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シンガポール航空ボーイング747-200B

今日は節分。占いもこの日が一年の初めなんていいますから、更に気を引き締めたいものですね。
さて第18回目は香港フィリップ親父の登場です。

ダイキャスト:シンガポール航空ボーイング747-200B

空港バスAIRBUSに揺られること約10分ほどで待望のネイザンロードへ突入! あのネオンの看板だらけの風景を見ると香港に来たと実感する。香港でも悪名高きビルといえば、香港屈指の安宿エリア重慶マンションのことである。安宿を泊まり歩いた人なら必ず知っているほど有名なビルだ。両替商やら時計屋など雑多な店が密集しインド人経営の軽食屋など、多くの人種が入り混じるルツボと化していた。実際エレベーターで上がる時でもあらゆる人種が乗っていて妙にドキドキしたものだ。当時香港のホテル代がとても高かったことを考えるとバンコクからやって来た人間にはここの一泊3500円足らずの金額でも高く感じたものだ。重慶マンションとアナウンスが流れて、チンとベルを鳴らすと、バスは重慶マンション前のバス停に止まる。大きな荷物を持っている私に迫り来る人影を感じると5名あまりの怪しい親父集団に囲まれてしまった! うわっ、もしや物盗りでもやってきたかと身構える…。

何とこの集団こそ大小合わせて約100はあろうとも言われる重慶マンションの安宿オーナーの連中で、直々に客引きをしていたのだ。今年最後のお客をなんとか捕まえようと必死で彼らは私にアピールしてくる。そのうちの一人が人柄の良さそうな笑みを浮かべながら名刺を渡して来た親父がフィリップだった。宿名はOSAKAゲストハウスと書いてあり、値段交渉する間もなく半ば拉致されるようにエレベーターに乗った。彼が表の重々しい扉に付いた鍵を2個開けており、同時に治安の悪さも頭に過ぎる。まるで香港人の家にホームステイするような感じなのだが、これから始まるのはフィリップ親父との宿代交渉だ。日本円で一泊シングル5000円程度からスタートしたが、余りにも高い。帰ろうとする素振りを見せると親父がまあまあといった感じで引き留めて椅子を勧める。こんな感じで繰り返すこと約15分近く交渉を続け、「これがファイナルプライスだ! 一週間分の現金前払いなら一泊3300円にするからもう勘弁してくれ」と日本人にしては珍しくしつこいのか、疲れた顔して言ってくる。何とか予算内に収まり、日本円でも問題ないというので日本円で払って領収書もしっかりくれた。まあ三割程度まけてくれたからよしとしよう。

部屋はベッドにシャワールームとトイレが一緒になった狭い部屋で、多分全部で3畳もない狭さだったが香港の安宿はこんな感じであるから無理もない。小さいけど窓もあるし、テレビもしっかり写るからまあまあだった。テレビを見ると現地の三越年始初売りらしきCMをやっていて驚く。近くのセブンイレブンで飲茶の点心を幾つか買い、香港の地ビール(?)と化しているフィリピンのサンミゲルビールを飲みながら夜食を食べていると、遠くで鳴る爆竹が新年の訪れを告げた。生まれて初めて迎える海外の新年もわりとあっけないものだったが、後で彼らは旧正月で盛大に祝うことを知ると納得出来た。

目が覚めて、また昨日と同じようにエアバス機に乗って啓徳空港へ向かう。さっそく有名撮影地のひとつ空港ターミナル横の駐車場へ行くと一人の地元航空ファンが既に撮影していた。彼に手持ちの飛行機の写真を見せてあげると、香港で撮れない飛行機があったのか興味深く見ていた。既に光が逆光気味で向かい側の撮影地を探そうと思ったら、向かいに飛行機が撮れる場所へ行くから一緒に行かないかと言うのだ。彼が指をさす先には確かに小さいながらも展望デッキらしい場所が見える。渡りに船と思い、彼に付いて行くことにした。マクドナルドへ寄るから何か食べた方がいいと言われ、セットを買っても300円もしなかったのが驚き。アルバイトの張り紙を見ると当時の香港ドルレートで時給500円程度だったのが印象的だった。

そのデッキがある場所は香港飛行倶楽部と呼ばれ、現地でセスナを飛ばす人が使うらしく駐機場と英国風のカウンターバーが一緒になった場所のようだ。彼は常連らしく、カウンターに居たスタッフに展望デッキへ入れて欲しいと言うとすぐ入れて貰えた。ありがたいことにこの場所は雑誌にも載っていない情報であり下記のような写真が撮れたから、やはり地元ファンの情報は一番だ。彼にはお礼に好きな飛行機の写真をあげると嬉しそうに数枚持って行ってくれた。地元の航空ファンが大抵居たから退屈することもなく、色んな情報も貰えたし、飛行機の趣味も国境を越えるものだなと実感出来た。こんな感じでこの展望デッキには5日ほど通ったが飽きることはなかった。このニュージーランド航空のジャンボも当時の日本では撮りにくい時間帯にやって来てたから驚いたし、ANAのトライスターも香港らしい高層ビルを背景に撮れるのがたまらなかったものだ。

ダイキャスト:シンガポール航空ボーイング747-200B

その後、まだ93年当時は日本人でも台湾へ入国するのにビザが必要だったから指定の旅行業者だったか忘れたが、生まれて初めてビザの申請をしに香港島のあるビルへ向かう。私の記憶では日本円で2000円もしなかったが、若干値上げされていたから高いよと言ったら、すぐ安くなったのが可笑しかった。平日に申請して3日程度で出来て思ったより簡単に出来たように思う。こんな感じで旅の道中では旅のノウハウを徐々に体得していくのが旅の醍醐味をも感じさせ、トラベラーズチェックの両替もレートの良い店を探すのに苦労した事も思い出す。今は不要になった航空会社も多いリコンファームもまだ当時は必要だったが、着いた空港で済ませるなど自分なりに工夫したものだ。

ダイキャスト:シンガポール航空ボーイング747-200B

色んな旅の思い出が詰まった香港もとうとう出国する日となった。今度はSQ860便で台北へ向かう。機材はボーイング747-200Bと呼ばれシンガポール航空が初めて導入したジャンボ機である。ちょうどボーイング747-400と入れ替わる時期に差し掛かっており、まだ数機が日本線や東南アジア路線に活躍の場を見い出していた。シップナンバーは9V-SQSと呼ばれ、90年頃に見た時は上記のモデルと同じ旧塗装だったが、この時は彼らの功績を称えてなのかボーイング747-400と同じ新塗装へ切り替わっていた。

チェックインも無事終えて、出国審査を受けようとしたら、何があったかわからないが発着ボードに約2時間の出発遅れと出ていた。そういえばチェックイン時に何か金額が書かれた紙切れを渡されたが、何かわからず離陸した後になってそれが空港内の飲食で使える無料の喫茶券とわかって悔しかったのを思い出す。約2時間遅れたお陰で香港島100万ドルの夜景を眺めながらの離陸となった。夜景を眺めることが出来たのはいいが、次の台北でちょっと困ったことに遭遇するとも知らず、私を乗せたジャンボ機は北東の島へ進路を向ける…。

今回のダイキャストモデルはシンガポール航空ボーイング747-200Bです。メーカーはドラゴンモデルで縮尺は1/400。塗装はジャンボを受領した1970年代後半の旧塗装時代のもの。シップナンバーは9V-SIAと自社の3レターコードSIAとダブらせてしまうところは遊び心を感じさせる。後方には1979年4月に認可された悲願の米国路線開設記念に因んだロゴが施されている。当時はシンガポール〜香港〜ホノルル〜サンフランシスコという経由便ながらも便名はSQ002/001という栄えある便名を採用したほど。それだけ米国路線へ対するシンガポール航空の強い意気込みが伺える。現在のサンフランシスコ線はダッシュ400から交代した双発機のボーイング777-300ERが香港経由サンフランシスコ線SQ002/001便とソウル経由のサンフランシスコ線SQ016/SQ015便に就航し、何とも隔世の感があるこのモデルは発売された数もたったの4種類! ドラゴンモデルとエアロクラシックスの2社からリリースされているのみでそろぞれシップナンバーが違うのと米国路線開設記念のロゴ入りとロゴなし違いがある程度。さらに私が乗った新塗装仕様は全然発売される気配もなく、そろそろ使っていない金型を掘り起こして新製品に期待したいほど! ドラゴンモデルで米国路線開設記念ロゴなしのモデルは若干売れ残っており、私がいつも買う某店でも残っているほど。対するエアロクラシックスは生産数がそれぞれ約400も満たないのでお店に残っている可能性は低く、翼まで金属で作られた重量感を求める人が買う程度なのであまりお勧めはしない。ただ翼端に付いたアンテナはドラゴンモデルの方が短くなっており、エアロクラシックスはしっかりその翼端アンテナまで再現されている点は評価できる。

というわけで在庫があって予算もあるならエアロクラシックス、手に入れやすさではドラゴンモデルということでご理解頂きたい! 最近は楽天などでも1/400で検索すると掘り出し物が出てくることもあるので、要チェックです。

次回は台北の街で月と星に救われる(!?)をお送りします。

では来週もお楽しみに!

Mattari

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シンガポール航空ボーイング747-400

第17回目は前回の続編で、シンガポール航空最新鋭機初搭乗のお話です。
ダイキャストプレーン:シンガポール航空

年の瀬も押し迫った92年大晦日のシンガポールは雨季で雨だった。この時期のタイでは乾期に入るのでたった2時間あまり南へ飛ぶだけでこんなにも気候が異なるとは。飛行機を撮ろうと当時唯一撮れたターミナルへ行ってみると便数が多いガルーダ航空のエアバスA300が3機並んでいるのを除けば、あまり良い写真が撮れる印象はなかった。

フライトの発着ボードを調べてみても珍しい航空会社もなかったので、早めに撮影を切り上げる。シンガポール航空の乗継カウンターへ行くとSQ002便にはやっと窓側の座席があるというので嬉しく思った。ターミナル全体がショッピングモールと思えるほど大きな規模に圧倒されたが、日本より安めだったので途中小さなスニーカーのショップで新しいスニーカーを買った。新しい靴で新しい飛行機に乗るとは何とも田舎者丸出しだが何となく気分が良かった。その最新鋭機とはボーイング747-400、通称ダッシュ400と呼ばれる新型ジャンボだ。

今現在では既に引退機が多くなっているが、この92年当時は従来型ジャンボの性能を凌駕する新時代の切り札だったのだ。シンガポール航空では既に89年4月に日本線への初就航を果たしていたが台北経由便などにも就航していたので、乗務員養成の意味合いが強かったと思われる。案の定数ヶ月ほどでボーイング747-400は本来の就航路線である欧州路線などへシフトされてしまい、再び従来型ジャンボへ戻ってしまった。時刻表を調べるとシンガポールー香港間を毎日飛んでいるSQ002便がダッシュ400だったからわざわざこの便にしたわけである。ワクワクしながらF81ゲートへ向かうと既にダッシュ400はスポットに入っていた。

シップナンバーは9V-SMJ。まだ一年半という機体の新しさは嬉しく感じたものだ。当時のフライトレポートでは410人仕様で378名搭乗とほぼ満席。紫を基調としたキャビンは高級感を感じさせ、Yクラスでもフットレストが装備されていたのが意外だった。その当時は今みたいに個人モニターも装備されておらず、時折大型スクリーンで映し出される飛行ルートを熱心にメモしたものである。窓からは最新鋭機の証ウィングレットがしっかり見え、後方の46Aに座っていたがやはり新型だけに不思議と機内は静かさを感じたものだ。
ダイキャストプレーン:シンガポール航空

