空港はそれぞれの物語があるから面白い!
こんにちわっ、竜子です。
しっかし、いつ赴いても空港って面白いですね!
駅ビル代わりに羽田空港へ行くのもしかり、送迎にいくのもしかり、旅行でつかうのにも!
周りを見渡しては、勝手に想像して楽しんでいます!
先日のカタール航空の話題で、ドーハ空港でのことを思い出しました。
コメントでもSportsKiteさんへのコメントで書きましたが、ドーハ空港では、ひとりはショーン・コネリーで、もひとりがジョージ・クルーニーという超かっこいい紳士2人(商船のキャプテン)に出会いました。トランジットの空き時間はたとえ3時間あったとしても、うち1時間はかけ足見学、そして身支度、そして1時間ほどは搭乗口までの移動と予備時間だったりして、案外すぐに終わってしまうもの。でも、このときは帰りの便を待つドーハ空港だったので、もう少し時間がありました。
2010年当時、大勢の人がいるわりにドーハ空港は思いのほか狭かったように思います。時間をつぶす場所もだいたいは限られていて同じ場所で2回顔を合わせ、ささいなことをきっかけにそのおふたりと時間をつぶすことになったのです。お喋りしてたっていっても、私は英語がペラペラに喋れるわけじゃぁ〜ありませんっ。けれど、不思議なもので、それ以外にコミュニケーション方法がないとなると、人ってのはちゃんと耳がピッと立つもので、なぜだかよく言葉が聞き取れるようになったり、自分でも「あれ?! なんで言えちゃってたんだ?!」みたいな細かいことをスラスラと言えてしまうもののような気がします。なんでかは謎だけど、英語の勉強している時のような長い文章じゃなくっても、瞬時に脳みそが、分かる範囲の短い文章に置き換えてくれるような…。おまけに相手の英語も勉強した英語というのが相まって、分からない言葉があったらお互いが素直に聞き直せることもあって、火事場のバカジカラを発揮するのでしょうねぇ。
また話が逸れだしましたが、空港でのこうした一度限りの人と思わぬ出合いというのもなかなか趣のあるものです。
イランといえば、イラン・イラク戦争。ですが…、カンフーってのは日本のスポーツで日本のイメージもチャイナ服、っていうノリと同じような感じで、サダム・フセインって、イランだっけ? イラクだっけ? いやそれは、湾岸戦争だろ、ってツッコミ入れるみたいな…。ともかくイランとイラクがごちゃ混ぜになって、私なんかの年代だと、どっちがどうだとか意識しないと分からなかったりする場所でもあります。さらに言うと15年とか20年ほど前までは、上野の路上で普通に手に入れることができた「偽造テレフォンカード」を販売していたのは、イラン人だっけ? イラク人だっけ? バングラデシュ人だっけ? はたまたパキスタン人だっけ? みたいな…。バブル景気に沸いていた20年〜25年ほどさかのぼってようやく「不法滞在のイラン人」みたいな悪いイメージで、でもハッキリと「イラン」という国の名前が私の頭に定着した。
小学校高学年の頃になるけど、駅のほうへ近づくにしたがって、数人のイラン人っぽい外国人を見かけるようになった。それまでは外国人=白人くらいの認識しかなかったし、そもそも今は普通に外国人が街を歩いていたり、インド人がカレー屋さんをしたり、コンビニのレジがベトナム人だったりということが日常になったけども(てか、今日本で生活してる外国人っていろんな意味で優秀だよね)、当時では物珍しかったので、一緒に住んでいた父方の祖母は「イラン人に気をつけなさい」といっつも言ってた。確かに、小麦色の皮膚とか、黒い皮膚の人とか、そういう人は誰かまわず(小学生の私にすら)ウィンクを送りながら「チッ、チッ」と舌打ちされたりしたので、おかしな人たちだと思ってたけれども、実際のところはナニジンだかよくわからない。それから、バブルに沸いて、人のやりたがらない3K(危険・汚い・きつい)職を、不法滞在者が従事することで、「本国に戻ると、家が1軒建つ」といったような話を聞くようになって、どんだけ貧しい国なんだろう、というイメージがこびりついた。
