投稿者別アーカイブ

とび職一代  第3回

当時の岡山空港の滑走路は09/27で長さは1200メーター。東京からの定期便、YS-11とフレンドシップが一日2便だったと記憶しているのですが、飛んで来ていました。
そして、乗客が降機したあと飛行機からさっそうと降りてくるコーパイさん。その姿を見て、「いつかは俺も金筋の付いた制服を着てやるぞ!」 と自分自身を奮い立たせていたのでした。

そして遂に初ソロの日がやってきました。
私が教官との訓練を終えて、ランプ・エリアに戻ってくるのと入れ違いに、初ソロに出て行く訓練生がいましたので、初ソロ一番乗りの栄光? は逃してしまったのですが、とにかく初ソロを無事に終えて、次のステップへの励みとするのが一番大事な目標でしょう。

教官からの合図を受け、いつも通りの手順で離陸の準備を進めていきます。
コックピットでの準備を終え、管制塔に地上滑走の許可を求めますと、聞き慣れた管制官の声で許可が与えられました。
今まで訓練してきた事と全く同じ流れで事が進んでいきます。

そして滑走路09に正対しますと、離陸許可が発出されました。

“ JA3456 wind 090 degrees at 5knots cleard for take-off ”

エンジン・フルパワー。遂に自分だけの力で、大空へ飛び出す瞬間がやってきたのです!
「エンジンをフルパワーにして離陸滑走を始める勇気が自分にあるだろうか?」 との不安は、全くの杞憂でした。いつも通りの手順でフライトの準備を進めていくうちに、隣に教官がいなくて自分一人である事など、全く気にならなくなっていたのです。

1回目のタッチ・アンド・ゴーは無我夢中でした。しかし無事に着陸し、再び空に舞い上がった時、「天にも昇る気持」 とは正にこの事でしょう。すっかり有頂天になって、ダウン・ウインドを飛びながら、大声を張り上げて歌を歌ったりしたのでした。何を歌ったかは記憶にありませんが、歌を歌うのは、飛行機の上で一人の時が一番ですよ。

しかし、いつもと違った事が一つだけ。教官と乗っている時には気にも留めなかった、風切り音、エンジン音の僅かな変化にも敏感になっていたと言う事です。
いま考えれば、これがPICとして1機の飛行機の運航に責任を持つ。と言う心構えの違いだったのでしょう。
私は常日頃から思っています。操縦技倆は多少違うかも知れませんが、キャプテンとコーパイの一番の違いはこの心構えにあると。

その日に初ソロを終えたのは三人だけでしたが、その後も次々と初ソロに出て行って、訓練生全員が無事初ソロを終える事ができたのでした。
私の初ソロまでに飛行時間は、14時間とちょっとでした。

一区切りが付いた所で、ANAのフライト・チェックに向け、飛行訓練も一段と熱を帯びてきました。
飛行訓練と平行して、航空法などの座学訓練も進んでいたのですが、もう一つ重要視されていたのが、体力の向上でした。
自衛隊では運動能力を表す基準として、特級、一級と言った段階があるとかで、我々訓練生にも同様の能力を求められたのです。求められていたのが一級だったか二級だったかは忘れましたが、毎日よく走らされました。
そしてその集大成が、空港の南東方向にあります金甲山頂上(標高403m)までのマラソン登山だったのです。
とにかくきつかった事を覚えていますが、初ソロ同様、走り終えた後の達成感は最高でした。

飛行時間も30時間に達し、いよいよフライト・チェックの日がやった来ました。
チェックのためにやってきたのは、怖そうなANAのキャプテン。会っただけで震えがきそうでしたね。
教官一人で三人の訓練生を受け持っていましたので、K君、H君の順番で、私が三番目にチェックを受ける事になりました。
このチェックに受かる事を最大の目標として訓練を行い、つらい事にも耐えてきたのです。
これに落ちてしまったのでは、今までの苦労、多額の費用が無駄になってしまいます。自分の能力の全てを出し切ろうと、覚悟を新たにしたのでした。

FD

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

とび職一代 第2回

会社が新たに開設した訓練コースは、訓練委託先によって幾つかの訓練コースに分かれておりました。
防衛庁(当時)に委託するコース。米国の航空会社に委託するコース。英国の飛行訓練学校に委託するコース。そして、私が訓練を受ける事になった、日本の飛行訓練学校に委託する四つのコースでした。
この中で一番恵まれていたのが、防衛庁に委託するコースで、訓練生として採用された時点で社員となり、当然給与も支払われていました。
一方、最も恵まれないどん底のコースが、我々日本国内委託組だったのではないでしょうか。