この当時のYクラスは今と違ってしっかりスパークリングワインもサービスされていて、機内食は美味しかった記憶が残っている。メニューも立派なもので、今ならビジネスクラス用と見間違えてもおかしくないほど。如何に燃料高騰が航空会社にとって重くのしかかるものだと実感する。インドシナ大陸を左手に眺めながら飛んでいくと、まもなく陽が沈んでいく。日本線以外では日本の雑誌は特に積んでいないが、機内誌には日本語で曲のタイトルや歌手名も書いてある日本のオーディオチャンネルもあるのが面白い。演歌もポップスも混ざっていて、万人向けにしようとするサービス精神は日本人にとって嬉しい。機内誌に記載の音楽タイトル等で誤植も見かけたけど、まだ当時はそれも許される心地良いゆるさがあったように思う。
ダイキャストプレーン:シンガポール航空

さぁ、間もなく香港へ着陸である。徐々に香港の街の光が見えてきた。私にとってみればこの旅のハイライトの一つでもあったのが香港アプローチと呼ばれる13滑走路への着陸のことだ。今の香港新空港と違い、92年当時は香港啓徳空港と呼ばれるパイロットの間でも難関な空港で有名だったのだ。着陸といえば真っ直ぐに滑走路へ向かって降りるのが普通だが、啓徳は違う。ゆるやかながらもまるで直角三角形の90度に沿って曲がるような感じで、約45度ぐらいまで翼を精一杯に右側へ傾ける。山に目印である赤白の格子状チェッカーボードの塗りわけが見えたら大きく右側へカーブして降下後、息を吐く間もなく直ちに体制を立て直して滑走路へ向かうという極めてアクロバティックな着陸だったのだ。既に使い尽くされた表現ではあるが、本当に近くのビルのアンテナや洗濯物に翼が引っ掛かるような感覚を覚え、その後香港へ向かう時はこの着陸が楽しみのひとつとなったのは言うまでもない。

約3時間あまりの最新鋭機の初飛行は物足りなさを覚えた。どうせならこのままサンフランシスコまでへ飛んで最新鋭機をもっと心ゆくまで堪能したかったほどだが諦める。天井の低いコンコースを通って、入国審査と税関へ吸い込まれていく。それにしてもアジアの空港は何ともここまで出迎えの習慣が強いのか、何時行っても狭い到着ロビーは人が多いのが不思議だ。AIRBUSと呼ばれる空港バスに乗る。しかし冬なのにエアコンが何故か全開に効いていたりする。九龍半島のメインストリート、ネイザンロード周辺の各ホテルを経由するこのバスはこれから私が向かう悪名高き某ビルも停まるわけだが。大晦日の夜に再びアジアらしい洗礼が待っているとも知らず・・。

今回掲載した飛行機のモデルはシンガポール航空ボーイング747-400です。メーカーはドラゴンモデルで縮尺は1/400。シップナンバーは9V-SMU。ボーイング747の通算1000機目という栄えある機体をシンガポール航空は1993年10月に受領し、1000th Boeing747の記念ロゴをコックピット近くに入れました。ドラゴンモデルでも比較的初期に作られたものだけに若干コックピットウィンドウが小さいなどの改善箇所はあったとはいえ、既にドラゴンモデルの完成度は高かったこと証明するモデルでもあります。ちなみにこの9V-SMUは今でも営業飛行を続けており、既に記念ロゴはなくなったとはいえ、数日前の成田でSQ11/12便として飛来しているようです。

もっとダイキャストの情報が欲しいという声がございましたので、ちょっと長くなりますが興味ある方はもうしばらくお付き合い下さい。今回は縮尺1/400モデルのシンガポール航空ボーイング747-400について分かる範囲で書きたいと思います。今のところ私が知る限りでシップナンバーがダブっているものや特別塗装機、貨物機など含め過去に約33種類も発売され、メーカーもドラゴンモデル、ジェミニジェッツ、ビッグバード、フェニックス、ヘルパなど6社からリリースされたほどの人気商品でもあります。ただ大半は既に生産中止品が多いので、オークションで手に入れるのが早いかも知れません。

私の独断と偏見で比較的品質が安定していると思うのがドラゴンモデルです。日本でも手に入れやすく、流通量も多いのが特徴で再販が行われることもあります。オークションでも人気があるようです。胴体のみ金属製でジャンボの特徴を的確に捉えている金型もなかなかの合格点。プラスチック製の翼もよく出来ています。前脚は取れやすいものもあるので、木工用ボンドなどで接着すれば少しはみ出ても透明になるので便利です。今まで買ってきた私の印象では歴代のシンガポール航空のモデルは予約時点での売切も多かったので専門店の予約は必須です。海外通販ではまだ扱っているお店もあるようなのでじっくり探す価値もあります。

ジェミニジェッツはシンガポール航空の場合、初代の金型を採用しており、水平尾翼の下に接着した切れ目が見えるので見栄えがイマイチとはいえ、全て金属製なので重量感は満点です。その欠点を見事に解消された新金型を採用したのがジェミニジェッツⅡですがシンガポール航空のモデルはリリースされていないのがもったいない! 引退記念に引っ掛けて新製品リリースをやって欲しいものです。

ビッグバードは版権無許可モデルで有名なのですが、塗装の仕上げや金型のレベルも高くがゆえ、生産する数も全世界で数百機程度! それゆえに大抵1機5000円以上と高価なのに海外通販でも割と手に入らないのが玉にキズ。しかし人気があるため日本でも扱うお店が増えてきました。特に特別塗装機トロピカルメガトップは出来の良い大傑作でもあります。

フェニックスはここ数年実力を付けて来た版権無許可モデルです(笑)塗装の仕上げは比較的ムラがあってイマイチなものもあるとはいえ値段は比較的手頃なものも多い。さらに新しい特別塗装機もほぼ確実にリリースされる業界随一レスポンスの速さは特筆モノ(笑)例えば全日空商事のモデルはまだ発売されていないのに、フェニックスではANAのモヒカンジェットも既にリリース済みなのが笑えます。金型はジェミニジェッツⅡの新金型を採用しているようです。最近は前脚と主脚も転がるようにタイヤを履いているものが増えましたが時々取れやすいものもあるので取扱いには注意が必要です。

最後にあまり買わない方がいいと思うのがヘルパです。私はシンガポール航空の機内販売で買った事あるんですがガックリ来ました。1/400は特に金型が実物とあまり似ていないと思えるほどでの出来で極端に前脚が短くて低いので、実物と比べても斜め気味なのです。実物のジャンボ機を見たらわかるはずなんですがね。塗装の仕上げはきれいなのにもったいない! 尾翼部品はプラスチックなので安っぽい。ぜひ金属製に変えて欲しいですね。まず金型を改善することから始めないと無認可モデルにすら勝てません(笑)

私がこうやって書いてもなかなか伝わらないと思うので、店頭で見せて貰ってじっくり選ぶのが一番だと思います。しかしながら近くに飛行機モデルの専門店がないとお嘆きの読者の皆様のためにも、私の持っているモデルをサンプルに少しでも商品選択時の一助となれば誠に幸いであります。

さて次は香港のフィリップ親父とのバトル? をお送りする予定です。

では来週もお楽しみに。

Mattari

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シンガポール航空の初物づくし。

とうとうあのJALも会社更生法を昨日申請してしまいましたね。どんな風に変わるか予想は出来ないけど、去年6月末に乗った羽田からのフライトが私にとって最後だったのかと思うと感慨深いものがあります。
第16回目は前回の続編で、シンガポール航空初搭乗のお話です。
ダイキャストプレーン:シンガポール航空

1992年12月30日。バンコクへ来て既に1週間経ち、数日前に仲良くなった沖縄出身K氏のミャンマーへ旅立ちを空港で見送ったと思えば、今度は翌日の大晦日には香港へ向かう私の番。簡単ながら地元のシンハビールでS氏やほかの宿泊者が乾杯してくれて嬉しかったものだ。シングルベッドが2つと天井には古ぼけたファンがクルクル回っているだけという1泊800円足らずの部屋もいざ離れるとさみしいものだ。

バッグパックを背負い、朝日もまだ昇らない朝5時半に馴染んだ宿を離れる。朝も早いのにすで近くの市場では新鮮な野菜が並べられ、屋台の数も多く賑わっている。約20分もすると見慣れた駅が見えてきた。さすがにこの時間帯で走っている列車はないことは調査済みだったので、この駅から空港前の国道を通る29番の青いエアコンバスを探す。

30分ずれるとあっという間に渋滞へ巻き込まれる街だけに、早いところ空港へ向かいたいものだ。幸いお目当ての29番エアコンバスはすぐやってきた。車内には女性の車掌が居て、片言の英語でGo Airport? と聞いて乗せてもらう。空港まで16バーツを払う。ちょっときれいな女性の車掌が片手に持っている円筒のブリキ缶みたいな料金箱から空港までの正方形の小さな切符を出し、そのブリキ缶の蓋の端を使ってまるで駅の切符みたいに器用にはさみを入れるのが面白い。

窓からはタイの朝の風景とも言える山吹色の袈裟を着た僧たちが、托鉢で歩いているのが見える。大抵は炊き立てのご飯やおかず、お供え用の花などが多く、お布施としてお金を渡すこともあるようだ。こんな光景を見ていると今更ながらもタイへ来たんだなと思ったものだ。それにしてもバンコクの朝は早いなと実感する。隣に止まっている2.5バーツの青バスも通勤客で混んできている。周りを見ると現地生産ホンダのカブには出勤する彼女を送るのかカップルが乗っていたりして朝から見せつけてくれたりする(笑)渋滞にも巻き込まれず、郊外の光景が見えてくるとホッとする。順調に約40分程度で無事空港前のバス停に着くことが出来た。

空港ターミナルへ行くと、既に多くの乗客が行列を作っている。チェックイン開始の2時間前を少し切って到着したとはいえ、さすが繁忙期に入っているだけに結構賑やかである。約20分ほど待ってやっと自分の番がやって来た。ここでも残念ながら既に窓側は埋まっていて通路側へ。荷物は香港までスルーチェックインで済ませ、国際線の乗継はこれが初めてだった。荷物も香港までは持つ必要がないから楽だ。空港使用料を200タイバーツを窓口で支払い、出国審査に並ぶと日本人を珍しく見かけた。キャセイで香港へ向かうそうで、シンガポール経由で香港へ向かうと言ったら驚かれた。まあ余分に時間掛かるから無理もないけど、航空ファンには多くの機種に乗れるのは嬉しいものである。窓からはこれから自分が搭乗するシンガポール航空のエアバスA310-200が見える。シップナンバーは9V-STKでエアバスのワイドボディ機は初めて乗るので楽しみだった。

荷物のX線検査でフィルムの感光を防ぐためにオープンチェックして貰う。しかしフィルムが30本もあるから、半ば係員は苦笑気味。やっとの思いで通ると、既に搭乗開始が始まっているようである。座席番号は33Bで機内へ向かうと、やはりさすがシンガポール航空! と言えるような美人な機内乗務員に出迎えられるが…。有り得ないことが起ころうとしていたのだ。
ダイキャストプレーン:シンガポール航空

何と私の座席である33Bには既に先客が居たのだ! 彼の搭乗券を見せてもらうと同じ33B!
えぇ〜そんな事あるのかっ!!!!
思わず絶句して一番前の赤いサロンケバヤを着たチーフパーサーに片言の英語で「Sorry! No SEAT! 」と言って搭乗券を見せる。彼女が「確認して来ますのでそこにお掛けになってお待ち下さい」と言って機内乗務員が離着陸時に座るジャンプシートに私を座らせると後ろの座席へ走って行った。

うわぁ〜これが噂のオーバーブッキング? チェックインカウンターで搭乗券貰えたら安心出来ると思ったけどそうじゃないんだなぁと早めにチェックイン済ませた客が多い事に今頃納得した私。こりゃ次の便に乗せられたとして予定の香港便に乗れるかなぁとあれこれ思案を巡らしているとその彼女が戻ってくる。「もう少し待っててね」と私にニッコリするとドア横にいるSQの地上スタッフへ話しかけており、そのスタッフが無線機で問い合わせ始めた。搭乗口前には5名ぐらいのスタッフが集まって話している。えぇ〜どうするんだろう?

