B747コックピット「ヨーロッパ飛行」第8回

[title_europe]
ヨーロッパ飛行画像(haruhikon提供)

「フランクフルト上空からハンブルグ上空へ ライン管制」

—————————————-
★「ヨーロッパ飛行」挿入08

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

—————————————-

JAL412便はバルト海に向けて北上飛行を続けている。同じ管制エリアを飛行する航空機の交信が立て続けに聞こえてくる。鈴木機長が地図を広げて、コペンハーゲンまでの飛行ルートを説明してくれた。ちなみにここでいう地図とは空の道路(航空路)を示したもので、アメリカのジェップソン社が製作した航空路地図のことである。
「えーっと…フランクフルトはここですね。それで(チューリッヒから)まっすぐ北に向かって上がってるわけです。それで今、フランクフルトを過ぎちゃったんですけど、このまんま、ずーっと行って、ハンブルグの上空まで真っ直ぐ、ハンブルグの上空から今度は北東ですか、北東に上がって行くんです。ドイツのハノーバー(ハノーファー)って街のすぐ脇を通るんです。それでこれが所謂、ベルリン回廊…」

ハノーバーは春に世界最大級のコンピューターの見本市会場である「CeBIT」が開催されている街である。
ここで、ベルリン回廊に触れておく。そもそもベルリン回廊が出来たキッカケは、ベルリン封鎖事件がキッカケとなっている。その事件は冷戦時代を象徴する事件の一つで、ソ連が西ベルリンに向かう全ての鉄道・道路を封鎖した事件である。第二次世界大戦後、当時のドイツの首都ベルリンは、アメリカ・ソ連・イギリス・フランスの4ヶ国で分割占領されていた。しかし、ベルリン周辺の地域はソ連の領土であった。アメリカ・イギリス・フランスの軍隊がベルリンに駐留するが、社会主義の浸透を目的とした支配権の拡大を目論むソ連は、各国の軍隊の進駐の妨害策としてスパイ行為や不法行為を行なっていた。その後、ポツダム会談を機に、アメリカとソ連、民主主義と社会主義の対立、いわゆる冷戦が勃発した。そしてベルリンは事実上、東西に分断された。
ソ連はドイツとの戦争で甚大な被害を被った為、多額の損害賠償金を望み、アメリカ・イギリス・フランス側は早期復興を考えていた。そのような対立の中で、ソ連は西ベルリンに向かう全ての人・モノの強制検問を行ない、厳しい制限を設けた。その後、両国は様々な政策を打ち出し、ついにソ連は陸路・航路を完全封鎖した。

しかし、西ドイツからベルリンまで3本の空路は封鎖しなかった。両国の取り決めにより西側諸国の自由な利用が認められていた為である。もう一つの理由として、空路まで完全封鎖すれば全面戦争の危険が孕んでおり、当時のソ連の状況では多大な損害を被るのが目に見えていたので、それを避ける為にとも言われている。この3本の空路をベルリン回廊と称した。そして物資を西ドイツにあるヴィースバーデンとラインマインの両基地からテンペルホーフ空港に輸送し空輸作戦が開始され、アメリカ、イギリスはそれぞれに空輸作戦名を冠し、一般にはベルリン大空輸と言われていた。西ベルリンに住んでいる住民の食料や生活必需品を大量に空輸するのは、当時の航空機の搭載量を考えると、並大抵のことではなかったが、その後の輸送機の発展のキッカケともなった。また、その支援体制も確立されてきて、乗員の訓練の為にアメリカに回廊を想定した訓練が行なわれ、その他に機体の整備や燃料の手配、物資の流れが構築され、結果的に輸送量の拡大に繋がった。

