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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第7回 三宅島から太平洋へ

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 ハーレクイン8673便は現在、高度29000フィートで順調に飛行をつづけている。
 左手後遠くに静岡から相模湾と東京の灯、そして房総半島の明かりが星空のように闇の中に浮かんでいる。
 この空域は成田空港や羽田空港、名古屋空港に離発着する航空機と一緒になり東へ向かう航路なので混雑し、管制官も飛行機の飛行高度を小刻みに調整している。その絶えまない交信がスピーカーから流れてくる

★「最後の飛行」挿入13

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

トウキョウコントロール。ジャパンエア1092。リクエスト フライトレベル330」(東京コントロールへ。日本航空1092便です。高度33000フィートへ上昇の許可を願います)
 29000フィートで飛行しているハーレクイン機の後方下、27000フィートを飛行する日本航空1092便が、33000フィートへの上昇をリクエストする。
ジャパンエア1092。セイ アゲイン 360 コレクト?
(日本航空1092便へ。36000フィートですか?)
330 ジャパンエア1092」(33000フィートです。日本航空1092)
スタンバイ」と間をおいて東京コントロールは日本航空機に33000フィートへの許可を与えた。
ジャパンエア1092。クライム メインテイン フライトレベル330
メインテイン フライトレベル330 ジャパンエア1092
 現在、ユナイテッド810、続いてハーレクイン8673、次に日本航空1092が縦に並んで飛行している。まもなく三宅島だ。
グッドイブニング エアカナダ890 275 トゥ 290 リクエスト フライトレベル350
(東京コントロールへ。今晩わ。エアカナダ890便です。現在、27500フィートから29000フィートへ上昇中です。35000フィートへの上昇許可を願います)
 ハーレクイン機の後方を飛行する関西空港発バンクーバー行きのエアカナダ890便Aー340が、東京コントロール関東南Bセクターの空域に入ってきた。
エアカナダ890。グッドイブニング ラジャー スタンバイ」(エアカナダ890便へ。今晩は。そのまま待機して下さい)
 この時間は太平洋に向かう、又太平洋から飛来する飛行機が房総沖に集中しているので、管制官は慎重にコントロールを続ける。飛行高度の調整とともに今度は航空機のエア・スピードをコントロールする。
ノースウエスト27。メインテイン マックポイント85 デュー トゥ トラフィック」(ノースウエスト航空27便へ。航路上に他の飛行機がいるので、速度をマッハ0・85で維持してください)
 管制官がジェット旅客機のエア・スピードを指示する場合は、高高度の巡航中はマッハ数で伝えるのが普通である。(アプローチや上昇中のコントロールはノットを使用)
 ノースウエスト機の「マックポイント0・85」とは、音速を1・00に対する速度比でその85%を意味する。
 マッハ速度は亜音速、サブソニック(マッハ数0・75以下)と還音速、トランソニック(マッハ数が0・75から1・25ぐらい)、そして超音速、スーパーソニック(マッハ数が1・2から5・0)、その上の極超音速、ハイパーソニック(マッハ数が5・0以上)で表わされる。旅客機の場合は製造会社と使用する航空会社がその飛行機の運用限界速度を定めている。
 例えばハーレクイン機のDC-10の飛行中の最大運用限界速度はマッハ0・88(375ノット)と定められ、安全のためそれ以上の高速運航は禁じられている。
 管制官はノースウエスト機の次に成田空港からマニラへ飛行しているエジプト航空機にも速度制限をする。
エジプトエア865。リバース メインテイン フライトレベル350 オールザウエイ アンド メインテイン マックポイント84 ゴー アヘッド
(エジプト航空865便へ。飛行高度35000フィートを維持し、飛行速度マッハ0・84で飛行して下さい)
エジプトエア865。メインテインニング350。アイ アム ゴーイング トゥ 84」(エジプトエア865便です。飛行高度35000フィートを維持し、マッハ0・84にします)
 「マッハ」とは1887年に世界で最初に音の衝撃波を記録したオーストリアの教授エルンスト・マッハの名をとって速度単位として命名された。マックはそのアメリカ発音である。
 三宅島の手前でダウニング副操縦士役が管制官を呼んだ。
トウキョウ。 ハーレクイン8673。リクエスト
(東京コントロール。こちらハーレクイン8673便です。リクエストがあります)
ゴー アヘッド」(どうぞ)
ハーレクイン8673。リクエスト イズ ア ディレクト スモールト オア ディレクト サンズ
(ハーレクイン8673便です。ウエイポイント・スモールト(SMOLT)もしくは、サンス(SUNNS)に直行したいのですが?)
ハーレクイン8673。クリア ディレクト サンズ
(ハーレクイン8673へ。サンに直行を許可します)
 サンズ(SUNNS)は房総沖約50マイルの海上にある飛行ポイントでハーレクイン機が通過予定の八番目のウエイポイントである。

▼飛行地図と飛行プランのナビゲーション・ログ(クリックすると拡大します)
ナビゲーション・ログ

 三宅島が五番目のウエイポイントなのでサンスに直行出来るということは、六、七番目のポイントに迂回する必要がなく距離が短くなる。それは同時に燃料の節約につながる。 民間航空のパイロットのグッド・フライトには安全快適な飛行の次に燃料節約という経済性が重要な要素となるのだ。
グレイト!」と声をあげるネイヤー機関士。
8番」とダウニングも嬉しそうに三宅機長に報告した。
 このフライトで搭載した燃料は予備の燃料をあわせて15万ポンドである。(飛行プラン参照)そして実際にホノルルまでのフライトで消費した燃料は11万1420ポンドだった。搭載燃料にはリザーブフェル(航空法に定められた予備燃料)とエキストラフュエル(悪天候などを想定した予備燃料)、オルタネートフュエル(代替空港、ホノルルに着陸出来ない場合の代わりの予定空港までの燃料)など使用しなかった燃料もあるのでそれを差し引いても、約15000ポンド以上はこのフライトで節約していることになる。
ジャパンエア1092。クリア ディレクト バッキー」」
(日本航空1092便へ。バッキーに直行して下さい)
 管制官はハーレクインのあとを飛ぶホノルル行きの日本航空機にも同じ許可を与えた。
 いよいよ太平洋飛行が始まった。
 三宅機長は先ほどから後方に消えて行く陸地の灯をじっと見つめている。その脳裏にはこれまでの長く、そして瞬く間に過ぎたパイロット人生が走馬燈のように映っているに違いなかった。

三宅機長のパイロット人生

 三宅機長は日本国内航空時代、昭和41年から二年半、沖縄の南西航空に出向している。

「あのころは副操縦士としてコンベア240やYS-11に乗ってました。あるとき、コンベア240で南大東島に飛んだときね。そのころの南大東島の滑走路はまだアスファルトじゃなくてね。コーラル、珊瑚礁を敷き詰めてローラーをかけただけの滑走路でそこへ飛行機を降ろしたんですが、着陸してリバースかけたとき砂煙がわっと上がると、その煙の中で何か黒い鳥みたいなものが飛んだなと思ったんです。
タクシーしているときも路面がガタガタだから気がつかない。それで飛行機をとめてお客さんを降ろしたら、農家のひとが落とし物ですよ、と何か黒いものを持ってくるんですよ。よく見るとそれは飛行機のタイヤだったんですよ」

▼コンベア240
コンベア240

 そしてこんな苦労話もしてくれた。
「当時、沖縄は返還前でまだアメリカでしたから、ATC(航空管制)はアメリカ人がやっていたんですよ。副操縦士として管制官と交信するのですが何言っているのかわからない。それでアメリカ人の管制官と酒飲みにゆきましてね。必死で英語を覚えましたよ。高い月謝だったよね」

 当時の飛行はスリル満点でもあったようだ。
「沖縄は本土と違って琉球レギレーションだったんですよ。アメリカ航法でね。面白かったですね。例えば与邦国島の場合ですが、滑走路のすぐ向こうに丘があってそこに高い煙突があってね。YS-11だったんですが、そのプロシージャーはね。離陸してノーズアップしてギャ・アップ、上がったらすぐ左旋回して海に逃げるんです。日本の航空法ではとても飛べる状態ではなかったですね。
でも、楽しかった。あるとき島に着陸しようとしたら滑走路に牛がいるんですよ。目の前をとつとっと、と走っていくんです。これは駄目だな、と観念したんですが、牛が横へいったので何とか降りちゃいました」

 三宅機長は昭和45年でYS-11の機長になる。YSの飛行時間は5243時間。その内、機長として飛んだのは3241時間という。(コンベア240では約2000時間)

「台風の中でも平気で飛んだしね。YSは自分の身体の一部みたいだった。どんな状態でも絶対に墜落させない自信がありましたね。でも、あのプロペラのコントロールは難しかったな」

▼YS-11
YS-11

 その自信があるYSの乗務で最も辛かったのは深夜便だったという。

「深夜便は東京から千歳、福岡に夜飛ぶのですが、あれは眠かったですよ。夜一時頃離陸して朝着くのですが、で、今の飛行機はオートパイロットがついているので、多少、居眠りしても大丈夫なんですけどね。その頃はオートパイロットがついていなかったものですから、夜中になると眠くなるんです。それで副操縦士の顔を見るとね。やっぱり眠そうな顔して目をつむっているんですよ。起こすのは可哀想だなと思っているうちに自分が眠くなって。すると飛行機の高度が下がり始めて傾いたりするんです。しかしエンジンの音が微妙に変わってそれで目が覚めるんですよ」

 昭和46年5月に会社が合併して東亜国内航空(TDA)になると、三宅機長はDC-9のライセンスを取得する。昭和49年10月11日であった。
 そしてその後DC-9の路線教官や査察パイロット、飛行教官を勤めるが、彼はこのときDC-9(MD-80)で始めて太平洋を渡る経験をする。これが彼が国際線を飛ぶひとつのきっかけとなった。
 東亜国内航空は国内線だけだったので、日本航空や全日空の国際線を横目にみながら社員は、「いつかは国際線に」と未来の夢を持っていた。
 とくにパイロットは離着陸回数が多い国内線で鍛えた操縦の腕前は、他の航空会社には決して負けないという自負に満ちあふれていた。
 当時ダグラス社から飛行機を購入するとダグラス社が依頼したパイロットがその飛行機を日本まで空輸して日本でデリバリーするのが普通であった。将来の国際線へ備えて自社の飛行機は自分の手で外国から運ぼうという機運が、東亜国内航空の社内に生まれたのは当然の成り行きであった。それが国際線への現実的な第一歩につながると信じていたからである。
 DC-9のデリバリーにつづいて、東亜国内航空が初めての大型旅客機としてエアバス・インダストリー社からAー300B2を9機を購入した昭和55年11月27日、フランスのツウールーズから南回りで羽田まで第一号機を自社のパイロットが空輸した。
 それは東亜国内航空のパイロットにとっては初めて経験する本格的な国際フライトであった。

▼DC-9
DC-9

 フランスからエーゲ海、アラビヤ半島を横断しインド洋、東南アジアから香港、そして日本へ2万キロを越えるフェリーフライトで、運航に携わった東亜国内航空の社員たちは国際線の貴重なノウハウを得た。
 三宅機長も前述したようにMD-80をアメリカ西海岸のロングビーチにあるダクラス社から東京までの空輸するチームに参加している。そのときのフライトを次のように話っている。

「ロングビーチで訓練を受けてね。そこからホノルル、ウェーキ、グアム経由で羽田まで運びましたよ。うちの飛行機は国内線仕様だから短距離機でしょう。それにINSも付いていなかった。それで客室にバグタンクといって予備燃料を積みましてね。そして運んだ。INS(慣性航法装置)は仮設して飛ぶんですが、いちいちINSで算出したヘディングをオートパイロットに手動で入れてね。それは苦労しましたよ」(三宅機長)

 当時、東亜国内航空の飛行機にはAー300を除きINSは装着されていなかった。国内だけの使用に限ると航法はVORやADFで充分だったからである。
 INSが装着されていると、INSで算出された機首方位などのデータが直接、オートパイロットに連動されるので、ハーレクイン8673のようにウエイポイントを飛行機自体がトレースして飛ぶが、三宅機長がフェリー(空輸)したMD-80の場合はそれが連動していないので、INSの方位が変わるたびに手動で飛行機の方位を変える必要があった。
 例えばカー・ナビを搭載した自動車みたいなもので、方向はナブに表示されるが、そこへ行くには自分でハンドルを切らねばならないのと同じ状態と考えればわかりやすい。  それにMD-80は国内線短距離仕様なので燃料タンクが小さい。
 ヨーロッパから日本までAー300の空輸のときもステップ バイ ステップで小刻みに離着陸を繰り返しながら飛行した。例えばアラブ首長国のアブダビからバンコクまで飛行するのに長距離機ならノン・ストップで飛行可能であるが、短距離仕様のAー300はそのときインドのボンベイに着陸して給油するなど苦労があった。

▼A300
A300

 MD-80の場合、北太平洋コースでひとっ飛びにアメリカ西海岸から日本までフライト出来ないので、ロングビーチから約4000キロの洋上を飛行してホノルルへ、あとは島を伝って給油を続けながら日本までフェリーするというアドベンチャーフライトになったのである。(三宅機長のDC-9の飛行時間は7500時間)

「あのときね。ロングビーチからホノルルまでの洋上飛行をするとき、かなり北を回わるフライトプランでね。迎え風で強く、燃料がなくなりかけてひやひやしましたよ。たしかホノルルに着陸したときは2000ポンドぐらいしか残っていませんでした」(三宅機長)

 その後、東亜国内航空が日本エアシステムと名前を変えて国際線に進出するために国際線仕様のDC-10ー30を2機購入したとき、三宅機長はMD-80からDC-10に移る。そしてソウルの他にシンガポール5年、ハワイ3年の各定期路線で活躍した。
 そしてハーレクインエア設立と同時に取締役として移り、前述したようにDC-10で世界中を飛び回っている。(三宅機長のDC-10飛行時間は4700時間)
 19500時間という三宅機長の飛行時間が、長い時間かけて少しづつ累積された財産のような時間であり、一人の人間が歩んだ貴重な道のりであることは間違いない。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第6回 三宅島上空へ

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 ハーレクイン機は紀伊半島の御坊(GBE、ウエイポイントNO3)を過ぎて串本(KEC、ウエイポイントNO4)へ向かって機首方位173度で上昇を続けている。

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★「最後の飛行」挿入12

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

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 紀伊半島の東でハーレクイン機は、関西ディパーチャー管制から上空をコントロールする東京コントロール紀伊セクター133.5に引き継がれた。
トーキョー・コントロール。ハーレクイン8673。パッシング170 クライミング フライトレベル 200
(東京コントロールへ。こちらはハーレクイン8673です。現在、高度17000フィートを通過。高度20000フィートへ向けて上昇中です)
ハーレクイン8673。トーキョーコントロール。ヘディング100 フォー ベクター トゥ ミヤケジマ アンド クライム トゥ メインテイン フライトレベル250 アンティル ファーザー アドバイス
(ハーレクイン8673へ。こちら東京コントロールです。三宅島までレーダー誘導します。機首方位100度で高度25000フィートまで上昇し、指示するまでその高度を維持して下さい)
 ダウニングが復誦すると三宅機長は方位を100度にして、串本の手前でNO5のウエイポイントである三宅島(MJE)へDC-10の機首を向けた。ゆっくりと機体が左へ旋回する。左手には紀伊半島東端から名古屋に広がる街の明かりが視界に入ってきた。
 房総半島の東洋上に位置する三宅島は成田空港から、あるいは関西空港からアメリカに向かう航空機の主要な通過点であり、逆に房総半島から成田空港へ着陸する航空機の進入ポイントにもなっている。しかも現在午後七時を過ぎで、この時間帯は紀伊半島沖から房総半島を結ぶ太平洋側の空域は東南アジアからの主要航空路A1(アンバー・ワン)を飛来して房総半島から成田へ向かう便も集中して交通量が多いのだ。
ジャパンエア6646。クライム プレゼント・ポジション クライム トゥ ダイレクト ミヤケジマ レスト オブ ルート アン チェンジ
(日本航空6646便へ。現在地から三宅島へ向けて直行してください。その後のルートは変わりません)
クライム プレゼントポジション ダイレクト ミヤケジマ レスト オブ ルート アン チェンジ ジャパンエアー6646
 南の洋上からA1(アンバー・ワン)でシンガポールからバンコク、ホンコンを経て成田空港へ向っている日本航空6646便貨物便の交信につづき、ノースウエストのカーゴ便が三宅島を通過した交信が入る。
トウキョウ。ノースウエスト906。フライトレベル330 パッシング ミヤケジマ」(東京コントロールへ。ノースウエスト906便です。現在、三宅島です)
トウキョウ・コントロール。ラジャ」(東京コントロール。了解)
 関西空港を離陸してハーレクイン8673便のあとを飛行している日本航空1092便、ホノルル行き臨時便が東京コントロールの空域に入った。
トウキョウコントロール ジャパンエア1092。グッドイブニング。リービング1634 トゥ 200
(東京コントロールヘ。こちらは日本航空1092便です。今晩わ。高度16340フィートを通過して高度20000フィートへ上昇中です)
ジャパンエア1092。トウキョウコントロール ラジャ。フライヘディング 120 ベクター トゥ ミヤケジマ
(日本航空1092便へ。こちら東京コントロールです。了解しました。120度方位で三宅島へレーダー誘導します)
ジャパンエア1092。ヘディング120
(日本航空1092便です。方位120度)
ジャパンエア1092。クライム トゥ メインテイン 230 アンティル ファーザーズ アドバイス
(日本航空1092便へ。高度23000フィートへ上昇して、指示を待って下さい)
 その間にハーレクイン8673便は、高度24000フィートに達した。高度警報装置のブザーが鳴り指定高度25000フィートが1000フィート内に近づいたことを知らせる。
 コックピットは離陸の緊張がとれてほっとした雰囲気になる。
ヘディング(機首方向)110?(三宅島までの機首方向のこと)」三宅機長が紙コップのコーヒーを手に取ってネイヤーに声をかけた。
いえ。100(度)です」とネイヤー機関士。
 あ、汚れちゃった、と三宅機長が口にしたコーヒーでパイロット用の白い手袋にしみをつくったことを苦笑しながら、ゆっくりとタバコに火をつけた。
 愛煙家の三宅機長は昭和15年3月28日に千葉県茂原市の郊外で生まれた。実家はお寺である。高校の頃は絵が好きで美術の教師を志すが、もともと海に魅力を感じていた彼は船乗りを目指して水産大学に進んだ。
 しかし折しも造船業界の不況で大学三年生のとき航空大学を受験する。これが三宅機長を空に向かわせたきっかけとなった。
「ロマンチストなんですよ。今も海が好きでね。フライトがない日は船で海に出ています」と三宅機長は精悍に日焼けした顔をほころばせる。現在は神奈川県葉山に住みクルーザーで暇さえあれば海を楽しむという。
 しかし美術の教師志望の青年が水産大学へ。そして水産大学から航空大学に転身したことは、ロマンチストの中に夢だけを追わない常に冷静に現実を見据える現実感覚が生きづいている。それが彼を優秀なパイロットにした要因のひとつなのだろう。
 三宅機長は昭和三十九年に航空大学卒業と同時に日本国内航空に入社する。
 当時、日本国内航空を始め日本航空、全日空、東亜航空など大小の航空会社があって日本の航空業界はアメリカの影響下から離れてやっと独立の様相を見せていた。
 ここで日本の民間航空の歴史を振り返ってみるとそのときの状況がわかりやすい。

日本の民間航空の歩み

 大正の終わり頃から昭和の初めにかけては、単発機で郵便輸送と若干の乗客輸送を始めていた川西飛行機が経営する日本航空(現日本航空とは無関係)と朝日新聞社経営の東西定期会など小規模な航空会社があった。
 しかし当時、朝鮮半島や満州(現中国)に国勢を伸ばそうとしていた政府の肝入りで、それら民間の航空会社が開拓した路線を踏襲して、1928年(昭和3年)10月30日に国策会社といわれた日本航空輸送株式会社が設立され営業を開始する。
 そして翌年の7月には東京ー大阪ー福岡間の国内線をデイリーで1往復、週6往復飛び東京-大阪の所要時間は2時間30分でその料金は30円だった。
 9月には福岡から朝鮮半島の京城(現ソウル)、平壌(現ピヨンヤン)そして満州の大連を結ぶ定期路線で週3便の営業を開始した。
 このときが日本に於ける民間航空の本格的始まりとされている。
 使用機はフォツカー・スーパーユニバーサルという高翼単発機で、ドイツ人のフォッカーが設計しアメリカで製造したこの飛行機は、飛行速度は時速150キロ、客席が六席の旅客機である。