まるで相撲の物言いのごとく話が決定したらしく、そのチーフパーサーが申し訳なさそうに言う。
「先ほどは大変失礼いたしました。弊社の手違いでエコノミークラスがオーバーブッキングしておりますので、ビジネスクラスへどうぞ」

やったぁ〜。まるで逆転大ホームラン。大晦日に思わぬかたちでシンガポール航空の初搭乗並びに初ビジネスクラス体験、初オーバーブッキングという初物づくしとなったわけである。いやはやこんな事ならTシャツじゃなくてちゃんとしたジャケットを持って来れば良かったのにな、と思ったほどで周りは明らかに客層が違うから、何とも申し訳ない気分である。

気が付くと滑走路21Rから離陸を始めており、窓からは見慣れたターミナルが見えた。たった一週間程度とはいえ慣れた街を離れる瞬間は寂しさと次の街への不安が入り混じった感情を抱くものだ。タイはまた来たいなと思わせる国であった。

多分シャンパンを飲んだのも、このフライトが初めてで、あまりの美味さに数杯貰ったほどだった。銘柄なんて全然知らなかったから久々に持ち帰ったメニューのワインリストを見たら何と銘柄がテタンジェ! 今の機内ではほぼ飲むことが出来なくなった銘柄だけに驚きだった。機内食の内容はあんまり覚えていないが、英語が殆ど分からなくてカートから4種類のミールを見せて選ばせてくれたのが親切だった。あとは不思議とオレンジジュースが濃厚で美味かったことが記憶に残っている程度である。つまり初めてのビジネスクラスで緊張したというのが事実だった。後にも先にもこんな美味しい思いをすることもなく、5年前のチューリッヒ空港で本当に危うく乗れなさそうになったことを思えば、早めのチェックインをするように心がけている。

こんな夢のような2時間のフライトはあっという間に過ぎて、既に熱帯雨林らしい土地が窓から見えてくる。窓には雨粒が叩きつけてくるのが聞こえてくるほどで、シンガポール・チャンギ国際空港の滑走路02Rへ無事着陸する。さぁシンガポールではどんな飛行機が撮れるか楽しみで香港行きSQ002便の搭乗まで約5時間あまりゆっくりするとしよう。

このモデルはドラゴンモデルで1/400。シップナンバーは9V-STQでこのモデルは翼端にウィングチップが装備された長距離型A310-300をモデル化しています。ちなみに私が搭乗したA310-200はそのウィングチップが装備されていない中距離型でボーイング777-200ERに変わるまでは主に東南アジア内の主力機種として就航していました。

さて次は憧れの香港初上陸!そしてついに私のダイスキ!な飛行機とご対面することに…。

では来週もお楽しみに。

Mattari

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初バンコクの記憶

寒中見舞い申し上げます!
旧年中はエアインディアの記事を書いて、そのまま年末年始のお休みを頂いたので読者の皆様へご挨拶も出来ず失礼致しました。
今年も継続して色々と楽しい記事が書けたらいいなと思います。本年も宜しくお願い申し上げます。
第15回目は前回の続編で、バンコク旅行記です。

ダイキャスト・プレーン

エアインディア機がバンコク・ドンムアン国際空港へ到着する。機内から出た途端、一気に強烈な熱気の洗礼を顔に受ける。もう既に日も沈んで涼しくなってもいいのに、この街は別のようで機内放送では30度と言ってたほどだ。ターミナル内はエアコンで涼しいが、かび臭さを感じながら無事入国スタンプが押される。出口から俄かに騒々しい声がする。そうアジア名物客引きのお出迎えである(笑)。ツアーの出迎えで名前の看板が山ほど出ているが、それ以外はホテルやタクシーの客引きばかり。さっそく客引きがやってくるが無視する。こっちは少ないお金でやりくりしなきゃいけないから、すぐ地元銀行へ行ってトラベラーズチェックで現地通貨に両替する。生まれて初めて使うトラベラーズチェックに慣れない英文のサインをするとガラスの仕切りの向こうから、何とかタイ国王肖像の紙幣の束とコインが出てきた。

しつこい連中を煙に巻き、空港に隣接した駅へ辿り着くと3等10バーツ(92年当時で約50円)のファランポーン(バンコク中央)駅までの切符を買う。今時珍しい硬い厚紙を使った硬券と呼ばれる切符で、20分ほどして黄色い機関車に引かれた列車がやってくる。3等車は木製の椅子で、天井にはプロペラ剥き出しの扇風機がブンブン回っている。白熱電球の薄暗さが妙に懐かしさを誘う。車内は通勤ラッシュとは逆方向になるからか、わりと空いていて窓から入る風も気持ち良い。窓からはちょうど家族で食事中の光景がよく見え、賑やかな都会へ入ったと思ったら列車が終点に着いたようだ。列車を降りてホームに立つとディーゼル機関車のエンジン音と乗客の喧騒が入り交じったノイズが軽いめまいを感じさせる。まるで上野駅のようで実際タイ東北地方からの長距離列車も多いという。

駅の中を歩いていると、さっき乗ってきたエアインディア機の乗客、S氏を見つける。ひと際目立ったバッグパックを
背負っていて記憶に残っていたので話しかけてみる。するとこれから安宿へ行くので一緒に行きませんかと言われた。まあ特に泊まる場所も決めていなかったので、付いていくことにした。その宿は有名なガイドブックに載っているところらしく、面白かったのはその駅から道中にその安宿の小さな看板が矢印付きで出てたこと。お陰で迷うことなく、TT2ゲストハウスと呼ばれる安宿へ着く。受付のお姉ちゃんは眠そうな顔で出て来た。部屋はひとつ空いていてツインで160バーツ(約800円)というので、そのS氏と一緒にシェアする事にした。お陰で一泊400円で済むからお互いに助かった。部屋に荷物を置くとさっき通りがかった屋台でバーミーナムと呼ばれるラーメンを啜る。大抵この手の屋台は数種の調味料が揃っており、タイの醤油である魚醤のナンプラーや砂糖、プリッキヌーと呼ばれる唐辛子の粉、味の素などを混ぜ、好みの味にするのだ。米粉で出来た麺だったのか不思議と腹持ちもよく落ち着くと、部屋へ帰って眠る。

翌日朝早く起きると、宿近くの屋台で野菜のぶっ掛け飯を食べる。やはり唐辛子が辛い! でも同時に目が覚めるような気もするから面白いものだ。昨日来た道を引き返して歩いて行くと見慣れた駅が見えて、英語が通じる切符売り場のお姉さんのところに並び、3等10バーツ、バンコク空港の切符を買う。もちろん目的はドンムアン空港で飛行機を撮影することだ。約40分ほどで辿り着き空港ターミナル直通の通路を通っていく。最上階には地元のTG直営レストランがあり、ターミナル両脇に小さいながらガラス張りで飛行機が撮影出来る場所があった。まあ色んな人間が居るからカメラを大ぴらに見せないようにして撮影を続けた。
バンコクは昔から東洋の十字路と呼ばれるほど乗り入れ航空会社が多い。大抵順光になる昼前から午後の5時間ほどでも日本では撮影出来ない東欧系や中東系の珍しい飛行機が多くてフィルムがどんどん無くなっていく。特に撮りたいと思っていたのがロイヤルヨルダン航空のトライスター500だ。チャコールグレーのボディに金色の帯が入り、尾翼には王冠とワンポイントに赤い塗装が入った中東系にしては垢抜けた塗装だった。東欧系では既にボーイング767を使った航空会社も多いなかタロムルーマニア航空はボーイング707に新塗装を施して最後まで使用していたのが驚きであった。当時のベトナム航空は今と違ってロシア製ジェット機ツボレフTU-134をバンコク線に就航させていて、便数も多かったのが印象的だ。そういえば同じ宿に泊まってる日本人はベトナムやカンボジアへ行く人も多かったな。

ある日こんな事もあった。いつもと同じように空港へ向かおうと駅で切符を買い、列車に乗ったのは良かったが、何と列車は途中で鉄橋を渡った別の線路へ入っていく。明らかに空港とは別の方向だったので、慌てて次に着いた駅で降りた。駅員に切符を見せると大爆笑される。次の列車は何時か身振り手振りで聞いてみると、駅長が言うには何と夕方まで列車がないという! 気が付くと暇そうな近所の住人が集まってきて、駅長が何かみんなに声を掛けている。しばらくして一台のサムロー(ミゼットの3輪タクシー)がトロトロやってくる。一人の男がわかりやすい英語で、このおばはんがちょうどバンコク駅近くの市場へ行くから一緒に便乗したらいいと言われた。乗せてもらうと、ほどなくしてそのおばはんがやって来て大きな荷物をその後部座席横に乗せる。よく見ると大きな「味の素」の白い袋が3袋! さらに大量のパクチー(レモングラス)などの野菜を満載し、そのおばはんも乗ると出発! 思ったより加速が良くて、結構スピードも出るのが意外だ。運転手の親父はタイ東北地方出身なのかラジオからルークトゥンと呼ばれるタイの演歌が流れている。その鼻歌を歌いながら車線を無視してクラクション鳴らしながら、車の間を巧みにすり抜けて走っていく。スリル満点な親父のドライビングテクニックは下手なジェットコースターよりも面白い。約20分ほどであっという間にバンコク・トンブリー地区の駅に到着した。サムローの料金はおばはんと折半したから思ったほど掛からず、50バーツ程度で済んだのが助かった。その後、私が泊まっていう宿がある対岸へ渡るためにチャオプラヤー川を走るチャオプラヤーエクスプレスという水上バスに乗って宿へ戻ったのである。何ともタイ人の優しさが身に沁みた瞬間であった。

今回はバンコク・ドンムアンで撮影した飛行機の中で一番印象深いものとして、ロイヤルヨルダン航空のトライスター500を紹介したい。このモデルはブルーボックス製の1/400。シップナンバーはJY-AGEで長距離型として作られたトライスター500型をモデル化している。ロイヤルヨルダン航空はよく塗装を変えたことで有名でトライスターでもこの塗装を含め約3回あまり変わっている。だがこの塗装は気に入ったらしく、これ以降は一部赤いラインを少し追加した程度で殆ど変わっていない。さすがJALといった多くの大手航空会社CIデザインを手掛ける有名な米国ランドー・アソシエイツ社ならではの完成度の高さが伺える。

楽しかったバンコクでの滞在も終え、翌朝一番のシンガポール行きSQ69便に乗って香港行きSQ002便へ乗り継ぐ。だが!その時にはハプニングが待ち構えているとは予想だにしなかったのである。そのハプニングとは…次週へ続く!

