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第28回「保安要員としての危機管理能力」

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客室乗務員の仕事は大別すると「サービス要員」と「保安要員」の2つです。

「サービス要員」に必要な「対人関係スキル、コミュニケーシヨン能力」は乗務時間が多くなれば、次第に磨かれていくものです。一方、「保安要員」としての「危機管理能力」は実際に、それに関連したケースに直面しない限り頭で習得は出来ても、体得までは行きつかないのが現実です。
そうは言っても、先ずは習得と模擬体験で少しでも「危機管理能力」を最低限、身に着けておく必要があり、その手段として、乗務員資格を持つ全乗務員(管理職も含めて)は毎年1回、必ず非常救難訓練を受講し、当日のテストをパスしなければ乗務することが出来ないのです。

この他にも、安全に関わる定期教育、心肺蘇生法などの救急処置の訓練も年に1回受講しなければなりません。
尚、毎年1回の非常救難訓練では、過去の飛行機事故の事例についての検証や、事故を想定した事例を運航乗務員と客室乗務員が一緒のチームに分かれて、その対応につき話すカリキュラムもあるのです。

この場合は、パーサー、チーフパーサーの上位職と機長のコミュニケーシヨンが大事になります。
ハイジャック対応も設定されていて、操縦室に侵入されないことが前提条件なので、言い換えれば、機内で発生した異常事態は、全て客室責任者が同乗メンバーに的確な指示をして対応することになるのです。この点については既に、その一部は「週刊 飛行機ダスキ!」の読者の皆様には”ハイジャック未遂事件”で私の体験事例を紹介していますので、参考にしていただければ幸いです。

今回の東日本大震災と福島原発事故への対応で「危機管理」が注目されています。
事態の大きさでは比較になりませんが、基本的な危機管理の手法としては、私の乗務体験が少しは皆様の日常生活のうえでヒントになるかもしれないので、ここで紹介したいと思います。私が、乗務時に「危機管理能力」として、常に留意していた点は次の5点でした。

  1. 実態の把握:どんな事態が起こっているのかを客観的に把握する。
  2. 原因の把握:それは何が原因によるものかを把握、検証する。
  3. 予測:今後何が起こるか、危険性の高低度を予測する。
  4. 対策:現時点で、実行可能な対応と処理策は何か、最善の選択肢はどれか。
  5. 決断と実行:事態を悪化させない、解決するための迅速な決断と実行。

さらに、これらを留意するに当たり、”全ての結果責任は自分が取る!”という心構えが不可欠だということだと思います。
平たく言うなら”いつでも腹をくくれる”でしょうか。
ちなみに、乗務員は、所属するグループごとに安全担当が決められており、毎回のフライトに先立ち、安全に関わる事例を紹介したビデオを見て注意喚起を促すことや、安全意識を啓蒙するなど、安全に関わる「保安要員」としての取り組みを行っています。

次に、私が「危機管理に関する指示・命令」を出す場合に留意していた5点。

  1. 最悪の状況を想定して、緊急且つ重要度に応じて躊躇せずに即刻出す。
  2. 内容を必ず復唱させる。
  3. 指示・命令を出しっぱなしにしない。(指示・命令を下し、もしくは、これを伝達する場合には、 必ずその遂行を見届けることで、はじめてその責任を果たしたといえる)
  4. 指示・命令の遂行に時間がかかる場合には「中間報告」を必ず励行させる。
  5. 指示・命令には時系列で通しナンバーを打ってメモする。

備忘録として後日役に立つこともあるので。

風天マン

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
© 風天マン
【著作について】実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」のすべては風天マンが著作権を保有しています。一般的な「引用」の範囲を超える紹介を除き、商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ info@airjapon.com(管理人:竜子)までお問い合わせください。

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第27回「スチュワーデスをカモにした結婚詐欺師」その2

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今回は、この結婚詐欺師が東京で、どんな方法でお目当てのスチュワーデスを誘い出し、彼女達からお金を搾取するかの話です。

帰国した彼は頃合(1、2週間後)を見て、ターゲットにしたスチュワーデスに電話をする。

「仕事で今東京にいる。 夕方取引先との約束が先方が来日出来なくなって、時間を持て余しているので、夕食を一緒に付き合ってもらえると嬉しいんだが・・・実はもうホテルのレストランを予約してしまったんで・・・先日言ってた、君の好きなフランス料理だけど、少し強引だったかな?」
と誘い出す。

彼は交通の便の良い品川の某ホテルを常時この舞台として利用していたのである。
レストランやフロント、バーのボーイとは顔馴染みで、彼等もいわば彼の犯罪の援助をさせられていたことになる。実は、警察の捜査でこのホテルでフロアー・マネージャーの私の知人は、かなりしつこく彼との関係を追及されて迷惑をこうむったと話していました。

最上階のレストランでフランス料理を食べながら、言葉巧みに彼女の結婚願望を掻き立てる会話と、女性の母性本能をくすぐる会話をちりばめ、デザートの頃になると
「実は君にチョットしたプレゼントを買ってきたんだけど・・・アレッおかしいな?」とポケットを探す素振りをする。
「アッ、部屋のバッグに入れたままだったんだ。チョット部屋までついて来てくれるかな? たいしたモノじゃないけど、君にピッタリの指輪があったので・・・」

これで当の彼女はレストランのボーイ達の彼に対する特別対応もあり、すっかり信用して「そんな、指輪なんて戴く筋合いは・・・」と言いつつも、その魅力に負けて彼の部屋にお供してしまい、上野のバッタ屋あたりで買った2、3千円のルビー、サファイヤ(勿論ただのガラスだが素人には判別しずらい)を提供され、有頂天になって、そのまま彼の腕の中となってしまったのです。
制服を着ていれば、やはりスチュワーデスとしての見識やプライドが維持出来るのですが、私服でプライベイトな時間帯はそれらが希薄になるのがスチュワーデスといえども一般的な女性のサガかもしれません。

ここですっかり、彼の犯罪への布石は完了したのです。彼は後で結婚詐欺で訴えられることを懸念して、彼女がすっかり眠りこけているあられもない姿をシッカリと写真に収めていたのです。これがために、多数のスチュワーデスが被害者となっても「会社に写真を送りつけるぞ!」と逆に脅されて泣き寝入りするケースが大半だった訳です。

次に実際にお金を手に入れる方法についてです。
彼は当の彼女とそんな関係を2,3回続け、彼女が成田空港の事務所に乗務(最低4日間のパターン)の為に出社した頃を見計らって、事務所に電話を入れ
「申し訳ないが、急遽今からニューヨークに飛ぶのに、会社にキャッシュカードを忘れてしまった。すまないがチョット君のキャッシュカードを貸してくれないか?」
と依頼するのです。

「でも、私のカードは一回に30万が限度なんですが・・・」
「OK、ファーストの片道は60万なので、幸い40万は現金が財布にあるので、今はとりあえず君のカードで20万を借りることになるが・・・向こうに行けば何とでもなるので」
「分かりました。どこに届ければいいのですか?」
「JALのFカウンターにいる」

そこで、彼女はけなげにも持っていたドルと現金と大事なカードを彼に届けたのです。

1回のキャッシュの引き出し限度額は確かに30万ですが、当時はスチュワーデスの場合一般的に最高200万迄の引き出しが出来ます。

更に、いわゆる当時のヤミ金業者に持ち込めば更に300万迄は融資してくれたのです。
彼は彼女が手渡した一枚のカードで何と合計500万を搾取したのです。

当初の投資額(ホノルル便のファーストクラス往復運賃60万、ホノルルでの食事代、日本でのホテルでの諸経費)を差し引いても確実に400万の利益を入手出来たことになります。

1ヵ月後、カード会社とヤミ金融からの請求書を見た彼女の驚愕はいかばかりか・・・
結婚詐欺にひっかかったスチュワーデスの1人が私の配下でした。
たまたま、郷里も同じだったこともあり、困惑した彼女から相談を受けたのでした。

彼女のプライバシーに関わることなので、関係者から詐欺師の男性に関する客観的な事実を最初の出会いであるホノルル便の機内の様子と、滞在ホテルでの状況、また当時のホノルル支店長もよく知っていたこともあり、事情聴取を始めました。

1ヵ月後、私は知人の弁護士と旧知の警察幹部(以前にも登場した警視正)に相談したのです。
また、カード会社の役員(某料亭のおかみとのつながりで)に依頼して、とりあえず彼女の返済を延期してもらい、彼女に被害届けを出してもらって、警察も結婚詐欺事件として本格的に捜査することになったのです。

彼女と同乗したチーフパーサーや、スチュワーデスの事情聴取の過程で、他にも犠牲者がいるということが判明したのです。
そこで、いっせいに職場でのこの事件に関する事情聴取が密かに開始されたのです。ところが、直接の被害者の場合は、自分の恥になることもあって、なかなか本当のことを話してくれるスチュワーデスがいなかったのです。
1日も早くこの詐欺師の男を逮捕しないとスチュワーデスの仲間に被害者が続出することになる点を何度も説いて話を聞きだそうとするのですが、裁判になった場合、証言をすることは拒否するのでした。

なかには、その男に搾取されたお金の請求を求めたスチュワーデスもいたのですが、例の「写真を会社に送りつけるぞ!」と逆に脅されて泣き寝入りをしたスチュワーデスもいたのです。

当時としてはトンデモナイ結婚詐欺事件でした。
この事件はJALという会社の対面を傷つけるということで会社はマスコミにリークしないようにあらゆる手段を講じたのは言うまでもありません。その後の警察の調べで判明しただけでも、家宅捜査で26枚のカード(20枚がスチュワーデス)が見つかり、捜査員は本当にビックリしたそうです。何と1億数千万の被害総額だったとのことです。
更に、悲しいことに被害者のスチュワーデスのうち2人はあろうことか、彼の子供を身ごもっていたのでした。

後日談になりますが、この事件は社内でも誰が発信源かは分かりませんが、噂が広まり、その為に大半の犠牲になったスチュワーデスは退職しています。
私の配下のスチュワーデスの場合は、両親からカード会社への支払いをしてもらって退職しました。

彼が搭乗した時の乗務員はほぼ全員が事情聴取を受け、その時のチーフパーサーのなかの数名は監督責任を問われ、戒告処分を受けたとのことです。
いずれにしても実になんとも後味の悪い事件でした。

風天マン

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
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第26回「スチュワーデスをカモにした結婚詐欺師」その1

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スチュワーデスの多くは素直でやさしい反面、人を信じやすい傾向があるのも事実。
そんな純粋な彼女達の女性心理を巧妙な手口で騙した結婚詐欺師がいたのです。
約20年前、一時期スチュワーデスの間で噂になった事件である。

この男は熱海市の自称青年実業家で数枚の名刺を使い分け、スチュワーデスだけを狙ったワルだが、私の知ってるだけで当時20人のスチュワーデスが被害に逢い、被害総額は1億円を超えたとのことであった。

年齢32歳既婚、ごく普通の容姿であり何故賢いスチュワーデス達が彼のカモになってしまったのか?
そこには、スチュワーデスという職業と女性心理を巧みに突いた巧妙な手口があったのです。

先ず、ターゲットになったのは、現在特定の彼氏はいないが、結婚願望の強いスチュワーデス。
彼は以前にも結婚詐欺で逮捕された前科があったとのことだが、スチュワーデスを狙うようになったキッカケがあった。それは、彼が結婚する前に国内線で知り合ったスチュワーデスに付き合いを申し込んだが、冷たく断られたことによるものであった。そこで、近所に高校の同級生でスチュワーデスになった知り合いがいて、その彼女からスチュワーデスの世界のことを聞き出し、それをヒントに詐欺を働くようになったとのことである。

当時、彼は小・中学生を対象にした英語の教材の訪問セールスをした経験もあり、少しは英語が話せたことも都内有名私立大学卒と言っても疑われなかったのだ。さて、ではその手口とは?