フォッカー・スーパーユニバーサル
フォッカー・スーパーユニバーサル

 当時はまだ羽田空港がない頃で、東京は立川飛行場を飛び立っていた。(羽田空港は昭和6年8月に完成、「東京飛行場」と呼ばれた)
 その後、ダグラスDCー2(日本仕様乗客定員12名)、そして1936年(昭和11年)に製造されたDCー3双発旅客機か開発されると日本では日本航空輸送株式会社が輸入し最初DC-3を「桜号」と名付けて昭和13年10月に就航させている。

DC-2
DC-2

DC-3
DC-3

 東京-上海の日華定期便として就航、6時間30分で飛んで当時の新鋭快速旅客機として話題になった。乗客定員は21名で乗員は操縦士と副操縦士、航空機関士とナビゲーターの航空士の4名。それと当時の呼び名は「機上女子接客員」呼び名でキャビンアテンダント一名が同乗している。
 ちなみに日本におけるキャビンアテンダントの呼び名の歴史は、昭和6年3月に東京大森海岸から伊豆経由の静岡県清水の間に水上旅客機の定期便が開設され、それを運航した東京航空輸送社ではキャビンアテンダントを同乗させ「エアガール」と呼んだ。これが日本最初のキャビンアテンダントの誕生である。その後、前述した昭和13年の日本航空輸送株式会社の呼び名は「機上女子接客員」で、戦後、「スチュワーデス」という呼び名に変わった。そして現在は「キャビンアテンダント」であるが、呼び名の変遷をみてもみるだけでも航空史を感じる。
 ダグラス社と中島飛行機、昭和飛行機製造の間でDC-3のライセンス製造が提携されると、日本でもDC-3を製造するようになり(日本名 零式輸送機))輸送力が格段にアップして、1938年(昭和13年)以降は中国、台湾、満州など大幅に路線が拡大された。又、DC-3以外にもロッキード・エレクトラが使われていた。ロッキード・エレクトラといえば1937年(昭和12年) に南太平洋上で消息を断ったアメリカの有名な女性飛行士アメリア・イヤハートの愛機として知られている双発の旅客機である。

ロッキード・エレクトラ
ロッキード・エレクトラ

 1939年(昭和14年)になると、日本航空輸送株式会社を発展的に解消し、より政府色の強い大日本航空株式会社が発足する。三宅機長が生まれる一年前である。
 路線は中国、満州からパラオ、サイパンなど南方諸島にまで拡大した。

 ここで面白いエピソードをご紹介しよう。全日空の名機長として高名な神田好武機長が語った想い出話である。彼は大日本航空株式会社でパイロットとして活動を始めた。その当時、大日本航空には福岡から沖縄那覇経由、台北行きという内台定期航路があった。使用機はDC-3で台北から那覇に戻る途中、雲中飛行になり那覇の位置が分からなくなってしまった。それで雲の下を飛行して沖縄の島を探すことになったが500メートルまで降りても雲が切れず、300メートルまで下降するとやっと海が見えてきた。その高度で周囲を見ても島影はなかった。燃料は底をつきコックピットでは焦りの色が見え始めていた。
 そのとき、一隻の大型漁船を発見する。このままあてなく飛んでも危機は増すばかりなので、その漁船の横の海上に不時着して救助してもらうことを考えて、低空で燃料がつきるまで漁船の上をぐるぐると旋回を続けた。最初、漁船の看板にいた船員が飛行機に手を振っていたが、あまりにも何度も船のまわりを旋回し続けるので、やっと船員は、この飛行機は道に迷っているんだ、と気づき那覇方面を指した。神田機長はその方向に機首を向け飛行すると幸いにもすぐに沖縄本島が見えたという。那覇空港に着陸する寸前に燃料切れ、あとは滑空で無事、那覇のランウェイに着陸し事なきをえた。漁船に助けられたのは初めてだよ、と神田機長は想い出話をくくっている。

 日本とヨーロッパを結ぶ「幻の国際定期路線」の計画があったのもこのころである。
 当時、満州を中国から独立させた日本政府はソビエトやイギリス、アメリカとの関係悪化で次第に国際的に孤立化を深めていた。それでドイツと友好関係を結び、航空路を東京からベルリンまで中東、中央アジア経由で結ぼうという壮大な計画が両国で立案されていたのである。
 話は遡るが昭和7年11月3日に日本政府、とくに日本軍部は満州に満州航空株式会社を設立していた。その満州航空とドイツのルフトハンザ航空の間で、「国際定期路線、欧亜連絡定期航空」の計画は秘密理に進められていた。
 その協定書の一部を紹介すると、

第一条 両締結者(満州航空とルフトハンザ)は本協定を第三者に対し、厳に秘密を保持する義務を有す。
第二条 本協定の目的はベルリンーロードス(ギリシャ、ロードス島のこと)ーバクダッドーカブールー安西ー新京ー東京の線に予定せられたる航空路により、東京ーベルリン間の共同定期航空を設定するに在り。

 これは全八条からなる締結書で、昭和11年11月25日に結ばれている。
 この計画はその後の両国の事情で実現しなかったが、これは日本最初の国際航空協定であった。
 第二次世界大戦が始まると、民間航空は軍により規制を受け軍管轄下で軍事輸送などの業務が主体となる。そのときの運航の指針は次のようなものであった。

<非常時運航要領>
(1)陸上線運航は二分の一を軍用に供し、残部を以って必要なる定期航空を存続す。
(2)海洋線運航は情勢により全部を軍用に供するか、又は全部を以って定期航空を存続す。

 戦況が悪化するにつれて民間航空は本来の役目を果たせず戦後を迎える。

 昭和20年8月15日の終戦から、対日平和条約(サンフランシスコ条約)が結ばれる昭和26年9月8日までの約6年間は、全面的に日本の民間航空業務は禁止された。
 戦後、官民合同で日本航空株式会社(現日本航空の前身)が設立されたのは昭和26年8月1日であった。
 その年の10月25日、戦後最初に飛んだ定期航空便は日本航空のマーチン202型旅客機(定員36名。双発プロペラ旅客機)の「もく星号」である。
 当時は日本人パイロットもいなくて日本航空がノースウエストからの機材人員とものウェットリースで運航を開始した。機材はマーチン202機を2機とDC-4(定員60名。双発旅客機)1機の合計3機の運航であった。
 もく星号の初便はアメリカ人の機長と副操縦士。キャビンは日本人パーサーとスチュワーデスの2名、乗客36名でまだアメリカ軍の基地としてその管轄下にあった羽田空港(日本に正式に返還されたのは翌年昭和27年7月1日で2160メートルのA滑走路と1650メートルのB滑走路がアメリカ軍の手で完成していた)から伊丹飛行場(現大阪空港)板付飛行場(現福岡空港)まで運航された。

マーチン202
マーチン202

 そのときの巡航高度は6000フィート、速度は約300キロ、大阪までの所要時間は1時間41分、福岡まで約4時間かかった。三宅機長が11才のときである。
 日本人機長が生まれたのは、その3年後の昭和29年11月になる。そして本格的に民間航空の時代が訪れる。
 その年には相次いで民間航空会社が誕生する。2月に日本ヘリコプター輸送株式会社(当時は日本航空からデハビランド・ヘロン機をチャーターして東京と名古屋、大阪間を運航)、3月には極東航空株式会社(デハビランド・ダブ機で大阪、岩国間の定期便を運航)が運航を開始する。
 昭和32年12月1日に日本ヘリコプター輸送、翌年の2月27日に極東航空が合併されて全日本空輸株式会社が発足した。
 DCー3やフォッカー・フレンドシップ、コンベア220、440などが日本の空に就航したのもこの頃である。
 その後、日本国内には大小の定期、不定期の航空会社が生まれた。北日本航空、富士航空、日東航空、東亜航空、そして後に三宅機長が出向することになる南西航空(現JTA)などである。
 昭和38年12月25日、北日本航空と富士航空、日東航空の三社が合併して日本国内航空株式会社が誕生し、三宅機長はその翌年の8月に入社している。
 そして昭和46年5月15日に日本国内航空と東亜航空が合併して東亜国内航空となり、昭和63年4月1日に国際線進出を機に日本エアシステム株式会社と社名を改めた。
 その日本エアシステムは平成9年1月20日に国際線チャーター部門を独立させてハーレクインエアが発足する。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第5回 最後のテイクオフ

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関西国際空港タワー管制

 年間離発着回数が15万回近い日本の玄関、関西国際空港の夜はラッシュ時間を迎え、離着陸機で混雑していた。しかし、関西空港のランウェイは一本しかない。離陸と着陸は同じ滑走路で行われる。その滑走路へ離着陸する航空機をタワー管制の女性管制官がひとりでコントロールしている。

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★「最後の飛行」挿入09

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ジャパンエアー792 イクスペクト ランディング クリアランス オン ショートファイナル。ウィ ハブ ディパーチャー MD-80
(日本航空702便へ。ショートファイナルで着陸許可をする予定です。滑走路には出発するMD-80機がいます)
ジャパンエア702 カンサイタワー イクスペクト ランディング クリアランス オン ショートファイナル
 管制官が再び、香港から18時55分に着陸予定の日本航空機にクリアランスの交信をした。進入機にたいして一本しかない滑走路の使用状況を送り、その確認も管制官にとっては必要なのであった。
ラジャー 702」と答える日本航空の交信を聞きながら、三宅機長は滑走路上空を見上げた。暮れゆく空の中で旋回しながら進入する航空機の着陸灯が弧を描いて見える。そんな夜の空港の風景は過去、何度も見慣れたパイロットの風景のひとつであった。が、今夜は少し違っていた。パイロットの見る風景というより、ひとりの人間としての感傷的な、視線で色彩感に満ちた空港の風景をしみじみと見ている自分に気が付いて思わず、機長は苦笑していた。
エアシステム525 タキシー イン トゥ ポジション アンド ホールド ランウェイ24」(日本エアシステム525便へ。滑走路24の離陸位置へタキシングして待機して下さい)
ジャパンエア702 ターニングベース」(日本航空702便です。現在ターニングベースです)
 最終着陸体制の日本航空機が管制官に現在位置を知らせた。
 ハーレクイン機も滑走路24に向かっている。
 ハーレクイン機の後には日本航空のハワイ行き臨時便1092便が並び、前方には日本エアシステム525便が滑走路上に、上空から日本航空702便が最終の進入体制に入り、沖縄発の関西空港行き全日空496便が今、滑走路24に着陸した。
 管制官は到着したばかりの全日空ボーイング767に着陸後の指示をする。
オールニッポン496 ターン ライト ロメオ4 コンタクト グランド121.6」(全日空496便へ。滑走路から右へ曲がり、誘導路のR4に進んで下さい。以後はグランドコントロール121.6に交信して下さい)
  ハーレクイン機も滑走路に近づいた。ダウニング副操縦士役がマイクを取って管制官を呼んだ。
カンサイタワー。ハーレクイン8673 イズ レディ フォー ディパチャー
(関西空港タワー管制へ。こちらハーレクイン8673便です。離陸用意完了しています)「ハーレクイン8673。カンサイタワー ホールド ショート オブ ランウェイ
(ハーレクイン8673便へ。関西タワーです。滑走路末端で待機して下さい)
 そして管制官は福岡に向かう日本エアシステムMD-80機に離陸の許可を出した。
エアシステム525。ウィンド 330 アット 16 クリアー フォー テイクオフ ランウェイ24
(日本エアシステム525便へ滑走路24から離陸を許可します。風(滑走路上の)は330度から16ノットです)
エアシステム525。クリア フォー テイクオフ
(日本エアシステム525便、離陸します)
 続いて管制官は最終進入をしている香港からの日本航空702便に着陸の許可を与えた。
ジャパンエア702 クリア トゥ ランド ランウェイ24 ウィンド 320 アット 13」(日本航空702便へ。滑走路24への着陸を許可します。現在、風は(滑走路上の)320度から13ノットです)
 滑走路24の上に離着陸する飛行機が管制官の手によってあざやかにコントロールされてゆく。次に管制官は轟音を残して大阪湾の夜空に向かって離陸した日本エアシステム525便へ移管の指示をする。
エアシステム525。コンタクト カンサイディパーチャー119.2
(日本エアシステム525便へ。以後は関西ディパーチャー管制119.2メガヘルツへ連絡して下さい)
 MD-80が飛び去った滑走路24にすぐ、日本航空702便香港発のDC-10が着陸してきた。ハーレクイン機のすぐ前を通過して着陸する日本航空702便を見ながら、
「DC-10だな」と三宅機長が呟いた。
 日本航空のDC-10は、ー40タイプでハーレクイン機とは少しタイプが違うが、ハーレクインのDC-10が日本の空を去ったあとは、DC-10は日本航空の使用機のみになってしまう。三宅機長としてみれば感慨深いものがあったのだろう。
ハーレクイン8673。タクシー イン トゥ ポジション アンド ホールド ランウェイ24」(ハーレクイン8673便へ。滑走路24の末端に入って下さい)
 管制官がハーレクイン機を滑走路に入る許可を与えた。
 いよいよ三宅機長の現役最後の離陸が始まる。

ハーレクイン8673便の出発方式(SID)と離陸データ

 前にも簡単に触れたがハーレクイン8673便が離陸するにあたっての、出発方式(SID)と離陸データをここて詳しく確認しておこう。

1 出発方式(SID、スタンダード インストゥルメント ディパーチャー)

 大阪湾に浮かぶ海上空港である関西空港は滑走路は一本しかない。今日の離陸は使用滑走路は24である。すなはち南南西へ機首を240度に向けて離陸する。
 離陸すると飛行機はトモ第二出発方式(TOMO TWO DEP)を指定されている。トモ第二出発方式で滑走路24を使用する場合は、次のような飛行コースとなる。

TOMO TWO DEP
 PWY24・・CLIMB VIA KNE Rー243 TO 13・5DME。
        TURN LEFT TO TME。
        CROSS TME AT OR ABOVE 4000ft。
 これは関西空港の滑走路24を離陸し、右旋回(といってもほぼストレート)してラジアル243度で13・5マイル飛び、TME(トモDME/VOR)に至る。トモVOR/DMEとは和歌山と淡路島の間にある紀淡海峡の友ケ島にあるVOR/DMEである。 但し高度制限(離陸騒音規制の為)があって、CROSS TME。すなはちトモDME/VORの上を通過するときは、AT OR ABOVE 4000ft。4000フィート、もしくはそれ以上の高度を取らなければならない。
 だが、例えばニューヨークやサンフランシスコ、ヨーロッパなどへダイレクトに飛行するB-747やDC-10などの長距離飛行の場合は、離陸重量が重いときや風の状態によっては離陸して13・5マイルの距離では4000フィートの高度がとれないこともある。その場合は、迂回して距離をかせぎTMEへ飛行する、キタン ワン デパーチャー(KITAN ONE DEP)というSIDも定められている。

(KITAN ONE DEP)
RWY24…TURN LIGHT CLIMB VIA KNE R-263
     TO KITAN、TURN LEFT AND PROCEED
     VIA TME R-354 TO TME
     CLOSS TME AT OR ABOVE 4000ft

 キタン ワン デパーチャーは滑走路24を離陸して右旋回し、ラジアル263度でキタンポイント(大阪湾上のポイント)まで迂回して飛び、高度をあげながら左旋回してラジアル354度(機首方向174度)でトモVOR/DME(TME)を高度4000フィート以上で通過する。

 今日のハーレクイン機のフライトはトモVOR/DMEから先は、串本を経由して(クシモト・トランジション)で太平洋へ飛行するSIDである。

(KUSHIMOTO TRANSISON)
     AFTER TME、PROCEED VIA TME R-174 TO GBE、
     THEN VIA GVE R-136 TO KEC、
     CLOSS GVE AT OR ABOVE 6000ft

 トモVOR/DME(TME)を過ぎると機首方向174度で紀伊半島の御坊にあるVOR/DME(GVE)まで23マイルを飛び、高度6000フィートで御坊を通過。左旋回して44マイル先の紀伊半島の南端、串本にあるVOR/DME(KEC)まで機首方向136度で飛行し、串本から太平洋に出るコースを飛ぶ。
 以上、トモ2ディパーチャー クシモトトランジションが今日のハーレクイン8673便の飛行コースなのである。

▼ハーレクイン8673便の飛行ルート
ハーレクイン8673便の飛行ルート

▼チャート図
チャート図

2 離陸データ

 ハーレクイン8673便の離陸に関するデータ、テイクオフ・データは次の通りである。

テイクオフデータ

T.O.WT……………離陸時の総重量(テイクオフ・ウエイト)は462000ポンド。
T.O.MAX…………109.7% マックステイクオフパワーは109.7%
T.O.FLX……………Ⅲ101.8% 性能上、可能であればフレキシブルパワーを使う。
        今日はフレキシブルパワー(FLX)の選択がⅢということ。
CLM CL…………99.1%  クライムパワーは99.1パーセントの出力。
FLAP………………15度 離陸時のフラップ角度
STAB………………4.6 離陸時のスタビライザーの位置
SAFTY PICH…14度 安全上昇角度
V1…………………146ノット(時速)離陸決心スピード
VR…………………154ノット(時速)ローテーションスピード
V2…………………163ノット(時速)離陸安全スピード。
        離陸して35フィート上昇した時のスピード
FLAP RET………178ノット(時速)フラップを収納したフラップゼロスピード
SLAT RET………224ノット(時速)スラットゼロのスピード
0/RET MAN………258ノット(時速)フラップを上げ、
        スラットをリトラクトした最小速度。

ハーレクイン8673便は滑走路24へ

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★「最後の飛行」挿入10

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 ハーレクイン8673便はランウェイライトが星空のように輝く滑走路24に入った。
ビフォーテイクオフ チェック」離陸前の最終点検を三宅機長が指示する。
OK」とネイヤー航空機関士がチェックリストの項目を素早く読み上げた。

▼DC-10チェックリスト

DC-10チェックリスト

 夜の滑走路に着陸したばかりの日本航空DC-10のテールライトが見える。その飛行機へ管制官が呼び掛けている。
「ジャパンエア702 ターンライト トゥ ロミオ6 アンド コンタクト カンサイグランド 121.6 グッディ」
(日本航空702便へ。左にまがって誘導路R6へ向かって下さい。以後の交信は関西グランド管制121.6へ)
 コックピットから空を見ると、僅か濃い青が残っていた空も今は闇色に染まり、その闇の中に黄色と赤のランウェイライトが数千メートルに渡り帯びのように連なっている。一瞬の静寂。
 三宅機長は高まる緊張感の中で、DC-10で最後の離陸となるであろう夜の滑走路を注視した。

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★「最後の飛行」挿入11

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ハーレクイン8673。ウィンド 330 アット 14 クリア フォー テイクオフ ランウェイ24
(ハーレクイン8673便へ。風は330度から14ノット。滑走路24から離陸を許可します)
 管制官の声が闇に浮かぶ管制塔からコックピットに届く。
クリアー フォー テイクオフ ランウェイ24 ハーレクイン8673
(ハーレクイン8673便です。滑走路24から離陸します)
 ダウニングも多分、日本で最後になるであろう離陸クリアランスの復誦の交信をマイクに乗せる。ネイヤーも最後の点検を力強くコールして気持を集中させた。
オーケー。テイクオフ」三宅機長がスロットルを45%N1まで進めて、
45」とエンジンが安定しているのを確かめるとブレーキを外す。そしてスロットルをテイクオフの位置まで押し上げる。
 DC-10の三つのエンジンが力強く轟音をあげ、機体がランウェイをすべるように加速し始めた。
 滑走路のライトが流れる赤い線となって足下に消えて行く。
 エアースピード計の指針が上がる。
 ノーズが切る風の音。
 高まるエンジン音。身体に加わる加重。
 ダウニングの声が響いた。「80ノット クランプ!
チェック」と機長。ラダーペダルを踏んでセンターラインを維持する。
V1
VR」ダウニングがエアースピードを読み上げる。154ノット通過。
 三宅機長は操縦桿を引いた。機体が風を捕まえて浮き上がると路面を拾うタイヤのノイズが消えて風の音が強まる。
V2」163ノット通過。
ギヤ アップ!」機長の凛とした声が響いた。ダウニングがギヤレバーをあげるとゴロゴロとくぐもった音がして車輪が機体に収納される。空気の抵抗が少なくなったDC-10は速度を増した。眼下は暗い夜の大阪湾が広がっている。
プッシュ IAS」機長はFGSのインジケータースピードをセットした。DC-10は闇の中を紀淡海峡に向かって上昇を続ける。
ハーレクイン8673。コンタクト カンサイディパーチャー119.2。グッデイ
(ハーレクイン8673へ。以後、交信は関西ディパーチャー・コントロール119.2メガヘルツへコンタクトして下さい。さようなら)
 女性管制官が最後の交信をした。
 離陸すると管制エリアがタワーコントロールからレーダー誘導をする関西ディパーチャーコントロールに引き継がれる。
ハーレクイン8673。ディパーチャー119.2。グッディ
(ハーレクイン8673です。ディパーチャー管制周波数119.2。了解。さようなら) 関西空港の管制レーダー室のモニターにレーダー認識番号6013のハーレクインDC-10が紀淡海峡へ向かう機影が映っているのだろう。
クライムパワー(上昇出力)」と三宅機長が指示をする。最後のDC-10は夜の大阪湾を力強く上昇していった。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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最後の飛行第4回に音源追加しました

こんにちわ!

