第34回「マニラリベンジ作戦」

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1980年代の日本は高度成長期をむかえ、経済が豊かになり、外国へ出かけるビジネスマンも増えたが、海外に出かける観光客が急増した時代でもありました。

海外の観光地で「農協さん」という日本語がそのまま外国語として通用した時代の話です。特に、東南アジアの観光地ではどこもかしこも「農協さんの団体客」を乗せた大型バスが有名なレストランや土産物店に横付けされ、そこでは日本各地の地方のお国訛りの言葉が元気良く飛び交うのを耳にしたものでした。時には、夕食時なんかに隣のテーブルから私の出身地の九州なまりの言葉が聞こえてきたりすると、懐かしくて、思わず声を掛けて、合流して一緒に飲んだりしたこともありました。農協さん達は、いささかマナーの面で批判されたこともありましたが、彼等を受け容れる観光地としては、彼等ほど扱いやすくて、金払いのいいお客はいないので、多少のマナー違反があっても目をつぶっていたというのが実態でした。外地の新聞の風刺マンガに、腹巻から札束を取り出す農協のおじさん(なぜか、どれも麦わら帽をかぶっている)が描かれたのも、この頃です。
当時の東南アジアの諸物価は日本の4分の1程度だったので、国内旅行よりパックの外国旅行の方が安く、この利便性を1度味わった農協さん達は、次々とその行動範囲を広げ、米国、欧州にまで進出するようになり、一躍「農協さん」が世界的に有名になったわけです。韓国便やマニラ便は一時期、8割農協さん! 残りがビジネスマンとオヤクザさんという様相でした。

彼等は飛行機に乗ってくるなり、「酒だ!氷だ!オツマミだ!」だったので、この路線はスッチー達からは敬遠される路線の代表でした。なかには、スッチーのことをホステスさんと間違って「オイ、ねーちゃんお酌してくれよ!」なんて、のたまう酔っ払い客もいました(笑)。ルンルン気分の、まるで無邪気な大人の修学旅行みたいで、いつも気難しい顔の旅慣れたビジネスマンのお客さんより、私は個人的には扱いやすくて好きでした。

機内で彼等から「兄ちゃん、どっか、オモシロイ店を教えてよ」と聞かれることはしょっちゅうでした。
当時、我々男性乗務員は、銀の線が袖口に光る黒の制服(まるで軍服みたいな)でしたが、食事のサービスになると、上位職のパーサーは黒、下位職のスチュワードは白のサービング・ジャケットに着替えていたので、当時パーサーの私はそこらへんの繁華街で客引きをしている黒服と同じに見えたのかもしれません(笑)。

ちなみに、当時のミリタリー調の制服は袖線で職位が識別されるようになっていました。袖線1本はスチュワード、1本半がアシスタントパーサー、そして2本がパーサー、2本半がチーフ、最高位の3本が乗務管理職でした。袖線半分というのは中途半端なので、チーフは3本、乗務管理職は4本にしようという話しがあったのですが、機長をはじめとする運航乗務員から猛烈な反対にあって、実現しませんでした。
機長が4本なので「自分たちと同格に見られるのはケシカラン!」というのがその理由なのですが、運航乗務員の袖線は金色。我々は銀色なので構わないじゃないかと言ったのですが、会社の上層部は1機をあずかる機長連に逆らうのはよろしくないということで、現状維持に落着いたのでした。当時の機長は自衛隊出身者が大半で、階級を表す袖線にこだわりが強かったのだと思います。
当時の私は「いつまでも、軍服みたいのは時代遅れであり、運航乗務員は別として、我々客室乗務員は線なんかない、当時のエール・フランス航空みたいなスッキリしたジャケットでいいじゃないか」という考えでした。今現在は、皆さんご存知のように普通のジャケットに変わっています。

さて、話を戻します。
「どっか、いい店…オモシロイとこ…」の質問の意図するところは承知しています。
接客業という仕事の一環として、お客さんの質問には的確に答える、情報は常に最新の内容に更新しておくというのがあるので、私も仕事の一環として、外地滞在中は情報収集を目的として(?)、自腹を切って、それに類するお店の探索に積極的に出かけていました。ただし、飲み代の相場はその店によって、かなりの差があり、余り詳しく教えると、旅行会社がお店とタイアップしている場合もあるので、彼等の営業妨害にならない程度迄の情報をお客さんに提供していました。