では来週もお楽しみに…。

Mattari

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クリスマス、年末年始の思い出

航空会社は1年365日休みなしですので、クリスマス・シーズン、年末年始に仕事をするのは当たり前の事となっています。

元旦と言えば初日の出。この初日の出を二度拝める場合があるのです。
まず元旦の朝、普段通り地上から初日の出を迎えた後、日本から東へ米国方面へと向かいますと、日付変更線を越える事になります。やがて夜になりますが、その後やって来る日の出は、再び元旦の初日の出なのです。

あまり年末年始の仕事をしておりませんが(いつも休みを取ってますので)、クリスマス・シーズンの泊まりは何回か経験しました。
パリのエッフェル塔。クリスマスから年末年始にかけて、日没後の正時になりますと、塔全体がストロボ・ライトの閃光に包まれるのです。当時宿泊していたコンコルド・ラファイエットの部屋からの眺め。

クリスマスと言えばバーゲン・セール。これって女性の願望かしら?

FD

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エアインディアに乗った旅の記憶

まだ学生だった頃の12月23日。
初めてひとりで海外旅行で東南アジアを周遊するためバッグパックを担いで成田から出国した。
その当時は飛行機撮影が好きで、海外で色々と珍しい飛行機を撮りたい気持ちがあった。更に当時から評判が良かったシンガポール航空に乗ってみたかった。

インターネットもない当時は手間もかかったが、既に海外発の格安航空券を買うノウハウを載せた雑誌も多く出版されていた。そんな雑誌を読んでいるうちに旅をしたい気持ちが高まった。バンコク発の航空券だと、繁忙期でも途中シンガポール経由で香港や台北を周遊し日本へ帰国出来るシンガポール航空の航空券が安く買えた。航空券を買うために旅慣れた大学生に文章を英訳して貰い、航空券予約のファックスを送る。当然まだ学生だった私にはカードなんて洒落たモノもなかったから、バンコク銀行宛で送金小切手を地元銀行で作って書留で送る。
その後、まだ行ったこともないタイの旅行代理店から届いた、DHLのビニール封筒から出てきた航空券を見た時は、手間が掛かっただけにとても嬉しく感じたものだ。
第14回目は初めて乗った外資系、エアインディアのお話です。

ダイキャスト:エアインディア

上記の航空券はバンコク発であるから、当然東京〜バンコク間の航空券が必要になる。当時よく呑みに行った喫茶店のマスターがかなりの旅行好きで、話もごく自然と「航空券も安く手配出来るけどどう?」と聞かれる。スケジュールを調べてみると当時東京〜バンコク間を週2便運航していた夕方到着のエアインディアが取れるというので、それに決めた。今は殆どイーチケットになったから、こんなチケットは見たことない方も多いかも知れませんね。下記の航空券がその当時エアインディアに乗った時のもので、上がその表紙、下がその航空券の控えです。赤いカーボンのチケットも珍しくなりましたね。搭乗券はバンコクの空港で回収されたので手元に残っていませんが、JALハンドリングのフォーマットを使っていたのを覚えています。

ダイキャスト:エアインディア

今はもうないけど、私が旅行した90年代は東京〜バンコク間では格安御三家と呼ばれたエジプト航空、パキスタン航空、そしてエアインディアの3社が貧乏旅行者にとって人気航空会社であった。1年オープン等の日時変更可能な航空券が安かったからだ。その後トルコ航空やオリンピック航空、ビーマン・バングラデッシュ航空が参入して賑やかになったが今は殆どが直行便化され、路線のリストラで撤退を余儀なくされた航空会社もあった。

確かあの当時は92年冬で成田の第2ターミナルが華々しく開業したばかりであった。当時東北に住んでいた私は成田空港行きの夜行バスに乗って朝早く到着。当然展望デッキで早朝にやってくる珍しいカンタスやUTAなど撮影をしているとチェックイン開始の10時になった。それにしても学生の列が多い。職員がまだ慣れていないのか、金属探知機を通してチェックインカウンターへ入るのはわかるが、行列がすぐ出来るのが難点。やっとチェックインカウンターへ辿り着くが好みの窓側は既にないと言われ、泣く泣く通路側を選択。まあトイレへ出たりするには何かと便利だが。

推測ではあるが非常口座席などはインド人乗客が殆ど乗っていたから、最終目的地であるインドまでの乗客へ優先的に割り振られていたようだ。

新しい空港内をウロウロすると、まだ出来たばかりの新しい建物の匂いがした。ゲート番号を見るとE70と搭乗券には書かれていた。成田空港を利用する旅慣れた方ならご存知だろうが、俗に言うバス移動用ゲートなのである。私は過去KLMに乗る時にも同じゲートから出たことがあった。結構このバス移動も満員電車並みで詰め込まれるのが難点だが、バスから飛行機を撮影出来るチャンスなので嬉々して乗り込んだものだ。
それにしても、このエアインディアは物々しい。何と金属探知機を通してあるのに、再び機内持込手荷物のオープンチェックがあって面食らう。大昔に大西洋飛行中のジャンボが爆破されたという教訓から厳しいチェックが入るのも納得だが、これが出発遅れの元凶であるように思える。

割と長い時間を移動し、沖止めのスポットで303番へ到着。貨物機などが使うスポットだが、サテライトが埋まる時間帯だとこうやって沖止めから出発する便も珍しくない。無数に並ぶジャンボの窓枠には、赤い帯に風の宮殿ハワマハールのシルエットが象られている。エンジンにはエアインディアのロゴマークであるスピード感溢れるケンタウルスのマークが塗装されていた。これから搭乗する飛行機を身近に見ながら、タラップから搭乗すると何故か得した気分で妙にワクワクするから不思議である。シップレジはVT-EFJでボーイング747-237Bと呼ばれる標準的なタイプ。

当時の記録によるとスポットを離れた時間が定刻12時30分に対して12時55分。離陸が13時08分だったから割と遅れた印象は少ない。高度は35000フィートで速度はマッハ0.84と書いてある。機内を見回すとやはり、同じようなバッグパッカーの日本人学生とインド人の半々といった感じだろうか。乗客数も392席に対して約300人ほど乗っている。私の隣の学生グループもバンコクで一泊後ネパールのカトマンズまで行くと言ってたっけ。機内の音楽もシタールなどのインド音楽が中心。でも割と良かったりするから面白い。映画は主にインド映画が中心の内容であった。

私の座席は当時の記録で50Gと呼ばれる後方の座席。ギャレーが近いから食欲をそそる匂いがする。当時のメニューが、メインは若鶏のコルマとピラフ、または海老の天ぷらとフライヌードルといった内容。当然私は本場のインド料理を食べてみたいと思ったので、若鶏のコルマにしてみた。味は確かに辛いけど美味い!初めて食べた本格的なインド料理であった。さすがインド人シェフが定期的に味のチェックを入れているというのは間違いないと思ったものだ。インドは禁酒国だからかアルコールは日本やハイネケン程度のビールしか見かけなくて、機内乗務員が確か500円程度で販売していたのを思い出す。

ダイキャスト:エアインディア

翼を入れた空の写真を撮ることが多いが、赤い文字でシップレジが見えると記録性が高まって好きだ。当時のフライト記録を見ると成田から串本、鹿児島、ルートA1経由で台北へ入り、香港、ダナン上空を経由してバンコクへ入ったのがわかる。操縦席への見学は無理だったとはいえ、たった一人日本人スチュワーデスが乗務していてフライトの記録を機長へ渡してほしいとお願いすると、機長が結構詳しく書いてくれたらしく、クルーのネームリストもしっかり書いてあった。機内サービスの総責任者であるインフライトスーパーバイザーを筆頭に、フライトパーサーとアシスタントフライトパーサーがそれぞれ4名、呼び名も懐かしさを感じるエアーホステスが9名の計18名が乗務している事もわかる。熱心な航空ファンとわかってくれたのか貴重なトランプと絵葉書を頂けたのも嬉しかった。印刷の質はあまり良くないが、貴重なコレクションであり今でも大事に残してある。

ダイキャスト:エアインディア

夕陽も沈み、空も徐々に夜の帳へ染まっていくと、ベトナムのダナン上空を超えて、タイ領空へ入ったようだ。既にフライトタイムももうすぐ7時間あまりを超えようとしている。着陸はほぼ北側の21Lへ向かい、高度をさらに降下させていく。離れた窓から微かながら街の灯りが徐々に見えてくる。タイ空軍のハンガーを横目に見ながら、軽い着陸のショックとともに強力なJT9Dエンジンの出力がリバーサーによって大きな音と共に消えてゆく。約7時間12分あまりのフライトを終えて、隣の滑走路を越えていくと32番スポットへ入っていく。

その時ウォークマンで聴いていたのが、山下達郎のアルバム曲で夜翔(Night-Fly)だった。そのためこの曲を聴くと
初めてひとりで海外へ飛んで、初上陸のバンコク・ドンムアン国際空港へ着陸する時の不安さとワクワクする感情が入り混じったあの日の着陸を未だ思い出すのである。

モデルメーカーはビッグバードで1/400。シップレジはVT-EBNでこの塗装はジャンボ機が就航した1970年代から採用されたもの。就航当時はアッパーデッキがラウンジの設定だったので窓が3つだった。その後座席が設置されて客室へ変わったので窓が増加している。日本線では長いこと就航していたので馴染み深かった存在でもあり、珍しいところでは新千歳からチャーター便が運航された例もあるほどだ。

もう少し、この遠い旅の記憶を書き綴っていきたいと思っております。

では来週もお楽しみに…。

Mattari

アエロフロートIL-62Mで飛ぶシベリア航路<後編>

自分なりに調べた情報を速報として発信することが増えて嬉しく思います。まあもっともフィリピン航空777-300ERが予定どおり成田へやってくるかどうかはドキドキものですが(笑)。先週発信の第12回目アエロフロートIL-86で飛ぶシベリア航路<前編>をまだご覧でない方はこちらも併せてお楽しみ下さい!
第13回目は一時帰国で搭乗したアエロフロートのお話<後編>です。

モスクワの空港内で撮影された画像をネットで探してみた。私がフライトを乗り継いだシェレメーチエヴォ2と呼ばれるターミナルも、14年あまり経った今も殆ど変わっていない事に驚いてしまった。当時の空港の様子を撮影する事も出来なかったがそのサイトを見ていると狭い通路や寒々としたプラスチックの椅子など、徐々に当時の記憶が蘇ってくるから不思議である。もっとも先月から新ターミナルのシェレメーチエヴォ3が出来て、去年はアクセス鉄道も開通したのでやっと欧州並みの空港機能が確保されたようだ。

アエロフロートIL-62M

「SU587便東京行き搭乗開始します!」例のロシア訛りの英語アナウンスが流れる。搭乗するのは旧ソビエト時代に作られた長距離旅客機であるイリューシンIL-62MでシップナンバーはRA-86520。通路が一本のみのナローボディと呼ばれる胴体は短距離路線のボーイング737ぐらいしか縁がない。それを思うとこの機体がこれから9時間を越える長距離を飛ぶのが信じられなかった。あとで調べるとまだ作られて10年程度の機体でだった。当時のフライト記録を見ると定刻が20時05分、実際に駐機場を離れたのが20時40分になっていたから35分遅れ。滑走路を離れたのが更に20分後の21時ちょうどだった。