取り急ぎご連絡です。
昨日更新した「最後の飛行」第4回なのですが、冒頭の音源がなかったと思います。
音源をひとつ追加しました。
すみませんでした…。

それと、今日はブックレビューなのですが。
夜の更新とさせてください(;;

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第4回 滑走路24ヘタキシング開始

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★「最後の飛行」挿入07

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 地上整備員がトーイング車両とタイヤ止めを機体から外し、DC-10が自力で地上走行をするために誘導路から障害物を取り除くのを待つ間、三宅機長は夜の空港を眺めた。
 周囲は風が強くなり、夜の濃い蒼色の戸張が急速に広がっている。その薄闇の中に空港の色とりどりのライトが輝く。
 今日まで取り立てて意識することもなかった美しい夜のエアポート風景が目に沁る。
アフター スタート チエック」(エンジン始動後のチェックを始めます)
 三宅機長はクルーと共にエンジン始動後の計器点検に移った。

▼アフタースタートチェックリスト図
アフタースタートチェックリスト

 点検が終わると、地上整備員から地上の準備が完了した報告がインターホンを通じてコックピットに告げられる。
「コックピット。グランド。 バイパス ピン リムーブド」
「リムーブド チョーク ディスコネクト インターホン」と機長はタイヤ止めと飛行機につながれていたインターホンのコネクターを取る指示をして、
「ご苦労さまでした」と地上整備員の労をねぎらった。そして地上走行(タクシー)の許可をもらうべく副操縦士に指示をする。
 スピーカーからはグランド・コントロールの管制官が他の飛行機にタクシーを許可する交信が流れている。
「カンサイ・グランド アンクエア792 ロミオ3 リクエスト タクシー トゥ スポット21」
(関西グランド・コントロールへ。アンクエア792便です。R3からスポット21番に向かって地上走行の許可を願います)
「アンクエア792。タクシー ヴィア リマ タンゴ3 スポット21」
(アンクエア792便へ。L、T3の標識を経由してスポット21に向かってください)
 大分から到着したエアーニッポン(コールサインはアンクエア)のボーイング737に管制官がスポットヘの誘導をする交信。続いて管制官は福岡へ向かう日本エアシステム525便MDー80にタクシーの許可をする。
「エアシステム525。タクシー トゥ ランウエイ24 ヴィア タンゴ2 リマ ロメオ ワン パパ」
(日本エアシステム525便へ。滑走路24へT2、L、R1、P経由で地上走行してください)
 そして交信の合間をぬってダウニングが関西グランド・コントロールを呼んだ。
「カンサイグランド。ハーレクイン8673。レディ トゥ タクシー」
(関西グランド・コントロールへ。こちらハーレクイン8673です。タクシーの用意が完了しました)
「ハーレクイン8673。タクシー ランウエイ24 ヴィア ウイスキー アルファ」
(ハーレクイン8673便へ。滑走路24へW、A経由で地上走行をしてください)
 地上走行(タクシー)の許可が出た。関西空港のエアポートチャートを見て頂きたい。
 現在、ハーレクイン8673便はノースウィング・ターミナルにあるスポット1の誘導路にいる。これから右回りにタキシングして、W地点、A地点を通って滑走路24に向かうのである。

▼関西空港エアポートチャート
関西空港エアポートチャート

 ダウイング副操縦士が復誦して窓から外を見て、右側(副操縦士側)に障害物がないことを確認してコールした。
「ライトサイドクリアー」
 機長も左側(機長サイド)を確認してパーキングブレーキを外し、滑走路に向けて地上走行を開始した。エンジンパワーが上がりハーレクインDC-10はゆっくりと自力走行に移った。
 地上の整備が一列に並んで遠ざかる飛行機に手を振っている。三宅機長もそれに応えた。
「整備には、めったに、パイロットのラストフライトが知らされることはないのですが、あの日は三宅機長がそうであることは知っていました。だから、心を込めて手を振ったのです。それと僕が好きな飛行機のひとつであるDC-10もあれが最後のフライトでしたから…」(日本エアシステム関西空港の橘吉昭整備員)
 後日、そのときの整備員のひとりである橘さんが感想を述べてくれたように、この三宅機長のラストフライトには、ダウニングが、そしてネイヤーが、このフライトを最後に退職することに加えて、もう一つのラストフライトが含まれていた。

最後の DC-10ー30日本でのラストフライト

 それはこのフライトの使用機JAー8551の機番をもつDC-10は、六日後の三月三十一日をもってノースウエスト航空に売却されることが決まっており、このハワイへの飛行がこのDC-10のハーレクインエア最後のフライトなのであった。
 1988年、日本エアシステムは予定されている国際線のためにダグラス社(現ボーイング社)よりDC-10ー30を二機購入している。その後、ハーレクインエア設立時にリースしてその一機は日本エアシステム塗装のまま残し、もう一機をハーレクインエアのオリジナル塗装に塗り替え現在に至っている。
 このDC-10について興味ある話がある。

▼エアシステムDC-10
エアシステムDC-10

 そもそもこの二機のDC-10はボーイング社に合併吸収されたダグラス社がアメリカ空軍の発注で製造したDC-10ー30タイプの最後の二機であった。ところが納入直前に突然のキャンセルを受け、それを日本エアシステムが購入したという経緯がある。
 二機のDC-10は日本で登録され機番がJA8550とJA8551となった。
 今日、ハワイへ飛ぶDC-10はその二機の内、エアシステム塗装の機番JA8551機である。すなはち、この機体がダグラスの名機として世界の空に羽撃いたDC-10ー30の最後の飛行機なのである。

▼ハーレクインDC-10
エアシステムDC-10

 三宅機長は1988年10月14日にDC-10の飛行ライセンスを取得以来、エアシステムの機長として、そして新会社出向後はハーレクインの機長として購入されたばかりの新しいDC-10を世界中に飛ばして来た。
 そしてやっと飛行機が空に馴染んだ今、彼は空を去り、飛行機も又、別の会社へと売却される運命にある。
 三宅機長も愛機とも呼ぶにふさわしい飛行機との決別は悲しいかぎりであったろう。
「DC-10が終わってしまう。JAS(日本エアシステム)に(DC-10が)入って来て国際線の花形として飛んでいたのが、このハワイへのフライトが最後で、三発の飛行機を使って太平洋を渡る国際線が出来なくなるのが淋しいですね。」と三宅機長は自分のラストフライトとともにダグラス社が製造した最後のDC-10が日本の空から去っていく寂しさをかみしめるのであった。

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★「最後の飛行」挿入08

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 ハーレクイン機は現在、誘導路を地上走行中でグランドコントロールの管制エリアにいた。関西空港では航空機を離陸させるまでに四つの管制機能がある。
 まず最初はフライトプランの承認をするデリバリー管制。次にランプアウトとエンジン始動と地上走行を担当するグランドコントロール。そして滑走路上で離着陸のクリアランスをするタワーコントロール。最後は離陸した航空機をレーダーで誘導するディパーチャーコントロールの順に変わっていく。
フライトコントロール チェック」(操縦装置の点検)
 三宅機長がタクシー中に地上で行う操縦装置のチェックをダウニングに指示した。
ラダー(方向舵) ライト。ラダー レフト」と機長がコールアウトして機長と副操縦士は、それぞれの側の操縦装置のテストを続ける。そして、
ノー アディション テイクオフ ブリーフィング」と離陸に際して追加する打合せがないことを確認すると運航課からカンパニー無線で連絡が入った。
カンサイ ゴーアヘッド」と機長はカンパニー無線に応答。ネイヤー航空機関士がマイクをとって運航課と交信を始めた。
ファイナルパッセンジャー アダルト 207 & インファント(三歳未満の幼児のこと)イズ フォー ノー コレクション オーバー」(最終乗客は大人が207名。幼児が4名です。変更ありません)
ラジャー ラジャー 207 プラス 4 コックピット ハーレクイン8673
ハブ ア ナイス フライト」と交信は終わった。
 三宅機長はタクシー中の計器点検を指示する。
タクシーチェック」(地上走行時の計器点検)

▼タクシーチェックリスト図
タクシーチェックリスト

 点検中に管制官が日本航空1092便にタクシーの許可を出し、続いてハーレクイン機を呼んだ。
ハーレクイン8673。コンタクト タワー 118.2
(ハーレクイン8673便へ。以後はタワー・コントロール 118.2メガヘルツへ交信して下さい)
 ダウニングが復誦してVHFの周波数をタワーコントロールに合わせる。ハーレクイン8673便は、離着陸をコントロールするタワー管制官に引き継がれた。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第3回 ハーレクイン機の出発

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ランプアウト

 管制承認を受領するとコックピットの雰囲気はがらりと変った。
 緊張感が生まれてクルーの無駄口がなくなる。彼らが体内に持っているパイロットとしてのアドレナリンが表面に現われて操縦室に充満するからだろうか。
「オーケー。オール ドア クローズド」とネイヤーが飛行機のすべてのドアが閉じられていることを確認すると、
リクエスト プッシュ バック」(プッシュバックの許可を管制官へリクエストしてください)と三宅機長はすぐプッシュバックの許可をえる交信をダウニングに命じた。
 プッシュバックとは、乗客の搭乗が終わり、出発に際してすべての用意が完了しているエンジン始動前の飛行機を、機首に接続した車両(トーイング・カー)で搭乗口から地上走行が始まるタクシーウエイに押出すことで、このときが飛行機の「出発時刻」となる。
 ダウニングがマイクのスイッチをオンにして関西空港の地上での航空機を管理するグランド・コントロール(関西地上管制)にプッシュバックの許可を得る交信を開始した。

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★「最後の飛行」挿入04

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カンサイ グランド。ハーレクイン8673 イズ レディ フォア プッシュバック、エンジンスタート フロム スポットナンバー ワン
(関西グランドコントロールへ。こちらハーレクイン8673便です。プッシュバックとエンジン始動の準備完了。現在、スポット1にいます)
ハーレクイン8673。プッシュバック アプルーブ ランウエイ24
(ハーレクイン8673便へ。プッシュバックを許可します。使用滑走路は24です)
 その交信を確認して、三宅機長はインターホンで自社の地上整備員を呼んだ。飛行機の真下に待機している整備員とコックピットは有線のインターホンで結ばれている。
グランド。コックピット。クリアー プッシュバック ランウエイ24
(コックピットから地上整備へ。滑走路24へプッシュバックの許可が出ました)
コックピット。グランド。リリース パーキングブレーキ」(了解。パーキングブレーキをはずして下さい)と地上整備がコックピットに呼び掛けパーキングブレーキが外された。
「リリース パーキングブレーキ OK 30」と機長が時間を確認する。午後六時三十分。いよいよ出発(ランプアウト)である。
 スピーカーからサンフランシスコへ向かうユナイテッド航空のB747ー400が一足先にタクシーに移る様子が聞こえている
ユナイテッド810 タクシー タンゴ・ワン パパ・スリー
(ユナイテッド810便へ。T1(タンゴ・ワン)、P3(パパ・スリー)を通って地上走行してください)

ハーレクイン最後の国際線フライト

 コックピットに宮島チーフパーサーが入ってきて、三宅機長にボーディングが完了した客室の最終報告をする。今日の乗客はプレミアムクラスが36名と幼児1名。エコノミークラスが170名と幼児3名で合計210名である。
 地上では機首に接続されたトーイング・カーがDC-10の大きな機体を押して、ハーレクイン8673便はゆっくりとスポットを離れた。
 今まで飛行機と搭乗口をつないでいたブリッジが収容され、その向こうに空港ビルの明かりが影になって遠退いてゆく。
「09・30ですね(標準時間の9時30分の意味。日本時間で午後六時三十分)」とメイヤーが時計を見て出発時刻を再確認した。
 その声も耳に入らぬ様子で、三宅機長はゲートと夜の空港ビルに視線を投げていた。
 もう、二度とハーレクインのDC-10でこの空港を出発することもないだろうという想いが彼の胸に満ちる。一瞬、三宅機長の横顔に深い淋しみが過った。
 もし三宅機長が日本エアシステムで定年を迎えていたとしたら、ラストフライトはもっと別の、個人的な感傷であったのかもしれない。しかし今の彼の胸中には個人としてのパイロットの感傷よりも、ハーレクインエアの運航責任者としての感慨が先にたっていた。
 日本エアシステムの国際線業務は1985年に始まった。だが順調に伸びていた業績も不況の波でブレーキがかかり、ハワイ、シンガポール定期便運航の休止を余儀なくされてしまう。以来、日本エアシステムは中国や韓国の定期路線以外の国際線展開をチャーター便運航に切り替えて、1997年1月。チャーターフライトを軸にしたハーレクインエアーを設立した。

 三宅機長は新会社に運航責任者(取締役)として入社し常に先陣を切った。
 チャーター便専用のエアラインとして世界の空を飛ぶ苦労は並大抵ではない。不定期な国際チャーターフライトは、定期便では考えられない数々の諸問題に遭遇する。
 とくにハーレクインエアの場合、ヨーロッパやオーストラリア、カナダなど日本エアシステムの国際線が路線を持っていなかった場所へのフライトには、飛行計画を作成するデーターなども路線を持つ他社から借りなければならない状態であった。
 しかも国際線の場合は飛行データー以外にも例えば、外国の上空を通過するだけでも事前に許可が必要になるし、前もって通過料金も支払わなければならない。
(一説では、日本からヨーロッパへシベリア上空を通過する場合のロシアへ支払う上空通過料金は、定期便週一便で一年間52週で約100万USドルといわれるほど高価である) それらの外国との折衝も骨の折れる仕事であった。かってKLMオランダ航空のチャーター便がシベリア上空にさしかかったとき、ロシア上空通過の認可が不備だったために、乗客を乗せたまま成田空港へ引き返した例もあるという。

 ハーレクインエアも1998年6月にワールドカップフランス大会へ乗客を運ぶために、初めてシベリア経由でヨーロッパにチャーター便を飛行させたとき、フインランド上空に差しかかると、突然、フィンランドから上空通過を拒否されたことがあった。
 飛行認可の確認が取れるまで、やむなくロシアのサンクトペテルブルク上空で待機させられて許可確認を待つという定期便路線を持つ航空会社では考えられないことも起きた。
 三宅機長にとって今日のフライトは、愛情を注ぎ、手塩にかけて創りあげたハーレクインエア国際線運航業務への悲しい別れであると共に、充分に育てた確信があっても未来に向かって旅立つ我が子を手放す親の不安と惜念にも似た気持もあり、それらが複雑に重なり合った心境だったろう。
「09・30ですね」出発時間の確認を繰り返すネイヤー航空機関士の声に、三宅機長はふと我れに帰った。
「え!?・・ああ・・」そして感傷的になっている自分に苦笑しながら、
「OK。アロハ!」と明い表情に戻り、クルーにエンジン始動前の計器点検(ビフォア スタート チェックリスト)を命じるのだった。
 関西グランド・コントロールから、全航空機へ空港の気圧が30・01メガヘルツに変わったことが知らされる。すぐ高度計の気圧目盛を30・01に合わせて三宅機長がコールした。

エンジン始動

ビフォアー スタート チェックリスト」(エンジン始動前の計器点検を始めます)
 点検が始まると機体についている赤いビーコンライト(衝突防止燈)が点滅を始めた。

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★「最後の飛行」挿入05

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★「最後の飛行」挿入06

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ビフォースタートチェックリスト
 エンジン始動前の計器点検が終わる頃、トーイング・カーに押されて飛行機は誘導路入り口に近づいていた。
 次はいよいよエンジン始動である。機長は地上整備にエンジン始動をインターホンで告げた。
グランド。コックピット。エンジンスタート 3、2、1
(地上整備へ。こちらコックピットです。エンジンを始動します。NO.3、NO.2、NO.1エンジンの順でまわします)
 DC-10は主翼に二つ、尾翼に一つのエンジンを持つ三発機である。機首正面から見て右がNO.3、左がNO.1、尾翼についたエンジンをNO.2と呼ぶ。
 三宅機長は凛とした声で第三エンジンのスタートを指示した。
NO.3 スタート」機長がスタータースイッチを入れる。
バルブ オープン」スターターバルブが開いて補助エンジン(APU)で圧縮された高圧空気が流入してエンジンローター(回転軸)が低い唸りを発して回り始める。ダウニングが確認してコールアウトする。
 スピーカーからユナイテッド810便へ管制官が離陸順位が三番目で、日本エアシステムMD-90の後を滑走路に向かうように指示する交信が流れている。
N2」エンジンのN2ローター(回転軸)比率ゲージの上昇を確認して機長がコールした。
フュエル オン・・・。フュエルフロー(燃料流入)」
 続いて機長は燃料レバーをONにしてエンジンに燃料を注入するとエンジンが轟音を立てて回り始めた。
ライド アップ 660」始動と共にエンジン排気ガス温度(EGT)が上がり、燃料流入量が660lb/hを指示していることを確認して機長とダウニングが報告する。
N1」N1ローター(回転軸)が上昇して機長がコールする。そしてN2の比率がエンジンのローター最大回転数の45%に達して再び機長がコールした。
45(%)
バルブ クローズド」ダウニングがスターターバルブを閉じた。
 クルーは計器を確認しながら、次々にエンジンを始動させる。
 力強いエンジン音が響き、飛行機全体に生命が宿ったように躍動感がみなぎった。
 スピーカーからはグランド・コントロールが地上走行を始めたユナイテッド航空810便に、続いてエアシステム525便へプッシュバックの指示。そして再びユナイテッド810便にディパーチャーコントロール(出発管制)118.2へ周波数を変える移管交信が聞こえている。
 ハーレクイン機は三つのエンジン始動を完了させるとトーイング・カーに押されたままで誘導路入り口についた。
グランド。コックピット。エンジンスタート コンプリーテッド」(地上整備へ。エンジン始動は完了しました)
ラジャー スタンバイ・・。コックピット。グランド。セット パーキングブレーキ
 三宅機長が地上整備にエンジン始動が完了したことを伝え、整備員の要請で再びパーキング・ブレーキをセットし、スタビライザー(水平安定板)を離陸に合わせて4.6の位置にする指示をした。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第2回 ハーレクインエアDC-10操縦室