毎回、ホノルル線のファーストクラスに乗る。座席は必ず最後列で隣が空席の座席を指定。
つまり通常の場合は最前列から埋まっていくので、満席でない限り最後列にはお客は座りたがらないので隣が空席になる確率は高い。事前の予約段階で空席の多い便を選んでいたのだ。スチュワーデスは基本的に最前列から飲み物や食事のサービスを始めるので最初は緊張しているが、後方になると緊張感が緩んでくる傾向にある。前方座席の場合スチュワーデスに話しかけると、周囲のお客に聞かれる可能性があるし、スチュワーデスSも次のお客のサービスをしなければという気持ちがあるので長々と話しかけられるのを敬遠するが、最後列の場合ならそのチャンスがあるという訳だ。
いわんや隣が空席なら、話しの内容を大きな声で話さない限り、他のお客に聞かれる恐れはない。ファーストクラスを担当するのはやはり同乗メンバーの中でも気立てが良く、容姿もそれなりのスチュワーデスが担当することが多いので、それも計算に入れたのだ。

そこで、彼は必ず大人しくてスチュワーデスにとって扱いやすいお客を演じる。
新聞は日経新聞と英字新聞を依頼する。ホノルル線では観光客が主体なので、日系人でなければ英字新聞は読まない。
いわゆるスチュワーデスの結婚対象の条件に合致する男性を演じるのである。話しかける声のトーンもわざと低くしてスチュワーデスが聞き取りにくいので(機内は常時エンジンの騒音がしている状態)、スチュワーデスは自然と近くに接近せざるを得ない。それを繰り返すことで女性特有の警戒感を無くしていくのである。

彼はその間シッカリと彼女の制服の中の体をC’Kしていたのである。
彼女の方も彼のネクタイや服、靴、腕時計の値踏みをしていたのだろうが・・・
しかし、ここで直接彼女を食事に誘うようなことはしない。

ホノルル到着直前になって、ファーストクラスを担当している、その便の客室責任者であるチーフパーサー(現在はサービスコーデイネーター)に「僕の道楽なんだが、ホノルルで君のチームを全員食事に誘いたいのだが、どうだろう?」と切り出す。
ここでチーフが渋ると
「実は毎月2、3回は仕事の関係でJALさんにはお世話になってホノルルに来てるんで、毎回乗務員の皆さんと夕食をするのが楽しみなんです」
それでもチーフが渋る場合は
「いやー、ホノルル支店長の○○君も来ることになってるんだがねー」とたたみかける。

たいていの場合、これで「全員は無理だと思いますが・・・」
「じゃー今日のファースト担当の皆さんだけでも」とアプローチすれば、チーフとしてもファーストクラスの常顧客でもあり、大事にしなければという職業意識を刺激されて「承知致しました」となるのでした。

全員が彼らの宿泊先のプリンセスカイウラニホテルのロビーに夕刻に集合する。
実はそこで彼は巧妙な手口を使う。
ホノルルノ支店長も一緒だと言った場合は、自分でホテルのフロントに館内電話を使って電話し、自分の名前を告げて自分自身を呼び出してもらう。

この時点でロビーで待っている乗務員達と合流し、ベルボーイが名前を書いたプラカードをロビーに持ちまわっているのを目ざとく見つけて「僕に電話が入ってるらしい」と宣言して館内電話の方に行き、受話器を取り、さも彼等に聞こえるように、今度は大きな声で「支店長もお忙しいんだねー、まー今回は勘弁してやろう・・・」とやや偉そうに話すのだ。チーフはこれで「支店長にあんな調子で話してるのだから、相当親しいのだろう、いずれにしろ上顧客には違いない」と勝手に思い込んでしまうのである。
そして、仕事熱心な余りチーフとしても、ファーストクラスの上顧客でもあり、大事にしなければという職業意識を刺激され
「支店長も出席する予定だったらしい。ここは彼にご馳走になることであり、君達も上手く今夜の夕食会を盛り上げてよネ」とスチュワーデス達に依頼するのでした。

そこで、彼は前もって予約していた行きつけのレストランを告げる。
レストランまでは、もっぱらチーフと自分の仕事のことなんかを近くを歩いているお目当てのファーストクラスを担当したスチュワーデスに聞こえるように、大声で話すのです。

レストランに着くと、彼は当然、これとマークした彼は当然、これとマークしたスチュワーデスの隣の席にさりげなく座るのである。
そこで彼は「じゃー、先ずはシャンペンで乾杯といこう!」と言うのです。しかし、そこはチーフが気を効かしたつもりで「いえ、ワインが皆好きなので、ワインにしましょう!」と彼の負担軽減策を提案し、ワインで乾杯する。彼にとっては先行投資が少なくて済むのでもっけの幸いである。

さて、お目当てのスチュワーデスの隣に座った彼は、決して彼女だけに話しかけるのではなく、全員にまんべんなく話題を振り、全員から「いい人ネ」という印象を抱かせる演技をするのである。チーフ以下当の彼女も彼のことをすっかり信頼し、彼に対する警戒感を喪失する。
かなり盛り上がった頃を見計らって、彼は
「いやー、今回のメンバーは素晴らしい。また是非今度東京で食事会をしたい! チーフを始め皆さんの電話番号を教えて下さいよ!」と準備したメモを回す。この時、決して当の彼女を誘うような素振りはしない。あくまでも紳士的な態度でJALの上顧客に徹するのである。ただし、さりげなくタイミングをとらえて、お目当ての彼女のその後のスケジュールを聞き出すのだ。

この男の事件に関わった乗務員からの事情聴取によると、いくらレストランで全員で盛り上がった場合でも、その後2次会に行ったり、ターゲットにしたスチュワーデスの部屋に電話をしてきたりすることはなかったようである。

これも、独身の青年実業家で紳士的なふうを装うことに徹していたのだと思われる。また、JALの場合は、ホノルルからの帰便で別のスチュワーデスを誘ったりはしていない。他社のスチュワーデスの場合はグアム便を使って、逆に帰便でも誘っていたそうだ。この点は警察でも首をかしげていた。
つまり、彼は結婚詐欺の舞台をホノルル便とグアム便に決めて、2年間で50名近いスチュワーデスをターゲットにしていたのです。

風天マン

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
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第25回「大量輸送時代の到来」

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1970年の大型旅客機(B-747通称ジャンボジェット)導入は大量輸送時代の幕開けでもあった。
同時に日本も高度成長期という時代の中にあり、パック旅行が本格的にスタートした時期でもあった。
それまでの海外旅行は個人でパスポート・査証(ビザ)の取得や予防注射迄、結構面倒な手続きが必要であったが、予防注射は仕方ないとして、他の手続きは旅行理店が代行してくれるようになったことで、海外旅行が身近なものになってきたのでした。
更にパック旅行の場合は航空運賃・滞在地での宿泊料金(1部食事代も含まれる)も含んでの旅費で売り出され、しかもこの旅費がそれまでの個人旅行に比べ格安になったことで、海外旅行者は飛躍的に増加したのでした。

渡航先のトップはハワイ。
行きは6時間、帰りは向かい風の影響で8時間かかるが、この時間で日本とは全く違う異国の雰囲気を満喫出来るということで、これまで一部の上流家庭や有名人だけの特権を中流層も甘受出来る夢の実現となったのです。

さすがに当初は、今のような若者は稀で旅行者の主体は中流家庭のカップルや農協の団体が占めていた。当時は国内・国際線共に羽田空港だったので、地方から羽田に飛んで来てそのまま国際線に乗り継ぐパターンがほとんどで、現在の成田空港から乗り継ぐより、はるかに便利だったことも事実です。

このパック旅行による海外旅行者の急増は当然外国航空会社の便数増加となり、羽田空港の発着枠や空港施設面の問題に加え、周辺住民の騒音公害問題もあって、成田空港建設の検討が始まった年でもあったのです。

また、この頃から日米航空交渉(日本サイドに不利だった)も始まり、旅行業は儲かるということで雨後の竹の子のように旅行代理店が出現し始めた時期でもありました。
私の先輩も、これに目を付けて自分で旅行代理店を立ち上げて成功した人もいました。同時に、国際線の経験があるスチュワーデスや男性乗務員が添乗員として大手旅行代理店から高待遇の条件で引き抜きにあったのも、この頃です。
私の同期も2名が添乗員に転職しました。そのうちの1人は、その後旅行代理店を立ち上げて、元スチュワーデスの奥さんの関係でスチュワーデスを添乗員に引き抜き、華麗な外国ツアーを売りにして大いに儲けた噂を聞きました。

風天マン

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
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第24回 ハチャメチャ乗務員が今回の被災で思うこと

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この世でおこることがすべて必然であり、すべての行為に意味があるととらえたとき、この地震は私たち日本人にとってどういう意味があるのでしょうか?
「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波を利用して、我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」
と発言して、謝罪した石原都知事のコメントではないですが、日本人にとって、立ち止まり考える大きな機会にはなったはずです。
変わるきっかけはよほど大きな病気や災難ではないとだめで、高血圧や高脂血症などでは、自分の生き方を変えるかたはほとんどいません。しかし命にかかわる「癌」である場合、人は立ち止まり考えます。
そして食事、運動などはもちろんですが最終的には心まで変えていきます。

そう考えたとき、私はこの地震に、あえて意味を与えるとしたら、個人における癌と同じように、日本人が生き方を、立ち止まって考えるチャンスではないかと思っています。
この数十年、世界で一番お金とモノを持っていたのは多分日本人でした。しかし、「幸せか?」と聞かれれば決して「イエス」ではなかったはずです。それはなぜか、「心」、「精神的な豊かさ」がなかったからです。

この地震は、「モノ」を壊し、津波は「モノ」をさらい、大切な家族までもを押し流していきました。
この数十年日本人が最も大切にしてきたものを押し流したのです。そこに何が残ったのか・・・「心」と「家族との思い出」です。
ここに一つの動画があります。
世界中が日本のために祈り、そして日本人が日本のために祈り、行動している姿です。
そこには人類の優しさ、日本人の温かさがあふれていました。
私は感動して涙が流れました。
これから訪れるであろう「心」の時代、それを引っ張っていくのが、われわれ日本人であること、そして世界を変えること、それこそが、まさに今回の地震をあえて必然と考えたときの日本人の役割だと思います。

あまりにも多くの尊い命が失われました。
その方たちに少しでも報いるためにも、その方たちが「日本は本当に素晴らしい国になった」
「優しさがあふれる国になった」と言ってもらえる国にしなければなりません。

立ち止まり、考え、そして今こそ、地球市民の一人として、「心」の時代の先駆者として皆さんと一緒に行動したいと思います。

風天マン

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こちらもよろしくです。

ANA義援マイルで震災支援

●期間:2011年3月17日(15:00)〜4月15日(23:59)(終了)
●一口:1,000マイル=1,000円相当(1,000マイル以上、以降1,000マイル単位)
●国際人道支援組織「ジャパン・プラットホーム」を通じ、被災者の救済活動に使用します
●義援マイルの詳細:http://www.ana.co.jp/amc/news/info/gien_1103(終了)

なお、「東日本大震災 被災地域復興支援 ANA義援マイル」では、受付件数:5万2995件、総受付マイル数:3億1351万5000マイル(3億1351万5000円)が国際人道支援組織「ジャパン・プラットフォーム」ならびに社会福祉法人「中央共同募金会」を通じて、東日本大震災復興支援の義援金として寄付をされることになりました(2011年4月20日ANA発表)。

JALマイルで支援金

●期間:2011年3月14日〜4月15日まで(終了)
●一口:7,500マイル=7,500円相当(7,500マイル以上、以降7,500マイル単位)
「赤い羽共同募金」でおなじみの「社会福祉法人中央共同募金会」が実施する、被災者の方々への支援活動に使用します
●救難支援マイルの特設ページへ:http://www.jal.co.jp/shien/(終了)

JALの「東日本大震災救難支援マイル」では、受付会員数:1万2875名、総マイル数:1億2261万7500マイル(1億2261万7500円)が「社会福祉法人中央共同募金」へ寄付されることになりました(2011年4月20日JAL発表)。

第23回 トイレシリーズ

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蓋に…

トイレの話で恐縮なのですが、外国の習慣の違いをトイレの使い方で垣間見た珍事。
機内のトイレは、いわゆる日本で言うところの洋式便器になっているのですが、初めての方も多く若干仕様も異なることから、30年くらい前迄は2、3名のお客さんが便器の蓋の上にウンチをして、やはり違和感があったのか、そのモノの上にトイレットペーパーをかぶせていたこともありました。
次に使用するつもりで一旦トイレ入ったお客からの苦情で、スチュワーデスはそのモノを処理するのですが「一体、どういう体勢でやったんだろう?」と言うことになったのですが、機内は常に微妙に揺れており余程あの便器の上にまたがって用を足すとすれば、かなりのバランスを取らなければ不可能であり、当然両手で何かにつかまるか、支えるかしない限り難しいのです。

今のトイレは突然の揺れに際して怪我防止の為に?まることの出来るハンドル(取っ手)が設置されているのですが、その当時はいってみれば四角い箱の中心に便器がチョコンとあるといった「簡易トイレ」のようなものだったので未だ確たる答えは出ておりません。

トイレがなぜか水浸し?

