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B747コックピット「ヨーロッパ飛行」第4回

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ヨーロッパ飛行画像(haruhikon提供)

「地上走行 チューリッヒ地上管制」

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★「ヨーロッパ飛行」挿入04

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JAL412便は滑走路28に向かっている。大きな空港では滑走路に並行して、誘導路が2本併設されている。多くの旅客機が離発着するので、混雑する時間になると地上はあちこちに旅客機が行き交っている。それらを整理するには誘導を2本設置しなければ大混雑になり、出発時間・到着時間が大幅に遅れる。それを解消する為に駐機所エリア(通称エプロン)内にInner-Taxi Way(I-TWY)を、エリア外にOuter- Taxi Way(O-TWY)を設置し、スムーズな流れを作っている。
I-TWYを走行しているJAL412便は誘導路イーストに向かっている。岸田副操縦士は右側に障害物がないかを確認した。

「ライト サイド クリア」
「はい」
「フラップ10 セット」岸田副操縦士はフラップが10度まで下がったことを確認した。
「ブレーキ プレッシャー ノーマル」ブレーキが作動するかを確認した。
「ライト サイド クリア」
「はい」
「ヨーダンパーズ チェック」
「ターニング インストルメント チェック」
地上走行中に装置や計器類の確認に余念がない。
「そちらのトラック…」
「チェック オーケー」
「レフト サイド クリア」飯田航空機関士が機長席と副操縦士席の間から少し身を乗り出して左側を視認した。
「はい」
「ライト サイド クリア」
「レフト サイド クリア」
「はい オーケー」
岸田副操縦士、飯田航空機関士は左右に障害物はないことを視認し、鈴木機長は飛行中の航空機を制御する装置の確認を指示した。

「コントロール チェック」
「エルロン レフト…ライト」
「エレベーター アップ…ニュートラル…ダウン…インディケーション チェック オーケー」
「ラダー レフト…レフト オーケー」
「ライト…ライト インディケーション チェック オーケー」
エルロンは主翼の上にある補助翼のことで、操縦桿を左右に回すと、その補助翼が上下し、飛行機を水平保持や旋回時に使用する。エレベーターは機体後部にある水平翼の後部にあり、操縦桿を手前に引いたり前に倒したりして、飛行機の上昇下降を司る操縦系統である。ラダーは機体後部の垂直尾翼の後部にあり、パイロットの足元にあり、車のべダルのように踏んでエルロンと併用して左右の旋回を行なう。
JAL412便の前をタキシングしている航空機が滑走路手前で待機し、タワー管制に移管する交信が聴こえる。

鈴木機長は離陸直前の最終打ち合わせを行なった。離陸滑走中に、何らかのトラブルがあった場合の手順を指示した。
「テイクオフ ブリーフィングはスタンダード通り。スピードのコール、何かあったら大きな声で言って下さい。リジェクト テイクオフはコールしますから。コンティニュー テイクオフの時にはチェックリストのスタートはオーダーした時にやって下さい。その他、何か気が付いたことがあったら、何でもいいから、その時その時」
「ビフォア テイクオフ チェックリスト」鈴木機長は飯田航空機関士に離陸前の計器点検を指示した時に、グランド管制がタワー管制に移管するよう交信をしてきた。
「ジャパンエア412 ホールド ショート ランウエイ コンタクト タワー118.1 グッディ」(日本航空412便へ。滑走路手前で待機して、以後タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「ラジャ」
交信の都度、「ラジャ」とコールするのは、交信の内容について了解したということである。

「ジャパンエア412 ホールド ショート 118.1 グッディ」(日本航空412便です。滑走路手前で待機し、118.1メガヘルツに交信します。さよなら)
「はい、(チェックリストを)どうぞ」
「チェックリスト いきまーす。ビフォア テイクオフ チェックリスト」
「ナセル アンティアイス…オフ」
「フライト ナビ インストルメント…アライン ノー フラッグ」
「フラップス…10 10 グリーン アンド チェック…エイト グリーン ライト」
「フライト コントロール アンド ヨーダンパー…チェック」
「スタビライザー トリム…4.08 セット」
「INS…チェック アンド オート」
「ギャレー パワー…オン」
「APU…オフ」
「テイクオフ データ…レビュー」
「ブリーフィング フォア テイクオフ…コンプリーテッド」
「ドット ライン(点線まで確認済み)です」
「はい」と、鈴木機長は了解した。
残りのチェックリストの項目は、滑走路に進入する際に行なわれる。
JAL412便は、滑走路28の進入口の近くまで走行している。前方機が滑走路への進入を終え、今まさに離陸しようとしている。

桃田素晶

「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」
解説:桃田素晶/録音:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」で収録している音声、音源等は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。また、解説は桃田素晶、表紙写真はharuhikonに著作があります。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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ボーイング777コックピット「続・機長席」第2回

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この作品は過去、ベストセラーを記録した航空ドキュメンタリーの傑作CDブックを電子書籍化したものである。
新千歳空港を折り返したボーイング777は東京・羽田 空港へ向かう。折しも、羽田上空は九州、大阪、沖縄から飛来した航空機と北から下ってくる航空機が一緒になって夕べの空のラッシュアワーだ。それら数十機の航空機をまるでオーケストラの指揮者のように鮮やかにさばいて羽田空港に着陸させる管制官の仕事には息を呑む緊迫感と感動がある。東京湾上空のスリリングな舞台裏をあますところなく描いたクライマックスは、この作品最大の読みどころであり聴きどころである。

第1章 千歳空港離陸_2

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★「続・機長席」挿入02

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ドア。クローズド
森田機長がデスプレイに映る114便の映像をチェックして、すべてのドアが閉じられているのを確認すると、プッシュバックを要求した。
リクエスト プッシュバック
木村副操縦士がマイクで千歳グランドコントロールに呼び掛ける。
チトセ・グランド。エアシステム114。リクエスト プッシュバック ウィズ ユニフォーム
(千歳グランド管制へ。こちらエアシステム114便です。プッシュバックの許可願います。空港情報(ATIS)は、U(ユニフォーム)情報を入手済みです)
前述したように空港では管制塔の管制情報官が、空港の最も新しい情報(ATIS)を電波で繰返し送信している。高速道路のハイウェイ情報のようなもので、常時、空港の状況や天気現況を放送しているのだ。新千歳空港ではVHF128.60メガヘルツに受信周波数を合わせれば、聞くことができる。
この空港情報(ATIS、オートマテック・エアポート・インフォメーションサービス)の内容は、基本的には三十分ごとに(地方によっては一時間ごとに)更新される。しかし突然、風の方向の変化で滑走路や着陸方法が代わったときは、その都度、内容を新しくして送信する。この空港情報には、かならず情報が出された時間ごとにアルファベッドで符号がつけられている。木村副操縦士が聞いた17時現在の情報はU(ユニフォーム)なのであった。
17時現在で「ウィズ ユニフォーム」とは、千歳空港の最新の天気情報を入手済みであることを木村副操縦士は管制官に伝えたのである。
エアシステム114 プッシュバック アプルーブ フェイス トゥ ノース
(エアシステム114便へ。プッシュバックを許可します。機首を北向きにしてください)「フェイス トゥ ノース」(機首を北向きにプッシュバックします)

千歳グランドコントロールがプッシュバックの許可が出ると、森田機長はインターホンで地上の整備員に呼び掛けた。
グランド。コックピット。プッシュバックしてください。フェイス トゥ ノース
了解しました」と地上整備員が答えた。「パーキングブレーキのリリースをお願いします
パーキングブレーキ。リリース。ハイドロポンプ オン(パーキングブレーキを外して、油圧ポンプをオンにしました)」と機長。
ボーイング777のメインギヤには6本の車軸があり、その内うしろの2本がステアリングすることが可能となっている。ハイドロポンプをオンにしてその機能を使い地上での旋回半径を小さくするのである。
了解。グランド、クリアー。(地上に障害物なし)プッシュバック スタートします
地上整備員はプッシュバックするトーイングカーのドライバーに合図を送り、トーイングカーはボーイング777の機体を押し始めた。

現在、午後17時13分。
114便はゆっくりとゲートを離れた。スケジュールより2分早い出発である。
コックピットドアを二回ノックする音がしてキャビン・クルーが、乗客の最終報告をするために操縦室に入ってくる。
客室では関谷チーフパーサーが乗客にボーディングアナウンスを始めた。
今日も日本エアシステム レインボー7をご利用頂きましてありがとうございます。この飛行機は114便東京羽田国際空港行きでございます。飛行時間は一時間十分を予定しております。機長は森田。客室のチーフは関谷でございます。おそれいりますがお席のベルトをどうぞしっかりとお締め起きください・・・・

コックピットではエンジン始動前のチェックが行われている。
ビフォアー・スタート チェックリスト」と森田機長が副操縦士に指示を出した。
CDU」と木村副操縦士。
セット」とCDUのセットが完了していることを機長と副操縦士が確認する。
トリム」続いてトリム位置の確認。
7・00ユニット・・ゼロゼロ
ビフォアー・スタート チェックリスト コンプリーテッド」と木村副操縦士が報告した。(エンジン始動前の計器点検は完了です)

森田機長が再度、承認された飛行プランを確認する。
クリアランスはTIA。トビー5、トビーフライトプランルートでレベル390。スクウォークは2461
(飛行プランは羽田空港まで。トビー5出発方式で、トビー飛行プランで上昇します。巡航高度は39000フィート。レーダー認識番号は2461です)
コレクト」(その通りです)

新千歳空港を離陸する方式は全部で10方式あるが、トビー5出発方式はそれらの離陸ルートのひとつで、千歳から南に向かう飛行機が離陸するルートである。
新千歳空港の滑走路は二本(ライト、レフトと並行した滑走路が二本)あるが、方向は北から南に向いた一方向だけである。すなはち01(10度方向、ほぼ北)から019(190度方向でほぼ南向き)に滑走路が走っている。(唯し、ターミナルを挾んだ反対側には自衛隊専用の滑走路が2本ある)

▼新千歳空港滑走路図

新千歳空港滑走路図

 トビー5出発方式で、01滑走路から離陸すると、一端北に向かって離陸することになるので、離陸後すぐ右旋回をしながら高度を上げ、千歳空港の北西にあるVORを通過したあと、飛行方向を185度にとってトビーに向かう。

▼新千歳空港出発チャート

新千歳空港出発チャート

 ところが、今日は風が南風なので南に向いて離陸する。すなはち19滑走路を使用する。その場合は標準出発方式(SID)のチャートには次のように記されている。

RWY19R/19L CLIMB DIRECT TO CHE、THEN VIA CHE  Rー185(185°FROM CH TO TOBBY OR TOPPO)
CROSS CHE  Rー185/27  DME(26NM SOUTH OF CH) AT OR BELOW 11000ft
その意味は滑走路19ライトもしくは19レフトから離陸した場合は、離陸してダイレクトに千歳(CHE)VORに向かってください。そしてトビーまたはトポへ185度の機首方向で飛行してください。唯し、千歳(CHE)VORの南26マイルにある27DMEまでは高度11000フィート以下にしてください。と言うことだ。
すなはち、滑走路19Rから離陸してトビー5出発方式で飛行することは、東京羽田に向かうにはダイレクトに南に向かって離陸することになる。それからドビー(TOBBY)もトポ(TOPPO)も陸上にある通過点ではない。トビーは北緯41度55.1度 東経141度45.6度の津軽海峡の一地点である。

現在、114便はゲートから誘導路へプッシュバック中であった。
コックピットに緊張感が流れ始めた。森田機長が地上のメカニックへエンジンの始動を告げる。
グランド。コックピット。スタート ボース
(グランド整備へ。コックピットです。エンジン二基を同時にスタートします)
了解しました。グランド、クリアー」と地上のランプコーディネーターが答える。
スタート。ライト」(右エンジン始動)と機長が告げるとスタート、ライトと確認して副操縦士が頭上にあるエンジンのスタートスイッチを入れた。
スタート。レフト」続けて機長がコールする。副操縦士はすぐ左エンジンの始動スイッチも入れる。
ボーイング777の場合は、エンジンが二基同時にスタート出来ることも特徴であるが、従来の飛行機のようにエンジンを始動させるにあたって複雑な手順も必要でなく、スタートセレクターをスタートの位置にして燃料スイッチを入れるだけで、あとはコンピューターが始動作業と監視チェックをする。従来の飛行機に比べると一段と便利になった。 プラット&ホイットニーPW4074エンジンが、特徴ある唸り音を上げて回り始めた。

114便はエンジンを始動させながら誘導路に着き、機首を北に向けて停止した。
コックピット。グランド。セット。パーキングブレーキ(操縦室へ。パーキングブレーキをセットしてください)」地上整備がインターホンで呼んでくる。
パーキングブレーキ セット」機長は手元のブレーキをセットしてEICASのメッセージで確認すると114便を牽引した車が機体から外される。
ライト、スタビライズド(安定)」右エンジン始動完了、と副操縦士がディスプレイを見ながら報告する。
レフト、スタビライズド(安定)」左エンジンも始動完了。
コックピットのスピーカーから、全日空712便がプッシュバックの許可をもらう交信が聞こえる。
アフタースタート。チェックリスト」森田機長がエンジン始動後の計器点検の指示を出した。
エンジン、アンティアイス オート(エンジンの凍結防止装置を自動に)」
リコール チェック。アフタースタートチェックリスト コンプリーテッド
副操縦士がディスプレイに表示されたエンジン始動後の点検を終えて機長に報告した。
外は北国独特の淡い色をした黄昏が感じられる。

オールニッポン780 タクシー
114便と同時刻に出発予定の全日空780便ボーイング747が、114便より先に
千歳グランドコントロールへ地上走行の許可を貰う交信を始めた。出発時間が同じ場合は、地上走行でも離陸でも先に管制官へコンタクトした飛行機の方が優先する。
オールニッポン780。ランウェイ19R。ヴィア ホテル4、アルファ2。コンタクト タワー 118.8
(全日空780便へ。誘導路H4、A2を経由して滑走路19ライトに向かってください。以後は千歳タワー管制、周波数118.8メガヘルツに連絡願います)
ホテル4、A2、コンタクトタワー 118.8 オールニッポン780
(誘導路H4からA2経由で滑走路へ向かいます。以後千歳タワー管制に連絡します)

森田機長がインターホンで地上整備に呼び掛けた。
グランド。コックピット。エンジンスタート コンプリーテッド。リムーブド チョック ディスコネクト インターホン いってきます
(地上整備へ。エンジン始動しました。タイヤ止めをはずしインターホンを切ってください。行ってきます)
了解しました。リムーブド チョック。 インターホン リセプト ステアリング バイパス セレクターピン リムーブト いってらっしゃい
すばやく作業を終えた地上スタッフが一列に並び、飛行機に向かって手を振った。機長も窓越しに手を振る。木村副操縦士がマイクで千歳グランドコントロールを呼んだ。
千歳グランド。エアシステム114。リクエスト タクシー」(千歳グランドコントロールへ。エアシステム114便です。地上走行の許可を願います)
エアシステム114。ランウェイ19R ヴィア ホテル4 アルファ2 NO.2ディパチャー シークェンス NO.1 オールニッポン747 ホテル4
(エアシステム114便へ。誘導路をH4 A2経由で滑走路19ライトへ向いH4にいる全日空747機にしたがってください。貴機の出発は二番目です)
コックピットの窓越しに前方の誘導路で全日空のボーイング747、780便大阪行きが地上走行しているのが見える。

▼新千歳空港地図

新千歳空港地図

19R ヴィア ホテル4 フルファ2 ウィ アー NO.2ディパーチャー エアシステム114」と木村副操縦士が復唱する。
レフト、クリアー。ライト、クリアー」とふたりのパイロットは地上の障害物がないことをコールし合って、森田機長が地上走行の道順を再確認した。
ホテル4のアルファ2。フラップ5
(H4、A2経由だね。それではフラップ(下げ翼)を5の位置にしてください)
フラップは主翼の後部分にある翼で、揚力をえるために離陸、着陸時には主翼から下がってくる。フラップ5とは離陸時のフラップ位置のことである。
かすかに油圧が作動する音が聞こえ(フラップの音は客席ではかなり大きく響く)、正面のデスプレイにフラップが下がる図が表示された。
スラストレバーをアイドルのままにして、森田機長がパーキングブレーキを外すとボーイング777はゆっくりと誘導路を走り始めた。
コントロール チェック!」と森田機長。操縦装置のチェツク開始である。
コントロールチェック エルロン」と復唱して木村副操縦士は操縦桿を左右に動かしてエルロンを操作した。続いてエレベーターのチェック。
機長も左のラダーをチェックする。

操縦装置のチェックを行っているときに、千歳グランドコントロールが交信してきた。
エアシステム114。コンタクト タワー 118.8
(エアシステム114便へ。周波数を変えて千歳タワー管制、118.8メガヘルツへ連絡してください)
118.8。エアシステム114」木村副操縦士が復唱する。交信のたびに機長が、ラジャーとコールするのは、その交信を確認したという意味である。
副操縦士がすぐに無線を118.8に切り替えると、すぐに着陸体制に入っていた全日空69便東京羽田発のボーイング747ー400の交信が聞こえた。タワー管制は離陸と着陸する飛行機をコントロールしている管制である。
オールニッポン69 クリアー トゥ ランド 19レフト
(全日空69便へ。滑走路19レフトの着陸を許可します)
ラジャー。クリア トゥ ランド 19レフト

滑走路に向かって地上走行する114便のコックピットでは、操縦装置のチェックが続いている。
エレベーター(昇降舵)」
ラジャー
チェックト
ラダー(方向舵)
チェックト
操縦装置のチェックが終わったところで副操縦士が千歳タワー管制を呼んだ。
千歳タワー。エアシステム114。ウィズ ユー
(千歳タワー管制へ。エアシステム114便です。タワー管制の管制区内にいます)
エアシステム114。チトセタワー、ラジャー。ホールド ショート オブ ランウェイ 19ライト ナンバー2デパーチャー
(エアシステム114便へ。千歳タワー、了解しました。滑走路19ライトの入り口まで地上走行を続けて待機してください。貴機の出発はNO.2です)
ホールド ショート オブ ランウェイ 19ライト エアシステム114
114便は滑走路入り口のすぐ近くにいた。
ホールド ショート オブ ランウェイ

森田機長は管制交信を確認して飛行機を滑走路の入り口にあたる誘導路に入るために右にステアリングを切った。
ライトサイド クリアー
副操縦士が回る方向の右側を見で障害物がないことを確認する。
レフトサイド クリアー」と機長も左側を目視する。
飛行機が地上で方向を変える場合、曲がる方向のみならず反対の方向も確認するのは長い翼が誘導路のコーナーを回り切れるかどうかを確認するためである。30メートルほどあるトレーラーのハンドル操作に似て難しい。
飛行機はゆっくり反応して右へ回った。目の前に全日空780便ボーイング747が滑走路の末端近くまで進んでいるのが見える。
ビフォアー テイクオフ チェックリスト
森田機長が離陸前のチェックを指示した。旅客機は離陸まで点検の連続である。ボーイング777の場合、そのほとんどをコンピューターが代行してくれるので従来の飛行機に比べて楽になったと言うが、それでもかなりのチェックが続く。
フライトコントロール チェック。ビフォアーチェックリスト コンプリーテッド
(操縦装置のチェック完了。離陸前の計器点検終わりました)
ホテル、クリアー
飛行機が誘導路のH4を通過したこと確認して副操縦士が報告した。

オールニッポン780 ナウ レディ
(全日空780便です。離陸準備完了しています)
全日空780便は滑走路の末端に入って千歳タワー管制を呼んだ。
オールニッポン780 トリプル7 クロスランウェイ ジャストスタンバイ インバウンド トラフィック 19レフト
(全日空780便へ。777が滑走路を横切っていますので、ちょっと待ってください。それから、滑走路19レフトへ進入する飛行機がいます)
ラジャー
コックピットの中でチャイムが響いた。客室の離陸準備も完了したことをしらせるチャイムである。EICASのメモメッセージにもキャビン・レディ(客室の準備完了)が表示される。
キャビン レディ
副操縦士が確認してコールする。

目の前に待機中の全日空ボーイング747を見ながら、木村副操縦士が機長に言った。
あれは函館3デパーチャーで大阪行きですね
オールニッポン780。インバウンド 5マイル オン ファイナル フォー 19レフト。 ウィンド 240 アット 12 クリアー フォア テイクオフ 19ライト」(全日空780便へ。5マイル先に滑走路19レフトへ最終進入する機があります。滑走路19ライトから離陸を許可します。風は240度(西南西)から12ノット)
オールニッポン780 クリアー フォアー テイクオフ(全日空780便。離陸します)
全日空のジャンボ機がエンジンパワーをあげて離陸を開始した。前後して北から進入する全日空292便、沖縄発のボーイング767の交信が入る。
チトセタワー。オールニッポン292。17DME ランウェイ19レフト
(千歳タワー管制へ。全日空292便です。現在、DME17マイル地点を滑走路19レフトへ向かって降下しています)
オールニッポン292。ラジャ コンテニュー アプローチ 19レフト ウィンド 230 アット 11 コンテンド フロム ライト ユー アー NO.2ランディング」(全日空292便へ。了解。滑走路19レフトへ続けて進入してください。現在、風は230度から11ノット。滑走路19ライトからが優先します(19ライトから離陸する飛行機の方が優先します)貴機は第二番目の着陸です)
ラジャ。コンテニュー アプローチ オールニッポン292」(了解。続けて進入します。全日空292便)
新千歳空港の管制は、現在風が南西から吹いているので、二本並行した滑走路の右側(19ライト)を離陸用に使い、左側の滑走路(19レフト)を着陸のために使用しているのだ。
千歳タワー管制が続いて114便に呼び掛けてきた。
エアシステム114。タクシー イントゥ ポジション アンド ホールド。19ライト インバウンド 5マイルズ、コレクション、4マイルズ 19レフト
(エアシステム114便へ。滑走路19ライトで待機してください。進入機が滑走路19レフトまで、あと5マイル、訂正、4マイルです)
エアシステム114。タクシー イントゥ ポジション アンド ホールド 19ライト」(エアシステム114。滑走路19ライトへ入り、待機します)
無線交信では数字を英語で読む場合、9は、ナインではなく、ナイナーと発音する。9000はナイナータウザンド。滑走路19はワン・ナイナーとなる。
アプローチ。クリアー」森田機長が滑走路19ライトに他の進入機がいないことを確認してコールした。副操縦士も右側のランウェイサイドを見て全日空機の離陸を確認してコールする。
ランウェイ ジャンボ。エアボン」(滑走路クリアーです。ジャンボは離陸しました)
114便は滑走路の入り口に近づいた。

オールニッポン780。コンタクト。デパーチャー
(全日空780便へ。以後は千歳出発管制へ連絡してください)
780便は離陸すると管制エリアがタワーコントロールから、レーダー誘導をするディパーチャー・コントロールに移管された。
オールニッポン780。ラジャ。GOOD DAY
挨拶を送って全日空780便は、南に向かって黄昏の空を上昇していった。代わってエアシステム114便ボーイング777が滑走路に入り、機首をセンターラインに合わせて待機する。