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 ゲート1番に翼を休めるハーレクイン8673便DC-10の操縦室。
 スピーカーから関西空港グランドコントロールの管制交信が聞こえている。その交信のボイスに混じって三宅機長がウエイポイントをコールする声が響いていた。
「はい。ウエイポイント 1 ノース 34・23、0。 (北緯34度23分)、
イースト135・00、3。(東経135度00、3分)。NO2 ノース 34・16、8。(北緯34度160、8分)、イースト135・00、3。(東経135度00、3分)。NO3 ノース 33・54、6。(北緯33度54、6分)……」
 INS(イナーシャー・ナビゲーター・システムの略。自動航行装置)に入力された関西空港を離陸してホノルル空港に着陸するまでの飛行航路の全部で24の通過地点(ウエイポイント)の緯度と経度を確認するルーティング作業は、いつものことながら神経を使う。現在は出発前にコンピューターで目的地までのすべての通過地点データはダウンロードされ、その確認事項は最小になりクルーの負担も減ったが、INSが日本の飛行機に最初に搭載されたときは通過地点データはわずか8つのポイントの入力であった。そしてこのDC-10-30では改良されて24ポイントの入力が可能になっていた。
 飛行機はこのとき入力されたNO1からNO24の通過地点(ウエイポイント)の緯度、経度の数字を辿りながら自動的に飛行するので、仮りに間違った数字を入力すると飛行機はあらぬ方向へ飛ぶことになる。それだけに通過地点の入力にはひとつたりともミスが出来ないのだ。
 三宅機長とダウニング副操縦士は何度も確認しあいながら、延々と数字を確認する作業を続けた。
 出発前の準備にコックピットは多忙である。しかし、今日はその多忙さがいつのまにか脳裏からラストフライトであることの感傷を消して、第二の本能のように身についた仕事の手順が、三宅機長をいつものパイロットの精神状態に戻していた。
 ルーティング作業が終わると、今日の重量、離陸方式、目的地までの飛行距離、高度などのデーターを入力しその間に航空機関士がテイクオフ・データーを算出する。
 三宅機長がパネルから顔を上げて、右席にすわっている副操縦士のダウニングと後の航空機関士席に座っているネイヤーに声をかけた。
「テイクオフ ブリーフィング(離陸の打合せ)を始めようか」
 今日は操縦を三宅機長が、管制官との交信と操縦補佐を副操縦士役のダウニングが担当することになっていた。
 赤毛で長身のアメリカ人、ダウニングは五十八才でDC-10の機長の資格を持っている。一見、神経質とも思える繊細なタイプの彼は、アメリカ海軍からコンチネンタル航空に入り、ボーイング727の機長をえて、平成九年の夏にハーレクインエアに入社するまではハワイ航空でDC-10の機長として飛んでいた。飛行時間一万七千時間のベテランパイロットで現在もハワイ・オアフ島に住んでいる。
 フライトエンジニアのネイヤーはインド系のシンガポーリアンである。四十四才で昭和63年(1988年)から日本の空を飛んでいる。

コックピットのダウニングさんとネイヤーさん

 東亜国内航空(現在の日本エアシステム)にA300のフライトエンジニアとして入社し、平成九年にダウニング機長より数か月早くハーレクインエアに移り、DC-10のフライトエンジニアとして乗務をつづけていた。飛行時間は約一万二千時間だが、そのうち二千三百時間をDC-10で乗務しているベテランのフライトエンジニアであった。
 ネイヤーは明るい性格の持ち主で、その陽気な人柄は長時間、密室状態になるコックピットの人間関係を良い雰囲気にする。ダウニング機長のパイロットとしての技量と冷静な判断、その経験も頼りになった。
 ハーレクインエアのDC-10乗員部はわずか16名で運航を切り盛りしている。
 日本エアシステムの国際部門のチャーター便を請け合う航空会社として三年前に設立されたハーレクインエアは、持ち株の100パーセントを日本エアシステムが有する子会社である。その乗員部には三宅機長のように日本エアシステムから出向した日本人パイロットと、設立の時に採用した外国人のクルーがいた。
 ハーレクインエアにはMDー80を使って福岡を中心にした国内線のウエットリースをするセクションとDC-10を使って世界各地にチャーターフライトを飛ばせる国際線のセクションがある。
 三宅機長やダウニング、ネイヤーはDC-10乗員部に属し、この三年、ハワイやカナダ、オーストラリアやニューカレドニアそして東南アジアにも日を明けずに飛んだ。
 とくに1999年サッカーのワールドカップがフランスで開かれたときは、日本各地からサポーターを乗せて過密なスケジュールでヨーロッパを飛行した。
 その間で日本人クルーと外国人クルーには深い信頼感が生まれていた。
 ダウニングとネイヤーとは、三宅機長も幾度もチームを組んでお互いの気心を熟知しあった仲間であった。しかしそのダウニング機長もネイヤー航空機関士も今月末でハーレクインエアを退職することになっていた。
 その背景にはハーレクインエアーの、そして親会社である日本エアシステムが直面している経済的な事情があった。
 三宅機長は自分のラストフライトもさることながら、このハワイへのフライトが彼らにとってもハーレクインエア最後の乗務になることも、いっそう彼を複雑な思いにさせるのだった。
「オーケ、打合せを始めるよ」
 機長は身を半身にして後を振り向き、意識をフライトに集中させるように少し声を高めた。ダウニングとメイヤーがメモを用意してうなづく。コックピットにはいつもの阿吽の呼吸のような仲間意識が感じられた。三宅機長はひと息おいて英語で離陸に関する手順を話し始めるのだった。

関西空港離陸

「テイクオフ・ブリーフィング。今日の離陸は滑走路24からだね。滑走路上の風は320度から14ノット。右側からの横風。気温は10度で気圧は30・00(オクトパスカル)ですでにセット済みだ」
 飛行機の高度は気圧高度計で計るので、気圧は飛行機の運航にとって最も大切なデータのひとつだ。その基準となる滑走路上の最新気圧が逐次、管制官から航空機に知らされることになっている。
「滑走路は離着陸ともに24(240度方向、西南西を向いた滑走路のこと)を使用している。出発方式(SID、スタンダード・インストルメント・ディパーチャーのこと)はキタン・ワン(KITAN 1)デパーチャーで串本トランジッション(経由)だ。これもセット済みです」
 まず、滑走路24から淡路島に向けて離陸し、大阪湾の真中にある飛行地点キタン・ポイントの上まで飛び、和歌山市の沖合にあるトモVOR/DMEへ向けて左旋回し、御坊VOR/DMEから紀伊半島をかすめて紀伊半島の南端にある串本を経て太平洋に出るコースが今日、与えられた関西空港を離陸飛行する方式、キタン・ワン出発方式であった。
 三宅機長はマニュアル通り、万が一離陸時の事故を想定して話を続けた。
「離陸時にエンジンが故障した場合は、V1スピード以前は、私の指示に従ってください」 V1(ヴィ・ワン)スピードとは離陸決心速度ともいい、離陸を始めてこのV1スピードに飛行機の離陸速度が達していないときは離陸を中断することが可能である。V1以前にエンジン等の故障が発生したら、機長が「リジェクト テイクオフ」とコールし離陸を中止するアクションをとる。
 この離陸するスピードはそのときの飛行機の重量や滑走路の風の強さなどで決まるが、今日のV1スピードは146ノット、時速約245キロであった。そのスピードが離陸時に最も重要なものとなる。
 続いて三宅機長はV1スピード後で起こったエンジン故障の際のそれぞれ各クルーがとるべき行動を副操縦士とフライトエンジニアに確認した。
「V1以後の事故発生の場合はそのまま離陸してSID(空港が定めた出発方式)に従います。そして5000フィート(約1500メートル)まで上昇して、それからレーダー誘導を受け滑走路24にも戻り着陸する」
 それから…、と機長は航空機関士のネイヤーに尋ねた。
「燃料投棄する地点までは何分かかる?」離陸に失敗し再着陸をする場合は着陸時に発生するかもしれない火災を予期して、搭載している全燃料を機外に捨てなければならない。
「イレブンメネッツです」燃料に関する仕事は航空機関士の領域である。ネイヤーは即座に答えた。
「11分か。オーケー。レーダー誘導で燃料投棄地点まで飛び、此処へ戻る。いいね」
 最後に三宅機長は確認するようにふたりの顔を見た。そして副操縦士役と機関士が了解する様子を確認して「よし。プリパレーション計器点検(エンジン始動前に行う計器点検のこと)を始めるよ」と左角に置いた機長カバンからチェックリストを取り出した。

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★「最後の飛行」挿入01

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▼プレパレーションチェックリストの図

プレパレーションチェックリスト

 この飛行機、DC-10ー30タイプには計器の点検の項目が百以上もある。その中でエンジン始動以前に行うプリパレーション点検は、計器やスイッチ類の最も基本的な点検である。
 ダウニングがリストを読み上げ、機長とネイヤーがそれぞれ担当する計器類をすべて点検していく。
 以前、パンアメリカンのボーイング747のコックピットに乗った時、コックピット・クルーが計器点検をする声が耳にテンポ良い音楽のように響いた記憶がある。そのときパンナムの機長は「この計器点検のリズムがクルーの一体感と士気を高めるんだよ」と話してくれたことを思い出す。
 今、ハーレクインのクルーが行っている流れるような点検はきびきびとして、プロフェッショナルなクルーの、まるで出発前の儀式にも似て聞こえた。
 「ファイブミニッツ…いいですか?」
 点検が完了すると副操縦士役のダウニングが日本語で三宅機長に尋ねた。
 飛行機に燃料を搭載したり、乗客の荷物を積み込んだり、ケータリング(乗客やクルーの食事や飲物などを搬入する作業)など地上の仕事一切と乗客の搭乗、そしてコックピットのエンジン始動前の準備が終わると、出発という次ぎの段階に移る前に、クルーはクリアランス・デリバリー(目的地までの飛行計画を承認する担当管制)をする出発管制官に目的地までの飛行計画の承認を受けるために交信をしなければならない。その交信をファイブメネッツ・コール(出発五分前の交信)と呼び、航空機の出発の大切な確認作業となっている。
「いや、どうかな…」と機長が外を見て言った。
「まだまだ、乗客のボーディングが終わってないよ」とネイヤが開いたままのコックピットドアから客席を振り返って笑った。
 そのときキャビン・クルーに見守られて搭乗してきた車椅子の老婦人とその連れの女性の姿が入り口の側に座っているネイヤーの目に入った。
 老婦人はコックピットドアの外側の通路に車椅子を止めてクルーに挨拶をする。
「いいよ。いいよ」三宅機長が手を振って急に照れたように笑った。
「ああ、私の母ですよ。それと妻と娘…」
 彼女逹は父の、夫の、そして息子の最後のフライトに同乗するためにこのフライトに搭乗したのであった。
「よろしくお願いしますよ」
 車椅子の上から母は機長席に座っている息子に毅然とした態度で言葉をかける。それは新しい小学一年生の入学式で総代の挨拶をする小さな息子を心から誇りに思い、励ます母親の声のようであった。
 ああ、わかってるよ…と言わんばかりに、三宅機長は子供のようにうなづいて母親から無理に視線を外した。
 そのとき三宅機長は、この飛行が過去何千回と数かぎりなく飛んだ乗務のひとつではなく、特別の、大切な家族に見守られた特別な最後の飛行であることを新ためて身にしみるように感じるのだった。
 よし。ファイブメネッツ・コールだ。それから数分後、乗客のボーディングがすべて完了した報告をキャビン担当者から受けると機長は感傷を振り切るように、ダウニング副操縦士役に飛行プラン承認の交信を始める指示を出した。
 ダウニングがマイクを取って管制官を呼びかけた。

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★「最後の飛行」挿入02

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「カンサイデリバリー。ハーレクイン8673」
(こちらはハーレクイン8673便です)
「ハーレクイン8673。カンサイデリバリー。ゴー アヘッド」
(ハーレクイン8763便へ。関西デリバリー管制です。どうぞ)
 管制官の声がコックピットのスピーカーから聞こえる。
「ハーレクイン8763。スポット・ナンバーワン。トゥ ホノルル。フライトレベル330 ウィ ハブ インフォメーションD(デルタ)」
(ハーレクイン8673です。現在、スポットNO.1に駐機しています。ホノルル空港へのフライトで高度33000フィートを予定。最新のATIS(エアポート・ターミナル・インフォメーション・システムの略。空港の最新の天気や滑走路の情報)デルタを入手しています)
「ハーレクイン8763。スクォーク6013 スタンバイ フォー クリアランス」
(こちら関西デリバリーです。貴機のレーダー認識符号は6013です。そのまま待機してください)
 すでに運航課が管制機関に提出した飛行プランに基づいて発出されるクリアランス(承認)をクルーは機内で管制官から無線で受取る。その順番がくるまで待機するのである。レーダー認識符号を復誦してダウニングは無線を終えた。レーダー認識符号は離陸以後、その飛行機の識別標識になる。6013が便名と共に管制レーダーに表示されるのでその確認は重要となるのだ。
「カンパニーフリクエンシーはこれですか?」ネイヤーが機長に尋ねる。
「129・6(メガヘルツ)。イエス」と機長。通常、コックピットの無線交信は大別すると3つになる。ひとつは管制との交信だ。そのとき操縦を担当していないパイロットがこれを受け持つ。もうひとつは国際緊急交信である。この周波数は全航空機に同一のメガサイクルが与えられ、3個あるVHF無線機のひとつに常時設定され全員がその無線を傍受している。そして最後のひとつが、自分の所属する航空会社の運航部とつながるカンパニーフリクエンシーだ。この無線で運航状況を報告したり、逆に運航部からデータをもらったり、運悪く機内で病人が出た場合などの連絡に使用する。現在はエーカーズと呼ばれる無線に代わるメール通信機が搭載されているが、離着陸などの連絡はカンパニーフリクエンシーを使うことが多い。
「コールサインは?」ネイヤーが関西空港にある日本エアシステムのカンパニーフリクエンシーの無線呼び名を尋ねた。
「コールサインはカンサイだ」
「最終のウエイト&バランスを聴きます」ネイヤーは会社の運航課に自社の周波数で出発前の最終報告を聞こうとしていた。
 ウエイト&バランスとは離陸する飛行機には欠かせない情報のひとつである。それは飛行機の重心位置を測定したデーターで、その都度異なる乗客の数や貨物、燃料等の重量によって機体の重心位置が変わるので、すべての搭載が終わった出発直前に確認しなければならない。そのデーターは運航部のコンピューターが自動的に計算し、その数値が飛行可能な許容範囲にあるかどうかを算出している。

 ネイヤー航空機関士はマイクを取って運航課に連絡を始めた。
 話しはそれるが、航空機の発展とともにコックピットの乗員は少なくなる一方である。まず初めはコックピットから通信士がいなくなった。
 通信士の仕事は航空機の交信がモールス信号から音声交信に変わったことでパイロットが代行するようになった。
 次ぎは航空士である。ダクラス6Bや7Cのプロペラ旅客機の時代、コックピットには機長、副操縦士、航空機関士以外に、航空士(ナビゲーター)と呼ばれるクルーがコックピット乗員に加わっていた。
 航空士の仕事は飛行機の現在位置を測定し、そのときの気象状況を加味して目的地までの正確な航路や到着予定時間などを算出し、操縦に必要なナビゲーション・データーを機長や副操縦士に提供することであった。

 操縦席の天井に小さな窓があり、飛行中、彼らはその窓から何度も六分儀や八分儀などで星を天測し飛行機の現在位置や航路を測った。ジェット旅客機の時代になっても第一世代といわれるボーイング707やダグラスDCー8などの初期のタイプには操縦席の天窓が残っていて航空士が乗務していた頃がある。日本航空のDC-8の名機長として有名だった松尾さんに航空士の面白い話を聞いたことがある。航空士は普通、コックピットのいちばん後に黒いカーテンで囲った場所があり、その上に天窓があってそこから天測をしていたそうであるが、その航空士は人嫌いか、孤独を楽しむタイプだったのか、離陸から着陸まで一回もその黒いカーテンから出てこないで、位置報告のポイントがくると黒いカーテンから手がにゅーと出てきてその後の進路や位置を手書きで書いたメモをクルーに渡したそうである。それを羽田からサンフランシスコまでくり返し、結局、飛行機を降りるまで松尾さんは航空士の顔を見なかったという。コックピット・コミュニケーションを重んじる今では信じられないような話である。

 航空士の仕事はその後、ロランや慣性航法システムの発達でなくなり、以後コックピットは三名の乗務に変わる。
 そしてボーイング747-400、767、777などの第四世代の航空機では、機長と副操縦士の二名乗務が普通になり、現在、航空機関士(フライトエンジニア)の仕事はコンピューターが代行している。

 航空機関士は飛行操縦技術とは別の高度な航空機の知識や経験が必要とされた。出発前には前述のウエイト&バランスや燃料搭載の管理など、飛行中は燃料を始め各システムの維持や管理を行う飛行に伴うメカニックな側面を仕事とする。
 プロペラ旅客機の頃は航空機関士は地上整備員の延長と考えられていた。すなはち整備員がコックピットに同乗していたのである。しかしジェット旅客機の時代になってからは地上整備とは別の職種となった。その後航空機関士専門職という人たちとは別に、セカンド・オフィサーと呼ばれて航空機関士を副操縦士になる過程の仕事とする航空会社も多くなった。
 ただ、パイロットのステップではなく、たとえばネイヤーのように専門の航空機関士は、パイロット人種とはかなり異質で、どちらかと言えば博学な学者タイプも多かった。例えばルフトハンザ航空には航空機関士の仕事をしながら、宇宙工学や機械工学などの博士号を持った人がいたし、フライト業務がないときは大学で生物学の講義をしているというオランダ人の航空機関士にKLMのフライトで会ったこともある。。
 ネイヤーが運航課と連絡をしているとき、「ユナイテッド810 クリアランス」と関西デリバリーの管制官がサンフランシスコへ向かうユナイテッド航空810便の飛行プランを承認する交信が聞こえた。

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★「最後の飛行」挿入03

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「ユナイテッド810 クリアー トゥ サンフランシスコ・エアポート、ヴィア トモ2ディパーチャー クシモトトランジション ゼン フライトプランルート メインテイン フライトレベル310、メインテイン12000フィート アンティル ファーザー アドバイス。ディパーチャーフリクエンシー ウィルビー 119.2 ゴーアヘッド」(ユナイテッド航空810便へ。サンフランシスコ空港までの飛行を承認します。トモ第二出発方式で離陸後、串本経由で巡航高度31000フィートで飛行して下さい。しかしこちらから指示するまでは飛行高度12000フィートを保ってください。出発管制の周波数は119.2メガヘルツの予定です。復誦願います)
 飛行プランの承認(クリアランス)を無線交信で受領したユナイテッド810便が、管制官の指示を繰り返す。
「ユナイテッド810。リードバック イズ コレクト。コンタクト グランド121.6」(ユナイテッド航空810便へ。復誦は正確です。以後は関西グランドコントロール121.6メガヘルツと交信願います)
 次ぎに関西デリバリーの管制官がハーレクイン機を呼んできた。
「ハーレクイン8673。ウィ ハブ ユア クリアランス コピー」
(ハーレクイン8673便へ。飛行計画の交信をします)
「ハーレクイン8673。ゴーアヘッド」(こちらハーレクイン8673便です。お願いします)とダウニングが答える。
「ラジャ クリアー トゥ ホノルルエアポート ヴィア トモ2ディパーチャー クシモトトランジッション ゼン フライトプランルート メインテイン フライトレベル330。メインテイン フライトレベル12000フィート アンティル ファザー アドバイス。ディパチャーフリクエンシー ウィルビー 119.2 ゴー アヘッド」
(ハーレクイン8763便へ。ホノルルエアポートまでの飛行計画を承認します。トモ第二出発方式で離陸後、串本経由で巡航高度33000フィートの許可します。しかしこちらの指示があるまで高度12000フィートを維持してください。関西出発管制の周波数は119.2の予定です)
 ダウニングが三宅機長の指示で確認の復誦交信すると、
「ハーレクイン8673 リードバック イズ コレクト コンタクト グランド121.6」と管制官は、以後はグランドコントロール、周波数121.6とコンタクトするように指示して交信を終えた。そして飛行機のすべてのドアが閉じられた。いよいよ、プッシュバックしてハーレクイン8763便はゲートを離れる時間が来た。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第10回

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今、大阪伊丹空港に着陸。
 日本近距離航空9175便は大阪伊丹空港に着陸した。午後5時25分であった。
「スタンバイ グランド」
「フラップ15」
「OK、グランド ファン」