まず、自費で30時間ほどの飛行訓練を受けた後、ANAの試験に合格して初めて訓練生としての待遇を受けらるようになる訳ですから、これって、ひとつの賭でしたね。
しかも、訓練生待遇と言いましても、その後の飛行訓練費用だけがANAから支払われるだけで、給料はおろか、生活費まで自分持ちだったのです。
それでも試験に合格すればまだしも、試験に落ちてしまいますと、それまでの30時間分の飛行訓練費が無駄になるのです。当時で、1時間あたりの飛行訓練費は1万円ちょっとだったと記憶しております。
30時間の飛行経験など何の役にも立ちませんしね。しかし訓練費用、衣食住代、その他を振り込んでしまったからには、あとは死に物狂いでやるしかありません。

期待と不安を抱いて岡山の訓練所へと入学しました。
飛行訓練が始まる前に、航空法、航空工学、飛行機取り扱いなどの学科訓練を受ける事になります。
特に航空法の教官が厳しかった!試験で「航空機とは」 問われたら、一字一句間違いないように回答しないと点をくれないのです。「そこまで厳しくしなくても」 とその時は思っていたのですが、いま考えますと、そのお陰で航空法や管制方式基準などをしっかりと頭に入れておく習慣が付いたのだろうと、その教官には感謝をしております。

訓練所の生活は、ほとんど軍隊と一緒。外出できるのは、土曜の午後と日曜日だけでしたので、たまの休みには岡山市内まで繰り出して、仲間と酒を酌み交わすのが唯一の楽しみでした。ただ門限も厳しかったので、時間を気にしながらの息抜きとなっていましたが。

そして待望の飛行訓練が始まったのですが、訓練に使われた飛行機はセスナ C150という二人乗りの飛行機で馬力は100馬力。100馬力でも飛行機は飛ぶんですね。
最初の訓練フライト。
教官から「管制塔との交信もやってみるか?」 と言われましたので、「はいっ」 とは言ってみたものの、緊張しました。

“ Okayama tower this is JA3456 request taxi and take-off instruction.”

タワーからの許可をもらいタクシーを始めたのですが、自動車運転の癖が出てしまい、操縦桿を回して飛行機を曲げようとしてしまうのです。軽飛行機の場合、前輪がラダーと連動していますので、ラダーを使って地上滑走をする必要があったのですが。
見かねた教官に言われました、「操縦桿から手を離して腕組みしてろ」 と。そうしますと、意識がラダーへ行って、上手くタクシーする事ができたのです。

最初の離陸は教官の手で。
離陸した後、瀬戸内海上空に設定されていた訓練空域へと向かい、まずは教官が操縦のお手本を見せてくれた後、「やってみな」。
一番大事な事は、水平飛行している時と、旋回中の水平線の見え具合なのです。これさえしっかり頭に刻み込んでおけば、飛行機は安定して飛ぶ事ができるのです。
恐る恐る操縦桿に手を添えて、まずは水平直線飛行。次に30度バンクの旋回。
想像していたよりは簡単だと思いましたが、最初に教官から言われた事を今でも覚えております。

「お前、血液型は何型だ」

「はい、B型です」

「やっぱりね」

パイロットにはB型が多いと聞きますが、ある時、5、6人で集まって、お茶を飲みながら雑談をしていたのですが、そこにいた全員が何とB型だったのです。
もっとも、「B型以外はパイロットのは向いていない」との根拠など全くありませんのでご安心を。

飛行訓練は、最初に訓練空域での上昇降下、左右の旋回、失速からの回復などの訓練を行った後、空港へ帰ってタッチ・アンド・ゴーの訓練を行うのが通常だったのですが、飛行時間も10時間に近づいてきますと、訓練生の間で話題となってくるのがソロ・フライトの事でした。
我々はライン・パイロットを目指している訳ですから、一人で飛行機を飛ばす事などあり得ないのですが、「自分一人で飛行機を飛ばした」 との自信を持たせるためにも、初ソロという儀式を通過しなければならないのです。

初ソロへの期待と不安が混じり合い、訓練所の中には何となく重苦しい空気がただよい始めていた、そんなある日。
その日は、朝から晴天で風も弱い絶好のフライト日和。誰の心の中にも、「今日誰かが初ソロに出るだろう」 との思いを抱きながら飛行訓練へと向かったのですが、誰もが、「自分こそが初ソロ一番乗りをしたい」 と思っていたのは当然の事でしょう。

