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「冒険者たち」 LES AVANTURIERS (1967/フランス)


【スタッフ】
監督 ロベール・アンリコ
原作 ジョゼ・ジョヴァンニ
製作 ジェラール・ベイトウ
脚色 ロベール・アンリコ/ピエール・ペルグリ/ジョゼ・ジョヴァンニ
撮影 ジャン・ボフティ
音楽 フランソワ・ド・ルーベ
【キャスト】
アラン・ドロン/リノ・ヴァンチュラ/ジョアンナ・シムカス/セルジュ・レジアニ
この映画は、リノ・ヴァンチュラを見る映画である。
ヴァンチュラはもう若いとはいえぬようだが、廃車処理工場に住み込んで新しいエンジンの開発と事業化をもくろんで性能の実証実験車にするドラッグ・スターの試作に夢中になっているローランを演じている。そこへアール・モビル(モービル・アート)の個展に使う材料を探して芽の出ない芸術家のシムカス扮するレティシアがやってくる。ローランは強引にレティシアに手伝わせて、飛行機の操縦を教えて喰っている冒険飛行を志すマヌー(アラン・ドロン)を、ゲートくぐりの練習に巻き込む。
まずマヌーは飛行クラブの知人たちにエトワール凱旋門のアーチをくぐり抜ければ賞金がでるとそそのかされるが、実行当日は革命記念日のためアーチに大きな三色旗が垂らされてあえなく失敗。使用する飛行機はデ・ハビランド DH.82 タイガー・モス 翼幅は 8.94m です。一方の凱旋門のアーチの幅は 15m 弱、奥行き 22m ですからやってできなくはなさそうです。とは言え、失敗すれば当局の目は厳しい。市街地上空の危険飛行で飛行免許の永久取消処分を受け生活手段を奪われます。レティシアの個展も散々の酷評を受け、ローランに至っては2度の挑戦に失敗します。
マヌーはいかさまを仕掛けてきた相手から「コンゴの沖に墜落した飛行機に動乱時に脱出した植民地富豪の宝物がある」と聞かされ、レティシアとローランと3人で傷心と冒険の旅に出ます。コンゴと呼ばれる地域の歴史はフランスとベルギーの旧宗主権をめぐる争いも絡み現在でも安定しているとはいえない。その黒人の政権下で物乞い暮らしで生き延びる墜落機のパイロット レジアニが3人に絡みだして宝探しは現実性を帯びてきますが、同じ目的の(白人)組織も介入してきます。後半はレティシアの故郷で沖合いにドイツ軍の要塞があるアイクス島へ帰り、そこで暮らし始めるがそのままでは終わりそうにありません。
ほとんどのシーンが、しっとりとしたパリ郊外、陽光輝くコンゴの海、陰鬱なアイクスの島を舞台とするロケで撮影されています。この映画の美点である、フランソワ・ド・ルーベの音楽が哀愁と軽快さをない混ぜて盛り立てます。
フランスは空への夢をはぐくむ平坦で広大な国土、冒険をさそうピレネーやアルプスの山々、ドーバーや地中海の海峡と、初期の飛行機開発にとっては良い環境でした。日本では、(ダメな飛行機でも)英国機のファンは多いのですがフランス機となると評価の高い機種は少ないようです。しかし製造力では戦前戦後を通して航空大国でもありました。航空機産業では凋落してしまった英国に取って代わって欧州を糾合しエアバス社を創始してアメリカの大型民間機製造業を集約化させる一因を作ったのもフランスであります。
映画の中でローランやテスト走行のスタッフがきているツナギ服にマトラのロゴが入っています。マトラ Matra (Mecanique Aviation Traction) の自動車部門から支援を受けていたようです。マトラは第二次大戦後にフランスで設立された航空エンジンの製造から始まるコングロマリットの一つで航空宇宙・防衛産業を手がけ、片手間で自動車にも手を出していたが自動車部門は売却されてモータースポーツの歴史にのみ名が残っています。現在はアエロスパシャルを経てEADS(European Aeronautic Defence and Space Company 欧州航空宇宙防衛会社)へ集まる源流の一つ。エアバス社もこの傘下にあり、航空機ファンなら旅客機のエアバス以外に思い浮かべる名前も多いはず。
さて、出てくる航空機はマヌーがいた飛行クラブの駐機場や格納庫に ロバン DR400 や モラーヌ ソルニエ MS880 ラリ(Rallye) いずれもフランス製の小型機。それに パイパー カブ が見られます。モラーヌ ソルニエ MS880 ラリ(Rallye) (1959) は後方スライド式のキャノピーが出入口となっており、外形がよく似ている富士 FA-200 エアロスバル (1965) と比較してみると面白そうですが、今回は同じエンジンを採用し同時代に計画された機体を比べて見ましょう。
財宝を積んで植民地からの脱出に使われた機体はマックスオルスト・ブルザール MH1521 。そして、そのライバルはカナダ製のデ・ハビランド・ビーバー DHC-2 。