別の使用方法として、スチュワーデスがある外人女性客の後に清掃の為にいったところ、床一面が水浸しだったので、どこかパイプが壊れたのだと思い、当時はフライトエンジニア(航空機関士、現在も旧タイプの1部の航空機に乗務している)がいたので彼にチエックしてもらったが不具合も見つからず、別のスチュワーデス達とその件を話していたところ「あの外人女性が就寝前のシャワーのつもりで中で身体を洗ったのではないか」という結論に到ったのであります。
よくある使用方法としては、一般家庭の便器と同じで常にブルーの消臭液が溜まっており、そこでイスラム系の男性客は頭に巻いているターバンを洗っていたようだ。これは白いターバンがブルーのだんだら模様に変化していたことが確かな証拠となった。手洗い用のベイスンはあるのだが、小さすぎるのでこちらより便器の水を洗濯するのに選択した(失礼!)という訳だ。手洗いのベイスンの方は赤ん坊のオムツを取り替える時にお尻を洗うのに有効活用されていたようだが。トイレ活用で身体を洗ったり、洗濯したりするのは航空会社としても禁止させるわけにもいかず、特に他のお客さんに迷惑となるわけではないので目をつぶっていたのです。

スチューワーデスの着替えはトイレで

スチュワーデスのトイレ活用方法としては、当時は着物を着用してサービスにあたるスチュワーデスが小型の飛行機では1名、大型のジャンボ機では3名(各クラスに1名)いて、当初は出発から到着まで着ていたが、航空機事故の経験や緊急脱出の際に着物では対応が難しいということで離陸、着陸時には着用せず、機内で着替えるようになった。この際、トイレの空間を活用したのである。

しかし実際に、あの狭いトイレに着物用バッグを持ち込んで、通常の制服から和服に着替えるのは想像しただけでも大変で、勿論パンストから白足袋に履き替えるのですから、当初はいくら訓練で和服を着る講習を受け、数時間実技があったにしろ実際の現場では揺れもある中で約10分間でやらなければならないこともあり、スチュワーデスの誰もが和服担当になるのを嫌がっていました。
当時は、「大奥」みたいな職場でもあったので、当然ながら、若手スチュワーデスにその担当が回ってくるわけで、彼女達は自宅のトイレで涙ぐましい着替えの練習をしていたようです。

最初の頃なんか、乗務の為に更衣室で着物に着替えて事務所に出頭するのですが、行き先がホノルルなんかの場合はホテルの部屋に着くまで着物(浴衣ではない、当時の時価で20万円のチャンとした和服)なのですから、他のスチュワーデスはスッキリした夏用の制服に着替えて涼しげでしたが、かたや着物スチュワーデスは汗だくで見ていて可哀想でした。

風天マン

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第22回 パイロットの間で噂になったI 機長のケース

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以前、相撲の千秋楽で優勝力士にJALカップを授与する時に登場した長身で押し出しのいいI機長とのトラブルです。
当時、彼はジャンボ機のグレイド・キャプテインで運航部の室長でした。キャプテイン・ブリーフィング(我々との飛行前の打ち合わせ)で、細かな質問をすることで有名でした。言動が傲慢で偉そうなことは以前のT機長と同じですが、操縦の技術は卓越していることでも有名でした。
その彼とホノルル便の帰りで初めて顔を合わせたのです。
我々はホノルルに着いた日本将棋連盟のチャーター便の機材に、お客様を乗せないでフェリー・フライトとして日本に乗務するだけの極めて気楽な勤務だったのです。一応制服は着用してるのですが、気分は”お気楽!”そのもの。めったに、こんな幸運なフライトはないのです。

通常のキャプテイン・ブリーフィングでI機長から、「お客はいないが、離着陸時は通常と同じで、緊張感を持って乗務するように!」というコメントがありました。お客様はいませんが、飛行機に搭載される免税品や機内備品、食事や飲み物もあるので、漏れのないようにチエックするのです。

予定通りにホノルル空港の駐機場から動き出した機体は、滑走路に通じる誘導路を通常より早い時速60km前後で移動していました。
いつものフライトとは違い、お客様がいないので、緊急時には半分の脱出口しか使用しないので半数の乗務員はそれぞれが客席に座っていました。まだ、滑走路に出ていないし、座席ベルト着用のサインも点灯していないので、ほとんどの乗務員は着席しても座席ベルトを締めていませんでした。

そんな状況の中、誘導路の途中で突然機体に急ブレーキがかかったのです。
こんなことは初めてだったので、急に何かが起こって管制塔からの急停止の指示があったのだろうと思ったのです。私は後部客室の統括パーサーだったので、機体の進行方向とは逆の乗務員席に着席していたので問題なかったのですが、私と対面する客席に座っていたスチュワーデスは座席ベルトを締めていなかったので、私のほうにつんのめるように倒れ掛かってきました。時速60kmの機体が急停止すれば、かなりの衝撃があるのです。
結果的に、スチュワーデスの1人は腰を打撲し、もう1人が小指に裂傷を負ったのでした。いずれも軽微だったので良かったのですが、私はチーフ・パーサーのAさんに、この旨を報告したのです。

やがて離陸の合図のベルト・サインが点灯し、チャイムが2回鳴り、機体は軽やかに離陸しました。
通常の乗務ではめったに観ることが出来ない、眼下に広がるワイキキの浜辺、特徴のあるダイヤモンド・ヘッドを眺めながら太平洋上を一路日本への7時間のフライトがスタートしたのでした。

運航乗務員全員の食事も終わり、前方客室に行き、チーフ・パーサーに「今日の急ブレーキは何だったのですか?」と聞いたのです。
彼はわからないし、機長からも何も言ってこないということだったので、「軽微ではあるが、後部客室の2名が負傷したので、急ブレーキの理由は聞かないとマズイでしょう」ということを進言したのです。
「だったら、君が後部客室の統括責任者なんだから、君が機長に直接聞いたら?」ということになったので、私が操縦室に出向いて、直接I機長に聞くことにしたのです。
高名な機長でもあり、彼らは通常の操縦業務に従事していて、我々は楽をしていることもあり、丁寧な言葉を選んで、誘導路での急停止の理由を尋ねたのです。

ところが、I機長の口から出た言葉は私の予想とは100%違っていたのです。
「何、軽い怪我をした? 2人も? 緊張感が足りない証拠だ!」
私は、確かにそれは言えるが、知りたいのは急ブレーキをかけた理由だったのです。そこで、重ねてその理由を尋ねたのです。
「出発前に、私が緊張感を持てと指示したことが守れてるかどうかをテストしたのだ」
なんと、それが急ブレーキの理由だったのです。
管制塔からの指示ではなく、単なるI機長の個人的な思いつきだったのです。
「冗談じゃない!」と叫びたい気持ちを抑えるのが精一杯でした。
「機長、あの時点では座席ベルト着用のサインは点灯していなかったし、その連絡も ありませんでした」
「君、緊急事態の発生は必ずしも事前連絡があるとは限らないのだ。そのことを常に想定して、対応できるようにしておくのが君達の仕事だろ」
傍で2人のやり取りを聞いている副操縦士も航空機関士も機長の説明に対し、その通り、ご説ごもっともという感じでうなずいていました。その彼等の態度にも、絶対にオカシイと感じました。
I機長の説明はマニュアル的には正解だが、肝心なもの、それを使う人間の心が欠落していると感じたのです。パイロットは仕事柄、我々接客業とは違い、操縦機器、デジタルの世界で、出来るだけ人的ミスを排除する傾向にあることは理解しています。しかし、そこに人間らしい優しさ、思いやりといった柔軟な心がなかったら、単なる機械を操作するロボットと同じになってしまうと思いました。

このまま、彼と話しては仕事の邪魔にもなるし、お互いに感情的になる恐れもあったので
「ありがとうございました。しかし、納得できかねるので、仕事が終わって、少し時間を 戴いて、話の続きをしたいのですが」
「ああ、私は構わんよ」ということで、改めて到着後に話をすることになったのでした。

成田空港到着後、I機長と私は運航本部の会議室で話し合いを持ったのです。
「運航に関わる緊急事態に即応可能な態勢を保持するのが客室乗務員の務めである」
「機長の個人的な判断でテストと称して、乗務員を危険な状況に陥らせたことは看過できない」
この主張は平行線になり、感情論も加わり、最終的に
「機長の指揮下にある君が従わないことは、勤務違反であり、私はキャプテン・レポートを書いて、君をクビにする!」
とI機長は宣言したのでした。
「アナタは権威主義に偏っており、乗員乗客と機体の安全を最優先する責務にある機長職を任ずるには適正を欠くので、私もキャビン・レポートを書く」
と私もこれに応じたのでした。

半月後、私は担当部長から呼び出しを受けて、
「双方の報告書を見たが、相手のI機長にケンカを売ってるようなものだ、彼は運航部の室長であり、かたや君は一介のパーサーだぞ、君の言いたいことはわかるが、少しは分をわきまえて、ここは彼に謝罪すれば、丸く収まるから。運航部の事務方とはそれで話がついている」
私は、「納得できません!」とその申し出を固辞したのでした。
彼は、「同じ飛行機の中で命を共にしている運命共同体じゃないか、いわば兄弟みたいなものだ。今回の件は兄弟げんかだから、弟の君が年長者の兄の機長に謝るのが筋だ」
私は、「兄弟なら、年長者の兄が弟の面倒を見るのが当然で、俺の言ううことを聞かなければ殴るぞ、クビにするぞというのは筋違いじゃないですか」

そして1ヵ月後、ついに客室担当役員のA常務と運航担当役員のS常務とI機長と私、それに両本部の業務部担当課長が一同に会して、会議が開かれたのでした。A常務は実父が著名な外交官で良家の出身で柔和な人物だという噂でした。
一方のS常務は機長出身でした。いずれの役員も私は初対面で、まさかこんなに大事になるとは予想もしていなかったので、これは下手すればクビになるかもしれないと覚悟をしていたのです。

ところが、そんな突き詰めた話にはならず、
「お互いが安全運航を保っていくには、相互の情報交換と人間関係の信頼関係が必要で、それぞれの立場を超えて、今回のケースをキッカケに運航と客室が定期的な意見交換の場を持つようにしてはどうか?」
というA常務からの提案がなされたのです。
S常務もそれに賛成し、何となく和やかな雰囲気の中で、I機長が私に「機長として配慮が足りなかったことを認め、君に謝る。これからも忌憚のない意見を言って欲しい」と私に握手を求めてきたのです。
「いえ、こちらこそ・・・よろしくお願い致します」
何とも妙な具合で握手したのでした。
振り返れば、双方、仕事のプライドをかけて意地を張りあった部分があったのだと思います。
その後の乗務生活で、このI機長(後に運航副本部長)とは3度一緒になったことがありますが、お互いにいい関係でした。プライベートでも食事をしたり「よ、元気か?」と声をかけてもらったり…。

実は、その後I機長の娘さんがスチュワーデスになり、私も1度同乗したことがあったのですが、この娘さんは人間が練れていて、「いつも父がお世話になっています。クセがあり皆さんにご迷惑をお掛けしていますが・・・」と挨拶をしていました。

尚、I機長とのケースはジャンボのパイロットの間で噂になり、加えて、他にも私は幾つか変な(威張りくさった)パイロットとトラブルを起こしていたので、いつしか私は彼らから「要注意のパーサー」として認知されたのでした。

風天マン

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
© 風天マン
【著作について】実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」のすべては風天マンが著作権を保有しています。一般的な「引用」の範囲を超える紹介を除き、商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ info@airjapon.com(管理人:竜子)までお問い合わせください。

