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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第5回 最後のテイクオフ

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関西国際空港タワー管制

 年間離発着回数が15万回近い日本の玄関、関西国際空港の夜はラッシュ時間を迎え、離着陸機で混雑していた。しかし、関西空港のランウェイは一本しかない。離陸と着陸は同じ滑走路で行われる。その滑走路へ離着陸する航空機をタワー管制の女性管制官がひとりでコントロールしている。

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★「最後の飛行」挿入09

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ジャパンエアー792 イクスペクト ランディング クリアランス オン ショートファイナル。ウィ ハブ ディパーチャー MD-80
(日本航空702便へ。ショートファイナルで着陸許可をする予定です。滑走路には出発するMD-80機がいます)
ジャパンエア702 カンサイタワー イクスペクト ランディング クリアランス オン ショートファイナル
 管制官が再び、香港から18時55分に着陸予定の日本航空機にクリアランスの交信をした。進入機にたいして一本しかない滑走路の使用状況を送り、その確認も管制官にとっては必要なのであった。
ラジャー 702」と答える日本航空の交信を聞きながら、三宅機長は滑走路上空を見上げた。暮れゆく空の中で旋回しながら進入する航空機の着陸灯が弧を描いて見える。そんな夜の空港の風景は過去、何度も見慣れたパイロットの風景のひとつであった。が、今夜は少し違っていた。パイロットの見る風景というより、ひとりの人間としての感傷的な、視線で色彩感に満ちた空港の風景をしみじみと見ている自分に気が付いて思わず、機長は苦笑していた。
エアシステム525 タキシー イン トゥ ポジション アンド ホールド ランウェイ24」(日本エアシステム525便へ。滑走路24の離陸位置へタキシングして待機して下さい)
ジャパンエア702 ターニングベース」(日本航空702便です。現在ターニングベースです)
 最終着陸体制の日本航空機が管制官に現在位置を知らせた。
 ハーレクイン機も滑走路24に向かっている。
 ハーレクイン機の後には日本航空のハワイ行き臨時便1092便が並び、前方には日本エアシステム525便が滑走路上に、上空から日本航空702便が最終の進入体制に入り、沖縄発の関西空港行き全日空496便が今、滑走路24に着陸した。
 管制官は到着したばかりの全日空ボーイング767に着陸後の指示をする。
オールニッポン496 ターン ライト ロメオ4 コンタクト グランド121.6」(全日空496便へ。滑走路から右へ曲がり、誘導路のR4に進んで下さい。以後はグランドコントロール121.6に交信して下さい)
  ハーレクイン機も滑走路に近づいた。ダウニング副操縦士役がマイクを取って管制官を呼んだ。
カンサイタワー。ハーレクイン8673 イズ レディ フォー ディパチャー
(関西空港タワー管制へ。こちらハーレクイン8673便です。離陸用意完了しています)「ハーレクイン8673。カンサイタワー ホールド ショート オブ ランウェイ
(ハーレクイン8673便へ。関西タワーです。滑走路末端で待機して下さい)
 そして管制官は福岡に向かう日本エアシステムMD-80機に離陸の許可を出した。
エアシステム525。ウィンド 330 アット 16 クリアー フォー テイクオフ ランウェイ24
(日本エアシステム525便へ滑走路24から離陸を許可します。風(滑走路上の)は330度から16ノットです)
エアシステム525。クリア フォー テイクオフ
(日本エアシステム525便、離陸します)
 続いて管制官は最終進入をしている香港からの日本航空702便に着陸の許可を与えた。
ジャパンエア702 クリア トゥ ランド ランウェイ24 ウィンド 320 アット 13」(日本航空702便へ。滑走路24への着陸を許可します。現在、風は(滑走路上の)320度から13ノットです)
 滑走路24の上に離着陸する飛行機が管制官の手によってあざやかにコントロールされてゆく。次に管制官は轟音を残して大阪湾の夜空に向かって離陸した日本エアシステム525便へ移管の指示をする。
エアシステム525。コンタクト カンサイディパーチャー119.2
(日本エアシステム525便へ。以後は関西ディパーチャー管制119.2メガヘルツへ連絡して下さい)
 MD-80が飛び去った滑走路24にすぐ、日本航空702便香港発のDC-10が着陸してきた。ハーレクイン機のすぐ前を通過して着陸する日本航空702便を見ながら、
「DC-10だな」と三宅機長が呟いた。
 日本航空のDC-10は、ー40タイプでハーレクイン機とは少しタイプが違うが、ハーレクインのDC-10が日本の空を去ったあとは、DC-10は日本航空の使用機のみになってしまう。三宅機長としてみれば感慨深いものがあったのだろう。
ハーレクイン8673。タクシー イン トゥ ポジション アンド ホールド ランウェイ24」(ハーレクイン8673便へ。滑走路24の末端に入って下さい)
 管制官がハーレクイン機を滑走路に入る許可を与えた。
 いよいよ三宅機長の現役最後の離陸が始まる。

ハーレクイン8673便の出発方式(SID)と離陸データ

 前にも簡単に触れたがハーレクイン8673便が離陸するにあたっての、出発方式(SID)と離陸データをここて詳しく確認しておこう。

1 出発方式(SID、スタンダード インストゥルメント ディパーチャー)

 大阪湾に浮かぶ海上空港である関西空港は滑走路は一本しかない。今日の離陸は使用滑走路は24である。すなはち南南西へ機首を240度に向けて離陸する。
 離陸すると飛行機はトモ第二出発方式(TOMO TWO DEP)を指定されている。トモ第二出発方式で滑走路24を使用する場合は、次のような飛行コースとなる。

TOMO TWO DEP
 PWY24・・CLIMB VIA KNE Rー243 TO 13・5DME。
        TURN LEFT TO TME。
        CROSS TME AT OR ABOVE 4000ft。
 これは関西空港の滑走路24を離陸し、右旋回(といってもほぼストレート)してラジアル243度で13・5マイル飛び、TME(トモDME/VOR)に至る。トモVOR/DMEとは和歌山と淡路島の間にある紀淡海峡の友ケ島にあるVOR/DMEである。 但し高度制限(離陸騒音規制の為)があって、CROSS TME。すなはちトモDME/VORの上を通過するときは、AT OR ABOVE 4000ft。4000フィート、もしくはそれ以上の高度を取らなければならない。
 だが、例えばニューヨークやサンフランシスコ、ヨーロッパなどへダイレクトに飛行するB-747やDC-10などの長距離飛行の場合は、離陸重量が重いときや風の状態によっては離陸して13・5マイルの距離では4000フィートの高度がとれないこともある。その場合は、迂回して距離をかせぎTMEへ飛行する、キタン ワン デパーチャー(KITAN ONE DEP)というSIDも定められている。

(KITAN ONE DEP)
RWY24…TURN LIGHT CLIMB VIA KNE R-263
     TO KITAN、TURN LEFT AND PROCEED
     VIA TME R-354 TO TME
     CLOSS TME AT OR ABOVE 4000ft

 キタン ワン デパーチャーは滑走路24を離陸して右旋回し、ラジアル263度でキタンポイント(大阪湾上のポイント)まで迂回して飛び、高度をあげながら左旋回してラジアル354度(機首方向174度)でトモVOR/DME(TME)を高度4000フィート以上で通過する。

 今日のハーレクイン機のフライトはトモVOR/DMEから先は、串本を経由して(クシモト・トランジション)で太平洋へ飛行するSIDである。

(KUSHIMOTO TRANSISON)
     AFTER TME、PROCEED VIA TME R-174 TO GBE、
     THEN VIA GVE R-136 TO KEC、
     CLOSS GVE AT OR ABOVE 6000ft

 トモVOR/DME(TME)を過ぎると機首方向174度で紀伊半島の御坊にあるVOR/DME(GVE)まで23マイルを飛び、高度6000フィートで御坊を通過。左旋回して44マイル先の紀伊半島の南端、串本にあるVOR/DME(KEC)まで機首方向136度で飛行し、串本から太平洋に出るコースを飛ぶ。
 以上、トモ2ディパーチャー クシモトトランジションが今日のハーレクイン8673便の飛行コースなのである。

▼ハーレクイン8673便の飛行ルート
ハーレクイン8673便の飛行ルート

▼チャート図
チャート図

2 離陸データ

 ハーレクイン8673便の離陸に関するデータ、テイクオフ・データは次の通りである。

テイクオフデータ

T.O.WT……………離陸時の総重量(テイクオフ・ウエイト)は462000ポンド。
T.O.MAX…………109.7% マックステイクオフパワーは109.7%
T.O.FLX……………Ⅲ101.8% 性能上、可能であればフレキシブルパワーを使う。
        今日はフレキシブルパワー(FLX)の選択がⅢということ。
CLM CL…………99.1%  クライムパワーは99.1パーセントの出力。
FLAP………………15度 離陸時のフラップ角度
STAB………………4.6 離陸時のスタビライザーの位置
SAFTY PICH…14度 安全上昇角度
V1…………………146ノット(時速)離陸決心スピード
VR…………………154ノット(時速)ローテーションスピード
V2…………………163ノット(時速)離陸安全スピード。
        離陸して35フィート上昇した時のスピード
FLAP RET………178ノット(時速)フラップを収納したフラップゼロスピード
SLAT RET………224ノット(時速)スラットゼロのスピード
0/RET MAN………258ノット(時速)フラップを上げ、
        スラットをリトラクトした最小速度。

