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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」最終回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

奄美大島へ着陸

東亜国内航空鹿児島空港支店運航課

「まだ、着陸していないのか?」早川所長が時計を見ながらいらいらした調子で尋ねた。
「着陸すれば、奄美から連絡がある筈です」心配しているのはこの部屋にいる運航課員全員なんですよ、と言い返したい気持を押さえて松田運航課長が応えた。
「いいから、こっちから連絡してみろよ」
「ですが、彼等も567と569の着陸を控えて多忙なときですよ」
「いいから、電話しろよ。そしてその電話を切らずにつないだままにしておけよ」
 所長の剣幕に運航課員のひとりが電話で奄美大島支店を呼んだ。
「こちら鹿児島です。567は? …え!…はい、わかりました。忙しいときにおそれいりますが、電話は切らないで着陸までつないだままにお願いします」
 電話が終わると運航課員が現在の状況を説明する。
「今、ちょっと(コックピットは)忙しい時期だと思います」
ー まだ、着陸決定をしていないのですか?
「ええ。今から着陸体制に入っていきますので、それで(風の具合が)悪かったら、もう一度上がって(ゴーアラウンドして)、(滑走路の)状態が良ければ、もう一回、トライをしますが、悪ければそのまま、(鹿児島に)返ってくると思います」
 現在14時05分。

567便コックピット

 右旋回が終わると灰色の海の向こうに雲の切れ間から北へ伸びた滑走路がぼんやりと見えた。
「ランウエイ・インサイトだね」(滑走路確認)
 滑走路を視認したことを小山副操縦士がすぐ無線で奄美レディオに伝えた。
「トーアドメス567。ランウエイ インサイト」
「ギヤ・ダウン!(車輪下げ)」
 風とエンジン音の中で大井機長の声が響く。油圧の音が響いて車輪が降り始めるとさらに風の抵抗が強くなった。突風が機体を駈けぬける。
 風は今、330度方向から吹いていた。大井機長は機首方向を風に合わせて567便を斜めにしながら下降を続けた。
 横風着陸の場合、機軸と滑走路方向に角度をとって進入する。567の場合は機首方向330度、進入方向は020度でおよそ50度の編流修正角度を持っている。この操作をクラビング(CRABBING)という。文字通り、蟹の横ばいである。
 そして横風に対抗しながら斜めに進入し、接地直前に機首を滑走路に正対させるのだ。この操作をデクラブという。
 この横風着陸は航空機の機種によってどれだけの横風に耐えうるか限界値が違うが、ジェット旅客機と違って機重が軽く、進入スピードも遅いYS-11の場合はその操作が非常に難しい。しかもオートパイロットが無い567便はなおさらである。
 大井機長は吹き付ける風にこの葉のように翻弄される機体を全力で操って下降を続けた。
「コンタクトはストレート・インで」
 小山副操縦士が無線で奄美レディオを呼び掛けた。
「トーアドメス567。ベースレグ ナウ」
(こちら東亜国内航空567便です。これから最終進入です)
「ラジャ。ベースレッグ。トーアドメス567。クリア トウ ランド ウインド 340ディグリー アット23ノット レポート 3マイル フロム ランウエイ ファイナル」
(最終進入、了解。東亜国内航空567へ着陸を許可します。現在、滑走路上の風は340度方位から23ノット。最終進入時、滑走路の3マイル手前を通過するときは報告して下さい)
「ラジャ。チェック 3マイル」
(了解、3マイル手前で報告します)
「デイトリム セット」
 上下、左右に激しく揺れつづけるコックピットでは着陸の最終計器点検が始まった。
 そのとき、コックピットの裂風とエンジンの騒音を突き破るようにスピーカーが鳴った。
「トーアドメス アマミ。一方送信(返事を必要としない送信)です」奄美大島の東亜国内航空運航課からのカンパニー無線である。
「ちょっと風が強くなった状況です。だいたい330度方向から22(ノット)のステディ・ウインド(一定方向からの風)のようにとれます。それと(突風は)28ノット。お気をつけて下さい!」
 一般的には着陸前、運航課員は飛行機からの要請で滑走路などの状況を無線で伝えるのが普通であるが、このときは運航課が自発的に567便を呼んだ。それだけ滑走路上の状態が急激に悪化していたのだ。
 激しく揺れるコックピットの中でクルーは最終の計器チェックに忙殺されていた。再び、地上の運航課員のボイスがたたみかけるようにスピーカーから聞こえた。
「567.こちら奄美です…」
 あらんかぎりの力で機体を操りながら、大井機長は副操縦士に指示した。
「了解、と言ってくれ」
「はい」と答えながらもクルーにはその時間がなかった。すぐに着陸前のファイナル計器点検を続行する。
「アンチ・アイス」
「オン」
 ……計器点検の最中も気流は悪くなる一方だった。
 何時、着陸を断念してその場を離脱してもおかしくない嵐の中で大井機長はYS-11を操っていた。
 DCー10の名機長だったハーレクイン・エアーの三宅機長は、「昔、僕はYSを操縦しているとき、どんな嵐の中でもYSを落す(墜落させる)という気がしなかったね。ともかく自信があった」と言う。大井機長も同じ気持だったと後で述懐するが、その自信は訓練されたパイロットとしてもさることながら、YS-11に関してはパイロット一人一人がまるで整備マンのように機体構造を熟知していたからだともいう。
 第ニ次大戦の頃、アフリカの僻地をDCー3で飛んでいたイギリス人のパイロットが或る日砂漠に不時着させたダコタ(DCー3)を見ながら、「大丈夫だよ。俺だったらドライバー一本あれば、こいつを元通り飛ばしてみせるよ」と言い放つその自信と同じように。
「レディオにウインド・インフォメーションを貰おう」
 下降の打合せ通り、スレッシュールド通過時で20ノット以上の風があればゴーアラウンドする。そのためにも滑走路の瞬時の風の情報を管制官に知らせてもらう必要があった。
 小山副操縦士が奄美レディオを呼ぶとすぐにインフォメーションが入ってきた。
「アマミレディオ。トーアドメス567。ファイナルアプローチ ウインド・インフォメーション コール プリーズ」
(奄美レディオへ。こちら東亜国内航空567便です。最終進入に入りますので、滑走路上の風の状況を知らせて下さい。お願いします)
 管制官はウインド・インフォメーション コールが依頼されると、風の方位、速度が変化するごとに逐一、航空機に知らせることになっている。
「アマミ ラジャ。ランウエイ020 ウインド 340ディグリー 12ノット」
340度方位から12ノットの風。一瞬風が弱まった。風が弱い息に入ったのだ。
「330 アット 19」(330度から19ノット)
 YS-11は海から再び陸地に入った。突風で右に流される。
「320 アット 26ノット」
 又風が強くなった。機体が激しく上下に揺れる。
 タッチダウンまであと3マイル(約4・8キロ)。管制官が着陸の許可を出した。
「567.ランウエイ クリアー ウインド 330 22ノット」(567便へ。滑走路はクリアーです。330度から22ノット)
 大井機長が横目で滑走路を確認した。機首と滑走路の角度は依然として約50度の開きがある。567便は斜めの姿勢のまま進入を続ける。
 急激な乱気流で再び機首がはね上がった。渾身の力で立て直す大井機長。そして呟いた。
「これは…ちょいと無理かな?」

東亜国内航空鹿児島支店運航課

 567便の着陸の様子は逐一、つないだままの電話で奄美大島から報告されていた。
「ちょっと、きびしいって。見ていてもハラハラするそうです。充分気をつけてやって(着陸して)欲しいって・・」
 運航課員は祈るように言った。

567便コックピット

 耳を圧する風とエンジンの騒音。ウインド・インフォメーションを告げる管制官の声がとぎれとぎれに聞こえる。
「330 アット 14」
 330度と風の方位は変わらないが、風速は14ノットに落ちた。小山副操縦士は最終の計器点検を確認して報告した。
「350 アット 15」
 風は15ノットと若干落ちたが、350度と横にまわった。
 奄美大島の場合は横風のリミットが16ノットに制限されている。限界ぎりぎりである。
「110ノット!」
 小山副操縦士が大声で進入スピードを告げた。
「340 アット 15ノット」
 再び、風が落ちた。そして少しづつ正面にまわり始めた。
「スレッシューホールド!」
 着地直前、高度50フィート(約15メートル)通過。大井機長が機首を正面に向けた。それに合わせるように風が正面に来る。
「010 アット 15 」
 010度、ほぼ真正面から15ノットの風。着陸は今だ。滑走路がうしろに飛ぶ。
 567便YS-11は滑るように奄美大島空港の滑走路に着陸した。

東亜国内航空鹿児島支店運航課

 電話のベルが響いた。さきほど運航課員が祈るような気持で電話を終えるとき、思わず、受話器を置いてしまっていたのだった。
 全員に緊張が走る。
「え! あ、そうですか! はい。わかりました。どうもありがとうございました」そして運航課員はしっかりと受話器をかけて、早川所長に報告した。
「着きました。567、奄美到着です!」
 早川所長はほっとして無性に熱いコーヒーが飲みたくなった。それは松田も同じだろうと思いながら、「俺の部屋でうまいコーヒーでもどうだ」と運航課長の肩を拳固でつついて立ち上がった。

 YS-11の伝説的な名パイロットとして知られる浜園広幸機長が、離島運航に携わる航空マンの気持を熱く語った。

「私はまあ、無理はしていませんけど、フライトしていてですね。少なくとも可能性があれば挑戦します。これは飛ぶため、運ぶためもとは別に、離島の人がいかに航空路を大事にしているか分かるからです。(離島では)船以外は飛行機しかありませんから。だから少しでも可能性があれば、これに応えなければと思っています。このときの(無事、着陸したときの)島の人の表情は、言葉では言い表せませんね。ほんとうにジーンときますよ。…言葉にはなりませんね。

▼奄美大島進入図
奄美大島進入図

▼奄美大島地図
奄美大島上空地図

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第8回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

嵐の中のアプローチ

「ラジャ。567。チェック オーバー アマミ」と小山副操縦士が管制官に答えた。
(567便。了解しました。奄美空港上空で報告します)
 今日の奄美大島へのアプローチは島の北から入り、機首を南に向けて島の北部を横断して一端、空港上空を飛び抜け南の海上に出て、再び、右旋回でUターンをして機首を北に向け直して滑走路020へ着陸する。チェック オーバー アマミとは、空港上空を通過するとき管制官へレポートするということである。
「サーキットブレーキはオールOKです」と小山副操縦士。
 頷いて、大井機長は再度、着陸を断念する風の限界スピードを確認した。
「(風の方向が)330度あるからさ、20ノットまでだな」
「はい。20ノットまでです」
 ランウエイが020度なので、風の方位330度ということは進入方向の50度左前方、すなはち、時計方位の10時方向から横風気味に吹くことになる。
「プラス10でギリギリだからさ。スレッシュールドを通過するとき、大きい声で(進入スピードが)何ノットか言ってくれ。それからさ。リミットを(風が20ノットを)オーバーしたときは、オーバーと叫んでくれ」
 スレッシュールドとは着陸寸前の高度50フィート(約15メートル)のことで、その地点を失速速度の1・3倍以上の進入速度で通過することが規定されている。
 今日の場合、風の方向を考えてスレッシュールド通過時に20ノット以上の風が吹いていれば、着陸を断念してゴーアラウンド(着陸やりなおし)することになるのだ。
「そして…」と大井機長は着陸時の打合せを続けた。
「ゴー・アラウンドは、(エンジン出力を)マックス・パワーにしてフラップは15(度)」
 それから、大井機長は小山副操縦士を振り向いてにっこりと笑った。
「あわてないでいいからね。その他のコールアイタム(着陸時に二人のパイロットが相互に声で確認する事項)はカンパニー・スタンダード(通常の会社規定)だ」
 そして二人は雲に閉ざされた薄暗いコックピットの中で、下降(ディセント)計器点検を始めた。
「サーキット・ブレーカー」
「チェックド」
「フェルシステム」
「チェック&オート」
「アンチ・スキッド」
「オン」
「キャビン・プレッシャー」
「セット」
「プロップ・シンクロ」
「オフ」
「ランディング データ ブリーフィング」
「えー、チェック&コンプリート」
 計器点検が終わる頃、雨雲を抜けた。現在高度6000フィート。 周囲が幾分明るさを増して、雲の切れ間から奄美大島が見え始めた。
 日頃は緑豊かな美しい島が南の蒼い海に浮かぶが、今日は灰色の霧の中にまるで不吉な亡霊のようにかすんで沈む。
 風で機体が左に大きく流された。
 眼下の海は無数の白波が蛇のウロコのように縞をなして幾重にも広がっている。
 風は高度を下げるにつれて強く吹いているようだった。大井機長は海面を眺めて言った。
「ファイナルは、さ。コンテニュー ウインド インフォメーションを貰おうな」
(ファイナル・アプローチのときは、連続して風のインフォメーションを貰おうな)
 一般の着陸の場合は管制官が着陸許可を出すときに、滑走路上の風の強さと方向を飛行機に知らせるだけであるが、今日のように風が強い場合は最終進入から接地するまで、管制官に滑走路上の風の変化を連続的にコールしてもらうことが出来る。
 奄美大島の最北にある笠利崎の半島が足下に迫った。
 暗い灰色のシートを広げるように急速に低い雨雲が島の南部を覆い始める。島の上空ではもっと風が強くなることが予測された。
「ADF NO2アプローチだからね」大井機長は今日の奄美大島への進入方式を確認した。
 ADFNO2進入方式はハイステーション(空港上空)を2000フィート以下で通過し、機首方向170度で南の海へ出て、高度を下げながら右旋回、機首を010方向にして滑走路020へ進入するのだ。
「よし、カンパニーへ風の状況を聞いてくれ」
 大井機長は奄美大島の東亜国内航空運航課に無線で連絡するように指示した。
 もし、島を離脱するならこれ以上高度を下げたくない。この嵐の中では出来るだけリスクが多いゴーアラウンドは避けたいのだ。
 再び機体が激しく左右に振れる。小山副操縦士が背中にかかるハーネス式のシートベルトをきつく締め直してマイクをつかんだ。
「トーアドメス アマミ 567 風の状況は如何ですか?」
 奄美大島空港の一室で、固唾を呑んで567便の進入を見守る運航課員の不安気な声が、すぐにスピーカーから流れた。
「はい。先程から(風のインディケーターを)見ておりますと、やはり(風の)センターは330方向からの14、5ノットのステディ・ウインドになります。だいたい弱いときで10ノットから12ノット。そのときの方向が310度前後、20ノットから45、6ノットのときは340度方向を出しております。丁度、今は弱い域に入っている状況です。どうぞ」
「了解」と大井機長。
 機が薄い雲の流れに入った。すぐ激しいレインシャワーが窓をたたく。奄美大島の民家が眼下で雨に霞んだ。
「タイミング良さそうだね」
 たしかに今は滑走路上の風の状態はいい。だが、着陸時に風の弱い息にあたる何の保証もない。願わくば、今の状態が着陸まで続いてくれることを祈るのみだった。
 前方に雲の間から奄美大島の空港が視野に入る。現在、高度2000フィート。
「トーアドメス アマミ こちら569。どうぞ」
 10分遅れて飛行している569便が奄美大島の運航課を呼ぶ無線が聞こえる。
「はい。トーアドメス569。トーアドメス・アマミです」
「こんにちは。569の着予定は14時25分。オペレーションはノーマルです。14時のウエザーがありましたらお願いします」
 569便が下降を開始するにあたって着陸データを作成するために最新の奄美大島の天気情報をリクエストしているのであった。
「プラップ10」(フラップを10度に下げて下さい)
 進入体制に入った。強風の中でフラップを下げると翼が風を捕まえて揚力が強くなる分、制御が難しくなる。
 機体が急激に上に浮き、突風が激しく機体を揺った。YS-11の両翼がまるで鳥のようにばたばたと羽ためいている。
 大井機長は額に汗をにじませて全力で激しく揺れる機体を押さえ込んだ。
 すぐ下に奄美大島空港の滑走路が、流れる霧の灰色のベールにつつまれて長い帯びのように横たわっている。
 567便は滑走路上空(ハイステーション)を高度1700フィートで横切って一端、海へ出るのである。
「このまま、ハイステーションを出ますからね」
 567が海へ機首を向けると風の音がエンジンの音に混じって豪々と響き始めた。