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第21回 パイロットの間で噂になったT機長のケース

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入社5年目にスチュワードから昇格試験に合格し、アシスタント・パーサーになり、5種類の機材にも慣熟し、国際線の主要路線も乗務して仕事にも慣れてきました。そうなると、それまでは自分の乗務の仕事だけに集中していたのが、周囲の仲間の言動にも注意がいくようになりました。
特に、日頃から偉そうな態度で我々乗務員に接している機長の数名にはカチンと頭に来ることもありました。

その最初が、DC-10機材の悪名高いT機長でした。

クアラルンプールの1泊便の帰りに、初めて私はその機長と一緒になったのです。
宿泊先のホテルから専用のクルーバスに全員が乗り込んで、副操縦士と航空機関士は機長を玄関先で待っていました。所定の出発時刻を5分過ぎた頃、その機長が現れました。そして、なにやら副操縦士に言っているのを私は車内から眺めていたのです。直ぐに副操縦士がバスに乗り込んできて「全員降りてくれ」と言ったのです。我々は何事だろうかと思いつつ、一旦バスから降りたのでした。そして、全員でT機長に挨拶をしたのですが、彼は不機嫌な顔で無言でバスに乗り込んだのでした。
私は副操縦士に、「どうしたのですか?」と尋ねると、彼はT機長が最初に乗るようになってるからと答えたのです。
どういう意味かわからなかったので、再度それを聞いたところ、T機長の場合の慣例だと答えたのでした。納得がいかなかったのですが、時間は過ぎているので、そのままバスに乗り込み、パーサーに「どういうことですか?」と問いかけたのです。彼は小さな声で「君は知らなかったのか? 今日のT機長は最初にバスに乗って最初にバスから降りないと気がすまないので、有名だ。飛行機に乗る時もな」と教えてくれたのでした。

だったら、遅れて来ないで早目に来て乗ればいいじゃないか、何もそのために先に乗ってる我々全員を降ろす必要はないじゃないか、それにコチラは挨拶をしたのに、挨拶も返さずに失礼だと思ったのでした。しかし、仕事前に文句を言って、感情を害されると操縦にも影響が出るとマズイので、そのままにしたのです。
機内での打ち合わせの際も、傲慢な言動が気になっていました。食事の時も、彼の肉の焼き方が悪いから、お客さん用の肉を焼き直して来いとか我がまま放題で、操縦席を担当したスチュワーデスも愚痴っていました。

私と同様、初めてT機長と会ったスチュワーデスは「噂には聞いていたけど、本当に偉そうで、嫌な性格ね!」と口を揃えて非難していました。

そして、極めつけは、成田に到着してお客さんが全員降りた後に、我々は客室で忘れ物チエックをしていた時に、副操縦士の「お疲れさん、我々コックピットは先に降ります」との機内アナウンスがあったので、後部客室の乗務員を代表して私が「お疲れ様でした、ありがとうございました」と機内アナウンスをした直後、パーサーから「全員前に集まるように」との連絡があったのです。
降りる準備作業の途中だったのですが、急ぎ前方に行くと、くだんのT機長が「何故、私に直接挨拶をしないのか!」と文句をつけたのです。
パーサーが代表して謝ったのですが、私は「この野郎!」と喉まで出かかった言葉を飲み込んだのでした。
飛行機を降りるまでは、機長が最高責任者であり、指揮系列も上位なので、ここで彼ともめるのはマズイし、パーサーにも迷惑がかかると判断したからです。

そこで、T機長が会社から出るところ、つまり送迎のハイヤーを待つ配車室で彼を待つことにしました。
ほどなく彼が現れたので、「今日はお疲れ様でした」と声を掛けたのです。
彼は「ああ」と相変わらず無愛想な表情でした。
「すみませんが、ちょっとお話があるのですが」
「何だ?」
私は彼の耳元に近づき、「いいから、ちょっとこっちに来いよ!」と彼の腕を取って、エレベータに強制的に連れ込み、誰もいない屋上に誘ったのです。

そこで、いきがる彼をさんざん脅しつけ、お腹に軽く突きを食らわしたのです。虚勢を張る人間ほど、自分のぶざまな醜態は恥になるので、口外しないものです。仮に、この事実が公になっても、彼はパイロットの仲間内でもひんしゅくを買っており、我々同僚の間では悪名高い機長だったので、左程私の処分は重くはならないだろうと踏んでいたのです。
結果的に、このケースに関し、その後何も会社からのお咎めはありませんでした。
噂では、T機長の言動が大人しくなったということでしたが、その後彼と再会することはありませんでした。

風天マン

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第20回 皇太子殿下とご学友

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1984年10月16日、亡父の命日に私は成田発ロンドン着の直行便を乗務した。
私はチーフ・パーサーとしてその便の客室統括責任者で、同乗した乗務員は全員が私のグループのメンバーで、4名はロンドン基地所属の英国人乗務員だった。ファーストクラスのサービスを担当した私は、通常のお客様とは異なる20代の男性客2名が片道正規料金で60万もするファーストクラスにいることに違和感を覚えたのでした。
しかし、この若さでファーストクラスのサービスに慣れている点に、どんな方達なのかと興味を抱いたのでした。

その後の会話で、A君とH君は大学の同級生で、浩宮様と幼稚園から学習院大学まで一緒に学んだご学友だということが判明したのです。今回のロンドン行きの目的はオックスフォード大学マートン・カレッジに留学している浩宮様に会って、彼のホームシックを和らげるのだということだったのです。
A君は都内の有名な真言宗のお寺の息子、H君は祖父が大手家具の社長で、父親は不動産会社の社長でした。
当日のファーストクラスのお客様が少ないこともあり、食事サービス終了後、彼らと話す時間が多くなり、最後に彼らから私に依頼の相談があったのです。

それが、浩宮徳仁皇太子を慰労する意味で私的なパーテイを予定しており、その場に私のグループのスチュワーデスに参加してもらえないだろうかという依頼だったのです。私は、突然の申し出でなので、即答は出来ないので、後刻私の定宿に電話してくれということにしたのでした。
我々はロンドン到着後2日間の滞在だったので、配下メンバーに打診して翌日であれば全員が出席可能だということだったので、その旨を彼らに伝えたのでした。日本の次期皇太子と一緒にパーテイに同席して親しく話す機会はめったにないのですから、全員が参加を希望したのも当然です。

私は、そこで日本の皇室の歴史や2000年の長きにわたる皇室は世界にその例がないことも含めて予備知識として配下の全員に講義したのでした。私自身、以前に首相特別便は実現したのですが、天皇陛下の特別便の乗務を目標にしていたのですが、それが実現しなかったこともあり、是非とも将来の天皇になる次期皇太子殿下と私的に話す機会が実現することに大いに期待していたのです。

ところが、皇太子がこのパーテイに参加するにあたり、当時アイルランドの過激派に不穏な動静があり、英国皇室の配慮でSP(皇室警護官)を8名このパーテイに同伴するという条件付きだという連絡があったのです。私は、そんなリスクのある状況下で私の配下の女性達を参加させることは出来ないし、パーテイ会場に8名ものSPがいては盛り上がることも出来ないということでキャンセルしたのでした。
そこで、浩宮様は参加できないが、せっかくだからパーテイはやろうということになって、A君、H君と私と8名の独身スチュワーデス達と彼等の宿泊先のホテルのスイートルームで盛大なパーテイをやったのでした。これが縁で私は彼らと交遊することになり、A君の関係で裕福な都内の独身僧侶やH君の関係で学習院卒の社会人とスチュワーデスの合コンを数回、主催したりしたのです。

A君が京都の西本願寺に1年半修行に行ってた間、3回ほど京都で彼と会食する機会があり、彼のなじみの御茶屋さんで舞妓さんと遊んだこともありました。当時、男性歌手の結婚相手と話題になった勝乃さんや舞妓さん、踊りの師匠さん達とA君の招待で香港に2泊3日の小旅行にも行って、舞妓さんの修行の厳しさも初めて知りました。

後になって、浩宮様のおきさき候補がマスコミで取り上げられるようになった頃、どういうわけか、私の自宅に某新聞社の記者や女性週刊誌の記者から何度も、「おきさき候補の本命は誰ですか?」という電話がありました。
推測するに、合コンを主催した際に、私が皇室関係者と親しいと勝手に解釈したスチュワーデスの誰かが付き合っていたマスコミ関係者に話したのではないかと。
実は、A君やH君から、おきさき候補の情報を私は得ていて、本命は2人だと聞いていましたが知らぬ存ぜぬで通したのでした。
浩宮様が1986年10月、来日中のスペイン王女の歓迎パーティーに出席した際、外務省に勤める小和田雅子さんに一目ぼれしたということも聞いていたので、本命は小和田さんだなと思っていました。

ところが、後に、その候補の1人の女性とA君は結婚し、私はその結婚式に招待されたのです。新婦は鹿児島の島津家の長女で、仲人は京都西本願寺のご高齢の管主さんでした。お祝いにどれくらい包めばいいのかわからなかったので、H君に質問したのです。
「アナタは平民なので○○くらいでいいと思いますよ」がその答えでした。
私は生まれて初めて”平民!”なのだ、この時代に未だそんな旧習の身分制度があることを知ったのでした。

この結婚披露宴の会場で私が目にしたのは、時々週刊誌に写真が掲載される皇室関係の女性、爵位を持つ旧華族、有名な寺社の管主、変ったところでは大手の墓石会社の社長さんも出席していました。披露宴の引き出物は豪華な薩摩切子のペア・グラスでした。
それにしても「私は平民なんだ・・・」という思いは正直ショックでした。

A君は今では住職なり、H君は父親の不動産会社を継いだのですが、土地バブルの崩壊のあおりの影響で苦労しているようです。
いずれにしても、彼らはご学友でもある現在の浩宮徳仁皇太子をとても尊敬しています。
私は以前、ヨーロッパの社交界に出入りできる唯一の日本人女性の大屋正子さんから、日本の皇室は歴史が古いので、その次に古い英国皇室をはじめ多くの国家元首から大変尊敬されているということを聞いたことがあり、改めて日本の皇室に畏敬の念を感じるのです。

風天マン

実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
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とび職一代  第3回

当時の岡山空港の滑走路は09/27で長さは1200メーター。東京からの定期便、YS-11とフレンドシップが一日2便だったと記憶しているのですが、飛んで来ていました。
そして、乗客が降機したあと飛行機からさっそうと降りてくるコーパイさん。その姿を見て、「いつかは俺も金筋の付いた制服を着てやるぞ!」 と自分自身を奮い立たせていたのでした。

そして遂に初ソロの日がやってきました。
私が教官との訓練を終えて、ランプ・エリアに戻ってくるのと入れ違いに、初ソロに出て行く訓練生がいましたので、初ソロ一番乗りの栄光? は逃してしまったのですが、とにかく初ソロを無事に終えて、次のステップへの励みとするのが一番大事な目標でしょう。

教官からの合図を受け、いつも通りの手順で離陸の準備を進めていきます。
コックピットでの準備を終え、管制塔に地上滑走の許可を求めますと、聞き慣れた管制官の声で許可が与えられました。
今まで訓練してきた事と全く同じ流れで事が進んでいきます。

そして滑走路09に正対しますと、離陸許可が発出されました。

“ JA3456 wind 090 degrees at 5knots cleard for take-off ”

エンジン・フルパワー。遂に自分だけの力で、大空へ飛び出す瞬間がやってきたのです!
「エンジンをフルパワーにして離陸滑走を始める勇気が自分にあるだろうか?」 との不安は、全くの杞憂でした。いつも通りの手順でフライトの準備を進めていくうちに、隣に教官がいなくて自分一人である事など、全く気にならなくなっていたのです。

1回目のタッチ・アンド・ゴーは無我夢中でした。しかし無事に着陸し、再び空に舞い上がった時、「天にも昇る気持」 とは正にこの事でしょう。すっかり有頂天になって、ダウン・ウインドを飛びながら、大声を張り上げて歌を歌ったりしたのでした。何を歌ったかは記憶にありませんが、歌を歌うのは、飛行機の上で一人の時が一番ですよ。