淡い黄昏の中に、ひと気のない大通りのような長い滑走路が目の届く限りに延びて、その両側には白の、遥か前方にはオレンジ色のランウェイライトが、まるでクリスマスの装飾のように美しく光っている。
エアシステム114。インバウンド 3マイルズ ファイナル 19レフト。ウィンド 240 アット 13 クリアー フォア テイクオフ 19ライト
(エアシステム114便へ。飛行機が滑走路19レフトへ向かって3マイル地点を進入しています。滑走路19ライトから離陸を許可します。現在、風は240度(西南西)から13ノットです)
千歳タワー管制から離陸の許可が出た。木村副操縦士がすぐに答える。
クリアー フォア テイクオフ 19ライト エアシステム114
(エアシステム114便。滑走路19ライトから離陸します)
テイクオフ、とふたりのパイロットが確認し合う。
緊張感がコックピットにみなぎった。

つづく

武田一男

ボーイング777コックピット「続・機長席」/全9回
録音・解説:武田一男 (C)Director’s House

【著作について】「続・機長席」で収録している音声、音源等は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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ボーイング777コックピット「続・機長席」第1回

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この作品は過去、ベストセラーを記録した航空ドキュメンタリーの傑作CDブックを電子書籍化したものである。
新千歳空港を折り返したボーイング777は東京・羽田 空港へ向かう。折しも、羽田上空は九州、大阪、沖縄から飛来した航空機と北から下ってくる航空機が一緒になって夕べの空のラッシュアワーだ。それら数十機の航空機をまるでオーケストラの指揮者のように鮮やかにさばいて羽田空港に着陸させる管制官の仕事には息を呑む緊迫感と感動がある。東京湾上空のスリリングな舞台裏をあますところなく描いたクライマックスは、この作品最大の読みどころであり聴きどころである。

第1章 千歳空港離陸_1

新千歳空港へ着陸した日本エアシステムのボーイング777は、17時15分発の東京羽田空港行き114便として折り返し運航するのである。

航空機の便名は原則として起点となる主要空港から下り便に奇数、上り便に偶数番号がつけられる。

わずかに誘導路に春の陽光がさしているが、北国の黄昏は白夜のように穏やかであった。新千歳空港の滞在は約45分。その間に森田機長と木村副操縦士は空港ビルにある運航部へ行って最新の天候情報などを調べた。勤務明けの運航部員が飛行機に戻る森田機長に挨拶をする。
「今日は穏やかな一日でしたよ。眠いくらいでした」
「そうだね。雲や雪の日のほうが緊張感はあるよね」と機長が苦笑する。二週間前に森田機長が同じ115便で千歳空港にフライトしたときは、台風を思わせる悪天候で着陸するまで緊張をよぎなくされた。その時の運航担当者だった。

現在、16時50分。新千歳空港ゲート16番。
駐機している114便の機外周辺には、給油車、飛行機を誘導路まで牽引するトーイング・カー、機内食を搬入するケータリング・カー、乗客の荷物を運んできたバケージ・カーなどが接続され、地上整備員は出発前の準備に多忙をきわめている。

コックピットでは、搭乗前に行う機体外部の目視点検を済ませた森田機長が木村副操縦士と共に出発前の準備を始めていた コックピットの頭上にあるスピーカーから、新千歳空港を出発する航空機と千歳デリバリー管制の交信が絶え間なく聞こえていた。

17時10分出発の仙台行き日本航空846便、ボーイング737ー400の飛行プラン承認(クリアランス)の交信が始まった。

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★「続・機長席」挿入01

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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ジャパンエアー846。ラジャー。クリアランス レディ トゥ コピー?
(日本航空846便へ。了解。ATCクリアランスをおこないます。コピーの準備はできていますか?)
ゴーアヘッド」(どうぞ)
ジャパンエアー846。クリア トゥ センダイエアポート バイ ア トビー5ディパーチャー トビー フライトプラン ルート メインテイン フライト レベル240 ディパーチャーフリクエンシー ウィル ビー 124.7 スクウォーク4737 リードバック
(日本航空846便へ。仙台空港までの飛行プランを許可します。トビー出発方式で24000フィートまで上昇してください。出発管制の周波数は124.7メガヘルツの予定。レーダー認識番号は4737です。復唱願います)
ジャバンエアー846。クリアー トゥ センダイエアポート バイ ドビー5デパーチャー トビー フライトプラン ルート メインテイン フライトレベル240 ディパーチャー124.7 スクウォーク4737
ジャパンエアー846。リードバック イズ コレクト。コンタクト チトセグランド 121.6
(日本航空846便へ。復唱は正確です。以後は千歳グランドコントロール管制121.6メガヘルツへ連絡してください)
121.6 ジャパンエアー846」(121.6。了解しました 日本航空846)
日本航空機に続いてエアシステム668便への飛行プランのクリアランス交信が聞こえる。この便は新千歳空港を17時10分に出発する大阪空港行きエアバスA300ー600Rである。

エアシステム668。クリアランス レディ トゥ コピー?
(エアシステム668便へ。飛行プランの承認をします。コピーの準備ができますか?)
エアシステム668 ゴーアヘッド
(エアシステム668便です。どうぞ)
エアシステム668。クリアー トゥ オオサカエアポート バイ ア ハコダテ3ディパチャー ハコダテVOR フライトプラン ルート メインテイン フライトレベル350 ディパーチャー フリクエンシー ウィル ビー 124.7 スクウォーク4742 リードバック
(エアシステム668便へ。大阪空港への飛行プランを許可します。函館3出発方式、函館VOR飛行ルートで35000フィートで飛行してください。出発管制の周波数は124.7メガヘルツの予定です。貴機のレーダー認識番号は4742。復唱願います)
エアシステム668。クリアー トゥ オオサカエアポート ハコダテ3ディパーチャー ハコダテVOR フライトプラン ルート メインテイン350 ディパーチャー124.7 スクウォーク4742
エアシステム668。リードバック イズ コレクト コンタクト チトセグランド121.6
(エアシステム668便へ。復唱は正確です。以後は千歳グランドコントロール121.6メガヘルツ周波数へ連絡してください)
121.6」(121.6へ連絡します)

17時10分。出発五分前になった。
森田機長がコックピットからインターホンで駐機している16番ゲートの114便の下にいる地上整備員に呼び掛けた。
グランド。コックピット」(グランド整備員。こちらコックピットです)
どうぞ
はい。APUスタートしました。GPUをディスコネクト、どうぞ
ボーイング777は駐機しているとき、燃料の節約、環境保護のために客室のエアコンなどを回す電力をGPU(地上電源)から取り込んでいる。森田機長はコックピットで飛行機の補助エンジンAPUを始動させたので、地上電源を切ってくれるように依頼したのだ。
了解しました。ディスコネクトします

114便も千歳デリバリー管制へ飛行プラン承認(クリアランス)の交信をする時間が迫っていた。
この交信はファイブ・ミニッツ・コールとも呼ばれ、飛行機が出発する過程の中で重要な意味を持つ。すなはち、デリバリー管制へクリアランス交信をするまでには、ほとんどの出発準備を完了させ、あとはエンジン始動させるだけの状態になっていなければならないのである。
エンジン始動時までには、乗客のボーディングを担当するグランドスタッフは乗客の搭乗を完了させ、ランプコーディネーターは、整備員、地上要員がボーディングゲートを取り除き、荷物、給油などの諸作業を終らせて飛行機周辺の障害物がないことを確認して、誘導路まで牽引するトーイング・カーを飛行機に接続していなけれならない。

一方、コックピット・クルーもエンジンを始動させるに必要な点検や打合せ事項を終わらせていなければならないのである。地上の準備を完了させたランプコーディネーターから、114便のコックピットにエンジンスタート五分前が伝えられると、森田機長は副操縦士に管制塔と交信する指示を出した。

木村副操縦士は飛行プランのクリアランスを受けるために、千歳デリバリー管制へマイクで呼び掛けた。
チトセデリバリー。エアシステム114
(千歳デリバリー管制へ。こちらエアシステム114便です)
エアシステム114。チトセデリバリー。ゴーアヘッド
エアシステム114。トゥ トウキョウ フライトレベル390 スポット16
(こちらエアシステム114便です。東京羽田空港まで飛行高度39000フィートで飛行予定です。現在、ゲート16に駐機しています)
エアシステム114。スタンバイ クリアランス
(エアシステム114便へ。飛行プランの承認を待ってください)
スタンディング バイ」(待機します)

待機している間にコックピットのデスプレイには、コミニケーションの指示が表示された。エレクトリック・チェック・リストのシステムは、飛行の段階に応じて、クルーにそのときにするべき事柄をデスプレイに確実に表示するのだ。
チェック。コミニケーション」と、機長は、ACARSでアップリンクされたウェイト&バランス(燃料、乗客などの114便の飛行重量と重心位置のデーター)及びテイクオフデーターを表示させ確認を始めた。
はい。114便のパッセンジャー(乗客)は171プラスゼロ(171名と幼児はゼロ)ジャンプシート(コックピット補助席)使用が二名。燃料が38000ポンドだな。はい。アクセプト。チェック、次のページだね
MFDに表示されるウェイト&バランスとテイクオフデーターは3ページにわたるのでコックピットクルーはその項目を一つづつ確認していく。
スーパーシートの乗客は6名。レインボーシートの乗客は31名。滑走路は19R。滑走路面はドライ。ハイ。アクセプト。テイクオフ2のクライム1(離陸と上昇時の推力)。チェック、ネキストページ(次のページは)?
エンド(終りです)」と副操縦士。

このとき全日空780便、17時15分発の大阪行き747ジャンボのクリアランス交信が聞こえてくる。
キャンセルメッセージ」森田機長は終了した打合せ項目をデスプレイから消して次に進んだ。FMSのディスプレイ表われた次のページは離陸速度に関するものだった。
チェック。テイクオフスピード」と森田機長。
はい」と木村副操縦士が答えてデスブレイ表示された離陸データーを確認して声を出して読んだ。
ドライV1  126 129 134
(晴天状態での離陸で、離陸スピードは126、129、134ノットです)
今日の千歳空港の滑走路は雨や雪で湿っていなてドライな状態で、これから離陸するスピードはVワンが126ノット。VRが129ノット V2が134ノットであるとコンピューターが算出していた。

一般的に迎え風が強いと揚力が増して飛行機の滑走距離は短くてすむが、微風、あるいは追い風であると、飛行機は必要な揚力を得るために離陸距離は増加する。風がない日に重い凧を上げるのに、速く、遠くまで走らなければならないのと同じである。
又、離陸するときの機重(テイクオフ ウェイト)によっても、滑走路を走る長さが変わる。今日の114便の場合は必要な滑走路の距離は、コンピューターの計算によると5512フィートであった。

ボーイング777では、今日の風の強さ、方向、滑走路の状態、乗客や貨物、搭載燃料の重さなど、さきほど機長と副操縦士が確認し合った諸条件のもとで、これから行う離陸時の速度や滑走距離をコンピューターが算出して、ディスプレイに表示しているのである。
アームLーNAV、アームVーNAV。テイクオフ ブリーフィング(次はテイクオフの打合せだ)。シップの状態はOK。ノータム(滑走路が使用不能などの航空情報)は今日は別にないですね」と森田機長が確認する。
はい。ありません
それではウエザー(天候)だ。210度(西北西)から11ノットの風で、若干右よりの風だな。天気は良好で温度は摂氏10度、ー1度(露点天温度)。気圧は29.98インチ。搭載燃料は38000ポンドで、飛行機の離陸重量(離陸時の総重量、テイクオフ ウェイト)は38万3000ポンド。離陸時のフラップの位置は5。テイクオフスラスとはテイクオフ2だね。トリムは7、00。離陸スピードはV1から、126、129、134ノット。必要離陸距離(離陸に必要な滑走路の長さ)は5512フィート。エンジンアウトのアクシェレーションはアルト1500 アクセル3000 リダクション1500

離陸打合せ中に千歳デリバリー管制から交信が入った。
エアシステム114。クリアランス レディ トゥ コピー?
(エアシステム114便へ。飛行プランをクリアランスをしますのでコピーの準備をしてください)
エアシステム114。ゴーアヘッド」と木村副操縦士が答えてメモを用意して待つ。
エアシステム114。クリア トゥ トウキョウ・インターナショナルエアポート バイ ア トビー5ディパーチャー トビー フライトプランルート メインテイン フライトレベル390 ディパーチャーフリクエンシー ウィル ビー 124.7 スクウォーク2461 リードバック
(エアシステム114便へ。東京羽田国際空港までの飛行プランを承認します。トビー5出発方式、トビー飛行プランルートで高度39000フィートを許可。出発管制の周波数は121.6メガヘルツ レーダー認識番号は2461です。復唱願います)
今日の114便の千歳空港の出発方式(SID)は、トビー5出発方式と指定された。
これは日本航空846便仙台行きと同じ出発方式である。
エアシステム114。トゥ トウキョウエアポート トビー5デパーチャー トビーフライトプランルート フライトレベル390 ディパーチャー フリクエンシー124.7 2461」と木村副操縦士が復唱する。

普通、管制官と飛行機の交信内容は復唱するのが原則である。唯、航空機が混雑しているときは高度、レーダー番号、周波数など数字だけ復唱する場合もある。
エアシステム114。リードバック イズ コレクト コンタクト チトセ・グランド121.6
(エアシステム114便へ。復唱は正確です。以後は千歳グランド管制へ連絡してください。周波数は121.6メガヘルツです)
121.6」と復唱して、副操縦士は交信を終えた。
コンティニュー テイクオフ ブリーフィング」と森田機長は再び交信で中断していた離陸の打合せを始めた。
巡航高度(クルーズアウト)は39000フィートで重量的には問題ないね。使用滑走路は19のライト(千歳には南向きの滑走路19が二本あってその右側の滑走路のこと)で、離陸してからはトビー5出発方式で、Rナビゲーションルートを飛行します。L NAV V NAVのデーターを使用して飛行します。コンストレインは11000フィートより下。千歳からの27マイルDMEの地点まで。それから東京羽田空港の進入は阿見VOR上空(茨城の霞ヶ浦東の地点、阿見にある地上無線標識)で13000フィートより下を飛行します。東京羽田空港のアプローチでジョウナンを通過するスピードは170ノットで入力しています。
もし千歳空港の離陸中にトラブルが起きた場合、対処の仕方は東京で打合せしたことと同じです。リジェクト又はゴーとコールしますから、それに従ってください。ゴーの場合
(新千歳空港へリターンする場合)は高度は4000フィートで飛行する旨をリクエストします。ワイドパターンのレーダー誘導を受けます。それだけですね。何かありますか?」「ありません

離陸の打合せが終わると計器点検が始まる。
プリパレーション・チェックリスト」と機長の指示で副操縦士が表示されたディスプレイのリストを読み上げながらふたりで確認する。 
オキシジョン(酸素ボンベ)・・・セット
パッセンジャー・サイン・・・・・セット」(客室のシートベルト等のサイン)
フライトインストルメント・・・・セット
プリパレーション チェックリスト イズ コンプリーテッド(完了です)

木村副操縦士が無線機の周波数をデリバリー管制から千歳グランド・コントロール121.6に変えた。
これから114便は千歳地上管制官に引き継がれるのである。すぐにグランドコントロールと他の飛行機が交わす交信が聞こえてくる。
ジャパンエアー846。コンタクトタワー 118.8
(日本航空846便へ。以後は周波数118.8メガヘルツへ連絡してください)
ラジャー。118.8 ジャパンエアー846
(了解しました。118.8。日本航空846)
17時10分発の仙台へフライトする日本航空846便は、すでに地上走行(タクシー)中で滑走路近くにいて、グランドコントロールの管制下を離れて千歳タワーコントロールに引き継がれるところであった。

千歳グランド。エアシステム668。リクエスト タクシー
次はすでにプッシュバックが完了したエアシステム668便A300が、エンジンを始動させて、これから地上走行を始めるために、グランドコントロールにリクエストをしている。パイロットは常に他の飛行機と管制官の無線を傍受しながら、周辺の飛行機の動きをチェックしているのである。
エアシステム668。ランウェイ19R(ライト)。バイア T1(タンゴ ワン) H4(ホテル フォー) A2(アルファ ツー)
(エアシステム668便へ。誘導路の表示、T1、H4、A2を経由して滑走路19ライトに向けて地上走行してください)
T1、H4、A2 エアシステム668
(タンゴ1、ホテル4、アルファ2。了解。エアシステム668)

飛行機は管制官から指定された誘導路(タキシーウェイ)を通って滑走路へ向かわなければならが、新千歳空港も羽田空港と同様に、複雑な誘導路があるので誘導路で飛行機同士が接触事故を起こしたり、滑走路への道を間違えないようにするためにアルファベットと数字の目印が大きく誘導路脇に表示されている。
グランドコントロールは、地上走行する飛行機にその都度、アルファベット標識を指定して飛行機を地上走行させるのだ。
この無線のアルファベットは世界共通の定められたフィオネテック・コードといい、たとえば、Aはアルファー。Bはブラボー。Cはチャリー。Tはタンゴ。Hはホテルなど。特別の読み方がある。

千歳グラウンド オールニッポン780。リクエスト プッシュバック ゲート8」(全日空780便です。プッシュバックの許可願います)
17時15分発の大阪行き全日空ボーイング747が、8番ゲートを離れようとしている。
オールニッポン780 クリアー フォア プッシュバック フェイス トゥ サウス」(全日空780便へ。プッシュバックを許可します。機首が南に向くようにしてください)
プッシュバック フェイス トゥ サウス」(南向きにプッシュバックします)
ゲートから誘導路へ出るとき、機首をトーイングカーで押されるので、飛行機は後向きに誘導路につく。そのとき誘導路で飛行機を南に向けるか、北に向けるか、あるいは東か西か。これは出発ゲートと滑走路の位置によって変わるが、どちらに向けるかは管制官が決める。
管制指示は「フェイス(飛行機の顔、すなはち機首)トゥ サウス」であるから、全日空780便は、南を向いて誘導路へプッシュバックしなければならないのである。

現在、17時15分。114便の出発時間である。

武田一男

ボーイング777コックピット「続・機長席」/全9回
録音・解説:武田一男 (C)Director’s House

【著作について】「続・機長席」で収録している音声、音源等は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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「続・機長席」の公開にあたって!

こんにちわ。竜子です。

今回、公開される「続・機長席」は、過去CDブックとして発表された「機長席」の音源です(本ブログでJAS115便(羽田-新千歳)を公開する際にタイトルを「機長席」としたため、混乱してはならないと言うことで、「続」として発表することになりました)。

現在、iTunesで配信されているアプリ「機長席」は、機長や副操縦士を中心としたボーイング777のコックピットワークを紹介することを主としています。しかし、今回の「続・機長席」ではクルーのコックピットワークもさることながら、主人公は別にいます。それは管制官です。一度に複数の航空機の飛行を調整し、それぞれの目的地に誘う管制官の仕事は我々が知る以上に過酷であり、身を切るような緊張に日々置かれています。
それら管制官の仕事の現場を臨場感をもってドキュメントしたのが「続・機長席」のテーマであります。作品最後の2/3をラッシュアワーの羽田空港へのアプローチと着陸にあて、ひとりの管制官が、まるでオーケストラの指揮者のように数十機の航空機を羽田空港滑走路16に導く様子を音と文章で克明に伝えるドキュメンタリーは、手に汗を握ります。

iPhoneアプリ「機長席」は、羽田から新千歳までの日本エアシステム115便で、本ブログで公開される「続・機長席」は、その折り返しの114便ですが、併せてこの2作品を続いて聴くと、旅客機の運航状況がよく判りますし、且つ管制の流れや用語も学ぶことができて一挙両得。つまり、この2作品で1つの作品と思って頂きたいのです。

この作品が製作・発表されたとき、著者の武田一男氏は、「あとがき」に、このように書いています。

この本は文字と音によるドキュメンタリーの新しい試みのひとつとして制作したものです。私は永年、映像作品の演出にたずさわりながらいつも思うことは、カメラでどんなにうまく撮影された映像よりも、人が頭の中でイメージする映像の方が遥かに優れたものである。例えば、趣味や経験による個人差はあるにしても、文字で物語を追いながら個々の脳裏に浮かぶ映像は、完璧なアングルと理想的な構図を持っているものです。

これは人間が持つ「イメージする能力」の素晴らしさ故で当然のことなのですが、今回、操縦席の現場を伝えるにあたって、カメラで撮影した映像ではなく、文字と音という手段による方法が、現場の状況を理想的かつ効果的な「映像」として読者の脳裏に直接メッセージすることができるのでは、と考えました。とくに音は、あたかも料理に調味料を加えるごとく脳裏に浮かんだ映像に「音」を加えることで、よりリアルに臨場感溢れるものに変わりました。

航空機のドキュメンタリーといえば、悲惨な事故やハイジャックをテーマにした本が多い昨今、日常、航空機の運航にたずさわる人たちの姿を記録しておきたいという今回のプランにご協力いただいた…(略)

CDブック「機長席」

わたしは、この料理にたとえたくだりが好きです。
音が調味料だとすると、森田機長の「ギアアップ」の発声は粗挽きの黒こしょう。木村副操縦士の「V1」はその美味しさを引き立てる白こしょう。それから味の極め手はなんといってもお塩。管制官とのやりとりは、シェフが振りかけるひとつまみの塩のようですよね。
私の頭の中では、関谷チーフパーサーには、熟成のきいたバルサミコ酢になって味をもり立ててもらい、真鯛のポアレの出来上がり。iPhoneアプリの「機長席」はさしずめ前菜のテリーヌといったところでしょうか。

みなさんの頭に、どんな食卓が出来上がるんでしょうね。
ではでは、あつあつのうちに召し上がれ。

竜子

最後に。
公開にあたって、著者の武田さんより下記コメントを頂きました。
紹介します。

「この作品は本来、航空ドキュメンタリーという読み物です。それに音声を加えてより臨場感を出すべく意図した作品です。従って、音声を文字にリライトする に際して、いわゆる「意訳」がいろいろな箇所にあります。それはあくまでドキュメンタリーとしての文章を読みやすくするための創意であって誤訳ではありま せん。むろん僕の単純ミスも多々あります。

しかしながら、iPhoneアプリ「機長席」を発売した際、その意図的意訳までミスと誤解され非常に煩わしい思いをいたしました。なかでも許せなかったのは、航空マニアとしての自己知識の顕著欲からとしか考えられないような指摘やレビューを頂いたことです。そういう人は正直、僕の作品に触れて貰いたくない気持ちです。

多少、感情的になりましたが真意をお汲み上げの上ご理解頂ければ幸いです。尚、それが強烈な作品批判であれ読者の皆様の善意ある訂正コメントは大歓迎です。最後にくり返し申し上げますが、こ の作品は音声をリライトすることが目的で制作したものではなく、あくまでドキュメンタリーとしての読み物であり、音声は臨場感を出すための手段のひとつで あることをご理解下さい。宜しくお願いします」

