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アナトリア半島(西南トルコ)周遊:パムッカレ〜コンヤ

石灰棚の「パムッカレ」。温泉保養施設がたくさん建ち並ぶ。温泉プールのあるホテルに泊まり、ついでにトルコ風呂(ハマム)もやってみた。ゴシゴシと垢擦りをしてもらって、泡だらけになってマッサージ。女性を指名したのに、ケロッとした顔で男性が出てきた。無論、女性にチェンジ。
トルコ・パムッカレ

コンヤにあるメヴラーナ博物館。メヴラーナ教(メヴレヴィー教団)は、13世紀にアフガニスタンで生まれた神秘主義的哲学者のメヴラーナさん(ジャラール・ウッディーン・ルーミー)がコンヤに移り住み広めたイスラム教の一派。慈善的な思想でイスラム教徒からも一目置かれた存在らしい。このメヴラーナ教はセマーと呼ばれる旋舞でもおなじみ、ということですが、初めて知りました。トルコ石に似た青いタイルのトンガリ屋根が特徴。
トルコ・メヴラーナ博物館

1923年のアタチュルクによるトルコ革命によって、脱イスラム政策が図られ、教団は解散しましたが博物館として利用されています。この博物館の中は、メヴラーナさんのお墓(室内なのに!)や、イスラム教の開祖・ムハンマド(マホメット)のあごひげが入った箱などがあります。
トルコ・トルコ・メヴラーナ博物館

クルクルまわって祈りを捧げるのですが、この回転儀式は宇宙遊泳みたいなものなのだそうです。外観は地味に見えますが、中はゴールデン、トルコ絨毯やコーランなどが展示されています。ここではイスラム教の風習に則って、頭に黒いストールを巻きましたが、凄く似合ってしまいました!
トルコ・トルコ・メヴラーナ博物館

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アナトリア半島(西南トルコ)周遊:カッパドキア

カッパドキアは本当に良かった…。
5月下旬という季節にとても恵まれました。ツアーのバスでトルコの半分を巡り、移動距離もそれ相当なのですが、窓からの眺めのおかげで苦になりませんでした。
トルコ・カッパドキア

子供の頃に読んだ物語のような風景。
トルコ・カッパドキア

どこもかしこものどかな景色。
トルコ・カッパドキア

上のお花畑は、芥子の花です。国で管理しながら栽培しているのだそう。もちろん、お持ち帰り禁止。ポピー。
トルコ・ケシの花

カッパドキア(奇岩地帯)は、これから保養の地として使いたいと思います。これは、ラクダ岩。
トルコ・カッパドキア

2人の現地のガイドさんも、そして私がトルコから帰国してすぐに旅立った母もここのトルコアイス(ドンドルマ)が一番美味しいと言っていました。ギョレメの谷にあります。ただ、トルコ名物で知られていますが本当は「東トルコの名物」なのだそうです。日本人にしてみればどっちも一緒じゃん! って思いますが、のびるのに固いアイス。美味しかったです。
トルコアイス

カッパドキアはハイキングにもうってつけ。私もハイキングに出掛けてきました。写真じゃ分かりませんが、石灰質の岩がジャリジャリに砕け、砂状になって足下に散らばっているから、岩を登るのが本当にたいへん! よく滑るので、軍手も必要です(私は用意しませんでした)。山の上の方に来ると、眺めがずいぶん変わって楽しい。次回はトレッキングシューズと杖と軍手を用意して、もう少し上級者向けのトレッキングに挑戦だな。空気も美味しくて凄く楽しかった!
トルコ・カッパドキア

これ、女の人がぼ〜っと佇んでいるように見えませんか? 図体の大きさといい、私にそっくり。頭がカチ割れていますけど。
トルコ・カッパドキア

ウチヒサールの要塞。石灰質の岩は加工が簡単らしく、古代の人は上に下に、住居を築きました。
トルコ・ウチヒサールの要塞

これは地下都市といわれる「カイマルク」。迫害されたキリスト教徒たちが隠れ住んでいました。この地下都市っぷりがとにかく凄い規模です。一人じゃ怖いくらい。地下5階だと6階だとかは当たり前。大きな通気口もちゃんと通っていますし、調理スペースもかなりの大きさ。不審者侵入に備えた落とし穴も多く、蟻の巣のごとし。想像を超える生活スペースです。
トルコ・カイマルク

軍人さんの格好した少年発見。
トルコ・カッパドキア

レバノンからツーリングに来たのだそう。気持ち良さそうですよね。カッパドキア周辺は観光客がたくさん。
トルコ・カッパドキア

この女の子の家に伺いました。後ろに立ち並ぶ洞窟を改造した家に住んでいます。
トルコ・カッパドキア

トルコの富士山といわれる「エルジェス山」(約3800m)。トルコにはまだまだ高い山があります。
トルコ・エルジェスさん

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アナトリア半島(西南トルコ)周遊:トゥズ湖〜アンカラ・エキスプレス