しかし、いつもと違った事が一つだけ。教官と乗っている時には気にも留めなかった、風切り音、エンジン音の僅かな変化にも敏感になっていたと言う事です。
いま考えれば、これがPICとして1機の飛行機の運航に責任を持つ。と言う心構えの違いだったのでしょう。
私は常日頃から思っています。操縦技倆は多少違うかも知れませんが、キャプテンとコーパイの一番の違いはこの心構えにあると。

その日に初ソロを終えたのは三人だけでしたが、その後も次々と初ソロに出て行って、訓練生全員が無事初ソロを終える事ができたのでした。
私の初ソロまでに飛行時間は、14時間とちょっとでした。

一区切りが付いた所で、ANAのフライト・チェックに向け、飛行訓練も一段と熱を帯びてきました。
飛行訓練と平行して、航空法などの座学訓練も進んでいたのですが、もう一つ重要視されていたのが、体力の向上でした。
自衛隊では運動能力を表す基準として、特級、一級と言った段階があるとかで、我々訓練生にも同様の能力を求められたのです。求められていたのが一級だったか二級だったかは忘れましたが、毎日よく走らされました。
そしてその集大成が、空港の南東方向にあります金甲山頂上(標高403m)までのマラソン登山だったのです。
とにかくきつかった事を覚えていますが、初ソロ同様、走り終えた後の達成感は最高でした。

飛行時間も30時間に達し、いよいよフライト・チェックの日がやった来ました。
チェックのためにやってきたのは、怖そうなANAのキャプテン。会っただけで震えがきそうでしたね。
教官一人で三人の訓練生を受け持っていましたので、K君、H君の順番で、私が三番目にチェックを受ける事になりました。
このチェックに受かる事を最大の目標として訓練を行い、つらい事にも耐えてきたのです。
これに落ちてしまったのでは、今までの苦労、多額の費用が無駄になってしまいます。自分の能力の全てを出し切ろうと、覚悟を新たにしたのでした。

FD

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とび職一代 第2回

会社が新たに開設した訓練コースは、訓練委託先によって幾つかの訓練コースに分かれておりました。
防衛庁(当時)に委託するコース。米国の航空会社に委託するコース。英国の飛行訓練学校に委託するコース。そして、私が訓練を受ける事になった、日本の飛行訓練学校に委託する四つのコースでした。
この中で一番恵まれていたのが、防衛庁に委託するコースで、訓練生として採用された時点で社員となり、当然給与も支払われていました。
一方、最も恵まれないどん底のコースが、我々日本国内委託組だったのではないでしょうか。

まず、自費で30時間ほどの飛行訓練を受けた後、ANAの試験に合格して初めて訓練生としての待遇を受けらるようになる訳ですから、これって、ひとつの賭でしたね。
しかも、訓練生待遇と言いましても、その後の飛行訓練費用だけがANAから支払われるだけで、給料はおろか、生活費まで自分持ちだったのです。
それでも試験に合格すればまだしも、試験に落ちてしまいますと、それまでの30時間分の飛行訓練費が無駄になるのです。当時で、1時間あたりの飛行訓練費は1万円ちょっとだったと記憶しております。
30時間の飛行経験など何の役にも立ちませんしね。しかし訓練費用、衣食住代、その他を振り込んでしまったからには、あとは死に物狂いでやるしかありません。

期待と不安を抱いて岡山の訓練所へと入学しました。
飛行訓練が始まる前に、航空法、航空工学、飛行機取り扱いなどの学科訓練を受ける事になります。
特に航空法の教官が厳しかった!試験で「航空機とは」 問われたら、一字一句間違いないように回答しないと点をくれないのです。「そこまで厳しくしなくても」 とその時は思っていたのですが、いま考えますと、そのお陰で航空法や管制方式基準などをしっかりと頭に入れておく習慣が付いたのだろうと、その教官には感謝をしております。

訓練所の生活は、ほとんど軍隊と一緒。外出できるのは、土曜の午後と日曜日だけでしたので、たまの休みには岡山市内まで繰り出して、仲間と酒を酌み交わすのが唯一の楽しみでした。ただ門限も厳しかったので、時間を気にしながらの息抜きとなっていましたが。

そして待望の飛行訓練が始まったのですが、訓練に使われた飛行機はセスナ C150という二人乗りの飛行機で馬力は100馬力。100馬力でも飛行機は飛ぶんですね。
最初の訓練フライト。
教官から「管制塔との交信もやってみるか?」 と言われましたので、「はいっ」 とは言ってみたものの、緊張しました。

“ Okayama tower this is JA3456 request taxi and take-off instruction.”

タワーからの許可をもらいタクシーを始めたのですが、自動車運転の癖が出てしまい、操縦桿を回して飛行機を曲げようとしてしまうのです。軽飛行機の場合、前輪がラダーと連動していますので、ラダーを使って地上滑走をする必要があったのですが。
見かねた教官に言われました、「操縦桿から手を離して腕組みしてろ」 と。そうしますと、意識がラダーへ行って、上手くタクシーする事ができたのです。

最初の離陸は教官の手で。
離陸した後、瀬戸内海上空に設定されていた訓練空域へと向かい、まずは教官が操縦のお手本を見せてくれた後、「やってみな」。
一番大事な事は、水平飛行している時と、旋回中の水平線の見え具合なのです。これさえしっかり頭に刻み込んでおけば、飛行機は安定して飛ぶ事ができるのです。
恐る恐る操縦桿に手を添えて、まずは水平直線飛行。次に30度バンクの旋回。
想像していたよりは簡単だと思いましたが、最初に教官から言われた事を今でも覚えております。

「お前、血液型は何型だ」

「はい、B型です」

「やっぱりね」

パイロットにはB型が多いと聞きますが、ある時、5、6人で集まって、お茶を飲みながら雑談をしていたのですが、そこにいた全員が何とB型だったのです。
もっとも、「B型以外はパイロットのは向いていない」との根拠など全くありませんのでご安心を。

飛行訓練は、最初に訓練空域での上昇降下、左右の旋回、失速からの回復などの訓練を行った後、空港へ帰ってタッチ・アンド・ゴーの訓練を行うのが通常だったのですが、飛行時間も10時間に近づいてきますと、訓練生の間で話題となってくるのがソロ・フライトの事でした。
我々はライン・パイロットを目指している訳ですから、一人で飛行機を飛ばす事などあり得ないのですが、「自分一人で飛行機を飛ばした」 との自信を持たせるためにも、初ソロという儀式を通過しなければならないのです。

初ソロへの期待と不安が混じり合い、訓練所の中には何となく重苦しい空気がただよい始めていた、そんなある日。
その日は、朝から晴天で風も弱い絶好のフライト日和。誰の心の中にも、「今日誰かが初ソロに出るだろう」 との思いを抱きながら飛行訓練へと向かったのですが、誰もが、「自分こそが初ソロ一番乗りをしたい」 と思っていたのは当然の事でしょう。

私もその日は、タッチ・アンド・ゴーの訓練を繰り返していたのですが、教官から、「次フル・ストップ」 と言われましたので、着陸して空港のランプ・エリアへと戻りました。
そして、しばらく考えていた教官から、「よしっ、ソロに行ってこい!3回タッチ・アンド・ゴーをした後フル・ストップ」 と言われてしまったのでした。
「ドキ〜ッ」
初ソロでの一番の心配事は、離陸する時、エンジンのパワーを出す勇気が自分にあるだろうかと言う事でした。

教官が降りて行って一人きりになったコックピットで、教官からの合図を待ちます。
そして、フライト・プランを出し終えた教官が合図の帽子を振っています。
さあ、生きるも死ぬも俺の度胸と腕次第、やるっきゃない!

FD

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フィンランド航空MD-11引退記念!

先日の記事「フィンランド航空MD-11のラストフライト!」でもお伝えしたとおり2/22のAY022便、デリー〜ヘルシンキ間でファイナルフライトを迎えたフィンランド航空のMD-11。第22回目はフィンランド航空MD-11引退記念スペシャル!、今回は3機のダイキャストで振り返ってみたいと思います。

まずMD-11の生みの親であるマクダネル・ダグラスDC-10-30ERについて少し触れておきたいと思う。
極東の大都会、東京へフィンランド航空が定期便を就航させたのが約27年前の1983年で創立60周年という記念すべき年でもあった。当時ソ連だったロシア上空通過許可が下りなかった関係で通常スペックの長距離型DC-10-30に燃料タンクを増設したDC-10-30ER(N345HC)を日本線専用として就航させた。成田からアンカレッジで給油せずベーリング海域から北極点上空を経てヘルシンキへノンストップで約12時間50分(復路は約14時間50分程度)という速さは、まだアンカレッジ経由や南回りが普通で、最速でもモスクワ経由便という時代に週1便ながら定時運航の評判と乗継の良さで多くのビジネスマンからの支持を得た。もちろん今日ではエアバスA330やA340が成田国際空港と関西国際空港からそれぞれヘルシンキ直行便が毎日1便就航し、名古屋の中部国際空港からもヘルシンキ直行便が週5便就航という欧州系航空会社では珍しく3空港へ就航する利便性の高い航空会社へと変わっている。

既に整備レベルの高さに定評はあったが、何と上記のDC-10-30ERの燃料タンク増設工事は自社の整備格納庫でやったのである。さすがダグラス社の傑作レシプロ機DC-2から歴代のダグラス機を使い続けて来たからこそ出来た整備技術蓄積の賜物であろう。今日まで比較的整備の手間が掛かると言われたMD-11を使いこなせたのは、この整備レベルの高さにあるのではないかと思うのだ。

ダイキャストプレーン:フィンランド航空MD-11

1990年11月末に第1号機OH-LGAを受領し、12月20日にヘルシンキ〜ラス・パルマス線へチャーター便として就航したのが世界初のMD-11商業飛行である。その後機材の受領を待って徐々にDC-10-30と交代させ1992年8月の新千歳へのチャーター便で日本線へ初就航し、10月には東京線の機材もMD-11へ切り替わった。既に前年1991年6月よりシベリア上空通過ルートへ変更されたためヘルシンキまで約10時間半(復路は約9時間半!)に短縮され、ヨーロッパ直行便開設のパイオニアとして最速の座を再び仕留めた。DC-10-30ERと比べて運航に余裕が出ており、貨客共に輸送力も増加している。DC-10-30時代から引き継がれた塗装は尾翼に水色十字の国旗を塗装し、白い胴体を同じ水色の帯で締めるシンプルなもの。だが不思議と清楚さを感じられる優れたデザインなのは北欧ならではセンスの良さを表現しているといえる。

このモデルはドラゴンモデルで縮尺は1/400。MD-11では初号機であるシップナンバーOH-LGAをモデル化している。2001年頃にリリースされ、私個人的にはドラゴンモデルとしては一番出来の良い頃のモデルだと思っている。もちろん最新モデルもきれいな出来であるが、何とも昔と比べて勢いが全然無いように思える。良い意味で一つのモデルに塗装違いやシップナンバー違いなどマニアックな細かいバージョンを山のようにリリースしていた頃が楽しかったように思う。

ダイキャストプレーン:フィンランド航空MD-11

1995年からDC-10-30にムーミンの塗装を施してスペシャル塗装機を登場させて以来、このMD-11にもDC-10-30と入れ替わるように1998年からムーミン仕様が登場するようになる。塗装にステッカーを使うようなったのか更にクリスマス前後の時期になると、このモデルのようにサンタクロース仕様に化けるという芸の細かいことをやってのけた時期もあった。事実毎年クリスマスの時期になると本場のサンタさんが、このフィンランド航空に乗って日本へやって来てキャンペーンを続けているのだが、こんな塗装でやって来た時期もあったから何とも夢のある話である。そういう意味ではこの受領3号機に当たるOH-LGCは、特別塗装で飛んでいた事が多かったので日本への飛来回数も多い印象が強いのではないだろうか。

このモデルはスカイクラブと呼ばれる初期型ドラゴンモデルの金型を使用したもので縮尺は1/400。3号機であるシップナンバーOH-LGCをモデル化したもので更にサンタクロース仕様となっている。同じように初代ムーミン仕様のモデルもあるが、今回は割愛させて頂いたのでご了承願いたい。ちょうど90年代終わりはドラゴンモデルの金型を使用した版権無視モノが多く出回った時期で、これもそんな過渡期のモデルである。メインギアなどのパーツも今から思えばチャチな出来だが、既にヘルパに迫る出来の良さと手頃な大きさに思わず羽田で衝動買いしたのがこれなのである。まあいうなれば私のコレクション第1号とだったように記憶している。