例の東京行き第1便目のエアバス機が満席だったらしく、このSU587便は定員132席に対して何とたったの35名!はじめは指定された座席に座っていたけど、スチュワーデスよりも保安要員と呼ぶほうが相応しい彼女たちが「今日は空いてるから好きな座席へ移ってね!」と機内で叫ぶ。おかげでそれぞれの乗客が窓側で横3席を独占出来て肘掛けを跳ね上げて横になれるからみんな大喜び。当時各社で流行っていたFクラスのスリーパーシートを文字ってエコノミースリーパーと呼んだものである。乗客の客層も前便のロンドン〜モスクワ線は欧米系やロシア人が多かったが、モスクワ〜東京線は私のような日本人学生が殆どで、割と女性のバックパッカーも見かけた。

IL-86と同じエンジンを装備しているIL-62Mも乗客数が通常より少ないせいか、4発のソロビヨフエンジンが爆音を響かせながらも軽やかに凍て付いた滑走路を離陸していく。アエロフロートの離着陸時は窓のシェードを閉めてくれという話もよく聞いたが、このフライトでは特に何も言われず、好きなだけ空港の風景を眺める事が出来た。窓からはオレンジ色の街灯がポツポツと見え、暖房の煙が立ち昇る社会主義時代の遺産ともいえるコンクリートの大きなアパートがたくさん並ぶ。案外アエロフロートや空港関係者の社宅だったりして。

ギャレーからは食事の準備が進んでいるらしくいい匂いがする。メインディッシュは選択の余地がなく、ロシア風カツレツのみだった。でも今まで食べた各社の機内食と比べても美味しくて驚いた。さっきと同じだが赤ワインを少しずつ呑みながら、窓に目をやると月明かりが翼に反射していい感じだ。時折真っ黒な大地にポツポツながらも小さな明かりを灯した集落が見える。あんな寒い土地ではどんな人たちが生活しているのか気になってしまう。

実は食事を終えた後、担当のスチュワーデスに操縦席の見学とフライトレコードをパイロットへ渡して貰えるようにお願いしておいた。程なくして消灯の時間で暗くなった頃に、スチュワーデスから操縦席の見学をどうぞと声を掛けられる。なかなか気が利いていいなと思った瞬間であった。写真撮影は不可だったが、ロシア機のコックピットは初めてなのでドキドキものだ。スチュワーデスに案内されてコックピットに入れてもらうと航空機関士が出迎えてくれた。貰ったサインには機長が2名、航空機関士、通信士、航法士が各1名で5名分が記入されていた。5人全員が交代なしで9時間飛びっぱなしというから驚きであった。青緑色のパネルはIL-86と同じようにメカの塊といった感じで興味深い。

航空機関士がFEパネルの座席に座らせてくれて、ジェプセンのチャートを使ってフライトルートを説明してくれた。私はいつも彼らへの定番おみやげで自分が撮影した搭乗する飛行機の写真をあげることにしている。ロンドンで撮影したロシア政府のIL-62Mを5枚プレゼントだと言って差し出すと彼らは大喜びしてくれた。割と自分の操縦している飛行機の写真って持っていないのか殆どのパイロットは喜んで貰ってくれるから嬉しい。

そのうちの一人の機長が、「この写真は君が撮ったの?」と英語で聞いてくる。そうだと返事すると意外な答えが戻ってくる。「それなら自分のサインを後ろに書いた方がいいね」と言われる。5枚とも日本語と英文でサインを書き込むと、なぜか「日本語でHappy New Yearはどう言うんだ?」と聞かれる。あけましておめでとうと言う事を教えると、紙に書いてほしいと言われる。ローマ字で書いてあげると発音の仕方を聞かれて、私がゆっくり話してみると、彼らも上手に真似するから面白い。多分新年に日本へ飛ぶだろうから航空管制官や地上職員向けにネタとして仕入れているのだろうと思うと日本人として嬉しい。

そんな暖かな空の男たちの城を後にして、しばし下手なファーストクラスより快適な”エコノミースリーパー”で毛布に包まって休むことにする。ロシア製の飛行機の座席は背もたれが前に倒れるので前席に乗客がいない座席を倒し、足載せにして休んでいる乗客もいる。

アエロフロートIL-62M

あまり眠れなかったが、気がつくと窓から朝日が見える。こりゃエンジンに朝日が当たっていると思って空いてる座席から撮影すると思ったよりも赤く染まったジュラルミンのエンジンがいい感じに撮れて嬉しかった。凍て付いた大地から川がよく見える。後ほど地図帳で調べてみるとその地図と同じように川の形が見えるから面白いものだ。日本をいつからそういうのかわからないけど、「日出ずる国」とはうまく表現しているものだと思ったものである。

いい匂いがギャレーから流れてくると思えば朝食で今度は暖かいオムレツ。なぜか過去に学校で習ったコルホーズとソフホーズという言葉を思い出し、これも自国の畜産レベルを誇示するかのように美味い。ロシア定番の酸味ある黒パンがよく合うから不思議である。機内が乾燥しているからかミルクティーがとても美味い。

アエロフロートIL-62M

こんな山々が見えて青空が広がるようになると、そろそろハバロフスク上空に入ってシベリア大陸とはお別れである。程なくして日本海が見えてくるとすぐ新潟の上空へ入る。なんとも日本の上空へ入る瞬間はいつもながら不思議な気持ちになるものだ。日本も雪化粧している山が増えているが、ゴルフ場がよく見えてくるとやはり日本へ帰って来た気がする。高度がかなり下がってくるといつも5連打のチャイムが鳴り、成田空港着陸間近とシートベルトの装着を告げる英語のアナウンスが聞こえてくる。滑走路の向きを見ていると空港ホテルと貨物地区が見えてきているから、北側のランウェイ16からアプローチしているのがわかる。少し強めのショックの着陸は常に凍った滑走路を意識しているせいだろうか。定刻より約40分ほど遅れて成田空港へ到着。約9時間あまりのフライトは離れるには名残惜しいものを感じながら機を後にした。

この記事は1995年当時のアエロフロート機内の様子書いたものです。現在のアエロフロートはロシア製旅客機の割合を減らし、殆どが欧州製の最新鋭エアバスA330やA320などを使用しています。座席やサービスも更に快適なものへ変わっています。その後翌年1月に成田からモスクワ経由でロンドンへ戻る時に乗ったエアバスA310-300は欧州製がゆえ安全性は高いし静かでしたが、不思議と無味無臭な味気なさを感じました。やはりモスクワ〜東京間の5人のパイロットや5人のスチュワーデスたちと色々お話したり、小さな飛行機で乗客が少ないがゆえに余裕あるサービスを受けることが出来たのが大きいのかも知れません。

モデルメーカーはジェミニジェッツで1/400。シップナンバーはRA-86533。私が乗った時は尾翼がグレーに塗られてロシア国旗が見えていました。これもロシア籍へ変わった直後のIL-62Mがモデル化されています。IL-62Mは割りと根強いファンも多く、売切れになることが多いモデルです。運良く売れ残っているモデルがあれば買っておくのもいいと思います。一度空港で見かけると鈍重なワイドボディ機が幅を利かせている今時の空港においてはとても新鮮に映ることうけあいで、一目ぼれする航空ファンも多いんですよ。

では来週もお楽しみに…。

Mattari

ファースト・クラスへのご招待

皆様を、-400のファースト・クラスへとご案内いたします。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

ファースト・クラスのシート、SF映画に出てくる生命維持カプセルのようですが、一人旅の乗客には好評かもしれませんが、片時も離れたくない?カップルには不評かも。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

まずはビールと軽いおつまみをどうぞ。本日は和食のご提供となります。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

前菜は、巻き海老黄味寿司、鮭燻製かぶら巻き、焼き唐寿美、いかいくら和え酢橘釜盛り、あなご昆布巻き、
柚べし、鶏ささみ幽庵焼き。お飲みものは「加賀鳶」をご用意いたしました。
お料理は懐石料理の名門、「辻留」の監修によるお献立となっております。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

お造りは、天然鯛平造りの昆布〆

FD機長の操縦するチャーター便の旅

煮物椀は、伊勢海老真丈、長ひじき、柚子。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

主菜は、御飯(北海道産ゆめぴりか)、ぶり腹身の付け焼き、酢の物(蟹とちしゃとうの生姜酢和え)、
蒸し物(寸巻き海老とあなごのかぶら蒸し銀餡掛け)、味噌汁、香の物となります。
この後、デザートと温かいお飲みものは如何でしょうか?
本日は、ボーイング747-400のファースト・クラスをご利用いただきまして、ありがとうございました。

FD機長の操縦するチャーター便の旅

ご搭乗の皆様こんにちは、操縦室より機長のFDがご案内申し上げます。
本日もANA205便、パリ・シャルルドゴール空港行きをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
これからの飛行につきまして、簡単にご説明を申し上げます。
飛行機は成田空港を12時15分に離陸し、ただいま日本海上空を高度9600メーター、対地速度900キロメーターで順調に飛行中でございます。これよりシベリア上空からバルト海上空を経まして、皆様の目的地シャルルドゴール空港には現地時間16時25分に到着する予定でございます。シャルルドゴール空港までの航路上の天候は良好であり、現在のシャルルドゴール空港の天候は晴れ、気温は摂氏10度と報告されております。
狭い機内ではございますが、ごゆっくりとおくつろぎ下さいますよう、お願い申し上げます。

Good afternoon ladies and gentlemen.
Welcome aboard ANA flight 205 bound for Paris Charles de Gaulle airport.
this is captain FD speaking. I would like you to know a bit about today’s flight.
We took off Narita airport at 1215, and We are now flying over Nippon sea at an altitude of 9600 meter and at a ground speed of 900 kilometer par hour.
Our planned route will take us over Siberia, and Baltic sea.
Our estimated time of arrival for Charles de Gaulle airport is 1625 local time.
Generally speaking, weather enroute is good. We expect smooth skies all the way to Charles de Gaulle airport.
At the present time, weather in paris is fine, with a temperature of 10 degreesCentigrade.
We hope you will make yourselves comfortable and enjoy your flight to Charles de Gaulle airport.
Thank you.

FD

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アエロフロートIL-86で飛ぶシベリア航路<前編>

ある日、ちょっと部屋を整理していると昔の見覚えある水色のチケットが出てきた。日本へ一時帰国の際に好奇心で乗ったあのロシアのアエロフロートだ。
14年ほど前アルバイトで貯めた金と親から少し借りて語学学生としてロンドンに住んでいた時期があった。学校はあまり楽しくなかったが週末は別で、当然毎週ヒースロー空港などへ各国の飛行機を撮りに通った。特に現地の航空ファンと片言の英語で情報交換している時が一番楽しく英語の勉強になったように思う。
今回は1995年冬に搭乗した前編のロンドン〜モスクワ線と後編のモスクワ〜東京線に分けて書きたいと思います。第12回目は一時帰国で搭乗したアエロフロートのお話<前編>です。

ダイキャストプレーン:アエロフロートIL-86

あの当時、現地の英語検定試験を受けるため、私は学校の特別クラスに入って対策の授業を受けていた。
しかし空港へ行く事は極端に減らしていたので、気がつくとストレス性の下痢が約数ヶ月あまり続いていた。現地日系病院の医師から、ストレスが原因だから空港通いを再開するか、日本へ年末一時帰国してみてはどうですか? と言われる。でも試験直前まで、何とか缶詰になって勉強を続けたけど散々な結果に…。
気落ちしていると、久々に両親から手紙が届き、たまには日本へ戻って来いと書いてある。幸い当時アエロフロートのチケットが往復473ポンド(当時のレートで約7万円以下)だったので日本路線から撤退間近のロシア機に乗ってみたい好奇心が勝って数日後には機上の人となった。