奄美大島ランディング

東亜国内航空鹿児島運航課

「おい。奄美大島から何か言ってきたか?」
 早川所長が運航課に入ってくるなり、大声で尋ねた。数人の運航課員が落ち着かない様子で机のまわりを立ち動いている。
「奄美大島から連絡はありません。まだ着陸していません。多分、現在、アプローチ中ですよ」
 567便が無事着陸したかどうかを知るには奄美大島運航課から直接、電話で聞く以外に方法はない。
 松田課長が身体をずらせて、所長のためにソファーの空間を明けた。所長はそれを無視して隣の机から椅子をひっぱり出して、電話の側に後向きに座った。そして我慢の限界にきている子供のように両足で交互に床を踏み鳴らす。
「静かにして下さいよ、所長」たまりかねて松田が大声で怒鳴った。こんなとき、待つ身はつらい。過去、台風のたびに数え切れないほど経験していることだったが、いつもいたたまれない気持に追い込まれる。
 そのとき電話のベルが鳴った。一斉に全員の視線が黒い電話に集まる。担当の運航課員がすぐ受話器を掴んだ。
「オーバー・ステーション? ああ、ターニング インバウンド。ああ、ちょっと(風が)強いですね。はい。そうですか。風の息としてはどんな感じですか?…・はい。わかりました。じゃまた、トライしたら教えて下さい」
 受話器を置いて運航課員が現在の567便の状況を説明する。
「今、ちょっと風が強くなっているみたいですね。今、オーバー・ステーションといいまして滑走路の近くに無線標識があるんですが、そこをヒット(通過)して、もう一回(海へ)出ていって(海から滑走路に)入ってくるところをやっていますから」

567便コックピット

 567便は奄美大島を横断して南側の海上に出た。予想したように追い風が強くなり飛行機が小刻みに揺れる。
「アウトバウンド170度」と機長。高度1700フィート、機首方向170度。
 小山副操縦士がマイクをとって奄美大島空港レディオにハイステーションの通過を知らせる。
「アマミレディオ。トーアドメス567。ADF NO2アプローチ」
(奄美レディオへ。こちらは東亜国内航空567です。これからADF NO2方式でアプローチします)
「567、ラジャ。ウインド 340ディグリー 16ノット。リポート ターニング インバウンド」
(567便了解。現在の風は340度から16ノットです。旋回し終わって最終進入に移ったら報告して下さい)
 風は横風であるがまだ弱い息のままである。この状態があと5分続けばと思いながら小山副操縦士は交信を終えた。
「フラップ20」と大井機長。
 復誦しながら副操縦士は下げ翼の位置を20度にした。油圧でフラップが下がる振動が風の音に混じって機体に伝わってくる。
 アプローチの計器点検が始まった。
「アプローチ・チェックリスト」
「シートベルト&ノースモーキング」
「オン」
「フュエル ブースターポンプ」
「ボース オン」
「フュエル ヒーター」
「オン」
「ギャレバー」
「ニュートラル」
「バイパス レバー」
「ノーマル」
「ハイドロ プレス&QTY」
「チェツクド」
「フュエル トリマー」
「ハーフ セット」
「レディオ アルティメイター」
「セット」
「アプローチ チェツク イズ コンプリーテッド」
 進入時の計器点検が終わると、567便はUターンポイントに近づいた。右旋回を始める地点は空港から南に約10マイル(約16キロ)の海上である。
 眼前には灰色の太平洋。その水平線は黒く厚い雲に閉ざされ、眼下の海は白波が沸き立っている。
「インバウンドはライト・ターンで010だね」(最終進入は右旋回して進入方向は010度だね)
 大井機長が確認した。
「はい。(高度)1200フィートです」と小山副操縦士。そして右側の空に機影がないことを目視して、
「ライト・サイド・クリアー」と機長に伝えた。
 大井機長は567便をゆっくりと右旋回させる。
 右に旋回を始めると、今まで真うしろから吹いていた風が次第に正面にまわって豪々とした風音とともに機体が上下に揺れ始めた。
 高度1200フィート、約360メートル、右に傾いた主翼が泡立つ水面を切り裂くように思えるほど海がすぐ近くに見える。
 突風が果断無く吹きつけて右へ右へと流される飛行機を、大井機長は全力で正面の進入コース010方位に向けた。オートパイロットの装置がない567便YSは、離陸から巡航、そして着陸まですべてマニュアル操作である。その操縦は滅法体力を使う。とくにこの嵐の中では。
「やっぱり2000フィートあたりから気流が悪いね」ぶるぶると振るえる操縦悍を握り締めながら大井機長が言った。
「山の陰に入りますからね」
 奄美大島空港は島の北にあり、空港のすぐ横(北)に大刈山という181メートルの山がある。その山を越えて吹く北風が乱流を起こす原因のひとつになり、奄美大島は着陸が難しい空港に指定されている。
 高度が下がるにつれて山の影響が現われて、再び機体が激しく上下し始めた。

つづく

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第7回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

離島の緊急フライト

 日頃は”乗り合いバス”のような離島運航も、離島住民の緊急医療には欠かせない使命がある。長年、離島に飛ぶYS-11は空の緊急車の役目を果たしてきた。早川所長は次のように語る。

早川所長インタビュー

「例えば離島方面は(本土に比べて)医療体制が遅れています。離島の人たちが重い病気で手術をしなければならないというとき、(病人を)鹿児島や沖縄まで飛行機で移動させなければならないなどは、離島運航やローカル(運航)の大きな特色であります。私たちは一年間に150回あるいは200回も患者輸送をします。それは本土では考えられないことです。(患者)を担架のまま(飛行機の)座席に結び運びます。場合によっては医者同行で酸素吸入をしながら患者を運ぶことも一週間に2回くらいあります」

東亜国内航空の客室乗務員も次のように話す。
― 離島で病気の人を運ぶことがありますか?
「はい。それはしょっちゅうですね。離島で交通事故にあって(患者を都市の)大きな病院に移さなければならないときなど、急遽YSのうしろの座席に担架をセットして運んだというケースや医師同行で点滴をしながら運ぶなど多々ありますね。離島には小さな病院しかないので・・・」
 大井機長もそんな緊急輸送の経験が沢山あるという。この奄美大島へ567便で飛行する一週間ほど前にも緊急フライトがあったばかりであった。
 それは奄美大島の木工所に勤める男性が、誤って機械で親指を切り落した。その男性を急遽、手術のために鹿児島まで運んだフライトである。
 そのときの様子を奄美大島の東亜国内航空の運航課員と大井機長は次のように語っている。
 運航課員「木工所で(指を)切断したんです」
 大井機長「奄美では手術が出来ないから、(患者を)鹿児島の市民病院まで運ぶというので、(奄美大島空港から鹿児島空港へ飛ぶ)最終便に乗せたのです。(指を切断した状態なので)時間的に余裕がないのです。なぜなら(切断された)指が(手に)くっつかなくなってしまうから、気を使いました」
 運航課員「そうですね。(指を切断してから)24時間以内に縫いあわせの手術をすればOKということだったので。それでね。大井機長。翌日、(無事手術が成功したので) そのときのパイロットの方々に何とお礼を言えば良いのかと、身内の方から、わざわざ、お電話がありましたよ」 
大井機長「いや。(それは)嬉しいですね。いやー、(その後、患者さんが)どうだったかと思ってね。(切断された指は)新しければ、新しい程(時間が経過しなければしない程)くっつきやすいでしょうからね」
 運航課員「はい。(あのとき、患者の)奥さんが切断された指を冷凍してナイロン袋に入れましてね。それで(患者に同行して)持って行かれましたからね」
 そのとき、血にまみれた夫の切断した親指を、氷を詰めたビニール袋の中に入れて傷ついた夫に寄り添い、最終便の後部座席に座っていた奥さんの姿が忘れられないと、運航課員は話すのだった。
 大井機長も手術に間にあわせるために、可能な限り飛ばしましたよ、と当時を回想する。

奄美大島下降

 奄美大島に近づくにつれて空の様子は一変し、険悪になっていった。
 今まで続いていた灰色の雲は暗い雨雲に変わり、幾重にも層を作って牙を剥き出すように行く手に立ちはだかっている。
 雲の中から那覇コントロールの無線が奄美大島への下降許可を告げた。
「ラジャ。567。クリアー トウ アマミ レディオ ビーコン バイ プレゼント ポジション ディレクト アマミVOR ディレクト ディセント メインテイン3000 ナウ リービング12000」
(了解しました。567便。奄美ビーコンに沿って現在地からダイレクトに奄美大島VORに向かいます。直ちに高度12000フィートを離れて高度3000フィートまで下降開始します)
 管制官に567便が応答して、奄美大島への進入が開始された。「ラジャ。567。リポート リービング9000」
(こちら那覇コントロール、了解。567便へ。高度9000フィート通過時に報告して下さい)
 流れる暗雲が激しい雨を呼び、コックピットの窓を打つ。窓ガラスにはその雨が滝になって流れている。
 客室乗務員がコックピットに客室の準備が出来たことをインターホンで知らせてきた。小山副操縦士が応える。
「はい。どうも有難うございました。キャビンはOKです」
 大井機長は頷いて、9000フィート通過時には管制官に報告する旨、小山副操縦士に確認した。
「リポート リービング9000だからね」
 雲の中で機首が下がって567便は下降を始めた。コックピットの空気がピーンと張り詰める。
 客室ではキャビンアナウンスが流れた。
「当機はこれより次第に高度を下げて参ります。尚、高度降下に伴いまして気流の関係で揺れて参りますので、お座席のベルトをしっかりとお締め下さい。尚、途中ご気分の悪くなられたお客様はご遠慮なくお座席の前のポケットの白い袋をご使用下さい」
 さすがに乗り合いバスの中のように寛いでいた乗客も窓越しに険悪な雲を眺めて、身を引き締めるようにシートベルトを着けて椅子の背を立てる。先ほどから焼酎を呑んでいた中年の男性も、ビンを足元のバッグにしまって不安そうな表情になった。
 高度が10000フィートを切ると、再び厚い雨雲に入った。
 コックピットは夜のように暗くなり、小山副操縦士が計器類の照明を点灯した。オレンジ色のライトが灰色のコックピットの中ににじむように光る。
 一瞬、機体が激しく上下に揺れた。高度を下げるにつれて気流がますます悪くなる。
「キャビン・プレッシャー(客室の与圧)。セット。それから13時ウエザーでランディング・データーを作って下さい」
 機長の要請で小山副操縦士が、素早く13時の気象データを基準にして着陸に必要なデータを作成する。
「はい。風は340度から16ノット。ガスト28(ノット) QNは2950(ミリバール)です。エレベーションは59。OAP28度。デイトリムが75%。ランディング・ウエイトは5万1515(ポンド)、スレッシュールドが97(ノット)、99(ノット)フラップUPスピードが113(ノット)、ファイナルが124(ノット)です」
 機長は前方を見つめたまま言った。「プラス10でいくとディスタンス(着陸に必要な滑走路の距離)がどれだけになる?」
「トーアドメス567 QNHアマミ 2958」
 大井機長は管制官が気圧を間違えてレポートするのを聞きながら、「今、間違えているな。プラス10でディスタンスは?」と、再度、滑走路の距離を確かめた。
 最低16ノット、最悪の場合28ノット以上の強風が予測されるランディングには通常の進入スピードより速くしなければ、機体が風に流されてしまう。
 大井機長はプラス10ノット(着陸データ上の進入速度より10ノット速いスピード)で着陸するつもりだった。しかし、進入スピードが上がればそれだけ、使用する滑走路の距離が多く必要になる。
「トーアドメス567 QNHアマミ2950 アンド セイ ユア アルティテュード?」
(東亜国内航空567便へ。奄美空港の気圧は29・50インチです。現在の高度を知らせて下さい)
 管制官は再度、気圧を訂正した。飛行機の気圧高度計は滑走路上の気圧を基準としてセットすることで、正確な現在気圧が必要なのだ。
「トーアドメス567。リービング9400」
(東亜国内航空567便です。現在高度9400フィートで降下中です)
「ラジャ。567 クリアー フォー アプローチ トウ アマミエアポート コンタクト タワー アマミ・レジオ」
(了解しました。そのまま奄美大島空港への進入を許可します。以後は空港タワー・コントロールの奄美レジオとコンタクトして下さい)
 飛行高度が10000フィート前後まではACC那覇コントロールの管轄であるが、それ以下は空港管制が担当する。
「ラジャー。クリアー フォー アプローチ アンド コンタクトトウ アマミ・レジオ」
 副操縦士が交信を復誦して、無線周波数をアマミ・レジオ118・1に合わせた。
 567便は雨雲を抜けるとすぐ又、黒い雲の層に突っ込んだ。激しい上昇気流につかまり機体がふわりと持ち上がって、すぐに高速エレベーターに乗っているようにスーッと下がる。パチパチと激しい音がしてフロントガラスを小さな氷の粒が打った。
「1200ギリギリだな」
 左右に揺れる飛行機を操りながら大井機長が言った。プラス10のスピードで進入すると、計算では滑走路の距離は1200メートルぎりぎりまで使うことになる。奄美大島空港の滑走路は1200メートルであった。
「先にアマミ・レディオにコンタクトしておこう」
 今度は突風で機体がぎしぎしと軋んだ。小山副操縦士が奄美大島空港を呼ぶ。
「アマミ・レディオ。トーアドメス567。パッシング9000 エスティメート アマミ 1410 オーバー」
(奄美レデオ。こちら東亜国内航空567便です。現在高度9000フィートで進入中、奄美大島到着は14時10分の予定です)
「トーアドメス567。アマミ・レディオ。ランウエイ020 ウインド 330ディグリー 22ノット テンパラチャー28 QNH2950 レポート オーバー アマミ」
(東亜国内航空567便へ。こちら奄美レディオです。使用滑走路は020。風は330度方位から22ノット。気温28度。気圧は29・50インチです。奄美VOR上空に到着したら報告して下さい)
 雲中飛行の不安を和らげるように、暗雲を抜けて奄美レディオの無線のボイスが力強く響く。