ダイキャストプレーン:フィンランド航空MD-11

32年ぶりの2000年にフィンランド航空はロゴマークを変更する。一枚目の旧塗装モデルのウィングレットに書かれた円形にFのロゴを入れたものが旧ロゴマークである。印刷物を見るとよく分かるが現在はフィンランド人女性がデザインした四角いものに変わり未来を見つめる窓をイメージしているこのデザインは、まさしくフィンランド航空の会社理念を示すには相応しい。もちろん伝統的なFのロゴもしっかり受け継がれ更に洗練されたものへ仕上がっている。

さて上記のムーミン仕様機は二代目ムーミン仕様となり2008年頃まで運航された。OH-LGF以外にOH-LGBもムーミンの登場人物!?を変えて飛ばしており、左右ともデザインがそれぞれ違うから何とも撮影する航空ファンには悩ませる機体だったようだ。今は燃料高騰のこともあってかムーミン仕様もサンタ仕様もここ数年ないが、いつかは再びA340などで復活して欲しいものだ。ちなみにサンタ仕様になった飛行機は私が知る限りでボーイング757やMD-82、A340などがある。今は大きなワンワールドのロゴ入りA340がある程度だろうか。

このモデルは私の大好きなフェニックス製(笑)で縮尺が1/400である。新塗装仕様でシップナンバーは6号機であるOH-LGFをモデル化。やはりさすが世界中の特別塗装機をカバーし収集欲をくすぐる存在として大きく、更にこのモデルは2号機であるOH-LGBもしっかりデザインを変えてリリースされているのが特徴。ここまで来ると、どうやってこんなにリアルに実物とほぼ寸分変わらずにモデル化出来るのか不思議でならないものだ。まあ多少出来の悪い部分もあるのだが、割と買いやすい金額なだけに買い過ぎには注意したい(笑)。

最後にフィンランド航空のヘルシンキ・バンター国際空港に去年12月に新しくオープンした新ラウンジとスパを紹介して終えたいと思う。なおフィンランド本国サイトの記事はフィンランド航空のオフィシャル・サイトをご覧下さい。音楽が鳴るのでご注意下さい。スパは17才未満は入場不可で一部乗客を除いて有料となっているようですが長時間の疲れを癒すには単にシャワーを浴びるよりは効果がありそう。フィンランド航空同士の国際線乗り継ぎなら殆ど30分掛からないことを考えたら必要ないかもしれないが、こんなラウンジとジャグジーやプールもあるスパなら長居したくなりそうだから困ったものだ。フィンランド航空に乗るなら機内手荷物に水着を入れておくとこんな豊かな乗継時間を過ごせることを覚えておいても悪くないものだ。

では来週もお楽しみに…。

Mattari

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ジェミニジェッツ3月新製品情報

今回はモデルメーカーの新製品発信です。新製品リリースの数は月によって違いはあるとはいえ、新製品で世界中のコレクターの収集欲を刺激しないとだめなのはいうまでもない。といういうわけで、第21回目はジェミニの新製品情報を書き出してみたいと思う。

さて、この不況にもかかわらず、私が集めている1/400以外の1/200スケールも含めて毎月平均10機ぐらいの新製品を発表する元気なモデルメーカーがアメリカのジェミニではないだろうか。アメリカでは3月発売とされているが、日本でも3月上旬頃と比較的タイムラグが少なくなってきたのがありがたい。各新製品の写真はクリックしてみて下さい。

アメリカや近隣のメキシコなどの航空会社が多いのはアメリカのモデルメーカーがゆえ仕方ないとはいえ、日本人にとって注目すべきモデルは何と言ってもジェミニMACSの日本国政府専用機 B747-400、20-1101ではないだろうか。最近だとハイチへのPKOで派遣された陸上自衛隊の国際救援隊を乗せて飛んでいるのが記憶に新しい。過去にこのモデルはジェミニジェッツの創立時に発売された事があり、今回は再販となる。だがただ単に旧製品をそのまま出したわけではない。初代発売モデルと比べ、ジェミニジェッツⅡの新金型を採用されているので水平尾翼下の繋ぎ目が無くなっていること。塗装も更にレベルアップしており操縦席側のアッパーデッキ周辺を見てみると埋められた窓枠すらしっかり再現されている点も見逃せない。過去にはドラゴンモデルでも同じ政府専用機の20-1101と20-1102の2機がリリースされているのを考えると2号機の20-1102をリリースして欲しいところ。欲しい人はもう1機買ってねと言う事なのかも知れない。価格は各店によって違いもあるため、いつも購入しているお店へ各自お問い合わせ下さい。

羽田の10月乗入れ交渉で5社目を名乗り上げているハワイアン航空のB767-300(W)、N582HAもなかなか旬なモデルである。B787就航が予定よりも遅れ、延命工事の一環として石油高騰により取り付けられると思われなかったB767-300ERにウィングレットが付いたモデルである。このモデルもウィングレットなしの時代にリリースされているが翼の部品のみ交換して、既に前作で作った時の塗装パターンなどを流用出来る点を考えれば、コストダウンを狙いつつしっかり新製品として出しているのはモデルメーカーもなかなかしたたかである。

もともとこのジェミニ(アメリカ英語発音ではゲミニと聞こえる)というメーカーはアメリカ系航空会社旧塗装モデルのDC-8やB707、B727などといったモデルを多く発売していた時期が長かった。そういう意味ではアメリカ人のノスタルジーを誘うアラスカ航空のB727-100やパンナムに吸収合併されて無くなったナショナル航空のB727-100を売っているのも、より幅広い年齢層のコレクターに買って貰いたい気持ちの表れではないかと私は思う。日本のプラモデルメーカーでもそろそろ1/400のダイキャストリリースを期待したいものであるが、日本のモデルは版権使用料の高さがネックなのかも知れない。

1/200スケールは私のコレクションはないが、個人的に面白いと思うのはアラスカ航空のB737-400 N792AS”Salmon Three Salmon”塗装。何せ全体がサーモンという大胆かつ奇抜な塗装である。確か日本のスポーツ紙にも紙面を飾ったほどだから話題性の高いものだったのは間違いない。この1/200スケールは1/200旅客機プラモデルを手がける有名な長谷川と同じスケールだから、並べてみても違和感無く飾れるのも面白い。1/200でも737クラスならせいぜい10センチ程度と手の上に乗るほどの大きさ。そういう意味では日本の住宅事情を反映したモデルではないかと思える。余裕があれば集めてみたい1/200スケールだが先立つものが…。

来週をお楽しみに…。

Mattari

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とび職一代 第1回

とび職一代

などと大袈裟なタイトルになってしまいましたが、大空を飛び始めて40年とちょっと、来年には本当の定年・退職を迎える事になりますので、訓練生時代からの思い出などを書き込んでみる事にしました。
波瀾万丈の面白い話がある訳ではありませんが、興味がおありでしたらお付き合い下さい。

20代の初め、羽田空港近くの大森に暮らしながら、自動車・バイク関係の仕事をしていたのですが、見果てぬ夢と思い通りにならない現実との狭間で、自分の将来の生き方について、真剣に考え始めるようになっていました。
そんな時に目にしたのが、『高収入が待っている』とのタイトルで、長野県松本空港にあるらしい、飛行訓練学校をレポートした新聞記事だったのです。

新聞記事によりますと、その飛行訓練学校である程度の飛行訓練を受けた後、ANAの飛行適性試験に合格すれば、エアライン副操縦士への道が開けるとの事でした。
当時、エアライン・パイロットの供給源としましては、宮崎の航空大学と自衛隊からの割愛だけしかなかったのですが、航空需要の伸びが著しい事もあって、パイロット不足が言われ始めており、各航空会社も新たな供給源を求めて、パイロット訓練の拡大を図り始めていたのでした。

中学生の頃からでしょうか、飛行機には興味はあったものの、憧れていたのは戦闘機乗りやテスト・パイロットなどの派手で危険な薫りのする仕事ばかりで、エアラインのパイロットには魅力を感じていなかったのですが、その記事を読んでみて、エアライン・パイロットへの思いを強く持つようになったのでした。その当時の生活と比較しますと、それは夢のような待遇でしたからね。

その新聞記事を読む少し前の事、何かに引き寄せられるような感じで羽田空港へと立ち寄り、滑走路15レフト(当時)へサークリングで着陸する飛行機を眺めているうちに、むかし憧れた飛行機への思いが、ふたたびわき上がってきたのです。
旋回しながら着陸する飛行機。外航機は滑走路になかなか正対できず、のたうち回るようにして着陸して来ているのに、
さすがはJAL! 一発でピタッと決めていたんですよね! それを見て、「旅客機のパイロットも凄いんだな」と、エアライン・パイロットへの憧れを強く持つようになったのでした。

そんな事もあたからでしょう、その新聞記事を見た時、「ここで挑戦しなければ、必ず後悔する」と、入所試験への挑戦を決意したのです。
さっそく願書やパンフレットを取り寄せました所、24歳までとの年齢制限があって、チャンスは一回だけしかありません。自分に踏ん切りを付けるためにも、そのチャンスにトライしてみる事にしたのでした。

そして試験当日の朝がやって来たのですが、そこでとんでもない事に気が付いたのです。何と!「鉛筆を持ってない」
当時は鉛筆もないような生活をしていたんですね。
試験会場は上野でしたので、会場に行くまでに、途中の文房具店で鉛筆を買えばよいだろうとの楽観的な考えでアパートを出たものの、日曜日の早朝と言う事もあり、開いている文房具店がありません。さあ、どうするか?

「どうせ合格しないだろうから止めようか。いや、ここで止めたら絶対に後悔する」
何となく中途半端な気持のまま電車に乗り、上野へと向かったのですが、当時勤めていた会社に内緒での受検でしたので、後ろめたい気持があった事も事実でした。

そんなあやふやな気持のまま上野の試験会場に着いてしまいました。
試験会場となるビルを見上げながら、「試験科目は英語、数学、物理。鉛筆もないような生活をしていた自分が受かる筈はない。さっ、帰ろうか」と思ったその時、一軒の文房具店が目に留まりました。
その店も開店前だったらしく、シャッターが閉まっていたのですが、シャッターの下の方が僅かに開いていて、中で人の気配がするではありませんか!「うん?ひょっとしたら」と思い、僅かに開いたシャッターの下からのぞき込んで、「鉛筆を売って貰えますか?」と聞きました所、「いいですよ」との返事。
その時、脳天を駆けめぐりました。これは受検してみろと言う天のお告げではないかとの思いが。

試験が始まってみて、ひとつラッキーだと思った事は、受験者が現役組と既卒組に分けられ、既卒組には数学・物理の試験の代わりに、頭の体操のような問題が出された事でした。これでしたら勉強から遠ざかり、公式など忘れてしまっていても解く事ができますからね。

そんな幸運もあって、学科試験に合格。面接試験も切り抜けて、晴れて飛行学校へ入所する事ができたのです。
昭和46年(1971年)の事でした。

しかし現実は甘くはなかった。飛行学校に入所できたからと言って、エアライン・パイロットへの道が開かれたと思ったのは大間違い。なが〜い試練の道が続く事になったのです。

新聞記事とは違って、最初に入所したのは岡山空港(とうぜん旧空港です)に隣接した訓練所でした。
集まった人間も種々雑多。公務員や自衛隊上がり、ひと癖もふた癖もありそうな?連中ばかりでしたし、訓練所の生活もまるで軍隊。訓練所内で教官とすれ違う時は、「オッス」と言って敬礼しなければならなかったのですから。

岡山空港ターミナルビル
岡山空港ターミナルビルの屋上で記念撮影。
17名中、エアライン・パイロットにたどり着いたのは8名だけでした。この写真をいつの段階で撮ったのかは記憶にありませんが、最初に入所したのは25名ぐらいだったとの記憶がありますので、この段階でもすでに脱落した訓練生がいたのでしょう。

血の出るような飛行訓練の話は次回から。

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海外通販でダイキャストをゲットしてみよう!