旅行社の添乗員が会社の規定の旅行スケジュール以外で、自由参加のオプシヨンと称して自分の知ってる土産物店、レストラン、お風呂屋さん、それにシンガポール、タイ、クアランプールなどでは、花屋さんに引率して蘭の花を買わせたり、夜のお店に引率して、チャッカリとその店からキックバックを貰っていたケースもその当時は当たり前でした。当時私と同期入社だった2人は、添乗員のほうが収入になるということで、転職したほどでした。最近の添乗員さん達は旅行社が直接、それらのお店と契約するケースが多くなり、以前みたいな「ウマミが無くなった」と嘆いていますが、こと夜のお店に関しては、まだ依然として彼等の役得やウマミが残っているのです。

日本への帰り便で、私が農協さん達に「どうでしたか、楽しめましたか?」と聞くと、そのほとんどの方達から「いやー、イカッタ、イカッタ!」の答えが返ってきました。当時の日本のお店では考えられない、いたれりつくせりのサービスと、たいていの我がままを聞き入れてくれて、しかも値段はそれほど高くなかったとなれば、満足するのは当然です。

ところが、マニラでは、ある時期に突然、特定地域のバーやクラブの値段がそれまでの5割増しになったのです。この話は帰り便のお客さんや、東南アジアを専門に担当している添乗員(ツアーコンダクター)からも聞くようになりました。これに関して、私の同僚の多くも「ボラレタ!」と頭にきてたし、その手の店を訪れる運航乗務員の連中からも同じことを耳にするようになったのです。
それらの話を総合すると、日本人観光客は言葉が分からないので、かつて日本のお店に出稼ぎにきていたフィリピン人のクラブ・ホステスの入れ知恵で、5割くらい値上げしても日本人は文句を言わないし、大丈夫だということだったようです。

私は、行きつけのお店のママにこの話しをしたところ、もうひとつ理由があることが分かったのです。
それは、最近、東南アジアに農協さんが観光に来ることが増えて、このマニラでも日本のオヤクザさんとマニラでバーやクラブを経営している現地のマフィアとが手を組んで法外な利益を上げようとしているということでした。日本のヤクザは秘密のギャンブル場や、2流のモデルや芸能人を集めた秘密クラブも最近オープンしたとのことでした。

つまるところ、マニラのマフィアと日本のヤクザが「日本人観光客をターゲットにして、食い物にしている」ということです。
日本では、その頃都市部で風俗関係の取締りが少しきつくなり、稼ぐ(彼等はシノギと呼ぶ)のが難しくなったので、それまでフィリピンからダンサーや歌手(大半はただのホステス)を芸能人と称して日本に連れて来ていたオヤクザさんが、そのルートで繋がりのあったマニラのマフィア連中と手を組んで商売を始めたというのが真相だったのです。そういえば、この路線の機内で、その手の日本人のお客さんから貰う名刺のほとんどが一様に「○○興業とか△芸能社、○○芸能プロダクシヨン」というたぐいでした。

その後も、マニラで「ボラレタ!」という噂は後を絶ちませんでした。
「日本人を馬鹿にしやがって、許せねー!ヤツラに一泡吹かせてやる!」というたぎるような思いが、私の心にフツフツと沸きあがってきたのです。

そうです! リベンジ! 復讐です!

そこで、先月末に今日のマニラ便が指定されていたので、このリベンジ計画を私はジックリ1週間かけて具体的に、脚本と言うか、筋書きを考えたのです。そうです!当時の私は若かったのです。浅ハカだったのです! …37歳(まだ?もう?)でした。

後輩のS君と一緒のマニラ便だということは事前に分かっていたので、2日前に彼に電話して今回の「マニラ・リベンジ作戦」を打診したのです。当初、彼は「へー、チョット面白そうですね」と乗ってきたのですが、筋書きが進むにつれ、
「先輩…チョット…それ…やっぱ…ヤバそうですね…」になり、そのうち「やっぱ、僕が…現金を見せるところが…鍵ですよねー」と。
でも「私、上手くやれますかねぇ…失敗したら、やっぱ、かなりヤバイですよねぇ…。それに、先輩ほど度胸ないし…」と。「やっぱ、やっぱ」のS君でしたが、最終的には私に説得された(強要された?)感じでやることになったのでした。

そして、事前に準備する服装、小道具のメモ用紙、それに作戦を実施するにあたって想定される英語でのやりとりについて、彼に確認しておくように要請したのでした。

1986年9月26日夕刻

マニラの中心街、ロハス大通りの一角に有名なフィリピン独立の国民的英雄、ホセ・リサールの遺体が葬られている、リサール公園がある。その公園の片隅で、乗務でマニラに着いたばかりの私と、英語の堪能な後輩のS君の2人は今まさにマニラ湾に沈まんとしている、燃えるような夕陽を眺めていた。真っ赤な夕陽に照らされた2人の顔は、りりしく、そして緊張していた。