トゥズ湖というのは、塩湖です。80km×50kmに及ぶ土地ながら、年間の平均水深は50cm、夏になるとそのほとんどが干上がるという。トルコで消費される塩の7割は、このトゥズ湖のもの。
トゥズ湖

湖の水際まで歩いてきました。水面が鏡になって、雲に隠れた太陽の光を反射していました。
トゥズ湖

トルコの首都・アンカラまでは長距離のバス移動。本を読むつもりで乗り込んだものの、牧歌的な景色が続き、暗くなるまでずっと外を眺めていました。こんなに何時間も移りゆく空を眺めたのって何年ぶりだろう?
トゥズ湖からアンカラまでの景色

雲の動きも、太陽の色も、あっという間に表情を変えていくけれど、数時間後にはまた同じ太陽が昇って、違う景色を見せるのだから、空っておもしろい。
トゥズ湖からアンカラまでの景色

とか言っちゃったけど、ほんとうは、ただじっと眺めてるだけで、なんにも思ったり感じたりはしていなかったな。
トゥズ湖からアンカラまでの景色

陽が沈む瞬間って、どうして太陽の色が赤く変わるんですか? 知っている人はぜひ教えてください。
トゥズ湖からアンカラまでの景色

小高い丘のてっぺんにあるアンカラ城でご飯を食べました。
そして、アンカラ・エクスプレスに乗ってイスタンブルへ再び戻ります。
アンカラ・エキスプレス

駅は天井が高いけれど、こぢんまり。なんだか銀行の受付待ちみたいです。
アンカラ・エキスプレス

アンカラ・エクスプレスの食堂車。子供のときに広州から香港まで乗った特急の食堂車で、お嬢様気分でサーブしてもらったのを思い出した。年もとり、さすがにセレブ気分なんてことにはならないけど、食堂車っていまだに子供が焦がれる物語の世界。
アンカラ・エキスプレス

夜も朝も車掌さんがベッドメイクをしてくれる。1等個室寝台というのに乗ったけど、冷蔵庫のお菓子も飲み物もフリー。よく寝れたし。とても楽しかった!
アンカラ・エキスプレス

到着駅のハイダルパシャ駅。
アンカラ・エキスプレス

旅の途中の写真、メモリトラブルで写真が抜けてしまったのが残念だけど、だいたいこんな感じでした。
トルコ旅行、以上。

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アナトリア半島(西南トルコ)周遊:トロイア遺跡

引き続き乱暴ですがアナトリア半島周遊の写真です。

ダーダネルス海峡をフェリーで渡って、チャナッカレへ向かいます。ギリシャ神話でおなじみのイダ山(イーデー山/カズ山)を通りました。ギリシャの神々が住まう山、メデューサの美人コンテストのある山です。現地ガイドさんが神話の話などいろいろと解説してくれました。その話を要約すると、トルコとギリシャはとにかく仲が悪い、ということに尽きます。
ダーダネルス海峡

チャナッカレに沈む夕日。夏時間を採用しているものの、日没は20:00過ぎ。
トルコ・チャナッカレ

あ! 飛行機雲!!
トルコの飛行機雲

トロイア遺跡、トロイの木馬の模型。小学生の遠足の場所。この中に人を忍ばせて戦車代わりにして、トロイアを陥落する。
トルコ・トロイア遺跡

トロイの木馬はこの道を通ったとか?!
トルコ・トロイア遺跡

ギリシャ神話に登場するトロイア戦争。伝説と思われていた古代都市・イリオスが実在すると信じたドイツ人の実業家・シュリーマンによって、この遺跡が発見されました。ただ、遺跡は9層から成っていて、トロイア戦争があったとされるのは第7層(紀元前1200年中期頃)、シュリーマンが断定した第2層は紀元前2000年よりも前の地層であることが判明しています。ここがその戦いの舞台とされるところ。真相は不明だけど。
トルコ・トロイア遺跡

復元されていない部材がゴロゴロ。後ろの集団は地元の学生諸君。屋外舞台の集会場(遺跡)に腰掛け、野外授業。
トルコ・トロイア遺跡

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コンスタンティノープル、イスタンブル市街

乱暴ですが、イスタンブル市街の紹介を。
通算すると、10日ほど。歴史的な建造物をまとめてみました。中でも見どころは、トプカプ宮殿、アヤ・ソフィア、ブルーモスク、地下宮殿。