世間は冬季オリンピック一色で、私みたいに週末はテレビから離れられないなんてヒトも多いと思います。バンクーバーの空港も当然お客が増えており、各路線は臨時便やジャンボ機投入などで繁忙期を乗り切るようです。果たして日本は金メダルを取れるか気になりますが楽しみですね。それにしても10数年前に行った頃のバンクーバーと比べて街にビルが増えているので驚いております。行きつけだったイラン移民の親父がやってた1枚1ドル50セントで買えた美味しい持ち帰りのピザ屋とか残ってるかな。

第20回目は海外通販にチャレンジしてみよう! がテーマです。
ダイキャストプレーン:ANA

私がパソコンを初めて購入したのが2001年末の冬。そして翌年インターネットで、海外でダイキャストの専門店がある事を知って初めて買ったのが今は絶版となったJAL初代塗装のDC-8-32富士号でした。日本で買えたかどうかは不明ですが、普段買う通販のお店でも見かけないものなので試しに1機買ってみたのがきっかけであります。発注して約1週間ほどで届いた小さな箱を開ける瞬間はドキドキものであり、日本では手に入らないものを手に入れた充実感は口では言い表せないほどでした。

今は物流コストも下がったのかオークションや専門店でも珍しいモデルを手に入れる事が出来るようになりました。でも何か日本で買うとやたら高い値段が付いているのが玉にキズ。そんな不満を感じたら海外通販にチャレンジしてみるのも一考です。

まず用意するものはパソコンとクレジットカード。パソコンは言うまでもないですが、クレジットカードはビザやマスター、アメックスが良いと思います。ただ過去アメックスで決済しようとしたら、手数料をケチっているのか以前持っていたビザカードで決済して貰えないかとメールで連絡が入ったこともあるのでビザやマスターが良いかも知れません。カードを持っていない学生さんなら、ご両親に頼んで決済に使わせて貰うのもありですが、その際にはあて先の住所や名前もご両親の名前にした方が良いと思います。もちろん両親に黙って使うのはやめましょうね。

私は今までアメリカ・イギリス・ドイツ・台湾など7社ぐらいの海外通販を利用しましたが、送料などの事を考えると米国が一番安くて便利だと思います。中でもアメリカ・サンディエゴのeztoyz社はこの航空モデルの取扱いでは有名な存在であり、日本人向けの航空モデルを多く取り扱っていることもあってコレクターの間では知らないヒトはいないほどです。

まずeztoyzにアクセスしてみましょう。真ん中にManufacturersと書いてあるのですが、ここは航空モデルのメーカー別での目次です。取りあえず今回は説明ですので、まずjet-x 400をクリックしてみて下さい。

そうすると飛行機モデルのリストが出てくると思いますが、何か見覚えある塗装のモデルが出てこないでしょうか?そう! 2月15日現在のデータで、SOLD OUT!(売切れ)と出たら申し訳ないですが、JALのジャンボが何故か今新製品として出ているのです。ただこのモデルは日本では発売されるモデルではありません。あくまで海外でしか発売されないモデルなので、日本の専門店に注文しても取扱いが出来ないモデルですと丁重にお断りされるのであしからず。値段も36.99米ドルとなかなか日本人の足元を見た金額です(笑)なおこの金額は送料込みの値段ではありませんのでご注意下さい。本当はこのモデルの情報教えたくないんですが、読者には特別教えます! それとこのモデルはまだ発売日が未定なので気長に待って下さいね。

モデルの表示で必ず確認して欲しいのは、赤文字で色々と書いてあるのでよく見てください。一番多いのは下記の4種類でしょうか。

RESERVE NOW, No Discount! と書いてあれば、予約受付中で割引なしの意味
RESERVE NOW と書いてあれば、予約受付中で割引ありの意味(この割引は後で説明します)
No Discount! と書いてあれば、入荷済みで割引なしの意味
Sold-out! と書いてあれば、売り切れの意味

赤文字で何も書いていないなら、入荷済みで割引ありの意味(この割引は後で説明します)。

緑色アイコンのAdd to Cartをクリックしたけども、Sorry, this item is out of stockの表示が出てきたら、売切れなので灰色アイコンのRemoveのボタンをクリックし、灰色アイコンのI want to Continue Shoppingをクリックして続行して下さい。エアロクラシックスなど生産数が極端に少ないモデルや人気モデルは、この緑ボタンを押したけど売切れという事が多いです。

よく内容を確認して買う商品が決まったら、緑ボタンのAdd to cartをクリック。そうするとShopping Cart Contentsと青文字で表示され、下記に自分が選んだ商品が出てくるので下記の項目をよく確認して下さい。

Item:(メーカー)
Description:(商品内容)
Quantity:(商品の数)
Each:(商品の価格)
Total:(商品の合計金額)

もしその商品を2個欲しいなら、Quantityの下の窓に半角で”2″と入力して灰色アイコンのchangeを押すと数と合計金額が変わります。あと商品をCartに入れたけどいらないと思ったら、灰色アイコンのRemoveをクリックし、灰色アイコンのI want to Continue Shoppingをクリックして続行して下さい。

決済の画面へ行く前に入力する事が幾つかあります。左側に「Check here if you’re a resident of CA.」と書いてありますが、カリフォルニア州住民向けの税金なので触れないで下さい。下にPlease Choose Your Shipping Method:(荷物の送付方法を選んでください)と書いてあるので、プルダウンで上から3番目のInternational First Class Air Mail Estimated Cost! Actual Cost will Be Charged Later=$ XX.XXを選んでください。ここに出ている金額が基本的な送料の金額になりますが、追加される場合もあります。右側にEnter coupon or gift certificate numberとありますが、これが先ほど申し上げた割引ありの商品で使う入力欄なのです。主にジェミニジェッツなどのモデルが多いのですが、半角で BOBCAT と入力しENTERをクリックすると約10%引きになります。そしてChoose Payment Option:(支払い方法)ですが、プルダウンで一番上のSecure Online Credit Card Order(クレジットカード)を選びます。Click here to Purchase Total:$XX.XXと表示された灰色アイコンをクリックするとSecure Online Credit Card Orderと
青文字で表示されるので、全て英文と半角数字で入力してください。入力例を下記に示すのでご参考下さい。

(入力例000-0000 東京都港区浜松町0-00-0 飛行機太郎 03-XXXX-XXXX)

Name:(TARO HIKOUKI)
Address:(0-00-0,HAMAMATSUCHO MINATO-KU,TOKYO)
City:
State:
Zip:(000-0000)
Country:(JAPAN)
Phone Number: 81-3-XXXX-XXXX
Email Address:

なおStateは米国の州を記入する欄なので必要ありません。メールアドレスは携帯のアドレスだと容量の関係で届かない場合もあるのでパソコンのメールアドレスを使用してください。入力が終わったらBilling address:(請求書の住所)をSame as aboveの灰色アイコンをクリックして同じ住所にしておいて下さい。下のほうにコメントを入力する欄がありますが、特に入力する必要はありません。ENTERの灰色アイコンをクリックするとSecure Payment Formが表示されます。TOTAL CHARGES:XX.XXと金額が表示され、さっき入力した住所などが表示されるので、よく確認しておきます。ここでクレジットカードのデータを入力するのですがCredit Card Type: でVISA、MASTER、AMERICAN EXPRESSのどれかを選び、CreditCard#にカード番号をハイフンなしで入力します。次にFor your security type last 3 digit number on back of your credit card hereと表示されていますが、これはカード後ろの署名欄の上にカード番号と3桁の番号が書かれていると思いますので、その3桁の番号を半角数字で入力して下さい。そして、Expiration Month:(有効期限)と書いてあるので月年の順で入力してください。仮に03/18と書いてあるカードならプルダウンで03を選び、Yearをプルダウンで2018と選べばOKです。もし間違えがあるならBackの灰色アイコンを押して戻って入力し直して下さい。入力に問題がなければConfirm Your Orderの灰色アイコンを1回のみ押して下さい。、2回押すと重複して注文される場合があるのでご注意下さい。約10秒後に下記の注文受付完了の画面が出てきてCustomer/Shopper ID:に5桁の注文番号が出ていれば注文完了です。ちなみにこれは私が今発注中の注文書です(笑)。

Dear Taro Hikouki
Thank you for your order!
Thank you for ordering from eztoys.com. Your order has been received. Unless you are otherwise notified us via e-mailyour order will be process. Please check our order status section for checking the shipment of your order.Pre-Order items will be shipped as the manufacturer(s) release those in the USA. It is important for you to understand that it is eztoys`s intention to fulfill each order as soon as possible. However, we are unable to guarantee complete fulfillment of all orders due to numerous variables that can impact the avaiability of the product.You will NOT BEING CHARGED for any item(s) UNTIL we SHIP it to you. We look forward to continuing to serve you.Your Friends at eztoys.com San Diego, CA Tel: 1 619 232 3004

_______________________________________
Customer/Shopper ID: 9xxxx
Date and Time: Mon Jan 25 02:25:23 2010
_______________________________________

Item: Details: Quantity: Each: Item Total:
- – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – -
Jet-x Models   JAL Cargo B747-200F    2   $ 36.99  $ 73.98
         ”First JAL Cargo 747F” ~
         JA8123 RESERVE NOW, No
         Discount! Scale 1:400
         Stock# JXJA002
- – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – -
Jet-x Models   JAL B747-200 “First JAL   2   $ 36.99  $ 73.98
         747″ JA8101 RESERVE
         NOW, No Discount! Scale
         1:400
         Stock# JXJA001
- – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – -
Sub Total:                        $ 147.96
Shipping Total: 8 units ( International First Class Mail Estimated Cost! Actual Cost will Be Charged Later) $ 43.50
Grand Total:                       $ 191.46
Please note you will be charged only after shipping is done!

ちょっと長くなりましたが、カード利用残高をちゃんと確認しないと私みたいに大変なことになりますので、計画的にご利用下さい(笑)。カードの為替レートは決済時によって異なりますし、引き落とし日もそれぞれ異なるので、詳しくは使用しているカード会社へお問い合わせ下さい。

もしキャンセルの際にはこの注文書のメールを添付して英文メールでキャンセルの旨を伝えたら良いと思いますが、既に商品を送った後だったりすると厄介な手続きになるので、キャンセルは避けたほうが良いと思います。

既に入荷済みであれば、決済完了後数日で上記と同じ注文書と同じフォーマットを使用して赤文字でSHIPPED!と表記されたメールが届くので、そのメールが届いたら大抵一週間後に郵便で届きます。もし遅いなと思えば、ホームページ一番右上のOrder Statusをクリックし注文書の番号とメールアドレスを入力すると、今自分が発注している商品の状態がどうなっているかわかります。Not Yet Shippedなら未発送。cancelと書かれている場合は勝手にキャンセルされている場合があるので、すぐ英文メールで「勝手にキャンセルするな! 」とクレームをつけた方がいいです。過去私は3回やられてクレームを付けています。オーバーブッキングは飛行機モデルでも起きるのです(苦笑)。

日本とアメリカが違うなと思う点は、箱の状態まで気を使っていないことです。彼らはあくまで箱は飛行機モデルを保護する程度のものと考えており箱が潰れていても傷があっても割り引くことはなく、中身が問題なければクレームをつけても理解されないと思ってください。それと仮に翼が取れていたとか、何か不具合があっても治せる範囲であれば自分で直した方がいいです。というのも交換に応じてくれる事もあるとはいえ、送り返す送料は注文者の負担になるので、かえって高くなります。安いなりにリスクもある海外通販ですが欲しいモデルがあれば一度チャレンジしてみるのも楽しいと思います。ただ何でも自分で解決するつもりでやらないと難しいことをご理解下さい。

実際のボーイング787
こっちが先日初飛行した実際のボーイング787です。

ボーイング7E7
この下の2枚目が想像図のみとなったボーイング7E7です。

さて長くなりましたが、今回のモデルはANAのボーイング787です。メーカーはフェニックスで縮尺は1/400。シップナンバーはN787EXでこのANA塗装のボーイング787は初号機初飛行の1週間後の去年の12/22に初飛行しました。この時はANAの役員も日本からかけつけて来たほどでマスコミのインタビューに答えながらも、いかに彼らがこの新しい飛行機に期待を寄せているかがよく伝わって来たほどです。ただこの機体は試験機であり、予想以上に重量が増えて改修が必要になるため、ANAが受領する機体ではないそうです。今年の受領は無理という話もありますが経年化したボーイング767を引退させるためにも早期の受領を期待したいですね。2枚目のモデルはボーイング787の想像図となったANAのボーイング7E7です。1枚目のボーイング787と比べると形が変わっているのがよくわかると思います。このモデルメーカーはブルーボックスで縮尺は1/400です。去年のボーイング787初飛行の速報で使った写真ですがお許しを。