武田一男

ボーイング777コックピット「続・機長席」/全9回
録音・解説:武田一男 (C)Director’s House
著作について▶「続・機長席」で収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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B747コックピット「ヨーロッパ飛行」第3回

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ヨーロッパ飛行画像(haruhikon提供)

「コペンハーゲンへ向けてエンジン始動」

—————–
★「ヨーロッパ飛行」挿入03

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

—————–

岸田副操縦士はチューリッヒ・グランド管制の周波数121.9メガヘルツで、出発準備が整ったことを告げた。
「ジャパンエア412 クリア スタート アップ ランウエイ28 (QNH)1019」(日本航空412便です。エンジン始動の準備は整っています。離陸滑走路は28、気圧は1019ヘクトパスカル)
グランド管制が日本航空412便にコペンハーゲン空港までの飛行承認を発出する交信を始めた。
「ジャパンエア412 クリア トゥ コペンハーゲン バイア チューリッヒ・イースト・ワン・ウイスキー ディパーチャー フライト レベル 80 スクォーク 3005」(日本航空412便へ。コペンハーゲン空港までの飛行を承認します。チューリッヒE1W出発方式で、飛行高度は8000フィート。貴機の認識番号は3005です)

発出された飛行承認に鈴木機長は、右の親指を上にして了解する合図をし、岸田副操縦士はその承認を復唱した。
「ジャパンエア412 クリア トゥ コペンハーゲン バイア チューリッヒ・イースト・ワン・ウイスキー・ディパーチャー メインテイン 80 イニシャリー スクォーク 3005」(日本航空412便です。チューリッヒE1W出発方式で、離陸後の高度は8000フィート、当機の認識番号は3005です)
管制官は発出した飛行高度と復唱した飛行高度に相違があったように思ったのか、飛行高度を再度復唱させた。
「ジャパンエア412 アイ セイ アゲイン フライト レベル 80」(日本航空412便へ。飛行高度を8000フィートと再度復唱して下さい)
「メインテイン 80」(高度8000フィートです)
ディスパッチャーが提示した飛行高度は3万5000フィート。だが、ヨーロッパ域内は網の目のように航路が張り巡らされ、且つ多くの航空機が飛行している。また上空の管制エリアも細分化されているので、安全の為に低い高度での飛行を承認している。
岸田副操縦士は空港ランプエリアを管制するチューリッヒ・ランプの周波数121.75メガヘルツに合わせ、プッシュバックの許可を要請した。
「チューリッヒ・ランプ コントロール ジャパンエア412 リクエスト プッシュバック ゲート ブラボー(B)33」(チューリッヒ・グランド管制へ。日本航空412便です。プッシュバックの許可を願います。当機は駐機所B33にいます)
「ジャパンエア412 グッドアフタヌーン クリア トゥ プッシュバック フェイシング ウエスト」(日本航空412便へ。こんにちは。プッシュバックを許可します。機首を西に向けて下さい)
「フェイシング ウエスト クリア プッシュ ジャパンエア412」(機首を西に向けてプッシュバックをします)
「はい、グランドに言って下さい」鈴木機長は、飯田航空機関士にプッシュバックを開始することを地上整備員に伝えるよう指示した。
「グランド ウィ ア クリア フォア プッシュバック」(プッシュバックを始めて下さい)
「オーケー… リリース パーキング ブレーキ」(了解。パーキング ブレーキを解除して下さい)
「パーキング リリース お願いします」飯田航空機関士は鈴木機長に解除するよう伝えると、機長は「ブレーキ リリース」とコールし、機長席の右にあるパーキング ブレーキを下に押し込むと、機首部の車輪に掛けられていたブレーキ装置が解除された。それを確認した航空機関士は、地上整備員に「パーキング ブレーキ リリース ナウ」(パーキング ブレーキを解除しました)と伝えた。

「はい、18分」鈴木機長が出発時間をコールしたと同時に、トーイングカーはエンジンを目一杯吹かし、JAL412便をプッシュバックし始めた。
鈴木機長はビフォア・スタート・チェックリストのドットライン以降のチェック項目(アイテム)の確認を岸田副操縦士に指示した。
「じゃあ、チェックリスト(の続き)」
「ビーコン ライト…オン」
「ギャレー パワー…オフ」
「パック バルブ…ワン オープン」
「スタート プレッシャー…41 PSI」
「(コックピット)ドアーズ…クローズ」
「ビフォア・スタート・チェックリスト コンプリーテッド」
チェックリストのアイテムを読み上げて計器確認を完了すれば、その旨を必ずコールしなければならない。
ランプエリアをタキシングする飛行機が次々と交信している。JAL412便の次にプッシュバックを要請する交信が聴こえ、管制官は機首を北に向けるよう指示している。
そんな交信が終わるのを見計らってか、チーフ・パーサーが出発のアナウンスを始めた。

「みなさま、大変長らくお待たせ致しました。お客様の人数の確認が出来ましたので、まもなく出発致します。ご協力ありがとうございます」
トーイングカーはエンジンを目一杯吹かしJAL412便を押し、地上走行する地点で止まった。地上整備員がパーキング・ブレーキをセットするように呼び掛けてきた。

「…セット パーキング ブレーキ プリーズ」
「パーキング ブレーキ お願いします」
「ブレーキ セット」
「パーキング ブレーキ セット コンプリーテッド」
「オール エンジン クリア フォア スタート」
地上整備員は、誘導路上に障害物が無いことを確認し、エンジン始動を促してきた。
「オーケー 4、3、2、1」鈴木機長は始動するエンジンの順番をコールした。
「ターニング ナンバー4 エンジン」飯田航空機関士は、エンジン始動スイッチを入れた旨をコールした。
機首方向に向かって一番右のエンジン(ナンバー4)のエンジンが回り始めた。
「10… 15… N1… 21…」
エンジンの回転が徐々に上がり、機長はエンジンに燃料を注入するコールをする。
「フュエル イン…フュエル フロー…ライド アップ」
「25… 30… 35… 40」
コックピットからはエンジンの音はあまり聞こえない。APUだけの音で比較的静かである。しかし、燃料が入ったエンジンは唸りを上げている。
「(ナンバー4エンジン)スターター カット アウト」航空機関士は、エンジンの回転を制御するスイッチを切った。
続いてナンバー3、ナンバー2と順にエンジンを始動させ、エンジン音が次第に大きくなる。鈴木機長は残りの一番左にあるナンバー1エンジンを始動するコールをし、飯田航空機関士はナンバー1エンジンのスターター・スイッチを入れた。
「ワン(1) スタート」
「ターニング ナンバー1 エンジン」
「10… 15… N1… 21…」
岸田副操縦士は、ナンバー2のエンジンの回転が安定したことを機長に報告した。
「ナンバー2(エンジン) スタイビライズ」
「フュエル イン…フュエル フロー…ライド アップ」
「25… 30… 35… 40」
4基のエンジンが轟音と共に、耳を劈くように唸りを上げている。
「(ナンバー1エンジン)スターター カットオフ」
ナンバー1のエンジンが徐々に回転数を上げているが、その音は他のエンジン音で掻き消されている。

「ディスコネクト グランドに言って下さい」全てのエンジンが回り始めたので、地上整備員にインターフォンを切って、航空機から離れるように指示を与えた。
「ラジャ… グランド ディスコネクト オールグランド イクイップメント アンド インターフォン」(機器と無線機を取り外して下さい。)
「ラジャ ハブ ア ナイス フライト」
「ラジャ」
「ナンバー1(エンジン)スタビライズ」
4基全てのエンジンが始動し、エンジン始動後の計器チェックである、アフター・スタート・チェックリストを行った。
「アフター・スタート・チェックリスト」
「エレクトリカル…ノーライト エンセンシャル ノーマル」
「ハイドロ リックス…オート アンド ノーマル」
「(コックピット)ドア…クローズ」
「エルロン ラダー アンド トリム…ゼロ」
「グランド イクイップメント…ディスコネクテッド」
「アフター・スタート・チェックリスト コンプリーテッド」
計器点検が終わり、鈴木機長はタキシング(地上走行)の許可を要請するよう指示を出した。
「タクシー クリアランス」
「(チューリッヒ)グランド ジャパンエア412 レディ フォア タクシー」(グランド管制へ。日本航空412便です。地上走行の許可を要請します)
「ジャパンエア412 クリア タクシー トゥ ランウエイ28 バイア タクシーウエイ インナー イースト」(日本航空412便へ。誘導路 インナー(Inner)、イースト(East)を経由して、滑走路28に地上走行して下さい)
鈴木機長は走行する誘導路を指で指し示しながら確認し、岸田副操縦士は管制官の指示を復唱した。
「インナー イースト クリア タクシー ランウエイ28 (ジャパンエア)412」(誘導路 インナー(Inner)、イースト(East)を経由して、滑走路28に向かいます)
2名の操縦士は、地上走行(タクシー)をする前に機体両側に障害物や近付いて来る航空機が無いかを確認する。地上走行に関わらず飛行している際も、旋回する前にその方向に異常が無いかを必ず確認しなければならない。

チューリッヒJEPPESEN

チューリッヒ・クローテン空港では、出発承認から地上走行するまでの手順が定められている。JAL412便の場合、出発承認はグランド管制(121.9MHz)、プッシュバックはランプ管制、プッシュバック完了後、エンジンスタートし、地上走行(タキシング)はランプ管制となっている。
「チェック ライト」鈴木機長は右側に異常が無いか確認させた。
「ライト サイド クリア」岸田副操縦士は何も無いことを報告した。
鈴木機長は左太ももあたりにあるステアリング・チラーを握り、機体を操縦する。航空機は地上走行する際、正面にある操縦桿でコントロールは出来ない。ステアリング・チラーといって、小さな円形で機体をコントロールする。
「(フラップ)10」鈴木機長は離陸時のフラップの角度を岸田副操縦士に指示した。
副操縦士はスラスト・レバーの右にある翼の形をしたハンドルを一旦、上に上げて手前に引き、10と書かれた所までレバーを動かした。主翼の後ろに付いているフラップが下に降りていく。その姿をコックピットからは見えない。その姿を見れるのは主翼より後方の窓側に座っている乗客だけで、通路席・中央席の乗客は、その動いている音が聞こえる。
鈴木機長はフラップの指示と同時に、4つあるスラスト・レバーを少し前に押し出した。エンジンは回転数を上げ、機体を前進させる推力を発生させ、機体は徐々に動き出し、離陸滑走路28に向って走行し出した。

桃田素晶

「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」
解説:桃田素晶/録音:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」で収録している音声、音源等は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。また、解説は桃田素晶、表紙写真はharuhikonに著作があります。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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B747コックピット「ヨーロッパ飛行」第2回

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ヨーロッパ飛行画像(haruhikon提供)

「飛行前計器点検とボーディング アナウンス」

ヨーロッパ中央に位置するスイス連邦。連邦制共和国であり永世中立国として有名である。東はリヒテンシュタイン、オーストリア、西はフランス、南はイタリア、北はドイツに囲まれている内陸国でもある。南のイタリアとの国境付近にアルプス山脈が聳えた立ち、ヨーロッパ大陸を東西に分断するかのようである。スイスの最大の観光地はアルプス山脈であり、最高峰のモンテ・ローザやマッターホルンはスイスの象徴であり、たびたびメディアに登場する。首都は中央に位置するベルン。万国郵便連合の本部であり旧市街は世界遺産である。あと世界保健機関、国連欧州本部を始め国際機関が本部を置くジュネーブ、今回の出発地であるチューリッヒは、スイス最大の都市で金融業を中心に発展し、国際サッカー連盟の本部がある。アルプス山脈の壮大な景観に多くの観光客が魅了され、賑わっている。また世界的機関の本部が多く構えていることもあって、観光客と併せてビジネスでの利用も多く、経済的にも安定した国である。

ランチを終え一息つく人達がチラホラと見受けられ、体に匹敵するほどの大きなカバンを抱え、チェックインカウンターに並ぶ人々。ここは、スイス・チューリッヒの郊外、クローテンに設置された「チューリッヒ空港」。田園地帯の中に滑走路が走り、彼の地へ向かう航空機、またこの地に向かって着陸する航空機で賑わいを見せている。チューリッヒ空港は、スイス最大の空港であり玄関口でもある。ヨーロッパ、北米、南米、中近東など多くの航空会社が就航し、世界中にネットワークを構築している。

スイスのフラッグ・キャリアであるスイス・インターナショナル・エアラインズ(ドイツ・ルフトハンザ航空の子会社、スター・アライアンス・メンバー)の本拠地として、ヨーロッパ、アフリカ、アジアなどに就航し、日本では成田線に週7日のデイリー運航をしている。また、チャーター便を専門とする子会社として鮮やかなカラーリングで人気の高いエーデルワイス航空も、チューリッヒ空港を本拠地としている。ちなみに両社の機材は全てエアバス社製で統一されている。
日本のフラッグ・キャリアである日本航空は、1979年4月1日から成田-チューリッヒ線(アンカレッジとコペンハーゲンを経由)を開設した。しかし、需要の落ち込みで撤退を余儀なくされた経緯があった。

ゲート(駐機所)B(ブラボー)33で束の間のひと時を過ごしているJAL412便のコペンハーゲン、アンカレッジ経由の成田行きB747型機、通称ジャンボ機。誰も知っているジャンボ機。誰でもが乗りたいジャンボ機。しかしその姿は年を追うごとに機数を減らしている。
純白の機体には赤と青のストライプが走り、大きな尾翼には日本航空のロゴである赤い鶴丸が描かれている。海外にいる日本人は、この鶴丸を見ると我が故郷への思いを強くするという。同時に国のフラッグ・キャリアとして、また国を象徴するものでもあり、一層の親しみと安堵感もあると聞く。「JALに乗れば日本に帰れる」「海外先でJALを見れば故郷が懐かしくなる、ホームシックになる」など、人それぞれに想いがある。
クルー(乗務員)は、機長(CAP)、副操縦士(FO)、航空機関士(FE)の3名であり、スリーメン・クルーともいう。航空機関士は、燃料の注入量の調節や電気系統の確認など飛行に際しての様々な数字を計算し、機長にアドバイスする役目、言わばジャンボ機の中枢を担っている重要なポストである。一見、3名乗務だと、操縦の手間などが掛かって億劫に感じるが、航空機とパイロットが一つとなって、パイロットは自分の手足のごとく操縦しているので、飛行中の不具合などの変調は体で感じ取れるのである。

出発時間が迫ってきた。主翼に取り付けられていた燃料パイプが外され、貨物や乗客の荷物は機体下部に積載を完了した。乗客は搭乗口のグランド・スタッフのアナウンスにより、機内へと歩を進めている。クルーは既に最初の経由地であるデンマーク・コペンハーゲン空港(通称:カストラップ空港)までの飛行経路(ウエイ・ポイント)の座標をINSにインサート(入力)し終え、エンジン始動前の計器点検であるビフォア・スタート・チェックリストを行う準備をしている。機長は副操縦士と航空機関士に計器点検を行う旨を伝えた。

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★「ヨーロッパ飛行」挿入02

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「それでは、チェックリストをやりましょうか?」
「ちょっと、グランドを呼んで」
機長は副操縦士に地上整備員を呼び出すよう指示すると、副操縦士はインターフォンを取り、地上整備員に呼び掛けた。
「グランド、コックピット」(こちらコックピットです)
「メイ アイ セット パーキング ブレーキ?」(パーキング・ブレーキをセットしていいですか?)
「パーキング ブレーキ セット コンプリーテッド オーケー?」(パーキング・ブレーキを完了しました)
「オーケー」
既に機体前方にある前輪にはトーイングカーが取り付けられ、地上では出発準備を完了している。
パイロットは、航空機が動き出す前の初めての計器チェックを始めた。

「それでは、ビフォア・スタート・チェックリスト、やりましょう」
「はい、チェックリスト」
「ビフォア・スタート・チェックリスト」
「シップ パウチ アンド ログブック…オンボード」
「コックピット プリパレーション プロシジャー…コンプリーテッド」
「オキシジョン アンド インターフォン…チェック」
「フライト コントロール アンド ハイドロ パワー スイッチ…オン」
「アンチ スキッド…オン」
「INS モード…ナブ」
「エバケーション コマンド スイッチ…アーム」
「エマージェンシー ライト…アーム」
「キャビン サイン…オン」
「ストール ウォーニング…ノーマル」
「クローブ ヒート…ピトー ゾーン ヒート」
「ウィンドウ ヒート…オン」
「レディオ クロックス アンド アルティメーター…セット 1019」
「エアスピード…バグズ セット」
「EPR…バグズ セット」
「パーキング ブレーキ アンド プレッシャー…セット アンド ノーマル」
「スタート レバー…カットオフ」
「ギア ピンズ…リムーブ」
「フュエル…72000ポンド セット フォア スタート」
「プレッシャリゼーション…オート」
「ADP…オフ」
「コックピット ドア…ロックド」
「ドット ライン トゥ ゴー」
「はい」

チェックリストは、エンジン始動前後、離陸前後、着陸前後など一つの動きをする毎に、必ず機器の点検(チェックリスト)を実施しなければならない。その中で、エンジン始動前の確認事項であるビフォア・スタート・チェックリストを副操縦士が読み上げて、「ドット ライン トゥ ゴー」とコールして、確認が終わったように思えるが実は違う。このチェックリストの最後の方で、点線(dot line)を引いた箇所がある。この点線以降はエンジン始動直前にコールする確認事項(アイテム)であるということを示すために引かれた点線で「ドット ライン」といい、それもコールすることになっている。

「インフォメーションはG(ゴルフ)で、ビジビリティ(視程)6キロ」と、副操縦士はチューリッヒ空港情報(ATIS)のコード番号と空港周辺の視界の距離である視程を報告し、その放送がコックピットに流れる。
「…1020 200ディグリーズ 2ノット ビジビリティ6キロメートル レイン 1オクターズ 1500フィート 6オクターズ 4000フィート 7オクターズ 10000フィート テンプラチャー11 …」(…世界標準時10時20分現在です。風向は200度から2ノット。視程は6キロ。雨が降っています。1500フィート、4000フィート、10,000フィートに雲があります。11度。…)

各社の航空機が出発承認を担う管制官に交信する様子が、コックピットに響き渡る。空港待合室から飛行機が駐機しているエプロンを見ると、コバンザメのように作業車が飛行機に張り付き、燃料の注入や荷物などを搭載している。またそれに併せて各々の作業担当者が右往左往を動き回っている。コックピットではパイロットが最終ブリーフィングや計器チェックなど、狭い空間で作業を行なっている。その作業の中の一つで、乗客には一切聴こえない会話がコックピットのスピーカーから絶え間なく聴こえる。管制官とパイロットが無線で交信しているのである。出発承認を得る為、パイロットは担当管制官と交信するのだが、他機のパイロットも交信してくる。早く管制官とコンタクトした方が早く出発できる。例えば、同じ出発時刻で、同じ目的地の飛行機が2機あったとする。どちらも早く出発する為に、ブリーフィングや計器チェックを早く終えたい。片方が全ての準備を整えて管制官に交信したら先に出発できる。また異なる目的地だか同時刻出発の飛行機が複数あれば、前の飛行機の交信が終われば、割り込みにも似た交信が繰り広げられる。上空でも同じようなことがある。この様に乗客には分からないが、パイロット達の熱い戦いが行なわれている。

出発予定時刻が近付いていることを地上整備員が交信して来た。
「コックピット グランド クリアランス レディ フォア プッシュバック」(プッシュバックの準備は出来ています。出発承認をもらって下さい)
「ラジャ」副操縦士は応答し、チューリッヒ空港のグランド管制へ交信を始めた。
出発予定時刻の直前(5分前)に地上整備員からの交信を「ファイヴ ミニッツ」という。
「チューリッヒ・グランド ジャパンエア412 レディ トゥ スタート クリアランス コペンハーゲン (ゲート)ブラボー33」(チューリッヒ・グランド管制へ。こちら日本航空412便です。コペンハーゲン空港までの飛行準備が整いました。駐機所ブラボー33に駐機しています)
「ジャパンエア412 チューリッヒ ディレイ テイクオフ QNH1019 タイム44 … 13 イクスペクト テイクオフ タイム 07」(日本航空412便へ。空港が混雑している為、離陸が遅れます。空港周辺の気圧は1019ヘクトパスカル、出発予定時刻は44分ですが、13分ほど遅れます。離陸時間を7分になります)
空港が思いのほか混雑しているようであり、副操縦士はその旨を復唱した。国々の空の玄関口である空港には、世界各国から航空機が離着陸を繰り返しているので、予定されている時刻通りにはならないことが多い。
航空機関士は地上整備員に出発が遅れることを伝えた。
「スタンバイ 7 オア 8 ミニッツ」(7、8分、待機して下さい)

「…」
地上整備員からの交信内容が聴き取れなかったので、再度聴き直した。
「パードン?」(もう一度、お願いします)
「…」
ドイツ語訛りの英語なので聴き取り難い。
機長は出発承認を待っている旨を伝えるように航空機関士に伝えた。
「ATC スタンバイって言って下さい」
「バイ ATC スタンバイ」
「ATC スタンバイ」
機内ではチーフパーサーが乗客に出発前のアナウンスを始めた。
「皆様、本日は日本航空412便、コペンハーゲン、アンカレッジ経由東京行きにご搭乗下さいまして、ありがとうございます。まもなく出発致しますので、お座席のベルトをお締め下さい。お煙草は禁煙のサインが消えるまではご遠慮下さい。この便の機長は鈴木、私はパーサーの青地でございます。コペンハーゲンまでの飛行時間は1時間15分を予定しております。ご用の際は私ども乗務員にご遠慮なくお申し付け下さい」
続いて、英語での機内アナウンス、そして非常脱出時の案内が流れている。

つづく

桃田素晶

「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」
解説:桃田素晶/録音:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」で収録している音声、音源等は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。また、解説は桃田素晶、表紙写真はharuhikonに著作があります。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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B747コックピット「ヨーロッパ飛行」第1回

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ヨーロッパ飛行画像(haruhikon提供)

B747コックピット「ヨーロッパ飛行」公開にあたって

一昔前まで、日本航空のB747の尾翼には「鶴丸」が描かれていました。誰もが知っていて、誰もが憧れ、誰もが「鶴丸」に乗って外国に行きたいと思った時代でした。
目まぐるしく変わる世情にならい、やがて日本航空のシンボルであった「鶴丸」は姿を消し、現在の「Arc of the Sun」にとって変わりました。鶴のように大きい白い羽を広げ、日本から世界中に優雅に羽ばたいた時代が、懐かしく感じられます。
その数ある「鶴丸」の中から、ヨーロッパを飛んだ航跡の一つとして、チューリッヒ発、コペンハーゲン・アンカレッジ経由、東京(成田)行きの日本航空412便の中から、チューリッヒ-コペンハーゲン間のフライト・ドキュメント「B747 ヨーロッパ飛行」をお届け致します。