ダイキャストプレーン:アエロフロートIL-86

私が乗ったのはロシア製エアバスの(!?)SU248便のイリューシンIL-86。その飛行機がヒースローの約3900m滑走路をギリギリまで滑走。オーバーランするんじゃないか? 危ない! と思った瞬間、地上を離れた。
そう! このIL-86はエンジンが4発もあるくせに、ヒースローほど長い滑走路を目一杯滑走しないと離陸出来ないほど非力なのだ。唯一350人もの大人数を乗せて飛ぶという命題で作られたとはいえ4500キロ程度を飛ぶのが精一杯。そのためヨーロッパ線の大量輸送用でよく使われた飛行機である。乗ったシップナンバーはRA-86054で後に福岡へロシア選手団のチャーター便で飛来歴が残っている。

ちらっとしか見ていないが、このイリューシンIL-86には大きな特徴が2つある。
下へ降りる階段があり、何かと思えば荷物置場があった。天井の真ん中にはハットラックがなくて、それを補う物であろう。このIL-86はタラップすらない空港でも乗客の乗降が出来るよう短いタラップが貨物室内に内蔵されているから、その荷物置場へ荷物を置いて客室に上がる方法も取っていたそうだ。

食事はごく普通の内容だ。お酒はロシアだけにウォッカぐらいしかないかなと思っていたら、赤ワインもあるという。早速頼んでみると、小瓶ながらリオハの赤ワインが出て来て意外さを感じる。お酒が有料という話を聞いていたが無料に変わっていた。さすがに諸先輩から聞いていた大昔のYクラスですらサービスされたというロシア名物のキャビアはなかった。確かこの当時は西側のケータリング会社がアエロフロートのケータリング会社へ技術指導をスタートしていたから既にその成果が表れたのだろう。

約3時間ほどでモスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港へ着陸した瞬間に乗客のみんなが拍手大喝采だった(笑)
やはりアエロフロートに乗るとこういった場面に遭遇するという、この噂は本当だったんだなと実感する。到着後操縦席の扉が開いていたので、パイロットに頼んでコックピットを撮らせて貰う。青緑色のパネルが印象的なメカニカルなコックピットであった。下記の写真で左側がIL-86のコックピットで右側が私の座っていた非常口座席から撮った翼の写真。爆音は一人前にうるさいのに細くて頼りないのがよくわかると思います(笑)

ダイキャストプレーン:アエロフロートIL-86

凍てついた大地に包まれたこの空港は1995年当時は電力事情が良くない事もあって、薄暗くて天井も何故か低くて圧迫感を感じた。唯一あの玉ねぎの形に似たクレムリンを看板とした免税店のみが煌々と明るく、アエロフロートのグッズを探そうと入ってみるがあるのは、当時流行のゴルバチョフのマトリョーシカ人形やキャビアやウォッカなどのお土産品がある程度だった。あとは何故か日本食レストランも見かけたように記憶しているが、営業しているようには見えなかった。

駐機している飛行機も旧ソビエト製のイリューシンやツポレフがちらほら見えるほどだが、銃を持った警備兵がウロウロしているので写真撮影も出来るような状態ではなかった。1992年頃からアエロフロートも欧州製エアバスA310-300を就航させていて、フライトは満席の便が多かった。当日私が乗り継ぐ東京行きは2便あり、1便目のA310-300の便は予約すら入らず、2便目の上記のIL-62Mで運航される便ですらキャンセル待ちを入れたほどだった。

トイレに入ると掃除中だったらしく、掃除のおばちゃんにロシア語で怒鳴られる(笑)。
ペレストロイカとは程遠いなと思った瞬間であった。ちょっと気の抜けた目覚まし時計のアラームみたいな音が天井のスピーカーから鳴ると、ロシア語のアナウンスのあとロシア訛りの英語アナウンスが聞こえてきた。よく聞いていると私のフライトが少し遅れると言っている。近くのアエロフロートの乗継カウンターでは乗継出来なかったのか、延々と怒鳴り散らす客を見るとちょっと不安になる。さぁもうひと回り空港内をグルグルしてくるとしよう。

モデルメーカーはジェミニジェッツで1/400。シップナンバーがRA-86015とロシア籍に変わった頃のIL-86をモデル化されています。実はこのモデル、まだ11月末に出たばかりの新作なんですが、アメリカなどでは既に売切れの店も続出するほどの人気モデルと化しているようです。過去他メーカーから同機種が販売されたけど、マイナーな航空会社であまり売れなかったかも。でもここはさすがジェミニ! 航空ファンが欲しがりそうな飛行機のつぼを得ているなと思ったほどです。初リリースモデルのわりに胴体の形も申し分なく、塗装もなかなかいい感じで仕上がっています。とにかく見つけたら即買い! といってもいいほど出来の良いモデルだと思います。

では来週もお楽しみに…。

Mattari

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遙か地上を眺めてみれば・・・

空を飛び始めて三十数年、秘蔵の写真?を少しずつご紹介して行きたいと思っております。

シベリア・ミールヌイの穴

シベリア・ミールヌイにある巨大な穴。周りの建物や滑走路と比較すると、その巨大さが分かりますね。
通常は穴の真上を通過しますので、上手く写真に収めるのが難しかったのですが、この日はルートのショートカット許可が出ましたので、いいアングルでカメラに収める事ができました。
ダイヤモンドの露天掘りをやっているとの話です。

コックピットの景色

時速二千キロのすれ違い!現在はTCASで高度差を確認できますので、安心して撮影する事ができます。

噴煙をあげる浅間山

場所は変わって日本。噴煙を上げる浅間山と、遠くに富士山を望みます。

FD

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JGC修行用航空券にいかが?

JGC? はて? それは何だろうと思いますが、今話題の日本航空が誇るマイレージ上級会員組織JALグローバルクラブのことです。毎年1〜12月の一年間で一定のマイル数やフライト数に達すると一年間JALのラウンジが使えたり、専用カウンターでのチェックインや優先搭乗、マイルが通常より多く加算されたりとメリットがあります。あとは明文化されていませんが、当日Yクラスからビジネスクラスなどへアップグレードされる美味しい話もよく耳にするほど。そんな美味しい話を聞いて人よりも得したい、ただ飛行機に乗るのが好きな航空ファンや旅行好きはいきおいJGC会員を目指すわけです。そのため月に何度もポイントを稼ぐため飛行機に乗りまくることを「修行」と呼ばれています。まあ今のJALの状況を考えるとJGCも消えちゃうんじゃないかと思うかも知れませんが、マイレージサービスは引き続き継続するようです。第11回目はそんなJGC修行用にも使えると思われるお得なビジネスクラス航空券を2種類ご紹介したいと思います。

ブリティッシュエアウェイズ東京〜ロンドン間ビジネスクラス・クラブワールドが諸税別往復22万円より! このショッキングな発表に気づいたのが先週水曜日の記事を発信したあとで発表が遅れてすみませんでした!というのも、この航空券の予約発券受付が2009年12月9日までなので、早めに予約発券を済ませる必要がある航空券だという事をご理解下さい。

一応ブリティッシュエアウェイズの日本サイトでも予約は受け付けているのですが、その往復で22万円になる金額の設定が少ないらしくなかなか安い金額のチケットでは出て来ません。そのため年末年始に関しては追加料金などが掛かる可能性も高いとはいえ、各旅行会社へお問い合わせするのが一番早いかも知れません。

主だった内容としては、有効期限は現地3泊以上最大6ヶ月fixopenと呼ばれる設定が多く、出発日は2010年3月31日まで設定可能。予約変更は現地で復路のみで5万円で日時変更可、ただし払い戻しは不可もしくは15万円のキャンセル料が必要という設定が多いです。予約クラスは各社予約コードを調べてみるとビジネスクラス用サブクラスのIクラスが使われているのがわかります。

このIクラスだとJALのマイレージで加算されるマイルは100%と通常のビジネスクラスよりも25%少ないですが、諸税等を含めても通常より半値以下の25万円代から、あのフルフラットシートを堪能出来ると考えれば無理ないです。さらにロンドンでのストップオーパー(途中降機)も可能で、パリやミラノ、フランクフルトなども同額ですからお得だと思います。

モデルメーカーはジェミニジェッツで1/400、ロールスロイスエンジン装備のボーイング747-400をモデル化。塗装はワールドイメージと称して尾翼に世界各国のアーティストの作品が塗装されていました。この台湾線就航用ブリティッシュアジアエアウェイズ仕様の尾翼にはチェルシーローズと呼ばれるアートが塗装されていました。シップナンバーはG-CIVB。現在の塗装モデルは持っていないのですが、現在の尾翼は英国国旗を模したユニオンジャックの塗装にすべて統一されています。最後にもう一度申しあげますが、この航空券は期間限定で12月9日までの予約発券完了が条件となっておりますのでよろしくお願い申し上げます。

キャセイパシフィックも負けていません!こちらはすべて日本発香港経由で2010年3月末までの設定でそれぞれ諸税別ですが、東南アジアビジネスクラス往復が何と11万円代から! とグッと安くなっています。他にヨーロッパ行きビジネスクラス往復22万円代から、北米行きビジネスクラス往復20万円代から、オセアニア行きビジネスクラス往復18万円代からといった赤札を超えた安さです!

この航空券はキャセイパシフィック航空の子会社キャセイホリデーさんが主に取り扱っています。行き先によって発券条件などの違いはあるとはいえ、成田、名古屋中部、関空、福岡、新千歳発の設定があるのが特徴です。

予約クラスも大半の目的地でIクラスとDクラスの料金が設定されており、予約状況に応じて行きはIクラスの料金、帰りはDクラスの料金で発券することも可能です。現地での予約変更・経路変更などは不可となっており、出発前の発券後の払い戻しはキャンセル料を差し引いた金額が返金されます。ただ出発後の払い戻しやキャンセルは不可となっているのでご注意下さい。アジア屈指の快適な広い香港のラウンジも使うことも可能で香港発の欧米路線などにおいては最新型のフルフラットシートを装備したジャンボ機や写真の777-300ER、A340が就航しています。JALのマイレージではIクラスDクラス共に125%の加算率になっております。仮に成田〜香港〜ニューヨークJFK間をCクラスで往復すると約24750マイルほどになるので、一度の旅行で韓国・中国・グアム、沖縄本島などへのYクラス往復航空券が手に入るのでお得だと思います。

モデルメーカーはPLモデルで1/400、ボーイング777-300ERをモデル化。シップナンバーはB-KPFでアジアワールドシティ特別塗装が施されています。以前はボーイング747-400にも同様の特別塗装が施されていたのですが、この機体と入れ替わるように通常塗装へ変わったのが残念ですね。

先日そのキャセイのビジネスクラスで旅行をして来た人からそのアメニティキットをお土産に貰いました。今はフランスの有名ブランド、アニエス・ベーが担当、化粧品類は他のメーカー品のようです。左が婦人用で右が紳士用です。婦人用は行きと帰りで色違いらしく赤と水色のポーチで、中のアイマスクの裏地も厚手のタオル地で、それぞれポーチの色に合わせてピンクと水色なのもお洒落!紳士用も黒いポーチでトカゲのイラストがセンス良くデザインされています。内容はほぼ同じですが、スキンケアなどの化粧品の内容と女性用のみに入ってる化粧用のコットンやくしの形が違いますね。このアメニティキットは主に欧米線やオセアニア線などの長距離路線のみに提供されているもので、日本線や東南アジア路線などでは配っていないようです。

JGCの修行に限らず、両社は結婚記念の旅行や新婚旅行などに最適な航空券だと思いませんか? 特にこれからのオーストラリアやニュージーランドは最高の季節となりますし、美術館巡りやクリスマス一色のヨーロッパの街も素敵ですね。オーロラ撮影の北欧へも別途航空券を追加すれば割と近いです。安い航空券ゆえ満席の日が多いとはいえ、次回は快適なブリティッシュエアウェイズやキャセイパシフィック航空のビジネスクラスを体験してみては如何でしょうか…。

では来週もお楽しみに…。

Mattari

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台湾がもっと近くなるぞっ!