でも、多分入国管理局がしっかりと仕事してるのか、雇い入れる側の罰則も強化されたためか、どの人が不法滞在者かなんて分かんないし、最近は国籍も豊富になって不法滞在者=ナニジン、というようなくくりも出来ないようになった(むしろ配偶者ビザの売買が商売として成り立って、それで合法的に、…でも非合法な利益をあげられる仕事ができる方が問題!)。あと、実際にイラン人自体が減ったようです。
でも、そんなこんなで、イランは日本よりも貧しい国、くらいのイメージと、それからアラブとペルシャの対立と、うるおぼえのイランイラク戦争とで、ろくなことのないイメージしかなかったし、観光で行ける国とはこれっぽちも考えたことがなかった。
魔法に恋い焦がれる少女時代、母がたの祖母の家にあった、アラビアンナイトに出てきそうな空とぶ絨毯の上で眠っては、「今晩こそは飛べるかもしれない」と思ったものです。ペタッと薄くって、夏場はひんやりして昼寝にも最高なんですよね。それが「ペルシャ絨毯」といういうことを知って、この際、ペルシャだとかアラブだとかイスラム世界の分類のことはまずはおいといて、遠い異国「ペルシャ」の地に想いを馳せていたのです。
ドーハ空港でイランの話を聞く前にも、旅行者と話す中で、イランのイスファハンが必見、という話は聞いていたのだけれど、やっぱり、空港で聞く話ってのは、3割増どころか、300%増で響いてきてしまいます。ショーン・コネリーとジョージ・クルーニーとお話ししているうちに、頭の中は、もう”空とぶ”ペルシャ絨毯と、”魔法使いが飛び出してくる”寄木細工の箱、のある物語の世界に飛んでいました。
あぁ、こんなどうでもいいことを書いているうちに、結構なボリュームになってしまいました。
今日言いたかったのは、空港という場所は私にとってはやっぱりトキメキの場所で、思いもよらぬエピソードに出会ったりする場所だということ。そして、そのひとつひとつ、みんながそれぞれもっているよね、ってこと。
それから、思わぬエピソードの中には、切ないながらも心温まる話もあるよね、って。
次の更新で、キネマ航空CEOによる「パリ空港の人々」を紹介します。
「パリ空港の人々」は、それぞれの事情で空港で暮らしている(居座っている)人たちを描いたドラマです。
キネマ航空CEOのレビューの中にも触れられていますが、バジリコから刊行された書籍の「ターミナルマン」がモデルということになっています。以前、サラッと紹介しましたが、私もこの本は読んだものの、パッとしないというか、正直いって立ち読みで良かった、という印象だったのですが、この映画は大好きです。ちなみに、モデル、ということであって、「ターミナルマン」は原作ではありません。
私が高校生だった頃、フランス映画のブーム(第2次とかなんでしょうか??)がやってきました。当時はまだシネスイッチ銀座だとか「単館」なんていって「ミニシアター」なんて言いませんでした。先日廃刊となった「ぴあ」もまだ元気でしたし、私も街歩きのバイブルにしてました。そんな折に流行っていた「デリカテッセン」「ポンヌフの恋人」「トリコロール」シリーズだとかに並んで、「髪結いの亭主」は、当時は必見の映画でした。「パリ空港の人々」は、その「髪結いの亭主」でちょっと情けない役を演じたジャン・ロシュフォールが主演です。彼の演じる困った時の顔って、本当に胸がキュッとなります。奥さんの尻にひかれそうな顔です(とかいって、思い当たる方はすみません!)。
さて、本編の方はキネマ航空CEOにお任せするとして、
> 大晦日のどさくさにまぎれてゾラが故郷で夢見ていたセーヌ川の船を見るつかの間のパリ見物のシーンがやるせない。
この映画の面白さは、このシーンだとおもう。
けれども、空港にいる野ウサギを狩って、ジビエ料理に。知恵を出しながらお小遣いを稼いだりと、みんなのたくましさが、元気になる一作です。
キネマ航空フライト601便「パリ空港の人々」をお楽しみください。