つづく

武田一男

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第6回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

奄美大島へ

 薩南洋上、高度12000フィート。眼下は見渡すかぎり雨雲である。
 灰色の絨毯を敷き詰めた広い雲の層に、所々、らくだの瘤のような黒い塊がいくつも突き上げて険悪な様相をみせ、すぐ上空にはやや明るい灰色の厚い雲が、低い天井のように覆っている。
 567便は、その雲の層に挾まれた細長い空の空間を一路、奄美大島に向けて南下していた。今は10分遅れて後続する僚機569便YS以外は、20000フィート以下の高度に他の航空機は全く飛行していない。
 567便の飛行コースは薩摩半島を枕崎上空で抜け、東シナ海に入り、機首方向207度で屋久島の西約40マイルを通過して北緯30度線に向かう。
 30度線を東経129度49.16度にあるBOMAPポイントで通過。ここまで鹿児島からおよそ100マイルの飛行距離である。その後、機首方向207度で東シナ海を南下、奄美大島の北北西約30マイル洋上にあるポイントSATLAへ向かう。
 SATLAはBOAMPからおよそ65マイルの洋上の地点、そしてSATLAから奄美大島へ左旋回し、機首を166度に変えて下降を開始する。
 奄美大島に至るエンルートの気流は、心配するほど悪いものではなかった。
 鹿児島の南端から種子島付近にかけて9000フィート近くまでの高さに伸びていた雨雲の中では、かなり揺れたが、雲を抜けてからは、強い追い風による小刻みな揺れ以外は激しい気流の乱れはなく、台風時の飛行とは思えないほど平穏な巡航であった。
 巡航中は定期的に計器類に目を走らせ、管制交信に耳を傾ける以外、とりたててする仕事もないコックピット・クルーにとって比較的くつろげる時間帯である。
 しかも、普段ならこの薩南諸島の海上を飛行するときは、大きなガラスの窓越しに南の太陽が燦々と降り注ぎ、コックピットの中は暖くて眠りさえ誘う居心地の良い場所になる。
 だが、今日はまるで違っていた。
 日差しが雲に遮られたうす暗いコックピットの中で、二人のパイロットは口数も少なく落ちつかない様子を見せていた。
 嵐の奄美大島への着陸を考えると、この一時的な平穏が早く終わればいいとさえ思える。それは戦場で数時間後に始まる総攻撃を前に落ち着かない気持で待機する兵士のように、つかの間の平穏な時間がよりいっそう緊張感を高めるような気がするのだ。
「やっぱりさ…」
 大井機長は張り詰めた雰囲気を和らげるように副操縦士に話しかけた。
「鹿児島で勤務するかぎり、台風に当たる確立は多いよね」
「多いですよ。毎年、必ず当たりますね」
「東京で勤務するときは、めったに当たったことはなかったけどね」
そして大井機長はしみじみとした調子で呟くのだった。
「鍛えられるよ…」
「運の悪い人なんか毎回当たるんですよね」
「(鹿児島へ)来るたびにな…」
 雲を隔てた上空から沖縄や本土に飛ぶジェット旅客機の交信が聞こえてくる。
「フクオカ・コントロール。ジャパンエア611。メインテイン310」
(こちら福岡コントロールです。日本航空611便へ。高度3100フィートを維持して下さい)
「ジャパンエア611。ラジャ」
(日本航空611便、了解)
「フクオカ・コントロール。オールニッポン98。リービング290 フォー 170」
(全日空98便へ。こちらフクオカ・コントロールです。高度29000フィートから17000フィートへ降下して下さい)
「オールニッポン98。ラジャ」
(全日空98便。了解)
 そのとき、567便の無線が鳴った。
「569?」
 10分あとを飛行している569便が無線で呼び掛けてきたのだ。小山副操縦士がマイクを取る。
「トーアドメス567。トーアドメス569。呼ばれましたか?」
 高度7000フィート前後を上昇中の569便が雲の中から、先行する567便に現在の飛行高度と気流の状態を尋ねてきたのだ。
「(567便の現在高度は)10000(フィート)ですか?」
「(現在高度は)12000(フィート)です」小山副操縦士が答える。
「10000(フィート)でも、やはり雲がかかりますか?」と569便が尋ねた。
「10000でもいけると言ってくれ」
 大井機長が10000フィートで雲が切れることを569便に伝えるように副操縦士に指示を出す。
「10000でも問題ないと思います」小山副操縦士がすぐ機長の指示を無線に乗せる。
「はい。了解です」と569便。
 飛行中に他の飛行機と交信を交わすことは多々ある。例えば、電波の具合で管制官と連絡が出来ないとき、先行する他の航空機にコンタクトして管制官へ到着予定時刻や飛行高度などを伝えてもらう場合や、これから飛行するルートの天候などを尋ねる場合などである。
 569便と交信が終わると、大井機長はインターホン電話で客室乗務員を呼んだ。キャプテン・アナウンスをするためである。
「あの、13時ウエザーをもらったのですが、12時と変わっておりません。そういう状況で(奄美大島への)着陸は五分五分ですね。それでは(アナウンスを)始めますのでお願いします」
 そして機内放送のためにマイクを取った。

「ご搭乗の皆様。本日もTDA東亜国内航空をご利用頂きまして真に有難うございます。操縦席より飛行状況のご案内をさせて頂きます。567便奄美行きは定刻より約1時間ほど遅れて出発しております。
 現在、飛行高度12000フィート、約3600メートル。飛行速度、毎時400キロメートルで順調に飛行を続けております。
 只今の位置は薩摩半島の南端から約50キロの所を飛行しております。当機はこれより北緯30度線を13時38分に通過いたしまして、目的地奄美空港には14時15分の着陸を予定しております。尚、航路上の天候は目的地までは、ほぼ現在のように、大きな雲もなく順調な飛行が続くものと思われますが、着陸進入に関しましては、かなりの揺れが予想されます。
 目的地奄美空港の天候は出発前に、ご案内申し上げました通り、台風の影響でかなり風が強くなっておりまして、現在のところ着陸出来るぎりぎりの状況でございます。
 最悪の場合には鹿児島空港に引き返すことも充分考えられますのでご了承ください。何かご不便な点がございましたら客室乗務員までお申し出下さい。本日はご搭乗有難うございました」

 乗客たちは”最悪の場合、鹿児島に引き返す”という機長のアナウンスなど気にもしていない様子だった。そんなことは離島では日常茶飯時なことだった。
 乗客たちは機内に持ち込んだ手弁当をおいしそうに食べ、ちびりちびりと懐から取りだした焼酎を呑む者もいた。
 乗客の大半は顔見知りで、機内はさながら村から村へ走る乗り合いバスの車内のように打ち解け、寛いで、機窓から嵐の雲を心配気にながめているものなど一人もいなかった。

567便乗客の客室インタビュー

「しょっちゅう乗っておるんですけどね。毎月いっぺんぐらいはね。台風のときは欠航があったりするんですよ。で、欠航とか、しょっちゅう風が強いときなんか、奄美空港なんか、よう着かんですものね。上まで飛んできて、また引っ返すとか。40分くらい乗ってから、もう、帰ったことがあるんです。(奄美大島は)空港が小さいからYSがいちばん良いです」

567便コックピット

 567便は北緯30度線を予定より早く過ぎた。北風が予測したより速いためだ。
 まだ上空には雲があるものの、下は雲も切れ始めて灰色の荒れる海が所々見渡せるようになった。
「やっぱり、白波が立っているね。まっ白だな」
 大井機長は身を乗りだして海を眺めた。
 いつもは青く澄んでいる南の海は灰色に濁り、大きな波頭が帯を連ねたように海面一帯に伸びている。その波頭を見るかぎり海面にはかなりの強風が予想された。
 台風の中心が過ぎたと考えられる奄美大島もまだこんな風が吹いているのだろうか?
 大井機長は現在の奄美大島の出来るだけ詳細な情報が欲しかった。 しかし、情報を得るにしても、この位置からは奄美大島の東亜国内航空運航課と交信するには、距離が遠過ぎてカンパニー無線はつながらない。しかも奄美大島空港にはATIS(空港情報サービス)もないので、直接、空港から情報を得ることも出来ない。
 そのとき、ふと思いついて大井機長は無線機のマイクを取り上げた。
「564、こちら567。どうぞ」
 564便は奄美大島空港で台風をやり過ごし、今日鹿児島空港へ向かう予定のYS-11である。奄美大島の状況を聞くためにその飛行機に呼び掛けようと考えたのだ。
 もし、564便が予定通り奄美大島を離陸していれば、こちらに向かっているので無線は届く筈である。
 しかし、受信機はザーという空電を発しているだけで、飛行機からの応答はなかった。
「130.1(メガヘルツ)にしているかな?」
 YS-11に搭載している無線機はVHF1とVHF2の二つで、VHF1は管制との交信にあて、VHF2は離着陸前後はカンパニー無線の周波数に合わせ、それ以外を130.1メガヘルツにして緊急時や飛行機間の交信にあてている。
「まだだと思いますけどね」小山副操縦士が小首を傾げながら答えた。
「忙しいときだからな…」と大井機長は、もし、564便が離陸していれば今は上昇中で何かと多忙な時だろうと思いながら呟いた。
 しかし、何としても奄美大島の最新ウエザーが欲しかった。ここまで飛んで来て、みすみす鹿児島に引き返したくはない。
「トーアドメス564。こちら567。感度如何?」
 再度、大井機長は564便を呼ぶ。だが、564便からは応答はなかった。
 無線の受信機からは日本航空903便へ、福岡コントロールから那覇コントロールへの移管を呼び掛ける管制交信が聞こえる。
「ジャパンエアー903。レーダーサービス・ターミネイテッド コンタクト ナハ・コントロール1193」
(日本航空903便。こちら福岡コントロールです。レーダー誘導の限界です。以後は那覇コントロール周波数119.3メガヘルツに連絡して下さい)
 北緯130度線は福岡コントロールと那覇コントロールの管制エリアの分岐点である。
 日本航空に引き続き、福岡コントロールが567便を呼んできた。「トーアドメス567。レーダーサービス・ターミネイテッド。コンタクト ナハ・コントロール120.5」
(東亜国内航空567便へ。こちら福岡コントロールです。レーダー誘導の限界地点です。以後は那覇コントロール120.5メガヘルツへご連絡下さい)
「トーアドメス567。ラジャー。120.5」
(東亜国内航空567便です。120.5了解しました)
 VHF1の周波数を120.5メガヘルツに変えて、小山副操縦士は大井機長に管制が変わったことを報告した。
「今、コンタクトはナハ・コントロールです」
 大井機長はVHF2で564便とのコンタクトに腐心していた。どうしても情報が欲しい。そして、何とかこの飛行機を奄美大島に降ろしたい。それは離島を飛ぶパイロットの使命であった。
「今、まだ、(564便は無線のボリームを)しぼっているみたいだな」
 大井機長は再び、564便を呼ぶ。
「こちら567。564。感度いかが?」
 そのとき、564便が応えた。大井機長の顔に安堵の色が走る。
「お忙しいところお手数ですけども、奄美の状況を少し聞かせて頂けますか?」
 上昇中のコックピットの多忙さに気使いながらも、大井機長は気が急く思いで尋ねた。
「えー、了解しました」
 564便のボイスは明瞭にスピーカーから流れた。
「奄美はデータ通り、320(度方向)から360(度方向)くらいで、だいたい12、3ノットの風が多いんですが、ときどき20ノット、あるいは25ノット、ときには30ノット吹くこともありました。空港のインディケーターによると、12、3ノットの風が1分か2分くらい続きまして、それから20から25ノットの風が30秒くらい続くといったような繰返しの状況でした。風の変化が非常に激しいようでした。どうぞ」
 奄美大島の状況は予想した以上に悪いものだった。大井機長は礼を言って無線を閉じた。
 着陸時、320度から360度方位の風は、ほぼランウエイヘディングで正面の風になり20ノット以内なら問題はないだろう。  しかし、25ノットから30ノットの強風が混じるという風の変化は厳しいものがあった。
 実際、着陸の瞬間にその風が吹けば、翼面荷重が少ないYS-11の特性から考えて機体が翻弄され着陸を断念せざるをえない。
 しかし、接地するとき12、3ノットの風に当たれば着陸はたやすいものになる。
 唯、風がそれほど西に回っていないのが唯ひとつの救いであった。「これはタイミングだな」
 大井機長は小山副操縦士の顔を見て言った。
 奄美大島に近づくにつれて、コックピットは次第に緊張感が増し始めていた。