更新が遅くなってすみません!来年10月からの羽田空港第四滑走路供用開始に伴い、日本と台湾が羽田〜台北松山間の新路線開設を12月に正式合意することが今月23日に決定しました。第10回目はその新路線へ就航すると思われる飛行機を紹介します。

まずその前に、台北松山空港って何だろう? と思う方も多いと思います。台北松山空港は大阪伊丹空港のように台北市内にあり、1979年に台北桃園国際空港が開港するまでは台湾を代表する国際空港でした。勿論羽田へのフライトもあったので、運航再開と言ったほうがいいかも知れません。その後約30年近くは世界最多便数の路線と呼ばれた一日数十便あまり飛ぶ高需要路線台北〜高雄線を抱え、台湾国内線の中心空港として発展しました。

2007年に台湾新幹線が開業してからは、そのマンモス路線も一部の国際線接続便を除けばなくなり、台湾国内線も地方都市への便のみという斜陽の時代を迎えます。しかし2008年には遂に中国本土との直行チャーター便が就航するようになって再び脚光を浴び、現在は上海や広州、青島など中国本土定期便が就航。今年7月には台北地下鉄MRTの路線に空港直結の台北松山空港駅が開業し、より利便性が高まりました。ちなみにこの空港駅から台北駅までの所要時間は、途中のMRT忠孝復興駅での乗換待ち時間を8分だとしてもたったの20分!台北桃園空港から台北駅まで直行バスでも約1時間ほど掛かるのを考えると大きいですね。更に地下鉄の切符も上記区間で片道25台湾ドル(約80円程度)と安いのも魅力です。

台北松山空港の滑走路は2600mあるのでジャンボ機の就航はギリギリ可能ですが、市内にある空港なので騒音問題が悩みの種。そのため現在就航出来る機材も上海航空のボーイング757-200が最大で、大半がボーイング737-800やエアバスA320/321、MD-90などのナローボディ機が中心となっています。今回この路線へ就航する航空会社は日本側がJALとANA、台湾側がチャイナエアラインとエバー航空の合計4社で1日4便が就航することになります。就航機材などはまだ不明ですが、空港の騒音問題を考慮すると恐らく各社とも上記の機種に落ち着くと思われます。

ダイキャストプレーン:JAL

JALは地方路線用にボーイング737-400を就航させていたが、その後継機種としてボーイング737-800が選出され2007年から就航開始。JALエクスプレスとの共用機もあり、国際線仕様と国内線仕様では座席数やトイレの数など異なる。国際線仕様に関してはこの737では珍しく全席MAGIC3のモニターが装備されている。既に関空〜ハノイ間といった飛行時間が5時間を超える中距離路線への就航実績もあり、今後競争が激化するアジア路線において柔軟な路線展開に欠かせない機体として位置づけられている。モデルメーカーはドラゴンモデルで1/400、国内線就航機材であるシップナンバーJA301Jをモデル化。

ダイキャストプレーン:ANA

ANAは日本で一番早く最新型ボーイング737NG(Next Generation)を2005年から就航開始し、ANAグループではこの基本的な700型の他に長距離型の-700ER、胴体延長型の-800が就航中。現時点では-800は国内線のみ就航となるため、既に日韓線などで活躍中のA320が就航するかも知れません。この塗装はボーイング737NG就航を記念してJA01ANとJA02ANの2機のみが銅色に近い金色が施されている。モデルメーカーはフェニックスで1/400、シップナンバーはJA01ANをモデル化。本来は金色のはずだがメーカー側が誤ったらしく、茶色の塗装がされている。しかし割と実機に近い感じがいいので私は気に入っています。

ダイキャストプレーン:チャイナエア

チャイナエアラインのボーイング737-800は広島〜台北線などで定期就航しているが、この機材はどちらかと言うと地方空港発着のチャーター便でお馴染みである。なかには台湾から台湾人観光客を乗せて日本へ飛び、折返し日本からは日本人観光客を乗せて飛ぶカラ便なしのフライトもあるほど。ボーイング737-800の詳しい説明は割愛しますが、この塗装は2006年7月に台北〜新千歳線開設を記念してラベンダー畑のイラストを胴体に施したものです。繁忙期はA330などの大型機へ変更されるほど北海道は人気があるようです。モデルメーカーはフェニックスで1/400、シップナンバーはB-18610をモデル化。

エバー航空はMD-90のモデルを持っていないので今回はなしです、ごめんなさい!羽田空港発着の国際線も航空交渉が進んでシンガポール航空も来年10月就航決定など、昔の羽田空港の賑やかさが戻ってくるようであります。深夜便の充実が高まれば地方からの乗継も楽になるので、今から来年10月が楽しみですね。

では来週もお楽しみに・・。

Mattari

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シミュレータ訓練

半年に一度行われますシミュレータ訓練を受けてきました。
安全運航を守る牙城、訓練センター。

写真は管理棟で、この棟の後ろにシミュレータ棟が連なっていますが、その中には、
DHC-8-400 : 1基
B737-500 : 1基
B737-700 : 2基
A320 : 2基
B767 : 3基
B777 : 2基
B747-400 : 1基
B787 : 1基
のシミュレータが収められています。
-400のシュミレータ、全盛期には3基が設置され、フル稼働で訓練を行っていたのですが、退役機種の悲しさか、
現在は1基のみが稼働しているだけです。

左B747-400、右B787シミュレータ。

今回のシミュレータ訓練のメニューは、
★ 離陸中のエンジン故障による離陸中止。
★ 同じく離陸中のエンジン故障による離陸継続。V1以降は離陸を継続します。
★ エンジン1発不作動のまま羽田へ引き返し、ILSアプローチを行うも、滑走路が視認できず進入復行。
★ 再度ILS進入を行って、なんとか着陸。
★ 性懲りもなく再度離陸して、VOR Rwy 34Lから16Rへのサークリング・アプローチ。

実際にはこんなアプローチを行う事はないのですが、あくまでも訓練と言う事で、上の図のようなコースで
アプローチを行います。
VOR Rwy 34Lの進入コースは木更津VORと羽田VORを結んでおりますので、滑走路に対しては
ややオフセットしたコースとなります。

上図A地点。34Lのアプローチ・ライト、PAPIが見えてきました。ここから右旋回をして、
ダウン・ウインド・レグへと向かいます。高度は730フィート。

B地点から左真横を見た所です。滑走路16Rの末端が真横に来た時、タイム・チェックを行い、
約25秒飛んだ所から滑走路へ向け左旋回を開始します。

C地点。左旋回を続けながら、飛行機を滑走路へと正対させます。

何とか無事に着陸する事ができました。
しかし、これで終わったと思ったら大間違い!再び離陸して34LへのILSアプローチを行うのですが、
ショート・ファイナルでもの凄い乱気流に遭遇するシナリオになっているのです。疲れる〜

そして最後を締めくくるのがエンジン2発不作動。訓練では最悪の事態を想定しますので、片側2発が
止まってしまうのです。片方1発ずつが不作動になるのであれば楽なのですが。

FD

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B'zとミスチルのCDにも・・・。

更新が大変おそくなって申し訳ございません!今日は用事があって近くの大きな街まで出掛けたのですが、久々にCDショップの店頭で目をひきつけるものがありました。それは今日18日発売のB’zのニューアルバム「MAGIC」のポスターでした。まあにファンではないけど好きな曲もあるし、友人のカラオケの十八番や昔から必ず有線などで耳にするのでそれなりには知っています。でも私にとって目を引き付けるものとして珍しく飛行機が写っていたのです!第9回目はB’zやミスチルのCDアルバムジャケットに出てくる飛行機たちです。
ダイキャストプレーン

この写真は某CD店頭のポスターです。よく見てみると見慣れた形の白い飛行機が左右対称で2機並んでいます。どう転んでもあの塗装パターンでこの機種ではドイツ系の某社塗装のA320にしか見えず、恐らく画像をフォトショップなどでタイトルと尾翼マークを加工したと思われます(笑)。

A320とはこれまた地味な飛行機を選んだと思いますが、やはりコンコルドでは目立ちすぎるんでしょうね。それにしてもこれを見つけた時は助かったと本当に思いました(笑)。今日のブログネタが、まだ殆ど出来ていなくて何かないものかと用事を済ませながらネタを練っていたので、アンテナは常に立てておくものだと思ったものです。本当にB’zのお陰ですね。
ただ、私の目から見ると向かって右側が若干長めだからA321じゃないかと一瞬思いましたが、長さもほぼ同じでした。やはり最近眼が疲れ気味なのだろうか。

ダイキャストプレーン

お待たせしました!これがその元ネタとなったと思われる旅客機、ルフトハンザ・ドイツ航空のエアバスA320-211です。この機体を受領したのが1989年と日本のANAよりも2年ほど早く受領している。既に英国航空では引退したA320すら存在する。それらはまだ使える航空部品を取り外されたのち、小さな空港の片隅でユンボが粉々にしていくシーンが展開されているほどだ。既に次世代機開発の話も出ているとは言え、未だ古さを感じさせず各国航空会社からは燃費の良さや170席クラスと比較的使いやすいサイズで人気が高い。予約に応じた乗客数を調整しやすく運航出来るようにA320以外に胴体短縮型のA319,A318や逆に200席クラスに迫る胴体延長型のA321を揃え、ACJ(エアバス・コーポーレート・ジェット)と呼ばれるビジネスジェット仕様も存在する。今の売れ筋はアジア格安航空大手のエアアジアやSQ子会社のタイガーエアといったLCCと呼ばれる格安航空会社が多く、ライバルのボーイング737へ迫る勢いで既に4000機近くが売れたエアバス社の大ベストセラーだ。日本でも初期受領機が引退したとはいえ、未だANAでは国内線と近距離国際線で飛び、スターフライヤーも国内線以外に初の香港チャーター便が今月末運航される予定である。このモデルメーカーは米国ジェミニジェットで縮尺は1/400。シップナンバーはD-AIPBで、CFM社のエンジンを装備したA320-211をモデル化しています。

「Q」(ミスターチルドレン)ダイキャストプレーン
さて、次はミスチルことMR.CHILDREN(ミスターチルドレン)で約10年前に発売された「Q」と呼ばれるアルバムです。右上をよ〜く見てみると飛行機が某アジア系のエアバスA300-600Rの正面に似ていませんか? カラーリングもほぼそのままで当時見つけた時は驚いたものです。

まあ希望的推測なのですが、実際こういう真正面の写真はまだ94年9月3日まで国際線定期便の発着もあった大阪伊丹空港の千里川沿いなら簡単に撮れました。案外昼過ぎあたりにやって来るソウルか、釜山の便を撮影されたものではないかと思えてなりません。日によっては済州島の便も運航され重なるとエアバスが2機並ぶこともあって、今で言えばA330が昼間の関空に2機並ぶような光景と同じだなと懐かしむ方も多いと思います。