前回の「雨中航路」は、ジェット機が主流となっていた日本の大動脈である東京-大阪間に、国産旅客機YS-11を空輸する非常に貴重なフライトでありました。既に退役していたこともあり、YS-11への敬意と感謝を表する意味で公開させて頂きました。
今回はジャンボ機ということで、既にご承知のことですが、JALのジャンボ機は全機退役することになりました。日本でのB747の活躍は言うに及ばず、老若男女問わず、誰からも親しまれ、また愛された旅客機であります。「JAL再建」という出来事があり、不経済な機体は次々と姿を消し、JALのB747も例外ではありません。退役のニュースは、時代の流れを感じながらも やはり残念でもあります。

そんな中、今回の音源を耳にした時、JALのB747が輝き、そして煌いていた姿が浮かびました。純白の機体に赤と青のラインが引かれ、尾翼には誇らしげに鶴のマークが描かれた、その姿に、誇りと安心感があったのは私だけではないと思います。また、その鶴丸に乗って彼の地に行きたい、という夢と希望も持っていたと思います。

アルプス山脈を越え、高度3万5000フィートから眺める景色は、ヨーロッパの歴史の一端を垣間見れたり、豊かな土壌が育む食材が広がる田園風景など、壮大で優雅な一時を与え、帰国の途に着く乗客にとっては、最後の旅行の余韻に浸れるものであります。
広大なヨーロッパの大地と同じように、果てしなく広がる空に翼を広げ、悠々と天翔る「鶴丸・ジャンボ」は、世界で一番似合うものです。そんな姿を頭の中で描きながら、約1時間の空の旅を、お楽しみ頂き、ひと時の安息として聴いて頂きたいと思います。
ご覧頂きます皆様には、お気づきの点やご感想、ご訂正などがありましたら、その都度、コメントをお寄せ頂ければ幸いです。
長いお付き合いになりますが、どうぞ宜しくお願い致します。

最後に、再建中のJALに対し、そんな時代を振り返り、再建を果たす意味で、かつての輝き煌いた「鶴丸」をB747の尾翼に描き、最後の花道を飾って欲しいと切に願います。

それでは、早速ですが出発前のコックピットから聴こえる、他機と管制官との交信を聴きながら、ヨーロッパ飛行をお楽しみ下さい。

桃田素晶

「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」
解説:桃田素晶/録音:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「B747Cockpit ヨーロッパ飛行」で収録している音声、音源等は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。また、解説は桃田素晶、表紙写真はharuhikonに著作があります。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」最終回 ハーレクイン8673、ホノルル管制へ

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★「最後の飛行」挿入29

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 ハーレクインエアはホノルル管制エリアに入った。
 現在、高度37000フィート。
 漆黒の闇だった東の空に濃いブルーの色が混じり、僅かに水平線が現れてくる。
 先ほどから、副操縦士のダウニングに代わって管制交信をしているネイヤー航空機関士が、無線機の周波数をホノルル管制センターVHF119.9メガヘルツに切り替えると、ホノルル空港へ進入承認を受けた日本航空92便がクリアランスを復誦するボイスが聞こえてきた。
ジャパンエア92ヘビー クリア トゥ ホノルルエアポート プレゼントポジション ディレクト ブック ブック 8 アライバル リービング フライトレベル390 サンキュー
(日本航空92便です。現在地点からダイレクトにBOOKE BOOKE8進入方式でホノルルエアポートへ高度39000フィートから下降を開始します)
 アメリカ合衆国では小型機も国際空港に差別無く離着陸出来るので、小型機と区別するために大型機は便名のあとに「ヘビー」という言葉を入れることが定められている。この日本航空92便は新潟発ホノルル行きのDC-10で大型機である。
 日本航空の交信のあと、ネイヤーがマイクを取ってサンフランシスコ管制との最後の交信で指示されたようにホノルル管制を呼んだ。

▼ホノルルエリア飛行地図
ホノルルエリア飛行地図

ホノルルセンター ハーレクイン8673ヘビー フライトレベル370 10メネツ アット サイバッド
(ホノルルセンター こちらハーレクイン8673便です。高度37000フィートで飛行しています。あと10分でサイバッドに達します)
ハーレクイン8673 ホノルルセンター
(ハーレクイン8673便へ。こちらはホノルルセンターです)
ゴーアヘッド ハーレクイン8673ヘビー」とネイヤー。
ハーレクイン8673ヘビー スクウォーク 2754 フライトレベル370
(ハーレクイン8673便へ。貴機のレーダー認識番号は2754です。そのまま高度37000フィートを維持して下さい)
 ネイヤーがホノルルセンターの指示を復誦して交信を終わった。その交信を三宅機長が確認してネイヤーにHF無線機を切る指示を出す。これから着陸までVHFによる交信となる。
OK HF OFF」そして、キオラ(KEOLA)の緯度と経度を確認する。
(ノース)21・17・9 ウエスト158・29・4?
(キオラは北緯21度17分9。西経158度29分4だよね?)
そうです」とダウニング。
 キオラはホノルル空港のすぐ西の洋上にあり、普段はキオラ経由で離陸に使用するポイントだが、早朝のホノルル空港は離陸が少ないので、西から飛行した航空機に対して有視界着陸の場合はキオラ経由で滑走路4や8に着陸する場合が多い。
ダイレクト トゥ トゥ。ダイレクト?」と三宅機長が確認する。現在の位置からキオラにダイレクトに進入することが出来れば、サイバッドとカウアイ島南の通過予定地点を経由することなく、最短距離で滑走路4又は8に着陸することが可能なのだ。
  ネイヤーがすぐマイクを取って管制官に尋ねた。
ホノルルセンター ハーレクイン8673ヘビー ウィ キャン プロシード フロム プレゼントポジション ダイレクト キオラ?
(ホノルルセンターへ。こちらはハーレクイン8673便です。現在地点からダイレクトにキオラへ進入することが出来ますか?)
8673 ラジャ ダイレクト
(ハーレクイン8673便へ。どうぞ。直行して下さい)
8673 ダイレクト キオラ」(8673便。直行します)
 ネイヤーがにゃりと笑って親指を立てて復誦交信を終える。

「あら…。金星が出てきた」
三宅機長が操縦室の窓ガラスから水平線を指さして言った。指の先には限り無く黒に近い紺色の空に信じられないように大きく黄金の玉のような宵の明星が光っている。
 日本エアシステムとハーレクインエアを支えた三宅機長のラストフライトは、夜明けの金星の光のようにあと数十分で終わろうとしていた。
 コックピットのスピーカーから、近づくホノルル空港の管制が伝えるATIS(空港情報)が聞こえてくる。

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★「最後の飛行」挿入30

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ホノルル・インタナショナルエアポート インフォメーション ブラボー(B) 1453 ウィンド050/8ノット ヴィジビリティ10 スカイクリアー テンパラチャー 22 デューポイント18 オクティメーター30・05 ランディングランウェイ4 ディパチャーランウェイ4アンド8 イクスペクト ILSアプローチ オア ビジュアルアプローチ アドバイズ イニシャルコンタクト ユー ドウ インフォメーション ブラボー
(14時50分のホノルル国際空港の情報Bをお知らせします。風は05度から8ノット、視程は10キロメートル、快晴です。気温は22度、露点は19度、気圧は30・05インチ、着陸滑走路は4、出発滑走路は4または8、着陸方法はILSアプローチか有視界進入です。インフォメーションBを受信したことをお知らせ下さい)
 ATISでクルーは空港の着陸状況を知る。

「これ、もう、カウアイ島が出てきましたよ」三宅機長がレーダースクリーンを指差して言った。
「もう、ホノルルまで238マイル…」
 まだ、闇の中に沈むカウアイ島がレーダーの中で緑色の島影を見せていた。
 カウアイ島はハワイ諸島の西に位置し、古来、ポリネシアン民族がタヒチ諸島からハワイへ移植したときも、この島を最初に訪れたという。ハワイの中でも最も自然が美しく、ポリネシアン文化の歴史が残る島である。
 三宅機長がインターホン電話でキャビンクルーに乗客の状況をたしかめて、着陸前の機長アナウンスを始めた。

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★「最後の飛行」挿入31

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ご搭乗の皆様、おはようございます。操縦席よりご案内申し上げます。どうも長いあいだご苦労さまでした。お疲れのことと思います。あと40分程でホノルル空港へ着陸いたします。ホノルル空港の天候は東よりの風が4メートル、晴れで素晴らしい良い天気です。地上の温度は現在、22度と報じられておりまして、若干涼しいようです。あと暫くでございます。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎ下さい
 関西空港発の日本航空1092便にホノルル・センターが呼び掛ける。
ジャパンエア1092 ディセント パイロット ディクリッション メテンテイン フライトレベル 190」(日本航空1092便へ。あなたの判断で高度19000フィートまでの降下して下さい)トラック11を飛行した日本航空1092がハーレクイン機より先に下降許可が出た。
 日本航空1092が復誦すると、ホノルルセンターはハーレクイン機に下降の準備が出来ているかどうかを尋ねる。
ハーレクイン8673 ディセント パイロット ディスクリッション メインテイン 190」(ハーレクイン8673便へ。あなたの判断で19000フィートへ下降できますか?)
パイロット ディスクリッション 190 ハーレクイン8673
(19000フィートへ下降できます。ハーレクイン8673)
 19000フィートまでの降下許可が出ると操縦室は下降の準備に入る。
 スピーカーから、ハーレクイン8673のあとに関西空港を離陸したノースウエスト16便747が、やはり日本航空機し同じトラック11を飛行してホノルル管制エリアに入った交信が聞こえる。
グッドモーニング ホノルル ノースウエスト16 ユー アー 10メネツ トゥ ダンノ(DANNO) フライトレベル 370 スコーキング 2756
(ノースウエスト16便へ。グッドモーニング。こちらホノルルセンターです。ダンノ(DANNO)まであと10分、そのまま高度37000フィートを維持してください。レーダー認識番号は2756です)
 DANNOはカウアイ島の北東にある洋上通過点で、前述したようにトラック11のハワイ側の出口である。
 日本からパコッツ・ルートでホノルルへ飛来した航空機で日本航空92便や1092便、ノースウエスト16便などトラック11経由の場合は、ダンノからブック ブック8進入方式を、ハーレクイン8673やそれに続く全日空1056便などトラック12を経由した航空機は、サイバッドからキオラへダイレクトにアプローチさせる進入方式を、ホノルル管制はとっているのだ。

▼ホノルルILSアプローチRWY8Lと4R
ホノルルILSアプローチRWY8Lと4R
ホノルルILSアプローチRWY8Lと4R

はい。ランディング・ブリーフィング」と三宅機長は英語で着陸の打合せを始めた。
天候は、8ノットの微風、気温22度、気圧は30・05インチ、使用滑走路は多分、滑走路8L(レフト)、ディシジョン・アルティテュード(最終的に着陸するかどうか決める高度は)213フィート、タッチダウン13、もし、ミスアプローチをした場合、右旋回してホノルルエアポートから171度方向でアラナ(ALANA)へ向う。アラナまで13、9マイル飛び、アラナ上空で高度3000フィートで待機する。ABS(着陸時のオートブレーキ)はミディアムを使用。進入速度はプラス5ノットの147ノットでセット済み。オール OKだね
 三宅機長が確認するとダウニングとネイヤーが了解しましたとコールする。続いて機長は下降時の計器点検を指示した。
ディセント チェックリスト」(下降の計器点検を始めるよ)

▼ディセント・チェックリスト
ディセント・チェックリスト

 下降の計器点検が終わると、ノースウエスト機とホノルルセンターの交信が聞こえた。
ノースウエスト16 レーダーコンタクト 70マイル イースト オブ ダンノ(DANNO)クリア トゥ ホノルルエアポート ダイレクト ブック ブック8 アライバル メインテイン フライトレベル 370
(ノースウエスト16便へ。レーダーの視野に入りました。現在地点はダンノまで70マイル地点です。ホノルル空港へはブックブック8進入方式でアプローチ。高度は37000フィートを維持して下さい。)
OK ディレクト ブック ブック8 アライバル トゥ ホノルル ノースウエスト16 メインテイン 370」(OK。ホノルルまでブック ブック8進入方式。高度37000フイート。ノースウエスト16便)
オールモスト ストレート」(ほぼ、まっすぐだね)と三宅機長が後を振り向いて、「たあー」と右手を前方へ突出して微笑む。
 その手の先にはホノルル空港があるオアフ島が夜明けの薄青色の大気の中から、透し絵がにじみでるようにぼんやりと姿を見せ始めていた。
ホノルル グッドモーニング ジャパンエア84 フライトレベル 360
(ホノルル管制へ。おはようございます。日本航空84便です。現在、高度36000フィートで飛行中です)
 名古屋発のホノルル行き日本航空84便、B-747がホノルル管制エリアに入った。
ジャパンエア84 コール ミー 360?」(日本航空84便へ。36000フィートですか?)
ジャパンエア84 ラジャ
ジャパンエア84 スコーク2762」(日本航空84便へ。レーダー認識番号は2762です)
 高度36000フィートに注目してもらいたい。ハーレクイン機やノースウエスト機は37000フィートで飛行している。その差は1000フィート。
 三宅機長は1000フィートの高度差で飛行させているのが、前述したRVSM(リデュース・バーチカル・セパレーション・システム)による管制システムだと説明する。
 それにしても夜、日本の各地を出発して早朝にホノルルへ到着する航空機がいかに多いことか。ハワイが日本人にとってどれほど人気あるディスティネーションであるか、改めて痛感する。

 ハーレクインエアがハワイに頻繁にチャーター便を出していたころの話を三宅機長が語ってくれた。
「ホノルルではなく、ハワイ島のコナへ日本から直行便を飛ばしていたときね。コナに早朝、それもまだ、暗いうちに着くんですよ。その時間では空港の管制塔はまだ誰もいなくて滑走路のライトさえついていない。それでコナの近くまでくるとVHFのタワー周波数で無線機のマイクボタンをカチカチと5回プッシュするんですよ。すると自動的にランウェイライトが点灯するようになっている。のんびりしていますね。多分、今でもそうですよ。コナはね」

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★「最後の飛行」挿入32

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ジャパンエア1092 ディセント 8000 ホノルル アクティメーター イズ 30・05」(日本航空1092便へ。高度8000フィートまで降下を許可します。ホノルルの気圧は30・05インチです)
 日本航空1092が復誦する。
 現在地はPUPPIから99マイル地点。
OK リービング」(OK。高度を下げるよ)と、三宅機長がコールをした。高度計が37000フィートから、ゆっくりと数をへらし始めた。
 もう、夜が明けて水平線は鮮やかなオレンジ色に変わり、眼下にはカウアイ島が濃い緑の島肌が、薄青色の珊瑚礁に囲まれて灰色の海の上に軍艦のように浮かんで見える。
 ダウニングがマイクを取って、下降を開始したことを告げた。
ホノルル ハーレクイン8673 リービング 370 190
(ホノルルセンターへ。ハーレクイン8673便です。37000フィートを離れて19000フィートへ下降しています)
 着陸前のカンパニー交信をするために、ネイヤーがマイクで会社のハワイ運航セクション(コールサインはアロハディスパッチ)を呼んだ。
アロハ・ディスパッチ ドウ ユー リード ハーレクイン8673?
(アロハ・ディスパッチ こちらハーレクイン8673便です。聞こえますか?)
ラジャ ハーレクイン8673」(聞こえます。ハーレクイン8673)
グッドモーニング ハーレクイン8673 ウィルビー オン ブロック アット 1630 リクエスト ゲートプレイス?
(おはようございます。こちらハーレクイン8673。ブロックタイム(ゲート到着時間)は16時30分、ホノルル時間で朝、6時30分の予定です。現在の飛行は順調です。ゲートナンバーを教えてください)
ユア ゲート 24 バゲージクレイムナンバー イズ 4 ジスモーニング
(今朝のゲートは24番で手荷物の受け渡し台のナンバーは4です)
スポットナンバー 24 アンド バゲージクレイム 4
 指定されたスポット・ナンバーを聞いて三宅機長始めクルー全員が歓声をあげた。
24! ナイスプレイス
 24番スポットはホノルル空港の正面に位置するセントラルコンコースにあるスペシャルゲートのひとつで乗客にとって最高に便利なゲートである。普段はディリーでホノルルへ定期便を飛ばしている大手航空会社が使用している。日本エアシステムのハワイ初便はお祝いの意味をこめて隣の25スポットが用意されていた
 不定期なチャーターフライトの場合は、メインビルディングから遠く離れたスポットが割り当てられ、乗客はスポットからバス(このバスを”ウキウキ・バス”という)で到着口まで行かねばならない。
ノー ウキウキでしょう」とダウニングが笑った。今日はそのバスに乗らなくてすむのだ。ハーレクイン8673がホノルル到着に際してスポット24番へ駐機出来るのは特別な計らいであった。9年前に日本エアシステムのハワイ初便はお祝いの意味をこめて隣の25スポットが用意されていたそれ以来である。
 空港に頼んでこの特別な手配をしたのは、アロハ航空を定年で退社しハーレクインエア・ハワイアメリカ地区駐在責任者になったハワード・大下氏である。
 彼は三宅機長最後のフライトにあたって特別なスポットを用意し、翌日行われた三宅機長のラストフライトのパーティをセットするなど、ハワード氏は最高のもてなしで三宅機長を迎えたのだった。
 ホノルルセンターが無線で呼び掛けてきた。
ハーレクイン8673 ディセント メインテイン8000」(ハーレクイン8673便へ。8000フィートまでの下降を許可します)
 いよいよハーレクイン8673便はホノルル空港への下降に移った。
 まだ太陽は水平線上には昇ってはいないが、幾分空は明さを増し、刻々と高度を下げる機窓には朝靄の中に紺色の海が美しい表情を見せ始めた。
 客室では朝食のサービスも終わり、ホノルル着陸の準備でキャビン・クルーは多忙であった。この便のチーフパーサーは宮島智美さん。キャセイ航空からハーレクインエアに移った飛行時間約7000時間のベテランパーサーである。
 後に彼女がホノルル便の客室の状況について会社に報告したレポートを紹介しよう。

 PAX(乗客)の状況。KIX(関西空港)出発が遅い時間であったため、機内では皆様静かにお過ごしでした。いつになくお年寄やお子様が多い便で、客室乗務員は一時も気を緩めることができなかったのですが、お客様自身がとてもマナーを弁え、多少旅慣れていらっしゃる方もいらっしゃった為、FLIGHTはスムースにOPERATE出来ました。
 CP(キャビンパーサー)や機長ご自身のANN(アナウンス)で、当該便が三宅機長のLAST FLIGHTということをお知らせしましたので、サービス中や降機中に興味を持ってお尋ねになるお客様が多かったように記憶しています。
 三宅CAPのお母様にほんの少しですが、操縦室の中の様子をお見せしたところ、とても嬉しそうに頷いて微笑んでいらっしゃったのが印象的でした。
 また、PREMIUM CLASSにいらっしゃった高齢の歩行困難PAXの降機(車椅子手配に手間取ったため)が遅れている間、失礼かと思ったのですが三宅機長を囲んでささやかなお疲れさま会?を機内で行ったのですが、そのお客様もニコニコしながら一緒に「お疲れさまでした」と呟いていらっしゃいました。
 HLQ(ハーレクインエア)ならではのアットホームな雰囲気を垣間見て頂けたのでは?

宮島智美

 現在、高度5000フィート。
 早朝の薄明かりの中に、ハワイ・オアフ島が近づいてくる。
 左手にマカハ、その少し右手にハーバーズ岬とパールハーバー、真正面にホノルル国際空港。その右手にワイキキの街とシルエットになったダイヤモンド・ヘッドが夜明け前の薄い暗闇の中に灰色に浮き上がって見えてくる。
 三宅機長は少しづつ明けゆく空に視線を投げて、胸に去来する想いを噛み締めながら、時の流れの速さを改めて痛感するのだった。
 彼は日本エアシステム待望の成田ーホノルル線定期便の第一便の機長であった。 
 成田空港での晴れやかなハワイ定期便就航式、新しい飛行機、記念すべき初便に招待された各界の有名人、報道関係、社長始め会社の役員、シャンペン、花束、笑顔…
 あれからもう9年の歳月が流れた。そして今、現役最後のフライトを初便で飛んだ同じホノルル便で終わろうとしている…。
 ぼんやりと目の前の風景がかすんだ。胸にこみ上げる想いが不覚にも予期せぬ涙となってメガネを曇らせている。三宅機長はメガネを外してポケットからハンカチを取り出してそっと拭った。そのとき右肩に暖かい人の手を感じた。振り返るとネイヤー機関士が三宅機長の目を見ながら黙って頷いていた。副操縦士役のダウニングは機長と視線を合わさないように右窓から外をながめている。その目にも涙がにじんでいた。
「ハーレクイン8673ヘビィ ヘディング060 ILSアプローチ ランウェイ4ライト」(ハーレクイン8673便ヘ。そのまま機首方向060度で滑走路4RへILS進入をして下さい)
 ホノルル空港の進入管制が呼びかけてきた。
 飛行時間一万九千五百時間、三十数余年のパイロット人生の想いを胸に、
 三宅嘉光機長は、彼が最も愛した島ハワイの、ホノルル空港へ向けて最後のランディングを始めるのだった。

武田一男

ハーレクインエア8673便 クルーリスト

  • PIC:三宅 嘉光
  • FO:CECIL DOWING
  • FE:ANAHN NAIR
  • CP:宮島 智美
  • AP:吉田 幸
  • 2L:松山 妙子
  • 1R:中山 志史
  • 2R:長尾 華奈
  • 3L:久保川 晶子
  • 3R:渡辺 論理子
  • 4LA    嶋田 裕子
  • 4R:比良 亜希子

ハーレクインエア8673便 全飛行ブラン

▼ハーレクインの全飛行プラン
ハーレクインの全飛行プラン

▼太平洋からハワイまでのフライトログ
太平洋からハワイまでのフライトログ

▼飛行地図と飛行プランのナビゲーション・ログ
飛行地図と飛行プランのナビゲーション・ログ

あとがき

 最終回までご愛読を頂き深く感謝申し上げます。この作品は「ラストフライト」というタイトルで数年前、CDブックとして発売しましたが、その折、ある読者に「情報が多すぎて何がメインなのかわからない」というきびしいご指摘を賜りました。それでそのご指摘をふまえて、余分な情報を大幅にカットし、「音」も必要な部分のみ挿入することで全面的に再編集し、主人公の三宅機長を中心としたドキュメンタリーとその背景にある太平洋航路の開発に従事した人達の航空史をまじえた作品に修正して、あらためてこのブログで公開させて頂きました。僕自身の中では結果的に”とてもすっきり”して納得がいくものに仕上がったつもりです。
今年の末には僕の他の航空ドキュメンタリーと一緒にこの作品もiPadなど「電子書籍」として発売になる予定です。PRになりますが、もしご興味のある方はぜひ再読して下さい。
それから、お詫びですが、取材の日、このハーレクイン機がホノルルへ向かって高度を下げ始めたとき、突然、収録していた録音機が予備をふくめて故障するという不幸なアキシデントにみまわれました。それでホノルル着陸の「音」が一切ありません。もし、それを期待されていた読者の方がいらっしゃいましたら、ここで深く、お詫びとご報告を申し上げます。すみませんでした。
最後にもう一度、読者の皆様に最終回までおつきあい頂いたことに感謝申し上げ”あとがき”と致します。ありがとうございました。