着陸のメカニック

 キャプテンはメイン・ランディング・ギアから接地させた後、速やかに且つ静かにノーズ・ランディング・ギアを接地させ、直ちにロー・ストップ・レバーのグランドを指示する。副操縦士は着陸に際しては、キャプテンに不測の事態が起こることも考慮して、いつでも操縦できる体制でなければならない。然し、メイン・ランディング・ギアが接地するまでは直接コントロール・ホイールを握ってはならない。副操縦士は、メイン・ランディング・ギアが接地した時、ロー・ストップ・レバーに左手を添えて、機長の指示があれば直ちにグランドとする。右手はコントロール・ホイールに添えて、ノーズ・ランディング・ギアが接地すると共に、コントロール・ホイールを前方に押す。ロー・ストップ・アンセーフ・ライト及びビロー・ローストップ・ライト2基の点灯を確認し且つエンジン計器に注意して回転がスムーズに低下し、TGTが低下しつつあることを確認して、「ライト・オン」「エンジン・ノーマル」とコールする。キャプテンはプロップ抵抗とブレーキの使用により、減速しなければならない。キャプテンは直進の為、ラダー、ステアリング・ハンドルの操作により方向を維持する。キャプテンは機速が60ノット インディケーターのスピード以下に低下後、ガスト・ロックをオンと指示し、副操縦士はガスト・ロック オンの操作を行なう。ガスト・ロック オンとした後、TGT600℃以下になるまでタキシーの為のパワー・レバーをアドバンスしてはならない。ランディング・ロール中のフラップ・アップの操作の時期は、ランウェイ上のスラッシュ、水等でフラップが破損する恐れがある場合のほかは、ブレーキの使用が終わった後とする。キャプテンは適正な速度で地上滑走を実施しなければならない。副操縦士のコール・アウト・アイテム、「ライト・オン」ロー・ストップ・ライトが点灯したことを確認した後「ライト・オン」「エンジン・ノーマル」をコールする。
「DC ノーマル」
「60」
「ガスト ロック オン」
 揚力を失ったYSは重力に押しつけられ、風の抵抗で急激に減速した。副操縦士は正常に電源が供給され、操舵系統をロックした旨をコールした。甲高いプロペラ音がコックピットにごうごうと響く。
「トーアドメス634 クリア トゥ ランド 32ライト ウインド220 ディグリーズ 2ノット」(東亜国内航空634便へ。滑走路32Lへの着陸を許可します。風は220度から2ノットです)日本近距離航空9175便の後から進入してくる東亜国内航空634便が着陸許可を貰った。日本近距離航空9175便はまだ滑走路32レフトで減速しながら滑走路末端に向かっている。

▼大阪空港のチャート
大阪空港のチャート

「(トーアドメス)634 クリア トゥ ランド 32ライト」(滑走路32Lに着陸します)
「キンキョリ9175 タキシーウェイ ターン ライト ウイスキー7 タクシーウェイ ホールド ショート 32ライト」(日本近距離航空9175便へ。誘導路W7に入って滑走路32Rの手前で待機して下さい)管制官が日本近距離航空9175便へタキシングの指示を出す。
「キンキョリ9175 ラジャ ウイスキー7」(了解しました。W7に進入します)
「そこですね…ホールド ショート Aランウェイ」
 日本近距離航空9175便は速やかに滑走路32レフトから離れ、滑走路32Rの手前まで走行を続けた。

アフターランディングのメカニズム

 パイロットは着陸後、次の点について点検を行う。ロー・ストップ・レバーがグランド状態にあるか、プロップ関係の各ライトが全て点灯しているか、ガスト・ロックをオンとしているか、レディオ・ラック・クーリング・ファンをオンとしているか、防氷系統は全てオフとしているか、無線航法機器は全てオフとしているかなどを確認点検する。フュエル・ブースター・ポンプは1基ずつ使用し、トリム・タブは中立位置に戻し、フラップをアップにする。ウォーター・メタノール系統は全てオフとする、客室与圧が完全に抜けているか否かを点検し、コックピットのテンプ・オート・マニュアル・スイッチをオフとする。

タクシーウェイに入った後、またタクシーウェイが無い空港ではランウェイ末端で180度旋回後、アフター・ランディング・チェックリストを実施する。
「オールニッポン211 ホールド ナンバー2 サプライ ワン ミニッツ」(全日空211便へ。貴機の離陸は2番目です。1分後です)大阪発福岡行きのボーイングB747-SRである。
「オールニッポン510 クリア トゥ ランド 32レフト ウインド 220 ディグリーズ 3ノット」(全日空510便へ。滑走路32Lへの着陸を許可します。風は220度から3ノットです)
「(オールニッポン)510 クリア トゥ ランド 32レフト リービング」(滑走路32Lに着陸します。降下中です)管制官が宮崎発大阪伊丹空港行きの全日空510便ボーイング767に着陸許可を出した。つづいて管制官は花巻発大阪伊丹空港行きのTDA634便YSに着陸を許可した。
「タワー (トーアドメス)634 コンファーム クリア トゥ ランド?」(大阪タワー管制へ。東亜国内航空634便ですが、着陸しても宜しいですか)
「634 …クリア トゥ ランド 32ライト ウインド210 ディグリーズ 4ノット」(滑走路32Rに着陸して下さい。風は210度から4ノットです)
「ラジャ クリア トゥ ランド 32ライト」(了解しました)
 副操縦士は着陸直後の計器操作を終えた後、YSが正常に働いているかの計器チェックを行い、それが終わったことを機長に知らせた。
「アフター ランディング チェック オールコンプリートです」
「はい、どうも」
「クランド クーリング ファン 入れますか?」
「いいんじゃない」
 着陸後、速度を落とす為に使用したブレーキ板の熱を下げる冷却装置を作動させるか聞いたが、まもなくスポットインするのもあって、必要がなかった。
「オールニッポン475 タクシー イン トゥ ザ ポジション アンド ホールド 32ライト」(全日空475便へ。滑走路32Rに進入し待機して下さい)
 大阪発高松行きのYSである。
「ラジャ (オールニッポン)475 イン トゥ ザ ポジション アンド ホールド 32ライト」(了解しました。滑走路32Rに進入し待機します)
「トーアドメス634 ターン ライト C(チャーリー)4 タクシーウェイ コンタクト グランド コントロール」(東亜国内航空634便へ。誘導路C4に入り、以後は大阪グランド管制へ交信して下さい)
 日本近距離航空9175便につづいて東亜国内航空634便YS-11が地上管制に移管した。
「トーアドメス634 C(チャーリー)4 コンタクト グランド」(誘導路C4に入り、大阪グランド管制へ交信します)
「キンキョリ9175 フォロー イング トーアドメス YS オン ユア ライト クロス ランウェイ コンタクト グランド コントロール」(日本近距離航空9175便へ。東亜国内航空のYSの後に続いて、滑走路を横断し、以後は大阪グランド管制へ交信して下さい)

▼大阪空港地上走行プロシージャー
大阪空港地上走行プロシージャー

「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました)
 後から着陸した東亜国内航空634便の後ろに続いて滑走路32Rを横断する許可が出た。管制を大阪グランド管制に移管するよう指示された。
「オールニッポン5…コレクション 211 コメンス タクシー ホールド ショート 32レフト」(全日空5…訂正します。211便へ。タクシーを始めて滑走路32L手前で待機して下さい)離陸を待つ大阪発福岡行きのボーイングB747-SRである。
「211 ホールド ショート 32レフト」(滑走路32L手前で待機します)
「はい、ランウェイ クリアです」
「コンタクト グランド 121.7」
副操縦士は右側を確認し、全日空475便が滑走路内で待機している姿が見える。大阪グランド管制の周波数121.7メガヘルツに合わせると、東亜国内航空634便が交信しているのが聞こえた。
「トーキョー…オオサカ・グランド トーアドメス634 C(チャーリー)4 リクエスト タクシー スポット15 オーバー」(東京…大阪グランド管制へ。東亜国内航空634便です。誘導路C4にいます。駐機所スポット15まで地上走行の許可願います)
「トーアドメス634 ラジャ ターン ライト アルファ タクシーウェイ タクシー ヴィア E(エコー)4」(東亜国内航空634便へ。右に曲がりA誘導路を通って、E4を経由して下さい)
「ラジャ アルファ タクシーウェイ ヴィア E(エコー)4」(了解しました。A誘導路、E4を経由します)
続いて、日本近距離航空9175便は大阪グランド管制へ交信した。
「オオサカ・グランド キンキョリ9175 S(シエラ)4 オーバー」(大阪グランド管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。駐機所S4です)
「キンキョリ9175 ラジャ ターン レフト アルファ タクシー トゥ ゲート」(日本近距離航空9175便へ。左に曲がり、A誘導路を通って、駐機所に向かって下さい)

▼大阪空港スポット
大阪空港スポット

「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました)
「OK、レフト サイド クリア」
機長はタクシーする方向、左側に障害物がないか確認し、ステアリングを左に切った。
少し奥に視線を転じると、駐機所S4が見える。まもなく、スポット・インである。YSは甲高いダートサウンドを奏でながら、走行を続ける。
「えーっと…一番端っこの方ですね、ジャンボの向こうにある…あー居ますね、迷子になんなくて良かったですね」航空機を誘導するマーシャラーが視認(インサイト)出来た。
「大体、定刻通りですかね」
「そうですね、予定より5分、早かったかね」
「出発が10分、早かったですから」
「そうですね」
「マーシャラー インサイト…はい、インサイト」
マーシャラーが両手に持っているパドルを振り、YSを停止位置まで誘導する。
「新聞社の前ですね、こりゃ分りやすいわ」
「ライト ターン ライト サイド クリア」
マーシャラーが右手で右に曲がるようにパドルを振り、誘導する。
「トリマー ディグリーズ」
「カット オフ」
エンジンが切られ、プロペラの回転数が下がる。機長はフライトの最後の確認であるパーキング・チャックリストを副操縦士にオーダーした。
「パーキング チェック」
「ウインド アンド ピトー ヒーター…オフ」
「スターター システム…オフ」
「ブースター ポンプ…オフ」
「インバーター…オフ」
「オルタネーター…オフ」
「アンチ コージョン ライト…オフ」
「キャビン サイン…ワン オフ」
「フラップ…アップ」
「フュエル スイッチ コックピット ヒーター…マニュアル オフ」
「レーダー レディオ アンド トランスポンダー…オフ」
「ウォーター メタノール…オフ」
「トリム タブ…ニュートラル」
「パーキング ブレーキ…オン」
「パーキング チェックリスト コンプリート スリー トゥ ゴー」
「はい、お疲れさまでした」

YS東京-大阪 離陸して着陸するまで1時間25分のフライト。丁度、新幹線の半分の時間であった。

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」第1回 関西国際空港

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 大阪湾にかかる春の霞が次第に黄昏色に変わる午後五時。長い橋を渡って空港に近づくと関西国際空港はまるで宇宙基地が海に浮かんでいるように見えた。
 シルエットになった管制塔が空へ飛び出すロケット塔のように聳え、それをとりまくターミナルビルや滑走路が放つ光の渦が、暮れかかる美しい空と海の狭間で人工的な別世界を造りだしている。

関西空港夕景 by H.Masui

 出発ロビーも別世界だった。チェッキングカウンターで搭乗手続きをするグループのざわめき。セキュリティ検査の警報ブザーの音。サンフランシスコやパリに向かう航空会社のファイナルコール。免税店のレジの音。迷子の呼び出し。ゲートへ走る靴の音…。
 旅立ちの華やかな旅情と興奮が金属とガラスでできた幾何学的な空間の中で喧騒となって渦巻いている。
 そのロビーからガラス張りのエレベーターで三階登った空港北ビルにある日本エアシステム運航課は、出発ロビーの喧騒が嘘のように静かであった。
 この時間は他に飛行する便も少なく、したがって乗員の姿もまばらで、ときどき自社の飛行機から入ってくる会社宛のカンパニー無線に運航課のスタッフが応答する声が聞こえるだけで、広い室内は図書館の中のような雰囲気であった。
 その右角のカウンターでホノルル空港へ向けて出発するハーレクインエアの飛行前の打合せが行われていた。
 プレスのきいた紺色の制服で包んだ三人のクルーが、テーブルに広げた飛行ルートや気象データーの一つ一つを手慣れた様子で確認し合っている。
 日焼けした精悍な顔に溢れる自信と威厳さえ感じさせる機長、長身を折り曲げるようにして端正に話す白人のアメリカ人パイロット、陽気な仕草で笑顔を絶さない南アメリカ出身の航空機関士、普段とは違いクルーの姿を遠巻きになぜか気遣うように眺めているディスパッチャーや運航部員達…。最後に機長が書類にもう一度、目を通し、二、三質問すると飛行プランに承認のサインをした。
 すべて手順通り、傍目には普段の日とは何も変わらない。
 一息入れて機長は飛行プランを立案したディスパッチャーに歩み寄って、いつもするように笑顔を見せてひと言、「ありがとう」と礼を言った。
 しかしそのひと言に機長の万感の想いが込められていることは、ディスパッチャー始め、部屋の中にいるすべての人たちにはわかっていたが、誰も特別な言葉を掛けようとはしなかった。
 その思いやりが無言のうちに機長の胸にしみた。
「シップは?」と機長が尋ねる。今日乗務する便は鹿児島発、関西空港経由でホノルルに向かうハーレクイン8673便でチャーターフライトであった。
 鹿児島からのクルーは関西空港で交代する。それで関西空港から新たに搭乗するコックピットクルーは客室乗務員の打合せ(ブリーフィング)を、ゲートに駐機する飛行機の中で行うことになっていた。
「ちょっと遅れましたが、もうゲートに入っています」と運航課員が答える。
「ではそろそろゲートへ行くか」
 テーブルの上に広げた飛行データーを集め、黒い皮のパイロットケースに納めながら、機長は今日一緒に飛ぶダウニング副操縦士とネイヤー航空機関士に声をかけた。
 これもいつもと変わらぬ出発前の風景であった。
 そのとき運航課の女性スタッフが遠慮がちに機長に小さな花束を差し出した。それを機会にフラッシュの光とシャッターの音が響き、運航部が一瞬場違いな雰囲気になった。
 ちょっと驚いた様子で機長は花束と女性部員を相互に眺めて少し淋し気な表情を見せ、改めて居並ぶ運航部の人たちに無言で軽く頭を下げた。
 三宅嘉光機長。ハーレクインエアの取締役オペーレーション本部長は、今月の二十八日、あと三日で満六十才の誕生日を迎える。その誕生日は還暦という人生の節である日と同時に彼にとっては特別な意味があった。
 会社の規定によると六十才の誕生日をもってパイロットは定年として現役の飛行業務から離れることになっている。その誕生日がこのハワイへのフライト乗務期間の途中に訪づれることから、今日が三宅機長の現役最後のフライトの日になっていた。
 ラストフライト。
 それはパイロットが長年慣れ親しんだ空を去る最後の飛行である。
「それでは…行ってきます」と三宅機長は過去、数十年繰り返したフライト前の厳しいパイロットの表情に戻って、もう一度、運航スタッフに目礼すると、すでに入り口で待機してるクルーと一緒に運航課を出た。
 制服に身を包んだ機長の左手に握られた小さな花束が、何故か不釣合で淋しく見えた。

つづく

武田一男

航空ドキュメンタリー「最後の飛行」
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「最後の飛行」収録している音声、音源は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー「最後の飛行」はじめに

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「最後の飛行」をスタートするにあたって

 今日から「航空100年」のキャンペーンにちなんで新しいコックピット・ドキュメンタリーを始めます。このコンテンツはハーレクイン航空のDC-10三宅嘉光機長が関西国際空港からハワイ・ホノルル国際空港に飛んだラストフライトを軸に、日本の民間航空の歩み、それと日本航空やパンアメリカン航空などが開拓した広大な太平洋の航空史をまじえて構成する大河的航空ドキュメンタリーです。
 以前、このコンテンツはCD付き単行本「ラストフライト」(愛育社)として発売したのですが、今回、その元原稿から余分な箇所を削り、必要な部分を加筆して、かつ、全編に航空サウンドが入るのでなく、要所、要所でサウンドが入るように分散し、サウンドの効果と文章の独立性を高めるための工夫を凝らすなど内容を一新しています。この構成は僕としては初めての試みでもあり、従来の航空ドキュメンタリー「機長席」や「ヒマラヤ飛行」などとは若干のテイストの違いもあるかもしれません。「違い」といえば、今までこのブログに作品を寄稿する場合、ほぼ、全体を完成させて編集長の竜子さんに送っていましたが、今回はまったく違ってオンエアーとほぼ同時に次の回の原稿制作をしている状態(たとえば今、第2回目の原稿を書いている状態)なので、期日に遅れる可能性が大であります。その点、謹んでかつ、前もってお詫び申し上げます。

 それから、僕からも読者の皆様にお願いがあります。そんなライブな状態ですので、皆様の読後感といいますか、ご批判をふくめてご意見を聞かせて欲しいのです。ライブ進行なので、その次の回にはすぐ訂正できますし、改良も可能です。要は完成終了したあかつきには(現在の状態では10回の連載になるか、8回で終わるのか、僕自身もわかっていませんが)、読者の方々には「ああ、面白かった」と言ってもらいたいし、著作制作者の僕としては「とても良い作品になった」と満足をしたいのです。真意をご理解の上、ご協力下さい。お願いします。
 でも、自画自賛みたいで恐縮ですが、僕の従来の作品の中でもダントツに面白い作品になると思っています。恐縮です。

武田一男

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Skybridge Annex

文中で使用している写真は、H.Masuiさんの作品をお借りさせていただきました。
美しくて見応えのある作品が多いです!

