タグ ‘ 航空史

航空科学博物館へ行こう!(3)東棟・企画展示、屋外展示場、アクセス

成田航空科学博物館

こんにちわ!
竜子です。

今日お届けするのはやっとこさ最後の3回目を迎える、航空ファンにお勧めしたいスポット、成田空港近くにある航空科学博物館(3)です。入り口から西棟、中央棟から寄り道して展望室へと案内してまいりましたが、今回は東棟です。

1回目:航空科学博物館・西棟
2回目:中央棟と飛行機撮影スポット
3回目:東棟・企画展示、屋外展示場、アクセス(この回)

では、行ってみましょう。2F中央棟を抜けていざ東棟。上の写真は東棟を入ってすぐの室内です。上の方でくるくる旋回しながらなにかが飾られていますね。
これをよ〜く見てみると、こんな感じ。

青秀祐「TRIAL」成田航空科学博物館

おおお! 紙飛行機じゃあ〜りませんか!
これは、現代アートの若手作家・青秀祐(あお・しゅうすけ)氏の「TRIAL」という企画展の作品です。

青秀祐「TRIAL」成田航空科学博物館

折り紙飛行機の展開図をモチーフにした作品の数々で活動されているようです。
機械チックでポップ、といっては変な表現ですが、構造計算なんかは別として、今はCADかなんかでスサーッっと設計図がひけてしまうわけですが、昔は飛行機の設計図でさえカラス口などで書かれていたわけで、メカニカルなのにアナログ、オートマチックなのにマニュアル…。そんな反転した世界が背中合わせの雰囲気がとても面白いですよね。

青秀祐「TRIAL」成田航空科学博物館

「へそ型飛行機」というのだそうで。
折り方が紹介されています。

青秀祐「TRIAL」成田航空科学博物館

着色すると、ポップになるんですよね。
色合いもキュート。とかいったら、作家さんに失礼なのかな。楽しい配色です(^^;

青秀祐「TRIAL」成田航空科学博物館

大きな作品。ホントはこういうアートを空港で見たいよ!
空港にあるカジュアルなアートって、良いと思いませんか?

青秀祐「TRIAL」成田航空科学博物館

先ほどの企画展は見入っちゃいましたが、そろそろ足も疲れて来たので、休憩したいところ。
な〜んて思ってたら、カラオケボックス(それも昔あったような本当のコンテナボックスみたいなの)のようなボックスを発見。こちらの東棟は企画展示とNAA(成田国際空港)の展示室になっているのです。
ではでは、入ってみますね。

成田航空科学博物館

なんと、ここは騒音体験室ならぬ…「音の体験ルーム」。響きのいい言葉ですが、実際はホントに騒音体験室であります。ちょっと薄暗い室内(昔のカラオケボックス…)のかたい腰掛け(カラオケボックス風)に座って、正面の液晶画面から、騒音を体験したい機材をセレクトします。当然、最初はB747-400から選んでみました。そうすると、○○km地点での騒音、○○地点での騒音、などと聞き比べが出来ちゃうのです。けっこう機材も揃っているので、エンジン音の聞き比べの習得にもってこいです。

成田航空科学博物館

右側に備え付けられているメーターは、騒音計。
流れてくる音が、何デシベルなのかを教えてくれます。よく「デシベル」って聞くけど、それがどの程度の音量なのかよくわからなかったので、新鮮。メモリは130デシベルまであって、けっこう上の方まで触れていました。B777だけちょっと音量が少なかった…。

成田航空科学博物館

他にも、APUに電源を送ってみる体験コーナーなどもありましたが、日も暮れて来たので早々と引き上げることに。正午には入ったものの、この時点で4時間は経っていました。
2Fから1Fへ降りると、DC-8のシミュレーターが。これ、ホントは各回整理券制なのですが、欠員さえ出ればギリでも入れそうでした。でも、それでも1人分しか空きがなかったようですが…。
運が許せば、ぜひ体験してみてくださいね〜。私は入りませんでした。

成田航空科学博物館

1Fの東棟一番奥が図書室になっています。
蔵書数は新橋の航空図書館の方が断然ありそうでしたが、入りやすさ、読みやすさ、居心地の良さはこちらの方が遥かに良さそうです。どこも一長一短あるものですね。

成田航空科学博物館の図書室

航空科学博物館は、コインで遊ぶゲームも多かったな。
シミュレーターゲームに、

成田航空科学博物館

わくわくランドのような乗り物に、

成田航空科学博物館

UFOキャッチャー。

成田航空科学博物館
成田航空科学博物館

それから、今ではよほどのさびれた観光地でしか見ることの出来ない、メダル製造機まで!!

成田航空科学博物館

お土産ものは、ちょっとイマイチかな…。これといって目を引くものがなかった。
空港で売っているものばかりかな。たとえばJALの「うどんですかい」とか。
あ、でも下敷きは買っちゃいました(成田空港のほうの分室ミュージアムショップでですけど)。成田空港に乗り入れている航空会社のロゴが入っています。

成田航空科学博物館

あとは、定番の宇宙食とか。
あるいは千葉県の名産品になってしまったぬれせんべいに、落花生のお菓子。

成田航空科学博物館

誰が買うんだろ…。「WONDERFUL SKY」

成田航空科学博物館

あとは、組み立て飛行機とか。

成田航空科学博物館

親子セットでどうぞ! とか??
どちらもデルタとユナイテッドノースウェスト。

成田航空科学博物館

特に買うものなし。
よし! 屋外展示へ行くぞ!
航空灯台発見!! 左のは昭和34年製で南極観測船「宗谷」のヘリポートのもの!
右は戦前のもの!

成田航空科学博物館

左から、滑走路の中心線と進入方向を示す進入灯(旧型)、中央が現行の赤色進入灯、右端、左の白いのが滑走路をふちどる滑走路灯、赤いのが滑走路両端の舗装面の終わりを記す過走帯灯。

成田航空科学博物館

あの、出発進入機の位置(空港から110km以内の空域)を特定しちゃう、空港監視レーダー(ASR/SSR)アンテナ

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

乙型航空路灯台

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

YS-11も展示されていて、中に入れます! JA8611、試作1号機だそうです!
ところで、この公園のように広々とした空間の屋外展示は、一応「展示」なので入館者だけが楽しめるものとなっていますので、ご注意くださいね(つまり、入館料払わずに、ここだけ遊びに来るなよ! ってこと…。あちらこちらに、そう書いてあった。多いのでしょうね…。よく使う人は3,000円で年間会員があります)。

成田航空科学博物館

コックピットには座れませんが、間近に見ることができます。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

これ、なんだろう…。電話の受話器とおもりかな。某氏の小説に登場した、YS-11のおもりってこれのことなのかな?! ちょっと何かはよくわからないけれども、当時の試作機のママ残されている感じがなんともいえないです。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

ガランとしたキャビンは広いと思いきや、体感では狭く感じます。
こんなだったっけかなぁ…。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

表ではひっきりなしにRWY34Lを目指す着陸機がやってきます。撮影が悪いせいだと思いますが、ここからの飛行機は格別で、かなりスレスレに感じるんですよ。
ちょうど、YS-11の鼻先がRWY34Lに向いています。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

早朝なら良い陽があたるのかもなぁ〜!

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

三菱重工MU-2

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

富士重工FA-300(試作機)

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

エアロスパシアルSA330 ピューマヘリ
元・東京消防庁「ゆりかもめ号」です。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

三菱重工でライセンス生産した、元海上保安庁のシルコスキーS62ヘリ。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

きゃー。なにこれ〜?!

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

カモフKa26Dだって! 1970年代のソ連時代にカモフ社で製造されたヘリコプターとのこと。日本に入ってきた3機のうちの1機。面白い形だけど、この丸っこさがなんとなくソユーズっぽいっちゃぁ、ぽいなぁ。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

セスナ411、元中日新聞社の「おおたか号」

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

「ビジネスジェット」というジャンルを確立したリアジェット25B(N67HB)!
最終フライトは成田空港までだったそう。ってことは乗ろうと思えば乗れる?!

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

航空大学校で使われたビーチ33ボナンザ。
ひたすら練習生の訓練で活躍したとか。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

セスナ172スカイホーク。元大洋航空所有で操縦訓練、や航空撮影などに使われていました。
でもって、これはですね。コインを入れると、プロペラが回るんだって!! おもしろそう!
100円です。

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

小ちゃなお子さまも!

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

最後はだいぶ駆け足になっちゃいましたが、成田空港近くといっても、歩いては行けません! アクセスは車、もしくは路線バス/高速バスになります。ま、車の方はともかく住所をナビればOKだと思いますので、このアクセスについてちょっとご紹介しましょう。

これが車のマップです。

航空科学博物館への地図

入り口はこの赤い2機を目印に!

YS-11 成田航空科学博物館の屋外展示

成田空港からは、
バスルートその(1)▶路線バスで
・第1ターミナル30番バス乗り場
・第2ターミナル3F2番バス乗り場
から、「AMB南三里塚行き」に乗っておよそ15分で航空科学博物館バス停に到着するので、そこで下車してください。これが、2時間に1本。

バスルートその(2)▶空港シャトルバスで
・第2ターミナル13番バス乗り場
から、「横芝屋形海岸行き」に乗って「航空科学博物館」で下車。1日に3本、それも10:00〜14:40までの間となっています。

バスルートその(3)▶空港シャトルバスで
本数がないのだったら、いっそのこと東京駅からバスで行く、というのもひとつじゃないですかね。
ただ一番早い便で、東京発12:00、到着が13:30頃になってしまうので、見学時間がやや短いかな? とも思います。私の場合は博物館に正午頃入館し、閉館間際までおりました。写真を撮りながら展望室でぼんやりしつつ…、だったからかもしれませんが、最後はちょっと駆け足だったように思います。

詳細は航空科学博物館のホームページにありますので、そちらをご覧ください。
航空科学博物館/バスの時刻表へ
2011年2月現在の情報ですので、下記で更新情報を確認してくださいね。
航空科学博物館ホームページへ

みなさまこの3日間、長らくのおつきあいどうもありがとうございました!
以上!

YS-11 成田航空科学博物館
にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

航空科学博物館へ行こう!(2)中央棟と展望室

成田航空科学博物館

こんにちわ!
竜子です。

今日お届けするのは前回に引き続き、航空ファンにお勧めしたいスポット、成田空港近くにある航空科学博物館です。先日は入り口から西棟の紹介でしたが、今日は飛行機撮影スポットの中央棟です。
外観は管制塔のようでもあります!