ハーレクイン8673便は滑走路24へ

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★「最後の飛行」挿入10

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 ハーレクイン8673便はランウェイライトが星空のように輝く滑走路24に入った。
ビフォーテイクオフ チェック」離陸前の最終点検を三宅機長が指示する。
OK」とネイヤー航空機関士がチェックリストの項目を素早く読み上げた。

▼DC-10チェックリスト

DC-10チェックリスト

 夜の滑走路に着陸したばかりの日本航空DC-10のテールライトが見える。その飛行機へ管制官が呼び掛けている。
「ジャパンエア702 ターンライト トゥ ロミオ6 アンド コンタクト カンサイグランド 121.6 グッディ」
(日本航空702便へ。左にまがって誘導路R6へ向かって下さい。以後の交信は関西グランド管制121.6へ)
 コックピットから空を見ると、僅か濃い青が残っていた空も今は闇色に染まり、その闇の中に黄色と赤のランウェイライトが数千メートルに渡り帯びのように連なっている。一瞬の静寂。
 三宅機長は高まる緊張感の中で、DC-10で最後の離陸となるであろう夜の滑走路を注視した。

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★「最後の飛行」挿入11

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ハーレクイン8673。ウィンド 330 アット 14 クリア フォー テイクオフ ランウェイ24
(ハーレクイン8673便へ。風は330度から14ノット。滑走路24から離陸を許可します)
 管制官の声が闇に浮かぶ管制塔からコックピットに届く。
クリアー フォー テイクオフ ランウェイ24 ハーレクイン8673
(ハーレクイン8673便です。滑走路24から離陸します)
 ダウニングも多分、日本で最後になるであろう離陸クリアランスの復誦の交信をマイクに乗せる。ネイヤーも最後の点検を力強くコールして気持を集中させた。
オーケー。テイクオフ」三宅機長がスロットルを45%N1まで進めて、
45」とエンジンが安定しているのを確かめるとブレーキを外す。そしてスロットルをテイクオフの位置まで押し上げる。
 DC-10の三つのエンジンが力強く轟音をあげ、機体がランウェイをすべるように加速し始めた。
 滑走路のライトが流れる赤い線となって足下に消えて行く。
 エアースピード計の指針が上がる。
 ノーズが切る風の音。
 高まるエンジン音。身体に加わる加重。
 ダウニングの声が響いた。「80ノット クランプ!
チェック」と機長。ラダーペダルを踏んでセンターラインを維持する。
V1
VR」ダウニングがエアースピードを読み上げる。154ノット通過。
 三宅機長は操縦桿を引いた。機体が風を捕まえて浮き上がると路面を拾うタイヤのノイズが消えて風の音が強まる。
V2」163ノット通過。
ギヤ アップ!」機長の凛とした声が響いた。ダウニングがギヤレバーをあげるとゴロゴロとくぐもった音がして車輪が機体に収納される。空気の抵抗が少なくなったDC-10は速度を増した。眼下は暗い夜の大阪湾が広がっている。
プッシュ IAS」機長はFGSのインジケータースピードをセットした。DC-10は闇の中を紀淡海峡に向かって上昇を続ける。
ハーレクイン8673。コンタクト カンサイディパーチャー119.2。グッデイ
(ハーレクイン8673へ。以後、交信は関西ディパーチャー・コントロール119.2メガヘルツへコンタクトして下さい。さようなら)
 女性管制官が最後の交信をした。
 離陸すると管制エリアがタワーコントロールからレーダー誘導をする関西ディパーチャーコントロールに引き継がれる。
ハーレクイン8673。ディパーチャー119.2。グッディ
(ハーレクイン8673です。ディパーチャー管制周波数119.2。了解。さようなら) 関西空港の管制レーダー室のモニターにレーダー認識番号6013のハーレクインDC-10が紀淡海峡へ向かう機影が映っているのだろう。
クライムパワー(上昇出力)」と三宅機長が指示をする。最後のDC-10は夜の大阪湾を力強く上昇していった。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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第二次世界大戦特集「敵機爆音集」のサウンド_第1回

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 今日は日本の航空史には欠かせない第二次大戦の航空機をご紹介致します。
 昭和17年に東京が初めて空襲を受けたとき、千葉の陸軍防空学校が監修して、「敵機爆音集」というSPレコードを製作し、日本蓄音機株式会社(ニッチク、現在のコロムビア・エンタテイメント)より発売され、当時の国民学校の音楽の時間に子供達に聴かせ、飛行機の爆音を聴いただけで敵機か味方機かを識別させるための音感教育として実施されたことがありました。1995年朝日新聞の「戦争と庶民」1943年「音楽公論」という雑誌などで取り上げられていますが、現在、その現物はなく、幻の航空レコードとして歴史的価値があり珍重がられています(コロンビア・エンタテイメント社が「音声資料による実録、大東亜戦争録音史という全集を発売してその中にこの「敵機爆音集」の一部が収録されていたというが、現在は廃盤となり入手できない)。
「敵機爆音集」を日本軍が製作した意図はいろんな説があります。ここではその探索は省略しますが、くわしくは下記のブログなどで紹介されているので、ぜひ参考にしてください。

「東京フロイデ合唱団の広場」
「ギャラリー imozuru」

 この貴重な音を僕が入手したいきさつを簡単にご説明いたしますと、かってビクターレコードに有能な女性ディレクターがいて、その人と仕事をしているとき、偶然「敵機爆音集」のレコードの話題になり、実は、彼女のお父さんが戦前、日本蓄音機株式会社で音楽製作にたずさわられていたことがあり、「敵機爆音集」の録音に関与されていたらしい、というのです。それで実物のレコードを見せて貰い、6ミリテープにコピーさせて頂き僕のコレクションの中に入れておきましたが、その6ミリテープを今回の配信のためにデジタルにおこしご紹介しようというわけです。

「敵機爆音集」の内容は、当時の日本軍が南方戦線で捕獲した敵機を高度1000メートル、3000メートル、5000メートル、10000メートル、で飛行させ、同時に同じ条件で、当時の日本軍の爆撃機、呑竜と鍾馗を飛行させそれらの爆音の違いを識別するためのトレーニング・サウンドであります。戦争の音ですから聴いて楽しいものではありませんが、日本の航空史の貴重な音としてご一聴下さい。


ロッキード・ハドソン哨戒爆撃機

ロッキード・ハドソン哨戒爆撃機

ロッキード・ハドソン哨戒爆撃機の解説

★「敵機爆音集」挿入:01_lockheed_outline.mp3

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ロッキードハドソン哨戒爆撃機

★「敵機爆音集」挿入:02_lockheed_bomber.mp3

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アメリカの哨戒爆撃機で双発、主として英国空軍が使用したが、アメリカ軍も沿岸哨戒爆撃機として使用、主に東南アジアノ戦線で日本軍と遭遇した。


ボーイングB17D

ボーイングB17D
★「敵機爆音集」挿入:03_boeing_b17d.mp3

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アメリカ・ボーイング社の4発エンジンを持つ重爆撃機フライング・フォートレス。空飛ぶ要塞としてボーイングB29が開発されるまでアメリカの主力爆撃機であった。


バッファロー(ブリュスター)戦闘機

バッファロー戦闘機
★「敵機爆音集」挿入:04_buffalo_blister.mp3

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アメリカ海軍の艦上戦闘機の輸出用でバッファロー・ブリュースターと呼ばれる戦闘機で英国空軍ヤオーストラリア軍、インド陸軍などの主力戦闘機として活躍、東南アジアで日本のゼロ戦などと対戦した。


カーチスP40

カーチスP40
★「敵機爆音集」挿入:05_curtis_p40.mp3

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アメリカ陸軍の戦闘機。ウォーホークやキティホークの愛称を持つ。
アメリカ以外でもイギリス空軍機としても使用された。


呑龍重爆撃機(どんりゅう・じゅうばくげきき)

呑龍重爆撃機
★「敵機爆音集」挿入:06_donryu.mp3

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中島飛行機が製作した日本陸軍100式重爆撃機。主として東南アジアやオーストラリアの戦線で活躍した。
搭載要員8名、双発。


鍾馗戦闘機(しょうき・せんとうき)

鍾馗戦闘機
★「敵機爆音集」挿入:07_shouki.mp3

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日本陸軍の有力戦闘機で、正式には二式単座戦闘機ニ型甲「鍾馗」キ44という。
最大速度が605キロもあり、隼戦闘機と共に敵に怖れられた軍用機であった。


次回の第二次大戦機特集では、ゼロ戦、疾風、ボーイングB29 などの貴重な実音をご紹介したいと思います。
ご期待下さい。

武田一男

【航空100年】第二次世界大戦特集「敵機爆音集」のサウンド
解説 :武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第4回 滑走路24ヘタキシング開始

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★「最後の飛行」挿入07

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 地上整備員がトーイング車両とタイヤ止めを機体から外し、DC-10が自力で地上走行をするために誘導路から障害物を取り除くのを待つ間、三宅機長は夜の空港を眺めた。
 周囲は風が強くなり、夜の濃い蒼色の戸張が急速に広がっている。その薄闇の中に空港の色とりどりのライトが輝く。
 今日まで取り立てて意識することもなかった美しい夜のエアポート風景が目に沁る。
アフター スタート チエック」(エンジン始動後のチェックを始めます)
 三宅機長はクルーと共にエンジン始動後の計器点検に移った。