ダイキャストプレーン
さてこれがその元ネタになった大韓航空のA300-600Rと言いたいところですが、残念なことに、このA300-600Rは買い逃しています。そのかわりにと言っては難ですが日韓線や東南アジア線の主力であるエアバスA330-322を紹介させて頂きます。A300-600Rの胴体を延長しエンジンやコックピットなどを新しくした後継機種として開発されたのが、この双発機のA330である。同時に兄弟機としてエンジンを4発にした長距離型のA340も開発された。両機はスロットルの数などを除けば、ほぼ共通化されたコックピットを装備しており、パイロットの機種移行訓練時間の短縮化とコストダウンを航空会社にもたらす。よってA330とA340を路線別で使い分ける航空会社も多く、更に前出のA320からでも短い時間で機種移行訓練が終わるので、ある中国系航空会社はエアバス製の旅客機で揃えているほど。そういう意味で考えるとA320のパイロットはあちこちで引っ張りだこなのかも知れない。

この大韓航空のA330-300は特別塗装で、今から2年ほど前に韓国の大スターRAIN(ピ)氏の世界コンサートツアーのスポンサーとしてキャンペーンをやっていた時に短期間塗装されたものです。このモデルメーカーはフェニックス社製で縮尺は1/400。シップナンバーはHL7551で、PW4168エンジン装備のA330-322をモデル化しています。

ダイキャストプレーン
これはおまけです!A300らしくウィングレットをフォトショップで削って遊んでみました(笑)上記のアルバムの画像と見比べてみると如何に良く似ている機種だとわかるはずです。最後にウェブ検索でここへ辿り着いたB’zやミスチルのファンの皆様に申し上げたいのですが、アルバムのジャケットでも色々な見方の人間が居ることを少しでもご理解頂ければ誠に幸いであります。

では来週もお楽しみに・・。

Mattari

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運命の赤い糸を繋いだイルカ

ふと聴いた音楽や物から、時には何かの香りからでも、その当時の記憶が呼び起こされる瞬間ってあると思う。苦しかった仕事や楽しかった旅行、さらに切なかった恋愛の記憶でさえ、まるで脳裏にその映像が再生されるように。特にこのCMが流れると、ちょっと切ない思い出が呼び起こされるのです。第8回目は、そんな思い出がこもった飛行機のお話です。

AirNippon JA352K

数年前、私はある女性と遠距離恋愛をしていました。その時に乗った飛行機で比較的多かったのが、ANAの子会社で有名なエアーニッポンのボーイング737-500である。精々126人も乗れば満席という小さな飛行機であるが、スーパードルフィンと呼ばれる愛称は、まさしくイルカのようにキビキビしたボーイング737の飛行性能と小回りの利く運航性能の良さを表現するにはうってつけだったに違いない。朝一番で現地へ向かう時に乗ったことが多く、他にはジャンボや777、767など乗ったけど、このイルカなボーイング737-500にはよくお世話になったものです。このモデルはフェニックス社製の1/400モデルで、他社からリースされているJA352Kをモデル化したものです。

ANAといえば葉加瀬太郎氏作曲のANAイメージソング「ANOTHER SKY」でないだろうか。機内に入ると大抵この曲に出迎えられ、久々に会える彼女の顔を思い浮かべながら座席に身を沈め、キャビンクルーから貰った暖かいコーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると、あっという間に目的地に着いてしまう。そして満面の笑顔で空港の到着口で出迎えてくれる瞬間は、仕事の疲れも吹っ飛ぶほどで至福な時間の幕開けを感じさせてくれたものだ。。。

そんな甘い時間もあっという間に過ぎ去り、オレンジ色に染まった夕暮れの空港デッキで別れを惜しむ。「また会いに行くよ」と言いながら溢れそうな彼女の涙を手で拭ってあげる瞬間はとても辛かった。振り向くことも出来ず、何度心を鬼にして金属探知ゲートへ向かっていったことやら。「ANOTHER SKY」のテーマに慰められながら、窓側へ座ると夜の帳で殆ど見えないにも関わらず、デッキで彼女が手を振っていないかなと探してしまう自分が居たものだった・・・。

距離の遠近を関係なく離れて、なかなか会えないカップルも多いことだろう。たとえ月に一度しか会えなくても、その休みを取るためなら、必死に仕事を頑張れるから恋愛って不思議なものだ。病床にふして、彼女に優しく看病して欲しいと感じても心配させまいと、携帯電話では敢えて元気に振舞ったあの日。遠距離恋愛は辛いことが多いけど、私は元同僚でニューヨークと日本の超遠距離恋愛を成就させて結婚した夫婦を知っています。彼らの話では当時メールやパソコンもまだあまり普及しておらず、お金はとてもかかったけど毎日電話や手紙などのコミュニケーションを絶対欠かさないのが心の支えになり、とても大切だったと言っていました。

今日もどこかで、運命の赤い糸を繋ぐフライトが飛んでいることだろう。無数に存在する運命の赤い糸が繋がって愛情が籠められた一本の強い絆へと変わっていくのは、ごく少数であろう。でもあなたのことを想っている相手は距離が何万光年あろうと、常にあなたのことが頭からは離れることはないと信じていくしかない。遠距離恋愛中の読者の方が居たら言いたいけど、あなたしか愛せないから遠距離恋愛でも付き合う相手が居るだけでも幸せだと思う。

あとひと月もすれば恋人たちにとって大イベントであるクリスマスイブ!皆様の運命の赤い糸が一本でも多く、強い絆へと変わることを応援しています!
さて私も新しい恋探しを再開するとしよう・・・。

では来週もお楽しみに・・。

Mattari

沈まぬ太陽の翼たち

正直、今回この飛行機たちをネタにしようか悩みましたが、飛行機の入ったダンボール箱を整理していると箱から出てきたのは、まさしくあの映画で何度となく出てきた飛行機たち。今だからこそ既に過ぎ去ったこの塗装のモデルたちを出すには良いタイミングではないかと思ったのです。第7回目は、あの会社を支えた屋台骨ともいえる初代塗装のジェット機たちを紹介したいと思います。
日本航空ダイキャスト

あの映画とはもちろん「沈まぬ太陽」のことだが、主人公である恩地氏の海外勤務はパキスタンのカラチから始まり、その後テヘラン・ナイロビへ路線開設のため海外勤務が続く。更なる航空路線拡大を成し遂げるために、会社の黎明期から黄金期への橋渡しとなったジェット機で比較的短命だったと言えるのが、このコンベアCV880-22Mと呼ばれるジェット機だ。
日本航空ダイキャスト

1961年から就航し、マッハ0.89という他のジェット旅客機と比べても早い「韋駄天ジェット」と呼ばれるほどであった。だが元々軍用機のジェットエンジンを改造して装備したため燃費も悪く、黒煙を吐きながら爆音を轟かしていく離陸は羽田空港でも極めて目立つ存在であった。その後度重なるエンジン関係のトラブルに悩まされ、主翼の安定性能の低さが露呈し改良を重ねながらも、次期大型旅客機ジャンボ導入で下取りのため1970年には残った全機が売却された。主に東南アジア線や南周り欧州路線へ導入された。韋駄天ジェットらしい武勇伝としてこんな話がある。まだ航空管制も今ほど厳しくなかった1960年頃、ANAは羽田ー千歳線を1時間50分以下で飛ぶ当時の最新鋭英国製ターボプロップ機ビッカース・バイカウントを投入し、先に出発したはずの日航のダグラス製レシプロ機を軽々と追い抜いていくことが多かったという。そんな屈辱を晴らすためにCV880のデビューが急遽羽田〜千歳線へ導入された。そのため1961年に国内線において初めてジェット旅客機が就航したのも、実はこのCV880だったりする。映画での登場シーンは特にないと思われるが、この会社において忘れてはならない飛行機のひとつである。
日本航空ダイキャスト

テレビなどで「よど号」の映像が出てくるが、その飛行機がボーイング727-100である。日本の国内線ジェット化の立役者であり、3発エンジンで流線型のボディとその操縦性能はまさしくスポーツカーとパイロットたちが言わしめたほど。スポーツカーと呼ばれる理由としてANAのボーイング727で樹立したと言われる羽田〜伊丹間を何とたったの26分で飛ぶという記録が残っているからだろう。高度成長期1964年夏に就航し、主に羽田から伊丹・福岡・千歳と言った国内幹線を飛んでいた。勿論ANAとの国内線の競争は激化し、挙句の果てには政府から両社とも国内線就航機種を727へ統一するように指導が入ったほどだ。その後ボーイング727-100は2機のみ1987年まで残り、地方発の国際チャーター便やハバロフスク線に就航していた。なおANAではさらに胴体延長型のボーイング727-200も導入され1990年4月末まで国内線を飛び続けた。映画では実機CGの登場はないが、恩地氏がテヘランの支店開設時のシーンで展示されていた飛行機モデルにボーイング727-100の姿がある。
日本航空ダイキャスト

「空飛ぶ貴婦人」と呼ばれた4発エンジン機DC-8-61こそ、この会社にとって一番の屋台骨であったのは間違いないだろう。なにせジャンボ機が就航するまでは234席と最大の旅客機であり、航空需要が急増していた当時の国内幹線や東南アジア線においては、救世主と言っても過言ではないだろう。
1960年夏にDC-8-32型であるJA8001富士号を受領、同時に日本初のジェット旅客機就航となった。その後はエンジンの更新や胴体の伸縮を繰り返して様々な機種が生まれ、この会社では改造機を含め32,33,53,55,55F,61,62,62AFと8種類の異なるDC-8を60機近く使用していた。この機数は導入機数が100機を越えるジャンボ機に次いで多く世界一周路線を含めて、今日の就航路線の骨組みも形成されたと言ってもいい。機内も西陣織の生地が使われた豪華なファーストクラスの座席、窓に障子を施し、畳に模したカーペットが敷かれ、有名な前田青邨画伯作の絵が飾られた豪華なラウンジはまさしく社運を賭けたジェット機だったことが伺える。映画でもこのDC-8は存在感が大きく、支店内などで展示された飛行機モデルやCGによる実機の離陸シーンなど随所に出てくることが多い。

各モデルの詳細は、3機ともメーカーはエアロクラシックス社で縮尺は1/400。塗装はそれぞれ初代塗装のものである。コンベアCV880-22MはシップナンバーがJA8028でこの機体には「桔梗」など花の名前が付けられていた。ボーイング727-100はシップナンバーがJA8308でこの機体には「木野」と日本の有名な川の名前が付けられた。河川名が名付けられた例では、前出のよど号(JA8315)が有名である。DC-8-61はシップナンバーがJA8039でこの機体には「筑波」と観光地や山などの名前が付けられているが、後期受領分の機体にはその名前が省略されているものも存在する。

滅多に映画を観に行くことはない私ですが、珍しくこの映画は観に行きました。感想は忠実に小説の内容が表現され映像が加えられ、更に現実味が帯びた映画に出来上がった様に思います。キャスティングに救われた感もあるとはいえ、キャビンクルーや整備士の制服、小道具までこだわりを持って気を使っているのが感じられるほどで、当時使われた搭乗券のフォーマットなどの時代考証が極めて正確な点は感心しました。特にこれから航空会社など旅客運輸関係等の仕事へ就きたいと思っている方には一度観ておいた方が良いと私は思います。如何に安全第一であるべきかが嫌ほど実感出来ると思いますので…。

沈まぬ太陽はフィクションとはいえ、極めて忠実に過去の出来事を表現した映画で、その会社は法的措置も辞さないという声すら出ている…。しかしながらそれは余りにも失うものが大きいのではないだろうか。表現の自由を侵害することを意味し、世の中の趨勢の認識を乱暴に無視するからだ。この映画をもっと肯定的に捉え、あまり国へ迷惑をかけない方法で新たな船出をして欲しいと私は思う。

では次回もお楽しみに…。

Mattari

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