トプカプ(トプカピ)宮殿からボスポラス海峡。
トプカプ宮殿

トプカプ宮殿の図書室…ってのは嘘ですが、修復完成図って素敵ですね。まだまだこんな風に修復を繰り返しながら公開しています。
トプカプ宮殿

15世紀中頃〜19世紀中頃までオスマン帝国の君主(スルタン)が居住した宮殿。んと…イスラム教の開祖ムハンマドの「あごひげ」とそれからなんと…「モーゼの杖」が展示されていました! この奥は豪華絢爛。ハレムもありますが撮影禁止でした。
トプカプ宮殿

この大きな敷地の奥に見えるのが宮殿の厨房。
トプカプ宮殿

トプカプ宮殿のお隣にあるアヤソフィア(ハギアソフィア)博物館の入り口。ガイドさん、タクシー、お土産屋…いろんな客引きでごった返してます。
アヤソフィア

巨大。写真がないけどこの中身がとにかく凄い! アヤソフィアは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代に建てられた正統派キリスト教の大聖堂だったけれど、オスマントルコ時代には装飾が漆喰で塗りつぶされ、モスクとして利用されてました。
アヤソフィア

現在は少しずつ漆喰を剥がしたりして公開。ここのモザイクは秀逸。
アヤソフィア

アヤソフィヤの向かい側にあるのがスルタンアフメト・ジャミィ。ジャミィ=モスク。中はイズニックタイル(トルコのイズニック地方のタイル)と青のステンドグラスで装飾されることから「ブルーモスク」と呼ばれ、世界一美しいモスクとして知られています。
ブルーモスク

真ん中にあるのは、清めるための水。神社仏閣と似てますね…。モスクの中は涼しくて厳粛な気分になる。
ブルーモスク

トプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクの近くにある地下宮殿。「地下宮殿」とは俗称で、実際には地下貯水池(バシリカ・シスタン、またはイェレバタン・サルヌジュ)。なんでこんなに立派なのか意味が分からない! 魚が泳いでた。
ちなみに…地図上では見所が集約されていて、写真もこんな風にまとめてますが、むろん1日ではこのあたりはまわれません。
地下宮殿

地下宮殿には、メデューサの顔が彫られた古代の石塊がある。余り物の部材で造られたから顔が逆さになっている、という学説があるらしいが、それもさっぱり意味が分からない。
地下宮殿

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トルコと日本の外交的なつながり

トルコの人は日本人と兄弟だと思っています(なんて私ごときが言い切っちゃっていいのかは謎)。

私は日本人のルーツについてあんまり考えたことがなく…ちょっと不勉強だったので、この感覚についてはトルコでとっても驚いたのです。トルコって…、イスタンブルの一部だけがヨーロッパで、ほとんどがアジア側に位置しているのだけど、ザッとしたイメージではほっとんどヨーロッパ。顔立ちだって中国人や朝鮮人の顔からすると、だいぶヨーロッパだって思うし…。ま、中近東なわけだけれど、よもすると「アジア」って感覚からはちょっと外れてたりする。
トルコ人は、その歴史と土地柄からギリシャ人、クルド人、アラブ人、アルメニア人…などなど混血を繰り返して、顔立ちを形成して、究極の美人やハンサメンを排出しているのですが、そのルーツは中央アジア、バイカル湖辺りに居住していた遊牧民族にあるとされていて、この遊牧民が西を目指し、現在のトルコに。東を目指した遊牧民が朝鮮半島を通って日本に。そんな風に考えているようです。この考え方を象徴するように国旗についてのこんな逸話すらあるのです。
「我々の祖先は兄弟である。星と月を追って西の地に流れたのがトルコ人、太陽を追って東の地に向かったのが日本人」
その証拠に赤地に星と新月の白抜き模様がトルコの国旗、白地に日の丸が日本の国旗なのだ、と。

さらに。日本語と韓国語の文法がとても似ていることは、よく知られていますが、トルコ語も文法が一緒で、同じ語族なのだそうです。ただ、この「語族」については諸説あるようなので、現地ガイドさんの知識とトルコの心情として紹介しますが、「アルタイ諸語」といって朝鮮語族、モンゴル諸語、テュルク諸語(トルコ語、ウズベスク語など)、アイヌ語・琉球語を含めた日本語族、が同じような構文を持つのだそうです。調べたら、世界史の教科書にも書いてありました。