私もその日は、タッチ・アンド・ゴーの訓練を繰り返していたのですが、教官から、「次フル・ストップ」 と言われましたので、着陸して空港のランプ・エリアへと戻りました。
そして、しばらく考えていた教官から、「よしっ、ソロに行ってこい!3回タッチ・アンド・ゴーをした後フル・ストップ」 と言われてしまったのでした。
「ドキ〜ッ」
初ソロでの一番の心配事は、離陸する時、エンジンのパワーを出す勇気が自分にあるだろうかと言う事でした。

教官が降りて行って一人きりになったコックピットで、教官からの合図を待ちます。
そして、フライト・プランを出し終えた教官が合図の帽子を振っています。
さあ、生きるも死ぬも俺の度胸と腕次第、やるっきゃない!

FD

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

とび職一代 第1回

とび職一代

などと大袈裟なタイトルになってしまいましたが、大空を飛び始めて40年とちょっと、来年には本当の定年・退職を迎える事になりますので、訓練生時代からの思い出などを書き込んでみる事にしました。
波瀾万丈の面白い話がある訳ではありませんが、興味がおありでしたらお付き合い下さい。

20代の初め、羽田空港近くの大森に暮らしながら、自動車・バイク関係の仕事をしていたのですが、見果てぬ夢と思い通りにならない現実との狭間で、自分の将来の生き方について、真剣に考え始めるようになっていました。
そんな時に目にしたのが、『高収入が待っている』とのタイトルで、長野県松本空港にあるらしい、飛行訓練学校をレポートした新聞記事だったのです。

新聞記事によりますと、その飛行訓練学校である程度の飛行訓練を受けた後、ANAの飛行適性試験に合格すれば、エアライン副操縦士への道が開けるとの事でした。
当時、エアライン・パイロットの供給源としましては、宮崎の航空大学と自衛隊からの割愛だけしかなかったのですが、航空需要の伸びが著しい事もあって、パイロット不足が言われ始めており、各航空会社も新たな供給源を求めて、パイロット訓練の拡大を図り始めていたのでした。

中学生の頃からでしょうか、飛行機には興味はあったものの、憧れていたのは戦闘機乗りやテスト・パイロットなどの派手で危険な薫りのする仕事ばかりで、エアラインのパイロットには魅力を感じていなかったのですが、その記事を読んでみて、エアライン・パイロットへの思いを強く持つようになったのでした。その当時の生活と比較しますと、それは夢のような待遇でしたからね。

その新聞記事を読む少し前の事、何かに引き寄せられるような感じで羽田空港へと立ち寄り、滑走路15レフト(当時)へサークリングで着陸する飛行機を眺めているうちに、むかし憧れた飛行機への思いが、ふたたびわき上がってきたのです。
旋回しながら着陸する飛行機。外航機は滑走路になかなか正対できず、のたうち回るようにして着陸して来ているのに、
さすがはJAL! 一発でピタッと決めていたんですよね! それを見て、「旅客機のパイロットも凄いんだな」と、エアライン・パイロットへの憧れを強く持つようになったのでした。

そんな事もあたからでしょう、その新聞記事を見た時、「ここで挑戦しなければ、必ず後悔する」と、入所試験への挑戦を決意したのです。
さっそく願書やパンフレットを取り寄せました所、24歳までとの年齢制限があって、チャンスは一回だけしかありません。自分に踏ん切りを付けるためにも、そのチャンスにトライしてみる事にしたのでした。

そして試験当日の朝がやって来たのですが、そこでとんでもない事に気が付いたのです。何と!「鉛筆を持ってない」
当時は鉛筆もないような生活をしていたんですね。
試験会場は上野でしたので、会場に行くまでに、途中の文房具店で鉛筆を買えばよいだろうとの楽観的な考えでアパートを出たものの、日曜日の早朝と言う事もあり、開いている文房具店がありません。さあ、どうするか?