▼アフタースタートチェックリスト図
アフタースタートチェックリスト

 点検が終わると、地上整備員から地上の準備が完了した報告がインターホンを通じてコックピットに告げられる。
「コックピット。グランド。 バイパス ピン リムーブド」
「リムーブド チョーク ディスコネクト インターホン」と機長はタイヤ止めと飛行機につながれていたインターホンのコネクターを取る指示をして、
「ご苦労さまでした」と地上整備員の労をねぎらった。そして地上走行(タクシー)の許可をもらうべく副操縦士に指示をする。
 スピーカーからはグランド・コントロールの管制官が他の飛行機にタクシーを許可する交信が流れている。
「カンサイ・グランド アンクエア792 ロミオ3 リクエスト タクシー トゥ スポット21」
(関西グランド・コントロールへ。アンクエア792便です。R3からスポット21番に向かって地上走行の許可を願います)
「アンクエア792。タクシー ヴィア リマ タンゴ3 スポット21」
(アンクエア792便へ。L、T3の標識を経由してスポット21に向かってください)
 大分から到着したエアーニッポン(コールサインはアンクエア)のボーイング737に管制官がスポットヘの誘導をする交信。続いて管制官は福岡へ向かう日本エアシステム525便MDー80にタクシーの許可をする。
「エアシステム525。タクシー トゥ ランウエイ24 ヴィア タンゴ2 リマ ロメオ ワン パパ」
(日本エアシステム525便へ。滑走路24へT2、L、R1、P経由で地上走行してください)
 そして交信の合間をぬってダウニングが関西グランド・コントロールを呼んだ。
「カンサイグランド。ハーレクイン8673。レディ トゥ タクシー」
(関西グランド・コントロールへ。こちらハーレクイン8673です。タクシーの用意が完了しました)
「ハーレクイン8673。タクシー ランウエイ24 ヴィア ウイスキー アルファ」
(ハーレクイン8673便へ。滑走路24へW、A経由で地上走行をしてください)
 地上走行(タクシー)の許可が出た。関西空港のエアポートチャートを見て頂きたい。
 現在、ハーレクイン8673便はノースウィング・ターミナルにあるスポット1の誘導路にいる。これから右回りにタキシングして、W地点、A地点を通って滑走路24に向かうのである。

▼関西空港エアポートチャート
関西空港エアポートチャート

 ダウイング副操縦士が復誦して窓から外を見て、右側(副操縦士側)に障害物がないことを確認してコールした。
「ライトサイドクリアー」
 機長も左側(機長サイド)を確認してパーキングブレーキを外し、滑走路に向けて地上走行を開始した。エンジンパワーが上がりハーレクインDC-10はゆっくりと自力走行に移った。
 地上の整備が一列に並んで遠ざかる飛行機に手を振っている。三宅機長もそれに応えた。
「整備には、めったに、パイロットのラストフライトが知らされることはないのですが、あの日は三宅機長がそうであることは知っていました。だから、心を込めて手を振ったのです。それと僕が好きな飛行機のひとつであるDC-10もあれが最後のフライトでしたから…」(日本エアシステム関西空港の橘吉昭整備員)
 後日、そのときの整備員のひとりである橘さんが感想を述べてくれたように、この三宅機長のラストフライトには、ダウニングが、そしてネイヤーが、このフライトを最後に退職することに加えて、もう一つのラストフライトが含まれていた。

最後の DC-10ー30日本でのラストフライト

 それはこのフライトの使用機JAー8551の機番をもつDC-10は、六日後の三月三十一日をもってノースウエスト航空に売却されることが決まっており、このハワイへの飛行がこのDC-10のハーレクインエア最後のフライトなのであった。
 1988年、日本エアシステムは予定されている国際線のためにダグラス社(現ボーイング社)よりDC-10ー30を二機購入している。その後、ハーレクインエア設立時にリースしてその一機は日本エアシステム塗装のまま残し、もう一機をハーレクインエアのオリジナル塗装に塗り替え現在に至っている。
 このDC-10について興味ある話がある。

▼エアシステムDC-10
エアシステムDC-10

 そもそもこの二機のDC-10はボーイング社に合併吸収されたダグラス社がアメリカ空軍の発注で製造したDC-10ー30タイプの最後の二機であった。ところが納入直前に突然のキャンセルを受け、それを日本エアシステムが購入したという経緯がある。
 二機のDC-10は日本で登録され機番がJA8550とJA8551となった。
 今日、ハワイへ飛ぶDC-10はその二機の内、エアシステム塗装の機番JA8551機である。すなはち、この機体がダグラスの名機として世界の空に羽撃いたDC-10ー30の最後の飛行機なのである。

▼ハーレクインDC-10
エアシステムDC-10

 三宅機長は1988年10月14日にDC-10の飛行ライセンスを取得以来、エアシステムの機長として、そして新会社出向後はハーレクインの機長として購入されたばかりの新しいDC-10を世界中に飛ばして来た。
 そしてやっと飛行機が空に馴染んだ今、彼は空を去り、飛行機も又、別の会社へと売却される運命にある。
 三宅機長も愛機とも呼ぶにふさわしい飛行機との決別は悲しいかぎりであったろう。
「DC-10が終わってしまう。JAS(日本エアシステム)に(DC-10が)入って来て国際線の花形として飛んでいたのが、このハワイへのフライトが最後で、三発の飛行機を使って太平洋を渡る国際線が出来なくなるのが淋しいですね。」と三宅機長は自分のラストフライトとともにダグラス社が製造した最後のDC-10が日本の空から去っていく寂しさをかみしめるのであった。

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★「最後の飛行」挿入08

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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 ハーレクイン機は現在、誘導路を地上走行中でグランドコントロールの管制エリアにいた。関西空港では航空機を離陸させるまでに四つの管制機能がある。
 まず最初はフライトプランの承認をするデリバリー管制。次にランプアウトとエンジン始動と地上走行を担当するグランドコントロール。そして滑走路上で離着陸のクリアランスをするタワーコントロール。最後は離陸した航空機をレーダーで誘導するディパーチャーコントロールの順に変わっていく。
フライトコントロール チェック」(操縦装置の点検)
 三宅機長がタクシー中に地上で行う操縦装置のチェックをダウニングに指示した。
ラダー(方向舵) ライト。ラダー レフト」と機長がコールアウトして機長と副操縦士は、それぞれの側の操縦装置のテストを続ける。そして、
ノー アディション テイクオフ ブリーフィング」と離陸に際して追加する打合せがないことを確認すると運航課からカンパニー無線で連絡が入った。
カンサイ ゴーアヘッド」と機長はカンパニー無線に応答。ネイヤー航空機関士がマイクをとって運航課と交信を始めた。
ファイナルパッセンジャー アダルト 207 & インファント(三歳未満の幼児のこと)イズ フォー ノー コレクション オーバー」(最終乗客は大人が207名。幼児が4名です。変更ありません)
ラジャー ラジャー 207 プラス 4 コックピット ハーレクイン8673
ハブ ア ナイス フライト」と交信は終わった。
 三宅機長はタクシー中の計器点検を指示する。
タクシーチェック」(地上走行時の計器点検)

▼タクシーチェックリスト図
タクシーチェックリスト

 点検中に管制官が日本航空1092便にタクシーの許可を出し、続いてハーレクイン機を呼んだ。
ハーレクイン8673。コンタクト タワー 118.2
(ハーレクイン8673便へ。以後はタワー・コントロール 118.2メガヘルツへ交信して下さい)
 ダウニングが復誦してVHFの周波数をタワーコントロールに合わせる。ハーレクイン8673便は、離着陸をコントロールするタワー管制官に引き継がれた。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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世界の航空史サウンドエッセイ「わが心のキティホーク」第3回

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 世界航空史案内の3回目、木村先生の講義は、大西洋、太平洋など遠い海原を乗り越えて初飛行の偉業を達成したリンドバークやアメリア・イヤハート、バングボーンなど航空史を飾る名パイロット達の足跡を語ります。彼等を語るときの先生は、目をキラキラさせて、まるで親しい教え子達が成しえた偉業を誇らしげに語っている老教師のような、心暖かさを感じます。


リンドバークの想い出

ライアンNYP1長距離機

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★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk31_ryan.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。

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ライアンNYP1長距離機

「パリが見えてくる。・・・バリは大地の隅からせり上がって来る・・星空の下に星が輝く地面の切れ切れ・・パリの灯だ」1927年5月20灯から21日、リンドバークがニューヨークからパリまでの5,809キロメートルを33時間30分かけて、大西洋を単独で初めて横断した、その時のパリを見たときの感想です。このときの飛行機がライアンNYP1長距離機。ところでその翌年の1928年に毎日新聞社が同型のライアンNYP1を購入し日本で飛行させたことはあまり知られていません。


女性飛行家アメリア・イヤハート/p>

フォッカーF7b3Mフレンドシップとロッキード・ベガ

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★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk32_amelia.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。

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ロッキード・ベガ

 2007年、女優の天海祐希さんが宮本亜門さんの演出で「テイクフライト」という航空史をテーマにした舞台劇がありました。その主人公が女性飛行家アメリア・イヤハートでした。ご覧になった方も多いと思います。木村先生は女性飛行家アメリアのことをことのほか愛情をもって語っています。彼女が女性初の大西洋横断飛行をしたロッキード・ベガはリンドバークの大西洋横断飛行の5ヶ月後に完成した高翼単葉機でロッキードの依頼で当時アメリカ航空技術の第一人者だったノース・ロップの設計によるものです。アメリア・イヤハートは1937年に南太平洋をロッキード・エレクトラ機で飛行中消息を断ちますが、そのアメリアの操縦するエレクトラが現在のロスアンジェルス空港に突然舞い降りることで始まる面白い航空小説「ゴースト・フライト」(ウイリアム・カッツ著 鴻巣友季子訳 東京創元社)もあります。折あればご一読ください。
女性飛行家アメリア・イヤハート