というわけで、なんだかとにかく親日的な国です。街の何気ない会話や雰囲気でもそれがよく伝わってきます。
もしかしたら日本だけじゃなくって国民性なのかも。女性の店員さんから買い物をしたときに、たとえばそれがお水1本でも「テシュクリュ エデリム(ありがとう)」とか「サオルン!(ありがとう)」っていうと、とても喜んでくれて、「ナザールボンジュウ」という、トルコの名産の目玉型のお守りをプレゼント(小さいの)してくれたりします。現地のガイドさんいわく「よその国の人がトルコの言葉を喋ると、とても嬉しいんだ」って言ってました。いろんなトルコ語をガイドさんに教えてもらって(トルコ語会話集を持っていかなかった…)、私はこれを名誉の勲章と名付けて、8個ほど集めました。
それから、トルコには日本語を学習している人が非常に多いです。「こんにちわ」「ありがとう」に限らず、日本に一度も来たことのない人が、大学で、独学で、ホテルでも露天商でも、本当にたくさんの人が喋れるんですよね…。「一緒に写真を撮らせてください」とか、ファッションを褒めてくれたりだとか、外国人、とりわけ日本人とわかると本当に優しい。
トロイ遺跡だとかベルガマ遺跡だとか、エフェソスだとか、地元の遠足の子供たちの集団ともよく遭遇しましたが、どの集団もみんな「ジャポネ! ハロー!」なんていって、来る子来る子ハイタッチ状態、写真を撮れば私も! 僕も!なのです。元気がよく好奇心旺盛。

さて。今回もまた長いのですが、いよいよ残してしまった話題です。
イラン・イラク戦争(第一次湾岸戦争)のさなかの1985年3月17日。突如イラクのサダム・フセイン大統領が、「イラン上空を飛ぶすべての航空機は無差別に攻撃する」と宣言したのを覚えてらっしゃる方はいますか? それが「不毛地帯」だったか「沈まぬ太陽」だったか…はたまた他の小説だったか記憶が曖昧なのですが(おそらくは山崎豊子だったのだと思うのです…)、小説の中にも出てきました。サダム・フセインの用意した時間は48時間。そうでなくとも、相次ぐ爆撃で、テヘラン発の国際線が運行を取りやめる中での出来事。んな急な話…と要請のあった日航でも困難な話でしたが、なにより、当時は自衛隊の問題が今以上にややこしく、イランに残った在留邦人を自衛隊が助けることができなかったんですね。一応、日本政府は他国にも要請はしたらしいのですが、どこの国も自国の人の救出で手一杯。ま、そりゃぁそうですよね。テヘラン空港に詰めかけた日本人も、某ヨーロッパの航空会社の発券されたチケットを持ちつつも、東欧諸国の人たちを優先させられ、路頭に放り出されました。日本から救援機が来ないことが分かった日本大使館が奔走し、現地の日本人会なども動き、伊藤忠商事のイスタンブール支店長らのつてでトルコのオザル首相(のちの大統領)に繋ぎ、特別便を出す約束を取り付ける。オザル首相はすぐさまトルコ航空に掛け合い、すぐに2機の機材調達と給油を始めるも残り時間は4時間。ここからテヘランの日本人をピックアップしてトルコ上空にさしかかったのは、タイムリミットの1時間前。在留邦人は危機一髪のところでトルコ航空に助けてもらった! ということです。

実は、私の方でも事実関係は定かではないのですが、「イランの日本大使館の野村豊大使が、トルコ大使館のビルレル大使にお願いした」という話もありますので、ここら辺はちょっと曖昧にとらえていただきたいのですが、このとき、日本人の要請でトルコ側が言った、という説話として、
「トルコ人なら誰でもエルトゥールル号の遭難のときに日本人に助けてもらったことを知っています」と言ったとか。

この「エルトゥールル号遭難事件」というのが、先に書いた話です。ご存知の方も多いのだとは思いますが、せっかくの飛行機にまつわるエピソードなので最後に紹介しておきます。

1889年7月、イスタンブルを出港した木造軍艦「エルトゥールル号」がイスラム諸国をまわりながら11ヶ月をかけて日本へ到着する。司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、翌年6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受ける。ただ、軍艦の老朽化や資金不足、乗員のコレラの流行などで、出航の機会が後ろ倒しになりそうだった。司令官オスマン・パシャは機会を見計らいつつも、結局は、あまりに帰国が遅れるとオスマン帝国海軍の弱体化ぶりが露呈しまうということから、台風が来るのが分かっていながらも、無理矢理日本を発ってしまう。
横浜港を出て数日後の1890年9月、エルトゥールル号は台風による強風にあおられ、和歌山の串本の岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は水蒸気爆発を起こし、沈没してしまう。結果として580名以上の犠牲者を出すことになったが、一部の生存者は串本に漂着し灯台守に座礁を伝えると、串本の住民総出で救出にあたり、結局70人近い乗組員を手厚く介抱する。
当時の串本はとても貧しい村で、住民たちの食べ物すら満足にない状況だったにも関わらず、自分たちの食べ物を惜しまず乗員に分け与えて献身的に介抱したといいます。それが明治政府に知れ渡ることとなり、政府が支援し翌1891年1月には生存者全員がイスタンブルに送り届けられた。この話がトルコでの親日感情を高めるきっかけになったともいわれ、先のトルコ航空の話につながるのだとか。