こうした中、西ベルリンにあった2つの空港(テンペルホーフ、ガトウ)の航空量が増え、管制官が捌ききれない状況に陥り、その対策が講じられた。その結果、先ず現在のベルリンの玄関口であるテーゲル空港を造成、次に西ベルリンへの3本の航空路の内、南北の航空路を往路、真ん中の航空路を復路とし、且つ定められた時間と高度を厳格に守ることになっていたので、ゴーアラウンド(着陸のやり直し)が認められず、西ドイツにリターンバック(引き返し)をしなければならなかった。また、ベルリンの空港には視界が悪い時に滑走路直前まで精密進入レーダー(PAR)を使って誘導するGCA(Ground Controlled Approach:着陸誘導管制)体制を引き、24時間体制で行なわれていた。ちなみにGCAは管制官の肉声のみで航空機を誘導する管制方式で、現在日本の空港では行なわれていない。
この状況下で、ソ連の妨害が日増しに多くなり、輸送機に戦闘機を近付け威嚇行為や、航空路から外れた輸送機に威嚇射撃を行い、挙句の果てには射撃訓練まで行なう始末であった。だが、西側諸国は決してベルリンを見放さず援助し続けた。社会主義浸透を目論んでいたソ連は、封鎖の失敗を認めざるを得なくなり、1945年(昭和24年)5月12日に封鎖を解除した。空輸作戦成功を記念した記念碑が、テンペルホーフ空港とラインマイン基地に造られている。

管制官が次の管制エリアに移管するよう交信して来た。
「ジャパンエア412… 133.95 グッディ」(日本航空412便です。133.95メガヘルツに交信して下さい)
「オーケー 133.95 ジャパンエア412 グッディ」(了解しました。133.95メガヘルツに交信します。さようなら)
日差しがコックピットに差し込む。そのコックピットから望む景色は何ものにも代え難いものである。大パノラマの景色が目の前に広がり、雲上であれば見渡す限りの雲海、手を伸ばせば届くほどの近さを感じる太陽や星、それを体験できるのは乗務員のみである。何とも羨ましい。
「(地図を)見てていいですよ」
「お飲み物は如何致しましょうか」
「コーヒー、クリーム、シュガー お砂糖半分」
キャビン・アテンダントが乗客へのサービスが終了したことを報告しにコックピットに入って来た。パイロットに飲物を聞き、機長はクリームと砂糖が半分入ったコーヒーを頼み、機長に釣られるように他の2人も同じものを頼んだ。コックピット内は非常に乾燥しているので、水分補給は欠かせない。
岸田副操縦士が次の管制エリアに交信を始めた。
「マーストリヒ ジャパンエア412 グッドアフタヌーン フライトレベル350」(マーストリヒ・コントロール管制へ。こちら日本航空412便です。こんにちは。飛行高度3万5000フィートです)
「ジャパンエア412 グーデンターク レーダー コンタクト」(日本航空412便へ。こんにちは。貴機をレーダーで補足しています)
オランダ南東部にあるマーストリヒは、1991年(平成3年)にEU(ヨーロッパ連合)創設の条約(マーストリヒ条約)が締結された街である。
管制区域に多くの飛行機が飛び交い、交信が絶え間なく続いている。ルフトハンザ17便が管制区域に入ってきた。
「マーストリヒ グーデンターク ルフトハンザ017 フライトレベル310」(マーストリヒ・コントロール管制へ。ルフトハンザ17便です。高度3万1000フィートです)
「ルフトハンザ017 レーダーコンタクト」(ルフトハンザ17便へ。貴機をレーダーで補足しています)
ルートも半ばを過ぎ、下降の準備が始まる。飯田航空機関士は下降に備えて準備を始め、鈴木機長に着陸のフラップ角度を確認する。
「ランディングのフラップは?」
「30度で」
「はい」
聴き慣れない航空会社のコールサインが飛び交い、飛行状況を報告している。岸田副操縦士はカストラップ空港内にある事務所に到着予定時刻の報告をする準備を始めた。
「カンパニーは55分でいいですか?」
「そうですね」
クルー達は僅かではあったが長閑な景色を堪能し、これからの下降・着陸に向けて本格的に準備を始める。少しずつだが引き締まった表情を見せている。

コックピット・ドキュメンタリー「ヨーロッパ飛行」上空から

桃田素晶

「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」
解説:桃田素晶/録音:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」で収録している音声、音源等は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。また、解説は桃田素晶、表紙写真はharuhikonに著作があります。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ
[ad_europe]

  1. コメント 0

  1. トラックバック 0