つづく

武田一男

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第5回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

航空整備マンの功績

 567便が奄美大島に向かっている間、YS-11の運航を影で支える航空メカニックの人達の影の努力を紹介しょう。この努力があってこそYSの離島運航があったのである。

鹿児島支店整備主任のインタビュー

― 台風時のYS-11の整備についてお話を伺いたいのですが?
「まず、台風の時はその規模によって(YS-11)を他の空港に逃す(エバゲーション)するか、(鹿児島空港に)スティさせるかどうかを台風対策本部と相談して決めます」
― 待避(エバーゲーション)する場合はどんな点に気を使いますか?
「それはまず、何処に待避させるかということです。台風の進路によって空港を決めます」
― 待避するときは整備員も同乗するのですか?
「待避する空港に整備員がいない場合はもちろん同乗します」
― 待避が出来なくて鹿児島空港にスティさせる場合は?
「7機ともスティさせるのは大変苦労があります。整備員を一機一機に張付けて、夜の11時過ぎ風が強くなるころからエンジンを回してYS-11を風に正対させました」
― 風に飛行機を正対させるとはどういうことですか?
「ええ。風の方向に飛行機を向けて駐機する、正対させるんです」
― そのとき何故、エンジンを回すのですか?
「風に飛ばされてしまうからですが、普通はトーイングカーを飛行機に繋いで正対させます。台風の時は風が強いので煽られて危険ですから、飛行機に整備員が乗ってエンジンを回し、タキシングでそのときの風の方位に機首を合わせて向きを変えるんです。又、機内に鉛のバラストを積んだり、燃料を満タンにして機重を重くして風に煽られにくいようにします」
― そのとき留意されるのは?
「なにしろ夜中に7機のYSを並べて、同時にエンジン・ランをするものですから、風もさることながら飛行機同志の接触事故に最も注意を払います」
 夜、嵐の中で駐機場に並んだ7機のYS-11が、翼を揃えて一斉に回すエンジンの音は耳を轟する騒音となる。
 そして風の方位が変わるたびに、まるで海に泳ぐ魚の群れのように、全機が一斉に機首を風に向けて方向を変える。
 その長い繰返しの中で、雨と風に打たれながら各飛行機の間を走り回り、懸命に飛行機を守る整備マン逹・・・。
 インタビューを終えた整備主任が一言、漏らした言葉が印象的であった。
「要は、うち(整備)の連中は、滅法、飛行機が好きなんですよ。子供みたいにね・・・。」

 ここで簡単にYS-11の歴史を振り返って見ると、第二次大戦後、純国産の旅客機としてYS-11の構想が正式に発表されたのが昭和31年の5月、そして製造を担当する会社、日本航空機製造が昭和34年6月に設立され、1号機(試作機)が初飛行したのが昭和37年8月30日であった。
 それから約12年間、昭和49年2月1日に最終号機がロールアウトして製造が打ち切られたが、YS-11は今だに現役旅客機として世界の空を飛行している。
 YS-11が長寿である理由は、むろん、航空機自体の設計、製造が優れていることもさることながら、YS-11を使用している航空会社の優秀な整備技術がその理由であると言われている。
 中でも東亜国内航空の整備は優秀なことで知られていた。それはこの台風飛行が行われた当時の就航率に如実に現われている。
 昭和54年には95・8パーセントの高率で、この就航率が100パーセントに至らない理由は、ほとんど台風など天候によるものであったという。
 これは驚異的な数字である。何故ならこの時、すでにYS-11は製造を中止して6年も経っていたからだ。
 昭和55年、東亜国内航空はYS-11を42機所有する世界最大のYSオペレーターであった(自社所有は36機、リースが6機)。その42機の他に東亜国内航空の整備スタッフが整備契約を結んでいたのは、運輸省航空局のチェツカー機が5機、南西航空の所有機が5機で、合計52機のYS-11のメンテナンスを行っていたのである。
 当時、彼等メンテナンス・スタッフは「YS-11は、(製造を中止した以後)今、自分たちが手塩にかけて完成品となった」と胸を張ったという。
 そのことは昭和55年9月号の航空ジャーナル社の記事に明解に記されている。
「TDA(東亜国内航空)のYS-11は、LANSA(LANSA航空ブラジル)やVASP(VASP航空ブラジル)、VARIG(ヴァリグ航空ブラジル)、PAL(フィリピン航空)など南米や東南アジアで使われていた中古の買戻し機やリース機が、現在15機もある。
 中古機にはそれぞれ固有の特性がしみついているので、(東亜国内航空機としての)信頼性を同等に保つためにはTDAになじませる改修等が必要になる。……中略……
(これら)中古機については、かならず総分解し、TDAショップ(註 当時、東亜国内航空メンテナンスが誇った豊富なYS-11の部品ストックのこと)の部品と交換し、トラブルがなくてもTDAの整備方式でオーバーホール、リペアを施し、その後、路線に投入した。……中略……
TDAの技術陣は、YS-11と共に育ったと言ってよいだろう。YSを通じて航空技術の基礎を学び、実績を積み重ね、時代の流れの中でYSに近代化を施し、自らも成長すると共に、YSという機体も成長させてきた」

YS-11、JA8643号機の奇跡

 奄美大島へのフライトから横道にそれるが、YS-11の整備マンたちの優秀さと飛行機にかける愛情を現わすエピソードをご紹介しよう。
 それは事故でスクラップと認定されたYS-11を復元修復して、再び、飛べる飛行機に戻して空に帰した奇跡のような整備マンの話である。
 その事故は昭和42年1月22日に函館で起こった。
 事故を起こしたYS-11は、東亜国内航空の前身である日本国内航空の所有するJA8643機「黒耀号」であった。(註 日本国内航空と東亜航空が昭和46年5月に合併して東亜国内航空となり、昭和63年4月1日に日本エアシステムに社名を変更した)
 JA8643号機の製造番号2007。すなはちYS-11の第7番目の機体である。
 事故の様子は、そのときの朝日新聞の記事を引用する。

YS-11機、離陸に失敗。国内航空 函館で乗客4人けが。

 〔函館〕22日午前11時40分ごろ、北海道函館空港で、日本国内航空のYS-11機「黒耀号」(飛田武男機長ら乗員四人、乗客十二人)が離陸に失敗、滑走路から約二百メートルとび出して畑の雪の中に突っ込んで止まり、乗客四人が頭や腰などに軽いけがをした。

 函館航空保安事務所は同五十分、滑走路を閉鎖して現場を保存、運輸省航空局の楢林主席検査官が同夕刻現場に到着して、二十三日から本格的な原因調査に乗り出す。

 同機は同日午前十一時すぎ、いったん滑走路に出て、離陸体制に入ったが、飛田機長が操縦系統の故障に気づいて一度エプロン(駐機場)に引返して点検、予定より約五十分遅れて滑走を始めた。
 飛田機長の話によると、滑走路の中ほどでプロペラの回転数が上がらず離陸出来ないと断念、同機長は非常ブレーキなどを使ったが、間にあわなかったという。
 滑走路から約百メートルはずれたところには、左右のプロペラと車輪がもぎとられて散乱していた。
 乗客の話を総合すると、止まったときは左エンジンから火をふき、水道のジャ口をひねったようないきおいで油がふき出していたという。乗客はスチュワーデスの誘導で後部右側にある非常口から脱出して大事にはいたらなかった。
 飛田機長の話  滑走中にレバーが激しくゆれるので離陸を中止、非常ブレーキも使って急ブレーキをかけた。

朝日新聞 昭和42年1月23日付け朝刊

 車軸が折れプロペラをとばしたYS-11「黒耀号」JA8643機は、地面に激突し、そのまま約200メートル、胴体のまま滑走したことで、雪の上とはいえ機体は歪み、主翼やプロペラは大きな破損をうけた。
 航空局の事故調査を受けた後、機体は函館空港の日本国内航空の格納庫に保管された。
 そして一ヶ月後、保険会社の調査も終わり、「黒耀号」JA8643機は全損扱いとなり、スクラップと認定されたのであった。
 松尾整備部次長(東亜国内航空)は当時を振り返って、次のように語った。
「スクラップと認定された事故機の残骸は、保険会社が処分するとしてもお金がかかるし、うまくいってもわずかな金で屑鉄として売るしかない。それで、保険会社は格納庫に積み上げた機体をそのまま国内航空に譲り渡したのです。とりあえず我々はスクラップの中から、まだ使える部品を取り外すことにしました」
 昭和42年当時は、YS-11はまだバリバリの新鋭機であった。 とくにローカル路線を中心に運航していた日本国内航空にとっては主力機であり、YSを製造する日本航空機製造も世界中から受注を抱えてライン生産が全盛だった頃なので、YSの部品類は貴重なものであった。
 それで日本国内航空の本社整備部や技術課、各支店の整備スタッフは我先に函館を訪れ、機体から可能な限り、使用出来る部品を抜き去ったのである。中には”記念品”として持ち帰る者もいたという。その結果、JA8643号機はいっそう無残なスクラップと化した。
 その頃、本社整備部の鳴神部長も函館を訪れた。
 彼は函館の格納庫に積まれた残骸をみたとき、かっては美しい姿で大空を自由に飛んでいた飛行機の姿とはとても思えず、胸に迫るものがあったという。そして彼はそのとき決意した。「この残骸をもう一度、飛行機として空に帰してやることは出来ないものだろうか?」と。
 もともと、鳴神部長は日本航空の整備会社JAMCOから日本国内航空に引き抜かれた整備のエキスパートであった。彼は日本航空整備時代から大きな整備を担当していた。
 かってアメリカ人の指導で胴体がバラバラになったダグラスDCー4のケタをつなぐ大修理の経験もあり、骨の髄からの整備マンであった。
 それで鳴神部長は会社にJA8643を復元修復することを提案したのである。
 しかし、大破した飛行機を修復して空に帰すことは、当時としては夢のような話であった。
「その話を聞いたとき、吃驚しましたね。あんなスクラップを修復して、本当に空を飛ぶようになるのかな?」
 整備技術課の内田課長をはじめ整備部スタッフの間でもその提案は信じられないものだったという。
 そんな状況の中で、鳴神部長の整備魂は燃えた。
「この復元修理は日本国内航空の整備マンを育成するには最適の教材になる」と鳴神部長は会社を説得し、会社は復元修復案を了承したのである。
 事実、この復元修理に携わった人たちが、後に整備部の中枢として、東亜国内航空がYS-11の整備にかけては世界一と言われるようになった礎と伝統を築いた。

 年が変わって昭和43年1月、鳴神部長を中心にした修復グループが発足し、JA8643号機の復元修復が始まった。
 しかし修復スタッフは事故以来、一年間、函館の格納庫に寒風にさらされ放置されていた飛行機の残骸を目にして、改めてこのスクラップが再び、空を飛べるようになるのか、という疑念を払拭することは出来なかった。
「当時は空港の中を通れないので、格納庫まで外側のフェンス沿いに、うさぎの小道みたいな雪道を歩いて毎日、通いましてね。寒かったなあ。しかも氷点下に近い格納庫の中には電気すらもなかったんですよ。
 それで農業用の小さな発電機を調達しましてね。薄暗い裸電球を灯して細々と残骸の仕分け作業をしました。が、まだ、(飛べるようになるのかどうか)疑問はありましたね・・・」(松尾整備部次長)
 たしかにそれまで、日本の航空界では事故で大破した旅客機を復元して空に帰したという事例は一件もなかったので、整備マンが尻込みするのは無理もなかった。
 鳴神部長はその一人一人に、「これは絶対に飛べるようになる」と整備マンの魂を吹き込んでいったという。
 彼は日本航空から修理のベテランといわれた故山川技師を参加させ、復元計画は徐々に進み始めた。
 しかし、問題は山積みしていた。まずその一つは、函館空港では工具も設備も不足しているので、飛行機の残骸を日本国内航空のベースである羽田空港へ運ぶ必要があった。
 問題はその輸送方法である。
 当時はまだ、東北自動車道路もなく、北海道と青森を結ぶ青函トンネルもなかった。機体がバラバラであるとはいえ、これ以上破損紛失しない方法で羽田空港まで運ぶことは復元には絶対条件であった。
 これを解決したのは当時の日本通運の函館支社の途方もなくユニークな発想であった。
 それは筏による輸送案である。大きな丸太を並べた上に角材を敷いた特製の筏を組み、バラバラにした飛行機を乗せてタグボートで引っぱり、函館から海伝いに羽田空港のBランウエイ側の運河まで運ぶという海上輸送案である。運河からはクレーンで機体を釣上げてそのまま格納庫に入れるというものであった。
 この輸送案は結果として大成功を納めた。
 筏は10日間ほどかかって羽田に到着し、スクラップは格納庫102ハンガーに無事、収納されたのである。
 本格的修復作業は時を移さず開始された。
 この航空史上、稀に見る修復作業には日本航空や日本航空機製造も全面的に協力を惜しまなかった。
 作業の第一歩はスクラップを完全な飛行機に復元するまでの緻密な作業プランの作成である。そのプランニングには工程管理を担当した斎藤整備部室長があたった。
「事故が起こった昭和42年の暮れは、私は胃潰瘍の手術をして入院していましてね」
 病後の身体にもかかわらず、徹夜を重ねて斎藤室長は工程プランを作成した。
「ともかく(修復作業は)初めてのことばかりなので、何から手をつけて良いのか分からないというのが実感でした。そんな中で若い連中が頑張ってくれましたね。彼等の努力がこの修復作業の支えでしたね」
 その工程プランを略記すると次のようになる。
 1月15日から2月末までは整備の人員手配(スケジュール)とジグ(工具)の準備、そして機体の故障個所の洗い出し。
 2月末から板金作業。3月6日から胴体、4月中旬には前胴(コックピット)、5月には胴体の接続、5月中旬には翼と胴体の接続。そして7月初めにパワー・イン(電源をつなぎ稼働させる)、7月20日テストフライト。
 鳴神部長の指揮のもとに作業はプラン通りに順調に進んだ。
 スクラップだった残骸が次第に飛行機の姿に変わるつれ、それまで疑心暗鬼だった整備マン一人一人に自信と希望がみなぎっていったという。
「正直、最初は疑念がありましたが、(作業を)やり始めて、だんだんと自信が出てきたというか、俺たちにもこの飛行機を飛ばすことが出来るのかもしれない、と思えるようになりましたね」(斎藤室長)
 だが、苦労も並みではなかった。
 まるごと飛行機を一機製造する、いや、むしろ、それ以上の難しさが求められた。
 航空会社の整備格納庫は、基本的に新しい飛行機を製造する工場とは大きく異なる。だから、胴体と胴体、胴体と翼などを理想的に組立結合するジグ(工具)類はない。
 修復作業はそれら一つ一つを自分たちで作り、工夫することから始まったのである。しかも、YS-11の部品はヨーロッパ製が多く、部品調達も苦労が多かったという。
 そんな状況の中でスタッフの「整備魂」は燃えた。
 そして予定通り、7月20日に新しいJA8643号機は完成しロールアウトしたのである。
 普通、YS-11一機をオーバーホールするには、延べ整備時間は3500から4000時間かかるというが、JA8643号機は完成まで約40000時間かかった。
 すなはち、YS-11を10機オーバーホールした分の整備時間を要したことになる。
 テストフライトは当時、YS-11の最高のパイロットといわれた日本国内航空査察操縦士の紺谷隆一機長が担当した。
 無事、飛行が完了したとき、鳴神部長はじめ整備マン逹は溢れる涙を押さえられなかったという。そして結果としてこの修復作業は鳴神部長の意図したように人材を育てあげた。
 JA8643機の修復で、整備マン逹が得た自信と技術は日本国内航空から東亜国内航空へ、そして日本エアシステムへと引き継がれ、誇り高き「整備魂」の伝統を築く礎として残ったという。
 尚、驚くことに、このJA8643機はその後、「ひだか」号と名を変えて現役に復帰し、日本エアシステムが平成元年12月4日にアメリカに売却するまで日本の空を飛んだ。そして現在もアメリカの空を飛行していると考えられる。
 斎藤かつ馬整備室長は今年(平成13年)で75才。今は引退して富士宮市で元気な余生を送っているが、彼は今だに空を飛んでいるJA8643機のことを聞いて、
「それは、多分、修復作業をした整備の連中の魂が入っているからだろうよ」と嬉しそうに笑うのだった。