外観上では ブルザール の方はかなり大きな双垂直尾翼が特徴になる。
双発機ではプロペラ後流の中へ双垂直尾翼を曝して機速より速い気流を利用して低速時の舵の利きを得る例が多い。しかし流れが捩れているためエンジン回転数でも利きが変わるなどそれなりの弊害もある。単発機で採用する理由は垂直尾翼容積が不足したためであろう。しかし機体の全長が長い ビーバー は垂直尾翼容積の面では多少有利ではあるがドーサル・フィンを使って一枚の垂直尾翼ですませている。
ドーサル・フィンとは垂直尾翼から前に延びる三角形の背びれのこと。垂直尾翼容積を増加させる効果もあるが、操舵時に操舵面を流れる空気の量を増やし操縦性も改善する。第二次大戦前から知られておりフランスでもファルマン社の単発輸送機では使用しており日本でも採用例があります。
垂直尾翼容積とは垂直尾翼の面積 (m2) に機体の重心から垂直尾翼の圧力中心までの距離 (m) を掛けた値のこと。実際はさらに垂直尾翼にかかる圧力 (kg/m2) をかけて風見鶏効果すなわち復元モーメント( kg・m )の大きさを求めるときの定数になる数値だが、その定数の次元が長さの三乗になるため容積 (m3) と表現している。
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マックスオルスト・ブルザール MH1521
|
デ・ハビランド・ビーバー DHC-2 |
年代 |
1952 |
1951 |
エンジン |
P&H R-985 空冷星型9気筒450HP |
P&H R-985 空冷星型9気筒450HP |
翼幅 |
13.75m |
14.63m |
全長 |
8.56m |
9.22m |
全高 |
3.65m |
2.74m |
翼面積 |
25.2m2 |
23.2m2 |
全備重量 |
1,530kg |
1,466kg |
最高速度 |
270km/h |
255km/h |
巡航速度 |
193km/h |
230km/h |
上昇限度 |
5,500m |
5,486m |
航続距離 |
1,200km |
732km |
乗員・乗客 |
6名 |
7名 |
積載重量 |
970kg |
852kg |
アスペクト比 |
7.5 |
9.2 |
翼面荷重 ( )内は全備重量時 |
99.2(60.7)kg/m2 |
99.9(63.2)kg/m2 |
ドーサル・フィンは全般に進空後の試験結果による安定性や操縦性の向上の手法として使われていました。基本設計で採用する例はかなり遅れてアメリカで始まりました。 単発機を双垂直尾翼にしたブルザール の設計者の意図は分からないけれど、案外独自性へのこだわりだったのかもしれません。これをフランス人的天邪鬼と呼んでいるのですが・・・事実、前作の MH52 (1945) やMH152 (1951) はいずれも失敗作の単発機ですが双垂直尾翼でした。
ところが双発の MH260 スーパー・ブルザール (1959) になるとドーサル・フィン付きの単垂直尾翼になりました。ちなみに胴体後方の下部につける「ひれ」はベントラル・フィンと呼びます。双フロートを装着した水上機型の ビーバー では陸上機型にはないこの腹びれを追加しています。上の要目比較表はWeb上からかき集めており、航空機のデータは条件で大きく変わるため参考です。ブルザール は寸法上では小さいとはいえ搭載能力は若干大きいようです。ただし実用上の性能はほぼ同等と見てよい。
翼面荷重からはほぼ同等と推測される最高速度が 6% も優れている点については、試験時の搭載重量等の差など試験条件が異なるのかもしれない。国や製造会社が異なる飛行機のスペックを較べるときに悩ましいところでもあります。同様に航続距離が大きいのは翼面積に比例していると思える翼内の燃料タンク容量の差ばかりでもなさそうです。設計思想では総重量での翼面荷重も同等で、大きく異なるのはアスペクト比です。このあたりが巡航速度の差として現れていると考えられます。
双子のような飛行機であっても生産機数では太刀打ちできずフランス軍の調達と国内の民間需要で終わりました。ブルザール(森の住人の意)はビーバー に周りの木を齧り倒されてしまいました。あえて外観上の差を見つければ ビーバー の主脚の太さかもしれません。翼型をしたブーツですがブッシュ・パイロットの目にはフランス美人の素足よりも魅力があったようです。しかし本国やアフリカで軍の就役が終わったブルザールは民間に放出され今も飛んでおり頑丈な働き者であることでは引けをとってはいません。
さて、この映画の結末は知っていても、映画の価値がなくなることなどないと思う。このものがたりの最後にただ一人残るのは最も年上のローランです。くどいようだがこの映画は、ローランを演じたリノ・ヴァンチュラを見る映画です。娯楽映画の筆頭にこの映画を持ってきたのは、 「人生はリセットできない」 ことをさりげなく教えてくれる映画も娯楽映画として存在していたし、特にフランス映画に色濃く出ていた時期があったことを知っていただきたいことが背景にあります。
最後に残る謎はローランの住む廃車置場に転がっていた飛行機の残骸は何だろう?! 映画のすじとは全く関係ありませんが。

キネマ航空CEO
「映画で巡る空の旅・キネマ航空フライト」
©キネマ航空CEO
【著作について】「映画で巡る空の旅・キネマ航空フライト」 はキネマ航空CEOの執筆によるものです。一般的な「引用」の範囲を超える紹介など詳細については当ブログ info@airjapon.com(管理人:竜子)、またはキネマ航空CEOまでお問い合わせください。