「本当にやるんですか?」
「やるぞ!」
「先輩、これ…かなりヤバイですよ!」
「大丈夫だ。俺に任せろ!」
「しかし、万が一ってこともあるし…」
「お前、ここにきてびびってるのか? らしくないなあ…」
「えっ…そ…そんなんじゃないんですが…」
「お前が、打ち合わせ通りの役に徹してくれれば、上手くいく!」
「でも…失敗したら、それこそ、このマニラ湾に2人仲良く浮くことになるんじゃないですか…」
「そうなる前に逃げるさ」
「・・・」

「ヤバクなりそうになったら、俺が知らせる。あいつらは日本語が分からないんだから、心配するな!」
「そうですかネー・・・」
「イザとなったら、必ず逃がしてやるよ!」
「ハー・・・いえ・・・」
「ここまできたんだぞ、やるのか、やらないのか!ハッキリしろよ!」
「わ、わかりました・・・もちろんです、やりましょう!」

その筋書きと役割

さて、いよいよ、S君と作戦の下準備開始です。
リサール公園から、徒歩10分の場所に1912年にオープンして以来、フィリピンを代表するホテルとして、不動の地位を保ち続けてきたマニラ・ホテルがある。このホテルは第2次世界大戦中に、あのマッカーサー元帥が一時住んでいたことでも有名だが、昭和天皇や各国のトップクラスの要人達が宿泊した由緒あるホテルで、別名「フィリピン迎賓館」と呼ばれている。このホテルが、今夜決行する「マニラ・リベンジ作戦」のスタートとフィニッシュの舞台となるはずである。
私は以前3度、このホテルのプールサイドにある、しゃれたカウンターバーで飲んだことがある。ホテルの1階にある広大なロビーには、白い大理石の太い柱が立ち並び、それぞれの柱に豪華な年代もののシャンデリアが飾られている。ロビー正面にカウンターがあり、その右奥からプールサイドに続く通路がある。プールサイドのバーから少し奥まった所に、従業員専用の出入り口があり裏通りに面している。

我々はホテル正面から、さも宿泊客のような顔をして、ロビー中央に向かった。
ちょうどこれから夕食に繰り出すのだろう、いかにも金持ちそうな欧米人に混じって2組の日本人の中年カップルの姿があった。さすがにこのホテルでは農協さんの姿は見当たらない。我々はロビー正面のカウンターを通り過ぎて、右奥からプールサイドに出た。プールでは数組の若い米国人が泳いでいた。そのままバーを通り抜け、従業員専用出入り口へ行くと 拳銃を携帯した2人の警備員がいた。私は軽く挨拶をすると、彼等の1人が愛想よく裏通りに面した鉄製の扉を開けてくれた。これで、彼等警備員は裏通りから侵入する不審者は厳しくチェックするが、内部から裏通りに出る場合は特にチェックをしないことを確認できたことになる。
そのまま、我々は裏通りからタクシーを拾って、マカティに近い我々の定宿のホテルに戻った。
我々は30分後に事前の打ち合わせどうりに変身して、定宿のロビーで待ち合わせることにした。

私は、黒の安物のハンドバッグに日本で用意した3つの封筒の中身を確認して入れた。髭を剃り、ピンクのワイシャツ、白の綿スーツに白のエナメルの靴を履き、スーツの胸ポケットにはブルーのチーフをはさみこんだ。
漆塗りの使い込んだデユポンのライター、タバコはマイルドセブン・インターナシヨナル。
時計は以前ルーレットで勝った時に買ったオメガをはめ、薄茶色のレイバンのサングラスをかけ、最後に白の麻製ハットを頭にのっけると、鏡の中には、どこから見ても金持ちの道楽息子か、成金青年実業家に変身した私がいた。まんざらでもないなと思いながら、鏡に映った私に向かって「今夜はヨロシク頼むぜ、社長!」と声をかけた。

S君はというと、やはり白い綿ジャケットに黒ズボン(実は夏用の制服のズボン)に制服の黒い革靴、黒のワイシャツに白っぽい幅広のネクタイという出で立ちで現れた。短髪で、目付きも結構鋭いので、まるで夜、新宿の歌舞伎町あたりをガニ股歩きで2、3人若いのを従えてる兄ちゃんみたいだ。ところが、実際の彼は少し内股っぽい歩き方(笑)なので、この点の演技指導をしたのです。