つづく

武田一男

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第4回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

嵐の奄美大島ウエザー

東亜国内航空鹿児島運航課

 運航課のテレックスが鳴って、午後1時(13時)の気象情報が入った。鹿児島気象台が一時間ごとに知らせてくる航空気象情報である。
 松田課長がテレックスを見ながら奄美大島の最新気象情報を語った。
「340度の16。ガストが28。10キロ以上、2オクタスのキューモラスの2000。28度、22度、2950なんですが、風が280度からバリアブルで20度ですね」
 奄美大島空港の滑走路上では、340度方向(ほぼ北)から16ノットの風。16ノットの風は強風に違い無いが、数時間前に比べ、台風の通過によって幾分良い状態であることを示してした。しかし、ガスト、いわゆる時々、28ノットの突風が吹いており、依然として台風下の影響が残っている状況であった。
 視程は10キロ以上と良好で霧や雨雲でランウェイが見えないということもなく、雲は高度2000フィートに2オクタスの積雲があり、温度は28度、露点温度は22度で29.50インチで普段の寒冷前線の通過時の気圧とあまり変わりはなかった。
 唯、風の方位と域が問題であった。280度(ほぼ西)から020度(北北東)の約100度の広がりで変化する風の方位と16ノットから28ノットの突風まで強弱があることを示していた。
 とくに特殊空港に指定されている奄美大島空港は、横風が16ノット以上であれば着陸が不可能になる。使用するランウエイは020方位なので、風が正面(020度)から吹いている時は着陸可能な状況になるが、進入するときに280度の西風を受けると着陸する状態には程遠かった。
「(先ほどよりは良くなったが)まあ、風が020度まで行くとランウエイはヘディング(正面方位から受ける風なので)ですから、問題は無いのですが、(現状では)ウエスタリーのクロス(西側の横風)なので何とも言えません。(着陸するには)タイミングが必要ですね」

567便のコックピット

 すぐ運航課は567便へ13時の奄美大島の気象情報をカンパニー無線で知らせた。
「トーアドメス567。トーアドメス薩摩。えー、13時の奄美の天候をどうぞ…」
 大井機長は管制との交信モニター(VHFNO2)を副操縦士に替わって引き受けて、小山副操縦士が運航課との交信に応じた。
「はい。567です。どうぞ」
「13時の奄美は340度16(ノット)。マキシマム(最大風速)28(ノット)。10キロ以上(視程)、2オクタス・キュームラスの2000(雲量)。28度(気温)、22度(露点温度)、2950(気圧)。ウインドディレクション(風の方位)はヴアリアブル(変動的)で280度から020度です」
 奄美大島では13時現在、西から北北東にかけて約100度の範囲から、16ノットから、最大28ノットまでの風が不規則に吹いているのだ。
 小山副操縦士はすばやくウエザーリポートの一つ一つの数字を丹念にメモしていく。
 もし、奄美大島空港にATIS(エアポート・ターミナル・インフォメーション・システム)の設備があれば直接、奄美大島空港の周波数に機内の無線周波数を合わせて随時、情報を得ることが出来るが、昭和56年当時には、奄美大島空港にはATISがなかった。それで、奄美大島空港の管制エリア以遠から奄美大島の最新天候情報を得る場合には、各航空会社の運航課が飛行機に無線で知らせるのが普通であった。
 続いて運航課は567便に奄美大島周辺の島の天候を伝えた。
「徳之島は350度、23(ノット)、10キロ以上(視程)、3オクタス(雲量)、2500(フィート)、29度(気温)21度(露点温度)、2956(気圧)」
(徳之島空港滑走路の天候は、風が350度方向から23ノット吹いています。視界は良好で10キロメートル以上、雲は高度2500フィートに3オクタスの雲量です。気温は29度、露点温度は21度、気圧は29.56インチです)
「沖永良部島は340度、20(ノット)、マキシマムが32(ノット)、10キロ以上、2の2000、テンプが28、20度、2957。尚、与論島は330度18(ノット)、マキシマムが26(ノット)、10キロ以上、3オクタス3000、28度、26です。どうぞ」
(沖永良部島は340度方向から20ノットの風、最大風速が32ノット)、視程は10キロメートル以上で雲は高度2000フィートに2オクタス、気温は28度、20度、29.57インチです。 尚、与論島は330度方向から18ノットの風、最大風速は26ノット、視程10キロメートル以上、高度3000フィートに3オクタスの雲、気温28度、26度です。どうぞ)
「はい。了解しました」
 小山副操縦士がメモを終えて交信を閉じたとき、567便の飛行高度が10000フィートに達して雲を抜けた。
 大井機長が鹿児島レーダー管制に報告する。
「カゴシマ・レーダー。トーアドメス567。リービング10タウザンド」
(鹿児島空港出発管制へ。こちら東亜国内航空567便です。現在高度は10000フィート)
「トーアドメス567。カゴシマ・レーダー・コントロール。5マイルズ ビフォー マクラザキ。チェンジ&コンタクト フクオカ・コントロール135.3。レーダー コントロール ターミネイテッド オーバー」
(東亜国内航空567便へ。こちらは鹿児島出発管制です。現在地は枕崎(註 薩摩半島の南にあるポイント)の5マイル手前です。以後は福岡コントロール135.3メガヘルツへ交信して下さい。こちらのレーダー誘導の限界地点です)
「ラジャー、567。フクオカ 135.3 グッデイ」
(567便、了解しました。福岡管制の周波数は135.3。グッディ)
 鹿児島空港のレーダー誘導は空港を中心に約30マイルの半径内をそのテレトリーとし、又、航空機が高度10000フィートを超えると、高高度の飛行をコントロールする福岡管制のレーダーが担当する。
 すなはち、567便はこのあと、福岡コントロールと那覇コントロール、そして着陸、進入時は奄美レジオに引き継がれるのだ。
 詳細に言えば、日本の高高度空域は航空交通管制部(ACC)が、日本の空域を四つに分けてコントロール(北から札幌、東京、福岡、那覇の各管制エリア)しているが、567便の飛行は、まず福岡コントロールの南九州西セクターが担当(飛行高度が23000フィート以上は133.85メガヘルツ。22000フィート以下は135.3メガヘルツの周波数)して、北緯30度線付近で那覇コントロール、沖之北セクター(132.3メガヘルツ)に引き継がれ、最終的には奄美大島レジオ(118.1/126.2メガヘルツ)に替わるのである。
 鹿児島レーダー・コントロールと交信を終えた大井機長が、小山副操縦士と管制無線を交代しながら、
「スクォークは?」と、福岡管制エリアに入ったときに指定されている567便のレーダー認識番号を確認した。
「4421です」と小山副操縦士。そして「福岡コントロールへコンタクトします」と、周波数を135.3メガヘルツに切り替えて福岡コントロールを呼んだ。
「フクオカ・コントロール トーアドメス567 リービング10300 アサイン 12000」
(福岡コントロールへ。こちらは東亜国内航空567便です。現在高度10300フィート通過。指定高度12000フィートへ上昇中です)
「トーアドメス567、フクオカ・コントロール。スクォーク 4421」
(東亜国内航空567便へ。こちら福岡コントロールです。貴機のレーダー認識番号は4421です)
 桜島を通過した頃から567便はかなり厚い雲の中に入った。そして高度10000フィートを過ぎるとやっと雲のトップに出たが、青空は見えなかった。
 上空20000フィートくらいに厚い雲の層があり、それが頭上を覆い、丁度今は上下ふたつの雲海に挾まれて雲が作る空間を飛行している。
「やっぱり、風の振れ幅が西に回ってきたな」大井機長が奄美大島の天候に話を戻した。
「ええ、280度まで振れていますね」と小山副操縦士。風がこのまま西に振れれば着陸は困難である。
「ベロシティは変わらないけどさ…」と言って、大井機長は窓越しに広がる暗雲の彼方の奄美大島を見つめるように、前方に視線を投げた。
「はい。13時、奄美です」
 コックピットのスピーカーから、すぐ後を飛ぶ569便へ運航課が天気情報を知らせるカンパニー無線が流れてきた。
 その無線と重なって福岡コントロールが567便へ飛行高度を問い合わせて来る。
「トーアドメス567。レーダー・コンタクト。25マイルズ サウス オブ カゴシマ。セイ、アルティテュード?」
(東亜国内航空567便へ。貴機をレーダーで捕捉しています。現在地は鹿児島の南25マイル地点を飛行中です。現在の飛行高度を知らせて下さい)
 小山副操縦士がマイクを取って答える。
「ラジャー、567。リービング 10タウザント 600ハンドレット」
(了解。こちら567便です。現在高度は10600フィートで上昇中です)
「トーアドメス567、ラジャ。エリア QNH 2956」
(東亜国内航空567便へ。了解しました。現地域の気圧は29.56インチです)
 管制コールを復誦して無線交信を終えた小山副操縦士は、再び、機長との会話を続けた。
「(奄美大島の)クラウド(雲)は減ってきているみたいですけどね…」
 だが、この時点で気象データをどのように分析予測しようとも、奄美大島が台風22号の余波を受けていることには間違いなかった。 大井機長は全日空機の交信を聞きながら、独り言のように呟くのだった。
「しかし、このウエザー(気象情報)だけでは(現地の天候を知るには)限界があるな。(要は)状況を知るにはさ。行ってみなければわからないよね」
 YS-11は一路、奄美大島へ向けて飛び続けた。

つづく

武田一男

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第3回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

桜島噴火

東亜国内航空運航課

「桜島が爆発したようです」
 一枚のテレックスを持って運航課員が松田課長のデスクに駆けよった。
「またか。よりによってこんな嵐のときに爆発か!」憮然とした調子で松田はテレックスに見入った。
 桜島噴火の情報は鹿児島気象庁の航空測候所からその都度、テレツクスで各航空会社の運航課に知らされる。
「まあ、鹿児島に住んでいるかぎり、桜島の噴火は避けられない事とは言えよく爆発するよな…」と呟きながら、松田はテレックスの紙を爪で弾いた。
「でも、今日の噴火はたいして大きいものではないようですね。体感地震もなかったし、爆発音も響かなかったですからね」
 運航課員が「不幸中の幸い」ですか、と笑ってつけ加えた。
 桜島は今年に入っても頻繁に噴火を繰返していた。つい数日前も地震を伴ったかなり大きな噴火が起こったばかりである。
 年に数度、大きな爆発音と揺れ、そして火山灰が鹿児島市内まで降ることはあったが、大抵の場合は観測所で「空振」、すなはち噴火時に起こる空気の振動が観測される程度の噴火が多い。
「たしか、窓ガラスは響かなかったよな?」と松田が窓を振り返って尋ねた。
 空振が大きい場合、ビリビリと窓ガラスが振動したり、ときには窓ガラスが割れたりする。それは噴火の規模を知る目安のひとつになっていた。
「ええ。気付きませんでした」
「雷は?」と松田が駄目を押すように運航課員に確認した。
 火山噴火の場合には激しい空気の振動が生じて、それが大気中の磁気に変化を起し、激しい雷が発生することがある。
「まだ、確認していませんが、起ってはいないようですね。雷があれば567便が何か言ってくるでしょう」

松田運航課長インタビュー

― 今、桜島が爆発したというテレックスが入りましたが?
「噴煙が飛行機に対する影響が大きいものですから。それで(桜島の噴火は)鹿児島特有の他所では見られない情報ですよ。(現在)桜島が爆発して、(このテレックスによると)丁度、噴煙がサウスウエストサイドに流れています。これは風の情報ですね。850ミリバール、5000フィート(高度)が40度の17ノットの風。それから、700ミリバール、いわゆる10000フィートが40度の8ノットの風。500ミリバール(2万フィート)が330度から10ノットの風。この様に(各高度における)風の流れの方向をこれが(テレックス情報が)アドバイスしてくれるんです」