「どうせ合格しないだろうから止めようか。いや、ここで止めたら絶対に後悔する」
何となく中途半端な気持のまま電車に乗り、上野へと向かったのですが、当時勤めていた会社に内緒での受検でしたので、後ろめたい気持があった事も事実でした。

そんなあやふやな気持のまま上野の試験会場に着いてしまいました。
試験会場となるビルを見上げながら、「試験科目は英語、数学、物理。鉛筆もないような生活をしていた自分が受かる筈はない。さっ、帰ろうか」と思ったその時、一軒の文房具店が目に留まりました。
その店も開店前だったらしく、シャッターが閉まっていたのですが、シャッターの下の方が僅かに開いていて、中で人の気配がするではありませんか!「うん?ひょっとしたら」と思い、僅かに開いたシャッターの下からのぞき込んで、「鉛筆を売って貰えますか?」と聞きました所、「いいですよ」との返事。
その時、脳天を駆けめぐりました。これは受検してみろと言う天のお告げではないかとの思いが。

試験が始まってみて、ひとつラッキーだと思った事は、受験者が現役組と既卒組に分けられ、既卒組には数学・物理の試験の代わりに、頭の体操のような問題が出された事でした。これでしたら勉強から遠ざかり、公式など忘れてしまっていても解く事ができますからね。

そんな幸運もあって、学科試験に合格。面接試験も切り抜けて、晴れて飛行学校へ入所する事ができたのです。
昭和46年(1971年)の事でした。

しかし現実は甘くはなかった。飛行学校に入所できたからと言って、エアライン・パイロットへの道が開かれたと思ったのは大間違い。なが〜い試練の道が続く事になったのです。

新聞記事とは違って、最初に入所したのは岡山空港(とうぜん旧空港です)に隣接した訓練所でした。
集まった人間も種々雑多。公務員や自衛隊上がり、ひと癖もふた癖もありそうな?連中ばかりでしたし、訓練所の生活もまるで軍隊。訓練所内で教官とすれ違う時は、「オッス」と言って敬礼しなければならなかったのですから。

岡山空港ターミナルビル
岡山空港ターミナルビルの屋上で記念撮影。
17名中、エアライン・パイロットにたどり着いたのは8名だけでした。この写真をいつの段階で撮ったのかは記憶にありませんが、最初に入所したのは25名ぐらいだったとの記憶がありますので、この段階でもすでに脱落した訓練生がいたのでしょう。

血の出るような飛行訓練の話は次回から。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

クリスマス、年末年始の思い出

航空会社は1年365日休みなしですので、クリスマス・シーズン、年末年始に仕事をするのは当たり前の事となっています。

元旦と言えば初日の出。この初日の出を二度拝める場合があるのです。
まず元旦の朝、普段通り地上から初日の出を迎えた後、日本から東へ米国方面へと向かいますと、日付変更線を越える事になります。やがて夜になりますが、その後やって来る日の出は、再び元旦の初日の出なのです。

あまり年末年始の仕事をしておりませんが(いつも休みを取ってますので)、クリスマス・シーズンの泊まりは何回か経験しました。
パリのエッフェル塔。クリスマスから年末年始にかけて、日没後の正時になりますと、塔全体がストロボ・ライトの閃光に包まれるのです。当時宿泊していたコンコルド・ラファイエットの部屋からの眺め。

クリスマスと言えばバーゲン・セール。これって女性の願望かしら?

FD

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

ファースト・クラスへのご招待

皆様を、-400のファースト・クラスへとご案内いたします。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

ファースト・クラスのシート、SF映画に出てくる生命維持カプセルのようですが、一人旅の乗客には好評かもしれませんが、片時も離れたくない?カップルには不評かも。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

まずはビールと軽いおつまみをどうぞ。本日は和食のご提供となります。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

前菜は、巻き海老黄味寿司、鮭燻製かぶら巻き、焼き唐寿美、いかいくら和え酢橘釜盛り、あなご昆布巻き、
柚べし、鶏ささみ幽庵焼き。お飲みものは「加賀鳶」をご用意いたしました。
お料理は懐石料理の名門、「辻留」の監修によるお献立となっております。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

お造りは、天然鯛平造りの昆布〆

FD機長の操縦するチャーター便の旅

煮物椀は、伊勢海老真丈、長ひじき、柚子。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

主菜は、御飯(北海道産ゆめぴりか)、ぶり腹身の付け焼き、酢の物(蟹とちしゃとうの生姜酢和え)、
蒸し物(寸巻き海老とあなごのかぶら蒸し銀餡掛け)、味噌汁、香の物となります。
この後、デザートと温かいお飲みものは如何でしょうか?
本日は、ボーイング747-400のファースト・クラスをご利用いただきまして、ありがとうございました。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