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第14回 サンフランシスコ管制へ

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 ハーレクイン8673は日本の管制空域とアメリカ合衆国の空域の分岐点、空の国境FIRを越えてサンフランシスコのオークランド管制がコントロールするエリアに入った。
 ハーレクイン機より北のトラック11を飛行している関西空港発ホノルル行き日本航空1092が、HFでサンフランシスコ・オークランド管制センターを呼んでいる。

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★「最後の飛行」挿入24

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サンフランシスコ ジャパンエア1092 ポジション オン 46
(サンフランシスコ管制へ。こちら日本航空1092便です。位置報告です。周波数4666Hzで交信しています)
・・・・・・・・ゴーアヘッド
 約6000キロ隔てたサンフランシスコATCの声は聞き取りにくい。
ジャパンエア1092 オーバー FIR アット 1221 フライト レベル 390 33ノース 170イースト アット 1246 30ノース180イースト ネクスト リクエスト セルコールチェック デルタ(D)ゴルフ(G)アルファ(A)エコー(E) ゴーアヘッド
(日本航空1092便です。現在(ウェイポイント)FIRを12時21分(ホノルル時間で午前2時21分)に通過し、東経33度、北緯170度に向かって高度39000フィートで飛行中で12時46分に到達予定です。そして東経30度、北緯180度に向かいます。セルコールチェックをお願いします。サインはDGAEです。どうぞ)
 航空機から管制への位置報告は義務通報点、すなはち、管制に指定されたウェイポイントを通過したときにしなければならない。その内容は航空機名とナンバー。標準時でポジションの通過時刻、現在の飛行高度、次に向かうウェイポイントの予定通過時刻、その次のウェイポイント、残燃料、外気温、風の状態の順に報告する。それと管制空域が変ったのでセルコールのチェックもする。
「・・・・・・・」とサンフランシスコの管制官が確認して日本航空1092を呼ぶと、ピーポーとセルコールの音が響いた。
ジャパンエア1092 セルコールチェック OK ジス イズ プライマリー セコンドリー 6532
(日本航空1092便です。セルコールチェック OKです。現在使用している周波数が主で、副周波数は6532Hzです。以上)

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★「最後の飛行」挿入25

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 日本航空の交信が終わるとすぐにハーレクイン機がサンフランシスコ・オークランド管制官に位置報告を始めた。
サンフランシスコ ハーレクイン8673 ポジション
(サンフランシスコ管制へ。こちらハーレクイン8673便です。位置報告をします)
ハーレクイン8673 ゴーアヘッド」(ハーレクイン8673便へ。どうぞ)
ハーレクイン8673 オーバー ザ FIR アット 1222 フライトレベル370 エスティメイテング 31ノース170イースト 1249 フォーロイングポイント 28ノース180イースト リメイニングフュエル イズ 98.0 テンパラチャー マイナス50 ウィンド275/120 ゴーアヘッド
(ハーレクイン8673便です。FIRを12時22分、標準時に通過し高度37000フィートで北緯31度、東経170度に12時49分に。そして次のウェイポイント北緯28度、東経180度に向かいます。現在残燃料は98000ポンド、外気温度はマイナス50度、風は磁方位275度から120ノット吹いています)
ハーレクイン8673。・・・・6532。・・・セルコール プリーズ
 早口の英語でサンフランシスコ管制がハーレクイン機の周波数の確認とセルコールサインを要求した。
セルコール イズ ジュリエット(J)パパ(P)デルタ(D)ケベック(Q) ハーレクイン8673
 セルコールはJPDQです。とダウニングが答えると、再びピポーと音がして(コックピットの中では「チンチン」とベルが鳴って)セルコールチエックが終わった。
セルコール チェック イズ オーケー ハーレクイン8673
サンフランシスコ ラジャ」(サンフランシスコ。了解)

 太平洋洋上、東経165度にあるウェイポイントのFIRは、日米両国のイミグレーションのようなもので、厳密に言えばこの交信でハーレクイン8673便は、飛行プラン通りにアメリカ合衆国への飛行を認められたということになる。
 これがもし事前に飛行プランを提出していないフライトであれば、飛行機の所属国や航空会社をアメリカ側が確認するまで現在地で空中待機をさせられるか、あえてそのまま飛行を続行すれば戦闘機が出動する事態にもなりかねない。
 友好国といえど空の国境通過は細心の配慮が払われているのだ。
 ここで関西空港を前後して離陸し、ホノルルへ向かう二つの航空機(ハーレクイン8673と日本航空1092)の現在の位置関係をサンフランシスコ管制と交わした交信から推察すると、次のようになる。

 ハーレクイン8673、日本航空1092の二つの位置は、ともにFIR、すなはち日本とアメリカの管制空域の分岐点を飛行している。
ハーレクイン8673便は、北緯32度06分 ウェイポイント14。東経165度
日本航空1092便は、北緯34度06分、東経165度

 ハーレクイン機がトラック12を日本航空機がトラック11を並行して飛行しているので北緯の差が2度あり、日本航空機の方がその分、北に位置している。しかし経度はともに東経165度通過を報告しているので現時点ではほぼ並んで飛行しているが、通過時間を見ればその位置がもっ       と詳細になる。

FIR通過時間は、ハーレクインが・・・12時22分(標準時)
        日本航空が ・・・・ 12時21分。すなはち、1分だけ日本航空の方が先を飛行している。
飛行高度は、ハーレクイン機が・・・37000フィート。
        日本航空機が・・・39000フィート。
ともに次の位置報告義務通過点、北緯170度の予定通過時刻は、
      ハーレクインが・・・・12時49分。
        日本航空が・・・・12時46分。

 それで日本航空の方が3分早く到着することになる。実際、ホノルル空港へはハーレクイン機のすぐ前を日本航空1092が先に着陸している。
 日本航空がハーレクインを追い越したわけであるが、その理由は日本航空機はB-747であること、2000フィート高い高度を飛行していること、その他両機の重量等の違いが考えられる。

ハーレクイン8673 日付変更線へ

 操縦室の正面に月が登った。
「もう、(離陸して)三時間過ぎましたね。あと(ホノルルまで)三時間四十分。こうなったら宇宙船みたいでしょう。ね、びくともしないね、この飛行機は・・・」
 三宅機長が愛機DC-10に話しかけるようにしみじみと言った。
 日付変更線(インターナショナル・ディライン)は、東(西)経180度線にあり、あと一時間の飛行で日付変更線を過ぎる。
「ここでエンジンが一つ止まっても、ホノルルまで大丈夫ですよ。二つ止まるとホノルルへは行けないんでね、ミッドウェイに降りるんですよ。緊急(の場合)にね」
 洋上飛行には最大進出地点、イクイバレント タイム オブ ポイント(ETP)と呼ばれる地点がある。俗に言うノーリターン・ポイントだ。これはエンジンが故障した場合、目的地への航行を継続するか、出発地へ引き返すかの判断の目安となる地点のことで、次のように飛行プランに記入されている。
 ETP1 RJAA/PHNL N3132・3 E16741・8 2・52・・・

 関西空港(RJAA)とホノルル空港(PHNL)間に於いて今回の飛行のETPは、エンジンが一つ故障した場合(ETP1)は、N3132・3(北緯31度32・3分)、E16741・8(東経167度41・8分)の位置である。
 そこまでの飛行時間は2・52、すなはち2時間52分である。
 もしエンジントラブルが起こり、それがETP以前ならそのときは日本へ引き返すが、それ以降ならそのままホノルルまで飛行を続行する。
 このETPはかならずしも日本とハワイの距離的な中間点ではない。なぜならそのときの風に影響されてETPはフライトごとに変化するからだ。今日は西風が強いのでイクイバレント タイム オブポイントが日本寄りになっているのだ。
 三宅機長は、現在、ハーレクイン機はETPを過ぎているので、この時点でエンジンが故障した場合はホノルルへ向かうか、緊急にミドウェイに降りるかという対処を説明しているのだった。
 東京ーホノルル間の洋上の緊急着陸地点はミッドウェイだ。
 ミッドウェイは北緯28度12・2度、西経177度22・8分にある島で日付変更線のすぐ東にあり、前述のようにパンアメリカンのクリッパーもミッドウェイで給油しており、現在はアメリカ海軍の基地になっている。
 ハーレクイン8673が飛ぶルート、房総半島東のメイソンからホノルルへのトラック12はミッドウェイのすぐ南を通っている。
「30年前ぐらいはこのあたりをDC-6BとかDC-7が飛んでいたのかな・・」と三宅機長が昔の飛行を追想しながらコーヒーを飲んだ。
「まあ。パイロット泣かせですよ。(飛行中に)フラップを上げたりしめたりしてね。シリンダー温度を調整して、それから燃料の流入を調整して飛んでいくわけですよ。それでもっと振動はあるしね」
 DC-10の宇宙船のようなクルージングに比べて、少しの気も抜けなかった昔のダグラス6Bや7Cに想いを馳せて、三宅機長は話した。
「私もコンベア220のときにそんな飛行機(プロペラ旅客機)に乗ってね・・・」と遠い眼差しで月の光に照らされた夜空を眺めた。
 月は明るさを増して、高高度までその頂きを伸ばした積乱雲の嶺々を青白く照らしている。
 こんな夜間飛行、しかも長距離のコックピットの中は、三宅機長を追憶の気持に浸らせるに充分な魔法を持っている。
 闇の中に響くエンジンの音。
 途切れ途切れに空電が混じった飛行機の交信。
 照明を落とした操縦室の計器類が放つ淡い光の数々。
 星の光、そして今は蒼い月の光・・・。

 夜間飛行は外界の音がすべて闇につつまれて、操縦室は冥想におあつらえむきの気持のよい場所になる、とパイロットで詩人のアーネスト・ガンはいう。(註 小説家でもあり、ジョン・ウエイン主演の映画「紅の翼ハイ アンド ザ マイティ」の原作者)

   「晴れた夜に星が散りしき月の光があたりを青くつつんでいるなら、パ
   イロットたちは操縦室のすべての灯を消して、完全な静寂のなかに身を沈
   め、できるかぎり長く、世界から切り離されたこの独特の平安を楽しむの
   である。・・・夜のこの呪術にかからないパイロットはまずいない」
          「運命とのたたかい アーネスト・ガン 小野寺健訳 筑摩書房」

 ハーレクイン8673便は月の光が輝く高度37000フィートの空の高みを13時48分、日付変更線を過ぎた。
 このときの飛行データは次のように飛行プランに記載されている。

▼日付変更線の飛行状況
日付変更線の飛行状況

 TC(飛行方位)は109度。
 MC(磁方位)は102度。
 DCT(ダイレクトコース)でFL(フライトレベル、飛行高度)は37000フィート。
 PSN(ポジション)は28180、すなはち北緯28度西経180度。
 16は関西空港からホノルル空港までの予定通過点の16番目。
 DST(ディスタンス、ひとつ前のウェイポイント、この場合NO15からの距離)は
554マイル。RQD(リクアイアード)は
 ZTは前のウエイポイントNO15からの所要時間で60分。
 GS(グランドスピード)は速度で時速555ノット。時速約1000キロ。
 ETOは予定通過時刻で、13時50分。
 ATOはアクチャルタイムで実際に28180ポイント、日付変更線を越えたのが
13時48分。予定より2分早い。
 CUMは離陸してからここまで(日付変更線)までの飛行時間の総計で、4時間04分。 WIND(風)とウィンドファクター(W/F)は、コンピューター予測では、30077、すなはち300度方向(北北東)から77ノットだが、実際は手文字で書かれた数字、320度から70ノット吹いており、斜め背後からの追い風である。
 TEMP(外気温度)は同じく手文字でマイナス48度。
 右端にREMという項目がある。フュエルリメイン(残燃料)のことである。
 ウエイポイントNO12(メイソン)では116200、11万6200ポンドというコンピューターの予想に対して、実際は手書き文字の118、すなはち11万8000ポンド燃料を残している。残燃料を管制官に報告するのは目的地まで飛行可能がどうかを知る安全のためでもあるが、もうひとつ、航空機の燃料の凍結の問題がある。燃料が上空の気温の低下で凍結すればエンジンはすぐに止まる。一般的には航空機の燃料が凍結するのはマイナス40度前後という。現在ハーレクイン機は先ほどのレポートによれば外気温はマイナス50度前後である。すぐにも凍りそうだが、空気抵抗による摩擦熱が航空機の機体の表面温度を上げる。現在のスピードはおよそマック0,84ぐらい。摩擦熱は約30度近くになる。それで外気温から機体表面の熱を差し引くと、マイナス20度。これだと凍結までまだ余裕がある。
 さて、三宅機長はホノルルまでのルートを北寄りのトラック11より、南寄りのトラック12を選んだ。
 その判断の正しさを証明するように28180(北緯28度、西経180度)の日付変更線通過時では、残燃料はコンピューター予測7万1400ポンドであるがアクチュアルでは7万5600ポンド、すなはち4200ポンド少なく消費している。
「民間航空である以上、私達は安全運航に次いで如何に経済的に飛ぶかを考えるのが、コックピットクルーの義務ですよ」と、三宅機長は語る。

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★「最後の飛行」挿入26

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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 青白い光の中をハーレクインは一路東に飛ぶ。
 サンテクジュベリが著作「夜間飛行」のなかで「夜のしじまのなんと饒舌なことか・・」と表現しているが、闇をぬって太平洋洋上を飛翔する飛行機の交信が絶えまなく饒舌に続いている。しばらく、音楽と交信で「夜間飛行」の雰囲気をお楽しみ下さい。

 ハーレクイン8673の後方、同じトラック12を飛行している全日空の名古屋空港を午後7時30分に出発したホノルル空港行きのB-747が、サンフランシスコ管制にポジションレポートを始めた。

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★「最後の飛行」挿入27

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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サンフランシスコ オールニッポン1056 ポジション オン 46
(サンフランシスコ管制へ。こちら全日空1056便です。位置報告をします。周波数は4666Hzです)
オールニッポン1056 ゴーアヘッド
ポジション オールニッポン1056 31ノース170イースト 1331 フライトレベル370 28ノース180 1429 25ノース170ウエスト ネクスト リメイニング 118.0 マイナス51 290ディグリー110ノット コードゼロ セルコール アルファ(A)チャーリー(C)パパ(P)ロミオ(R) オーバー
(位置報告をします。全日空1056便です。現在北緯31度、東経170度を13時31分に通過。高度37000フィートで飛行しています。北緯28度、日付変更線180度には14時29分に到達予定、その次は北緯25度、西経170度に向かいます。
残燃料は11万8000ポンド、外気温はマイナス51度、290度方向から110ノットの風、タービュランスコードゼロ、セルコールサインはACPRです。どうぞ)
 コードゼロとはタービランス(乱気流)の強度のことで、コードゼロはタービランスが全くないという意味で、ややあるというのはコード1、飛行不可能なほど乱気流に見舞われているときはコード5と、5段階に分けて乱気流の強さを報告するようにきめられている。
オールニッポン1056 サンフランシスコ ラジャ セルコールチェック
(全日空1056便へ。サンフランシスコ了解。セルコールチェックをします)
 ピー・・・ポ、ピー・・・と音が響く。
オールニッポン1056 ネガティブ セルコール リクエスト フライオン2998」(こちら全日空1056です。セルコールがつながりません。周波数を2998Hzに変更してもいいですか?)
 サンフランシスコ管制は了承して交信が終わった。

この空域のHF周波数は、
2998Hzと4666Hz
6532Hzと8903Hz
11384Hzと13300Hz
17904Hzと21985Hz

 それらの組み合わせがプライマリー(主周波数)とセコンドリー(副周波数)で使用されている。全日空1056便はセルコールの不具合によりプライマリーの4666Hzから副周波数の2998Hzに変更したのである。
 全日空1056便の現在地は北緯31度、東経170度であるから、飛行プランのPN(ポジション)は31170の位置にいる。
 この位置をハーレクイン機は(ATO1248)12時48分に通過している。全日空1056は交信の中で13時31分通過を報告しているから、ハーレクインの後方43分の位置を飛行していることになる。
 全日空1056便に続いて、ハーレクイン8673がポジションレポートを始めた。
 ダウニングに代わって、ネイヤー航空機関士がマイクを取ってサンフランシスコ管制を呼んだ。

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★「最後の飛行」挿入28

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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サンフランシスコ ハーレクイン8673 ポジション
サンフランシスコ ゴーアヘッド
ハーレクイン8673 ポジション 25ノース170ウエスト アット 1452 フライトレベル370 エスティメイテング サイバッド アット 1544 サウスカウアイ ネクスト リメイニング フュエル 59.2 テンパラチャー マイナス49 スポット 265 ダイゴナル 35 ゴーアヘッド
(サンフランシスコ管制へ。こちらハーレクイン8673便です。北緯25度西経170度を14時52分に通過しました。次のウェイポイント、サイバァッド(SYVAD)には15時44分に到達する予定です。そして次のカウアイ島の南のVORに向かいます。残燃料は5万9200ポンド。外気温はマイナス49度で風は265度から35ノットを計測しました。どうぞ)
 サイバッド(SYVAD)とは、東京ーホノルル間の飛行ルート、トラック12のハワイ側の出口でハワイ諸島の東にあるカウアイ島から約200マイルの位置にある。
ハーレクイン8673 サンフランシスコ ラジャ 10ミニッツ ビフォー フロム サイバッド ホノルル119.9・・ゴーアヘッド
(ハーレクイン8673へ。サンフランシスコ了解。サイバッドへ到達する10分前にホノルル管制VHF119.9メガヘルツへコンタクトして下さい)
ラジャ 10ミニッツ ビフォー フロム サイバッド ホノルル119.9 ハーレクイン8673
 まもなくサンフランシスコ管制からホノルル・センターへ管制エリアが移る。ネイヤーはサンフランシスコ管制に復誦の交信をし、VHF無線周波数を119.9にセットする。 いよいよ、ハワイが近づいてきた。

つづく

<追伸>
「最後の飛行」は次回で最終回となります。ながらくのご愛読に深く感謝します。
それで最後に読者の皆様にお願いがあります。この竜子さんのブログ「週刊 飛行機ダイスキ」はリリース以来、現在、最低のランキング位置にあります。とてもいいブログなのでそれが残念でたまらないのです。それで皆様にぜひご協力を頂きたいと思っています。
ランキングを上げるには、「航空」という表示のバーナーをクリックすればいいのですが、クリックすることで読者の皆様が失うものは何もありません。クリックすることで余分な迷惑メールが届くことなども一切ありません。一切無害です。ブログをご覧になる「見料」とお考えになってぜひ、ランキングアップ作戦にご協力を下さい。よろしくお願い申し上げます。では、次週の最終回もお楽しみ下さい。

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第13回 太平洋航路開発、日本航空の挑戦

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太平洋航路開発、日本航空の挑戦(太平洋の空の歴史5)

 銀座五丁目にある不二家ビルの七階に日本航空文化事業センターがあった。そこへ太平洋戦争後の民間航空の話を取材するためにコーディネーターの吉田さんを尋ねた。
 彼は日本航空が戦後最初に太平洋横断の定期便を就航させた頃、運航管理に携わったディスパッチャーである。
 もう七十四才ということだったが、七階の受付に姿を見せた吉田さんは驚くほど若々しかった。六十代といわれても納得しただろう。
 三宅機長もそうだった。最初に羽田空港のハーレクイン東京事務所でお目にかかったとき、その精悍な風貌と機敏な身のこなしは定年を迎えてラストフライトをする年齢にはとても見えなかった。
 このふたりの共通点は「空」が大好きなことである。そして「空」に夢を描いたことである。
 吉田さんは現役引退後十数余年、未だに「空」に関わりを持っていたいから、と週一回、日本航空文化事業センターでコーディネートの仕事をされているという。無邪気とも言える空への憧れは人間を不老長寿にする何かがあるのだろうか。
   「僕が日本航空に入社したのは昭和26年の10月の末です。
    丁度、国内線が飛び初めて五日後でした」
 終戦後、日本の民間航空事業はアメリカ軍の手により跡形もなく解体され、わずかに残った航空機も完全に破壊された。そして6年の歳月の後、吉田さんが入社した昭和26年(1951年、サンフランシスコ平和条約が締結された年)の八月一日に、やっと日本航空株式会社(現日本航空の前身)が設立さて民間航空再開の第一歩が始まったのである。
 吉田さんは陸軍の航空士官学校の在学中に終戦を迎える。
 飛行機に乗りたい一心で日本航空に入社するが、飛行時間が少なかったことから希望がかなわず、運航管理でディスパッチャーを目指す。当時は戦前の航空会社、大日本航空や満州航空、それに陸軍海軍で数千時間の飛行経験があるベテランパイロット逹が今や遅しと民間航空の再開を待ち受けていたからである。
   「入社してから飛べないのならせめて飛行機の音の聞こえるところで仕事をしたいと
   羽田空港に10年いました。それで運航管理者の道に進んだわけですよ」
 吉田さんはディスパッチャーの草分けである。ディスパッチャーのライセンスナンバー23号。すなはち日本人として23番目にディスパッチャーになった古参の運航管理者である。
 23番という番号は「今や伝説的な古い番号ですよ。(日本民間航空の歴史で)吉田さんは貴重な存在の方ですね」と、ディスパッチャーであり、現ハーレクインエアの東京運航事務所の末永所長はいう。
 そんな吉田さんも当時は全く新しいアメリカ方式の運航管理技術を英語で学ばなければならない苦労の時代であった。
   「当時、日本では運航管理者の試験制度が確立していなくて、
   アメリカのディスパッチャーライセンスを取得して
   それを日本の航空局で認定してライセンスを出していた頃でしたからね」
 日本航空待望の日本とサンフランシスコ間の太平洋路線は、吉田さんが入社して三年後の昭和29年に初就航するが、終戦からそれまでの間は太平洋路線には戦勝国のアメリカとカナダの航空会社が独占的に就航していた。
 占領下の日本に昭和22年(1947年)7月、ノースウエスト航空がニューヨークからアンカレッジ、アリューシャン列島のコールドベイ、セミヤで途中給油して東京、マニラに定期便を就航させ、続いて8月にはパンアメリカン航空がサンフランシスコからホノルルとウェーキ島経由で路線を開設し、その後、カナディアンパシフィック航空がバンクーバーからアリューシャン列島ルートで東京経由、香港までの定期便を就航させた。
 そして日本航空が就航を開始した昭和29年(1954年)になると、パンアメリカンが週6便。ノースウエスト航空が週3便。カナディアンパシフィックが週6便(そのうち4便は香港まで)に増便していた。
 またその当時、日本(東京)に乗り入れる外国の航空会社は、ノースウエスト、パンアメリカン、BOACイギリス航空、カナディアンパシフィック、カンタス航空、フィリピン航空、タイ航空、シビルエアトランスポート中国、KLMオランダ航空、SASスカンジナビア航空、エールフランスなど第二次大戦戦勝国の11社に及び、当時日本からの海外旅行旅客数は外国人を含めて年間約8万6000人だったという。
 そんな状況の中で日本航空の太平洋線の初便は、昭和29年2月2日に東京羽田空港を離陸して、ウェーキ島(給油)、ホノルル、サンフランシスコへ向けて飛行を開始したのである。
 使用機種はダグラスDC-6B。4発のプロペラ旅客機「シティ オブ トウキョウ」号で、2名の機長と副操縦士、航空機関士、航空士の各1名はすべてアメリカ人で、日本人は航空機関士と航空士各1名、客室はスチュワード2名とスチュワーデス3名の計7名が乗員に選ばれている(太平洋線ですべて日本人クルーで運航したのは4年後の昭和33年4月1日であった)。