お互い見詰め合って「結構決まってる!」とうなずきあった。
こんな格好を、知ってる乗務員に見られるとまずいので、我々はそそくさとホテルの玄関前で客待ちしていた白のリムジンに乗り込み、舞台となるマニラホテルに向かった。
マニラホテルまでわずか10分で、料金は100ペソ(約200円)だが、S君が前もって運転手に300ペソ(約600円)を渡したことで、ホテルに着
くと、運転手は急いで後部座席のドアを開けてくれて、何度も何度も「サンキュー、サンキュー」を繰り返した。この様子を見ていたホテルの2人のドアボーイは、笑顔で丁重に挨拶をして、重厚な玄関ドアを開けてくれた。打ち合わせ通り、S君は彼等に100ペソづつチップを渡した。ドアボーイにチップを渡すお客なんてめったにいないし、渡すにしても、せいぜい20ペソなので、彼等が歓喜したのは言うまでもない。

我々は先程下見に来たロビーの右手にあるカフェバーで、よく冷えたサンミゲルビールで前祝の乾杯をして、これから始める計画の最終的な打ち合わせをした。こわおもての彼は笑うと意外に可愛いい顔をしており、今回の作戦に、私から英語の上手さを見込まれてマネージャー役に誘われたこと自体、まんざらではなさそうだった。

私が持参した黒いバッグの中には札束で分厚くふくらんだ3つの封筒が収められていた。
この3つの封筒はいずれも東京銀行(現在の東京三菱銀行)のものです。そのうちの1つは100万円の束。2つ目は1万ドル(当時の日本円で150
万円)の米ドルの束。そして、3つ目はフィリッピンのペソ紙幣が2万ペソ(4万円相当)で、その内訳は1000ペソ(2000円)が10枚、500ペソ(1000円)が10枚、100ペソ(200円)が50枚。

ただし、100万円と1万ドルはそれぞれ800円と1000円で東京の上野にある通称アメヨコと呼ばれる商店街で入手した札束である。現地のペソ紙幣だけは本物です。1つ目の100万円の束の最上段には本物の1万円札を、1万ドルの最上段にも本物の100ドル札をセットした。3つの封筒には、小さな赤、青、黄色の丸いシールを貼って、見分けられるようにしておいた。

30分で入念な打ち合わせをして、後は成り行き次第でこちらの筋書き通りに行かない場合もあるが、その時は、「臨機応変、縦横無尽、出たとこ勝負」で、2人で決めることにした。

250万円相当のニセ札を周到に用意した「有名芸能プロダクシヨンの社長とマネージャー」に扮した2人は、一体全体これからどんな作戦を実行しようとしてるのでしょうか?

風天マン

急逝された武田一男さんに感謝を寄せて、今週は武田一男さんが撒いてくださった種子をいくつかお届けしたいと思います。

風天マンさんは以前、あるメールマガジンのトップランナーでした。JALでチーフパーサーをしていた元客室乗務員。その風天マンさんがこのブログにいらしてくださったのは、いろんなジャンルの飛行機ファンがここに集まっていたからだと思います。「集まっていた」といっても、コメントが多くつくブログではないしその「証拠」を見せるのは難しいのですが、武田一男さんは、呼び込みたい読者のターゲットを、多面的にシミュレーションしていました。感覚的に飛行機や空や旅が好きな人たちの層、コアな飛行機ファンの層、航空業界のプロの人たち。自分たちができることをやってコツコツやっていけば、自然と飛行機の好きな人たちが集まり、コアなファンからも支持されるようになる。その場ができれば自ずと航空業界のプロの目にも触れるようになり、やがてその中からこのブログに協力してくれる人が現れてくれるはず。そしてきっとその人たちが自分たちでは呼び込めなかった、新たな読者を運んでくれるようになる。

それで現れたのが風天マンさんでした。風天マンさんはハチャメチャ(?!)をウリにしている通り、愉快で奇抜なエピソードをたくさんお持ちの反面で、独特な正義感の持ち主でもあります。その正義感がときに賛否を巻き起こし、「お仲間ブログ」ではあり得なかった新たな意見をもたらしてくれたと思います。その賛否両論を恐れずに、果敢にエッセイを披露してくれる風天マンさんには心から感謝。きっとこのブログのチャンネルを豊かにし、さらに多くの読者を運んでくれることになると思います。
風天マンさんには、「奇襲攻撃」の砲として(?!)、マニラリベンジ作戦の原稿をいただきました。

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
© 風天マン
【著作について】実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」のすべては風天マンが著作権を保有しています。一般的な「引用」の範囲を超える紹介を除き、商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ info@airjapon.com(管理人:竜子)までお問い合わせください。