― (桜島の噴煙は)飛行機にかなりの影響を与えるものなのですか?
「はい。一昨年の12月に噴煙でトライスター(トライスターL1011)のコックピットのガラスが割れまして、それ以来…」

 インタビューの途中で567便から運航課に無線連絡が入った。松田は一瞬、インタビューを中断して無線に耳を傾ける。
「567.トーアドメス・薩摩。どうぞ」運航課員がマイクを取って567便に応答を求めた。

567便コックピット

「はい。12時55分。58分。オペレーションはノーマルです」
 離陸作業が一段落するとコックピット・クルーは会社の専用無線周波数(カンパニー・フリクエンシー)で運航課に離陸の状況や時間などを連絡するのが定まりになっている。
 小山副操縦士はランプアウトの時間が12時55分であること、離陸が12時58分で飛行が順調なことを鹿児島支店運航課、コールネーム”トーアドメス薩摩”にレポートをして、奄美大島空港の予定到着時刻(ETA)も伝えた。
「着予定が14時15分です」
「はい。567便。了解しました。(こちら)トーアドメス薩摩。行ってらっしゃい」と運航課員が567便に答える。
 567便との交信に耳を傾けていた松田運航課長はインタビューに戻った。

― (今の交信で)桜島の噴火のことは飛行機(567便)には報告しないのですか?
「ええ。飛行機がテイクオフして出発するときには(飛行機から)桜島がよく見えるものですから問題はないのですが、(鹿児島空港に)帰ってくるときはアドバイスするし、また丁度、桜島の高さ4000フィートから5000フィートぐらいに雲がかかっているときには、(噴煙が)どちら側に流れているかわからない。それで風をアドバイスして噴煙の流れの方向を(飛行機に)知らせるのです」

 そのとき、再び運航課に無線が入った。受信機を通してレシプロ機がランナップ音が聞こえる。
「トーアドメス569。トーアドメス薩摩、どうぞ?」
 567便に引き続き奄美大島空港へ向かうことになった2機目のYS-11、569便が出発準備を完了して駐機しているスポットから運航課を呼んできたのだ。
「こちら569。薩摩、どうぞ」
 今度は運航課員が569便に桜島の噴火を伝えた。
「12時58分に桜島が爆発しました。(567便からの)インフォメーションはまだ入っていません。567が今、ディパーチャーしましたから(詳細が分かり次第に)後ほど送ります。どうぞ」
 569便との交信が終わると、すぐ上昇中の567便が桜島の噴火の様子を運航課にレポートを始めた。

567便コックピット

「トーアドメス薩摩。こちら567ですけども、桜島の灰が南の方に流れているように見えます。もう少し経ちましたら、くわしく報告します」
「はい。よろしくお願いします」
 マイクを置いて大井機長が小山副操縦士に声をかけた。
「かなり高く上がっているね。あの灰は」
 空が幾分明さを増したためか、雨雲の中でも噴煙が黒々と際立って見えた。
 煙は幾重にも重なり、層をなして雨雲を突き破り、3000メートルに近い上空にたなびいている。その突端は強い北風を受けて水平に切れて、かなとこ雲を逆さにしたように聳えている。
「ああ。凄いですね…」と小山副操縦士も桜島の噴火を眺めて驚いた表情を見せた。
 コックピットのスピーカーから567便のすぐあとに離陸した全日空ジャンボ機の交信が聞こえた。
「鹿児島ディパーチャー。オールニッポン546 デパーティング ナウ」(鹿児島出発管制へ。こちら全日空546便です。今、離陸しました)
「オールニッポン546。ラジャー レーダーコンタクト クライム トウ 270。リポート リービング 10000 オーバー」(全日空546便へ。了解しました。貴機をレーダーで捕捉しています。27000フィートへの上昇を許可します。10000フィートに達したら報告願います)
「クライム270。レポート 10000」
(27000フィートへ上昇。10000フィート通過時にレポートします)
 続いて管制官はニアミスを避けるために、567便に他機の情報(トラフィック・インフォメーション)を伝える。
「トーアドメス567。8000 トラフィク ナウ。 イレブン オクロック ゼン シックスマイルズ ノースバンド クライミング」
(東亜国内航空567便へ。8000フィートに飛行機がいます。11時方向、6マイル先を北に向かって上昇中です)
 大井機長は雲の中に視線を走らせて上昇していくジャンホ機を追い、小山副操縦士はすぐに管制官に知らせた。
「トーアドメス567。ルッキング フォア。ナウ リーチング 7000」
(東亜国内航空567便です。探しています。まもなく高度7000フィートです)
「トーアドメス567。トラフック クリアー 。クライム アンド メインティン12000 リポート パッシング 10000」(進路に他の飛行機はありません。そのまま12000フィートへ上昇を許可します。10000フィートを通過するときには報告して下さい)
 交信を担当する小山副操縦士が管制官に復誦すると、大井機長はカンパニー周波数で、再び桜島の状況を運航課に報告を始めた。
「トーアドメス薩摩。567 どうぞ」
「567.トーアドメス薩摩。どうぞ」
(567便へ。こちら東亜国内航空運航課です。どうぞ)
「567です。桜島の灰はだいたいトップ(が)7500(フィート)から8000(フィート)に上がっています。かなり濃い灰のようです。流れている方向はサウス(南)から200度方向(約南南西)ではないかと思います。どうぞ」
 YS-11は現在、桜島の噴煙とほぼ同じ高度に達している。運航員が567便のレポートを復誦し終える。
「やはり、(噴煙の方向が)南に回ってくるだろうな…」噴煙を眺めながら大井機長が言った。
 灰が南に回るとすれば当然風は北風である。すると鹿児島より南にある奄美大島でも現在、風は北から吹いていることになる。奄美大島の着陸予定滑走路は020。すなはち北北東方位なので北風はランウエイ・ヘディングになり、状態は少しは良くなるかもしれない。
 大井機長が運航課と交信している間、管制の無線を傍受していた小山副操縦士が、
「569がすぐ(あとを)追っ掛けてきます」と、567便に続いて奄美大島へ向かう569便YS-11が、離陸を完了して鹿児島ディパーチャー管制に入ってきたことを機長に報告をする。
「今、上がったばかりです」
 台風22号で閉ざされた離島への足を開く為に、今、2機のYS-11が奄美大島に向かって飛行を開始したのだ。
 これは台風時ならではの特別なYSの飛行編隊であった。

早川所長インタビュー

― YS-11が離島運航に欠かせない飛行機という理由は?

「離島はご承知のように、大部分の滑走路は1200メートル、幅も30メートルという小さいもので、しかも、離島特有の気象条件、(すなはち)横風が強いとか、海面から近いために潮風を受けるとか、非常に気象条件、あるいは飛行場の条件が悪い中であのように飛べるのはYS-11を除いては(他に)ないわけです。したがって、私どもが担当している奄美群島方面はYS-11に頼らざるをえないのです」

― 現在、東亜国内航空鹿児島支店にYS-11は何機いますか?
「7機、預かっていますが、その7機で一日、20便ちかく我々の管轄で運航しています。(YS-11)は離島の人たちにとっては生活の足と言いますか、ほんとうに無くてはならない存在になってしまっています。そのために最近、路線の合理化などの(問題)がありますが、離島の人たちにとっては(路線の合理化)は非常に深刻な問題ではなかろうかと考えています」

 この567便の台風飛行が行われた昭和56年を起点に振り返ると、昭和40年4月、日本国内航空(東亜国内航空の前身)が、YS-11を東京、徳島、高知線に初就航させて以来、すでに16年の歳月が経っており、とくにYS-11が昭和47年に製造を中止してから8年が経過して、当時YS-11の経済効率の悪さが目立っていた頃であった。。
 YS-11の整備費は昭和50年を100とした場合の指数は、昭和55年では249・1と2倍以上に跳上り、燃料効率はやはり昭和50年を100とすると昭和55年では333・8と3倍の指数を示していた。
 一方、当時は東亜国内航空では路線のジェット化が急速に進み、将来の国際線への周航を睨んで航空会社として大きく飛躍する時であった。
 待望の大型ジェット旅客機Aー300を8機購入契約を結び、昭和50年に始まった東京ー福岡、札幌など幹線の運航を充実させると共に、得意とするローカル線にもDCー9スーパーやAー300を投入し、東京ー鹿児島、福岡ー鹿児島、東京ー三沢、大分、帯広などを次々とジェット化し、ジェット旅客機による大量な旅客運送とスピード化など合理化の波が押し寄せていたのである。
 そんな中で採算に合わないYS-11の路線が閉ざされるなど問題も生じていた。
 早川所長は公共交通機関である航空会社の使命としても離島の生活の足を確保するためには、赤字覚悟でもYS-11によるキメ細かな運航を続けることが必要であると考えていたし、主張もし、その運航に情熱を傾けたひとりであった。
 嵐の奄美大島へ向かう567便に搭乗している旅客も離島運航におけるYS-11の必要性について次のようにインタビューに答えている。

567便客室、乗客のインタビュー

「僕は(鹿児島の)野菜市場に勤めています。22号台風の影響や植えつけの状態など視察に行くために(奄美大島便に)乗りました。YS-11は(私達にとって)一番手っ取りばやい足です。今日のように(離島への)船はちょっとした台風では欠航しますから、YS-11はどうしても必要ですね。もう、10年くらいYS-11に乗って(離島に行って)いますから(YSに愛着があって)、途中で故障したり、欠航したりすると淋しいですね。それから、与論島へ飛ぶYS-11(の路線)が無くなると聞いて、どうしょうかなと考えています。永良部島まで(YS-11で)で行って、永良部から船で行くなど考えると淋しいなと思います」

▼鹿児島-奄美:航空路地図
鹿児島-奄美:航空路地図

つづく

武田一男

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第2回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

YSー11奄美大島行き567便 出発

東亜国内航空鹿児島支店運航課

 現在午後12時10分。運航課では567便の大井千明機長と小山政則副操縦士、それとディスパッチャーの山本が、嵐の奄美大島へ飛行するためのブリーフィングを始めていた。大井機長が長身を折り曲げるようにしてテーブルの上に置かれた天候データーに目を通している。
 データによれば台風は奄美大島の南にあって北上を続けているが、予定コースよりかなり東にそれた様子なので、その分、状況は好転しているのかもしれないと思いながら、大井機長はディスパッチャーに尋ねた。
「いや…」と、若い機長の希望的な観測を打ち崩すように山本ディスパッチャーは、ボールペンを指で遊ばせながら首を傾げた。
「良くなりつつあるというよりも、むしろ台風が北へ進むと風としてはゆっくり西に回りますよね」
 奄美大島着陸には西風は危険な風である。ランウエイは02方向と200度方向、すなはちほぼ南北へ走る滑走路が一本あるだけなので、南から来る台風が島の洋上を北へ進めばランウエイ上では西風、すなはち危険な横風となる。
「まあ、急激には回らないでしょうが…、良くなる状況ではないことは確かですね。風が西側になればね」
「そうですか…」大井機長は天候データだけでは推し量れない風の勢いに内心驚きを感じながら、「それで奄美のディスパッチ(運航課員)からの報告は受けたのですか?」
「ええ。データとしては(風の方向は)340度ぐらいで、27、8(ノット)の風が5分に一回くらい、20ノットを越える風はかなり頻繁に出ると報告を受けています。そしてときたま、一分くらい風がストーンと落ちるらしいのですよ。だからタイミングがよければ(着陸可能)と現地は言っていますが…」
 山本ディスパッチャーは改めて机の上に広げたデータ資料の中から強い風が吹いているところを指差して強調した。そして「実際にこの風が吹いているということ?」と困惑気味な表情を見せる大井機長にたたみかけるようにつけ加える。
「ええ。吹いています…。覚悟せねばならんでしょうね」
 しかし、早川所長が言うように、島に帰りたいという乗客のことは勿論のこと、欠乏しているであろう生鮮食料品や医療品など離島の現況を考えて、一刻も早く飛行機を飛ばせたいという離島パイロットの強い気持が、大井機長を突き動かす。
「しかし、どうですか、今の状況より風は強くはならないのでしょう?」
 機長の気持は山本ディスパッチャーにも理解出来るし、所詮同じ気持ちであった。たしかに、鹿児島を離陸すれば奄美大島までは約80分のフライトなので、到着する頃には今の台風の動きからその中心は島の洋上を通過しているだろう。理論的には現時点よりも風は落ちる筈である。だが、台風の複雑な風の動きはデータだけでは推し量れないことも長年の経験からわかっていた。
「あとは、(風の)ダイレクション(方位)だけの問題ですね」と再び駄目を押すように問い返す機長に、
「ええ、まあ、そうですがね…しかし」と、少し考え込みながら山本デスパッチャーは否定的な見解を言下に匂わせた。そして、
「機長。那覇でも330度(北北西)から、今朝と同じような風が吹いていますよ」と今回の台風は台風一過の青空とはいかなくて通過したあともまだ乱風が残っていることを伝えた。
 飛行機を飛ばせる、飛ばせないは機長とディスパッチヤーの合意によるが、最終結論は機長の判断に委ねられている。
 数十名の乗客と乗員の生命が懸る機長の判断をより正確なものにするためにも、場合によっては重箱の角をつつくような意地悪とさえ思える情報も提示して運航の安全を期すのもディスパッチャーの仕事である。そのことは大井機長も熟知していた。
 機長という職務は常に新たなる局面に対峙して判断、決断の連続であるが、民間航空の場合、安全運航という使命のためには臆病とすら自ら思えるくらいに慎重な判断にならざるをえないのが普通である。スピードが速い、システム化された大型ジェット旅客機の運航の場合は、とくにそうで、その結果として便を欠航させる場合も多々生じることは止む得ない。
 だが、一般の旅客運航に比べて、利用者のより身近なところで生活に結び付いている離島運航の場合は欠航の意味が多少異なる。
 欠航は即、離島住民に多大な影響を与えるのだ。
 とくに今日のような台風の時はなおさらで、離島運航は”多少の困難が予測されても運航すること”も機長の使命のひとつであった。 熟慮の末、途中で鹿児島に戻ることになるかもしれないが、大井機長は飛ぶことを選んだ。
「どうですか。燃料を積んでリターン条件でいきましょうか?」