東の太陽、西の新月―日本・トルコ友好秘話「エルトゥールル号」事件
東の太陽、西の新月―日本・トルコ友好秘話「エルトゥールル号」事件 山田 邦紀,坂本 俊夫

あるところでは、エルトゥールル号のお話がトルコの教科書に載っていて、トルコ人で知らない人はいないなどとも言われたり、あるところでは、実際に教科書に載っているかどうかは眉唾もの、とも言われていたり。このお話はトルコに行く前から気になっていた件でしたので、現地ガイドさんなんかにも聞いてみたりしましたが、それぞれ曖昧です。40歳過ぎの女性ガイドさんは、「小学校5年生のときに習ってみんな知っている」という人もいれば、私と同い年のガイドさんは知らなかったり、とまちまち。全日同行してくれた現地ガイドさんには聞かなかった。けれど、日本でも読書感想文の指定図書となったりと、じわじわ浸透してきているようです。少なくても、聞いて悪い気がしないお話なのでした…。

飛行機ファンの聖地・下地島へ行くのに宮古島を利用したことがある人はとても似たような話を知っているかもしれませんね。「うえのドイツ村」。こちらも同じく明治時代にドイツの商船「ロベルトソン号」が航海中に台風に遭ったお話。

ご紹介まで。

トルコ…明日写真をアップしますね。興味ある人はぜひ。

では。

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ドバイの民族資料館がB級スポットのようでなかなか面白い

ま、そんなわけでドバイとはさようなら。見れて、満足、満足。
次の機会は…どうかな。ハブ空港として、また行くかもしれない。いや、ぜひ使いたい拠点だと思う。なにせ、異文化過ぎて人を見ているだけでも楽しい! 降機するかどうかは…(ちなみに、ドバイでの途中降機は復路1回のみ無料、復路降機は有料です)。お金持ちになれば楽しめそうだ。ビーチ沿いの住宅街の変哲もないマンションが家賃80万円(100平米弱)、去年まで100万円とのこと。一観光客が凋落ぶりを見れるほどではなく、むしろ想像以上の規模でドバイという街があったのが驚きだ。

ところで、資料館に行ってきました。ドバイという街の生活風習が、いちいち蝋人形で再現されているのですがこれが本当に暗くって怖くて、とにかく気味が悪い…。けれど、こういう雰囲気、けっこう好きです。
ドバイ旅行
ドバイ旅行
ドバイ旅行
ドバイ旅行
ドバイ旅行

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ストップオーバーを利用してドバイ観光

今回は旅行会社を通じてツアーの予約なんですが、よくあるパッケージツアーでも、個人旅行とハイブリットにするのが女性の旅行にはちょうどいいのかな、って思います。自力でチケット予約をすればエミレーツ航空の場合はストップオーバーも無料なのですが、今回は旅行会社に手数料を払って、こちらを利用させてもらいました。手数料は1万円くらいだったと思います(あれこれまとめたので詳細は忘れたけど)。旅行会社やチケットの種類にもよるので、できる場合もできない場合もあると思いますが、聞いてみてOKなら、使ったほうがお得ですよね!
空港とホテル、あるいは観光の足は自分で調達しなくちゃなりませんが、これって本当に楽。ドバイの場合はどのホテルも高めだったので、長居はできませんが。

さて。
ドバイに来る前の、この首長国のイメージは「オイルマネーで、急激な発展をした街らしいぞ。しかし、最近の金融ショックでかなり景気が落ち込んでいて大変らしいぞ」という感じでした。私がドバイに行きたいと思ったのは、その歴史的な凋落ぶりを見たいと思ったからです。我ながら悪趣味だと思います。テレビで見聞きしたドバイは「突如現れた砂漠の摩天楼」、こんな触れ込みでしたから。大げさにいうと「一夜にして築き、一夜にして陥落する」とでもいいましょうか。まるで蜃気楼のごとく実態のない街のようなイメージでした。

実際には? そこで生活しているわけではないし、身を持って不景気を体感しているわけではないので分かりません。けれど、現段階では日本で見聞きしたイメージほど失落なんてしていないように見えました。なぜなら上空から見るドバイは、かなり広大な広さで賑わっていて、街の灯りも住宅街の大きさも、インフラも広範囲に渡って整っていた。空港は人で溢れかえり、イスラムの信仰が薄めのスカーフをかぶる女性でも、チャドル(イスラム教を信仰している女性が来ている全身を覆う衣装)を来ている人も、買い物を楽しむ人でいっぱい。ただ、空港は特需があるかもしれませんが。