1回目:航空科学博物館・西棟
2回目:中央棟と飛行機撮影スポット(この回)
3回目:東棟・企画展示、屋外展示場、アクセス

では、行ってみましょう。中央棟。上の写真は中央棟の上にある展望室です。よく見ると、2層になっていますが、下の部分が4Fの展望喫茶室「バルーン」で上が5F展望室です。

この下はどうなっているのかというと…。
日本における最初の動力飛行を成し遂げた、徳川好敏氏の乗ったアンリファルマン機の実物模型が展示されています。ちょうど入館口が吹き抜けになっていて、この写真は、その吹き抜けの2階から見たもの。西棟から順路通りに見てゆくと、この中央棟の2階を通るということになります。

成田航空科学博物館

初飛行は諸説ありますが、1910年12月19日に代々木練兵場(現代々木公園)で徳川好敏氏がアンリファルマン機で、日野熊蔵氏がハンスグラーデ機で共に成功しました。この中央棟にはその初飛行からわが国における飛行の歴史を、模型飛行機や当時の新聞記事でふりかえる展示がされています。
写真にあるのは徳川好敏氏の操縦士免許。Wikipediaなんかだと、1910年8月5日に免許が交付されたとありますが、この免許は「8 Novembre 1910 No.289」となっていますね。1910年11月8日付けという意味なのかな? 289番は発行番号だとは思いますが、もしかするとアンリファルマンの免許ではないのかも?! おまけに「24 Juillet 1883」と見えなくもない。徳川好敏氏の生年月日かとは思いますが、1984年7月24日生まれ…じゃないのかな? ま、当時のことだから西暦に不慣れだったのかもしれませんね。謎だけど、興味深い。

徳川好敏氏操縦士免許

この肖像画は、わが心のキティホークでおなじみの、木村秀政先生。この航空科学博物館は成田空港の設立に伴い、日本にも航空科学を扱う博物館が欲しいと構想していた木村秀政氏らの推薦によって実現しました。ちなみに設立発起人の代表者はかの笹川良一氏、そして初代理事長が木村秀政氏となっています。

木村秀政肖像画

展示されている模型は木村秀政氏の選定した「日本の名機」たちです。

日本の名機「愛国」

展示物に関連した新聞記事は木村秀政氏が連載していた「私の航空博物誌」の切り抜きです。
ちなみに、この「ライトフライヤー号」に置かれた記事には、こんなことが書いてありました。
「神楽坂のパン屋の主人、木村泰造さんからプレゼントしてもらったプラスチックのライトフライヤー号で…云々(略)」こうした思い入れが綴られた記事を読みながらの方が、音声ガイダンスなんかよりも面白いのです(ちなみに、ここ・航空科学博物館には音声ガイダンスはありません! 鑑賞ではなく、遊ぶ博物館なので)。

ライトフライヤー号

さて。順路通りに動くと、この中央棟から東棟へと行くのですが、ちょっと気分転換に上に登ってみましょう。階段を上ってすぐの眺めはこんな感じです。眼下には公園が広がっていて、手前側の円形は西棟の屋上で、天気がよければそこで飛行機を眺めることが出来ます。

成田航空科学博物館

そして、ここが最上階にある展望室。まるで管制室のようですよねっ!

成田航空科学博物館

ほらっ!!! まるで管制室!!!

成田航空科学博物館

さてこの展望室ですが、こうして撮影している方も多くて、滑走路方向は椅子が埋まっています。
レシーバーを持ち込んで、みんなが聞こえるように共有されている方もいて、航空ファンのちょっとした憩いどころにもなっているようです。

成田航空科学博物館

この場所からの眺めは滑走路の俯瞰! 右側は駐機スポット。
もっとちゃんと撮影できる人だったら、いい写真が撮れるんじゃないですかね。ぜひいてみてください。

成田航空科学博物館

さらに右側は格納庫か、整備場か…。

成田航空科学博物館

手持ちのカメラで出来る限りのズーム。さらに切り抜きして拡大してみましたが。あぁ…、ほんと申し訳ない。

成田航空科学博物館

手前側は工事をしていました。何の工事でしょうかね。
こういう工事現場って、それだけでワクワクします! 飛行機たちとなにかの掛け合いをしているようにも見えます。

成田航空科学博物館
成田航空科学博物館

もちろんすぐ向かいはRWY34Lですから、この間もバンバン飛行機がやってきます。この日は出発、到着、両方使われていましたが、RWY34Rを目指す到着機もいたりして、右から左から、もう、追いきれません。

この写真はRWY34Lに向けたものですが、この最上階からではなく西棟の屋上からのものです。手前にプレハブ小屋のようなものが映っていますが、望遠レンズをお持ちの方なら、もっと大迫力の素晴らしい飛行機撮影がのぞめるのではないでしょうか!

成田航空科学博物館
成田航空科学博物館

次回に続く!

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

航空科学博物館へ行こう!(1)西棟・B747と世界最大動く模型

成田航空科学博物館

こんにちわ!
竜子です。

今日お届けするのは、航空ファンにお勧めしたいスポット、成田空港近くにある航空科学博物館です。
紹介ポイントがいくつもあるので、回を分けて紹介します。予定は下記の通りです。ぜひおつき合いください!

1回目:航空科学博物館・西棟(この回)
2回目:中央棟と飛行機撮影スポット
3回目:東棟・企画展示、屋外展示場、アクセス

では、行ってみましょう。西棟。上の写真の左側が、西棟になります。
ちなみに施設はこのようになっています。地図の上がちょうど成田空港で、左端に半分だけ機影が書いてありますが、そこがRWY34エンドです。

成田航空科学博物館

これはセスナ195、朝日新聞社の朝風号。昭和22年に生産が始まった5人乗りの軽飛行機です。
入館料は大人ひとり500円。この航空科学博物館の分館というのでしょうか? ミュージアムショップが成田空港内にあって、私はそこで割引券をいただきました。確か…2割引のチケットで400円だったように記憶しています。入館口の券売機でチケットを購入していざ入館、ですが、各種割引チケットがある方は、直接係員さんのところへ行きます。

成田航空科学博物館

順路の1から回ってみることにしますが、その前にぜひ入手していただきたいのが、パスポート?! です。パスポートといっても、実はスタンプ帳。館内入ってすぐの正面売店で販売しています。1部100円です。デザインがなかなかかわいいですよ。

成田航空科学博物館スタンプラリー

全部集めると達成感?! けっこうそれらしいデザインのスタンプが多くて、トキメキますねぇ。こうやってパスポートぎっしりにスタンプを埋めるのがずっと憧れでした〜。

成田航空科学博物館スタンプラリー

スタンプが置いてあるところの目印はこの青と白のパネル。空港ごとの解説が書かれていて、スタンプを集めながらだとなかなか勉強になります。全て集めると14個。そのうち最初のスタンプはパスポートを購入した時点で「航空科学博物館」のオリジナルスタンプが捺印済です。そして、最後の1スペースが空いちゃってるけど、どこにあるか分からない?! と思いきや、最後のスタンプはまた玄関口の売店で押してもらう必要があります。ちなみに、全部スタンプを集めると売店で記念品がもらえます。
「子供向けのおもちゃしかなくって申し訳ないんのですが…」と、係員の方。
「こちらこそ、子供でもないのにすみません…」(実際のやりとり)

成田航空科学博物館

さて。中に入ってきました!
円形ホールのようになっていて、上を見上げるとジャンボ機の模型!! この正体はまたあとで紹介するとして…。

成田航空科学博物館

西棟入ってすぐはB777コーナーになっています。

成田航空科学博物館

このパネルは、ボーイングB747の開発責任者・ジョーサッター氏が1999年に来日した際に寄贈した写真とのことですが、なんだか版画のようにザラザラしたB747初号機の写真でした。

成田航空科学博物館

大きさを比較できるものがないのでスケール感が分かりにくいのですが、窓ガラス1枚とっても大きいし、分厚い!

成田航空科学博物館

この航空科学博物館のよいところは、見て触って体感して楽しむところにあります。
このモックアップ(実物?!)も中に入れるんですよ〜。

成田航空科学博物館

一部の計器にはアクリルカバーがされていますが、この計器類を見るだけでも圧巻のコックピット!

成田航空科学博物館

お約束ですね。ここまで来たらぜひ座っちゃいましょ。
「I have control!」

成田航空科学博物館
成田航空科学博物館

そしてこちらはプラット&ホイットニー社製のJT-9Dエンジン。
こんなおっきくて重そうなのを4つも付けても空を飛ぶんだから凄いよなぁ〜。と感心しましたけど、逆にこんなの4つだけで400人も500人も人を乗せて運ぶことが、想像しがたいほど凄いことですよね…。

成田航空科学博物館

横から見ると小槌のようです。こんな風になってたのかぁ…。もう、これは絶対に写真じゃ伝わりませんよね。
近くでよく見ても、なにがどんな働きをしてパワーを出しているのか、全く分からないんです。部品のひとつひとつを見ても、ナンのこっちゃ。けど、理屈はなんだかよくわからないけど、構造美というか…、美しささえ感じてきました。

成田航空科学博物館

このタイヤはDC-8です。最初に大きなB747を見たのもあって「アレ、ちっちゃくない?」って思いました。が…。ジェット機時代を牽引したダグラスDC-8の脚だと思うと、パンパンッ、と肩を叩くように撫でたくなります。「おつかれさま」と。

成田航空科学博物館

これはDC-8とYS-11の胴体を比較した断面です。内側がYS-11、外側がDC-8!