大井機長へのインタビュー

― キャプテン。着陸できるかどうかは現場(奄美大島)の天候次第ですか?
「今、地上にある(鹿児島支店で入手可能な)データで見た限りでは(着陸可能か否かは)五分五分です。一応、(奄美大島は)特殊空港ですので、横風成分が16ノットまでなら降りれますが、今、その限界ぎりぎりにあるんですよ。それで(奄美大島上空に)到着した時点で(横風が)限界内にあれば進入を開始するし、限界以上であれば上空でホールド(待機)するなり、明らかに着陸の可能性がなければ(鹿児島に)引き返すということです」
 567便の運航が決まると、東亜国内航空の鹿児島支店は俄かに慌ただしくなった。
 航空局に奄美大島への飛行プランが提出され、コックピット・クルーは客室乗務員とブリーフィングを行い、整備員は燃料を搭載、グランドスタッフは搭乗手続きを開始する準備に入った。

東亜国内航空567便YSー11コックピット

 12時40分。567便のエンジンが始動した。
 567便に使用されるYSー11の機体番号はJA8804。製造番号は2081であった。
 YSー11は全部で182機が製造された。製造された順にそれぞれ2000番台の製造番号がつけられている。
 初号機は2001。最終号機は2182。すなはち567便YSー11は81番目に製造された機体である。
 機名は「たかちほ」。初飛行は1968年の9月16日。YSー11が旅客機として実働を始めて約6年後の機体である(初号機が初飛行したのが1962年8月30日。最終号機の初飛行は1973年4月11日)。
 この機体は初飛行のあと、ブラジルのクルゼイロ航空に納入されて南米の空を約8年飛んだ。その後1977年8月4日に東亜国内航空が購入して「たかちほ」と名前を変えて今日まで約4年間、日本の空に就航させている。
 ちなみに、この機は鹿児島ー奄美大島を飛び、すぐ、与論島を往復、奄美大島から鹿児島に戻ると大阪へ飛行することになっている。YSー11は酷使に耐える機体の頑丈さも取り得のひとつであった。
 2081号機、567便の力強いエンジン音が嵐の鹿児島空港に響き渡った。
 大井機長はエンジンを始動させながら右席に座る小山副操縦士に声をかけた。コックピットの前方には不吉な気持にさせる灰色の雲が見える。一瞬、強い風が機体を揺すった。
「(普段の低気圧)前線のときはね、今日ぐらいの風だったら、そんなに気にならないけど、台風と名前がつくとなんだか嫌な気分だね」
「ええ…」と頷きながら、小山副操縦士は先ほどから胃のあたりが軽く締め付けられるような気がしていた。恐怖という意識はないが、これから約1時間半の台風飛行を前にして、身が引き締まるこの気持は明らかにいつものフライトとは異なっている。きっと機長も同じなのだろう、と思いながら、気を紛らわすように窓の外に視線を移した。
 いつもは青い空と濃い緑で色鮮やかな鹿児島空港の風景が、今日は灰色のベールに深く包まれている。
 少し先のゲートには風にさらされた自社機のDCー9が見え、コックピットのスピーカーからは、そのDCー9が管制塔と交わすフライトプランの交信が聞こえていた。
「トーアドメス546。クリア トウ スタート オオサカ。プロポージング 270」
(東亜国内航空546便です。エンジン始動をします。(ディスティネーションは)大阪。(飛行高度は)27000フィートを希望) 
 かん高く迫り上がるターボプロップのエンジン音が安定すると両翼のエンジンが始動を完了した。YSー11は競技を前にしたアスリートのように機体中に活力を漲ぎらせ始めた。
 大井機長が励ますような仕草で副操縦士の肩を軽く叩く。そして半分は自分自身にも言い聞かせるように呟くのだった。
「それほど、心配することはないんじゃない…」

567便客室

 大井機長が客室にエンジン始動が完了した旨を知らせると、キャビンアテンダントはすぐにボーディング・アナウンスを始めた。
「皆様、お待たせ致しました。本日もTDA東亜国内航空をご利用頂きましてまことに有難うございます」
 今日の客室には城悦子、新原由美子のふたりの客室乗務員が搭乗していた。
 いつも奄美大島便に乗務しているふたりには、満席の機内に顔見知りの客が多かった。
 この567便は数日欠航した後の初便なので、いつもよりは機内持ち込みの手荷物が多かったが、ほとんどの乗客はYSー11に乗り慣れていて、自分でテキパキと手荷物を荷棚に整理し、余分なものは足元の座席の下に詰め込んで、客室乗務員として手助けすることもほとんどなかった。
 最前列に座っている中年の女性客の座席の下から、スーパーマーケットのビニール袋に入れたダイコンの葉と牛肉のつつみが覗いているのを頬えましく思いながら、客室乗務員はアナウンスを続けた。
「本日は台風22号の影響により奄美大島上空は大変、風が強く、上空に参りまして着陸不可能な場合は鹿児島空港に引き返すことも予想されています…」
 何とかこの乗客達を無事、奄美大島に降ろすことができますように、と祈るような気持ちで客室乗務員は再びマイクに向かうのだった。

567便コックピット

 コックピットではエンジン・スタートを終えたクルーが管制塔に滑走路までのタクシー(地上走行)の許可を求めていた。
「カゴシマグランド。トーアドメス567。リクエスト タクシー」(鹿児島空港地上管制へ。こちらは東亜国内航空567便です。タクシーの許可を願います)
「トーアドメス567。クリア タクシー ランウエイ34」
(東亜国内航空567便へ。滑走路34へのタクシーを許可します) 12時55分。大井機長はスロットルを押してエンジン・パワーを上げると567便は強風を受けながら、ゆっくりとスポットを離れた。
 風の為にプロペラの音が普段より遠退いて響いたり、すぐ耳元で聞こえたりしながら風に波打っている。
 ランウエイに向う誘導路の上には他機の影はなく、上空の灰色の空を海鳥が群れをなして北風に流されて海の方向に飛んでゆくのが見えた。
「本日は台風22号の影響により奄美地方は風が大変強く、上空に参りまして着陸不可能な場合は鹿児島空港へ引き返すことも予想されております。あらかじめご承知おきくださいませ。尚、天候調査の為、皆様のご出発が1時間10分ほど遅れていますことをお詫び申し上げます…」
 アナウンスが終わる頃、567便はランウエイ34の端に着いた。「テイクオフ・チェックリスト!」
 離陸の計器点検が始まった。
「テイクオフ ノティフィケーション」
「ノティファイ」
「ピート ヒーター」
「ノー ユース」
「フュエル ヒーター」
「オフ」
「グランド クーリングファン アンド スピィル バルブ」
「オフ アンド マニュアル」
「W・M・システム」
「オン」
「トランスポンダー アンド DME」
「オン」
「ガスト ロック」
「スタンバイ」
 離陸時の計器点検が完了し、「クリア フォア テイクオフ」と離陸許可を確認すると、大井機長はYSー11を誘導路の端に入れた。
 滑走路は雨に濡れて、ランウエイの向側にある数束の刈り残された草が強い風になびいている。
「ウエットローリング テイクオフ コール 80 V1 VR V2 チェック エンジンインストルメント。ガストロック オフ アンド フリー」
(ウェットローリングのテイクオフをします。V1 V2時にはスピードをコールして下さい。エンジン計器の確認とガストロックはオフにして下さい)
 小山副操縦士が復誦し、ガストロックをオフにする。
 大井機長は一度体内から息を吐き出し、眼前に連なる灰色の滑走路を眺めた。
 「レッツ ゴー」
 大井機長はスルットル・レバーをテイクオフの位置に上げ、ブレーキを外した。
 機体がゆっくりと弧を描き、機首がランウエイ方向に向く。そして轟音をあげて雨で光る滑走路を走りだした。
「フライトポジション、ライトアウト、プレッシャーUP、エンジン、ノーマル」計器類をチエックする小山副操縦士の声が響く。
 風の音とエンジン音がビリビリと機体を振動させた。
「80ノット」(スピード80ノット)
「ユー ハブ」
「アイ ハブ」
「V1 VR」
 大井機長は操縦悍を引いて機首をあげる。機体が風を捕まえて浮いた。
「ギヤ・アップ!」(車輪上げ!)
 12時58分。台風の奄美大島に向けて、567便VSー11が鹿児島空港を離陸した。
 鹿児島上空は台風の余波で生じた雨雲が広く覆って、567便は離陸するとすぐその雲の中に入った。
 ゆっくりと右旋回が始まる。
 灰色の雲の切れ端がプロペラにからまって引きちぎられた綿のように後方へ乱れ飛んだ。
「ディパーチャー コンタクト」
(鹿児島空港出発管制に連絡して下さい)
 今後は管制エリアが離陸を担当する鹿児島タワーコントロールから鹿児島レーダー管制へ移管する。
「カゴシマ・レーダー トーアドメス567 エアボン」
(鹿児島空港レーダー管制へ。東亜国内航空567便は離陸完了しました)
 右旋回を完了して大井機長は機首を南に向けた。両手から伝わってくる力強い機体の感触、心地良いエンジンの響き。身体に馴染んだ計器類…。視界が少し開けて、黒い雨雲の切れ間から灰色に沈む鹿児島湾が見え隠れしてくる。
「クライム トウ 7000 リポート アット 7000」
(7000フィートまで上昇して到達次第に報告して下さい)
 管制官の指示に親指を立てて大井機長が了解した旨、副操縦士に伝え、小山副操縦士は管制官にその交信を復誦する。そしてふたりは上昇時の計器点検(クライムチェックリスト)を始めた。
「クライム チェツク プリーズ」と大井機長。
「はい。ギヤ・レバー&ライト」と小山副操縦士。
「アップ&アウト」
「フラップ」
「アップ&ニュートラル」
「クライム パワー」
「セット」
 …次々と15項目のチェックリストが読み上げられ、計器が確認されていく。
 二つ三つの低い雨雲の塊を抜けると、又少し視界が良くなって、前方に桜島の姿が霧に霞んで見えた。
 567便は鹿児島湾を左に見ながら鹿児島市上空から薩摩半島にそって南下するコースを取る。鹿児島から奄美大島までおよそ1時間17分の飛行である。
「クライム・チェツク コンプリート。着は14時15分です」
 計器点検を終えた小山副操縦士が、奄美大島空港への到着予定時刻を知らせた。
 午後2時15分着予定は、567便の定刻スケジュールから1時間15分遅れて奄美大島に着陸することになる。
 離陸の手順を終えて、クルーがほっと一息ついたそのとき、眼前に見える桜島が突然、噴火を始めた。

つづく

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第1回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

1981年10月1日大型台風22号発生

東亜国内航空鹿児島空港支店運航課

「今朝5時現在には、この台風22号は南大東島の北東、約230キロ、足摺岬のちょうど真南約600キロぐらいの海上にあり、一時間に30キロの速さで北北東に進んでいます。中心の気圧が935ミリバール、最大風速が45メートル、また25メートル以上の暴風半径は250キロとやや狭まって台風は衰えを見せ始めていますが、まだ大型で強い台風です。
 台風を取り巻く外側の雲が今朝からこの南岸地方にかかり始めてきましたが、本州の南の海上には前線が停滞していまして…」

 東亜国内航空、鹿児島空港支店の松田仁宏運航課長は、この二日間の彼のベッド替わりになっている運航課のソファーに胡坐をかいて座り込み、TVの台風情報に聞き入っていた。
 松田は支店の運航管理を統括しているベテランの運航管理者(ディスパッチャー)で、今年で44才。自衛隊の航空管制官から民間航空のディスパッチャーに転身したという異色のキャリアをもつ根っからの”飛行機屋”であった。
 彼はディスパッチャーという正確さと緻密さが求められる仕事のせいか、それとも、規律を重んじる航空自衛官の出身であるためか、日頃から身だしなみには気使っていた。
 といっても、特別おしゃれというわけではない。唯、Yシャツの少しのしわやネクタイの捻じれなどには、すぐ、気がつくので、妻に、少し神経質すぎますよ、と、ひやかし半分の愚痴を言れたりした。
 しかし、一昨日からその神経質は影をひそめ、徹夜で首のまわりが油汚れしているのも気にならない様子だった。
 それどころか、昨晩、妻が会社に届けてくれた新しいYシャツとネクタイ、グレーのウール地のベストもソファーの角に放り投げたままで枕替わりにしていた。
 松田はティッシュ・ペーパーでメガネの汚れをとると、再び、TV画面に見入った。
 今回の台風は俗にいう迷走台風で、沖縄までの洋上を数日かけてのろのろと北上し、今朝から、沖縄の東の洋上でほぼ停滞状態になっている。
 紀伊半島沖には低気圧前線があり、四国や中国地方には雨を降らせているものの、台風自体は雨量が少ない割には強い風が吹く、”風台風”というのも今回の特徴であった。
 昨夜の午後9時の時点では、中心気圧が935ミリバールもある大型台風だったが、ジグザグに迷走する内にややで勢力が衰えた。とはいうものの現在でも960ミリバール。今年最大の台風であることに変わりはなかった。
 予定では台風の中心は鹿児島の東約150キロの海上を通過するので直接、九州に上陸することはない。しかし、鹿児島でも風は次第に強くなって、瞬間風速で20メートル近い風が吹きつづけていた。
 松田はTVから目をあげて窓の外を眺めた。
 大きな銀杏の木が強い風を受けてやっと色付き初めた葉を無残にも散らせている。
 そのとき風の音に混じって聴きなれた爆音が聞こえた。
 爆音はヒーンというターボプロップ独特のエンジン音を響かせて、風に揺れるように波打っている。松田は素早く時計に目をやった。11時15分過ぎであった。
 この時間帯、耳に届いたレシプロエンジンの音は、今朝奄美大島に向かった東亜国内航空561便に違いなかった。