少し街へ出れば、やっぱりビルも多いし、船での交易も盛んだ。横浜の玉葱ホテルと似たような造りの「ブルジュ・アル・アラブ」はティータイムセットで10,000円ですって。今でも、予約でいっぱいでしばらく先まで埋まっているのだそう。ちなみに、高さは300m以上、7ツ星、全室がスイートらしいです(星って一体いくつが最高なんだ? ってことが疑問になる…)。
そういえば、空港内のスターバックスも「アイストールラテ(ダブルショット)」1杯が、1,000円近かった。こちとらカード決済なので、なんとかディルハムとかいう通貨が日本円でいくらなんだかホテルについてレシートを見るまで考えなかった。それに、日本のファミリーマートで売ってたミネラルウォーターで「masafi」ってのが確か100円切るくらいで売っていたのですが(砂漠だらけであるはずの「アラブ首長国連邦」が原産地になっていたので「オッ」と記憶に残っていたのだ…。硬水で飲みやすいし)ドバイでは同じもんが4ドルで売ってた。あんまり暑いので(40度!)もちろん買ってしまったけれど。街の露天商から買うと1ドル。物売りに聞くと、1ドル(100円)もしくは1ユーロ(140円)、または5ディルハム(130円)! 通貨単位ごとに値段のバラつきが…(笑) まぁ、なんやかんやと街も商店街も活気がありました。地元の人はもとより、外国からの滞在者(家族連れ)なんかもいっぱい見かけました。
ドバイ

結局のところ、イメージは…ラスベガスそのものですね。お金持ちはそれなりに、お金がなくても夢を見て、それぞれの規模でそれなりに生活しているのかもしれません。問題はこれからなのだとは思いますが、これまでの発展がなかったことにはならない程度の基盤はありそうです。不動産投資によるバブル状態ではあったものの、この街の基盤はなんといってもオイル。原油は投機対象になるものの、決して架空のものではないのです。

ドバイのイメージが「オイル」過ぎましたが、ペルシャ湾(ドバイでは「アラビア湾」という)に面したビーチがなによりきれい。海水浴シーズンは5、6月なのだそうで、7、8月になると暑すぎてビーチが歩けないほどの温度に達するのだそう。ビーチもイスラム国とは思えないほどの賑わい。といっても外国人の人でですが。夜の歓楽街、らしきものは見ることはできませんでしたが、そこはイスラム圏なので歌舞伎町のように「歓楽街」としてあるのではなく、5つ星以上のホテルに併設されたバーとかディスコなんかを利用して、男女が盛り上がるそうです。出稼ぎのロシア人、中国人、フィリピン人なんかがたくさん踊ってるって。街は建設中のビルが多く、おそらくは金融危機が訪れる前に計画着工したものが多いのだと思うけれど、未着工、建設中止、あるいは崩したばかりなのか、ビルとビルの隙間の空き地が、どれもこれも砂地だったのにはさすがにひいた…。砂漠の建物って…杭打ちとか基礎工事とかってどうなってるんだろう?

街中はこんな感じ。
ドバイ旅行

「30年以上の国際経験、不動産開発と建設は…」そんなキャッチコピーの垂れ幕ですよね、コレ? この会社の今後が気になる…。
ドバイ旅行

こんなに蒸し暑いドバイに毛皮って…。しかもファッションショーを開いて売ってるって、さすがです。
ドバイ旅行

ドバイの摩天楼。
ドバイ旅行

どこもかしこも立派なホテル。でも外国人の私たちには一般的なホテルかも。
ドバイ旅行

美しいビーチに、肌もあらわな女性が。それでもここはイスラム圏。
ドバイ旅行

建設中の「ブルジュ・ドバイ」はあまりの大きさにファインダーに入りきりませんでした(笑)。完成すれば800mを超す高さに。
ドバイ旅行

船に乗って対岸に。
ドバイ旅行

行き来も激しい。
ドバイ旅行

船に立てられた旗から、多国籍な様子がうかがえる。船での交易も盛んなようだ。
ドバイ旅行

荷さばきも、カンドーラ(白の民族衣装)で行う商人たち。
本物のドバイ人は、首長からの優遇制度が充実していてみな豊かだ。
ドバイ旅行

モスクも白い。「ジュメイラ・モスク」
ドバイ旅行

ドバイの夜明け。
ドバイ旅行

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南の国から2

海外で今回のように、財布と別に日本大使館の連絡先を持ち歩かなきゃ、と自発的に思ったのははじめてのこと。マニラって、そんな街。そして、「何かあったときのため」の連絡先はもうひとつ、日本航空。チケットの手配上、という意味でも必要なんだけれど、なんやかんやいっても、心の安心は日本航空。日航ってそんな航空会社だ。

ホテルのコンサルタントとして活躍されている方とお仕事をする縁があって、先日、打ち上げの会食をしました。日本を代表する某一流ホテルに長年お勤めされていた方なのですが、そのお話の多くが、国賓級のVIPや有名人、理不尽なお客さんのエピソードで、客室乗務員さんの本を彷彿とさせて面白おかしいお話。そこでの会話でこんなことを言っておりました。