成田航空科学博物館

客室乗務員の制服。華やかな女性の制服って感じですね。1960年代に着用されていたユナイテット航空のユニフォーム。左のオレンジの制服は今でも十分かわいいです。

成田航空科学博物館

制服の系譜は、バービー人形や一部だけジェニーちゃん(リカちゃんかな?)でお楽しみください。
もしかしたら、この日本人的な顔立ちのお人形さんは、タカラバービー時代のものかもしれませんね。1982年〜89年までの6年間、タカラとマテル社が業務提携して「タカラバービー」(ジェニーちゃんの前身)を発売していましたが、この提携解除で産まれたのが「ジェニーちゃん」なんです。もし、詳しいことを知っている方がいたら、ぜひコメントで教えてください。

成田航空科学博物館

たくさんお人形さんが並べられてはいるのだけれども、どれが何かはよくわかりませんでした。スーツケースなどのロゴから察するに、ほとんどユナイテッドだとは思うのですが…。
乱雑に並べられている感じがありますが、右端の座り込んでいるバービーがなんだかしっくり来る…。

成田航空科学博物館

こちらは「人形に見る客室乗務員」の展示。こっちは明らかにジェニーちゃん(3段目右)、リカちゃん(3段目左)、バービーちゃん(2段目右)、と揃っているほか、フィギュア(上段)もあります。
ANAなどの機内販売で発売されたリカちゃん他、ミールセットなどもあります。

成田航空科学博物館

もちろん客室業務員だけでなく、パイロットの制服展示もあります。

成田航空科学博物館

このパネル展示で知ったのですが、帽章の羽の数は資格によってまちまちなんですね! 知らなかったです。

成田航空科学博物館

お〜。世界最大のブリヂストンタイヤ! ブリヂストンの前身・日本足袋タイヤ部に日本で初めてタイヤをつくリ、そしてブリッヂストンタイヤ時代に一式戦闘機「隼」で採用され、さらに近年はミシュランを抜いて世界最大のタイヤメーカーに登り詰めるとは!
ちなみに、ブリヂストンでは1931年(昭和6年)から自動車タイヤを製造し、1936年(昭和11年)に航空タイヤの製造をはじめました。

成田航空科学博物館

この円形ホールの一画に、B747の客室を満喫できるところがあります。照明も程よく暗くて、歩きくたびれた方たちがくつろいでいました。ひとりで1列独り占めできるくらいです。
ちょうどコックピットから、ファースト、ビジネスまでくらいの大きさでしょうかね。この座席の後方にはギャレイがあるのです。

成田航空科学博物館

実際よりも広い場所にレイアウトされていますが、これがまたパッタンパッタンと触れて面白い。
こんなに重いんだ! とか。結構しっかりしてるんだな、とか。ストッパーも各位置に備わっていて、さすが機内の備品だなぁ、という感じです。写真では省きましたが、ラバトリーもちゃんとあります。

成田航空科学博物館

そして、日本が誇るJAMCO! 羽田へ行くとビルなんかに威風堂々と掲げられた「JAMCO」という文字を見ては、カッコいい! とときめくんですね…。もともとは(今も)整備業者として、整備や装備品の修理改造を行っていましたが、1970年(昭和45年)、全日空のB727とB737のギャレイ製造の受注がきっかけとなり、このように機内の内装品メーカーとしても発展したのだそうです。
ラバトリーに関しては、世界シェア50%を誇るのだとか。
ジャムコって、もう響きがカッコいいですよね〜。「New Japan Aircraft Maintenance Co」の略だそうです。

成田航空科学博物館

はいっ。では、ここはCAさんになった気分で、背筋を伸ばして前方のコックピットに行きましょう。コックピットクルーの皆さんに、お茶とコーヒーを運ぶのです。
「トントントン♪ フォワード・センターの竜子です。お茶を持ってまいりました♪」
………。(ま、スルーで)
で、このコックピットは、映画ハッピーフライト」の撮影で使われたものらしく、室内には出演者のサインだらけになっています。どれが誰かは不明です。

成田航空科学博物館

東京国際空港(羽田空港)開港50周年の優待乗車券のチケットだとか…、

成田航空科学博物館

各種航空会社の年代物の時刻表だとか…(左端はブラニフ航空)、

成田航空科学博物館

その時代時代で活躍していたデザイナーのものであろうパンフレットだとか…、

成田航空科学博物館

記念グッズやタグの数々だとか…、

成田航空科学博物館

BOACの記念品に…、

成田航空科学博物館

贅沢のアイコンでもあったフライト・バッグの数々。
こうしたものの移り変わりを見るだけでも、時代のうねりを感じられてとても興味深いです。

成田航空科学博物館

さて、冒頭でチラッとご紹介した、円形ホールを入ってすぐに見上げた模型。
これを上から見るとこんな感じになっています。

成田航空科学博物館

あれっ!? 同じ場所からの写真なのに、動いてるのは分かりましたか??
これは、なんとB747の1/8スケール模型!! 稼働する模型としては世界最大サイズなんだそうです。

成田航空科学博物館

実際にコックピットから操縦する体験も出来ます(各回整理券制)。
ほら。人がいますよね?!
ちゃんと教官が指導してくれます。

成田航空科学博物館

操縦体験室はこのようになっていて、計器類もしっかり。なかなか本格的。

成田航空科学博物館

一心同体!!

成田航空科学博物館

次回に続く!

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

「空と宇宙展」レポート(3)

まだまだ紹介したいものはいっぱいあるのですが、そろそろ。
でもって、出口付近には未来チックなガチャガチャ(ガチャポンというの?)。よく見たらスーパーボールで、宇宙飛行士だとかスペースシャトルが埋め込まれたスーパーボールでした。

空と宇宙展

お土産のおすすめはこれかなぁ〜。

空と宇宙展

はい。YS-11のプラモデルです。国立科学博物館が所蔵している、YS-11量産初号機のプラモですっ! 買いました。が…組み立てていません! 普段の展覧会であれば図録もお勧めしたいところですが、展覧会の内容と図録の目的がちょっとかけ離れているような気もするのと、コストパフォーマンスがなぁ。でも、歴代の飛行機が一同に集結していて、展覧会とはまた別の意味合いで資料的価値はあります。

空と宇宙展

ほかにも、紙でつくるグライダーなどもあります。300円で手軽ですが、どこでも売ってるといえば売っています^^;

空と宇宙展

さてさて。「空と宇宙展」はここで終了なのですが、特筆すべきは「空と宇宙展」会場の外で行われていた、展示会ではないでしょうか。記憶が定かではないのですが、たしか航空ジャーナリスト協会主催の展示会だったような気がします。
こうした模型展示も見応えがあるのですが…、

空と宇宙展

パンフレットや時刻表の歴史、を個人の方のコレクションをパネル展示していたりしています。

空と宇宙展

BOACとか…。大型旅客機時代の幕開け的観点から、

空と宇宙展

はたまた、戦前・戦中の資料まで。
こちらは「模型で見る戦前・戦中・戦後」といったテーマを定めたパネル作りをされていました。

空と宇宙展

さらには、こうした手書きイラストで綴られた「航空」もあります。

空と宇宙展

日本で曲芸飛行を行い、一大センセーションを巻き起こしたアートスミスの絵はがき。これは1916〜1917年(大正5〜6年)当時の貴重な絵はがきです。

空と宇宙展

こちらにも切手のほか、当時の訪欧飛行の様子や、大衆レベルでどれほど盛り上がったイベントだったのかが伺い知れるような貴重な資料の数々です。
空と宇宙展

日本の航空郵便が開始された際のチラシがあったり、彩色された満州航空のハガキが見えたりしますよね。右下にグラーフ・ツェッペリン号が見えますが、これは1928年に製作されたもので、全長235m、航続距離がなんと1万kmというスペック!

空と宇宙展

こっちの展示、すっごく面白かった!!
以上です〜〜!

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

「空と宇宙展」レポート(2)

広い会場を見上げると、なにやらたいそうな模型が?!

空と宇宙展

いやいや、これ、模型じゃないんです。「電建号」といって、戦後初の国産グライダー。初めて見ました。
今も人影があるように見えませんか? なんだか、生き生きしているような! 当時のここからの眺め、さぞかし気持よかったでしょうね!

空と宇宙展

たま〜に、手で触って遊べるものもありますよ。これは月の砂と地球の砂の比較。月の砂って、ベビーパウダーみたいに粒子が細かかったよ(宇宙の話題になっちゃった^^;)。

空と宇宙展

これはJAXAをはじめとした研究チームが構想中の、次世代超音速飛行機の模型。静音性、燃費向上、快適性などの観点から研究を進めているようです。この模型から察するに、スペースシャトルみたいですね。

空と宇宙展

こちらは新明和のPS-1/US-1飛行艇。これは対潜哨戒機で、領海を見張ったりしています。
「空白の7年」といわれる敗戦後の日本は、戦闘機の開発だけでなく、航空分野の一切が解体され、その後独自の発展を遂げるようになったといいます。

空と宇宙展

代表的なのがこうした特殊飛行艇。これは新明和のUS-2で、新明和工業のUS-1の後継機としてUS-2が生まれ、遭難救助機として自衛隊で採用されています。

空と宇宙展

いわずもがなYS-11たちなのですが。
さて、これらの模型の多くは、先の木村秀政先生が選出し、田中祥一氏が製作した「日本の名機百選」の数々です。愛知県所蔵のものなどが一同に集まり、見応えがあります。いやはやじつに精巧。近くで覗き込んでいたらいつの間にか時間が足りなくなっていたほどです。田中祥一氏は模型飛行機の世界で超有名なお方で、この「空と宇宙展」にも多くの模型作品のほか、所蔵品を提供しています。

空と宇宙展

これは、「栄21型・ハ-115エンジン」。いわゆる「ゼロ戦」に搭載されていたエンジンで、第2次世界大戦中に中島飛行機が開発したレシプロエンジンです。下に鏡ががあって反射させてくれるのです。なんだか機械のことはよくわかんないけれど「すごい!」と思った!

空と宇宙展

これも、ゼロ戦に搭載されていたもの。どちらも田中祥一氏が所蔵されているものだそうで、タイヤが思ったよりも「小さいな」という印象です。それもそのはずで、昭和10年頃になると固定脚から引き込み式の脚に変わり、タイヤの直径も小さくなったのだそう(直径60cm/幅15cm)。タイヤがつるつるですが、走り込んだわけではなくって初期のものはタイヤに溝がないんだって。
下の鉄はおそらく、タイヤを固定してたギア部分。

空と宇宙展

こちらは「ロレーン水冷V型12気筒400馬力エンジン」。正直なところエンジンの型番を聞いても、わたしにはナンのこっちゃ、ってかんじですが、なんと「初風」に搭載されたエンジンです。
1920年(大正9年)に行われたイタリアからの訪日飛行の答礼飛行のため、朝日新聞社がフランスからブレゲー機(仏製ブレゲー19A2型機2機)を購入しました。それが「初風」と「東風」(こちかぜ)です。1925年(大正14年)7月に飛び立った両機はモスクワ〜ベルリン〜ロンドン〜ローマと訪欧飛行を成功。その実物が、国立科学博物館に寄贈され、ここに展示されているという…凄さ!!

