380が日系航空会社に就航したら、どこまで
    チケット価格に変動があるか見ものです。まあYクラスが
    今以上に狭くなるのは勘弁して欲しいですけどね。。

    • SportsKite
    • 2011年 4月19日 9:31am

    今回は、おとなしい話題ですね。(^_^)
    初めての海外は、70年代後半の業務出張でした。あの頃のエコノミークラスって、そんなに窮屈ではなかったような。。。。

    • 竜子
    • 2011年 4月20日 1:21am

    ■Mattariさん
    ほんとうですね。いまでも途上の国に行くと、ガイドさんが花形職業だったり、また中国のとあるガイドさんは、10年〜20年ほど前の日本人のおかげで、人並み以上の家を持つことが出来て、不動産投資にハマっているとも言っていました。
    A380が来たら全席エコノミーで、1000席になったりしてwww
    ■SportsKiteさん
    初が70年代後半ということは…、出発は成田だったのでしょうか?
    その当時ですら、「見送り・出迎え」が普通に会ったように記憶しています。さすがに万歳、はあれですけど構内で缶をたくさんぶら下げた車が、新郎新婦を送りにきたのを覚えています…。あれは何の文化だったんだろう? 今はめっきり見ないです。

    • SportsKite
    • 2011年 4月20日 8:26am

    竜子 様、
    出発は羽田から、半年後の帰国は成田でした。到着したときは、日本なのに日本ではないような不思議な体験でした。

    • 竜子
    • 2011年 4月20日 2:37pm

    ■SportsKiteさん
    あああ、そうでしたね! 前にきいたことがありました。失礼しましたっ。
    日本なのに、日本でない…。なるほどー。
    わたしはその頃、お出かけ着を来て不二家でパフェ食べてたかもしれません。
    子供ながらに建物も屋根まで高くて凄いなと思ったけれど、最近では狭っ苦しく感じるようになりました。

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