とある国でその某ホテルの現地スタッフの教育をしていた時のことだそうです。
「夫婦喧嘩の末、×××をしでかしてしまった」と女性から電話がかかってきたのだそう。ここでは具体的な内容は控えますが、聞いてた私でもそれはそれは、関わりたくないな、と思うこと。
「ね、わたしどうしたらいいの?」
と自分で電話しときながら、その女性はパニックに陥っている様子。
「お客様は私どものホテルにお泊まりのお客様ですか?」
「違います」
「何にお困りかお伺いしたいのですが、なぜこちらにお電話くださったのですか?」
ひとまず冷静になってもらいたくて、こんな風に尋ねたところ、
「なんでって、あなたのところのホテルは日本のホテルだからでしょ!!」(逆ギレ&半泣き)

こんなやり取りがあったそうです。結局は電話を受けてしまったが運の尽き、そのホテルの名にかけ、なくなく必要な処理をしたらしいのですが、当のご本人や、サービス業に関わる方々からすると迷惑千万な話。けれど、どこに電話したらいいか分からないけときに、日本のホテルに電話をしたくなるという邦人女性の行動ってのも分からないでもないんです…。

今回はマイレージの恩恵でJAL使用なので、控えを持っておくのは当然ていっちゃぁ当然。それよりなにより、こちらの事情で航空会社にそんな迷惑をかけるつもりもありませんが、なんというかやっぱりJALは「心の友」みたいな感じなわけで、言葉の通じない不慣れな土地、不安な土地でこそありがたく感じる日本のシンボル的な存在。特にフィリピンって、貧困からくる治安の悪さでアジア有数のワースト国で、警官だって信用できないらしい。さらには輪をかけて政治情勢も安定しない。竜子がこっちに来る直前にも、ミンダナオ島で国軍と反政府勢力との交戦があったばかり。パニックになっちゃったら日本大使館よりもJALのほうがパッと頭に浮かんじゃうと思うんですよね…。単純に足の確保ってだけですが。

だから竜子はJALってひどいよなぁ、とかここで言いながらもマイルはJALで溜めちゃうんだと思うし、カードもJALカードにしちゃったりする。JALカードが人気なのも、そんな風に不慣れな海外での保険的意味合いを込めてのことなんじゃないかなぁ〜。っていっても旅行の付帯保険も手厚いしね。こういう信頼感がいわゆる「ブランド力」ってヤツなんだと思うけれど、やっぱりこのブランド力ってのは、長年培ってきた努力のたまもの。ANAの勢いも、ANAの人材力もとてもとても素晴らしいし、評価していますが(←何様だという感じですが)、その点だけはやっぱりJALにはかなわないんじゃないかな。なんやかんやいってもこの王冠は燦然と輝いていて、JALの大きな強みなんですよね。

というわけで、これを書きながら気づきましたが、カード会社の連絡先を控えておくのを忘れてた…。JALより、こっちの方が必要で大切なんでした…。

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JALの翼
JALの翼

南の国から

プツっとなんかが途切れてしまって、更新が滞ってしまいました。
「機長席II〜ヒマラヤ飛行〜」の配信を楽しみにされていた方、すみません。
お久しぶりですが、私は元気にやっています。

3月中旬頃、お彼岸にお墓参りに行ったついでに、思い立って東北へ旅行へ行ってきました。
そして、3月の最終の日曜日はこのブログに何度か撮影のご案内をいただいていたMikeさんにお会いしました。Mikeさんは中学生、すっかりふたりっきりで…メカに疎い母親のように教えてもらうシーンを思い描いていましたが、Mikeさんのお父様や、カメラマン仲間の方がいらして恐縮しきりの日曜日でした。
そこで、一眼レフの使い方も教わりました。1時間足らずのひとときでしたが、使い方も教えていただき、ずいぶん前進しました。日曜日は千葉県知事選挙があったりで、なんやかんやと2タミに着いたのは夕方でしたが、それにしても凄い人、人、人。

そして、4月に入ってからのここ数日、マニラにいます。
今日はじめてネットにつなげることができました。
部屋でネットにつなげるには、別途料金と、配線(Ethernet)かなんかの手続きが必要です。そのお願いをすると、「テクニカルエンジニア」なる人が部屋に来てくれるのですが、彼はネットワークにつなげることが出来ません。
「そのパソコンはどこのメーカー?」
と聞きます。Apple、Macintosh、と言っても通じません。通じない、というのは私の英語が微妙なのもあるけど言葉の問題じゃなくって、テクニカルエンジニアなる人に「あなたのオペレーションシステムはWindows、私のはMac」といっても彼は部屋の窓を指差す、ってな具合のやり取りです。どうみても、Windows Vistaなんですけどね、彼は「accer」(台湾のメーカー)だと言い張ります。確かにそれは合ってるけど、彼が知りたいのはそういう問題じゃないハズなんだよな…。「Appleは日本オリジナルの有名メーカーなのか?」とか言うので、仕方がないのであきらめて、ホテルのレストランでつなげることにしました。