空と宇宙展

これは「サルムソン9Z水冷星形9気筒230馬力エンジン」。またもやナンのこっちゃ、ですが…。これも歴史的には凄い!!
こちらは、1919年(大正8年)に来日したフランスのフォール大佐率いる航空教育団が教材として持ち込んだサルムソン2A2機のエンジン部分。このエンジンは1918年に開発されたばかりの、当時としては最新鋭のエンジンなわけですが、これは後に川崎や陸軍でライセンス生産されました。この実物は、陸軍東京砲兵工廠で製造されたもの。

空と宇宙展

でもってこの青いの。これは「ANZANI」って書いてありますね。「アンザニー空冷星形3気筒25馬力エンジン」です。

空と宇宙展

つづく

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

「空と宇宙展」レポート(1)

こんにちわ!
竜子です。

昨年、報告いたしました「空と宇宙」展ですが、今週末でいよいよ閉幕となります。
この展覧会は、国立科学博物館と日経新聞社さんの主催で行っているもので、1910年(明治43年)12月のわが国最初の動力飛行の成功から100年を記念して開催されました。奇跡的ともいえるはやぶさの帰還で、「航空100年」としての記念すべき2010年がさらに華やかにいろどられました。閉幕までは明日、あさってとありますので、お時間ある方はぜひ。

空と宇宙展概要サイトへ

でもって、行けない方にも。
会期も残りわずかとなりましたが、私のレポートをお届けします。
「空と宇宙展」は、その名の通り、国内における動力飛行の歴史を振り返りつつ、未来への宇宙計画が一通り眺められるようになっておりますが、ここでは「空と飛行機」を中心的に紹介したいと思います。

それでは、日本で初めて動力飛行を成功させたおふたりの紹介から。
ライト兄妹が「世界で初めての動力飛行」を成功させてから、7年後にあたる明治43年12月19日。現在の代々木公園である・代々木練兵場で、徳川好敏氏がアンリ・ファルマン機で、日野熊蔵氏はハンス・グラーデ機で「飛行」させることに成功しました。初飛行のエピソードについては諸説ありますが、現在はこの日をもって「初飛行」としているようです。
空と宇宙展

会場自体がちょっと狭めなせいか(決して狭くはないのですが、展示物が多いのでそう感じてしまうのです)、現物が展示されていなくっても、こんな風にパネル展示してあって、これもなかなかの見物です。
空と宇宙展

実は私が行ったときは、まだ展示ケースのアクリル板に被膜がかかっていてちょっと見づらいのですが、写真左上にあるのがすごろく。子供向けに発売されていたようで、潜水艦のイラスト、旭日旗と一緒に飛行機が描かれています。
下の冊子は、国立科学博物館のある上野の森のそば、不忍池でのイラストです。明治後期から戦前にかけて、この不忍池付近で多くの航空イベント(気球の打ち上げだとか、自動車に牽引させたグライダーの飛行だとか、舶来の曲芸飛行だとか)を行っていました。いまは渋谷や銀座、新宿や六本木に比べると、さびれた感の漂う、上野ではありますが、当時は最先端の街で、1853年(嘉永6年?!)に開業した日本最古の遊園地・浅草花やしきも近所にありました(ちなみ上野と浅草は目と鼻の先です)。また、日本最初の地下鉄は1927年(昭和2年)に開通した上野〜浅草間(2.2km)で、こうした街で航空イベントが開かれるのは必然。いかに上野・浅草界隈が最先端のハイテクな街だったかが分かります。
空と宇宙展

これは、パチンコゲームみたいなものでしょうかね。玉をはじいて都市ごとの穴に玉を入れるような。木製で、家庭用のおもちゃとしては立派なつくりでした。ピンぼけすみません。
空と宇宙展

右側に見える旗は、「神風号」の凱旋の際に振られたものでしょうね。赤の旗のイメージですけど神風特攻ではないですよ。「神風号」は朝日新聞社が所有していたもので、1937年(昭和12年)に東京の立川飛行場からロンドンまでの各地をなんと94時間17分という短時間で親善飛行をしました。ちなみに、このスピードで世界新記録を樹立しています。
さらにこの神風号は、陸軍から払い下げられた「九七式司令部偵察機」の試作機だったのですが、この機体(九七式司令部偵察機)は世界初となる戦略偵察機でもあり、のちに三菱重工から500機近くが生産されました。
空と宇宙展

男性ものの和服(羽織)には、富士山と飛行機、日本(当時の統治領も含めた)をはじめとするアジア一円の世界地図が描かれています。
空と宇宙展

飛行機の研究は、こうした図解の書物になって発行されていたようです。
空と宇宙展

こちらは、当時の日本の航空の栄華を代表する「航研機」についての展示。現在の東大にあたる東京帝国大学航空研究所の試作飛行機です。
航研機とは「航空研究所試作長距離機」。長距離機とあるように長距離を飛ぶのですが、この航研長距離機。1938年(昭和13年)木更津から、銚子〜太田〜平塚〜木更津を結ぶコースを29周し、約1万1000kmを飛行して、周回航続距離の国際記録を樹立。また、186.192km/hで平均時速においても、国際記録の二冠を達成しました。
写真の右側にチラッと見える青の折り畳まれた紙はこの航研機の設計図で、展開したものが巨大パネルになって展示されています。
空と宇宙展

こちらはその航研機に搭載されてたBMW V型水冷エンジン。
空と宇宙展

この航研機については、いろいろと資料が残されています(というか、最近になって発見されたのらしい)。
ちなみにこの航空研究所には、このブログで発表させていただいた「わが心のキティホーク」のアナウンス主・木村秀政先生がいたほか、「ゼロ戦」の設計主任となる堀越二郎氏や、土井武夫氏、さらには日本の宇宙開発の父とも称される糸川英夫氏を輩出しました(小惑星イトカワの土を「航空100年」の年にもって帰ってきたはやぶさとは…なんと奇妙な?!)。
空と宇宙展

中でも必見なのは、当時の実験レポート。
日本は初飛行を遂げた明治後期はむろん大正期においても、飛行機は舶来のものを飛ばしたり、改造しながら見よう見まねで飛行機を製作…でしかなかったのですが、当然欧米の理論的、科学的根拠に基づいた研究なしには、日本での「航空」の発展はないと考え、航空研究所が設立されました。ここに残っているのは名だたる研究者たちが当時学生時代だったときの直筆レポートで、風洞実験の様子などが記されています。中央にあるのは糸川先生のもので、とてもきれいな(教科書のような真面目さのある)筆記体で綴られたレポートを見て、ちょっと感動しました。鉛筆の筆圧、万年筆の運び具合が手に取るように分かります。
空と宇宙展

ほんとうにダメダメな写真ばかりで、ほんっと申し訳ないのですが、この額に飾られたイラストとも思えるものは、実は写真なんですね。それも明治43年〜昭和10年に撮影されたものです。
これは日本陸軍が戦前に国立科学博物館で展示したもので、1枚ずつモノクロ写真に色を付けていったものになります。カラー写真がない時代にこうして陸軍が彩色を施したものが、今の時代になってみれるというのはなんと素敵なことなんでしょうね。私としてはいちばんの見どころといっても過言ではありません。
空と宇宙展

さてこちらは、日本初となる国産旅客機YS-11の風洞実験用の木製模型です。逆向きになっていますが、左の模型を見ると、なんと2階建てになってる!?
空と宇宙展

でもって、こちらはそのYS-11初号機が最初に飛行したときのログブックなど。
空と宇宙展
空と宇宙展

こちらは翼ですね。
空と宇宙展

さてさて。このYS-11の初号機の行方、知っている方も多いかと思いますが、この国立科学博物館で所蔵されています。もちろん、上野の科学博物館の中にあるわけじゃないですよ! 羽田空港の格納庫で大事に保管されています。「大事に」というのは、定期的にエンジンをかけていて、いまも飛ぼうと思えばいつだって飛べる状態になっているということです。で、この初号機、実は事業仕分けの対象にも取り上げられたりで、それこそ知る人ぞ知るという感じですが、年間の維持費が900万円かかるというのを見ました。なかなかお目にかかれませんが(空の日フェスティバルで公開されていましたけどね)、この展示室内にも寄付金BOXがありましたので、気が向いた方はぜひ。

空と宇宙展

つづく

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

そうだ、航空図書館へ行こう!

航空図書館

こんにちわ。竜子です。
本屋さんへ行くと、あれやこれやとたくさんの本が並んでいますが「航空」専門のコーナーって、よほど大きなチェーン店の書店へ行かないと、なかなかないものですよね…。
羽田空港にはブックス・フジという航空書をそろえた、とっても貴重な本屋さんがありますが、当然のことながら新刊が多く「あのとき買ってれば…」なんてこともしばしば。もちろん新刊とはいっても10年前くらいのものでもあることはありますが、それでも本には「絶版」という宿命があり、ひとたび絶版となってしまえば、全国の書店を探しても手に入れることが難しくなります。ちなみに「絶版」となったものが「復刻」だとかで、再びよみがえるには、よほどの年月が経たないと実現しないし、よほどの話題にならないと難しかったりしますよね。

古書店へ行けば「こんな本があったんだ!」という驚きがあります。それから、古書店を覗けばのぞくほど、どうして世の中にはこんなにたくさんの「良い本」があるのに、もう市場に出回らないんだろう? という疑問で頭がいっぱいになります。神田の古書店へ行かなくとも、Amazonで高値で古書を探さなくっても、どこの書店でも、(定価で)昔の本を買えたらいいのに…、って思います。
だけれど、そんなことになってしまったら本屋さんはいつ売れるかも分からない在庫をたくさん抱え、表紙なんかは焼けてしまって、逆にお客さんも「こんな汚い本買うか?」なんて思ってしまって、なおのこと売れない、って悪循環になったりして?! でも…素晴らしい本って、見つけると本当に嬉しくなりますよね。そして、どういうわけだかそういう本に限って古書だったりして。

以前、航空図書館へ行ったのですが、ここの蔵書は航空関連の書籍(単行本)で、洋書4,000点、和書が6,000点の10,000点ほどあります。このほか雑誌などは国内外合わせて200種類。さらにビデオが200本以上、さらにさらに新聞に掲載された航空関係の記事の切り抜き! と屈指の所蔵数になります。「航空図書館」という専門図書館としては日本で唯一。財団法人 日本航空協会が運営しています。
ちなみに、国会図書館や都立中央図書館も、日本でトップの蔵書数を誇っていますが、ひとつだけ残念なのは、「航空関係で、こういう本が読みたい」という明確な目的があるときに、過去の本となると、いちいちパソコン検索(もしくは司書などのスタッフの方に相談)して、書庫から(人手でもって)取り出してもらわないといけないんですね…。さらに、それで目的の本と違った場合は、同じ作業を何度も繰り返さなくちゃいけないわけで…。だって、検索はタイトルのみで、アタリをつけないと行けないのだから、しょうがない。逆に言えば、タイトルに「航空」だの「飛行機」だのといったキーワードが入っていない場合は、目的を遂げるまでに相当な労力になるってもん。

そこにくれば、航空図書館は専門書だけを集めているわけで、そこからさらにジャンル分けしているので、探し物がある場合にはほんっと便利ですよね。ほとんどの書籍が、自分で手に取って見れるのです。
前回、航空図書館へ行った時はカタログ的に使いました。気になった本をメモして帰ってきて、自宅でAmazon検索。でもって古書を探して「おし!」と思った本を買えばいいかな、と。
ただ…、残念なことに「おし!」と思った本のほとんどが、涙が出そうなほど高かった!!! 20,000円〜という価格で販売していたとさ(笑)。ほんっと残念です!