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  1. 風天マン様
    またまた、面白いシリーズがスタートしましたね〜。
    次回が、本当に楽しみです!
    作品、拝読させていただきました。わざわざ羽田空港まで行って読んでしまいました(笑)
    非常に読みやすく、ハラハラ、ドキドキしながら読ませていただきました。
    自分のブログに「読書感想文」を上げておきました。拙い文章ですが、よろしかったらご覧ください。

    • 風天マン
    • 2011年 5月25日 1:17pm

    トメさん、私の著書を読んでいただき、ありがとうございました。
    是非「読書感想文」を拝読させていただきたいのでブログを教えて下さい。
    竜子さん、やりましたね!
    1位、トップ、頂点、サミット・・・奇襲作戦大成功ですね!
    帝王学の「貞観政要」に”草創と守文といずれが難き」とあります。
    トップになるのと、それを維持するのと、どちらが難しいかというところでしょう。
    ここからが、腕のみせどころでしょうか・・・皆さんとご一緒に応援しますよ!

  2. 風天マン様
    お恥ずかしいのですが。文才の無い若造の感想文ですので…
    http://dog-dive.blogspot.com/2011/05/blog-post_25.html
    竜子様
    1位奇襲作戦成功!おめでとうございます。
    日曜日までガンバ!

    • 風天マン
    • 2011年 5月25日 11:23pm

    トメさま。
    とても素晴らしい読後感で文才がないなどトンデモナイです。
    私の伝えたい行間をものの見事に読み解いていただき、恐縮しております。
    出来れば、是非コメントに掲載していただきたいです。

    • 竜子
    • 2011年 5月25日 11:54pm

    ■トメさん
    羽田空港に行って読む、というのは良いですよね!
    私もやります^^
    旅先でもやります(読みきれるかどうかは別として)!
    ブログ拝見しました。ずいぶん読み込まれてるんですね。
    このシリーズは、私も掲載自体をどうするか迷うほど、爆弾かかえています(笑)。
    風天マンさんは、ここまではじけてしまって良いのでしょうか…!!!
    ■風天マンさん
    あ、ありがとうございます。
    お陰さまで、一応は立たせていただきました…。でも、まだ自分がやること終わってないのに、みなさんの応援だけ来たから、吹けば飛んでしまそうで、なんだかまだしっくりとこなくって。
    あんなに1日でいい、と思ったのに日曜日のことが気になってます。ひとまずは最初に決めた、到着地点までの道のりをこなしていきます。

  3. 竜子様
    羽田空港には用事が無くても出向きます。竜子さんと一緒です。
    元気が無いとき、くじけそうなときには空港に立ってます。
    飛行機関係の本を読むときにも、ベストなロケーションだと思っています。
    ところで、拙い読書感想文をお褒めに与りまして恐縮でございます。コメントに投稿すると文章も長いですし、現状のリンクでいかがでしょうか?または、コピペしていただいても構いません。
    竜子さんにおまかせします。
    風天マン様
    次回作はいつ頃でしょうか?もう楽しみなんですけど!
    文章に流れがあって、読みやすく、好きです。
    頑張って執筆してください!

    • 竜子
    • 2011年 5月26日 10:47pm

    ■トメさん
    こんにちは。コメントありがとうございます^^
    理解不足で「なんだっけ?」ってなってしまい…。
    ひとつ、よくわからなかったので、率直にきいちゃいます!
    ↓これってなんですか?
    相互リンクならぜひとも、と思いますが、コピペってなんだろう…。
    すみません^^;
    > コメントに投稿すると文章も長いですし、現状のリンクでいかがでしょうか?
    > または、コピペしていただいても構いません。
    > 竜子さんにおまかせします。

  4. 竜子様
    言葉が足らず申しわけないです(汗)
    相互リンクなんてとんでもないです。こちらの飛行機の話題と全然異なるブログですから。
    ただ、“お気に入り”としてリンクさせてください。お願いいたします。
    風天マンさんの作品の「読書感想文」はトメ名のリンクで表示されますので作品にご興味のある方は是非!
    コピペ=コピーペースト
    「もし必要であれば拙ブログよりコピーしていただいて構いませんよ」という意味でした。
    また、別個にリンクを貼っていただいてもOKです。
    (零細ブログの読者が増えるかも!ラッキー!)

    • 竜子
    • 2011年 5月27日 11:03am

    ■トメさん
    どうもありがとうございます!
    なるほど、引用のニュアンスだったんですね。
    説明ありがとうとざいました!!
    リンクに追加しておきました!

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