▼ダグラス6B
ダグラス6B

 初便の有償乗客はわずか5名で、乗客より乗員のほうが多いフライトであったが、そのフライトはナショナルフラッグ(国旗を翼につけた)の第一便として新聞の見出しになり日航関係者はむろん日本国民に大いなる希望ト夢を与えたという。
 その年はビキニ環礁での原爆実験により第五福竜丸が被爆し、力道山の空手チョップがブームを巻き起こしていた年である。
 日本航空は発足当初から一年間は運航をノースウエスト航空に委託していたので、機長と副操縦士はすべてアメリカ人であった。その間、戦前、戦中に数千時間の飛行時間を持つ日本人のベテランパイロットも、まず客室乗務員パーサーとして添乗して「盗み聞き、盗み見て」アメリカ方式の運航を学び、慣れ航空技術を慣熟していったのである。
 自主運航を始めてからも、サンフランシスコのオークランドにあるトランス・オーシャン航空とアメリカ人コックピット・クルーを派遣する契約をしていたので、日本人機長を育成するまでは、アメリカ人パイロットが”我もの顔”に幅をきかせていた。
 戦勝国アメリカと敗戦国の日本の差は、当時のパイロット養成にも大きな隔たりとして立ちはだかって、当時の日本航空の社員とっては屈辱的な毎日であったという。
 そのころアメリカ人の月給は1000ドル。1ドル=360円レートだったので日本円にすれば約36万円。日本航空の社員の一ケ月平均給与が約8000円だったので、アメリカ人機長の収入は日本人社員の45名分に相当した。
 しかも日本人機長が一人誕生すると、必然的にアメリカ人機長が一人解雇されることになるので、日本人は副操縦士まではなれても、なかなか機長昇格は困難であった。
 日本航空第二期の機長、水間博志さんはその著作「おおぞらの飛翔(共同通信社)」の中で、当時の日本航空は「日航米国株式会社」だったとその様子を述懐している。

「機長になるには彼、ターナー天皇(註:当時のアメリカ人の最高運航責任者、キャプテン・ターナー)の厳重なフライトチェックを受けなければならないからだ。相手は伝家の宝刀を持った権力者である。ちょっとでも不都合なことがあったり、意見が衝突したり、機嫌を損なうことをしたら、すぐ、「フェール(不合格)」の烙印を押されるのだ。・・・超ベテランの古参パイロットたちは、技術的には修得しても、チェックですぐ「ケチ」をつけられてしまうのだ。このころはなんでも米人優先だから「日航米国株式会社」と呼ばれていた」

おおぞらの飛翔 水間博志著 共同通信社)

 しかし空に夢を托し、日本人の手による完全な自主運航を熱望していた当時の日本航空の社員一人一人にとっては、その敗戦国の屈辱が次なる発展への大きなエネルギーになったのも事実である。

「アメリカ人に負けずに自分たちの手で一日も早く自主運航をしょうという意欲がみなぎっていた時代でした。みんな目をキラキラさせて仕事していましたね」

 そこでひと息入れてお茶を飲んだ吉田さんが、そうだ、羽田ーホノルル間の飛行でおもしろいフライトがあった、と日本航空ダグラス6Bが、羽田空港-ホノルル間をノンストップで飛行した話を披露してくれた。

「とても印象にのこっているのですが、6Bの時代に一回だけ東京ーホノルルを直行したことがあるんですよ」
 その直行便は吉田さんにとっての忘れられない思い出になった。

 東京ーホノルル間の区間距離は約6165キロ。ダグラス6Bの航行距離は約4000キロ。DC-6Bのキャバシティを2000キロ以上も超えていた。だから、通常は太平洋上の島ウェーキ島で途中給油をするのだが、直行便も余裕はないが、しかしやりようによっては可能な範囲であると考えていた日本航空の運航スタッフは密かに東京とホノルル間の直行フライトを行うチャンスを伺っていたという。
 吉田さんは言う。

「飛行距離で重要なことは最短時間コースです。すなはち、タイム・フロント・メソッドなのです。エンジンの燃料消費は出力と時間がファクターであり、距離は結果です。もし、最短距離を飛ぶのなら大圏コースを飛べばいい」

 すなはち、当時の日本航空のスタッフは燃費の良い燃料を工夫し、気象で最高の追い風を受ければDC-6Bはキャパシティを超えて最短時間コースで飛行可能と考えていたのだ。また、現在、自動車業界で環境問題のために作られているスーパーリーンとよばれる超希薄な状態にした燃費効率の良い燃料の開発に、その頃から日本航空のスタッフはたずさわり、その燃料のテストのためにも、ぜひ、DC-6Bによるホノルル・ダイレクト・フライトを実施したかったのである。
 そのチャンスは昭和32年(1957年)のチャーターフライトというかたちで訪れる。
 そのときのクルーは当時、チーフ・パイロットだったターナー機長と日本人の長野英麿機長、杉山益雄機長、日本人の藤井、勝野航空士と航空機関士はヘンダーソンと五味雄二郎の計7名であった。

 長野英麿機長は日本航空の第一期の機長で、杉山益雄機長は第二期、藤井航空士は昭和29年のサンフランシスコ初便に搭乗した日本航空の草創期から航法、通信業務に取り組んだチーフナビゲーター、勝野航空士はこの直行便のプランニングをした人で、パフォーマンスチャートなど運航のシステム作りをした航法のベテラン、五味航空機関士は日本人最初のフライトエンジニアだった。
 この直行フライトは当時アメリカに「追いつけ追い越せ」という熱意に燃えた日本航空の運航スタッフには日頃の努力の成果を試す絶好の機会でもあった。
 だが、東京ーホノルルをダグラス6Bを使ってダイレクトにフライトするということは、DC-6Bがダグラス長距離旅客機の傑作機として評判が高かったものの、テストフライトならまだしも、乗客を搭乗させてのフライトであるので、かなりのリスクがあるアドベンチャーであった。
 そのころSASスカンジナビア航空では、この飛行機でコペンハーゲンとロスアンジェル間のポーラルートを開設して話題を呼んでいた。(その初飛行は1952年11月19日)だが、ポーラルートは直接、コペンハーゲンからロスアンジェルに無着陸で飛行するのではなく、途中、アイスランドのレイキャビックと北米大陸のギャンダーで給油して飛行するものであった。このポーラルートではレイキャビックとギャンダー区間の洋上飛行距離約2615キロが最も長かったが、それでも東京からホノルルまでの長距離洋上飛行にははるかに及ばなかった。
 問題は6Bで東京ーホノルル間を無着陸で飛行するには、前述のように「最短時間コース」をフライト出来るかどうかにかかっていた。もし、航法の狂いや風に流されて大回りをすることにでもなれば、6Bの航行距離を上回ってしまう。ホノルルは太平洋のど真中である。代替空港としてはミッドウェイ島まで引き返すしかない。
 この冒険的な飛行を乗客を乗せた安全な飛行レベルにするためには、新しい燃料の開発と共にナビゲーションの技術と気象予報を含めた正確な航法予測が必要だったのである。

 それを日本航空の運航スタッフの情熱が可能にした。
 まず、当時のナビゲーションについていえば、現在のようにコンピューター航法ではなく、電波によるロラン航法や推測航法が主だった。それらはきめ細かな手作業が必要であり、むしろアメリカ人より日本人向きで、またたく間に日本人のナビゲーション技術はアメリカ人の技量を追い越してしまった。
 例えば、ナビゲーションの基本になる太平洋の航法地図を見ても当時の日本航空運航スタッフがどれだけ熱意をもって仕事をしていたかがわかる。
 現在はジェプソン(JEPPESEN)というアメリカの会社が製作した航空地図を世界の民間航空が使用しているが、そのころは太平洋航路の地図はアメリカ軍の地図しかなかった。それで日本航空の運航スタッフは、より正確で使いやすい独自の太平洋航路図の製作に着手してそれを完成していた。

「私達が独自で製作した航法地図があるのですが、これは良く出来ていましてね。そのころ日本に定期便を持っていたあのパンアメリカン航空が、その地図をぜひ譲って欲しいと申し出があり、事実、数百部を購入した筈ですよ。嬉しかったな」

 また、当時、日本航空運航部には気象課というセクションがあった。
 気象課では大学で地球物理学を学んだ社員たちが、すでにそのころ、ジェットストリームなどの高層気象を研究していた。周知のごとくジェットストリームは日本の上空を西から東へ吹く強風帯である。時には太平洋の中央部まで吹いている。アメリカ軍はB-29の日本空襲以前からこの高層風の研究をしていた。
 気象衛星もないこの時代、日本航空の気象課のスタッフもジェットストリームを含めた高高度気象の研究では当時、驚くほどの成果を上げていたという。

「あまり知られていないことですが、東大や京都大で地球物理学を研究していた連中が、我社に入り、現在のコンピューター予報顔負けの精度の高い日航独自の予報図を作成していましたね。そのデータを日本はむろんホノルルやアンカレッジなどの気象台に送って彼等は洋上飛行する航空機の運航に貢献していました。すごく優秀な連中でしたよ」
 そして日本航空の運航、気象のスタッフは最短時間コースの飛行を見出す方法「タイム・フロント・オブ・メソッド」を開発した。それらの地上支援の体制を試す上でも、ぜひ、6Bによる東京ーホノルル間の長距離洋上無着陸飛行にチャレンジしたかったのである。

「7CやDC-8などで将来、直行便を出す日も近いので、そのためにも6Bで東京ーホノルルを試してみたかったのです。丁度、そんな折、東京にハワイの選抜高校の野球チームが22名かな、来ていたのです。彼等がハワイに帰る話が営業からあったのでタナボタで稼ぎながら試験飛行が出来る。それで念願のホノルル直行便を飛ばそうということになった。むろん臨時便です。チャーター便ですよ。便名はJL601A(アルファ)。使用機体はダグラスDC-6Bのパンアメリカン航空からリースしたN(アメリカナンバー)5024K。
1957年9月1日の夕方、羽田を出ましてね。ホノルルまでの所要時間はブロックタイムで16時間11分、実飛行時間15時間55分で飛んだのですよ。今ではニューヨークに飛んでホテルに入って一杯やっている時間ですがね」

 結果としてこのフライトは各方面から高い評価を受け、その後のDC-7Cでの東京ーホノルル間の無着陸の定期便の開設(1958年2月)やポーラルートの運航方式の開発などにつながる技術面の貴重な情報を得、同時に運航スタッフの経験と大いなる自信にもなり、日本の航空歴史に残るメモリアルな飛行になったのである。

 このように太平洋の横断フライトは過去、いろいろな人の苦労と努力と情熱で開設されてきた。ハーレクイン8673便はその先人の夢の上を今、ホノルルへ向かって順調な飛行を続けていた。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第12回 ハーレクイン8673便、東京レディオHF空域へ

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「260度から162ノット。凄い風が吹いていますね」
 三宅機長がINSのモニターを見ながら言った。
「(風速は)時速300キロメートルです」それから、丁度、コックピットに入室していたキャビンアテンダントに振り返って「ブラックね」とコーヒーのおかわりを頼む。
 今日は三宅機長のラストフライトを祝福するかのごとくホノルルまでのエンルート(航路上)にはさしたる天候の乱れも無く、天候に恵まれていた。
 副操縦士のダウニングがポジションレポートについて機長に報告した。
「ネクスト レポート イズ メイソン。ネクスト ポジション イズ マーレイ バット ソー ノウ リポート」
(次の位置報告はメイソンです。次のウエイポイントのマーレイ(MORAY、ウエイポイントNO11)の位置報告しなくていいようですから)
 三宅機長は頷いて窓の外に視線を移す。
 外は満天の星空である。三宅機長が星の想い出を語った。
「ホノルル線(日本エアシステムの定期便)を飛んでいるときに流星群に出会ったことがありますよ。飛んでいるあいだ中(星が)飛行機にぶっつかるのではないかと思いましたよ」
 そしてパイロットの醍醐味についても彼は語った。
   「何千、何万回と飛んでいても、そのひとつひとつのフライトが
    すべて違う。飛ぶごとに何かしら大自然の新しさに遭遇して感動する。
    例えば、空から見たオーロラとかね。それもパイロットという仕事の
    魅力のひとつかもしれませんね」
 キャビンでは食事や免税品の機内販売も一段落して、今夜一本目の機内映画が上映され始めた。
 今のように順調に飛行している場合、これから先は数時間後にホノルルへ下降を開始するまで操縦室では取り立ててする仕事は少ない。
 ウエイポイントを通過するときの位置報告、定期的な計器類のウォッチング、ときどき客室と連絡をとりあって機内の室温の調整などをするくらいだ。
 この時間クルーは交代に食事や飲物をとるなどリラックスした時間を過ごす。三宅機長も操縦をダウニングに任せて遅い夕食を済ませた。
 そのときひとりの少年が操縦室を見学に訪れた。
 その少年は夜間飛行時の照明を落としたコックピットの暗さにまず驚き、窓の外の星の輝きに目を奪われた。
「うわー。星がきれい!」鼻を窓ガラスにくっつけて無心に星を眺めている。
「北極星、わかるか。これが柄杓でしょう。あれが北極星…」
 将来はパイロットになりたいと目を輝かす少年に、三宅機長は星やコックピットの中の様子を、次世代に航空機を託すように熱心に説明していた。

 スピーカーからはHF交信が聞こえている。夜間飛行の照明を落とした薄暗い操縦室でHF交信を聴いていると、遠くから、とても遠くから電波に乗って飛んできた音の粒が、やっと飛行機に届いて、コックピットのスピーカーから、ポロポロとこぼれ落ちる感じがする。それはとても遠くで奏でる孤独な音楽を聴いているようだ。

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★「最後の飛行」挿入22

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 管制官が航空機を呼び出すセルコールの音が響きカリカリという空電が混じる。飛行機がメイソンに近づいたのでこれから先は東京レディオの指定周波数がHFに変わるのだ。
ATCクリアランス。ダイナスティ018 メインティン マックポイント86 トウキョウ ゴーアヘッド
(中華航空18便へ。こちらは東京レディオです。管制承認をします。速度はマッハ0.86で飛行して下さい。どうぞ)
 東京レディオが台北発の東京羽田空港からホノルルへ向かう中華航空(コールサインはダイナスティ)18便への交信が傍受された。
メインティン マック…マックポイント86…ウィ アー…
(速度をマッハ…マッハ0.86…こちらは…)
 このダイナスティのB-747はハーレクイン8673のかなり先(東)を飛行しているので、遠い飛行機からの交信には空電が入ってよく聞き取れない。
 HF電波は電離層に跳ね返って遠距離まで届くが、磁気の状態が悪いと聞き取り憎くなる場合がある。三宅機長が「近い将来には衛星通信に変わるのでもっと聞きやすくなりますよ」と笑った。
トウキョウ ラジャ」(東京レディオ。了解しました)
 続いてダイナスティ18便のすぐあとをホノルルへ向かっているユナイテッド航空826便ジャンボが東京レディオを呼んだ。
トウキョウレディオ 。ユナイテッド826 オン 65…
(東京レディオへ。こちらはユナイテッド航空826便です。65(HF周波数6532Hzのこと)で交信しています)
ステーション コール イン トウキョウ セルコール サイン
(こちら東京レディオです。セルコールのサインを知らせて下さい)
ラジャ。ユナイテッド826」(はい。ユナイテッド航空826便)
ラジャ。スタンバイ セルコール チェック ユナイテッド826
(ユナイテッド航空826便へ。そのまま待機して下さい)
826 アー チャリー(C) パパ(P) デルタ(D) リマ(L) チャリー(C)… ナンバー197 ユニフォーム アルファ セルコール アルファ(A) シエラ(S) エコー(E) リマ(L)
(826便です。CPDLC…、197…UA。セルコールはASELです)
 ピー、ポーと音がしてセルコールチェックが終わった。
セルコールチェック オーケー サンキュウ
 セルコールとはHF周波数で管制が航空機を呼び出す信号でアルファベッドの4桁の記号がそれぞれ航空機独自に設定されている。
 電話番号の短縮登録のようなもので、管制がその航空機と交信したいときには無線送信機のアルファベットを送信すると航空機のコックピットの中の無線機が受信し、「チンチン」とまるで昔の路面電車のベルのような音を発してパイロットに管制が呼んでいることを伝える。
 このセルコールがない場合はパイロットは終始、無線を聞いていなければならず、その労力がセルコールによって省けるのだ。
 ユナイテッド航空のセルコールサインはアルファベットのA(アルファ)S(シェラ)E(エコー)L(リマ)である。

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★「最後の飛行」挿入23

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 今度はハーレクイン8673が位置報告のために東京レディオを呼んだ。
トウキョウ ハーレクイン8673 イズ ポジション メイソン 1107 フライトレベル330 エスティメイテング アー 33ノース160イースト アット 1155 フォーロイング トゥ FIR 320/65ノース 165イースト テンパラチャー イズ マイナス41 ウィンド 260ダイゴナル170 セルコール イズ ジュリエット(J) パパ(P) デルタ(D) ケベック(Q) コーアヘッド
(東京レディオへ。こちらはハーレクイン8673便です。メイソンを通過しました。通過時刻は11時07分(標準時間)でこれから次の通過点、北緯33度、東経160へ向います。通過時間は11時55分の予定です。その次はFIR、北緯32度6、5分、東経165度に向います。現在の外気温はマイナス41度。風は260度方向から170ノット吹いています。セルコールはJPDQです。どうぞ)
 操縦室の無線機がチンチンと音を発して受信を知らせる。
 それを確認して三宅機長は飛行高度を37000フィートに上げる旨、管制にリクエストする指示をした。
OK。370」(OK。高度を37000フィートに)
 ダウニングはすぐ機長の要求を管制に伝える。
ハーレクイン8673 セルコール チェック イズ オーケー。リクエステング イズ フライトレベル 370
(ハーレクイン8673便です。セルコールチェックはOKです。高度37000フィートへ上昇したいのですが?)
ハーレクイン8673 スタンバイ」(ハーレクイン8673。待機願います)
 レーダーでコントロールをしていないこの洋上空域では、管制が航空路を調整する間、暫く待機させられる。
 再びセルコールが鳴って東京レディオがハーレクイン機を呼んでいることを知らせる。
ハーレクイン8673 アイ レシーブド セルコール
(こちらハーレクイン8673です。セルコール受信しました)
ATCクリアランス ハーレクイン8673 クライム メインテイン 370 リポート リーチイング オーバー
(ハーレクイン8673へ。管制は高度37000フィートへ上昇する承認をしました。37000フィートへ到達したら報告して下さい。以上)
ラジャ。ATCクリアランス ハーレクイン8673 クライム トゥ メインテイン フライトレベル 370 リポート リーチング」とダウニングが復誦して、
ウィ アー リービング フライトレベル 330 トゥ 370 ハーレクイン8673」(これから高度33000フィートを離脱し高度37000フィートへ上昇を開始します。ハーレクイン8673)とコールバックして交信を終えた。
 ハーレクイン8673便は洋上通過点、メイソンからOTR(Ocean Traffic Ruet)ルートのトラック12には入り一路、ホノルルヘ向かうのだ。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第11回 夜の洋上管制、東京コントロール133.6

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★「最後の飛行」挿入20

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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 夜の太平洋には絶え間なく航空機の交信が続く。
ユナイテッド882 クリア トゥ プレゼントポジション ディレクト パーバ レスト オブ ルート アンチェンジ
(ユナイテッド航空882便へ。現在地点からパーバに直行して下さい。それ以後のルート変更はありません)
サンキューベリーマッチ ディレクト トゥ パーバ ユナイテッド882
(ありがとう。パーバへダイレクトに飛行します。ユナイテッド810)
 続いて東京コントロールの空域に入ってきた日本航空6402便、ロンドンからポーラルートでアンカレッジを経由して成田空港に向かっている貨物便に管制官が呼び掛けた。
ジャパンエア6402 クリア トゥ プレゼントポジション ディレクト メロン
(日本航空6402便へ。現在地点からメロンに直行して下さい)
プレゼントポジション ディレクト メロン ジャパンエア6402
(メロンに直行します。日本航空6402)
 メロン(MELON)は航路OTR10上の、銚子の北東約50マイルにあり、太平洋から成田空港へ進入するポジションのひとつである。
アメリカン154 レーダーサービスターミネイテッド スコーク2000 コンタクト トウキョウレディオ126.7
126.7 スクオーク2000 アメリカン154 グッデイ
 管制官は東京コントロールのレーダー限界に近づいたアメリカン航空154へ東京レディオへ移管する交信をして、飛行高度を上げるリクエストをして待機している日本航空1092ホノルル便に高度39000フィートへの上昇許可を与えた。
ジャパンエア1092 クリアー トゥ フライトレベル メインテイン390
(日本航空1092便へ。高度39000フィートの飛行許可をします)
クライム トゥ メインテイン390 ナウ リービング ジャパンエア1092
(すぐに高度39000フィートへ上昇します。日本航空1092)

 ハーレクインのコックピットではダウニングとネイヤーが食事をしている。
 その間に三宅機長が太平洋洋上のルートとその管制方式について話をしてくれた。
「今日はノータム(飛行情報)でいうとパコッツ(PACOTS)と言うのですが、ホノルル行きのルートはふたつあるんですよ。上が(北側が)トラック11というルートで下が(南側が)トラック12というルートです。それで今日は上の方(トラック11)が混んでいそうなのでトラック12という下の、南側のルートを通っているのです」
 パコッツとはパシフィック・オーガナイズド・トラック・システムの略で、航空機が混雑する太平洋空域の有効利用を図るために設定されたシステムである。(末巻、参考資料)
 日本側の出入り口とアメリカ西海岸、及びハワイ西部の出入り口を定め、そのあいだを毎日、日単位で飛行ルートを選定し航空機を飛行させる。
 このルート選定は毎日、日本の航空交通流管理センター(ATFMC)とサンフランシスコのオークランドARTCCが運航者の希望、天候、軍用空域を考慮して決定しているもので原則として、次の数のルート(トラック)が決められる。

  1. 日本から北米へ5ルート(トラック)
  2. 日本からハワイへ2ルート
  3. 北米から日本へ6ルート
  4. ハワイから日本へ2ルート
  5. 北米から東南アジアへ5ルート