月刊エアラインのような市販雑誌も、最新刊で出迎えてくれるのですが、やっぱりオススメはこれまでの絶版書籍ですね!! こんなに面白そうな本があったのかと!! こんなに本があったのかと!!
変わりどころでは、航空各所の団体の刊行物ですかね…。その団体等の会合のリーフレットなんかもあります。どこぞのものかは忘れましたが、どこかの団体の会合の様子がまるまる記された冊子があってですね…、様子がまとめられた、ってのはそのものの表現なのですが、要はテープ起こしの内容がそのまま冊子になっているんですね。
「えー、本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。わたくし、本日は○○○についてお話ししようと思い壇上に立たせて頂いておりますが……、云々カンヌン」
というテキストがズラリ…。
えええええええ! って感じ。なら、Webで動画orテープ公開でいいじゃん!! って突っ込みどころ満載でしたが、どういったことが話されたかというのを、好奇心だけで覗いてきちゃいました。

あ、ちなみに図書館内は、写真持ち込み禁止。荷物も筆記用具を除いて入り口のコインロッカーに預けなくちゃいけませんので、お忘れなく! コインは戻ってくるので、こちらもお忘れなく!
利用料は無料です。貸し出しは有料登録制になっていて、4,000円で登録(1年間/一般)する必要があります。一部を除いて複写(有料)も行えるのと、特筆すべきは航空図書館の蔵書リストのExcelファイルが、Web上で公開されていますので、蔵書タイトルだけでなく、貸し出しOK/NGの詳細が事前に確認できます

航空図書館
財団法人 航空協会のホームページ

アクセス

〒105-0004 東京都港区新橋1-18-1 航空会館6階
→JR山手線・京浜東北線・横須賀線・東海道線/新橋駅
→東京メトロ銀座線・都営浅草線/新橋駅(出口:7番)
→都営三田線/内幸町(出口:A2)

開館時間

10:00〜17:00

休館日

土曜・日曜・祝祭日・年末年始・特別整理期間

では、行ってみましょう〜。こんな感じです。
場所は、JRだと新橋駅。機関車の広場から歩いて5分くらいです。1階は、牛乳がおいしいNAKAZAWAのカフェになっています。このビルが航空会館。6階の一部が航空図書館になっていますいますので、図書館らしくないなと思っても、ビルを入って正面をまっすぐ入っていってください。右手のエレベーターで上がります。
航空図書館

エレベーターに入ると、さすが航空会館! 航空にまつわるいろんな協会が入居しています!
航空図書館

そして6階へ。エレベーターを降りてすぐ、左手の扉が航空図書館です!
荷物をコインロッカーに預けたら、入館票に名前と連絡先を書いたらOK。中には筆記用具のみを持ってゆけます。
航空図書館

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

第二次世界大戦特集「敵機爆音集」のサウンド_第1回

[title_enemy]

 今日は日本の航空史には欠かせない第二次大戦の航空機をご紹介致します。
 昭和17年に東京が初めて空襲を受けたとき、千葉の陸軍防空学校が監修して、「敵機爆音集」というSPレコードを製作し、日本蓄音機株式会社(ニッチク、現在のコロムビア・エンタテイメント)より発売され、当時の国民学校の音楽の時間に子供達に聴かせ、飛行機の爆音を聴いただけで敵機か味方機かを識別させるための音感教育として実施されたことがありました。1995年朝日新聞の「戦争と庶民」1943年「音楽公論」という雑誌などで取り上げられていますが、現在、その現物はなく、幻の航空レコードとして歴史的価値があり珍重がられています(コロンビア・エンタテイメント社が「音声資料による実録、大東亜戦争録音史という全集を発売してその中にこの「敵機爆音集」の一部が収録されていたというが、現在は廃盤となり入手できない)。
「敵機爆音集」を日本軍が製作した意図はいろんな説があります。ここではその探索は省略しますが、くわしくは下記のブログなどで紹介されているので、ぜひ参考にしてください。

「東京フロイデ合唱団の広場」
「ギャラリー imozuru」

 この貴重な音を僕が入手したいきさつを簡単にご説明いたしますと、かってビクターレコードに有能な女性ディレクターがいて、その人と仕事をしているとき、偶然「敵機爆音集」のレコードの話題になり、実は、彼女のお父さんが戦前、日本蓄音機株式会社で音楽製作にたずさわられていたことがあり、「敵機爆音集」の録音に関与されていたらしい、というのです。それで実物のレコードを見せて貰い、6ミリテープにコピーさせて頂き僕のコレクションの中に入れておきましたが、その6ミリテープを今回の配信のためにデジタルにおこしご紹介しようというわけです。

「敵機爆音集」の内容は、当時の日本軍が南方戦線で捕獲した敵機を高度1000メートル、3000メートル、5000メートル、10000メートル、で飛行させ、同時に同じ条件で、当時の日本軍の爆撃機、呑竜と鍾馗を飛行させそれらの爆音の違いを識別するためのトレーニング・サウンドであります。戦争の音ですから聴いて楽しいものではありませんが、日本の航空史の貴重な音としてご一聴下さい。


ロッキード・ハドソン哨戒爆撃機

ロッキード・ハドソン哨戒爆撃機

ロッキード・ハドソン哨戒爆撃機の解説

★「敵機爆音集」挿入:01_lockheed_outline.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

ロッキードハドソン哨戒爆撃機

★「敵機爆音集」挿入:02_lockheed_bomber.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

アメリカの哨戒爆撃機で双発、主として英国空軍が使用したが、アメリカ軍も沿岸哨戒爆撃機として使用、主に東南アジアノ戦線で日本軍と遭遇した。


ボーイングB17D

ボーイングB17D
★「敵機爆音集」挿入:03_boeing_b17d.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

アメリカ・ボーイング社の4発エンジンを持つ重爆撃機フライング・フォートレス。空飛ぶ要塞としてボーイングB29が開発されるまでアメリカの主力爆撃機であった。


バッファロー(ブリュスター)戦闘機

バッファロー戦闘機
★「敵機爆音集」挿入:04_buffalo_blister.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

アメリカ海軍の艦上戦闘機の輸出用でバッファロー・ブリュースターと呼ばれる戦闘機で英国空軍ヤオーストラリア軍、インド陸軍などの主力戦闘機として活躍、東南アジアで日本のゼロ戦などと対戦した。


カーチスP40

カーチスP40
★「敵機爆音集」挿入:05_curtis_p40.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

アメリカ陸軍の戦闘機。ウォーホークやキティホークの愛称を持つ。
アメリカ以外でもイギリス空軍機としても使用された。


呑龍重爆撃機(どんりゅう・じゅうばくげきき)

呑龍重爆撃機
★「敵機爆音集」挿入:06_donryu.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

中島飛行機が製作した日本陸軍100式重爆撃機。主として東南アジアやオーストラリアの戦線で活躍した。
搭載要員8名、双発。


鍾馗戦闘機(しょうき・せんとうき)

鍾馗戦闘機
★「敵機爆音集」挿入:07_shouki.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

日本陸軍の有力戦闘機で、正式には二式単座戦闘機ニ型甲「鍾馗」キ44という。
最大速度が605キロもあり、隼戦闘機と共に敵に怖れられた軍用機であった。


次回の第二次大戦機特集では、ゼロ戦、疾風、ボーイングB29 などの貴重な実音をご紹介したいと思います。
ご期待下さい。

武田一男

【航空100年】第二次世界大戦特集「敵機爆音集」のサウンド
解説 :武田一男

世界の航空史サウンドエッセイ「わが心のキティホーク」第3回

[title_kittyhawk]

 世界航空史案内の3回目、木村先生の講義は、大西洋、太平洋など遠い海原を乗り越えて初飛行の偉業を達成したリンドバークやアメリア・イヤハート、バングボーンなど航空史を飾る名パイロット達の足跡を語ります。彼等を語るときの先生は、目をキラキラさせて、まるで親しい教え子達が成しえた偉業を誇らしげに語っている老教師のような、心暖かさを感じます。


リンドバークの想い出

ライアンNYP1長距離機

—————–

★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk31_ryan.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。

—————–
ライアンNYP1長距離機

「パリが見えてくる。・・・バリは大地の隅からせり上がって来る・・星空の下に星が輝く地面の切れ切れ・・パリの灯だ」1927年5月20灯から21日、リンドバークがニューヨークからパリまでの5,809キロメートルを33時間30分かけて、大西洋を単独で初めて横断した、その時のパリを見たときの感想です。このときの飛行機がライアンNYP1長距離機。ところでその翌年の1928年に毎日新聞社が同型のライアンNYP1を購入し日本で飛行させたことはあまり知られていません。


女性飛行家アメリア・イヤハート/p>

フォッカーF7b3Mフレンドシップとロッキード・ベガ

—————–

★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk32_amelia.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。

