フェデックスの経営者、フレデリック・スミス
さて、今日からときどき「航空会社の経営者」に目を向けてブックレビューをしていこうと思います。
更新はマイペース。気が向いたときにとびとびでの紹介になりますが、ゆっくりとおつき合いいただければと思います。
今回は、この本。
「世界的企業100社のターニングポイント」(エクスナレッジ刊/2007年)
あるとき、父に言われたことがあります。
「ゼロックスとってきてくれる?」
「ゼロックス」とる、って!!!
ちなみに、出力機はヒューレットやエプソン、コピーはキヤノンとかリコーとか。ゼロックスってどうしたらいい? みたいな状況(富士ゼロックスになる前の話かと)。いや、それまでも大昔から「ゼロックスして」って言葉は聞いてましたがテレックス同様、何のことだかさっぱりで、エンジニア用語かなんかだと思っていました。
でもコピーの意味だと知った時、「なんだかカッコいいじゃん」って思ったのです。実際には業界用語や専門用語ではなく、宅急便(=ヤマト運輸の商標:通常は「宅配便」)、セロテープ(=ニチバンの商標」通常は「セロハンテープ」)ママレモン(=ライオンの商標:食器用洗剤)と同様で、メーカー名がそのまま根付いた時期があったようなんですね。50代以上の方には馴染みがある言葉なんだとか…。
それと同じようにアメリカには「フェデックスする」という言葉があるようです。「明日届けるよ」という意味だそうです。語源はお分かりですよね?(笑)。
長い間「フェデラル・エクスプレス」(Federal Express)でおなじみだった、現・フェデックス(1994年に改名)はフレデリック・スミスによって立ち上がりました。スミスはベトナム戦争から戻ってすぐの27歳のときに、父の遺産を相続。その資金を全て投入して、ふつふつとわいていた野望に向かっていったのです。ちなみに、スミスの父はバス路線事業の創業者で、スミスが4歳の時に他界してし、スミスに400万ドルという大金を残したのでした(そもそもが大金持ちなのに全財産をしかける勇ましさに注目)。その「野望」は、1965年にイェール大学で経済学を学んでいたときに書いた論文に原点があるようです。
・コンピュータの普及台数が増えると、修理の需要が増える
・メーカーにとっては素早く修理することが重要になり、修理部品の調達需要が高まる
論文には、こんなことが書かれていたようです。この論文を書いた翌年の1966年、スミスはロースクールには行かずに海兵隊に入隊して4年間をベトナム戦争で過ごしました。それからベトナム戦争から戻って、継父の飛行機修理の会社を買収して、やっぱり修理部品を取り寄せることの困難を思い知ることになったのです。ちなみに、スミスは10代のときに既に飛行技術は習得していて、大学在学中にもチャーター機のパイロットをしていました。
それでスミスは、イェール大学時代の論文を洗い直して、配送物の内訳を調査した。
そこで発見したのは、いくら航空網が発達しているアメリカといえど、小口の荷物の80%がその航空輸送に引っかかっていない、ということ。パイロット経験者のスミスは思った。「これ、ジェット機だったらすぐに届けられるんじゃないの?」と。それを、効率的に行うには、銀行間の相互決済の仕組みをヒントにして、「全ての地域をカバーするには中心となる「ハブ」をおいて、そこに荷物を集中させて届け先別に仕分けして送り出す」という現在の「ハブ化構想」と同じものを思いついてしまったのだ。
「これはいける!」と確信したのか、父からの遺産に加え、投資家を集めてきて9,000万ドルの融資を受けた。
さらに、そのハブには「メンフィス」を選んだ。
メンフィスといえばブルースの発祥地で、エルビス・プレスリーの育った町。
そのメンフィスは真夜中から朝にかけてほとんど使われていない上、天候が安定していて、地上での待機時間は年間を通してごく僅か(10時間?!)で済むから!! という賢人ぶり。
おまけに従業員を動かす才能にも富んでいるようだ。
交通業界特有のストライキの時期、ライバル会社のUPSがストで混乱したときのエピソードがある。
フェデックスに流れ込んだ貨物をさばいたのは、自主的に集まった何千人もの従業員だ。本当に自主的かどうかは、眉唾だけれど、彼らの動きを称えるために、海軍式の褒め言葉で「でかした」と書いた新聞広告を全面に乗せ、ボーナスも弾んだ。
さらに、民間パイロット組合のクリスマス繁忙期のストですらも、パイロットを除くフェデックスの従業員の多くはメンフィスの通りに集って、会社を支持しようと集結し、非番の日に飛んだパイロットもいたのだとか。
ベトナム戦争での経験で200人を率いたというスミスは「何かビジネスを始めるくらいで、怖じ気づくことなど全くなかった」と語る。
父からの遺産も残されていて、ロースクールへは行かなかったといえど、名門のイェール大学に身を置いたのだから、黙っていても将来は明るかったはず。なのに海兵隊に入ったということ。それからその後、遺産のほとんどに加え、莫大な借金を抱えてまで事業を興したということ。スミスのエピソードを読んでいると、なぜだか度胸がすこぶるいい。
フェデックスは1970年の設立後も、最初の2年で2900万ドルの損失を出し、黒字になるまで1975年になってからだ。計画が何度も頓挫する中、従業員への給与支払いに窮して、200ドルを持ってラスベガスへ行ってブラックジャックを…、そして26,000ドルを手にしたとか。ギャンブルに託すエピソードひとつとっても、度胸意外のなにものでもないかも、と。
なにがどうしてそんな度胸を秘めたのかは分からないけれども、もともとあった度胸を強固にしたのは、やっぱりベトナム戦争での経験のようだ。人を動かす才能に富んでいるのも、ベトナム戦争なのかもしれない。この本で紹介されているスミスの言葉の裏には、ベトナム戦争で「死」を見た人の言葉のような気がしてならないのです。
この本は、タイトルそのままで、世界の100社のターニングポイントと設立のエピソードなどが紹介されています。
600ページくらいあるので、好きなところだけちょい読みしても、なかなか面白いです。
日本からはユニクロや任天堂、ヤクルトなんかも登場しています。日本人なら日本企業のことをある程度は(聞きかじりだったとしても)知ることはあると思いますが、馴染みはあるのによく知らなかったタッパーウェアとか、レゴなんかでも面白い。それからたとえば「ダニ・アッシュ」(ストリッパー出身の女社長がポルノサイト最大手にのしあがるまで)という、初めて聞いた企業もへぇ、へぇ〜、っと楽しめるないようになっています。
「ビジネスとは金に過ぎない、命や死でもない。大局観がなければ、所詮は些細なことでパニックに陥ったり、周章狼狽したりするはめに陥るだけ」
フェデックス社長・フレデリックスミス