世界最初の北太平洋無着陸飛行/p>

ベランカ・スカイロケット・パングボーン機

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★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk33_bellanca.mp3
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ミスビードル

 1931年10月4日、アメリカ人バングボーンとハーンドンのふたりは青森県淋代海岸を離陸、北太平洋大圏コースで約7910キロ飛び、飛行時間41時間12分でアメリカのウエナッチに胴体着陸し太平洋無着陸の記録が達成されました。日本でも北太平洋横断飛行は当時、いろいろな試みがあり、そのひとつに1927年(昭和2年)10月に帝国飛行協会(現財団法人日本航空協会)が発表した太平洋横断飛行計画がありました。コースは北海道から樺太、アリューシャン列島の島沿いに途中、給油しながらアメリカまで飛行する北コースで、機体は川西航空機製作所が製造した川西Kー12型単発複葉水上機でした。だが、訓練中に墜落、パイロットが死亡しこの飛行機による太平洋横断を断念しています。太平洋横断に熱心だった帝国飛行協会は、昭和6年(1931年)に、「北緯45度以内の日本から北緯50度以南のアメリカまで昭和8年8月までに飛行に成功した者に、賞金20万円を贈る」と発表し、朝日新聞社も協賛して話題をびました。
 バングボーンとハーンドンのふたりは帝国飛行協会と朝日新聞社から賞金が渡されたことは言うまでもありません。唯、この離陸が10月だったことを考えれば、その数ヶ月前に北太平洋横断飛行を予定し、その準備が整わず延期していた報知新聞社の「第三報知日米号」が、もし予定通りに離陸していれば、無着陸ではないにしろ太平洋横断の栄誉は日本人の手で達成されたかもしれなかったのです。残念ですね。

「世界の航空史・わが心のキティホーク」の最終回は小型複葉機の勇、デハビランドDH60モスや北極を超えて世界初のポーラフライトに成功したロシアのANTツボレフ25機などが登場します。ご期待下さい。

武田一男

世界の航空史サウンドエッセイ「わが心のキティホーク」
著作・録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「わが心のキティホーク」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第3回 ハーレクイン機の出発

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ランプアウト

 管制承認を受領するとコックピットの雰囲気はがらりと変った。
 緊張感が生まれてクルーの無駄口がなくなる。彼らが体内に持っているパイロットとしてのアドレナリンが表面に現われて操縦室に充満するからだろうか。
「オーケー。オール ドア クローズド」とネイヤーが飛行機のすべてのドアが閉じられていることを確認すると、
リクエスト プッシュ バック」(プッシュバックの許可を管制官へリクエストしてください)と三宅機長はすぐプッシュバックの許可をえる交信をダウニングに命じた。
 プッシュバックとは、乗客の搭乗が終わり、出発に際してすべての用意が完了しているエンジン始動前の飛行機を、機首に接続した車両(トーイング・カー)で搭乗口から地上走行が始まるタクシーウエイに押出すことで、このときが飛行機の「出発時刻」となる。
 ダウニングがマイクのスイッチをオンにして関西空港の地上での航空機を管理するグランド・コントロール(関西地上管制)にプッシュバックの許可を得る交信を開始した。

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★「最後の飛行」挿入04

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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カンサイ グランド。ハーレクイン8673 イズ レディ フォア プッシュバック、エンジンスタート フロム スポットナンバー ワン
(関西グランドコントロールへ。こちらハーレクイン8673便です。プッシュバックとエンジン始動の準備完了。現在、スポット1にいます)
ハーレクイン8673。プッシュバック アプルーブ ランウエイ24
(ハーレクイン8673便へ。プッシュバックを許可します。使用滑走路は24です)
 その交信を確認して、三宅機長はインターホンで自社の地上整備員を呼んだ。飛行機の真下に待機している整備員とコックピットは有線のインターホンで結ばれている。
グランド。コックピット。クリアー プッシュバック ランウエイ24
(コックピットから地上整備へ。滑走路24へプッシュバックの許可が出ました)
コックピット。グランド。リリース パーキングブレーキ」(了解。パーキングブレーキをはずして下さい)と地上整備がコックピットに呼び掛けパーキングブレーキが外された。
「リリース パーキングブレーキ OK 30」と機長が時間を確認する。午後六時三十分。いよいよ出発(ランプアウト)である。
 スピーカーからサンフランシスコへ向かうユナイテッド航空のB747ー400が一足先にタクシーに移る様子が聞こえている
ユナイテッド810 タクシー タンゴ・ワン パパ・スリー
(ユナイテッド810便へ。T1(タンゴ・ワン)、P3(パパ・スリー)を通って地上走行してください)

ハーレクイン最後の国際線フライト

 コックピットに宮島チーフパーサーが入ってきて、三宅機長にボーディングが完了した客室の最終報告をする。今日の乗客はプレミアムクラスが36名と幼児1名。エコノミークラスが170名と幼児3名で合計210名である。
 地上では機首に接続されたトーイング・カーがDC-10の大きな機体を押して、ハーレクイン8673便はゆっくりとスポットを離れた。
 今まで飛行機と搭乗口をつないでいたブリッジが収容され、その向こうに空港ビルの明かりが影になって遠退いてゆく。
「09・30ですね(標準時間の9時30分の意味。日本時間で午後六時三十分)」とメイヤーが時計を見て出発時刻を再確認した。
 その声も耳に入らぬ様子で、三宅機長はゲートと夜の空港ビルに視線を投げていた。
 もう、二度とハーレクインのDC-10でこの空港を出発することもないだろうという想いが彼の胸に満ちる。一瞬、三宅機長の横顔に深い淋しみが過った。
 もし三宅機長が日本エアシステムで定年を迎えていたとしたら、ラストフライトはもっと別の、個人的な感傷であったのかもしれない。しかし今の彼の胸中には個人としてのパイロットの感傷よりも、ハーレクインエアの運航責任者としての感慨が先にたっていた。
 日本エアシステムの国際線業務は1985年に始まった。だが順調に伸びていた業績も不況の波でブレーキがかかり、ハワイ、シンガポール定期便運航の休止を余儀なくされてしまう。以来、日本エアシステムは中国や韓国の定期路線以外の国際線展開をチャーター便運航に切り替えて、1997年1月。チャーターフライトを軸にしたハーレクインエアーを設立した。

 三宅機長は新会社に運航責任者(取締役)として入社し常に先陣を切った。
 チャーター便専用のエアラインとして世界の空を飛ぶ苦労は並大抵ではない。不定期な国際チャーターフライトは、定期便では考えられない数々の諸問題に遭遇する。
 とくにハーレクインエアの場合、ヨーロッパやオーストラリア、カナダなど日本エアシステムの国際線が路線を持っていなかった場所へのフライトには、飛行計画を作成するデーターなども路線を持つ他社から借りなければならない状態であった。
 しかも国際線の場合は飛行データー以外にも例えば、外国の上空を通過するだけでも事前に許可が必要になるし、前もって通過料金も支払わなければならない。
(一説では、日本からヨーロッパへシベリア上空を通過する場合のロシアへ支払う上空通過料金は、定期便週一便で一年間52週で約100万USドルといわれるほど高価である) それらの外国との折衝も骨の折れる仕事であった。かってKLMオランダ航空のチャーター便がシベリア上空にさしかかったとき、ロシア上空通過の認可が不備だったために、乗客を乗せたまま成田空港へ引き返した例もあるという。

 ハーレクインエアも1998年6月にワールドカップフランス大会へ乗客を運ぶために、初めてシベリア経由でヨーロッパにチャーター便を飛行させたとき、フインランド上空に差しかかると、突然、フィンランドから上空通過を拒否されたことがあった。
 飛行認可の確認が取れるまで、やむなくロシアのサンクトペテルブルク上空で待機させられて許可確認を待つという定期便路線を持つ航空会社では考えられないことも起きた。
 三宅機長にとって今日のフライトは、愛情を注ぎ、手塩にかけて創りあげたハーレクインエア国際線運航業務への悲しい別れであると共に、充分に育てた確信があっても未来に向かって旅立つ我が子を手放す親の不安と惜念にも似た気持もあり、それらが複雑に重なり合った心境だったろう。
「09・30ですね」出発時間の確認を繰り返すネイヤー航空機関士の声に、三宅機長はふと我れに帰った。
「え!?・・ああ・・」そして感傷的になっている自分に苦笑しながら、
「OK。アロハ!」と明い表情に戻り、クルーにエンジン始動前の計器点検(ビフォア スタート チェックリスト)を命じるのだった。
 関西グランド・コントロールから、全航空機へ空港の気圧が30・01メガヘルツに変わったことが知らされる。すぐ高度計の気圧目盛を30・01に合わせて三宅機長がコールした。

エンジン始動

ビフォアー スタート チェックリスト」(エンジン始動前の計器点検を始めます)
 点検が始まると機体についている赤いビーコンライト(衝突防止燈)が点滅を始めた。

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★「最後の飛行」挿入05

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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★「最後の飛行」挿入06