—————–
ロッキード・ベガ

 2007年、女優の天海祐希さんが宮本亜門さんの演出で「テイクフライト」という航空史をテーマにした舞台劇がありました。その主人公が女性飛行家アメリア・イヤハートでした。ご覧になった方も多いと思います。木村先生は女性飛行家アメリアのことをことのほか愛情をもって語っています。彼女が女性初の大西洋横断飛行をしたロッキード・ベガはリンドバークの大西洋横断飛行の5ヶ月後に完成した高翼単葉機でロッキードの依頼で当時アメリカ航空技術の第一人者だったノース・ロップの設計によるものです。アメリア・イヤハートは1937年に南太平洋をロッキード・エレクトラ機で飛行中消息を断ちますが、そのアメリアの操縦するエレクトラが現在のロスアンジェルス空港に突然舞い降りることで始まる面白い航空小説「ゴースト・フライト」(ウイリアム・カッツ著 鴻巣友季子訳 東京創元社)もあります。折あればご一読ください。
女性飛行家アメリア・イヤハート


世界最初の北太平洋無着陸飛行/p>

ベランカ・スカイロケット・パングボーン機

—————–

★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk33_bellanca.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。

—————–
ミスビードル

 1931年10月4日、アメリカ人バングボーンとハーンドンのふたりは青森県淋代海岸を離陸、北太平洋大圏コースで約7910キロ飛び、飛行時間41時間12分でアメリカのウエナッチに胴体着陸し太平洋無着陸の記録が達成されました。日本でも北太平洋横断飛行は当時、いろいろな試みがあり、そのひとつに1927年(昭和2年)10月に帝国飛行協会(現財団法人日本航空協会)が発表した太平洋横断飛行計画がありました。コースは北海道から樺太、アリューシャン列島の島沿いに途中、給油しながらアメリカまで飛行する北コースで、機体は川西航空機製作所が製造した川西Kー12型単発複葉水上機でした。だが、訓練中に墜落、パイロットが死亡しこの飛行機による太平洋横断を断念しています。太平洋横断に熱心だった帝国飛行協会は、昭和6年(1931年)に、「北緯45度以内の日本から北緯50度以南のアメリカまで昭和8年8月までに飛行に成功した者に、賞金20万円を贈る」と発表し、朝日新聞社も協賛して話題をびました。
 バングボーンとハーンドンのふたりは帝国飛行協会と朝日新聞社から賞金が渡されたことは言うまでもありません。唯、この離陸が10月だったことを考えれば、その数ヶ月前に北太平洋横断飛行を予定し、その準備が整わず延期していた報知新聞社の「第三報知日米号」が、もし予定通りに離陸していれば、無着陸ではないにしろ太平洋横断の栄誉は日本人の手で達成されたかもしれなかったのです。残念ですね。

「世界の航空史・わが心のキティホーク」の最終回は小型複葉機の勇、デハビランドDH60モスや北極を超えて世界初のポーラフライトに成功したロシアのANTツボレフ25機などが登場します。ご期待下さい。

武田一男

世界の航空史サウンドエッセイ「わが心のキティホーク」
著作・録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「わが心のキティホーク」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

【航空100年】DC-3特集 DC-3プロフィール

こんにちは! 竜子です。
これまでこの航空100年キャンペーンの一環としてお送りしているDC-3特集では、武田一男さんの貴重な資料やエッセイでお届けしてまいりましたが、最後にDC-3のプロフィールを補足させていただきますね。未熟者ですが、おつきあいくださいっ。これまで配信したDC-3特集は、下記からどうぞ。

▶ DC-3特集_第1回 DC-3の記念映画「a Lady Remembered」
▶ DC-3特集_第2回 DC-3のコックピット録音
▶ DC-3特集_第3回 DC-3が登場する航空冒険小説
▶ DC-3特集_第4回 DC-3空撮映像とグレンミラー・スウィング・ミュージック

さて。
ダグラスDC-3は、ダグラス・エアクラフト社の開発した双発のプロペラ機で、全長約20m、翼を含めた幅が約29mの機体に、3列シートで20人程度を、4列シートで30人程度の旅客を運んでいました。

「旅客機」そのものの出現は、1914年〜1918年にかけておこった第1次世界大戦後でしたが、1930年に入っても、軍事用に作られたものを、改良したものがほとんどでした。だから座席数も10席未満という時代が10年以上も続きました。でもそれでもヨーロッパでは定期便が華やぎ始めていたのに、アメリカではいまだ郵便飛行機が飛んでいる程度。1927年のリンドバーグのニューヨーク〜パリ横断成功で活気づいたアメリカでも、空で活躍していたのはオランダのフォッカー社でした。もちろん、この活気のなかアメリカはフォード社の飛行機が飛んでいました。当時の飛行機の翼は木製構造。しかしフォード社は全金属製を誇り、大量生産を狙ってはいたのですが、1929年頃からの不況を受けて、原材料高のわりに値下げをあおられるは…のさんざんな世の中で撤退を決めてしまうのです。

そんななか登場し、頭角を現したのがボーイング247と、ダグラスDC-2でした。
DC-2の巡航速度は時速300km以上。3回か4回ほど着陸して燃料補給しながらも、アメリカ大陸横断は17時間ほどに短縮されました。ちなみにそれまでの巡航速度は時速200kmくらいで10回以上着陸しながら、まる1日以上は要するのがあたりまえだったから、この速度アップは凄いことですよね。
このDC-2の速度アップ。どうやって実現したのかというと、フラップを取り入れたり、可変ピッチプロペラにしたり。それから、空気抵抗についてきちんと考えたところがポイントです。機体を流線型にし、ギアを収納させるようにしたのです。いまでは当たり前のことなのですが、当時はさぞ画期的なことだったでしょうね…。

で、このDC-2の胴体を広げたのが、DC-3になります。
政府の郵便飛行路線の拡充方針などもあって、アメリカでは航空熱が巻き起こっている1930年代。ユナイテッドやトランスワールド、アメリカン航空、と航空会社もにぎわいを見せていました。しかし前出の通り、アメリカ横断をするには、いくら短縮されたといっても最短でも17時間もかかるわけです。各社、旅客を引き込むために何をしたらいいか策を練るのです。アメリカン航空では寝台を取り付けて、座り続けての移動をラクにしようと考えます。現にカーチス・コンドルIIの運行では寝台をつけて好評となり、アメリカン航空は寝台型の飛行機に手応えを感じていました。
思惑通りの機体を作ってくれる会社がないか…。DC-2ならちょっと改良するだけでOKじゃないか? なんて考えてダグラス社に申し入れをします。それがDC-2からDC-3の誕生へと繋がるのです。

提案を受けたダグラス社。もちろん、彼らにしてはそんな簡単にいくとは到底思えません。だいいち寝台飛行機といわれても本当にそんなものが必要かどうかだって微妙だし、そもそも販売的にも堅調な軍用機を地味にコツコツ作っているだけでも中小企業としては成功しているわけですから、DC-2での成功で工場や従業員の整備であたふたしつつも、これはほんのラッキーにすぎないのでは? と、どこか冷静に考えていたことだと思います。それでもアメリカン航空から20機買う、と約束されたダグラス社はなくなく受注を受けることになります。

いざ受注したはいいもの、そんな簡単に改良できるかといえば、やっぱり難しい…。列車では昼間に座って、夜になると天井からベッドを引き出してセッティングする、という風にしているけれど、それをDC-2の機体でやるとすると胴体幅が足らない。胴体幅を伸ばせば、主翼も大きくしなければ…とあちらをたたけばこっちが出っ張り、といった具合に、「DC-2の改良でいいじゃん」のはずが、ほとんど新設計になってしまった寝台型旅客機「Douglas Sleeper Transport」(DST)を、1年足らずで誕生させました。1935年の中頃に開発を始め、同年の12月には初飛行。DC-2がベースになっているとはいえ、この短さ、今じゃ考えられません。当時の規模のダグラス社ならでは、そして破れかぶれの気迫を感じさせますよね。座席数は14席でキッチンまで搭載し、さらに、どーせならということでDC-2での改良点を盛り込んだ結果、アメリカ大陸を1回の着陸だけで横断できるようになったのです。

アメリカン航空は鼻高々。先のダグラス社の映像にもあった通り、憧れの空で、それもベッドで寝れて、客室ではお給仕さんがホットミールを出してくれるという豪華さで、本当に夢にまでみた世界が登場したのです。アメリカン航空はこの看板機によって、ユナイテッド航空やトランスワールド航空から、一歩リード。
ダグラス社にとっても、努力の甲斐あって想像以上の効果をもたらしました。寝台のために胴体幅を広げましたが、これまで窓側に1席ずつの、計2列しか配置できなかったシートが、寝台を外せば3列にすることが出来るのです。14名の客席を21人に増やせ、さらには4列にすることだって可能。そうすれば最大で32人分ものシートが置ける…。

時代も後押ししていました。いまだ冷めやらぬ広いアメリカでの旅客航空熱は、少しでも多く人を運べる機体を求めていたのです。DSTの完成から間もなく、寝台を取り払った全座席型の飛行機をリリース。これがDC-3なのです。DC-2の1.5倍の定員で、飛行コストがDC-2とあまり変わらない、当時としては低コストの旅客機として、1936年から1945年の9年間の間に1万機以上製造されるという、大大大ヒットとなったのです。

1950年代に入ると、ジェットエンジンの出現によってさらに旅客機は大型化してゆきますが、1970年代においてもローカル路線として活躍し、長い間親しまれることになりました。1936年から70年以上経った今でも、わずかながら観光飛行を行ったりスカイスポーツなどで使用されているそうです。

また、1939年から1945年の第2次世界大戦では、C-47という名前の輸送機としても運用されました。DC-3が登場する航空冒険小説でも紹介がありますが、DC-3の愛称として知られる「ダコタ」「スカイトレイン」とは、軍用機としてのC-47の制式名称です。また皆さんの方が詳しいことと思いますが、中島飛行機でもライセンス生産を行っていました。ワールドカップの行われている南アフリカでは、C-47を海軍で対潜哨戒機として、オリジナルのレシプロエンジンからターボプロップに改造したC-47-TPを運用しているそうです。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

【航空100年】DC-3空撮映像とグレンミラー・スウィング・ミュージック

[title_dc3]
【航空100年】DC-3特集_第4回
DC-3空撮映像とグレンミラー・スウィング・ミュージック
武田一男

 DC-3の特集はこれまで3回配信しましたが、楽しんで頂いていますか? 特集の最後はアメリカの空撮の名手でパイロットの、クレー・レーシーがダグラス社の依頼で撮影したDC-3の空撮映像です。

 空撮は特殊なカメラを装填した小型ジェット機で撮影するのですが、ダグラス社の広報の話によると、DC-3を空撮するのは大型ジェット旅客機を撮影するより、はるかに難しいそうです。なぜなら、小型ジェット機のスピードをプロペラ機に合わせて遅く飛ぶので、しかも、その状態で飛行機とカメラを同時にパイロットが操って撮影する、それが至難の業ということでした。