今のところこのANAのボーイング787のモデルは5つリリースされており、フェニックスとヘルパの下請けで有名なホーガンが作っています。フェニックスは先走りすぎて、青い普通塗装モデルと、何故かボーイング737-700の金色塗装に影響されて金色塗装モデルもあるのが意味不明ですがご愛嬌ということで。今回載せたモデルは3作目の最新モデルになるのですが、出来はよくなっており金型もジェミニのモノを使用しているからか実物の特徴を良く捉えています。ヘルパ下請けのホーガンは俗に言う全日空商事のモデルを手がけているわけですが実物を手にしていないので何とも言えません。写真を見た感じはさすがヘルパという感じの仕上げ。でも地上に置いた時の感じはどうかは不明なので是非専門店で調べた上で購入したほうがいいかも知れません。それと値段はフェニックスのほぼ2倍の¥6000近くと高価なので覚悟が居る金額という意味ではあまりすすめませんが、日本のお店では手に入りやすい利点もあります。

では来週もお楽しみに…。

Mattari

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シンガポール航空ボーイング747-300

登場当時はテクノジャンボの愛称で華々しくデビューしたANAの国際線仕様ボーイング747-400も引退間近!?なんて話が先週の記事で出ていますね。そういえばACARSでデータを紐解いてみると去年の冬ダイヤ辺りからヨーロッパ線へ貼り付けだったはずのボーイング747-400が、成田〜香港線にも往復しているデータを見つけました。今のところ毎週土曜日発着のNH909/910便が該当するようです。ANAのサイトでスーパーエコ割運賃を使えば1泊2日でも組めるほど近いですから、週末は香港島の夜景でも眺めにANAの国際線仕様ボーイング747-400を体験してみては如何でしょうか?チケットはANAのスーパーエコ割のページから検索出来ます。

さて前置きが長くなりましたが、第19回目は台北の街で月と星に救われる!? お話です。

ダイキャスト:シンガポール航空ボーイング747-300

ボーイング747-200BのJT9Dエンジンも静かとは言えないが、既に円熟味を帯びたエンジンサウンドを奏でながら機内では短い路線なのに機内食をクルーが配っている。窓からは既に台湾の海岸線に沿って町の明かりが見え、きれいな星空が広がる。当時のシンガポール航空では香港〜台北線は週2便程度と少なく、他社との競争も激しい路線だけに暖かい食事を出すのは必須だったのだろう。当時はまだ私も英語が殆ど解らず、さっきクルーが片言の日本語でメインディッシュの内容を説明してくれた。何ともありがたい瞬間でもある。

食事が済ませると、あっという間にクルーがトレーを回収に来た。1時間足らずの短距離路線であれだけのサービスをこなすのは今を思えば驚くことで、今なら良くて軽食のボックスミールかドリンクサービスで済ませてしまうだろう。まだ90年代は空の旅もわりとエコノミークラスでも豊かさがあったに思う。ほどなくしてシートベルトサインが点灯し窓からは二本の滑走路が平行に見え、その間に旅客ターミナルが鎮座するのが台北中正国際空港である。数年ほど前に政治色を薄めるのが狙いなのか、現在は地元の桃園の地名を取って台北桃園国際空港と呼ばれている。

ランウェイ05Lへアプローチし、予定より2時間ほど遅れて、初めて台湾の地に降り立つ。さすが南国だからか1月なのに香港よりは少し暖かい感じがする。ビザは取っていても入国拒否をされる事もあるなんて旅仲間から言われていたからドキドキしたものだ。でもそんな心配なく入国審査官は慣れた表情ですぐ国花の梅のマークが入った中華民国のスタンプを押す。その後税関でフィルムの持込制限もあったのでボンドと呼ばれる保税の手続きをして撮影済みの約30本入りのフィルムを預けて貰う。税関の列に居た目の前のおばちゃんが大きなカバンの開封をさせられており、何とマイルドセブンが約100個近くバラで入っているのが見えて驚いた。密輸だったらしく、そのおばちゃんは別室へ連れて行かれるのが見えた。私は赤いパスポートを見せたら何も見ずに行っていいと係官に言われて到着ロビーへ。ここでもホテルとタクシーの客引きに囲まれるが、既に慣れて適当にあしらうと台湾銀行で蒋介石の肖像が書かれた台湾元のお札へ両替を済ませる。その後アメリカのグレイハウンドバスと似た空港バスに乗り台北駅近くまで高速道路をかっ飛ばす。

既に夜の23時過ぎていて予約すら入れていないが、太原路にある太原大飯店という地元の安ホテルを探す。だが夜になると道もわかりにくくなり、簡単な地図では方向感覚すら失わせるものがあるようだ。結局約20分近く歩いて道に迷ってしまったが遠くに明かりの付いたお店が見えた! なんと日本で見かける月と星のロゴであるファミリーマートではないか! 今は薄い緑と水色の看板であるが、当時はそんな可愛らしいロゴだったファミリーマートも台湾では全家便利店と書かれていた。

お店の中はほとんどど日本と変わらず、違うとすれば商品の内容が違う点だろうか。弁当類は殆どないが、肉まんらしきものがあったので幾つか買う。眼鏡を掛けた店長らしき人に太原大飯店の位置を聞いてみる。そのホテルの位置は来た道と逆の方向だということがわかった。その店長は親切にも、このお店の場所と目的地のホテルまでの地図も書いてくれて、お店の入口まで私を見送ってくれた。昔は日本が統治していた事を思うと日本人に対して親日的なのは何とも嬉しいものだ。

約10分ほどすると古ぼけたネオンの宿が見えて、それが太原大飯店であった。フロントは二階にあるらしく登っていくと日本語を話すオーナーと思われるおばちゃんが居た。私が日本人とわかったのか日本語で話しかけられて驚いたが、2日ほど空いているか聞いてみると1泊500元(約2500円)の部屋ならあるよと言うので、すぐ部屋を見せて貰う。部屋もセミダブルのベッドにバスとトイレ付きでだったので即決した。まあ既に日付も変わりつつあるからもう動きたくないというのもあったが、香港の安宿より安くて広い部屋に泊まれたのは何ともありがたい。布団も丸めるような台湾式の畳み方で置いてあって珍しく、現地の紅白歌合戦みたいな歌番組を見ながら寝てしまう。

翌朝、新生公園と呼ばれる場所を地図見ながら目指す。途中バスに乗って公園らしき場所が見えたので降りると、台北松山空港の滑走路の端っこに面していて、ちょうど遠東航空のボーイング737が降りてくるのが見えてきた。遠めには世界十大ホテルのひとつにも選ばれた中国様式の建物が特徴的な円山大飯店が見える。93年当時はまだ台湾新幹線もなく、もっぱら高雄まで飛ぶフライトが多く大半がボーイング737-200やMD-82、BAe146、ATR-42/72といった小型機が中心だった。日本でもはなかなか見ることが出来ない飛行機が降りてくるのも新鮮であり、ほんの3時間ほど公園に居ただけだが結構な数の飛行機を見ることが出来た。近くではなぜか子供用のプールに水を入れて錦鯉の展示即売!?が大掛かりにやっていて、賑やかだったのがとても記憶に残っている。

ダイキャスト:シンガポール航空ボーイング747-300

遠くからひときわ、空気も震わす大きな爆音が聞こえてきたから、また遠東航空のボーイング737-200かと思ったら、なんと台湾空軍のボーイング727! それも初期型の-100と呼ばれるタイプだ。今回の旅行ではバンコクで見たロイヤルネパール航空のボーイング727-100が現役で飛んでいたのも驚きだったが、まさか台湾空軍のボーイング727-100も撮れるとは思っていなかったのでフィルムもかなり消費してしまった。まあ夕暮れ時でシャッターも手ぶれギリギリだったが、黒煙を吐きながらの着陸は見応えもあった。

翌日の午後にはホテルをチェックアウトして、台北中正国際空港へ再び空港バスで到着していた。とうとう半月にも渡る旅行も成田行きのSQ988便に乗ったら終わり。機種はボーイング747-300でボーイング747-400の開発ベースとなった機体でもある。シップナンバーはリース機になったのか何故かアメリカ籍のN120KFだった。塗装はボーイング747-400と同じ新塗装に変わっており、この機体のニックネームであるビッグトップのロゴも小さめの物になっている。機内はあまりボーイング747-400に乗った時と変わりないが、座席の感覚が若干狭めだった。ちょうど週末の日曜日だけにツアー客が多くて、ほぼ満席。自分が座った座席はリクライニングボタンを押さなくても自然と少しずつ後ろに倒れてしまう(笑)

機内食は日本線だからか、茶そばが添えられているので乾燥した機内ではいつもより美味しく感じる。シルバークリスと呼ばれる機内誌も日本語版がセットされており、久々に見る日本語の雑誌に見入ってしまう。その後日本の新聞も機内で読んだが何とも海外へ出ると活字中毒になるなんて話も本当なんだなと実感出来たものだ。機体のエンジン音が低くなったなと思うと降下が始まり、窓の風景からランウェイ34へ向かっているのがわかる。横目にジェット燃料のタンクが見えてくると軽いショックとともに強いリバースが掛かって、すぐに誘導路へ入ると無数の誘導灯が星のように煌くのが見え、長い旅が終わったんだなと実感する。

今回のモデルはシンガポール航空ボーイング747-300であります。メーカーはドラゴンモデルで縮尺は1/400。シップナンバーはN123KJで塗装は初代受領時の旧塗装をモデル化しています。前回の記事で登場したボーイング747-200Bの後継機種として開発された機体であります。アッパーデッキと呼ばれる二階席を延長していることからSUD(Streched Upper Deck)やEUD(Extended Upper Deck)と呼ばれ二階席のみで最大69席の座席が設置出来ました。KLMオランダ航空やスイス航空みたいにボーイング747-200Bから-300へ改造された機体もありましたが、ボーイング747-400の開発が決まったため81機が作られたのみに留まりました。

しかしアッパーデッキが延長されたお陰で空気抵抗が減って航続距離も増え、当時の高性能な低燃費エンジンであるプラット&ホイットニー社のJT9D-7R4G2の組み合わせはシンガポール航空に新たな歴史を加えたと言っても過言ではありません。シンガポール航空のドル箱路線であるシンガポール〜ロンドン線の直行化を達成した記念すべき機体でもあり、往路は向かい風の関係で従来ながらのドバイ経由で運航されたものの、復路は直行化を果たしています。

さて、このシンガポール航空ボーイング747-300のモデルに関していうと選択の余地がなく、このモデルのリリースしかないという寂しさ! 私が搭乗した新塗装仕様の機材が出ても良いと思うんですが、結局ドラゴンモデルの生産が始まった当時は既にボーイング747-400の就航全盛期と重なっており、必然的にボーイング747-400のリリースが増えてしまったわけです。もちろんドラゴンモデルはボーイング747-300のモデルもかなりの数をリリースした方なんですが、作られていないモデルも割と残っているのでもったいない! シンガポール航空の場合-300コンビと呼ばれる貨客混合型も運航されていたのでバリエーションも増やせるんですけど、色々とコストの面を考えるとなかなか難しいんでしょうね。

長いこと、こんな私の旅行記をお読み頂きありがとうございました。退屈させてしまったことをお許し下さいませ。
私が言いたいのは今は不況が原因でもあるんですが、海外旅行へ行く若い子が減ったということ…。若い感性を海外の刺激で満たすこともインターネットで事足りるからということも大きいかな。でも百聞は一見にしかず! やっぱり自分の目で確かめて体験することには何事にも敵わないということ! それに一ヶ月とか長い休みを利用して旅行する事なんて社会人になってからではなかなか出来ないもの。私にとってこの貧乏旅行が旅行をする上で一番多くの旅行経験を積ませてくれた原点でもあったから。借金してでも若い時の貧乏旅行の経験って一生の宝になると思うんだけどどうかな?

今度からほぼ通常営業に戻る?と思いますので、来週もお楽しみに!

Mattari

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