 561便は今朝、8時30分に天候調査を兼ねて奄美大島空港へ向かったが着陸出来ず、50分程前に奄美大島の上空から鹿児島空港に引き返す旨、奄美大島支店から連絡があったYS-11機である。
 本州へのジェット便はまだ辛うじて運航を続けているが、離島への便は一昨日の午後からすべて欠航していた。
 松田はソファーからゆっくりと腰をあげた。そして嵐の中を着陸出来ずに戻ってきたパイロット逹から、島と台風の様子を聞くために運航課のカウンターへ向かった。
 精悍な顔に疲れた表情が見える二人の若いパイロットが、空港の入り口から運航課に入ってくるなり、松田は待ち切れないように声をかけた。
「やはり無理だった?」
「ええ。エンルートは雲も少なくてさほど問題はなかったんですが、奄美大島の上空が悪かったですね」
 フライトバックから取り出した飛行プランとデーター類をカウンターのテーブルに置いて、YS-11の機長になりたての、まだ若い平田機長が答えた。
「強いの? 風は…」
「25、6ノットぐらいかな。でも、横に回ってきたので断念しました。与論島だったら降りていたんですがね」
「ああ。無理しない方がいいね。奄美は特殊な空港だからな」
「ええ」
 着陸条件が悪い空港は会社の運航規定において特殊空港に指定され、安全基準が他の空港より、厳しくなっている。
 例えば横風の着陸の場合、一般的には25ノットの風まで着陸可能という安全基準が、奄美大島空港の場合、16ノットまでと制限されている。それは空港の近くにある海抜180メートル弱の大刈山と淀山の存在が、西から吹く風のときに乱気流を作りやすいとされるからだった。(註、2001年には、長さ2000メートル幅45メートルの滑走路が、海側に新設されたので問題はなくなった)
「お客さんは?」
「少し気分が悪いひともいましたが大丈夫です。唯、欠航が続いているので早く奄美に戻りたいというお客さんが沢山いましたね」
「そうだよね。今日はなんとかしなければね」
 この数日、船便も欠航し、離島は孤立した状態になっている。
 ご苦労さんでした、とパイロットの労をねぎらって松田は所長と今後のフライトを相談するために所長室に向かった。

奄美大島から戻ったYSの平田機長インタビュー

― 今日は何便で(奄美大島へ)飛んだのですか?
「今日は561便(鹿児島ー奄美大島)、562便(奄美大島ー鹿児島)の一往復です」
― 何時の離陸だったのですか?
「出発が8時ちょうどの定刻だったのですが、7時の天候が(出発するには)いっぱいいっぱい(の状態)だったので、8時の天候を調査するということで出発を(8時)20分ぐらいにセットし直したんです。
 奄美大島の空港は特殊空港になっていますので、普通の空港より(着陸条件が)押さえられています。とくに山側から吹き下ろす風はかなり操縦性に問題があるものですから。
 それが(奄美大島空港の着陸条件が)、いっぱいいっぱいであるということと、台風の動きによってその風が、より悪い方向に動くであろうという判断のもとで、出来れば早く、良い状態のときに行きたい(奄美大島空港に着陸したい)という気持があったのですけどね。
 それでウエザー(気象情報)を取ってOKだという判断のもとで(鹿児島空港を離陸した)のですが。唯、お客さんに対してはリターン(奄美大島の天候次第では鹿児島に)する可能性があるということをアナウンスしてもらって。
 それで飛び上がって9時の天候を又、機上で貰ったんです。(それは)実際、我々が判断の基準にしている気象観測所が出すオフィシャル・ウエザーというものなんですが、9時のデータが(そのときの)最新のデータなんです。
 それと現地の(奄美大島の)空港の運航管理者(ディスパッチャー)にコンタクトして(空港の)現況を尋ねたのですが、あいかわらず(着陸には)いっぱいいっぱい(の状況)で、多少悪い方向に風向きが変わりつつあるということでした」
― それは8ノットから30ノットくらいの風の息があるからですか?
「はい。ステディといいますか、例えば同じ方位から(風が)10ノットから20ノット(一定に)吹いている分には、まあいいんですけどね。風の息があるというのがいちばん飛行の安全性に関係するんですよ」
― (その時は)ランウエイ(奄美大島空港の)から見ればどちら方向の風だったのですか?
「(ランウエイの)左前からですね。それが段々真横に変わってくるんです」
― すると、状態が悪くなってくるんですね。
「ええ。悪くなってくるんです。そのあと(奄美大島の)ディスパッチャーが向こうから(無線で)呼び掛けてきて、風が強くなったことと、より横風気味になった、というリポートがあったのです。(そのとき)こちらはまだ上空で、天候は良かったものですから比較的落ち着いた感じで進入を開始するときでした。
(しかし、一般的に言えば)水上(海面)の波頭の砕け散る方向で風向を知ることが出来ますから、そのとき機上から海を眺めると波頭によっては約30度くらいの開きが上空から確認できたのです」
― 視程は良かったのですか?
「そうです。視程は良かったし、雲の状態もほとんど薄い感じの雲だけだったのですが、(機上から見た)水上(海面)の波頭で(地上近くでは)かなり(強い)風がいろんな方向から域を持って吹いているのがわかったし、それと最終的にディスパッチャーから貰ったインフォメーションを加味して、おそらくこのままアプローチすれば凄いタービュランス(乱気流)があると判断したのです。低高度で着陸復行、すなはち着陸できずに上昇するのは、あそこ(奄美大島)の場合、危険なんです。それで早い時期に管制許可を貰って(進入を断念し)、そう(決断するまで)約1分か2分ぐらいだったかな。そのとき丁度奄美大島の上空にさしかかっていました。それからまっすぐ鹿児島に戻ってきたのです」

東亜国内航空鹿児島支店所長室

 松田課長は所長室へ向かう途中でロビーを覗いた。
 狭いロビーは、今561便で奄美大島から戻った客と、これから奄美大島や与論島に飛ぶ便を待っている客でごった返えしていた。
 長椅子に座りきれずに荷物と一緒に床の上に腰を下ろしている客もいる。大半の乗客は路線バスに乗るように飛行機を利用している離島の人たちである。
 中には松田の顔見知りの客も何人かいた。奄美大島で小さな病院を開業している医者。製粉業を営む中年の男性。離島を担当エリアに持つ証券マン。
 角のテーブルでは鹿児島に法事に来たという漁業長の娘が子供たちに弁当を食べさせていた。
 それを見ながら、松田も急に空腹を覚えた。考えてみればお昼近いのにまだ朝食もとっていない。所長も同じだろうと思って、ロビーの売店に立ち寄ってサウンドイッチの袋を二個買うと所長室に向かった。

 ドアを開けると、所長は新しいYシャツに着替えてネクタイを締め直しているところであった。
 眼鏡をかけた細身の鹿児島支店空港所長の早川貞雄は、どちらかと言えば、一見、役場の助役というタイプだが、実はニューヨーク航路の貨物船で通信士として働き、世界の海を股にかけたという経歴の持ち主で、地味な風貌に似合わずガッツある情熱家で知られていた。そして、鹿児島空港の所長になってからは、離島運航には並々ならぬ意欲を燃やしている。
「よう。俺も今、君に電話しようと思っていたところなんだ」
 少し乱れたうしろ髪を手櫛で直しながら所長は言った。
 昨夜は多分、所長も所長室で仮眠を取っただけなのだろと思いながら、松田はサンドイッチの袋を差しだして、食べますか? と尋ねた。
「ああ、もらうよ。コーヒーでも煎れるかな」
 部屋の角に置いているパーコレーターから、炒れたてコーヒーをカップに注ぎながら、所長は背中で尋ねた。
「561が戻って来たみたいだな」
「はい。今、平田機長から話を聞いて来たところなんですが」
 松田はかいつまんで561便の状況と奄美大島の天候について報告した。
「そうか…。今日は何とかせねばならんな」テーブルにコーヒーを運びながら所長が言った。
「奄美大島と与論島に運ばなければならない生鮮食料品も山積になっていますからね。それに頼まれている医療品もありますし…。何とかしたいですね」
「台風自体はどうなんだ?」
「さほど変化はありませんが、台風が少し東寄りになった分、今朝より幾分良い状態でしょう。問題は風の息ですね。奄美大島の上空で待機して風が弱まった瞬間を見計らって降りるかないでしょうね」
「お客さんは?」
「今朝の便で戻ってきたお客と次の便を待っているお客を合わせると、百名は越えるので最低二便は必要ですね」。
「よし、お客は振変えて567便と569便で何とかできるだろう。YS二機の出発準備を始めてくれ。ともかく準備して待とう。飛ぶ、飛ばないはパイロットの判断だからな」
「そうしましょうか」
「ところで、次の便の機長は誰だ?」
「大井機長です。すでに待機中です」

 鹿児島支店には離島を中心に飛ぶ、長年のキヤリアをもつYS-11のベテラン・パイロットと、ジェット旅客機に進む過程としてYS-11に乗務する若いパイロット逹がいた。
 大井機長は後者に属し、DCー9の副操縦士からYS-11の機長になって1年半目、今年で33才になる将来を嘱望されるパイロットであった。
「ああ、彼なら何とかしてくれるだろう。すぐにでもブリーフィング(打合せ)にかかってくれ」

早川所長インタビュー

「数年前にも沖永良部台風という強烈な台風がありました。このときも、当然、船は何日間も欠航したちまち、島の生鮮食料品とか必需品が不足しました。
 こういった場合、一刻も早い船とか飛行機の復興が望まれ、それは島の人たちにとっては切実な要望になります。
 台風の場合、台風で荒れた滑走路の上を低空飛行して滑走路を(着陸可能かどうかを)チェックしながら第一番目の救援物資を運んだというようなこともあります。
 パイロット逹は飛行機を操縦することをプロとしているわけです。だから、自分の飛行機に愛着を持つのは当然です。彼等は離島の足を支えているというプライド持ちながら、このYS-11に全力を傾注して安全運航をしようとしているのです」

 周知のごとく東亜国内航空は東亜航空と日本国内航空が1971年に合併した会社で(1988年に日本エアシステムとなった)ある。YS-11を使った歴史は古く、日本国内航空は1965年4月1日に日本最初のYS-11定期路線を羽田-徳島-高知の路線で開設しており、東亜航空も同年5月10日に大阪・伊丹から広島、同じく伊丹から米子にYS-11の定期運航を始めている。そしてこの両社が合併して東亜国内航空が発足すると海外に輸出されていたYS-11を買い集め、東亜国内航空は42機のYS-11を運航する世界最大のYSユーザーであった。
 そして早川所長は、プロ意識に徹していた故十島機長の想い出のフライトについて語った。

「宮内庁がチャーターしたYS-11に皇太子ご一家(現天皇陛下)がご搭乗されて、鹿児島から種子島まで飛行されたことがありました。そのときのキャプテンが、今は亡き十島機長で、彼は大戦時に戦闘機のパイロットであったベテラン機長でした。
 その日も今日みたいに嵐の日でした。台風ではないのですが、低気圧の前線が停滞して鹿児島地方は低い雨雲に閉ざされ、強風が吹く日でした。
 私は種子島で皇太子ご一家をお待ちしていたのですが、低くたれこめた雲の下、海面すれすれにYSが滑走路に向かってくるのです。 普通なら雲の上から一定の高度を保って降りて来るはずが、超低空で進入してくるのですから驚きましたね。そして滑走路の上を一度ローパス(低い高度で通過)して再び上昇して着陸しました。
 着陸は素晴らしいものでしたが、(超低空で進入した理由を)あとで十島機長に聞いたところによると、鹿児島から種子島まで出来るだけ揺れない高度で飛行した結果だということでした。
 それでも途中はかなり揺れたようで、皇太子はじめお子様たちはご気分が悪くなられたそうです。唯、美智子妃だけは毅然とされていたと伺いました。私にとっては十島機長の想い出とともに、皇太子ご一家に直接お目にかかれた忘れられないフライトになりました」

つづく

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」はじめに

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はじめに

 日本の翼YS-11の航空ドキュメンタリーをお届けします。
 以前、僕は日本中を駆け回ってYS-11を取材し、その音によるドキュメンタリーを制作したことがあります。YS-11のエンジン音、離陸、着陸音はむろん、コックピットの録音、それからYS-11の運航に従事する航空マン達のインタビューなどなど…。それらの膨大な取材テープを構成し「日本の翼 YS-11」として5枚組のレコード、カセットによる記録作品をまとめました。
 その中に、東亜国内航空の鹿児島支店の人達がYS-11で薩南諸島の離島運航に携わるエピソードがあります。鹿児島を台風が襲うというきびしい状況の中でYS-11で離島運航を行う鹿児島支店の人達の姿は、実に生き生きとして、苦節を乗り越えて空を愛する心情にあふれていました。僕はこのエピソードに感銘を受け、その後、離島運航のエピソードを独立させ航空ドキュメンタリー作品として単行本「台風飛行」(朝日ソノラマ社刊/2001年)で出版しました。その作品「台風飛行」を今回、このブログで公開させて頂くことになりました。

 基本的には文字による航空ドキュメンタリーですが、文の末巻に音によるドキュメンタリーも入れました。これまでこのブログで「ヒマラヤ飛行」「機長席」など音と解説によるドキュメンタリーを公開させて頂きました。この二つの作品は、音が解説文に同調しており、音を聴きながら解説文を同時に読む、という方法で制作しました。が、今回は解説文と音はそれぞれ独立しており、まず、解説文をお楽しみ頂いたあと、解説文の最後につけた「音」を聞いて頂ければ、相乗効果でより具体的な情景が読者の皆様の脳裏に沸くであろうという発想で制作しております。もちろん、解説文だけでも、末巻の「音」のみでも航空ドキュメンタリーを楽しむことは可能です。

 どちらにしても、YS-11で離島運航に携わってきた東亜国内航空の鹿児島支店の空の男達の生き様を、そして彼らの努力が現在の航空業界の礎になっていることを知って頂ければ著者として本望であります。

武田一男

航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリーYS-11「台風飛行」CONTENTS

CONTENTS

はじめに (2010.01.09)
■第1回 1981年10月1日大型台風22号発生(2010.01.11)
■第2回 YSー11奄美大島行き567便 出発(2010.01.12)
■第3回 桜島噴火(2010.01.18)
■第4回 嵐の奄美大島ウエザー(2010.01.25)
■第5回 航空整備マンの功績(2010.02.01)
■第6回 奄美大島へ(2010.02.08)
■第7回 離島の緊急フライト(2010.02.15)
■第8回 嵐の中のアプローチ(2010.02.22)
■第9回 奄美大島へ着陸(2010.03.01)

航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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