 それにしても、50周記念飛行のために新しく塗装されたダコタの姿はほんとに美しい。 それで映像にはP&Wのエンジン音とこれまたDC-3と同じ時代に流行したオールドファッションなグレンミラースタイルのビッグバンドスウイングを入れて編集しました。あわせてお楽しみ下さい。
 曲目は「インザムード」「アメリカンパトロール」「ムーンライト・セレナーデ」の3曲です。



【航空100年】DC-3特集
解説 武田一男 ©Director’s House
【著作について】本ページで公開している映像・音楽の公開権利、また本作品の著作権利は武田一男、及びディレクターズハウスが保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。
にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

【航空100年】DC-3特集 DC-3が舞台の冒険小説特選集

[title_dc3]

 DC-3ダコタは航空冒険小説にしばしば血湧き肉躍る場面に登場します。それらの冒険小説を簡単にご紹介しましょう。
前回同様、ハワイで録音したDC-3の音を聞きながらお楽しみください。

—————————————-
★「DC-3」挿入:dc3_cockpit.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

—————————————-

ちがった空」ギャビン・ライアル
(松谷健二 訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)
ちがった空

 以前、このブログのブックレビューでもご紹介しましたが、英国冒険作家の第一人者、ギャビン・ライアルのデビュー小説です。僕はこの本に出逢いDC-3ダコタを知りそのファンになってしまいました。だから、この DC-3の特集が書けるのも、まさにギャビン・ライアルの「ちがった空」のおかげです。内容はエーゲ海を舞台にした冒険小説ですが、くわしくは、恐れ入りますが僕のブックレビューをご検索下さい。

 僕はこの本を再読するたびに DC-3のサウンドをイヤホーンで聴きながら読むことにしています。それはまさに忘我の世界ですよ。
 さてDC-3は第一次大戦と第二次大戦の間に開発された飛行機なので世界のいろいろな国で使用され、また、ライセンス生産をされました。ですから、第1回のDC-3特集でご覧になったDC-3の記念映画「a Lady Remembered」で紹介されたように各国で呼び名がちがいます。日本軍は零式輸送機とよび、アメリカではスカイトレイン、そして英国ではダコタです。航空冒険小説の名作のほとんどがイギリス人作家によって書かれた本が多いし、彼等が好んでDC-3を小説の中に登場させたので、DC-3、イクオール、ダコタになったのだと思われます。次に紹介する作品も英国冒険小説です。

鷲は舞い降りた」ジャック・ヒギンズ著
(菊池 光 訳/ハヤカワミステリィ文庫)
鷲は舞い降りた

 英国の作家ジャック・ヒギンズを世界的に知らしめたベストセラーの冒険小説ですね。 内容は第二次大戦ノ最中、ヒットラーの命を受け、ドイツ軍の尖鋭、クルトシュタイナー中佐とアイルランドの愛国者、リーアム・デヴリンが16名の部下と一緒にイギリスヘ落下傘下降しイギリスのチャーチル首相を誘拐する話ですが、全編にロマンの香気溢れる人間の高貴なる精神をうたいあげた冒険小説で、人間として忘れてはいけない気高さ、を思い出させてくれることが、この本の絶えられない魅力となっています。ともかくお奨めです。まだ、お読みでない方は、だまされた、と思って読んでみて下さい。 
 DC-3、活躍しますよ。イギリスに向かうシュタイナー中佐らを運ぶドイツ人パイロットのペイター・ゲーりケ大尉がダコタに逢うシーン。「そーっと手を伸ばして翼に触り、いかにも優しい声で言った。「久しぶりだなあ、おい」。余談になりますが、アメリカの航空小説はどちらかと言えば、事故パニック小説や謀略がからんだ航空もの、それにハイジャックをテーマにしたものが多い。日本の航空小説もその影響を受けていますが、イギリスはちがいますね。主人公が単身、僻地で困難に挑むチャレンジの中で物語が展開する内容が多いですから、まさに血肉躍る航空冒険小説になっています。だから、僻地で難行苦行を強いられる冒険者にはダコタが最も似合うのでしょうね。

クメールからの帰還」ウィルバー・ライト著
(染田屋 茂 訳/角川文庫)
クメールからの帰還

 これもイギリスの冒険小説です。内容がわかりやすいので文庫の裏表紙にある概説をそのまま引用します。「名機ダコタは恐怖から飛び立つ! カンボジアの奥深い谷に旅客機ボーイング707が墜落、炎上する。生存者は4人。元英国空軍パイロットのドナルド・カーターと16才の少年と14才の少女、そして美貌のカンボジア人のキャビンアテンダント 。彼等はモンスーンのジャングルを彷徨い失われたクメール王朝の秘密に遭遇する。だが、四方を切り立つ崖に囲まれたこの谷から帰還するためには米軍が放置していったダコタDC-3を修理して飛ぶ以外にない。秘境に投げ出された人間の恐怖と葛藤、甦る名機ダコタを描く待望の傑作冒険小説」なんといいますか、深さや感銘はないのですが、流れるような活劇はあります。出張のおり、新幹線の中で気楽に楽しむ冒険小説ですね。それにしても、著者の名前、ライト兄弟の兄と同姓同名。きっと著者はペンネームをつけるとき、元空軍のパイロットだったこともありライト兄弟にこだわったのでしょうね。飛行機がたまらなく好きというのがよくわかります。

緑の地に眠れ」ダンカン・カイル著
(田村義進 訳/ハヤカワ文庫)
緑の地に眠れ

 この本と次にご紹介する本「DC-3の積荷」は類似点があり、ともに登場するダコタの飛行シーンはありません。ひとつは密林の中に、もうひとつは砂漠の中に墜落したダコタが核となって物語が展開する構成になっています。さて、「緑の地に眠れ」の著者ダンカン・カイルは英国冒険小説の雄、アリスティァ・マクリーンの後継者といわれる骨太い作風で知られる英国の作家です。余談ですが、アリスティァ・マクリーンの代表作「女王陛下のユーリシーズ号」という海洋小説を最初に読んだとき、僕はその荒れた海の描写に圧倒され、船酔いに似た気分になったことがあります。ダンカン・カイルもマクリーンの後継者、それだけに迫力ある描写でぐいぐいと引っ張ってくれます。軍人あがりの銀行家、トゥニクリフ(ちょっと、異色の主人公です) が、ある女宣教師がもたらした情報、元パイロットだったトゥニクリフの父親がインドネシアのボルネオ島(現、カリマンタン島)で墜落して死亡、そのときダコタに巨額のルビーが積まれていたという情報を聞き、女宣教師とその仲間と共にダコタ機を探しにボルネオの密林深く分け入ります。だが、彼等を待ち受けていたのは想像を超える苦難でした…。この本は新幹線の中ではなく、土曜日の夜、ウイスキーを飲みながら読む本ですね。ダンカン・カイルは「標的の空」という航空冒険小説も書いています。大西洋横断飛行を背景に展開する物語ですが、面白いので機会があればお読み下さい。

DC‐3の積荷(上)」グレイグ・トーマス著
DC‐3の積荷(下)
(田村源二 訳/新調文庫)
DC3の積荷

 この本は航空冒険小説でなく、スパイ小説です。作家、グレイグ・トーマスはケネス・オーブリーという英国情報部の長官が率いる英国秘密情報部の優秀なスパイ、パトリック・ハイドやトニー・ゴドウィンなどが活躍するスパイ・シリーズを書き続けていますが、この「DC-3の積荷」もそのひとつです。内容は亡命した元イギリスの警視庁長官が影で糸を引く大がかりな国際的密輸事件を捜査中の英国秘密情報部はアフリカに墜落したDC-3を発見する。その積荷をもとに物語は波瀾万丈のスリリングな展開をみせる。話が横道にそれますが、「スパイ小説はアメリカ人の発明より、イギリス人の発明である」という論があるように、イギリスには伝統的にスパイ小説が百花爛漫しています。古くはエリック・アンブラーからグレアム・グリーン、レイ・ディトンやジョン・ル・カレ、そして愛すべき007シリーズを書いたイアン・フレミングなどなど…、僕は航空小説を語るよりスパイ小説の話をする方が饒舌になる傾向があり、このブログの編集長竜子さんに「何を書いているのですか?」とお叱りを受けそうなので、今はやめますが、グレイグ・トーマスもその伝統ある英国スパイ小説流れをひいた作家のひとりです。
 しかし彼が世界的に名を知られたのは、スパイ小説ではなくて航空謀略小説といいましょうか、皆様よくご存じの「ファイヤー・フォックス」を発表してからです。クリント・イーストウッド主演で映画にもなりヒットもしましたね。ソビエトの超近代型戦闘機ミグ31を盗み出すという作戦を立てたアメリカとイギリスの諜報部が、アメリカ空軍のパイロット、ミッチェル・ガントを単身、モスクワに送り込みます。その潜入と脱出のドラマはまさにわくわくするような冒険航空小説でした。この「ファイヤー・フォックス」がヒットしてグレイグ・トーマスは続編として「ファイヤー・フォックス ダウン」も書きました。ダコタは登場しませんが、折りをみてこちらもご一読下さい。

 さてさて、お楽しみ頂けましたか?
 DC-3特集最後は、空撮の名カメラマン、アメリカのクレー・レーシーが撮影した美しいダコタの空撮映像を当時の音楽、グレンミラーのビッグバンド・スウィングにのせてお届けしましょう。ご期待下さい。では、また。

武田一男

【航空100年】DC3特集
著作・録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】本ページで使用している音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

【航空100年】DC-3特集 DC-3コックピットの録音

[title_dc3]

 今日はDC-3のコックピットの音をお楽しみ下さい。
ハワイで録音したDC-3の音をこのブログ用に約8分の長さに編集したP&W星型エンジンです。

—————————————-
★「DC-3」挿入:dc3_cockpit.mp3

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

—————————————-

 ニューヨークでの取材の帰り道、日本から来る家族と待ち合わせしていたホノルルで偶然、DC-3を録音する機会にめぐまれました。偶然、しかも念願の機会だったので小躍りして喜んだ記憶があります。今日は音と共にそのことをお話しします。