H.Masuiさんのブログ
Skybridge Annex

主に伊丹空港の作品を紹介されています。
関西空港夕景の写真は、他にもあります。
関西空港夕景の記事

H.Masuiさんのホームページ
Skybridge
伊丹空港を拠点に、関西空港、鹿児島空港、長崎空港、成田空港の写真が紹介されています!
その他、ユーモアあふれる「Landscape」の作品が、圧巻です。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第9回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

ラッシュアワーで混雑する大阪伊丹空港へ着陸

 大阪城にライトが照らされ、威風堂々とした風貌は昔と変わらないであろう佇まいである。その大阪城の上を一機、また一機と飛行機が次から次へと伊丹空港へ帰って来る。ある人は仕事が終わった安堵感、あるグループは旅先での楽しい思い出をカバンにたくさん詰め、ある家族は先祖に手を合わせ清々しい気持ちを胸におさめ、それぞれがそれぞれの
思いを乗せ、住まいを構えるこの大阪に帰って来る。
 左には高層ビルが乱立する大阪・梅田が見えるが機長は目も暮れず、前に見える伊丹の滑走路を捉えている。滑走路の側では離陸機が待機し、YS-11の着陸を見守っている。
 風が強くなった。機体がかなり揺れている。YS-11は横風15ノット以上あると着陸できないので、ゴーアラウンドするか他の空港へダイバート(代替空港へ着陸)することになる。また突然のウィンド・シェア(気流の乱れ)で着陸失敗するケースも多く発生しているのでコックピットには緊張感が増した。
「チェック エア スピード フラップ10」
 機長は所定の高度と速度に達した時、フラップ・ダウン角度を指示し、副操縦士は機長の指示にした角度までフラップ・ダウン操作を行なう。
 副操縦士も復唱し、フラップを10度にセットし、無線機の周波数を大阪伊丹空港タワー管制の118.1メガヘルツに変えた途端、流暢なネイティブ英語を思わせる交信がコックピットに響いた。
「トラフィック ジャスト トラフィック インフォメーション ワイエス イレブン アプローチング 7マイル ファイナル フォア 32ライト」(飛行情報です。滑走路32ライトの7マイル先にYS-11が進入中です)
 全日空296便鳥取発のYS-11が進入していることを管制官は離陸機、日本航空321便大阪発福岡行きのDC-10へ告げた。
「あそこね」と機長が前方を下降するYS-11を確認する。そして「あと5マイルだろ…」と 機長が進入最終ポイントでローカライザーに乗るロメオ・キロまでの距離を予測して言った。
「ジャパンエア321 タクシー イントゥ ザ ポジション アンド ホールド 32レフト」(日本航空321便へ。滑走路32レフトに進入し待機して下さい)
「イントゥ ザ ポジション アンド ホールド (ジャパンエア)32レフト」(進入し待機します)
 管制官が滑走路32Rに全日空296便YS-11が進入中であるので、離陸準備が終わっている日本航空321便福岡行きDC-10を滑走路32Lに入れた。灰色の霞の中で微かであるがDC-10の姿を視認(インサイト)できる。
 伊丹空港は14R/32L(Aランウェイ)と14L/32R(Bランウェイ)の2本の滑走路が平行していて、機体の大きさによりどちらかを使い分け、運用効率を上げている。しかし滑走路が2本あるので一度に2機の飛行機が離着陸できると思われるが、滑走路間の間隔が狭すぎるので同時の運用は出来ない。片方が着陸したと同時にもう片方で離陸する変則的な運用方法である。また着陸機は、近隣への騒音関係から逆噴射(リバース)を極力抑えることになっている。

▼大阪空港ランディングチャート図
大阪空港ランディングチャート

▼大阪空港トラフィックパターン図
大阪空港トラフィックパターン図

「オオサカ・タワー キンキョリ9175 アプローチング ロメオ(R)キロ(K)スポット…シエラ(S)4 オーバー」(大阪タワー管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。現在RKに向かっています。…駐機所はS4です)
「…」他機と同時に交信したので、管制官が新聞社のヘリコプターと交信している内容と混じってボイスが聴き取れない。
「(他機との交信が)被るな…」
 時として、他機と交信が重なることがある。交信を担当するパイロットは割り込ませまいと、そして割り込もうとして少しでも機の状況を報告し、いち早く着陸したいという心理なのだろう。この割り込みこそ交信を担当するパイロットの腕が試されるところでもある。引っ切り無しに交信がコックピットに響く。
「オールニッポン296 ディパーテッド アウターマーカー」(全日空296便です。アウターマーカーに到達しました)鳥取発の全日空296便YS-11が最終進入に入った。
「オールニッポン296 ユア ライト ブレイク?」(全日空296便へ。右側に針路を取っていますか?)
「アファーム ナウ ライト ブレイク」(はい、右側に針路を取っています)
「296 ラジャ コンティニュー アプローチ リポート 3マイル フォア 32ライト」(了解しました。そのまま進入を続けて下さい。滑走路32Rの3マイル手前で報告して下さい)
「ライト ブレイク 3マイル」(右側に針路を取りし、3マイル手前で報告します)
「…オオサカ・タワー ハウ ドウ ユー リード」(…大阪タワー管制です。聴こえていますか?)
 機長が副操縦士にギアレバーを指さして車輪を降ろすように指示する。副操縦士はギアレバーを降ろし管制官と離陸しているヘリコプターとの交信の途切れの一瞬の隙に再度、交信を試みた。
「オオサカ・タワー キンキョリ9175 アプローチング ロメオ(R)キロ(K)オーバー」(大阪タワー管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。現在RKに向かっています)
 ランディング・ギアを下に引き下げると同時に、前輪と主輪が姿を現し、大きなうねり声にも似た、風を切る音が響く。
「キンキョリ9175 ラジャ リポート ライト ブレイク ランウェイ 32ライト」(日本近距離航空9175便へ。了解しました。右側に針路を取ったら報告して下さい。着陸滑走路は32ライトです)管制官は日本近距離航空9175便を全日空296便の後につけて32ライトに降ろすつもりである。
「キンキョリ9175 ラジャ スポット シエラ(S)4」(了解しました。駐機場はS4です)
 速やかに交信がなされ、最後に駐機場の場所を告げた。
 伊丹空港のスポットはS4で、空港北側にある沖合いの場所、滑走路04L付近である。YS-11はPBB(パッセンジャー・ボーディング・ブリッジ)と接続できないので、乗務員を始めお客様は一旦外に出て、バスでターミナルに向かうことになる。
「ダウン アンド スリー グリーン」 副操縦士が計器で車輪が降りている確認をした。ランディング・ギアが完全に下がり、指示灯がグリーンに点灯し、ウォーニング・ライトがレッドに消灯したのを点検し、「ダウン アンド スリー グリーン」をコールする。そして現速度を確認しフラップ角度を20度にセットするよう指示した。
「チェック エア スピード フラップ20」
 YS-11は順調に下降を続けている。
「ジャパンエア321 トゥ ディパーチャー コントロール フリクエンシ ウイル ビー119.5 ウィンド220 ディグリーズ 6ノット クリア フォア テイクオフ 32レフト」(日本航空321便へ。離陸後ディパーチャー管制へ交信して下さい。周波数はおそらく119.5になるでしょう。風は220度から6ノットです。滑走路32Lからの離陸を許可します)
「ジャパンエア321 クリア フォア テイクオフ」(離陸します)
 管制官は日本航空321便福岡行きのDC-10に離陸許可を発出した。続いて32ライトに降ろす全日空296便YS-11に指示を出す。
「オールニッポン296 クリア トゥ ランド 32ライト ウィンド コレクション ウィンド 200 ディグリーズ 5ノット コーション タービランス DC-10 デパーティング 32レフト」(全日空296便へ。滑走路32Rに着陸して下さい。風は200度から5ノットです。32LからDC-10が離陸滑走中です。タービランスに注意して下さい)
「ラジャ 296…」(了解しました)
 副操縦士は、着陸直前のビフォア ランディング チェックリストを読み上げた。
「フュエル ヒーター…オフ」
「プロップ ライト…」
「ギア…ダウン グリーン」
「ハイドロ・プレッシャー…チェック」
「HPCレバー…ロック アウト」
「レーダー…スタンバイ」
「ビフォア ランディング チェックリスト コンプリーテッド ビフォア トゥ ゴー」
「はい、了解」
 ビフォア・ランディング・チェックリストは、1000フィート プラス エレベーションまたはギア・ダウン後に実施することになっている。不必要な防氷系統とフュエル・ヒーターをオフとし、ウォーニング・ライトが消灯していることを確認する。スピル・バルブをマニュアルとし、フット・ウォーマーをオフとする。ロー・ストップ・レバーがフライトの位置にあり、ロー・ストップ関係の指示灯が消灯していること及びハイ・ストップ関係の指示灯が点灯していることを確認し、HPCをロック・アウトとする。
 斜め横からかなりの風が吹いて機体を揺るがせている。「風が強いね…」と機長は操縦桿を持つ手に力を入れた。YS-11は主翼が空(くう)を捉え、プロペラが空を切り裂き、ダート・サウンドが空を震わせ、大阪・伊丹空港32Lに向かっている。全てのギアは既に機外に出て着陸態勢を整えている。
 ランディング・チェックリストの残り、トリムの計算をして副操縦士が報告した。
「デイ・トリム、84%です。」
「はい、了解」
 フュエル・トリマーをデイ・トリムにセットする。レーダーはスタンバイとする。
 YS-11は高層ビルが乱立する梅田上空に差し掛かろうとしている。着陸前のランディング・チェクリストを完了し、あとは地面に着地するだけである。コックピットには否応無しに緊張感に包まれる。飛行機事故の大半は、離陸の4分と着陸の7分の計11分間に発生し、クリティカル11ミニッツ(魔の11分)と云われている。
 日本近距離航空9175便の後ろを飛行している東亜国内航空634便花巻発大阪伊丹空港行きが大阪タワー管制に入って来た。
「オオサカ・タワー トーアドメス634 ディセンド トゥ 2500 アプローチング ロメオ(R)キロ(K)オーバー」(大阪タワー管制へ。こちら東亜国内航空634便です。RKに向かって、現在2500フィートで降下しています)
「トーアドメス634 ラジャ リポート ライト ブレイク ランウェイ 32ライト」(東亜国内航空634便へ。了解しました。滑走路の右側に進入する針路を取ったら報告して下さい。着陸滑走路は32ライトです)管制官は後続のTDAのYS-11に滑走路32ライトを指示した。
「634 リポート ライト ブレイク ランウェイ 32ライト」(右側に針路を取ったら報告します。滑走路は32ライト)
 着陸態勢を取りつつも、機体は刻一刻と滑走路ライトに向かっている。
 このとき管制官は後続機の都合で日本近距離航空9175便に滑走路ライトからレフトへの着陸変更を交信してきた。
「アンド ア- レフト ブレイク キンキョリ9175 チェンジ ア- ブレイク ランウェイ 32レフト リポート アウターマーカー」(日本近距離航空9175便へ。航路を左側に変更して滑走路32レフトに進入して下さい。アウターマーカーに到達したら報告して下さい)
「32レフトですね」と急に滑走路の変更があったので副操縦士が機長に確認した。そしてATCのマイクをとる。
「キンキョリ9175 ラジャ 32レフト リポート アウターマーカー」(了解しました。滑走路32レフトに進入し、アウターマーカーに到達したら報告します)
「32レフトね」機長は再度確認した。

▼大阪空港ランウェイ32R進入図
大阪空港ランディングチャート

▼大阪空港ランウェイ32L図
大阪空港トラフィックパターン図

 YS-11は機体が小さいので通常、伊丹空港では約1800mの滑走路14L/32Rを使用することか多い。
「32レフトとなるとですね…」
 副操縦士は着陸滑走路が変わったので、着陸後の誘導路の確認する。
「(滑走路)エンドまで行くんですよ、それから(誘導路)に入って行きますからね」
と機長は3000mの滑走路の端までタキシングして誘導路に入ることを指示した。
「了解しました」と副操縦士。そのとき管制官から32レフトへの着陸許可が出た。
「キンキョリ9175 クリア トゥ ランド 32レフト ウィンド220 ディグリーズ 6ノット」(日本近距離航空9175便へ。滑走路32Lへの着陸を許可します。風は220度から6ノットです)
「キンキョリ9175 ラジャ クリア トゥ ランド」(了解しました。着陸します)
 管制官はつづいてTDA679便大阪発米子行きのYS-11に呼びかけた。
「トーアドメス679 ユー レディ?」(東亜国内航空679便へ。離陸準備は整っていますか?)
「679 クリア フォア テイクオフ?」(離陸していいですか?)
「679 ラジャ タクシー イントゥ ザ ポジション アンド ホールド 32ライト」(滑走路32Rに進入して待機して下さい)
「(トーアドメス)679 32ライト」(了解しました。進入します)TDAの米子行きのYS-11は滑走路32ライトからの離陸が決定、日本近距離航空9175便を32レフトに変えてその着陸を待たずに離陸させようとしている。管制官は一時も滑走路を無駄に使わないのだ。日本近距離航空9175便は刻一刻と滑走路に近づいている。
「チェック アウターマーカー」
 機長は空港の最も外側にある着陸用の無線発信機があるアウターマーカーを通過したことをコールした。このマーカーの上を通過するとき、ピーピーピーという無線発信音が鳴り、空港の着陸進入の指定高度と進入進路が間違っていないことをパイロットに知らせる。
 現在、高度は約1500フィート。京都・大阪の水瓶である琵琶湖から大阪湾に流れ注ぐ淀川上空を通過し、滑走路が正面に姿を現した。微かに離陸した飛行機が左旋回をし、32Rには東亜国内航空679便YS-11が滑走路脇に待機しているのが見える。
「ランウェイ インサイト」 機長が滑走路を確認した。
「真っ直ぐ、前」
「オッケー アウターマーカー ノーセンス」
「えーっと、そのままで行きますからね」
「はい、了解しました。」
 日本近距離航空9175便は、真っ直ぐに滑走路32ライトに向かっていた機首を若干左側に寄せて降下を続ける。前方の滑走路32レフトには前を飛行していた全日空296便YS-11が着陸するのが見えた。管制官が着陸した全日空296便YS-11に呼びかける。
「オールニッポン296 ターン ライト チャーリー(C)4 タクシーウエイ コンタクト グランド コントロール」(全日空296便へ。右に曲がり誘導路C4に入って、以後は大阪グランド管制へ交信して下さい)
 全日空296便が滑走路32レフトから抜け出している様子がコックピットからも見える。
「ウイスキー(W)8 タクシーウエイのチャーリー(C)5に入る感じですかね」
「そうですね」
 着陸後の誘導路の再確認を行った。次から次へと離発着を繰り返している空港である為、速やかに滑走路から離れなければ、次の飛行機に影響を及ぼしてしまう。
「デイ・トリム セット」
 副操縦士は復唱した。いま飛行状態は安定し降下を続けている。
「トーアドメス679 ディパーチャー コントロール フリクエンシー119.5 ウィンド200 ディグリーズ 5ノット クリア フォア テイクオフ 32ライト」(東亜国内航空679便へ。離陸後ディパーチャー管制119.5 へ交信して下さい。風は200度から5ノットです。滑走路32Rからの離陸を許可します)管制官は滑走路32ライト横に待機していた東亜国内航空679便YS-11に着陸してくる日本近距離航空9175便より先に離陸の許可を出した。待機していた東亜国内航空679便はすぐ離陸滑走を始めた。
 日本近距離航空9175便は刻一刻と滑走路に近づいている。
「デイ トリム OK ワン タウザンド…125(ノット)」
 副操縦士が、デイトリムの確認と現在の高度(1000フィート、約300メートル)と速度(125ノット、約時速200キロ)を同時に読み上げる。
「オン コース オン グライドパス」副操縦士は計器を見ながら進入経路上に飛行機が飛行し、降下経路を示すグライドパスの周波数に一致していることをコールした。
「ウォーター メタノール オン…ツー グリーン」
 ウォーター・メタノール系統を作動させた場合は、指示灯により系統の点検を行なうことになっている。
「じゃあ、スピルは任せますね」
「はい、了解しました。もうスピル、マニュアルにします」
「あと、フラップだけです。」
「はい、了解」
「500(フィート)… チェック エア スピード フラップ35」
 あと着地まで約150メートル滑走路が目の前に近付いてきた。フラップを35度にセットするよう指示した。滑走路が手に届く程に目の前に広がる。
「フラップ35 コンプリート ランディング ダブル チェック オールコンプリートです。」
「はい、了解」
 ランディング・フラップ35度にセットした後は、作動油圧、作動油量及びギア・ダウンを再確認する。副操縦士は高度500フィート プラス エレベーションから100フィート前に高度及び速度のコールを行ない、以後スレッシュ・ホールド(滑走路末端通過)するまでそのコールを続ける。そして、着陸の最終確認したことを機長に報告する。
「インナーマーカー」 空港の内側、滑走路の入り口にある進入着陸用の無線信号機の上を通過する。この無線の発信音を聴いてパイロットは進入決定限界高度を確認する
「200(フィート、約60メートル)… デシジョン・ハイ」
 高度200フィート通過。
「オオサカ・タワー オールニッポン510 エスタブリシュド ローカライザー」(大阪タワー管制へ。こちら全日空510便です。ローカライザーに到達しました)
「オールニッポン510 ラジャ リポート アウターマーカー 32レフト」(全日空510便へ。了解しました。アウターマーカーに到達したら報告して下さい。滑走路32Lです)
「32レフト」管制官は進入している全日空510便767を滑走路32レフトにつけて日本近距離航空9175便のあとを飛行させた。その前を東亜国内航空634便が32ライトに向かって進入している。この時刻、次から次へと伊丹空港に向かって飛行機が進入して来るのだ。
 日本近距離航空9175便は徐々に高度と速度を落とし、眼下で滑走路が段々と大きく、そして北へと続いている。
「100(フィート、約30メートル)…102(ノット、時速160キロ)」
「100(ノット)…」
「98(ノット、約150キロ)…」
「スレッシュ ホールド」
 滑走路末端を通過した。32Lの文字上を駆け抜け、目の前に長さ3500メートルの滑走路32のアスファルトが続いている。コックピットの緊張感は最高潮に達していた。
 機長はスレッシュ・ホールドを高度約50フィート プラス エレベーション、適正なVスレッシュ・ホールドで通過し、正しく接地点に接地するよう操作をした。必要着陸路長は正しいグライド・パスを進入し、適正なスレッシュ・ホールド・スピードでスレッシュ・ホールドを50フィート プラス エレベーションで通過することを基準としている。スレッシュ・ホールド通過後、沈みに応じて徐々に飛行を起こし、グランド・エフェクトが現れる所から、静かにパワー・レバーをミニマムまでリデュースし、その間ノーズ・アップの姿勢で接地する。因みに、通常ノーズ・アップは約10度にすると、胴体リブ下面が地面に接触することがある。
「タワー (トーアドメス)634 ライト ブレイク」(大阪タワー管制へ。東亜国内航空634便です。右側に針路を取りました)管制官は日本近距離航空9175便のすぐ後に進入中の花巻初のTDA634便YS-11が呼びかけてきた。
「トーアドメス634 ラジャ …コンティニュー アプローチ…」(了解しました。進入続けて下さい)
「ラジャ コンティニュー アプローチ 634」(了解しました)
 日本近距離航空9175便は着陸地点に迫った。機長はスラストレバーをアイドル状態にし、コックピットは一瞬の間、静寂に包まれた。
「ゾーン」
 副操縦士が着地点を示す位置をコールしたと同時に、YS-11はメインギアを接地させる。「ドン」とメインギアが接地した音の後に、ノーズギアが静かに接地する。フラップとプロペラに強烈な風が当たり、YS-11は急激に減速した。
 日本近距離航空9175便は無事、雨が上がった大阪伊丹空港へ着陸した。時刻は17時25分である。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第8回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

大阪伊丹空港へアプローチ

 YS-11は現在、奈良県を飛行している。この先、大阪伊丹空港への進入口ヤマト・ポイント上空で高度を6000フィートにしなければならない。
「キンキョリ9175 ターン ライト ヘディング 310 メインテイン 6000」(日本近距離航空9175便へ。機首を310度に右旋回して、6000フィートに降下して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ ターン ライト ヘディング 310 メインテイン6000」(了解しました。機首を310度に右旋回して、6000フィートに降下して下さい)
「ライト クリア」と機長は、副操縦士に右方向に異常がないか確認を指示した。
「ライト サイド クリア」(右方向、異常なし)
 予定より早めに右旋回を始め、伊丹空港へ向かう。 続けて管制官は日本近距離航空のYS-11のすぐ後から下降している花巻発大阪伊丹空港行きのTDA634便YSに指示を出した。
「トーアドメス634 イクスペクト ライト ターン イン 5マイル」(東亜国内航空634便へ。5マイル先で右旋回を予定しています)
「634 ラジャ」(了解しました)
 今度は宮崎発大阪伊丹空港行きの全日空510便ボーイング767へ7000フィートまでの下降許可を出した。
 これで日本近距離航空9175便YSの後に東亜国内航空634便YS、そのあとに西から進入してきた全日空510便767がつづく。そして日本近距離航空9175便YSの前方下には、全日空296便鳥取発のYSが3500フィートで、その前をロメオ・キロを通過して最終進入に入ったシンガポール6便が伊丹に下降している。
「オールニッポン510 フライ ヘディング 080 ディセンド アンド メインテイン 7000」(全日空510便へ。機首を080度に旋回し、7000フィートまで降下して下さい)
 高度12000フィートを飛行している全日空のボーイング767へTDAのYSの後へ7000フィートまで下降して7000フィートで高度を維持する旨、指示が出る。
「510 ヘディング 080 ディセンド 7000 リービング 12000」(080度に旋回し7000フィートまで降下します。現在の高度は1万2000フィートです)
「このまま、(空港まで)真っ直ぐですね…」ランウエイ32へのアプローチはこのあと、生駒上空を3500フィートで通過してロメオ・キロで2500フィートにならなければならない。