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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ビフォースタートチェックリスト
 エンジン始動前の計器点検が終わる頃、トーイング・カーに押されて飛行機は誘導路入り口に近づいていた。
 次はいよいよエンジン始動である。機長は地上整備にエンジン始動をインターホンで告げた。
グランド。コックピット。エンジンスタート 3、2、1
(地上整備へ。こちらコックピットです。エンジンを始動します。NO.3、NO.2、NO.1エンジンの順でまわします)
 DC-10は主翼に二つ、尾翼に一つのエンジンを持つ三発機である。機首正面から見て右がNO.3、左がNO.1、尾翼についたエンジンをNO.2と呼ぶ。
 三宅機長は凛とした声で第三エンジンのスタートを指示した。
NO.3 スタート」機長がスタータースイッチを入れる。
バルブ オープン」スターターバルブが開いて補助エンジン(APU)で圧縮された高圧空気が流入してエンジンローター(回転軸)が低い唸りを発して回り始める。ダウニングが確認してコールアウトする。
 スピーカーからユナイテッド810便へ管制官が離陸順位が三番目で、日本エアシステムMD-90の後を滑走路に向かうように指示する交信が流れている。
N2」エンジンのN2ローター(回転軸)比率ゲージの上昇を確認して機長がコールした。
フュエル オン・・・。フュエルフロー(燃料流入)」
 続いて機長は燃料レバーをONにしてエンジンに燃料を注入するとエンジンが轟音を立てて回り始めた。
ライド アップ 660」始動と共にエンジン排気ガス温度(EGT)が上がり、燃料流入量が660lb/hを指示していることを確認して機長とダウニングが報告する。
N1」N1ローター(回転軸)が上昇して機長がコールする。そしてN2の比率がエンジンのローター最大回転数の45%に達して再び機長がコールした。
45(%)
バルブ クローズド」ダウニングがスターターバルブを閉じた。
 クルーは計器を確認しながら、次々にエンジンを始動させる。
 力強いエンジン音が響き、飛行機全体に生命が宿ったように躍動感がみなぎった。
 スピーカーからはグランド・コントロールが地上走行を始めたユナイテッド航空810便に、続いてエアシステム525便へプッシュバックの指示。そして再びユナイテッド810便にディパーチャーコントロール(出発管制)118.2へ周波数を変える移管交信が聞こえている。
 ハーレクイン機は三つのエンジン始動を完了させるとトーイング・カーに押されたままで誘導路入り口についた。
グランド。コックピット。エンジンスタート コンプリーテッド」(地上整備へ。エンジン始動は完了しました)
ラジャー スタンバイ・・。コックピット。グランド。セット パーキングブレーキ
 三宅機長が地上整備にエンジン始動が完了したことを伝え、整備員の要請で再びパーキング・ブレーキをセットし、スタビライザー(水平安定板)を離陸に合わせて4.6の位置にする指示をした。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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【航空100年】DC-3空撮映像とグレンミラー・スウィング・ミュージック

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【航空100年】DC-3特集_第4回
DC-3空撮映像とグレンミラー・スウィング・ミュージック
武田一男

 DC-3の特集はこれまで3回配信しましたが、楽しんで頂いていますか? 特集の最後はアメリカの空撮の名手でパイロットの、クレー・レーシーがダグラス社の依頼で撮影したDC-3の空撮映像です。

 空撮は特殊なカメラを装填した小型ジェット機で撮影するのですが、ダグラス社の広報の話によると、DC-3を空撮するのは大型ジェット旅客機を撮影するより、はるかに難しいそうです。なぜなら、小型ジェット機のスピードをプロペラ機に合わせて遅く飛ぶので、しかも、その状態で飛行機とカメラを同時にパイロットが操って撮影する、それが至難の業ということでした。

 それにしても、50周記念飛行のために新しく塗装されたダコタの姿はほんとに美しい。 それで映像にはP&Wのエンジン音とこれまたDC-3と同じ時代に流行したオールドファッションなグレンミラースタイルのビッグバンドスウイングを入れて編集しました。あわせてお楽しみ下さい。
 曲目は「インザムード」「アメリカンパトロール」「ムーンライト・セレナーデ」の3曲です。



【航空100年】DC-3特集
解説 武田一男 ©Director’s House
【著作について】本ページで公開している映像・音楽の公開権利、また本作品の著作権利は武田一男、及びディレクターズハウスが保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。
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【航空100年】DC-3特集 DC-3が舞台の冒険小説特選集

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 DC-3ダコタは航空冒険小説にしばしば血湧き肉躍る場面に登場します。それらの冒険小説を簡単にご紹介しましょう。
前回同様、ハワイで録音したDC-3の音を聞きながらお楽しみください。

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★「DC-3」挿入:dc3_cockpit.mp3

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ちがった空」ギャビン・ライアル
(松谷健二 訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)
ちがった空

 以前、このブログのブックレビューでもご紹介しましたが、英国冒険作家の第一人者、ギャビン・ライアルのデビュー小説です。僕はこの本に出逢いDC-3ダコタを知りそのファンになってしまいました。だから、この DC-3の特集が書けるのも、まさにギャビン・ライアルの「ちがった空」のおかげです。内容はエーゲ海を舞台にした冒険小説ですが、くわしくは、恐れ入りますが僕のブックレビューをご検索下さい。

 僕はこの本を再読するたびに DC-3のサウンドをイヤホーンで聴きながら読むことにしています。それはまさに忘我の世界ですよ。
 さてDC-3は第一次大戦と第二次大戦の間に開発された飛行機なので世界のいろいろな国で使用され、また、ライセンス生産をされました。ですから、第1回のDC-3特集でご覧になったDC-3の記念映画「a Lady Remembered」で紹介されたように各国で呼び名がちがいます。日本軍は零式輸送機とよび、アメリカではスカイトレイン、そして英国ではダコタです。航空冒険小説の名作のほとんどがイギリス人作家によって書かれた本が多いし、彼等が好んでDC-3を小説の中に登場させたので、DC-3、イクオール、ダコタになったのだと思われます。次に紹介する作品も英国冒険小説です。

鷲は舞い降りた」ジャック・ヒギンズ著
(菊池 光 訳/ハヤカワミステリィ文庫)
鷲は舞い降りた

 英国の作家ジャック・ヒギンズを世界的に知らしめたベストセラーの冒険小説ですね。 内容は第二次大戦ノ最中、ヒットラーの命を受け、ドイツ軍の尖鋭、クルトシュタイナー中佐とアイルランドの愛国者、リーアム・デヴリンが16名の部下と一緒にイギリスヘ落下傘下降しイギリスのチャーチル首相を誘拐する話ですが、全編にロマンの香気溢れる人間の高貴なる精神をうたいあげた冒険小説で、人間として忘れてはいけない気高さ、を思い出させてくれることが、この本の絶えられない魅力となっています。ともかくお奨めです。まだ、お読みでない方は、だまされた、と思って読んでみて下さい。 
 DC-3、活躍しますよ。イギリスに向かうシュタイナー中佐らを運ぶドイツ人パイロットのペイター・ゲーりケ大尉がダコタに逢うシーン。「そーっと手を伸ばして翼に触り、いかにも優しい声で言った。「久しぶりだなあ、おい」。余談になりますが、アメリカの航空小説はどちらかと言えば、事故パニック小説や謀略がからんだ航空もの、それにハイジャックをテーマにしたものが多い。日本の航空小説もその影響を受けていますが、イギリスはちがいますね。主人公が単身、僻地で困難に挑むチャレンジの中で物語が展開する内容が多いですから、まさに血肉躍る航空冒険小説になっています。だから、僻地で難行苦行を強いられる冒険者にはダコタが最も似合うのでしょうね。

クメールからの帰還」ウィルバー・ライト著
(染田屋 茂 訳/角川文庫)
クメールからの帰還

 これもイギリスの冒険小説です。内容がわかりやすいので文庫の裏表紙にある概説をそのまま引用します。「名機ダコタは恐怖から飛び立つ! カンボジアの奥深い谷に旅客機ボーイング707が墜落、炎上する。生存者は4人。元英国空軍パイロットのドナルド・カーターと16才の少年と14才の少女、そして美貌のカンボジア人のキャビンアテンダント 。彼等はモンスーンのジャングルを彷徨い失われたクメール王朝の秘密に遭遇する。だが、四方を切り立つ崖に囲まれたこの谷から帰還するためには米軍が放置していったダコタDC-3を修理して飛ぶ以外にない。秘境に投げ出された人間の恐怖と葛藤、甦る名機ダコタを描く待望の傑作冒険小説」なんといいますか、深さや感銘はないのですが、流れるような活劇はあります。出張のおり、新幹線の中で気楽に楽しむ冒険小説ですね。それにしても、著者の名前、ライト兄弟の兄と同姓同名。きっと著者はペンネームをつけるとき、元空軍のパイロットだったこともありライト兄弟にこだわったのでしょうね。飛行機がたまらなく好きというのがよくわかります。

緑の地に眠れ」ダンカン・カイル著
(田村義進 訳/ハヤカワ文庫)
緑の地に眠れ

 この本と次にご紹介する本「DC-3の積荷」は類似点があり、ともに登場するダコタの飛行シーンはありません。ひとつは密林の中に、もうひとつは砂漠の中に墜落したダコタが核となって物語が展開する構成になっています。さて、「緑の地に眠れ」の著者ダンカン・カイルは英国冒険小説の雄、アリスティァ・マクリーンの後継者といわれる骨太い作風で知られる英国の作家です。余談ですが、アリスティァ・マクリーンの代表作「女王陛下のユーリシーズ号」という海洋小説を最初に読んだとき、僕はその荒れた海の描写に圧倒され、船酔いに似た気分になったことがあります。ダンカン・カイルもマクリーンの後継者、それだけに迫力ある描写でぐいぐいと引っ張ってくれます。軍人あがりの銀行家、トゥニクリフ(ちょっと、異色の主人公です) が、ある女宣教師がもたらした情報、元パイロットだったトゥニクリフの父親がインドネシアのボルネオ島(現、カリマンタン島)で墜落して死亡、そのときダコタに巨額のルビーが積まれていたという情報を聞き、女宣教師とその仲間と共にダコタ機を探しにボルネオの密林深く分け入ります。だが、彼等を待ち受けていたのは想像を超える苦難でした…。この本は新幹線の中ではなく、土曜日の夜、ウイスキーを飲みながら読む本ですね。ダンカン・カイルは「標的の空」という航空冒険小説も書いています。大西洋横断飛行を背景に展開する物語ですが、面白いので機会があればお読み下さい。