 三宅機長の説明のように今日のホノルルまでのルートはトラック11と12が選定されているのである。

▼パコッツのルートマップ
パコッツのルートマップ

 トラック11と12のどちらを飛行するかは機長が飛行前に会社の運航管理者(ディスパッチャー)と相談して決める。
 前にも述べたが現在、関西空港を前後して離陸しホノルルへ向かっているハーレクイン8673と日本航空1092はハーレクイン機がトラック12を日本航空機がトラック11をそれぞれ選んで飛行している。
 日本からハワイへの東飛行の場合、夜9時から朝1時(日本時間)の間に東経160度を通過する飛行機にのみ設定される。すなはち日本を夕刻に離陸すしてホノルルへ向かう航空機がその対象となるのである。
 三宅機長は地図を見ながら説明を続けた。
「で…、どこからそれに(トラック12に)入るかというと、メイソン(MASON)という(ウェイポイント)がありますね。メイソンから入っていくのです」
 メイソンは飛行プランではウェイポイント(通過地点)NO12の北緯33度50・3分。東経149度59・8分、飛行航路OTR15上にある地点で管制エリアから言えば日本の管制(東京レディオ)の限界地点であり、ハーレクイン8673は現在、メイソンに向けて飛行をしている。
 次に三宅機長はパコッツ・ルート上の管制コントロールの話を始めた。
「今はRVSMといって1000フィート間隔で飛ばすので非常にシビアな高度管理をしているのですよ、以前は2000フィート間隔だったのですが…」
 RVSM(リデュース バーチカル セパレーション システム)とは29000フィート以上の高度を飛行する場合、1000フィート間隔(航空機の上下間隔が約300メートル)で飛行することが出来る管制システムである。普通は日本上空のように2000フィート間隔であるが、北太平洋や北大西洋など航空機が混雑するエリアは航路をワンウェイにして1000フィート間隔で飛行機を上下に並べて飛行させることによって交通緩和を図るのである。
 このシステムが北太平洋に導入されたのは1998年1月からであった。
 そのとき東京コントロールの管制官が東京コントロール133.6の限界に達したことを知らせる交信が入った。
 三宅機長はRVSMの説明を中断して交信に聞き入る。東京から送信する管制官の声がスピーカーから小さく聞こえた。

ハーレクイン機は東京レディオへ

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★「最後の飛行」挿入21

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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ハーレクイン8673。レーダーサービスターミネイテッド スクオーク 2000 コンタクト トウキョウレディオ127.4
(ハーレクイン8673便へ。レーダー捕捉の限界です。スクオーク2000 以後は東京レディオ127.4メガヘルツへ交信して下さい)
ラジャー スクオーク2000 トウキョウ127.4 ハーレクイン8673 グッドナイト
 ダウニングが東京コントロールに最後の交信をして周波数を127.4に切り替え東京レディオを呼んだ。
トウキョウレディオ。ハーレクイン8673」(東京レディオ。こちらハーレクイン8673です)
ハーレクイン8673。トウキョウ ゴーアヘッド」(ハーレクイン8673へ。こちら東京レディオです。どうぞ)
 レーダーサービスターミネイテッドのことは前述したように日本の東海岸から約250マイル地点までの範囲は東京コントロールのレーダーARSR(エア・ルート・サービス・レーダー)で捕捉可能な範囲である。それより先の洋上管制はオーシャン・コントロールと呼ばれる東京レディオが担当する。
 本来はHF周波数が使われるが、エリアに入っても暫くの間はHFより聴きやすいVHF周波数を使用している。交信は航空管制通信官が行う。
 この東京レディオの空域ではレーダーが届かないので無線のみの誘導となる。ということは誘導は航空機側からの位置、高度通報(ポジションレポート)をもとに管制をする。
 ダウニングが位置報告(ポジションレポート)を始めた。
ハーレクイン8673。 ポジション スモルト 1037 フライトレベル330
 エステイメイテング メイソン アット 1107 ネクスト 33ノース160イースト ゴーアヘッド

(ハーレクイン8673便です。スモルト(SMOLT、ウェイポイントNO9)を通過しました。通過時間は10時37分(日本時間で7時37分)、飛行高度33000フィートです。メイソン(MASON、ウェイポイントNO12)には11時07分(日本時間で8時7分)の到着予定です。そして北緯33度東経160度地点(ウェイポイントNO13)へ向かいます)
 ハーレクイン機はスモルトを予定通過時間より2分早く通過している。
トウキョウ ラジャ。 リポート メイソン エッチエフ 6532プライマリー 8903セコンドリー
(東京レディオ了解しました。メイソン通過時にHFで報告して下さい。主周波数は6532Hz 副周波数は8903Hzです)
ラジャ リポート メイソン 6532 プライマリー セコンドリー 8903 ハーレクイン8673
 この段階からVHF通信はホノルルセンター管制と交信するまで使用しない。ダウニングは復誦して交信を終えた。
サンキュー」と東京から送られてきた東京レディオのVHF音声がか細く闇に消えた。

パンナム、太平洋へ大型飛行艇就航(太平洋の空の歴史4)

 パンアメリカン航空のホアン・トリップが太平洋に最初の定期便として就航させた大型飛行艇「チャイナクリッパー」こと、「マーチンM-130」は1935年9月22日午後3時46分、世間の注目を集めて午後の日差しがさす美しいサンフランシスコ湾からホノルルに向けて離陸した。
 イギリスの小説家ケン・フォレットはパンナムのクリッパーを「世界一ロマンチックな飛行艇」と言う。彼が書いた一文を読めば、当時のクリッパーの雰囲気が伺われる。

パンアメリカン・クリッパーがサウザンプトン・ウォーター(イギリスの海の玄関サザンプトン湾のこと)に着水するのは、たしかこれが九回めだが、それでも新奇さは褪せてないようだ。…その飛行艇の魅力にひかれてそれだけの見物人がぞろぞろと集まってきたのだから。同じ埠頭に豪華客船が二隻、人々の頭上たかくそびえるように停泊していたが、それにはだれも注意ははらわず、みんな空を見上げていた。…「きた! きた!」子供はかん高い声で叫んだ。「クリッパーがきたよ!」…興奮のどよめきが群衆のあいだに広がっていった。…それはけたはずれに大きく堂々として、信じがたいほど力強い、空飛ぶ宮殿だ。…停泊している豪華客船にもひけをとらなかった。しかも船で大西洋を横断するのに四、五日はかかるのに、クリッパーなら25〜30時間しかかからない。まるで翼のはえた鯨のようだ

「飛行艇クリッパーの客」(ケン・フォレット 田中融二訳 新潮文庫)

 1942年にルーズベルト大統領を訪問したイギリスのチャーチル首相も、イギリスを代表する戦艦「デューク オブ ヨーク」で帰国する予定をパンナム「クリッパー」に変更した。当時、飛行機嫌いで知られていたチャーチル首相がクリッパーに搭乗したことは世界的ニュースとなったという。彼の著「第二次世界大戦」の中でもクリッパーにふれ、

『私はこの飛行艇に愛着を感じた。動きは滑らかで、振動も不快ではなかった。我々は快適な午後を過ごし、愉快な夕食をとった。私はゆったりとしたベッドに入り数時間ぐっすりと眠った』

「飛行艇クリッパーの客」

 このチャーチル首相が乗ったクリッパーやケン・フォレットの小説に登場するクリッパーは太平洋に就航した「チャイナクリッパー」の四年後に、ホアン・トリップが北大西洋に就航させたボーイング314大型飛行艇のことであるが、サンフランシスコ湾からホノルルへ飛んだマーチンM-130もプラット&ホイットニーツウィンワスプ830馬力エンジンx4 最大離陸重量 52250ポンド 航行距離3200マイル 定員41名とボーイング314大型飛行艇より少し小振りながら豪華さにおいては同じであった。ボーイング314クリッパーも「ホノルル・クリッパー」「サンフランシスコ・クリッパー」がのちに太平洋にも就航している。

▼ボーイング314クリッパー
ボーイング314クリッパー

 コックピットのクルーはパンアメリカンの機長として名高いエドワード・ミュジークとサリバン副操縦士、2名のナビゲーターと2名のフライトエンジニア、それに通信士の合計七名。航路はサンフランシスコ…ホノルル…ミッドウェイ…ウェーキ…グアム…マニラ間の8210マイル。
 クリッパーはその区間を59時間48分で飛行している。そしてそのときのスケジュールは次の通りであった。

9/22(金)15時46分 サンフランシスコ湾離陸
  23(土)10時13分 ホノルル着陸
  24(日) 6時35分 ホノルル離陸
  24(日)14時00分 ミッドウェイ着陸
  25(月)06時12分 ミッドウェイ離陸
  26(火)13時38分 ウェーキ着陸
  27(水)06時01分 ウェーキ離陸
  28(水)15時05分 グアム着陸  日付け変更線
  29(金)06時12分 グアム離陸
  29(金)15時32分 マニラ着陸

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第10回 夜間飛行

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 照明を暗くしたコックピットの中では、計器類の光りがほの暗く光り、窓の外の星空とつながっているように見えて幻想的な雰囲気を作っている。
 ダウニング副操縦士とネイヤー航空機関士が夕食を取り始めた。

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★「最後の飛行」挿入19

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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 コックピットのスピーカーからトラフックで混雑する東京コントロール関東東エリアの様子が伺われる。管制官がアメリカから飛来してR220航空路を西へ向かう貨物専用航空ポーラ・エアー・カーゴ87便をレーダー捕捉して、現在の飛行地点を知らせる。
ポーラタイガー87。レーダーコンタクト 45マイル ノースイースト オブ ナナック」(ポーラタイガー87便へ。レーダーで捕捉しています。現在位置はナナックの北東45マイル地点です)
 ナナック(NANAC)は三沢市の東約80マイルの洋上にある飛行ポイントである。
ラジャ。ポーラタイガー87。リクエスト 360
(了解しました。ポーラタイガー87便。36000フィートへ上昇許可願います)
ポーラタイガー87 スタンバイ」(ポーラタイガー87便へ。待機願います)
トウキョウ ユナイテッド882 パッシング アリス 1005 クライム フォー フライトレベル 330
 成田空港を離陸したシカゴへ向かうユナイテッド航空882便B747-400が東京コントロールの空域に入ってきた。現在高度10500フィートで銚子沖アリス(ARIES)を通過、高度33000フィートへ上昇中という報告である。
ユナイテッド882。トウキョウコントロール ラジャ
ユナイテッド882。ウィ ハブ トラックワン トゥ パーバ?
(ユナイテッド882便です。パーバ(PABBA)へ向っていいですか?)
 パーバは北太平洋パコッツルートのトラック1の日本側の入り口である。
ユナイテッド882 ジスタイム クリア トゥ プレゼントポジション トゥ ディレクト ケイジス」(ユナイテッド882便へ。今回は現在位置からケイジス(KAGIS)に向かって下さい)
 ケイジス(KAGIS)は房総半島の銚子の沖、約100マイルの地点でその後北太平洋への航路A590をアモットへ向うユナイテッド機には若干まわり道になる。
サンキュ。ディレクト トゥ ケイジス ユナイテッド882
(ありがとう。ケイジスに直行します。ユナイテッド882便)
 次に管制官は東京コントロールが管轄する空域の限界地点に達した成田空港発サンフランシスコ行き日本航空2便に、レーダー捕捉の限界を告げ、以後は東京レディオに移管するようにというハンドオフの指示をする。
ジャパンエア2 レーダーサービスターミネイテッド スコーク2000 コンタクト トウキョウレディオ126.7
(日本航空2便へ。レーダー捕捉の限界地点です。ス クオーク2000 以後は東京レディオ126.7へ交信して下さい)
ジャパンエア2 スコーク2000 126.7 グッデイ
(日本航空2便です。スクオーク2000 以後の周波数126.7メガヘルツ了解しました)
ユナイテッド810 レーダーサービスターミネイテッド スコーク2000 コンタクト トウキョウシディオ 126.7
 今度は関西空港をハーレクイン8673便より先に離陸したユナイテッド航空810便B-747ー400、サンフランシスコ行きが東京コントロールのレーダー限界に着いた。
2000 126.7 ユナイテッド810 フライトレベル330 どうも

 ここでユナイテッド航空810便と同じく、ハーレクイン8673便が関西空港から現在の東京コントロールまでハンドオフされてきた管制エリアを辿ってみると、
 まず、関西空港デリバリー管制で飛行プランの承認を受け、関西空港のグランドコントロールへハンドオフ、そこで滑走路までの地上管制を受けた。次は関西空港のタワーコントロールの指示で離陸。離陸後は関西空港ディパーチャー・コントロールのレーダー誘導で上昇。ここまでが飛行場管制のエリアである。
 そして航空路に入るとエアールートを管制するACC(エアー・コントロール・センター)の管制下に入り、東京コントロールの紀伊セクター133・5、次に関東南Cセクター124・55、三宅島近くになると関東南Aセクターに引き継がれ、現在は関東の太平洋空域をコントロールする関東東セクター133.6のエリアにいる。
 ハーレクイン8673は出発から現在まで無線機の周波数を八つも変えて飛行していることになる。
 そしてこのあと、東京レディオからサンフランシスコ・オークランド管制に入って、ホノルル管制へとハンドオフされてゆく。
 オートパイロットを作動させ、楽に飛行しているようにみえる航空機もいろいろな規制の中を飛んでいるのだ。
 そのオートパイロットも無かった時代、広大な太平洋に定期路線を就航させるべく情熱を燃やした航空会社があった。

太平洋へ民間定期路線就航 パンナムの時代(太平洋の空の歴史3)

 太平洋を乗客を乗せて飛行した最初の航空会社は「パンナム」の愛称で知られているアメリカのパン・アメリカン航空であった。
 太平洋の民間航空の歴史はパンナムの歴史でもある。そしてそれはひとりの男の空への夢に支えられた歴史でもあった。
 1927年(昭和2年)3月14日フロリダを起点にして、キーウェストとキューバのハバナを結ぶ144キロのアメリカ最初の国際航空路をもつ小さな航空会社が生まれた。 それが情熱の人、ホワン・トリップが設立したパン・アメリカン航空である。

▼ホワン・トリップ
ホワン・トリップ

 1927年といえばリンドバークが大西洋を、メーランドとヘーゲンがサンフランシスコとホノルルの間を無着陸で飛行した年である。
 そして翌年にはホワン・トリップはマイアミとハバナ間を就航させ、その後バッフアローやニューヨークにもあった小さな航空会社を統合させて本格的にパン・アメリカン航空の創業を開始する。
 当時の主力機種はフォツカーF7-3M、八名の座席を持つ3発エンジン機であった。
240馬力のエンジンを3基、最大離陸重量8800ポンド、飛行距離は660マイルである。

▼フォッカーF7-3と客室
フォッカーF7-3と客室

▼フォッカーF7-3
フォッカーF7-3

 ホワンは空に夢をかけた野心家であった。祖父のホワン・テリーはキューバの富豪で船乗りで、ホワンはその祖父から冒険心と野心を受け継いで育つ。
 エール大学では飛行クラブを作り、大学を一時休学して海軍の爆撃機の操縦士になったほど飛行機が好きであったという。
 エール大学を卒業すると銀行に入るが、空への夢をあきらめきれずに航空事業家に転身する。
 最初、ホワンは空軍の払い下げの中古飛行機を改造し、その飛行機でニューヨークの社交界の名士を別荘に運ぶという航空会社をつくる。ボストンとニューヨークの郵便輸送も始めた。そして30才のとき、パン・アメリカン航空を設立する。
 国際線運航は政府の認可が必要なので、彼はエール大学時代の人脈でワシントン政界にコネを作る。ホワンの妻の兄はルーズベルト大統領の国務長官であった。
 次々と郵便輸送と国際線の認可を手に入れると、彼は矢継ぎ早にキューバ、中南米、南米、アメリカ東海岸に路線を拡大し、パンナムを創立して5年後の1932年には、約二万キロに達する中南米路線をもつアメリカ最大の航空会社に発展させている。
 ホワンは路線を拡張する一方で新しい飛行機の開発に全力を注ぐ。パンナムが使用した飛行機はアメリカ航空界を代表する名機ばかりである。
 例えば、フェアーチャイルドFC-2(定員6名、プラット&ホイットニーの450馬力エンジン一基)。フォード・トライモーター・シリーズ(定員12名、420馬力エンジンx1と450馬力エンジンx2)。ローッキードL10エレクトラ(定員10名、450馬力エンジンx2)などである。
 その中でも一際、輝いている飛行機は、シコルスキーF7-3大型飛行艇であった。

▼シコルスキーS-40大型飛行艇
シコルスキーS-40大型飛行艇

 彼は祖父が、そして先祖が乗った快速帆船にちなんで、その飛行艇を「アメリカン・クリッパー」と名付けた。パンナム最初のクリッパー命名機である。
 次にホワン・トリップが目をつけたのは太平洋であった。
 当時アメリカ政府が中国に市場拡大を求めていた経済的背景もあり、ホワンはアメリカと中国を結ぶ太平洋に定期便を就航させるという壮大な夢を抱く。
 ルートはふたつ考えられた。ひとつはサンフランシスコからアラスカ西海岸、アリューシャン列島、日本、マニラ、香港を結ぶ北太平洋コースで飛行距離は約14000マイル。もうひとつはサンフランシスコからホノルル、ミッドウエイ、ウェーキ、マニラ、香港を結ぶ太平洋横断の海洋コースで飛行距離は約8000マイルである。
 最初、ホワンは島伝いの北大西洋コースが距離は長くなるが途中、給油や安全面で現実性があると考えていた。
 当時の飛行機の航行距離は双発のロッキード・エレクトラで800マイル。シコルスキーF7-3飛行艇でも1200マイルなので長距離の海洋横断には無理があったからだ。
 そしてホワンは大西洋を単独横断して名を馳せるチャールズ・リンドバークを技術アドバイサーに迎えて、1931年夏、コースの調査のためにリンドバーク夫妻に北太平洋のルートを香港までの飛行を依頼する。
 リンドバーク夫妻が単発のロッキード・シリウスでニューヨークを発ち、カナダ東海岸、アラスカのノーム、アリューシャン列島からカラフト、北海道の根室を経て東京に飛来したのは、昭和6年(1932年)の8月である。その年は奇しくも報知新聞社の「報知日米号」が青森県淋代海岸からアメリカへ太平洋横断に飛び立った年でもあった。

▼リンドバーク機
リンドバーグ機

 リンドバークの調査の結果、パンナムの飛行ルートは北太平洋コースに決まったが、途中通過するロシア政府の反対で許可が出ず、結局ルートは太平洋の中央を横断するコースに決めざるをえなかった。
 しかしこのルートにはノン・ストップで飛行しなければならないサンフランシスコとホノルル間の2494マイル(約3890キロ)という当時の飛行機の航行距離では想像を絶する太海原が横たわっていた。

▼パンナム太平洋開発飛行ルート
パンナム太平洋発飛行ルート

 この大海原は冒険飛行やチャレンジフライトならともかく、乗客をのせた定期便を就航させるには長すぎる距離であった。
 ここでホワンの夢は挫折するかに見えた。
 しかし彼は途方もない方法でこれを実現する。
 それは航行距離が3000マイルを越える新しい航空艇(フライングボート)の開発であった。
 すでに彼はシコルスキー社にカリブ海や南アメリカで使用する1200マイルの航行距離を持つ飛行艇、シコルスキーS-42(定員32名、プラット&ホイットニー700馬力エンジンx2、離陸総重量38000ポンド)を持っていたので、シコルスキー社にS-42の航行距離を延ばす改良型とマーチン社に新しい大型飛行艇を発注する。
 そして三年後の1935年9月22日、彼の情熱は乗客を乗せたマーチンM-130大型飛行艇を太平洋に就航させた。
 41名の定員を乗せて3200マイルも飛ぶことが出来る大型飛行艇を、彼は「チャイナクリッパー」と名付けた。当時、夢の飛行機と騒がれた歴史的航空機である。

▼チャイナクリッパー
チャイナクリッパー

 「チャイナ・クリッパー」の出発の様子はアメリカ全土にニュースとして流され、記念切手までが発売されたという。そしてハンフリー・ボガード主演で映画「チャイナ・クリッパー」(邦題「太平洋横断」)が製作されるなど、ホワン・トリップの名とパン・アメリカンの「チャイナ・クリッパー」は一躍有名になった。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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昨日配信の「最後の飛行」第9回に、音声を追加しました

こんにちわ!

昨日更新した、航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第9回なのですが、冒頭に入るべき音声がひとつ抜けてしまっていました。
すみません、わたしの見落としです。

先ほど修正したものをアップしました。
第9回に流されるべき音声は2回になります。

それから、合わせてタイトルがつきました。

「最後の飛行」第9回 ハーレクイン機、太平洋洋上へ

私の不手際が重なり、昨日お楽しみいただいた皆さん、すみませんでした。もう一度お楽しみいただければ幸いです!