が、これも繋がらない…。

フロントスタッフも、そのテクニカルエンジニアなる人も、しまいには「フィリピンじゃMacintoshは使えない」と、屈託のない笑顔で言います。空港からホテルへ向かうタクシーの中で、Appleのステッカーを貼っている車があったのを見たのですけどね…。どうも知らない人が多いようなんです…。ただ、
「スターバックスならアメリカのお店だから、使えるかも」
といいます。んー、その説の根拠が感覚的過ぎて信用できない、と思ったのですが、これがどういうわけだかスタバではアクセス出来るのを、今日確認してきました。

そんなわけで。今は無事解決して、ホテルのレストランからなら、アクセスできるようになりました。不思議なことに、なんも設定もいじってないのですがね、3日寝たら治った、というヤツです。
4月中旬までマニラにいますが、このヴァカンス…どうなることやら。

それと、長らくご無沙汰してしまいましたが、
「機長席II〜ヒマラヤ飛行〜」の配信は今週から再開しますね。
連載、としときながら急にお休みしてしまって、すみませんでした!

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やっぱり、搭乗ゲートからの眺めは格別!
最高です!!
成田空港

働く人がこんなに間近で見れるのがたまらない!
成田空港

こんなに迫力ある顔だったかと、あらためて感動。
成田空港

新幹線っぽく見える。
成田空港

東北のネオン

旅の終盤は福島へ。気ままに巡った旅も気がつけば繁華街を求めて転々としてました。土地のことって全然知らないものですね。どこを目指したらいいのかもあやふやで、郡山へ行ったのちは方角を少し変えていわきに。いろいろと知ってればもっとたくさんの場所に行けたハズ。

いわきでは、平(たいら)っていうのかな、田町っていうのかな。よくわかんないんだけど、ネオン街へ。飲屋街を通り抜けると、そこを歩いていたらおねいさんに声をかけられ「私のスナック哀川翔のVシネの舞台になったのよ」っていうからみせてもらった。そしたらVシネの撮影で使ったどころか、そのおねいさんは昔歌手だったそうで、店内は有名人との写真でいっぱい。そのほとんどは演歌の大御所だったり作詞作曲の大家だったりするんだけど、いかんせんその道に詳しくないので、ほんとうは知らない名前もちらほらあった。そのおねいさんは、人情の厚い人らしく「これもなにかの縁だから」って私たちにウーロン茶をごちそうしてくれた。最初はめちゃくちゃ警戒してたんだけど、お言葉に甘えちゃった。

瓶で出てくるウーロン茶って風情あるよね。おねいさんが栓を抜いてくれると同時に、寡黙なボーイさんがおしぼりを差し出してくれる。間髪入れぬタイミングに圧倒されながら、せっかくなのでしんみりと雰囲気を味わっちゃった。おねいさんは既に酔っぱらっていたので、たまに聞き取れないこともあったんだけど、波瀾万丈の人生を送ったらしく、私よりも年上のお子さんや、お孫さんもいるとか。ホントはそのお話をいっぱい聞きたかったなぁ。スナックとかで飲む機会なんてめったにないから、いつの間にかまるで自分がVシネのワンシーンの中にでもまぎれたかのような錯覚に落ち入ったよ。そういう人の懐に甘えられる機会に恵まれている竜子って、たぶん幸せなんだなぁ、と思った。

そのスナックでは思いのほか時間を過ごしていたんだけど、気づいたらお腹が空いていたので、そこのママが紹介してくれたバーで食事をとる。そこがまた安くて美味しい。ブルーのライトが照らすお店でしっとりしたバーなんだけど、しばらくお話をすると、なんとそこの人は飛行機ファンだった。笑顔で毎月購読してるという「月刊エアライン」をみせてくれました。私のまわりに航空ファンは少ないから、こんなところで出会うのってとても嬉しい。カウンターには奥様らしき姿(オーナー)がありましたが、飛行機に乗ったことがないという彼女は半ばあきれている様子で、なんだか微笑ましい。「これもなにかの縁」ある方がそう言って私に分けてくれたステキなものを、彼にも送ってあげることにしました。
お店の名前は「Air」。だから店内も青いのです。

東北の件だけでなく、いろんなことを経験したからなのか「これもなんかの縁だから」というひとがたまにいる。竜子はそう言ってくれる人に凄くひかれてしまう。そしてそういってくれた人との縁を感じながら、自分だけでその縁を切ってしまわないように、つないでいけるようにしたいなと思う。そんな風に言ってくれる人がいることのありがたみを感じながら旅も終わりました。

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