DC‐3の積荷(上)」グレイグ・トーマス著
DC‐3の積荷(下)
(田村源二 訳/新調文庫)
DC3の積荷

 この本は航空冒険小説でなく、スパイ小説です。作家、グレイグ・トーマスはケネス・オーブリーという英国情報部の長官が率いる英国秘密情報部の優秀なスパイ、パトリック・ハイドやトニー・ゴドウィンなどが活躍するスパイ・シリーズを書き続けていますが、この「DC-3の積荷」もそのひとつです。内容は亡命した元イギリスの警視庁長官が影で糸を引く大がかりな国際的密輸事件を捜査中の英国秘密情報部はアフリカに墜落したDC-3を発見する。その積荷をもとに物語は波瀾万丈のスリリングな展開をみせる。話が横道にそれますが、「スパイ小説はアメリカ人の発明より、イギリス人の発明である」という論があるように、イギリスには伝統的にスパイ小説が百花爛漫しています。古くはエリック・アンブラーからグレアム・グリーン、レイ・ディトンやジョン・ル・カレ、そして愛すべき007シリーズを書いたイアン・フレミングなどなど…、僕は航空小説を語るよりスパイ小説の話をする方が饒舌になる傾向があり、このブログの編集長竜子さんに「何を書いているのですか?」とお叱りを受けそうなので、今はやめますが、グレイグ・トーマスもその伝統ある英国スパイ小説流れをひいた作家のひとりです。
 しかし彼が世界的に名を知られたのは、スパイ小説ではなくて航空謀略小説といいましょうか、皆様よくご存じの「ファイヤー・フォックス」を発表してからです。クリント・イーストウッド主演で映画にもなりヒットもしましたね。ソビエトの超近代型戦闘機ミグ31を盗み出すという作戦を立てたアメリカとイギリスの諜報部が、アメリカ空軍のパイロット、ミッチェル・ガントを単身、モスクワに送り込みます。その潜入と脱出のドラマはまさにわくわくするような冒険航空小説でした。この「ファイヤー・フォックス」がヒットしてグレイグ・トーマスは続編として「ファイヤー・フォックス ダウン」も書きました。ダコタは登場しませんが、折りをみてこちらもご一読下さい。

 さてさて、お楽しみ頂けましたか?
 DC-3特集最後は、空撮の名カメラマン、アメリカのクレー・レーシーが撮影した美しいダコタの空撮映像を当時の音楽、グレンミラーのビッグバンド・スウィングにのせてお届けしましょう。ご期待下さい。では、また。

武田一男

【航空100年】DC3特集
著作・録音 武田一男 ©Director’s House

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DC-3の記念映画「a Lady Remembered」

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 ダグラスの名機DC-3旅客機は航空ファンにとっては忘れられない旅客機です。1935年に北米大陸横断をわずか1回の給油で飛行可能にした長距離機、 しかもブルマン式の寝台つき旅客機としてアメリカン航空の要請で開発されたダグラス・スリーパー・トランスポートを1936年に旅客用に改良したDC-3 はアメリカン航空、TWAなどの大手航空会社が競って就航させ、当時の旅客機の中心的存在になり、かつ、そのあとに勃発した第二次世界大戦で軍用輸送機と して世界中で使われたことはご承知のことと思います。それでここではDC-3のここでは詳細説明は省きますが、このDC-3をダグラス社自体が、どんなに慈しみ、その想い出を大切にしたかを知る貴重な映像がありますのでそれを今日はご紹介しましょう。

 ダグラス社は1986年、DC-3が誕生して50年目に「a Lady Remembered」という映画をDC-3の50年記念キャンペーンの目玉として制作しました。むろん彼らはこの映画をセールス目的のPR映画として 作ったのではありません。ダグラス社の礎をつくった小さな名機DC-3を心から追憶する意味で制作したのです。映画をご覧になればわかりますが、彼らはお 金をかけてつくっています。なかでも特筆すべきは、彼らは映画の中のわずか数カットの空撮シーンのために当時、現存した古いDC-3を金ぴかに磨き上げ、 新しい塗装をほどこし、空を飛ばし、かつ、その姿を当時、アメリカで空撮の名手とうたわれたクレー・レーシー(映画「トップガン」の撮影カメラマンとして も有名)とその仲間に撮影を依頼したことでも彼らの想いをご理解頂けると思います。

 説明はほどほどにしてDC-3の記念映画「a Lady Remembered」をご覧ください。



 尚、蛇足ですが、この映画の日本公開権利を当時、僕の会社がダグラス社から購入しました。残念ながら、字幕は入っていません。その点、見づらいところも あるかもしれませんがお許し下さい。それから、そのときクレーレーシーが撮影したDC-3の空撮映像の全カットのフッテージも合わせて購入しました。それを僕が編集した映像もありますのでこのブログでDC-3特集の最後の回にオンエアーしたいと思っています。こちらも、ぜひ、ご覧ください。

武田一男

【航空100年】DC-3特集
解説 武田一男 ©Director’s House

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世界の航空史サウンドエッセイ「わが心のキティホーク」第2回

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 世界航空史の2回目の今日は、第一次大戦の複葉機の特集です。木村先生のお話を聴いていると、ナレーションというより、先生の大学の講義みたいな感じがしますね。余談はさておき、最初は先生の想い出深いアブロ504K練習機です。


アブロ504K練習機

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★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk21_avro504k.mp3
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木村秀政先生の解説をお楽しみください。

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アブロ504K練習機

 アブロ社の名前を世界中に広めたイギリスの傑作機で1913年7月に初飛行をしました。第一次大戦初期には偵察爆撃機や夜間戦闘機として使われ、そのあとも1930年代まで世界の軍隊の練習機として活躍、のべ、一万機以上生産されました。複葉機の名機です。


エルファーゲCV1偵察機

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エルファーゲCV1偵察機

 第一次大戦末期に使用されたドイツの偵察爆撃機。軍用機としてより戦後に民間輸送機に改造され1912年2月から開設されたドイツ初の航空路に使われたことで有名になりました。


ブリストルファイター戦闘機

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★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk23_bristol.mp3
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ブリストルファイター戦闘機

 ブリストルファイター戦闘機は強力なロールスロイス・ファルコン200馬力を搭載して1917年の夏に登場したイギリス陸軍の戦闘機で、世界最初の二人乗り、いわゆる複座戦闘機です。戦後も長く使われて英国空軍を退役したのは1932年でした。


ソッピース・キャメル戦闘機

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★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk24_sopwith.mp3
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ソッピース・キャメル戦闘機

 木村先生の著「世界航空史案内(平凡社カラー新書)」のソッピース・キャメル戦闘機の解説をそのまま、引用します。
「第一次大戦が生んだ伝説的名機のひとつ。その空戦性能は”カミソリの切れ味”といわれ、ドイツ戦闘機の恐怖の的となる一方、あまりにも鋭敏な操縦性能は未熟なパイロットには敬遠された。しかし名手の操るキャメルの威力は1917年のデビューから終戦までに1294機という驚異的戦果を記録した」

次回はリンドバークのライアンNYP1長距離機や女性飛行家アメリア・イヤハートのフォッカーF7b3Mフレンドシップとロッキード・ベガなどが登場し、木村先生の「航空史講義」はいよいよ佳境に入ります。ご期待下さい。

武田一男

世界の航空史サウンドエッセイ「わが心のキティホーク」
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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第2回 ハーレクインエアDC-10操縦室

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 ゲート1番に翼を休めるハーレクイン8673便DC-10の操縦室。
 スピーカーから関西空港グランドコントロールの管制交信が聞こえている。その交信のボイスに混じって三宅機長がウエイポイントをコールする声が響いていた。
「はい。ウエイポイント 1 ノース 34・23、0。 (北緯34度23分)、
イースト135・00、3。(東経135度00、3分)。NO2 ノース 34・16、8。(北緯34度160、8分)、イースト135・00、3。(東経135度00、3分)。NO3 ノース 33・54、6。(北緯33度54、6分)……」
 INS(イナーシャー・ナビゲーター・システムの略。自動航行装置)に入力された関西空港を離陸してホノルル空港に着陸するまでの飛行航路の全部で24の通過地点(ウエイポイント)の緯度と経度を確認するルーティング作業は、いつものことながら神経を使う。現在は出発前にコンピューターで目的地までのすべての通過地点データはダウンロードされ、その確認事項は最小になりクルーの負担も減ったが、INSが日本の飛行機に最初に搭載されたときは通過地点データはわずか8つのポイントの入力であった。そしてこのDC-10-30では改良されて24ポイントの入力が可能になっていた。
 飛行機はこのとき入力されたNO1からNO24の通過地点(ウエイポイント)の緯度、経度の数字を辿りながら自動的に飛行するので、仮りに間違った数字を入力すると飛行機はあらぬ方向へ飛ぶことになる。それだけに通過地点の入力にはひとつたりともミスが出来ないのだ。
 三宅機長とダウニング副操縦士は何度も確認しあいながら、延々と数字を確認する作業を続けた。
 出発前の準備にコックピットは多忙である。しかし、今日はその多忙さがいつのまにか脳裏からラストフライトであることの感傷を消して、第二の本能のように身についた仕事の手順が、三宅機長をいつものパイロットの精神状態に戻していた。
 ルーティング作業が終わると、今日の重量、離陸方式、目的地までの飛行距離、高度などのデーターを入力しその間に航空機関士がテイクオフ・データーを算出する。
 三宅機長がパネルから顔を上げて、右席にすわっている副操縦士のダウニングと後の航空機関士席に座っているネイヤーに声をかけた。
「テイクオフ ブリーフィング(離陸の打合せ)を始めようか」
 今日は操縦を三宅機長が、管制官との交信と操縦補佐を副操縦士役のダウニングが担当することになっていた。
 赤毛で長身のアメリカ人、ダウニングは五十八才でDC-10の機長の資格を持っている。一見、神経質とも思える繊細なタイプの彼は、アメリカ海軍からコンチネンタル航空に入り、ボーイング727の機長をえて、平成九年の夏にハーレクインエアに入社するまではハワイ航空でDC-10の機長として飛んでいた。飛行時間一万七千時間のベテランパイロットで現在もハワイ・オアフ島に住んでいる。
 フライトエンジニアのネイヤーはインド系のシンガポーリアンである。四十四才で昭和63年(1988年)から日本の空を飛んでいる。