▼大阪伊丹空港ILS RWY 32Lアプローチチャート
大阪ヤマト進入チャート

「ラジャー・キング(ロメオ・キロ)まで15マイルの内、2500(フィート)まで落とさないといけないからね」
「キンキョリ9175 ディセンド アンド メインテイン 5000」(日本近距離航空9175便へ。5000フィートまで降下して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ ディセンド トゥ 5000 リービング 6000」(了解しました。6000フィートを離れ5000フィートまで降下します)
「1000 ビフォア」副操縦士は飛行高度の1000フィート前のコールをした。現在高度4000フィートである。
 管制官は福岡発大阪行きの日本航空320便DC-10を呼んだ。
「オオサカ・アプローチ ジャパンエア320 メインテイン フライト レベル150」(大阪アプローチ管制へ。こちら日本航空320便です。1万5000フィートを飛行しています)
「ジャパンエア320 オオサカ・アプローチ レーダー コンタクト ディセンド アンド メインテイン7000 リデュース 250ノット」(日本航空320便へ。大阪アプローチ管制です。貴機をレーダー捕捉しています。7000フィートまで降下して、250ノットまで減速して下さい)
「ラジャ ディセンド 7000 リデュース 250 ジャパンエア320」(了解しました。7000フィートに降下し250ノットに減速します)
 管制官は日本航空DC-10を全日空767の後へつける様だ。そしてヤマト・ポイントの手前を飛行中のTDAのYSをロメオ・キロに向ける。
「トーアドメス634 ターン ライト ヘディング 200」(東亜国内航空634便へ。機種を方位200度へ右旋回して下さい)
「634 ライト ヘディング200」(200度へ右旋回します)
 次々と伊丹空港へ進入する航空機の交信が飛び交っている。
「ナンバー2、ILS入れときます?」ADF2無線機へILSの信号を入れるかどうかを副操縦士が尋ねた。
「まだ、いいです」まだ、ロメオ・キロまで達してはいない。ILSはその先の生駒VORにある。
「ヤマト(ポイント)、過ぎましたね」現在、大阪への進入、ヤマトポイント上空を通過した。
「オールニッポン296 4マイル フロム ロメオ(R)キロ(K) ターン ライト ヘディング290 ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア アプローチ コンタクト タワー 118.1」(全日空296便へ。RKから4マイル手前で機首を290度に右旋回して降下し、高度2500フィートを維持し、以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「ラジャ 290 2.5 クリア フォア アプローチ 296」(了解しました。290度に旋回し、2500フィートに降下、維持します)管制官は日本近距離航空9175便の 前を飛んでいる鳥取発の全日空296便鳥取発のYSを空港タワーコントロールに移管させた。
「オーケー、それじゃね、ナンバー2を…」
 機長は副操縦士にADFの周波数をILSに合わせる指示を出すと同時に、管制官から新たな交信が入った。
「キンキョリ9175 ディセンド アンド メインテイン 3500 フォア ザ ローカライザー」(日本近距離航空9175便へ。3500フィートに降下し、ローカライザーに乗って下さい)まさに最高のタイミングで管制指示が出た。
「9175 ディセンド 3500 リービング 5(000フィート)」(3500フィートに降下します。現在5000フィートです)
 副操縦士が中央ペデステルにあるADFを操作しているので、機長が替わりに交信を行なった。
「ILSをセットして、そちら(ナンバー1)をラジャー・キング…じゃなかった113.9入れといて…」
 113.9とは伊丹空港内に設置されているVOR/DMEの周波数である。
 雨雲が切れて奈良から大阪につながる市街地が灰色の中に浮かび上がる。
「トーアドメス634 ターン ライト ヘディング 230 メインテイン 5000」(東亜国内航空634便へ。機首を230度に右旋回して、5000フィートに降下して下さい)
「634 ライト ヘディング 230 メインテイン5000」(了解しました。230度に右旋回し5000フィートに降下します)
  管制官はTDAのYSを日本近距離航空9175便の後へ並ばせようとしている。次ぎにTDA634便の後にいる全日空510便宮崎発のボーイング767へ指示を出す。
「オールニッポン510 リデュース 210ノット」(全日空510便へ。210ノットに減速して下さい)速度が遅いTDA634便YSが前方にいるので、管制官が全日空510便進入速度の調整をした。
「510 ラジャ」(了解しました)
 機長は伊丹空港に進入する際の確認項目、アプローチ・チェックリストを副操縦士に指示する。
「はい、アプローチ・チェックリスト」
「ブースター ポンプ…ボース オン」
「フュエル ヒーター…」
「キャビン サイン…オン」
「アンチ スキッド…オン」
「ギア レバー…ニュートラル」
「プレスシャリゼーション…チェック」
「ハイドロ レバー…ノーマル」
「アプローチ チェックリスト コンプリーテッド」
 アプローチ・チェックリストは通常、3000フィート プラス エレベーション(空港の標高)に到達した時に実施する。
「はい、オーケー、非常にいい天気だね、レーダースタンバイしましょう」
 今までの豪雨が嘘のように去り、まだ所々に灰色の雲が残ってはいるものの、視界が鮮明になった。右手前方には大阪と奈良の境目である生駒の山並みが、東大阪市から八尾市にかけて、八尾空港を眼下に眺めながら、家々そして中小企業の工場が密集していて、遥か先の左手には高層ビルが乱立している梅田が霞んで見える。
 伊丹空港に着陸する他機の交信が、このエリアを飛び交っている。混雑空港である伊丹空港の進入は、シビアな高度と速度が求められるのでコックピットはもちろん、管制官との間に緊張感が漂っている。この空港は全国的に類を見ない、都市部と住宅街の上空を高度を下げながら着陸する空港である。騒音訴訟、それに伴ってジェット機枠や離陸高度の制限、空港運用時間の制限と縛り付けが多い空港であるが、利便性が良く、羽田に次いで全国各地との路線を持っている有数の空港である。
「あと10マイルで1000フィートね」現在高度4000フィートなので生駒山上空を3500フィートで通過するにはあと10マイルで1000フィート下降しなければならない。
「オールニッポン510 ターン レフト ヘディング060」(全日空510便へ。機首を060度に左旋回して下さい)
「510 レフト ターン 060」(060度に左旋回します)宮崎からの全日空B767が左旋回を始めた。
「ジャパンエア320 ディセンド アンド メインテイン 5000 ディパーテッド シノダ ヘディング 080 フォア レーダー ベクター」(日本航空320便へ。5000フィートに降下し、信太VOR/DMEに到達したら、機首を080度に旋回し、レーダー誘導を行います)
「ラジャ ジャパンエア320 ディセンド アンド メインテイン 5000 ディパーテッド シノダ ヘディング 080」(了解しました。5000フィートに降下し、信太VOR/DMEに到達したら、機首を080度に旋回します)
 西から進入してくる全日空510便767機の後に日本航空福岡発のDC-10機が続く。前方に再び薄い雨雲が広がり始めた。
「エンジン・アンティアイス 入れときましょうか?」
「いや、いいです」
「まだ、ラジャー・キングまで持っていくから」
 機長はエンジンの防氷装置を入れずに、そのまま進入することを伝えた。管制官は花巻発のTDAYS-11を日本近距離航空9175便の後へそろえラジャーキングに向かわせようとしている。
「トーアドメス634 ターン ライト ヘディング 270 ディセンド アンド メインテイン 3500」(東亜国内航空634便へ。機首を270度に右旋回して3500フィートまで降下して下さい)
「634 ライト ヘディング 270 ディセンド トゥ 3500」(270度に右旋回して3500フィートまで降下します)
「14マイル…」3500フィートで生駒のVORを通過した。ラジャー・キング(ロメオ・キロ)まであと14マイルである。そして、空港まで残り22km。着陸に向けて高度を下げ、眼下の建物が迫ってきた。
「キンキョリ9175 6マイル フロム ロメオ(R)キロ(K)ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア アプローチ コンタクト タワー118.1」(日本近距離航空9175便へ。RKから6マイル手前で2500フィートになるように降下し下さい。進入を許可します。以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア アプローチ コンタクト タワー」(了解しました。2500フィートに降下し進入して下さい。以後は、大阪タワー管制へ交信します)
 最終進入態勢を整えたYSは大阪タワー管制へ交信を始める。灰色に煙る地上の景色が降下と共に、段々と速く後に消えていく…。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第7回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

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大阪アプローチ

 まもなく大阪伊丹空港への進入が始まるが、ここまでのルートを整理してみると、午後3時56分に羽田空港の滑走路15Lから離陸し、東京ディパーチャー管制へハンドオフし、浦賀を7000フィートで通過後、機首を266度に右旋回し、横須賀VORを目指し上昇。その後、横田アプローチにハンドオフし、高度1万フィートに到達後、巡航に入った。静岡県の焼津、浜松に設置しているVORをほぼ定刻に通過し、愛知県の渥美半島の先端にある河和に設置しているVORを通過した。離陸してから雲の中を飛行し、雨が降りしきる中、順調に飛行を続ける日本近距離航空9175便は、現在伊勢湾上空を飛行している。
「ちょうど今、伊勢湾の上ですね」
 機長が大阪アプローチ管制へ交信を始めた。
「オオサカ・アプローチ キンキョリ9175 オーバー」(大阪アプローチ管制へ。こちら日本近距離航空9175便です)
「キンキョリ9175 オオサカ・アプローチ アイデント メインテイン 10000」(日本近距離航空9175便へ。大阪アプローチです。貴機を認識しています。10000フィートで飛行して下さい)
「メインティニング 10000」(10000フィートで飛行します)
「キンキョリ9175 レーダー コンタクト」(貴機をレーダーで捕捉しています)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました)
 大阪アプローチ管制との最初の交信を終えた。これから着陸まで大阪の管制官から細かな飛行指示が出されるはずだ。現在1万フィートで飛行している。
「(方位)276(度)に出ちゃいますけどね」
「しょうがないね」
 上空の風なのか、方位276度から少し外れる。
 コックピットには、千歳空港から伊丹空港へ戻ってきた全日空776便とアプローチ管制の交信が行き交う。
「オールニッポン 776 4マイル ロメオ(R)キロ(K) ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア ILSアプローチ ランウェイ32レフト コンタクト タワー 118.1」(全日空776便へ。RKから4マイル手前で2500フィートに降下し、滑走路32LにILSで進入して下さい。以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「776 ラジャ ディセンド 2500 クリア フォア ILSアプローチ」(了解しました。2500フィートに降下し、ILSで進入します)
「オオサカ・アプローチ トーアドメス634 9000 インフォメーション ビクター(V)オーバー」(大阪アプローチ管制へ。東亜国内航空634便です。現在9000フィートで飛行し、航空情報Vを受信しています)
「トーアドメス634 アイデント」(東亜国内空港634便へ。貴機を認識しています)
「(トーアドメス)634 アイデント」(了解しました)
「トーアドメス634 レーダー コンタクト ディセンド アンド メインテイン 8000」(東亜国内航空634便へ。貴機をレーダー捕捉しています。8000フィートまで降下して下さい)
「(トーアドメス)634 ディセンド アンド メインテイン 8000」(8000フィートに降下します)
 岩手・花巻空港から大阪へ向かう東亜国内航空のYS-11であった。
「(方位)276(度)にそろそろ持って行きますか?」
 機首を方位276度に合わせ、一路ウエイポイントであるYAMATを目指す。
「オールニッポン296 フライ ヘディング140 フォア レーダー ベクター」(全日空296便へ。機首を140度にし、レーダー捕捉します)
「ラジャ フライ ヘディング 140 (オールニッポン)296」(了解、機首を140度にします)
 間もなく、鳥取から大阪へ戻ってきた全日空296便との交信を傍受した。296便もYS-11である。
 寸刻の中でアプローチ管制と到着機が交信している。
「オールニッポン166 リデュース 180ノット」(全日空166便へ。180ノットに減速して下さい)
「ちょっとスピード落とそうか」
「そうですね、ちょっとしんどいですね」
 天候のせいもあるが、エンジンがフル回転のまま飛行して来た。もう間もなく、降下が始まる。シンガポール航空が西から大阪アプローチ管制へ交信した。
「シンガポール6 ディセンド メインテイン 5000 ディパーテッド シノダ ヘディング050 フォア レーダー ベクター」(シンガポール航空6便へ。5000フィートまで降下し、信太VOR/DME上空に到達したら機首を050度に旋回し、レーダー誘導を行います)
「ヘディング…コレクション 5000 ヘディング 250」(5000フィートに降下、機首を250度にします)
 突然、YS-11は雲を出た。周囲が幾分明るくなったが、依然として下はまだ、別の大きな雲海が続いている。
「シンガポール6 アフター シノダ ヘディング050」(シンガポール航空6便へ。信太VOR/DMEを通過後、機首を050度に向けて下さい)
「オーケー アフター シノダ 050 フライ ヘディング 5000 シンガポール6」(了解、信太VOR/DMEを通過後、機首を050度に向けて、5000フィートに降下します)
「おー、(雲から)出ましたね」
「ちょうど、(雲)の真上だから揺れるんだよ」
 雲が二層になっていて、上の雲を抜け出したが、下の雲のトップを霞めながら飛行するので、機は小刻みに揺れている。
「トーアドメス634 フライ ヘディング 140 フォア レーダー ベクター」(東亜国内航空634便へ。機首を140度に旋回し、レーダー誘導を行います)
「トーアドメス634 レフト ヘディング140」(機首を140度に左旋回します)
「トーアドメス634 ディセンド アンド メインテイン 7000」(7000フィートまで降下して下さい)
「トーアドメス634 コンティニュー トゥ 7000」(そのまま7000フィートまで降下します)
 管制官より伊丹空港への下降の交信が入った。
「キンキョリ9175 ディセンド アンド メインテイン 7000」(日本近距離航空9175便へ。7000フィートに降下して下さい)
「9175 メンテニング トゥ 7000 リービング トゥ 10000」(7000フィートに降下します。現在1万フィートです)
 YSは再び灰色の雲に包まれながら、地上の景色を探り出すかのように高度を下げて行く。
「オールニッポン296 ディセンド アンド メインテイン 3500」(全日空296便へ。3500フィートに降下して下さい)
「じゃあ、こっから(操縦を)代わろうか」
「はい、ユー ハブ」
「アイ ハブ」
「7000ですね」
 ウエイポイントであるYAMATの手前で操縦が代わった。これから副操縦士が交信を担当する。副操縦士は降下を始めたことを管制官へ報告を始めた。
「キンキョリ9175 ナウ リービング トゥ 7000」(日本近距離航空9175便です。現在7000フィートに向かって降下中です)
 伊丹空港への進入経路を説明すると、愛知県渥美半島にある河和VORを経由したYSは伊勢湾を横切り、紀伊半島上空に入る。そして、進入ポイントであるYAMATのウエイポイントを高度6000フィートで通過し、機首を321度に向ける。その方角が大阪・伊丹空港の滑走路32の方向になる。これを「ヤマト・アライバル」といい、東から飛んできた飛行機はこの進入経路によって伊丹空港へ着陸する。空港への進入はSTAR(スタンダード・ターミナル・アライバル・ルート)と各方角から飛んでくる飛行機によってその経路が異なる。

※大阪ヤマト進入チャート(クリックで拡大します)


大阪ヤマト進入チャート

「オールニッポン166 ターン レフト ヘディング 320 フォア ザ ローカライザー」(全日空166便へ。機首を320度に左旋回して、ローカライザーに乗って下さい)
「320 ローカライザー」と、端的に復唱した。
長崎から大阪へ向かっている全日空166便が計器着陸装置の軌道に乗る。
「それじゃあね、ナンバー1のADFをラジャー・キングにセットして」
 大阪・伊丹空港への最終進入地点である大阪NDBの周波数をセットするよう指示した。
機長は「ラジャー・キング」と言っているが、大阪NDBはRK(ロメオ・キロ)というポイント名である。独自の言い方なのか定かではないが、「ラジャー・キング」とも言えるのだろう。
「トーアドメス634 ディセンド アンド メインテイン 6000」(東亜国内航空634便へ。6000フィートに降下して下さい)
「634 コンティニュー ディセンド トゥ 6000」(そのまま6000フィートに降下します)
「キンキョリ9175 フライ ヘディング 270 フォア レーダー ベクター」(日本近距離航空9175便へ。機首を270度にして下さい。レーダー誘導を行います)
 副操縦士は端的明瞭に復唱した。伊丹空港は羽田、成田に次ぐ混雑空港なので、引っ切り無しに飛行機が飛び交っている。特に着陸機は飛行計器の確認などロードワークが煩雑なので、端的明瞭な交信をすることが大事である。
「オールニッポン166 4マイル ロメオ(R)キロ(K)ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア ILSアプローチ ランウエイ32レフト コンタクト タワー 118.1」(全日空166便へ。RKから4マイル手前で2500フィートに降下し、滑走路32LにILSで進入して下さい。以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「ラジャ 2.5 クリア フォア アプローチ」(了解。2500フィートに降下し、ILSで進入します)
 ここでも端的明瞭な交信が行なわれている。「2.5」とは2500フィートのことで、通常「ツー タウザンド ファイブ ハンドレッド」だが、「ツー ポイント ファイブ」と交信することもあり、簡略ながら管制官に伝えることが出来る。
 機長は伊丹空港32R末端の数10メートル手前に設置されている大阪VOR/DMEの電波周波数を合わせるよう副操縦士に指示をした。
「そっち(ナンバー2のADF)を大阪、入れといて…伊丹」
「シンガポール6  ディセンド アンド メインテイン 4000」(シンガポール航空6便へ。4000フィートに降下して下さい)
「シンガポール6 ディセンド アンド メインテイン 4000」(シンガポール航空6便へ。4000フィートに降下して下さい)
「113.9」
 副操縦士はADFのナンバー2に大阪VOR/DMEの周波数をセットし、機長は確認した。
「トーアドメス634 ディセンド アンド メインテイン 5000」(東亜国内航空634便へ。5000フィートに降下して下さい)
「634 ディセンド トゥ 5000」(5000フィートに降下します)
「アンド トーアドメス634 セイ スピード ナウ」(現在の速度を教えて下さい)
「(トードメス)634 ナウ 210(ノット)」(210ノットです)
「634 ラジャ リデュース 190ノット …ナンバー4 イン ファイナル」(190ノットに減速して…着陸は4番目です)
「ラジャ リデュース 190 ナンバー4」(了解しました。190ノットに減速します)
 機長は大阪・伊丹空港への降下の打合わせを始めた。
「プレスシャリゼーション セット」
「インフォメーション ベクター トゥ オオサカ」
「ランウエイ32 アルティメーター2987」
「ILSアプローチ ランウエイ32」
「ディション・ハイ(着陸を決定する最終高度)が261フィートですね」
 ここでYS-11の下降時のテクニカルを説明すると、まずパイロットは降下に伴い航法計器、ADF、VOR、ILS等を点検し、所要の周波数の設定を行なう。燃料系統については、フュエル・ブースター・ポンプを全てオンとする。フュエル・ヒーターはインディケーターOATが、20℃以下では2分間マニュアルとして予熱し、その後オフとする。但し、この操作は飛行中、インディケーターOATが摂氏5℃以上あった場合は行なわなくよいことになっている。フュエル・トリマーは目的地のデイ・トリムの2分の1にアプローチでセットする。ギア・レバーを中立位置とし、バイパス・レバーをノーマルとする。作動油圧はノーマル、すなはち規定内にあり且つ油量に変化がないことを確認する。尚、切り替えスイッチはノーマルに戻す。レディオ・アルティメーターの進入限界高度のインデックス及びカウンターを499フィートにあることを点検する。但し精密進入を行なう場合には、その時のディシオン・ハイ・アルチュードにセットする。
「シンガポール6 アプローチング …シノダ ヘディング 050…」(シンガポール航空6便です。…信太で機首を050度…)
「シンガポール6 ディス スタンバイ ディパーテッド ヘディング 040 ディセンド アンド メインテイン 4000」(シンガポール6便へ。通過後機首を040度に旋回し、4000フィートまで降下して下さい)
「ワン タウザンド ビフォア」副操縦士は8000フィートを通過したことをコールした。
降下の準備が整い、機長は副操縦士にディセンド・チェックリストを指示した。
「ディセンド チャックリスト」
「プレスシャリゼーション…セット」
「アルティメーター デシジョン・ハイ…セット アンド クロス チャック」
「ランディング・データ アンド ブリーフィング…チェック アンド レディオ」
「リクエスト 89」
「はい、89…90でもって行きますから」
「はい、了解しました」
「ディセンド・チャックリスト コンプリーテッド」
「はい」
「ミスト・アプローチ(進入復行)をやっておきますとね。アット デシジョン・ハイでメイク イミーディエート クライムで(方位)321(度)、そのままのヘディングですね。アンティル インターセプト125 フロム オスカー…イタミですね。ゼン コメンス レフト ターン…ソウ アス トゥ クロス イタミNDB アット オア 1200(フィート)。500 ビフォア…。コンティニュー クライム トゥ 3,500フィート オン200 フロム イタミ(NDB)。ゼン レフト ターン ウエスト シノダ。プロシード トゥ シノダですね。一応、それで行きます。」
 着陸のやり直しの場合、事前に設定していた着陸決定高度から速やかに上昇し、方位321度に飛行する。但し伊丹NDBから方位125度に飛行に際しての障害物がある。それから、左旋回を始めて、1200フィート以上で伊丹NDBを横切り、3500フィートまで上昇を続けて伊丹NDBから方位200度で飛行、それから左旋回して信太NDBに向かう
「トリマー、50」
「オオサカ・アプローチ オールニッポン510 インフォメーション ビクター オーバー」(大阪アプローチ管制へ。こちら全日空510便です。空港情報Vを受信しています)
「オールニッポン510 アイデン…レーダー コンタクト ディセンド アンド メインテイン 1200」(全日空510便へ。貴機をレーダーで捕捉しています。1200フィートまで降下して下さい)
「510 メインテイン 1200」(1200フィートまで降下します)
宮崎空港からのB767、全日空510便に降下の指示がおりた。
「シンガポール6 ディセンド アンド メインテイン 2500」(シンガポール6便へ。2500フィートまで降下して下さい)
「シンガポール6 2500」(2500フィートまで降下します)
「(オールニッポン)296 3.5」(全日空296便です。現在3500フィートです)
「296 エクスペクト イン 25マイル」(全日空296便へ。25マイルまで維持して下さい)
「ラジャ」(了解しました)
 アプローチ・チェックリスト、ミスト・アプローチの打ち合わせが終わると直ぐに、降下の指示がきた。
「キンキョリ9175 ディセンド アンド メインテイン 6000」(日本近距離航空9175便へ。6000フィートまで降下して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ ディセンド トゥ 6000」(了解しました。6000フィートまで降下します)
 雨は止み、土を掘り起こすが如く雲を掻き分け、YSは6000フィートに向かって徐々に高度を下げて行く。YAMATポイントまであともう少しである。このポイントで機首を310度に右旋回をして、ほぼ伊丹空港滑走路32の延長線上を飛行する。伊丹空港に進入する機体の交信が引っ切り無しに飛び交う。
「オールニッポン510 リデュース 250」(全日空510便へ。250ノットに減速して下さい)
「510 ラジャ」(了解しました)
「あと30マイルですね、大阪まで」
「はい」
 大阪VOR/DMEまで30マイルを切った。
「ヤマト・ポイントは、あと10マイル」
まもなく右旋回が始まる。
「シンガポール6 ターン レフト ヘディング 350 ディセンド アンド メインテイン 2500 5マイル ロミオ(R)キロ(K) クリア フォア ILSアプローチ 32レフト コンタクト タワー118.1」(シンガポール6便へ。機首を350度で左旋回し、RKから5マイル手前で2500フィートに降下し、滑走路32LにILSで進入して下さい。以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「オールニッポン296 ターン ライト ヘディング230 メインテイン 3500」(全日空296便へ。機首を230度に右旋回をして下さい。高度は3500フィートです)
「ラジャ 230 メインテイン3.5 オールニッポン296」(了解しました。3500フィートで飛行します)
「6000」今、6000フィートに達した。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第6回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