ご搭乗の皆様こんにちは、操縦室より機長のFDがご案内申し上げます。
本日もANA205便、パリ・シャルルドゴール空港行きをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
これからの飛行につきまして、簡単にご説明を申し上げます。
飛行機は成田空港を12時15分に離陸し、ただいま日本海上空を高度9600メーター、対地速度900キロメーターで順調に飛行中でございます。これよりシベリア上空からバルト海上空を経まして、皆様の目的地シャルルドゴール空港には現地時間16時25分に到着する予定でございます。シャルルドゴール空港までの航路上の天候は良好であり、現在のシャルルドゴール空港の天候は晴れ、気温は摂氏10度と報告されております。
狭い機内ではございますが、ごゆっくりとおくつろぎ下さいますよう、お願い申し上げます。

Good afternoon ladies and gentlemen.
Welcome aboard ANA flight 205 bound for Paris Charles de Gaulle airport.
this is captain FD speaking. I would like you to know a bit about today’s flight.
We took off Narita airport at 1215, and We are now flying over Nippon sea at an altitude of 9600 meter and at a ground speed of 900 kilometer par hour.
Our planned route will take us over Siberia, and Baltic sea.
Our estimated time of arrival for Charles de Gaulle airport is 1625 local time.
Generally speaking, weather enroute is good. We expect smooth skies all the way to Charles de Gaulle airport.
At the present time, weather in paris is fine, with a temperature of 10 degreesCentigrade.
We hope you will make yourselves comfortable and enjoy your flight to Charles de Gaulle airport.
Thank you.

FD

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

遙か地上を眺めてみれば・・・

空を飛び始めて三十数年、秘蔵の写真?を少しずつご紹介して行きたいと思っております。

シベリア・ミールヌイの穴

シベリア・ミールヌイにある巨大な穴。周りの建物や滑走路と比較すると、その巨大さが分かりますね。
通常は穴の真上を通過しますので、上手く写真に収めるのが難しかったのですが、この日はルートのショートカット許可が出ましたので、いいアングルでカメラに収める事ができました。
ダイヤモンドの露天掘りをやっているとの話です。

コックピットの景色

時速二千キロのすれ違い!現在はTCASで高度差を確認できますので、安心して撮影する事ができます。

噴煙をあげる浅間山

場所は変わって日本。噴煙を上げる浅間山と、遠くに富士山を望みます。

FD

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

シミュレータ訓練

半年に一度行われますシミュレータ訓練を受けてきました。
安全運航を守る牙城、訓練センター。

写真は管理棟で、この棟の後ろにシミュレータ棟が連なっていますが、その中には、
DHC-8-400 : 1基
B737-500 : 1基
B737-700 : 2基
A320 : 2基
B767 : 3基
B777 : 2基
B747-400 : 1基
B787 : 1基
のシミュレータが収められています。
-400のシュミレータ、全盛期には3基が設置され、フル稼働で訓練を行っていたのですが、退役機種の悲しさか、
現在は1基のみが稼働しているだけです。

左B747-400、右B787シミュレータ。

今回のシミュレータ訓練のメニューは、
★ 離陸中のエンジン故障による離陸中止。
★ 同じく離陸中のエンジン故障による離陸継続。V1以降は離陸を継続します。
★ エンジン1発不作動のまま羽田へ引き返し、ILSアプローチを行うも、滑走路が視認できず進入復行。
★ 再度ILS進入を行って、なんとか着陸。
★ 性懲りもなく再度離陸して、VOR Rwy 34Lから16Rへのサークリング・アプローチ。

実際にはこんなアプローチを行う事はないのですが、あくまでも訓練と言う事で、上の図のようなコースで
アプローチを行います。
VOR Rwy 34Lの進入コースは木更津VORと羽田VORを結んでおりますので、滑走路に対しては
ややオフセットしたコースとなります。

上図A地点。34Lのアプローチ・ライト、PAPIが見えてきました。ここから右旋回をして、
ダウン・ウインド・レグへと向かいます。高度は730フィート。

B地点から左真横を見た所です。滑走路16Rの末端が真横に来た時、タイム・チェックを行い、
約25秒飛んだ所から滑走路へ向け左旋回を開始します。

C地点。左旋回を続けながら、飛行機を滑走路へと正対させます。

何とか無事に着陸する事ができました。
しかし、これで終わったと思ったら大間違い!再び離陸して34LへのILSアプローチを行うのですが、
ショート・ファイナルでもの凄い乱気流に遭遇するシナリオになっているのです。疲れる〜

そして最後を締めくくるのがエンジン2発不作動。訓練では最悪の事態を想定しますので、片側2発が
止まってしまうのです。片方1発ずつが不作動になるのであれば楽なのですが。

FD

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