コックピットのダウニングさんとネイヤーさん

 東亜国内航空(現在の日本エアシステム)にA300のフライトエンジニアとして入社し、平成九年にダウニング機長より数か月早くハーレクインエアに移り、DC-10のフライトエンジニアとして乗務をつづけていた。飛行時間は約一万二千時間だが、そのうち二千三百時間をDC-10で乗務しているベテランのフライトエンジニアであった。
 ネイヤーは明るい性格の持ち主で、その陽気な人柄は長時間、密室状態になるコックピットの人間関係を良い雰囲気にする。ダウニング機長のパイロットとしての技量と冷静な判断、その経験も頼りになった。
 ハーレクインエアのDC-10乗員部はわずか16名で運航を切り盛りしている。
 日本エアシステムの国際部門のチャーター便を請け合う航空会社として三年前に設立されたハーレクインエアは、持ち株の100パーセントを日本エアシステムが有する子会社である。その乗員部には三宅機長のように日本エアシステムから出向した日本人パイロットと、設立の時に採用した外国人のクルーがいた。
 ハーレクインエアにはMDー80を使って福岡を中心にした国内線のウエットリースをするセクションとDC-10を使って世界各地にチャーターフライトを飛ばせる国際線のセクションがある。
 三宅機長やダウニング、ネイヤーはDC-10乗員部に属し、この三年、ハワイやカナダ、オーストラリアやニューカレドニアそして東南アジアにも日を明けずに飛んだ。
 とくに1999年サッカーのワールドカップがフランスで開かれたときは、日本各地からサポーターを乗せて過密なスケジュールでヨーロッパを飛行した。
 その間で日本人クルーと外国人クルーには深い信頼感が生まれていた。
 ダウニングとネイヤーとは、三宅機長も幾度もチームを組んでお互いの気心を熟知しあった仲間であった。しかしそのダウニング機長もネイヤー航空機関士も今月末でハーレクインエアを退職することになっていた。
 その背景にはハーレクインエアーの、そして親会社である日本エアシステムが直面している経済的な事情があった。
 三宅機長は自分のラストフライトもさることながら、このハワイへのフライトが彼らにとってもハーレクインエア最後の乗務になることも、いっそう彼を複雑な思いにさせるのだった。
「オーケ、打合せを始めるよ」
 機長は身を半身にして後を振り向き、意識をフライトに集中させるように少し声を高めた。ダウニングとメイヤーがメモを用意してうなづく。コックピットにはいつもの阿吽の呼吸のような仲間意識が感じられた。三宅機長はひと息おいて英語で離陸に関する手順を話し始めるのだった。

関西空港離陸

「テイクオフ・ブリーフィング。今日の離陸は滑走路24からだね。滑走路上の風は320度から14ノット。右側からの横風。気温は10度で気圧は30・00(オクトパスカル)ですでにセット済みだ」
 飛行機の高度は気圧高度計で計るので、気圧は飛行機の運航にとって最も大切なデータのひとつだ。その基準となる滑走路上の最新気圧が逐次、管制官から航空機に知らされることになっている。
「滑走路は離着陸ともに24(240度方向、西南西を向いた滑走路のこと)を使用している。出発方式(SID、スタンダード・インストルメント・ディパーチャーのこと)はキタン・ワン(KITAN 1)デパーチャーで串本トランジッション(経由)だ。これもセット済みです」
 まず、滑走路24から淡路島に向けて離陸し、大阪湾の真中にある飛行地点キタン・ポイントの上まで飛び、和歌山市の沖合にあるトモVOR/DMEへ向けて左旋回し、御坊VOR/DMEから紀伊半島をかすめて紀伊半島の南端にある串本を経て太平洋に出るコースが今日、与えられた関西空港を離陸飛行する方式、キタン・ワン出発方式であった。
 三宅機長はマニュアル通り、万が一離陸時の事故を想定して話を続けた。
「離陸時にエンジンが故障した場合は、V1スピード以前は、私の指示に従ってください」 V1(ヴィ・ワン)スピードとは離陸決心速度ともいい、離陸を始めてこのV1スピードに飛行機の離陸速度が達していないときは離陸を中断することが可能である。V1以前にエンジン等の故障が発生したら、機長が「リジェクト テイクオフ」とコールし離陸を中止するアクションをとる。
 この離陸するスピードはそのときの飛行機の重量や滑走路の風の強さなどで決まるが、今日のV1スピードは146ノット、時速約245キロであった。そのスピードが離陸時に最も重要なものとなる。
 続いて三宅機長はV1スピード後で起こったエンジン故障の際のそれぞれ各クルーがとるべき行動を副操縦士とフライトエンジニアに確認した。
「V1以後の事故発生の場合はそのまま離陸してSID(空港が定めた出発方式)に従います。そして5000フィート(約1500メートル)まで上昇して、それからレーダー誘導を受け滑走路24にも戻り着陸する」
 それから…、と機長は航空機関士のネイヤーに尋ねた。
「燃料投棄する地点までは何分かかる?」離陸に失敗し再着陸をする場合は着陸時に発生するかもしれない火災を予期して、搭載している全燃料を機外に捨てなければならない。
「イレブンメネッツです」燃料に関する仕事は航空機関士の領域である。ネイヤーは即座に答えた。
「11分か。オーケー。レーダー誘導で燃料投棄地点まで飛び、此処へ戻る。いいね」
 最後に三宅機長は確認するようにふたりの顔を見た。そして副操縦士役と機関士が了解する様子を確認して「よし。プリパレーション計器点検(エンジン始動前に行う計器点検のこと)を始めるよ」と左角に置いた機長カバンからチェックリストを取り出した。

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★「最後の飛行」挿入01

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▼プレパレーションチェックリストの図

プレパレーションチェックリスト

 この飛行機、DC-10ー30タイプには計器の点検の項目が百以上もある。その中でエンジン始動以前に行うプリパレーション点検は、計器やスイッチ類の最も基本的な点検である。
 ダウニングがリストを読み上げ、機長とネイヤーがそれぞれ担当する計器類をすべて点検していく。
 以前、パンアメリカンのボーイング747のコックピットに乗った時、コックピット・クルーが計器点検をする声が耳にテンポ良い音楽のように響いた記憶がある。そのときパンナムの機長は「この計器点検のリズムがクルーの一体感と士気を高めるんだよ」と話してくれたことを思い出す。
 今、ハーレクインのクルーが行っている流れるような点検はきびきびとして、プロフェッショナルなクルーの、まるで出発前の儀式にも似て聞こえた。
 「ファイブミニッツ…いいですか?」
 点検が完了すると副操縦士役のダウニングが日本語で三宅機長に尋ねた。
 飛行機に燃料を搭載したり、乗客の荷物を積み込んだり、ケータリング(乗客やクルーの食事や飲物などを搬入する作業)など地上の仕事一切と乗客の搭乗、そしてコックピットのエンジン始動前の準備が終わると、出発という次ぎの段階に移る前に、クルーはクリアランス・デリバリー(目的地までの飛行計画を承認する担当管制)をする出発管制官に目的地までの飛行計画の承認を受けるために交信をしなければならない。その交信をファイブメネッツ・コール(出発五分前の交信)と呼び、航空機の出発の大切な確認作業となっている。
「いや、どうかな…」と機長が外を見て言った。
「まだまだ、乗客のボーディングが終わってないよ」とネイヤが開いたままのコックピットドアから客席を振り返って笑った。
 そのときキャビン・クルーに見守られて搭乗してきた車椅子の老婦人とその連れの女性の姿が入り口の側に座っているネイヤーの目に入った。
 老婦人はコックピットドアの外側の通路に車椅子を止めてクルーに挨拶をする。
「いいよ。いいよ」三宅機長が手を振って急に照れたように笑った。
「ああ、私の母ですよ。それと妻と娘…」
 彼女逹は父の、夫の、そして息子の最後のフライトに同乗するためにこのフライトに搭乗したのであった。
「よろしくお願いしますよ」
 車椅子の上から母は機長席に座っている息子に毅然とした態度で言葉をかける。それは新しい小学一年生の入学式で総代の挨拶をする小さな息子を心から誇りに思い、励ます母親の声のようであった。
 ああ、わかってるよ…と言わんばかりに、三宅機長は子供のようにうなづいて母親から無理に視線を外した。
 そのとき三宅機長は、この飛行が過去何千回と数かぎりなく飛んだ乗務のひとつではなく、特別の、大切な家族に見守られた特別な最後の飛行であることを新ためて身にしみるように感じるのだった。
 よし。ファイブメネッツ・コールだ。それから数分後、乗客のボーディングがすべて完了した報告をキャビン担当者から受けると機長は感傷を振り切るように、ダウニング副操縦士役に飛行プラン承認の交信を始める指示を出した。
 ダウニングがマイクを取って管制官を呼びかけた。