「最後の飛行」
▶第9回 ハーレクイン機、太平洋洋上へ

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第9回 ハーレクイン機、太平洋洋上

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★「最後の飛行」挿入17

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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 さきほどまで窓の外に見えていた陸地の灯も後方に去り、今はハーレクインDC-10は漆黒の太平洋洋上を一路東に飛行していた。
デルタ52。クリア プレゼントポジョン ディレクト パーバ レスト オブ ルート アンチェンジ
(デルタ航空52便へ。こちら東京コントロールです。現在地点からパーバ(PABBA)へ直行することを許可します。以後のルートに変更はありません)
デルタ52。プレゼントポジション トゥ パーバ、レスト オブ ルート アンチェンジ」(デルタ航空52便です。現在地点からパーバーへ向かいます。以後のルートはそのままです)
 成田空港発のアメリカ、ポートランド行きのデルタ航空のMDー11に管制官はパーバー(PABBA)への飛行を許可する交信である。
 パーバは茨城県の約160マイル東の洋上にある北緯37度東経143度59分のウエイポイントで、アメリカに向かう北太平洋航路OTR5の入り口となっている。
コンチネンタル8。レーダーサービスターミネイテッド スコーク2000 コンタクト トウキョウレディオ126.7
(コンチネンタル航空8便へ。レーダーによる捕捉は終了しました。スコークは2000 以後は東京レディオ126.7にコンタクトして下さい)
 続いて成田発ニューヨーク行きのコンチネンタル航空Bー777へ東京コントロールから東京ラジオへの移管の交信である。
 日本国内及びその近辺を飛行する航空機は東京コントロールのレーダーで捕捉されているが、海岸線から約250マイル離れるとそのレーダー範囲外となり、以遠は東京レディオ管制が無線交信のみで航空機を誘導する。
 この洋上管制の仕組はあとで述べるが、レーダーサービスターミネイテッドとは東京コントロールの管制限界点を意味している。

 ハーレクイン8673便はメイソンに向けて飛行を続けている。客室では国際線の長距離飛行独特のくつろいだ雰囲気の中で夕食がサービスされ、免税品の機内販売が始まろうとしていた。
 操縦室も一息ついている。三宅機長は今日二杯目のコーヒーをブラックでキャビンに頼んだ。夜の太平洋の空を飛び交う交信がコックピットのスピーカーから絶え間なく聞こえている。
 言うまでもなく太平洋は途方もなく広い。
 この広い太平洋を最初に横断したのはアメリカ人パイロットで1924年(大正14年)のことである。これはリンドバークが大西洋を単独飛行に成功した三年も前のことであった。

太平洋へチャレンジフライト(太平洋の空の歴史1)

 例えば北緯45度上で距離を測ると大西洋はカナダ・ノバスコシヤからフランスの西海岸まで約4700キロだが、太平洋は北海道東海岸からアメリカ西海岸まで約7000キロもある。この広い空を最初に飛行機で飛んだのは、皮肉にも海軍ではなくアメリカ陸軍の飛行隊であった。
 1924年に北太平洋と北大西洋を横断するという壮大な計画がアメリカ陸軍によって立てられ4月6日から9月28日まで176日かかって飛行したという。その内太平洋の横断には47日を要した。
 アメリカ陸軍マーチン少佐らが四機の複葉機を改造した水陸両用機(ダグラスDTー2)でアメリカ・シャトルを出発し、アリューシャン列島に沿って島伝いに日本の霞ヶ浦まで飛行している。
 このフライトは無着陸横断飛行ではなかったが、そのとき使用した飛行機がダグラス社製作であったために、それまで無名だったダグラス社の名が世界に知られることになった。

 参考までに記すと、北大西洋を最初に横断したのはアメリカ海軍のアルバート・リード少佐が指揮する三機の飛行艇(カーチスNC4)で、1919年5月16日、アメリカ東海岸のニューファウンドランドを出発しポルトガルのリスボンまで、途中、アゾレス諸島などの島々で着水して給油をうけながら12日間で飛行した。
 また北大西洋をノンストップで飛行したのは、イギリス人のジョン・アルコックとその友人チームであった。
 1919年6月14日、16時間27分かけてニューファウンドランドからアイルランド西海岸クリフデンまでの無着陸飛行に成功している。
 チャールズ・リンドバークがニューヨークーパリ間無着陸の単独北大西洋横断に成功したのは、それから8年後の1927年の5月である。

 さて太平洋に話を戻すとリンドバークが成功した同じ年の6月に、アメリカ陸軍の二人の中尉によってサンフランシスコ・オークランドからハワイ・ホノルルまで約3890キロの無着陸飛行が行われている。
 三宅機長がMD-80を空輸して飛んだ同じ飛行ルートをレスター・メーランドとアルバート・ヘーゲンのふたりは三発エンジンのフォツカーF7ー3M「アイランズ オブ パラダイス」号で25時間50分かけて飛んだ。

フォツカーF7-3M
フォツカーF7-3M

 この飛行は太平洋洋上飛行の最初の快挙とされている。偏流を測定し現在地を測定しながら太平洋の一点であるハワイまで飛行したことは当時リンドバークの成功と並び評されたという。
 このサンフランシスコとホノルル間の飛行で忘れてはならないのが女性パイロットとして単独飛行に成功したアメリア・イヤハートであろう。
 四十才を前に南太平洋で行方不明になるまで、北大西洋単独飛行(1932年)、カリフォルニアからメキシコシティ、ニューアークまでの単独飛行(1935年)、そしてマイアミからアフリカ、アラビア、インド、東南アジアなどの長距離飛行(1937年)など世界航空史に燦然と輝いた美しい女性パイロットであった。
 1935年1月11日の早朝、アメリア・イアハートはひとり愛機ベガでホノルルからサンフランシスコへ向かった。

ロッキード・ベガの写真
ロッキード・ベガの写真

アメリア・イヤハート
アメリア・イヤハート

それは星のきれいな夜だった。コックピットの窓から手を出せば、触れそうなほど星がすぐ間近に見えた。いままであんな大きな星をあんなにたくさん見たことがない。 下界の真っ暗な海と、空の白い雲と月と星の光、そのコントラストは一生忘れられないだろう

『ラストフライト』 アメリア・イヤハート著(松田鉄訳 作品社)

ハーレクイン機 太平洋の真っ直中へ

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★「最後の飛行」挿入18

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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 ハーレクイン機の窓からもたくさんの星が見えていた。アメリアの言うように照明を落とした暗いコックピットから「手を出せば触れそうなほど」に無数の星があった。
アメリカン154。リクエスト エスティメト カルマ
(アメリカン航空154便へ。カルマ(CALMA)の通過時間を知らせて下さい)
 成田空港からシカゴへ向かうアメリカン航空のMDー11へ東京コントロールの管制官が、岩手県宮古の東約400キロにあるウエイポイント・カルマの予定通過時刻を尋ねている。カルマは北太平洋へ向かう航路OTR5の上にある通過点だ。
…1104 エスティメイト カルマ アメリカン154
(こちらアメリカン航空154便です。カルマには標準時間で11時4分の到着予定です)
アメリカン26 リクエスト エステイメイト カルマ
(アメリカン航空26便へ。カルマの予定通過時刻を知らせて下さい)
 シカゴへ飛ぶアメリカン航空154便より35分遅れて同じ成田空港を離陸し同じコースを飛行しているアメリカン航空26便MDー11に管制官はカルマの予定通過時刻を尋ねた。
アメリカン26 エスティメイト カルマ 1114
 1114(標準時11時14分)にカルマに通過なのでアメリカン航空154便のうしろ10分の距離にアメリカン航空26便が飛んでいることがわかる。
 航空無線を聴いていると飛行機間の位置関係を知ることが出来るのは航空フアンにとって空を楽しむ醍醐味のひとつであろう。
トウキョウコントロール。ジャパンエア1092。レベル330 アンド フライトレベル350 オア 370 390
(東京コントロールへ。こちら日本航空1092便です。現在、高度33000フィートで飛行中です。高度35000、または37000、39000フィートへ上昇する許可を願います)
 ハーレクイン機のすぐ北をほぼ同時刻に関西空港を離陸してホノルルに向けて飛行している日本航空1092便が高度を上げるリクエストをしてきた。
シャパンエア1092。トウキョウコントロール リクエスト エスティメイト ベポック」(日本航空1092便へ。こちら東京コントロールです。ベポック(VEPOX)の通過予定時刻を教えて下さい)
ベポック エスティメイト 1112」(ベポック通過予定時刻は11時12分です)
ジャパンエア1092。スタンバイ リクエスト
(日本航空1092便へ。待機願います)

 後に三宅機長が説明する飛行コースのところで詳しく述べるが、今日のホノルルへのルートはベポックを経由して入るトラック11とメイソンを入り口として入るトラック12の並行する二本があり、その間隔は南北へ約100マイルほど離れている。
 そしてその二本のルートは飛行する航空機がフライト前に好きなコースを選択出来るようになっている。
 日本航空1092便はトラック11を、ハーレクイン8673便はトラック12を選んで現在はそれぞれのコースの入り口になるウエイポイントに向かって飛行を続けている。すなはち日本航空は、航路OTR 13を、ハーレクインはその南の航路OTR 15を東に飛んでいるのだ。

昭和六年は日本でも太平洋横断ブームの年(太平洋の空の歴史2)

 太平洋は東に飛ぶ方が西に向かうより楽な飛行となる。なぜなら太平洋の日本近海はジェット気流が、ホノルルなど太平洋中部や赤道付近には貿易風が東から西に吹いているので航空機はその風に乗れる。いわゆる追い風飛行である。
 昭和に入ってその追い風を利用して太平洋を横断する数多くの飛行計画が日本でも立てられていた。
 その最初は1927年(昭和2年)10月に帝国飛行協会(現財団法人日本航空協会)が発表した太平洋横断飛行計画である。
 コースは北海道から樺太、アリューシャン列島の島沿いに途中、給油しながらアメリカまで飛行する北コースで、機体は川西航空機製作所が製造した川西Kー12型単発複葉水上機であった。
 だが、訓練中に墜落、パイロットが死亡しこの飛行機による太平洋横断を断念する。
 日本人による太平洋横断に熱心だった帝国飛行協会は、昭和6年(1931年)に、「北緯45度以内の日本から北緯50度以南のアメリカまで昭和8年8月までに飛行に成功した者に、賞金20万円を贈る」と発表し、朝日新聞社も協賛して話題を呼んだ。
 しかし当時、帝国飛行協会以上に、太平洋横断飛行に情熱を燃やした新聞社があった。
 それは報知新聞社である。

報知新聞太平洋横断計画を発表

 報知新聞はまず昭和6年2月に自社でドイツから購入した二機のユンカースAー50軽飛行機を水上機に改造した「報知日米号」で太平洋横断計画を発表する。

▼報知新聞の記事
報知新聞の記事

 その年の5月。吉原清治操縦士が単身乗り込み、わずか80馬力の飛行機を羽田飛行場から離陸させ千島列島を島伝いにアメリカに向かうが、千島列島の新知島付近で濃霧に遭い、しかもエンジン故障で着水漂流。7時間後に日本の汽船白凰丸に救助される。
 しかし報知新聞社は、一ヶ月後の6月にもう一機のユンカースAー50を着水した新知島まで船で運び、吉原操縦士を搭乗させ、それ以降のコースに再度挑戦を試みるが、飛行機の調子が悪く断念する。
 しかし報知新聞社はいっそう情熱をたぎらせた。
 三回目の飛行をその年内に試みるため、少し大型のユンカースW33を購入し「第三報知日米号」と名付け、日本航空輸送研究所の馬場英一氏に操縦を、当時、海軍で船の航法権威者だった本間清中佐をナビゲーターに、そして無線通信士を井上知義海軍兵曹に依頼して10月に再度のチャレンジを計画した。が、冬の悪天候を考慮してこのプランを翌年まで延期する。
 報知新聞社の空への情熱はこれで終わらない。
 その年すぐにイギリスのカティサーク軽飛行艇を購入し、飛行機と吉原操縦士をアメリカに派遣。アメリカから日本へ太平洋横断飛行を計画し、同時にアメリカのベランカ機を買って、陸軍の名越愛徳大尉と浅井兼吉陸軍曹長にやはりアメリカから日本への飛行を依頼する。
 だが報知新聞のかぎりない情熱も翌年、続けて起こった不孝な事故で終焉を迎えることになる。
 最初の事故は3月29日に起こった。ベランカ機「日の丸号」がアメリカのフロイド・ベネット飛行場でテストフライト中に墜落、操縦をしていた名越大尉が死亡する。
 そしてその二か月後の5月7日、吉原清治パイロットの軽飛行艇、サロ・カティーサーク機もサンフランシスコのオークランドでテスト中に大破した。
 これでアメリカから日本へ太平洋を横断する夢はすべてつぶれた。
 事故は連続すると俗にいうが、9月24日、冬到来で延期していた最後の望みの綱、ユンカースW33機「第三報知日米号」で、午前5時37分に青森県淋代(現三沢市)を離陸、太平洋横断の壮挙についた。このユンカースW33長距離機は最初は貨物機だったが、その後、6人用の旅客機に改造され世界中で記録飛行に使われた。
しかし「第三報知日米号」午前11時すぎにエトロフ島の南を通過するという無線交信を残したまま行方不明となった。

▼報知新聞記事とユンカース
報知新聞記事とユンカース

 大捜索がおこなわれたが機体は見つからず、それから三年後に墜落が確認されて報知新聞社は、昭和12年12月に「謹みて太平洋横断飛行の経過を報告す」と題した記事を発表し、太平洋横断飛行計画を断念したと公表した。
 今はジャイアンツの野球報道で知られる報知新聞が過去こんなにも太平洋横断飛行への情熱を燃やしていた事実に敬意の念を抱く思いがする。

アメリカ人による太平洋横断飛行

 昭和6年は報知新聞の「報知日米号」以外にも太平洋横断飛行が試みられていた。
 5月31日、アメリカ人トーマス・アッシュがエムスコ単葉機「パシフィック号」で淋代を出発する際に離陸に失敗。9月8日に再び挑戦するが、今度はアリューシャン列島に不時着して断念した。その他プロムリー、ゲッティとアレン、モイルの二組も淋代から太平洋横断に挑戦したがいずれも失敗に終わっている。
 無着陸で太平洋を横断に成功したのは、皮肉にも報知新聞がユンカースWー33のフライトを延期した同じ月の昭和6年の10月4日であった。
 アメリカ人バングボーンとハーンドンのふたりは淋代海岸を離陸、北太平洋大圏コースで約7910キロ飛び、飛行時間41時間12分でアメリカのウエナッチに胴体着陸し太平洋無着陸の記録が達成された。

▼パングボーン機「ミス・ビードル号」
ミス・ビードル号

 この飛行機が胴体着陸した理由は機重を軽くするため、淋代海岸を離陸したときに車輪を切り離して捨てるという工夫がされていた。彼らに帝国飛行協会と朝日新聞社から賞金が渡されたことは言うまでもない。
 唯、この離陸が10月だったことを考えれば、もし「第三報知日米号」が離陸していれば、無着陸ではないにしろ太平洋横断の栄誉は日本人の手で達成されたかもしれないと考えたくもなる。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第8回 最後のキャプテンアナウンス

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「ハーレクイン8673。 コンタクト トウキョウ133.6」
(ハーレクイン8673便へ。以後は東京コントロール133.6へ連絡して下さい)
 ハーレクイン機が東京コントロール関東東セクターへ、ハンドオフされた。
 現在、午後7時20分。高度を一万メートルに上げて次のウエイポイント・サンスに向かっている。

三宅機長

 三宅機長は操縦をダウニングにまかせてキャプテンアナウンスの準備を始めた。
 現役最後のフライトで行われる機長のアナウンスは、一種の引退セレモニーのひとつである。人生には死を目前する臨終というものがある。自分の死がまじかであることを知ったとき、人間は死の恐怖、不安や生への、やるせない未練にさいなまれる。それら一つ一つを、一日一日、苦労しながら自分の中に納得させる孤独な日々の連続の果てに臨終がある。
 ラストフライトはパイロットの臨終である。三宅機長はこの一ヶ月、ひとり黙念として臨終に際したパイロットの気持ちを自分なりに整理。納得してきた。理屈では当然、理解しているが、自分の口から、引退することを公然と口にしなければならない最後の機長アナウンス、まさにパイロットの遺言ともいえる最後のアナウンスを前にして。いささか。心は乱れた。
 到着時刻は知っていますよね。と尋ねるネイヤー航空機関士の声が機長はぼんやりとした現実感の中で聞こえた。
「あ・・、わかんない」機長として目的地の到着時間を忘れる筈はなかった。でも、今はすぐには思い出せなかった。現実がまだ遠くにある。
「6時33分です」とネイヤーの声は優しかった。最後の機長アナウンスを前にして航空機関士が自分を気遣ってくれているのが三宅機長はひしひしと感じられた。
「ローカルタイムの・・ホノルルタイム?」ネイヤーがゆっくりと答えた。
「ローカルタイム、はい。スケジュールは55分」
 三宅機長がメモをとりながらふたたびアナウンスの原稿の作成を始めた。その間に、操縦を担当しているダウニング副操縦士役が東京コントロール関東東セクターを呼んだ。
 この関東東セクターは房総半島の東側の太平洋空域をレーダーで管制している。成田空港から太平洋へ向かう航空機は成田デパーチャー・コントロールから直接この管制へ引き継がれる。
「トウキョウ。ハーレクイン8673。ウィ アー フライトレベル330」
「ハーレクイン8673。ラジャー。リクエスト メイソン エスティメイト」
(ハーレクイン8673。了解。次の通過点メイソン(MASON)の予定到着時刻を知らせて下さい)
 レーダーで捕捉しているとはいうものの、洋上飛行ではトラフィックが混んでいるとき、管制官は航路上の航空機の間隔をコントロールする必要があるためにその飛行機が向っているウエイポイントの通過予定時間(ETA)を尋ねる。
「1109」標準時11時09分(日本時間8時09分)と、すかさずネイヤーが機関士の小さな机の上に広げている飛行プランに目を通し、ダウニングにメイソン到着予定時間を教えた。
「ハーレクイン8673。エスティメイテング・・メイソン イズ 1108」
 飛行プランで予測しているより、現在吹いている追い風のジェット気流は強く、それを考慮してダウニングが飛行プランより一分早い到着時間を報告した。
「あ・・。デイトラインは?」と今度は三宅機長がアナウンス原稿に必要な日付変更線(インターナショナル・ディトライン)の通過時間をネイヤーに尋ねた。
「1350」とネイヤーが再び飛行プランを見て標準時で答える。
 航路上で航空機関士は操縦こそしないが、ふたりのパイロットの仕事を補佐する秘書みたいな役どころもする。”何でも知っているとても便利なフライトエンジニア”。これが三人クルーの利点のひとつでもある。
「350ね。ホノルル時間で?」
「え? はい。350です」(はい。午前3時50分です)
 太平洋を隔てた日本とアメリカ西海岸の間にある東経180度線は日付変更線で、ここを越えると日付が変わる。その時間を今日のフライトでは標準時間で1350。ホノルル時間で朝の3時50分を予定していた。
 飛行プランのナビゲーションログを見て頂きたい。

▼ナビゲーションログ
ナビゲーション・ログ

 WP(ウエイポイント)のNO16のコーディネートの欄にはN28 00。E180 00とある。すなはち、このポイントはN北緯28度00分、E(東経)180度00分でここが日付変更線である。
 予定到着時刻(ETO)は1350と記入されている。これは標準時間の13時50分、ホノルル時間の0350(AM3時50分)の意味。しかし実際に到着した時間(ATO)は、その横に並んで手書きで記入されているが1348、すなはち13時48分で予定より2分早く日付変更線を越えている。
 余談になるが、今後気象庁ではこれらの航空機からの気象報告を気象予測に導入する計画がある。朝日新聞の記事によれば高度、風の状態、気温などを自動的に観測し地上に送信する装置を搭載している航空機は日本航空で70機、全日空は96機、日本エアシステムには42機あり、そのデータをオンラインで気象庁に送ることが検討されているという。
 三宅機長はアナウンスをする前に機内電話で、客室の宮嶋チーフパーサーにアナウンスする旨を伝えた。コックピットクルーは乱気流に遭遇した場合など緊急なとき以外は、必ず客室の状態をパーサーに確かめてからアナウンスをする。くつろいでいる乗客を不必要に妨げたくないからだ。

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★「最後の飛行」挿入14

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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「はい。機長からです。日本語のみでアナウンスをします」今日は日本人乗客だけなので英語のアナウンスは必要がなかった。三宅機長は宮嶋チーフパーサーに客室の状況を聞いてゆっくりとアナウンスを始めた。
「ご搭乗の皆様。今晩は。本日はハーレクインエア、ホノルルチャーターをご利用頂きまして誠に有難うございます。関西空港からクルーがチェンジしまして私が本日の機長、三宅でございます」
 この8673便は鹿児島発のホノルル行きである。鹿児島と関西空港の間は別のクルーによって運航されていた。
「また、副操縦士役をするのはダウニング機長。フライトエンジニアはネイヤー航空機関士でございます。関西空港を若干遅れて出発しておりまして、只今、左手、房総半島から東京の灯を見てこれから太平洋洋上に向かいます。只今の巡航高度は丁度一万メーター。現在、非常に強い西風を受けております。時速、大体280キロくらいの西風で、この飛行機の対地速度は1100キロ前後のスピードで飛行しております。これから日付変更線をホノルル時間の(午前)3時50分。ホノルル着陸予定は朝の6時33分の予定でございます。途中の天候でございますが、これからホノルルまでの間、約二個所ぐらい軽い揺れが予想されております。あと一時間ぐらいした所とまたホノルル着陸前の二時間ぐらいしたところに気流の乱れているところがございますが強い揺れはございません」
 一般的に機長が巡航中にコックピッでアナウンスする姿は傍目には頼りな気に映る。
 パーサーやキャビンアテンダントが客室で大勢の客を前にアナウンスをするときは、少なくともそれを聞く乗客と対座するのでアナウンスにも熱が入り、乗客の反応もわかる状態にあるが、機長がアナウンスする場合はコックピットの中で前方を向いて座り、目をときどきメモに移す他は、やり場なく視線を計器類や空に向けながら、まるで独り言を喋べっているように話さなければならないので、その姿はどことなく戸惑いの色が隠せない。
 三宅機長もこのとき客室にスピーカーを通じて流れている自分の最後のスピーチが乗客にどのように受け止められているのか皆目わからなかった。
 が、実際には、客室で機長の最後のアナウンスは歓声と拍手で迎えられていた。記念の機長サインを貰いたいとキャビンアテンダントに申し出る乗客も数多かった。
 そんな客室の状況も知らず、三宅機長は背を丸めて心もち淋し気にアナウンスを続けた。

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★「最後の飛行」挿入15

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「ハーレクインエアではこのDC-10型機を使いまして国際線チャーターを二年半やっております。残念ながら3月29日にホノルルから日本に返りましてこの飛行機もリタイヤいたします。売れ先はノースウエスト航空です」

 三宅機長が後日、今回のラストフライトで最も嬉しかったことをこう話している。
「この飛行機(DC-10の)の受け渡しの時期を私のラストフライトに合わせてくれたことを会社にはとても感謝しています。『三宅が三月までだから、三月までは(DC-10を)使おう』という気持があったのかもしれない。それは私にとってみれば会社から良いプレゼントを貰ったという気がしますね」
 そして、ラストフライトを終えて鹿児島空港のロビーで社員一同に迎えられたときも、
「私のラストフライトを憧れのハワイ航路にセットして頂いたことを深く感謝しております」
 これらもひとえに彼の業績を物語るものであった。三宅機長はその業績により平成11年11月15日には黄授褒章を受賞している。

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★「最後の飛行」挿入16

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「私事になりますが」と三宅機長は一息ついてアナウンスを続けた。
「私事になりますけども、私もこの3月の28日、この旅行中でございますが60才の誕生日を迎えます。一応現役では定年ということになりまして、私の最後の現役でのフライトがこの飛行になります。さきほど最後の離陸をしましてホノルルで最後の着陸ということになります。この飛行のために私の家族や友人が搭乗してくれております。どうもありがとうございます」

 三宅機長夫人の由起子さんは東亜国内航空(現日本エアシステム)で約10年、スチュワーデス(現キャビンアテンダント)として空を飛んでいた。三宅機長との結婚を機に現役をリタイヤしたが、その由起子夫人も、長女の葉子さんと三宅機長の母親、三宅たけ子さん。それに由起子夫人のご両親ともどもこのフライトに同乗していた。
「主人は(三宅機長)はこのラストフライト(の日時)が決まったときから、母と私の両親を連れて行くつもりだったようです。私も娘も何度も主人のフライトには同乗しましたが、母も両親もこれが初めてだったものですから、とても感激しておりました」(三宅由起子夫人)

「ホノルルまでの間、本日は6時間37分という時間で飛行します。通常より早く到着いたします。途中、ご用の際はご遠慮無く客室乗務員までお申し出ください。本日はハーレクインエアのチャーターをご利用頂きましてありがとうございました」

 アナウンスの後、客席で拍手が鳴りやまぬ中、ご家族がハンカチで溢れる涙を押さえていたこともつゆ知らず、三宅機長は最後のアナウンスを終えて少し肩を落として紙コップに残っていた冷たいコーヒーを啜った。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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