 現在、浜松上空。
「(方位)272(度)」YS-11はわずかに右旋回して河和に向かった。機長が浜松上空通過のレポートを管制官に伝える。
「トーキョー・コントロール キンキョリ9175 チェック ハママツ 10000 コウワ…」(東京コントロールへ。日本近距離航空9175便です。浜松を通過しました。高度1万フィートです)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました)
「まだ入ってますね、カンパニー(無線)が」VHF無線の3チャンネルに入れておいた羽田空港の近距離航空運航部とのカンパニー無線が浜松を過ぎてもまだ聞こえている。
「これから河和に向かいます。河和まで29マイルですね。ちょっと予定より1,2分遅れていますね」と副操縦士が確認して窓から外を見る。
「ずっと、今日は雲の中ですね」言わずもがなであるが、こんな梅雨前線の中を操縦していささか、疲れを感じていた。そして大阪への進入方式を確認した。河和からは大阪への進入航路になるので機長と交代できるかもしれない。それにしても、疲れた、と思った。
「河和からヤマト・アライバルですね」
「(方位)249度」
「じゃあ、河和まで(操縦を)やって下さいね。河和から交代しますからね」
 大阪・伊丹空港に進入を始める辺りで操縦桿を引き継ぐことを副操縦士に伝えた。まもなく操縦から解放されることにホットして副操縦士は愚痴を言う。
「オーパイ(オート・パイロット)が付いてないと、こういう時大変ですね」
「そうね」
「三宅(島)・大島ぐらいだったら良いですけど…」
「オーパイ ついてないのですか?」、の問いに機長は、
「ついてないです、ここについてないと駄目なんですけどね」
「この飛行機だけなんですよ、他のは全部ついてるんですけどね」
 このYSにはオート・パイロットが装備されていない。雲の中を、雨が降りしきる中をマニュアル(手動)で飛行している。雲に入ると飛行機は上下左右に揺れる。それを如何にして揺れを抑制出来るかが、マニュアル操縦するパイロットの腕の見せ所である。しかし疲れる。
 空を飛んでいる時に相手にするのは、気まぐれな風と天候である。オート・パイロットが装備されていない機体であれば、パイロットは急変する天候と風による機体の飛行状況を体で感じる。つまり計器にそれらの動きが出て来てから動作をすれば遅いのである。そんな状況の中、飛行姿勢を維持しなければならないのは並大抵なことではない。操縦桿を握る両手、ラダーを踏み込む両足、状況を目視する両目、それらを判断する脳と、全神経をそれらに集中させなければならない。そういう意味ではオートパイロットが装備されていないYSは、パイロットの技量を磨ける飛行機であり、人間的な飛行機であろう。
「そうね。YAMATまで(操縦を)やってもらおうかな」機長は伊丹空港に下降する最初の地点YAMAT・POINTまで副操縦士に操縦桿を握ることを伝えた。離陸、上昇、そして下降、着陸は機長が操縦桿を握るということだ。
「はい」と答えながら、副操縦士はこりをほぐすように肩を上下させ、首を大きく回した。まだまだつづく泥濘ぞ、である。現在、渥美半島上空。相変わらず雨の中を飛行して下界はみえない。
「だんだん、(天気が)悪くなって来ましたね」 レーダーを見ながら副操縦士が言った。
「まぁ、それ程でもないから…まだ、明るいからね」 機長はレーダーの中の緑色の雲を指さして答える。
「雨がひどいですね」レーダースクリーンに映る雨の影を見て副操縦士がため息をついた。こんな時、手動での巡航が大変なんですよ、と心の中で愚痴っているようにも見えた。
「雨なんです、今レーダー上に出てるのが雨なんです」
「雨が、ずーっと続いていきますからね」機長がレーダーの距離範囲を伸ばしてニャニャ笑う。コーパイは苦労してなんぼなんだよ、と言わんばかりだ。それにしても見渡すばかり雲、雲だ。
 突然、厚い雨雲につっこんで窓の外が少し暗くなった。
「(コックピット内が)少し寒くないかね…ちょっと(温度を)上げてくれる」
 YSは頑丈に製作された為、機体重量が重く、その割に馬力がそれ程ない、夏のコックピットは暑い、冬は股引を履かなければならない程の寒さ、雨が降れば機内に入り込んで、電気系統が濡れて誤作動を起こしたり、部品を錆び付かせるなど、色々と酷評に晒された。然し、この「じゃじゃ馬」を誰も見放さなかった。初の国産旅客機なだけに、立派に育てようと航空関係者だけではなく多くの人々が一生懸命になり、その愛着は桁外れであった。 その結果、30年の長期に亘って日本を始め世界中を飛び回った。YSは他機にはない”親しみ”と、それ以上に”味”があった。
 名古屋空港から離発着する他の日本近距離航空のカンパニー無線と上空を飛行している全日空300便が東京コントロールと交信している。
「ワイパーは全然、必要ないですね」フロントガラスに雨が滝のように流れて全く視界がきかない。なぜ、こんなときワイパーを使わないのかという質問に機長が答える。
「これで、スピードで飛んでると一緒なんですよ」
「スピードが遅くなってから、使いますけどね」
 大粒の雨が叩きつける中、YSは順調に飛行を続けている。
視界が全くない上に、雨が降っている中で、且つオートパイロットが装備されていないYSは、地上から発せられるVORの電波を頼りに確実に飛行ルート上を飛んでいる。YSに限らず旅客機には車と同様、正面の窓にワイパーが装備されているが、地上走行や離着陸時以外に使うことはない。上昇中や巡航中は、もの凄い速度で飛んでいるので、雨が窓に当たっても後方に吹き飛んでしまう。
 雨が当たる音とプロペラ音で他機との交信が聞き取り難い。
「トーキョー・コントロール ジャパンエア120 グッドアフタヌーン クライミング トゥ190 フォア リービング ワン ツー タウザンド オーバー」(東京コントロール管制へ。こちらは日本航空120便です。1万9000フィートに向けて、現在1万2000フィートを通過中です)
「ジャパンエア120 トーキョー・コントロール スクォーク アイデン」(日本航空120便。了解しました。貴機を認識しています)
この近距離航空9175便と同じように羽田を16:00に出発し、伊丹へ向かう日本航空120便、B747SRの交信が入ってきた。
「ずっと大阪まで雨じゃないですか」 うんざりしながら、副操縦士が、又、首のこりをほぐすように首を左右にまわした。
「ずっと雨ですね」 機長は又、笑ってとぼける。そしてウエザーレーダーの説明を始めた。
「これが現在30マイルなんです。」
「これが10マイルずつ、これやると80マイル…これが180マイル」
「雨やエコーの解析は30マイルなんです。ここの中が真っ黒になるんですね」
 レーダー・アンテナは機首部分レドームの中に取り付けられており、上下15度の範囲で作動する。画面は中央ペデステルのレバー関係の前に設置している。ウエザー・レーダーはスイッチを入れれば作動する訳ではなく、中央ペデステル後方の機長側にレーダー関連のスイッチが配置されていて、左のツマミをスタンバイ位置にして、ウォームアップを行なう。レーダーは3段階に切り替えられ、最大180マイル先の雲の状態を捉えることが出来るが、密度の薄い雲は反応しない。
「ジャパンエア120 レーダー コンタクト 30マイル ウエスト…」(日本航空120便へ。レーダーで捕捉しています。西30マイル先…)
「ジャパンエア120 ラジャ リクエスト クライム トゥ 230」(了解しました。2万3000フィートへの上昇を要求します)
「ジャパンエア120 ラジャ クライム アンド メインテイン フライト レベル 230」(日本航空120便へ。了解しました。2万3000フィートまでの上昇を許可します)
「120 ラジャ サンキュー コンティニュー クライム 230」(ありがとうございます。2万3000フィートまで上昇します)
「オールニッポン776 ディセンド アンド メインテイン 150…」(全日空776便へ。1万5000フィートまで下降して下さい…)
「オールニッポン776 ディセンド 150…」
「オールニッポン776 アファーマティブ」(その通りです)
 雨が叩きつけ、小刻みに揺れることでコックピット内は雨の激しい音で交信が聴き取り難い。窓の外は飛沫が上がってまるで潜水艦のようである。
「すごい雨ですね…アイシングがまだないですね。今ちょうど、プラス2℃ぐらいですから」
 雨が降れば気温が下がるのでエンジンが凍りつく可能性がある。これだけの豪雨の中を飛行しているが、高度が低いのが幸いして外気温はまだ摂氏2℃なので、そこまでには至っていないようだ。
「あと、河和まで7マイルですね、河和から(方位)256度、アウトバウンド。それから信太(シノダ)の(方位)276度にインターセプトです」
「はい」信太は大阪の和泉市の信太山にある航空標識である。
 ウエイポイントの河和まで、もう少しである。そこから伊丹空港に向かうルートの概略とフライトプランを副操縦士は再度確認した。
「クリアランスリミットはヤマト・ポイントです」 羽田を離陸する際に管制に貰った飛行終点は大阪に進入を始めるヤマトまでである。その先伊丹までは再度、大阪のアプローチ管制からクリアランスを貰わなければならないのだ。
 雨が激しくなった。「福岡も大雨が凄いらしいですね」と機長の家がある福岡の話を始めた。無線からは名古屋から長崎へ向かう全日空機の交信が聞こえている。
「オールニッポン372 レーダー サービス ターミネイテッド スクォーク 0200…」(全日空372便へ。レーダー補足の限界です。貴機の認識番号は0200です…)
「ラジャ オールニッポン372」(了解しました)
 今、河和上空を通過した。
「(方位)256(度)」
 河和を通過したので機首を256度に左旋回し、紀伊半島の大台ヶ原上空から大阪・伊丹空港への進入経路であるヤマト・ポイントに向かう。
「キンキョリ9175 パッシング コウワ 10000 オーバー」(日本近距離航空9175便です。河和を通過しました。1万フィートです)
「キンキョリ9175 ラジャ」と、管制官は応答し、YSは一路ヤマト・ポイントに向かう。
「えーと…53分、いいとこだね」
「40ノットぐらい、吹いてるんじゃないですかね、ジャスト・オン・タイムですね」
 凡そ河和を予定時刻に通過し、伊勢湾上空に差し掛かった。現在高度は1万フィート。
「オールニッポン776 レーダー サービス ターミネイテッド コンタクト オオサカ アプローチ」(全日空776便へ。レーダー捕捉の限界です。以後は大阪アプローチに交信して下さい)
大阪から千歳へ向かうB747SRである。
「776 ラジャ スイッチング」
 管制エリアが変わる度に、「コンタクト〜」と言う場合と、「スイッチ トゥ」または「スイッチング」と表現する場合がある。交信内容は同じだが、パイロット毎に表現が変わるのは面白い。
「256」と方位を副操縦士が確認し、「256度だから」と機長も確認する。副操縦士は「ライトサイド・クリアー」と右の窓から外を確認し灰色一色で何も見えない雲の中をゆっくりと左旋回を始めた。
しばらくするとレーダー・スクリーンの緑色の雲影に小さな空間が見え始めた。
「穴が開いてるんですかね…そうじゃないですかね」
「ここがちょっと、空いてるとこなんだ」 機長が雲影を指さす。そこだけが緑色が幾分薄くなってきている。
「あ、そうですか…あんまり良くないですね」
「もう、まもなく空くと思うよ」 まもなく雲から出ると長年の勘で機長が予測した。そして、もう、雲はうんざりだ、というような顔をしている副操縦士に笑いかけた。
2に切り替えて、(信太VOR/DMEの)276度、チェックして」
「はい」浜松に入っていたADF2を信太に切り替える。大阪の信太にあるVOR/DMEは、大阪・伊丹空港に進入する経路(ヤマト・アライバル)のウエイポイントであるYAMATの延長線上にある地上誘導施設である。
「福岡の空港もすぐに水が出たんじゃないですか」
「空港そのものが排水が悪いからね。あそこに水が溜まるんですよね。もう洪水だったよ。」
「バスなんか使えなかったんじゃないですか」
「バス、使うしかないんだよね。お客さん、歩いて行く訳にいかんしね」
 以前として雨が機体を叩きつけ、プロペラ音と重なって、パイロットの声も自然と大きくなる。
「トリマー、ちょっと絞りますか」
「もうこれ以上、絞れない」
 今、黒い雨雲を抜けた。
「大阪のATIS、入りますかね」
「まもなく、入るでしょ」
「入れてみますか、ATISは128.6(メガヘルツ)です。」
 大阪・伊丹空港の現況を聞く為、機長は周波数を合わせた。ATISとはAutomatic Terminal Information Serviceの頭文字を取ったもので、空港近辺の気象や滑走路の使用状況を知らせる自動放送である。気象は刻一刻と変わり、それによって使用滑走路が変わる場合があるので、その度に新しいATISが放送される。放送の最後にアルファベットが付される。着陸する飛行機はどのATISを聞いたかを管制官に報告をしなければならない。
「ディス イズ オオサカ・インターナショナル・エアポート インフォメーション ビクター オオサカ 0800 130 トゥ 230 ディグリーズ 7ノット ビジビリティー 10 キロメーター 1…1500フィート 3…5000フィート 5…8000フィート テンプラチャー24 デューポイント21 QNH2987インチズ ユージング ランウエイ 32 ILS アプローチ インフォ オオサカ・アプローチ オア オオサカ・グランド イニシャル コンタクト ザッツ ユー ハブ レシーブド インフォメーション ビクター」
(大阪国際空港情報V、国際標準時 0800時現在です。風の方位は130度から230度の範囲で7ノット、視程は10キロメートル、1500・5000・8000フィートに雲があります。気温は24度、露点は21度、気圧は29.87インチ、使用滑走路は32のILSアプローチ、大阪進入管制または大阪地上管制へ空港情報Vを受信したことを通報して下さい)
「いい天気だね」機長は空港の状況に安堵したのか、少し笑顔を見せた。
「2987」気圧を復唱しセットした。
 管制官は飛行ルートや空港など、その地点の気圧を飛行機に伝える。気圧は飛行する上で非常に重要で、その気圧値によって高度計が示す高度の変調を修正するのに必要な大事な値である。管制官が間違って伝えたり、パイロットが聴き間違いをすればニアミスなどの惨事を招くこともある。もちろん他の事柄にも注意を払うが、気圧に関しては非常に神経を尖らせる。
「今日みたいに、本当にこんな風に飛んでると 腕が疲れちゃいますね」 副操縦士が右手を操縦桿からはなして手首を揺らして疲れを取る。
「そうだね」と機長、少しは同情気味に微笑んで副操縦士を見た。
 先程も触れたが、このYSにはオートパイロットが装備されていない。体で外の状況を瞬時に判断し操縦桿を操作するので、集中力が途絶えることがない。然しパイロットも人間なので疲れも出てくる。そんな中パイロットの2人は余裕とも言えるような笑顔である。
「このシートの改修は、まだやらないんですかね」
「やらないそうです」
「慣れちゃうと、そんな気にもなんないんですけどね、私なんてこればっかりずーっと乗ってますから」
「私は、これ好きなんだよ」
「私も好きなんですよ」
長年に亘って飛行しているとパイロット・シートも劣化してくる。そんなシートに長時間座っていると疲れて来るものだが、パイロットはこのYSのパイロット・シートに愛着を感じているみたいである。
「オールニッポン300 コンタクト トーキョー・コントロール 118.3」(全日空300便へ。以後は東京コントロール118.3メガヘルツに交信して下さい)
「ラジャ 119.3 グッディ」(了解しました。さよなら)
鳥取から羽田へ向かうYS-11が、9175便とすれ違うように東京コントロールへと抜けていった。
 エンジン音が雲を震わせ、プロペラが切れ間を見せない雲を掻き分け、そして雨を振り払うロールスロイス製ダートエンジンが、勢いよく回っている。現在、伊勢湾上空に入った。
「しばらく(雨雲から)出ますね。3分間ぐらい」
 レーダー上に映っていた雨雲の隙間が段々、近付いて来た。
「キンキョリ9175 コンタクト オオサカ・アプローチ 124.7」(日本近距離航空9175便へ。以後は大阪アプローチ124.7メガヘルツに交信して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ コンタクト オオサカ・アプローチ 124.7 サンキュ」機長は復唱し、大阪アプローチ124.7メガヘルツに合わせた。
いよいよ伊丹空港へのアプローチが始まる。依然として雲の中を飛行し、雨は降り続いている。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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最後の飛行

「最後の飛行」は、
6月6日に初回、6月9日に第2回の予定です。

これまで、航空ドキュメンタリーに興味がなかった、あるいは乗り遅れちゃった、という方。
それから飛行機には興味を持っているけれど、これからは少しずつ知識も増やしていきたいという方。

そんな方々にお勧めです。
なぜなら、今回の「最後の飛行」はこれまでとはちょっと違う。
音声も、読み進めながら少しずつ聞いていけるよう、工夫しています。

DC-10の引退が迫る、ハーレクインエア。
さらには、自身の引退飛行となる三宅機長。
このふたつの「引退」というキーワードが織りなす物語、ここで航空サウンド聞かなかったら、どこでデビューするのか、という内容に仕上がると思います。
どうぞご期待ください。

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