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★「最後の飛行」挿入02

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「カンサイデリバリー。ハーレクイン8673」
(こちらはハーレクイン8673便です)
「ハーレクイン8673。カンサイデリバリー。ゴー アヘッド」
(ハーレクイン8763便へ。関西デリバリー管制です。どうぞ)
 管制官の声がコックピットのスピーカーから聞こえる。
「ハーレクイン8763。スポット・ナンバーワン。トゥ ホノルル。フライトレベル330 ウィ ハブ インフォメーションD(デルタ)」
(ハーレクイン8673です。現在、スポットNO.1に駐機しています。ホノルル空港へのフライトで高度33000フィートを予定。最新のATIS(エアポート・ターミナル・インフォメーション・システムの略。空港の最新の天気や滑走路の情報)デルタを入手しています)
「ハーレクイン8763。スクォーク6013 スタンバイ フォー クリアランス」
(こちら関西デリバリーです。貴機のレーダー認識符号は6013です。そのまま待機してください)
 すでに運航課が管制機関に提出した飛行プランに基づいて発出されるクリアランス(承認)をクルーは機内で管制官から無線で受取る。その順番がくるまで待機するのである。レーダー認識符号を復誦してダウニングは無線を終えた。レーダー認識符号は離陸以後、その飛行機の識別標識になる。6013が便名と共に管制レーダーに表示されるのでその確認は重要となるのだ。
「カンパニーフリクエンシーはこれですか?」ネイヤーが機長に尋ねる。
「129・6(メガヘルツ)。イエス」と機長。通常、コックピットの無線交信は大別すると3つになる。ひとつは管制との交信だ。そのとき操縦を担当していないパイロットがこれを受け持つ。もうひとつは国際緊急交信である。この周波数は全航空機に同一のメガサイクルが与えられ、3個あるVHF無線機のひとつに常時設定され全員がその無線を傍受している。そして最後のひとつが、自分の所属する航空会社の運航部とつながるカンパニーフリクエンシーだ。この無線で運航状況を報告したり、逆に運航部からデータをもらったり、運悪く機内で病人が出た場合などの連絡に使用する。現在はエーカーズと呼ばれる無線に代わるメール通信機が搭載されているが、離着陸などの連絡はカンパニーフリクエンシーを使うことが多い。
「コールサインは?」ネイヤーが関西空港にある日本エアシステムのカンパニーフリクエンシーの無線呼び名を尋ねた。
「コールサインはカンサイだ」
「最終のウエイト&バランスを聴きます」ネイヤーは会社の運航課に自社の周波数で出発前の最終報告を聞こうとしていた。
 ウエイト&バランスとは離陸する飛行機には欠かせない情報のひとつである。それは飛行機の重心位置を測定したデーターで、その都度異なる乗客の数や貨物、燃料等の重量によって機体の重心位置が変わるので、すべての搭載が終わった出発直前に確認しなければならない。そのデーターは運航部のコンピューターが自動的に計算し、その数値が飛行可能な許容範囲にあるかどうかを算出している。

 ネイヤー航空機関士はマイクを取って運航課に連絡を始めた。
 話しはそれるが、航空機の発展とともにコックピットの乗員は少なくなる一方である。まず初めはコックピットから通信士がいなくなった。
 通信士の仕事は航空機の交信がモールス信号から音声交信に変わったことでパイロットが代行するようになった。
 次ぎは航空士である。ダクラス6Bや7Cのプロペラ旅客機の時代、コックピットには機長、副操縦士、航空機関士以外に、航空士(ナビゲーター)と呼ばれるクルーがコックピット乗員に加わっていた。
 航空士の仕事は飛行機の現在位置を測定し、そのときの気象状況を加味して目的地までの正確な航路や到着予定時間などを算出し、操縦に必要なナビゲーション・データーを機長や副操縦士に提供することであった。

 操縦席の天井に小さな窓があり、飛行中、彼らはその窓から何度も六分儀や八分儀などで星を天測し飛行機の現在位置や航路を測った。ジェット旅客機の時代になっても第一世代といわれるボーイング707やダグラスDCー8などの初期のタイプには操縦席の天窓が残っていて航空士が乗務していた頃がある。日本航空のDC-8の名機長として有名だった松尾さんに航空士の面白い話を聞いたことがある。航空士は普通、コックピットのいちばん後に黒いカーテンで囲った場所があり、その上に天窓があってそこから天測をしていたそうであるが、その航空士は人嫌いか、孤独を楽しむタイプだったのか、離陸から着陸まで一回もその黒いカーテンから出てこないで、位置報告のポイントがくると黒いカーテンから手がにゅーと出てきてその後の進路や位置を手書きで書いたメモをクルーに渡したそうである。それを羽田からサンフランシスコまでくり返し、結局、飛行機を降りるまで松尾さんは航空士の顔を見なかったという。コックピット・コミュニケーションを重んじる今では信じられないような話である。

 航空士の仕事はその後、ロランや慣性航法システムの発達でなくなり、以後コックピットは三名の乗務に変わる。
 そしてボーイング747-400、767、777などの第四世代の航空機では、機長と副操縦士の二名乗務が普通になり、現在、航空機関士(フライトエンジニア)の仕事はコンピューターが代行している。

 航空機関士は飛行操縦技術とは別の高度な航空機の知識や経験が必要とされた。出発前には前述のウエイト&バランスや燃料搭載の管理など、飛行中は燃料を始め各システムの維持や管理を行う飛行に伴うメカニックな側面を仕事とする。
 プロペラ旅客機の頃は航空機関士は地上整備員の延長と考えられていた。すなはち整備員がコックピットに同乗していたのである。しかしジェット旅客機の時代になってからは地上整備とは別の職種となった。その後航空機関士専門職という人たちとは別に、セカンド・オフィサーと呼ばれて航空機関士を副操縦士になる過程の仕事とする航空会社も多くなった。
 ただ、パイロットのステップではなく、たとえばネイヤーのように専門の航空機関士は、パイロット人種とはかなり異質で、どちらかと言えば博学な学者タイプも多かった。例えばルフトハンザ航空には航空機関士の仕事をしながら、宇宙工学や機械工学などの博士号を持った人がいたし、フライト業務がないときは大学で生物学の講義をしているというオランダ人の航空機関士にKLMのフライトで会ったこともある。。
 ネイヤーが運航課と連絡をしているとき、「ユナイテッド810 クリアランス」と関西デリバリーの管制官がサンフランシスコへ向かうユナイテッド航空810便の飛行プランを承認する交信が聞こえた。

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★「最後の飛行」挿入03

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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「ユナイテッド810 クリアー トゥ サンフランシスコ・エアポート、ヴィア トモ2ディパーチャー クシモトトランジション ゼン フライトプランルート メインテイン フライトレベル310、メインテイン12000フィート アンティル ファーザー アドバイス。ディパーチャーフリクエンシー ウィルビー 119.2 ゴーアヘッド」(ユナイテッド航空810便へ。サンフランシスコ空港までの飛行を承認します。トモ第二出発方式で離陸後、串本経由で巡航高度31000フィートで飛行して下さい。しかしこちらから指示するまでは飛行高度12000フィートを保ってください。出発管制の周波数は119.2メガヘルツの予定です。復誦願います)
 飛行プランの承認(クリアランス)を無線交信で受領したユナイテッド810便が、管制官の指示を繰り返す。
「ユナイテッド810。リードバック イズ コレクト。コンタクト グランド121.6」(ユナイテッド航空810便へ。復誦は正確です。以後は関西グランドコントロール121.6メガヘルツと交信願います)
 次ぎに関西デリバリーの管制官がハーレクイン機を呼んできた。
「ハーレクイン8673。ウィ ハブ ユア クリアランス コピー」
(ハーレクイン8673便へ。飛行計画の交信をします)
「ハーレクイン8673。ゴーアヘッド」(こちらハーレクイン8673便です。お願いします)とダウニングが答える。
「ラジャ クリアー トゥ ホノルルエアポート ヴィア トモ2ディパーチャー クシモトトランジッション ゼン フライトプランルート メインテイン フライトレベル330。メインテイン フライトレベル12000フィート アンティル ファザー アドバイス。ディパチャーフリクエンシー ウィルビー 119.2 ゴー アヘッド」
(ハーレクイン8763便へ。ホノルルエアポートまでの飛行計画を承認します。トモ第二出発方式で離陸後、串本経由で巡航高度33000フィートの許可します。しかしこちらの指示があるまで高度12000フィートを維持してください。関西出発管制の周波数は119.2の予定です)
 ダウニングが三宅機長の指示で確認の復誦交信すると、
「ハーレクイン8673 リードバック イズ コレクト コンタクト グランド121.6」と管制官は、以後はグランドコントロール、周波数121.6とコンタクトするように指示して交信を終えた。そして飛行機のすべてのドアが閉じられた。いよいよ、プッシュバックしてハーレクイン8763便はゲートを離れる時間が来た。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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