 今はどうかわかりませんが、ホノルル空港の2階に珍しい飛行機の本を置いている小さな本屋さんがありました。家族がアラモアナに買い物に行くというので、僕はひとりで空港にきてその本屋さんに行きました。本を漁っていると、本屋のご主人との会話になり、そのとき僕がDC-3とスーパーコンステレーションのコックピットの音を録音するチャンスを探している話をしました。すると、本屋の主人は、スーパーコンステレーションはハワイではもう飛んでいないが、DC-3なら今でも時々、飛行しているといい、知人がDC-3の機長をしているので頼んでくれるということになりました。そしてその場で電話してくれると、その機長が明日の朝、6時に空港のターミナルとは反対側の小型機専用のエリアまで来てくれと言っている、というのです。

 とてもうますぎる話の展開に僕は半信半疑で、ともかく録音機材を用意して、朝、タクシーでホテルを出て空港に向かいました。ハワイの離島にフライトする小型機のエリアは空港のはずれの運河の側にあり、運河に沿って小さな格納庫が並んでいます。その中のひとつの格納庫の前に、頭を少し空に向けて駐機しているDC-3がいました。

 それまでに、ホンコンの博物館で天井からつるされたDC-3や、フランクフルトの空港の屋上に展示されているDC-3を見ていましたが、生きたDC-3と逢うのは今回が初めてで、想像したより大きいのに驚きながら、無心にプロペラを触っていると、やっと逢えたな、という感慨か胸を満たしました。昔は美しい緑色だったと思われる機体上部の塗装も色あせて、ところどころが剥げ落ち下地の金属が見えています。機体下部の銀色もすっかり色を落とし風月にさらされた機年齢がひとめでわかるご老体でした。

 そのとき翼の向こうから30代と思われる金髪で長身の男性が出てきて「are you mr takeda?」と明るく手をさしのべて来ました。「私は機長のピーター・ドノバン。君のことはボブ(本屋の主人)から聞いている」と自己紹介をして今日のフライトの予定を話し始めました。その話を聞いて、昨日、頼んだ録音依頼が今日、すぐに可能となった”うますぎる話”のわけがわかったのです。機長の話によると、このDC-3はホノルルを中心にハワイの離島に荷物を運ぶ貨物便だそうで、今日はホテルの荷物をハワイ島とマウイ島に届ける仕事だ、と言うことでした。彼の言うとおり飛行機の反対側の駐機場には椅子やテーブル、洋服掛けなどの家具類からコーヒー豆の入った段ボール、シャンパンやワインなどお酒、庭の芝用の散水機などがうず高く積まれていました。

「君がダコタを録音しようが、写真を撮ろうが、俺は機長としてなんでも協力するよ。しかし条件がある」
「…条件?」怪訝な顔の僕に彼は荷物の山を指さして、「俺と一緒にあの荷物を飛行機に積み込んでくれ。実は労役に頼んだ男が急用で、これなくなった」そして彼は僕に今日のフライトに同行する足の悪い60過ぎの副操縦士と12才ぐらいのボーイと呼ばれている黒人の少年を紹介してくれました。うますぎる話のわけは僕を無給の労役として今日一日雇い入れることだったのです。

 最初に寄港するハワイ島行きの荷物を機体の後部に、次に飛行するマウイ島の荷物を前部に積み込むのに小一時間かかり、それからDC-3はホノルルの空に舞い上がりました。老副操縦士は僕の労役としての仕事ぶりにとても満足し親指を立ててGood、Goodを連発し、少年は大切にしているぼろぼろの漫画の本を見せてくれました。もちろん僕は妙なるP&W星形エンジンの音を思う存分、録音させてもらったことは言うまでもありません。

 ハワイ島に着いて機体後部の荷物を降ろすと僕たちを素晴らしい朝食が待っていました。 想像してみて下さい! ひとけのない朝のハワイ島の空港のはずれ。ダコタが一機停まっています。海風が心地よく吹き、椰子の木が葉音を立てています。夏の日差しが燦々と注ぎ、椰子とダコタの主翼がつくる日陰に使い込まれたアルミのテーブルと椅子を出し、テーブルの上には、かりかりに焼いたベーコンと卵、山盛りのドーナツとコヒーとミルク、それに新鮮なオレンジジュース。荷物の積み降ろしで汗をかいた上半身は裸、バスタオルを首に巻いて朝食をとります。蒼い空…。飛行機好きにとってこんな贅沢な朝食はありませんでした。僕今でもそのシーンと味をありありと思い出します。

 そのあとハワイ島からマウイ島に飛んで荷を降ろし、ホノルルに戻ったのは午後の遅い時間でした。ハワイカイに住んでいるという機長がワイキキは帰り道だというので車でホテルまで送ってもらいました。車の中で機長が話してくれたことによると、彼の奥さんはダウンタウンの病院に勤める女医さんだそうです。結婚3年目で子供なし。奥さんを乗せて空を飛ぶの? という僕の質問に彼はとても小さな声で答えました。
「彼女は飛行機が大嫌いなんだ。飛行機の中でも一番嫌いなのは、DC-3ダコタだってさ」

武田一男

【航空100年】DC3特集
著作・録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】本ページで使用している音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

DC-3の記念映画「a Lady Remembered」

[title_dc3]

 ダグラスの名機DC-3旅客機は航空ファンにとっては忘れられない旅客機です。1935年に北米大陸横断をわずか1回の給油で飛行可能にした長距離機、 しかもブルマン式の寝台つき旅客機としてアメリカン航空の要請で開発されたダグラス・スリーパー・トランスポートを1936年に旅客用に改良したDC-3 はアメリカン航空、TWAなどの大手航空会社が競って就航させ、当時の旅客機の中心的存在になり、かつ、そのあとに勃発した第二次世界大戦で軍用輸送機と して世界中で使われたことはご承知のことと思います。それでここではDC-3のここでは詳細説明は省きますが、このDC-3をダグラス社自体が、どんなに慈しみ、その想い出を大切にしたかを知る貴重な映像がありますのでそれを今日はご紹介しましょう。

 ダグラス社は1986年、DC-3が誕生して50年目に「a Lady Remembered」という映画をDC-3の50年記念キャンペーンの目玉として制作しました。むろん彼らはこの映画をセールス目的のPR映画として 作ったのではありません。ダグラス社の礎をつくった小さな名機DC-3を心から追憶する意味で制作したのです。映画をご覧になればわかりますが、彼らはお 金をかけてつくっています。なかでも特筆すべきは、彼らは映画の中のわずか数カットの空撮シーンのために当時、現存した古いDC-3を金ぴかに磨き上げ、 新しい塗装をほどこし、空を飛ばし、かつ、その姿を当時、アメリカで空撮の名手とうたわれたクレー・レーシー(映画「トップガン」の撮影カメラマンとして も有名)とその仲間に撮影を依頼したことでも彼らの想いをご理解頂けると思います。

 説明はほどほどにしてDC-3の記念映画「a Lady Remembered」をご覧ください。



 尚、蛇足ですが、この映画の日本公開権利を当時、僕の会社がダグラス社から購入しました。残念ながら、字幕は入っていません。その点、見づらいところも あるかもしれませんがお許し下さい。それから、そのときクレーレーシーが撮影したDC-3の空撮映像の全カットのフッテージも合わせて購入しました。それを僕が編集した映像もありますのでこのブログでDC-3特集の最後の回にオンエアーしたいと思っています。こちらも、ぜひ、ご覧ください。

武田一男

【航空100年】DC-3特集
解説 武田一男 ©Director’s House

【著作について】本ページで公開している映像の公開権利は武田一男、及びディレクターズハウスが保有していたものです。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

世界の航空史サウンドエッセイ「わが心のキティホーク」第2回

[title_kittyhawk]

 世界航空史の2回目の今日は、第一次大戦の複葉機の特集です。木村先生のお話を聴いていると、ナレーションというより、先生の大学の講義みたいな感じがしますね。余談はさておき、最初は先生の想い出深いアブロ504K練習機です。


アブロ504K練習機

—————–

★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk21_avro504k.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。
木村秀政先生の解説をお楽しみください。

—————–
アブロ504K練習機

 アブロ社の名前を世界中に広めたイギリスの傑作機で1913年7月に初飛行をしました。第一次大戦初期には偵察爆撃機や夜間戦闘機として使われ、そのあとも1930年代まで世界の軍隊の練習機として活躍、のべ、一万機以上生産されました。複葉機の名機です。


エルファーゲCV1偵察機

—————–

★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk22_cv1.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。

—————–
エルファーゲCV1偵察機

 第一次大戦末期に使用されたドイツの偵察爆撃機。軍用機としてより戦後に民間輸送機に改造され1912年2月から開設されたドイツ初の航空路に使われたことで有名になりました。


ブリストルファイター戦闘機

—————–

★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk23_bristol.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。

—————–
ブリストルファイター戦闘機

 ブリストルファイター戦闘機は強力なロールスロイス・ファルコン200馬力を搭載して1917年の夏に登場したイギリス陸軍の戦闘機で、世界最初の二人乗り、いわゆる複座戦闘機です。戦後も長く使われて英国空軍を退役したのは1932年でした。


ソッピース・キャメル戦闘機

—————–

★「わが心のキティホーク」挿入:kittyhawk24_sopwith.mp3
※「▶」の再生ボタンをクリックするとサウンドが流れます。

—————–
ソッピース・キャメル戦闘機

 木村先生の著「世界航空史案内(平凡社カラー新書)」のソッピース・キャメル戦闘機の解説をそのまま、引用します。
「第一次大戦が生んだ伝説的名機のひとつ。その空戦性能は”カミソリの切れ味”といわれ、ドイツ戦闘機の恐怖の的となる一方、あまりにも鋭敏な操縦性能は未熟なパイロットには敬遠された。しかし名手の操るキャメルの威力は1917年のデビューから終戦までに1294機という驚異的戦果を記録した」

次回はリンドバークのライアンNYP1長距離機や女性飛行家アメリア・イヤハートのフォッカーF7b3Mフレンドシップとロッキード・ベガなどが登場し、木村先生の「航空史講義」はいよいよ佳境に入ります。ご期待下さい。

武田一男

世界の航空史サウンドエッセイ「わが心のキティホーク」
著作・録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「わが心のキティホーク」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

にほんブログ村 その他趣味ブログ 航空・飛行機へ

【航空100年】DC-3特集

DC-3特集では、
マクドネル・ダグラス社の制作した映画や、貴重な空撮映像、ブックレビューなどをお届けする予定です!
どうぞお楽しみに!