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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第10回

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今、大阪伊丹空港に着陸。
 日本近距離航空9175便は大阪伊丹空港に着陸した。午後5時25分であった。
「スタンバイ グランド」
「フラップ15」
「OK、グランド ファン」

着陸のメカニック

 キャプテンはメイン・ランディング・ギアから接地させた後、速やかに且つ静かにノーズ・ランディング・ギアを接地させ、直ちにロー・ストップ・レバーのグランドを指示する。副操縦士は着陸に際しては、キャプテンに不測の事態が起こることも考慮して、いつでも操縦できる体制でなければならない。然し、メイン・ランディング・ギアが接地するまでは直接コントロール・ホイールを握ってはならない。副操縦士は、メイン・ランディング・ギアが接地した時、ロー・ストップ・レバーに左手を添えて、機長の指示があれば直ちにグランドとする。右手はコントロール・ホイールに添えて、ノーズ・ランディング・ギアが接地すると共に、コントロール・ホイールを前方に押す。ロー・ストップ・アンセーフ・ライト及びビロー・ローストップ・ライト2基の点灯を確認し且つエンジン計器に注意して回転がスムーズに低下し、TGTが低下しつつあることを確認して、「ライト・オン」「エンジン・ノーマル」とコールする。キャプテンはプロップ抵抗とブレーキの使用により、減速しなければならない。キャプテンは直進の為、ラダー、ステアリング・ハンドルの操作により方向を維持する。キャプテンは機速が60ノット インディケーターのスピード以下に低下後、ガスト・ロックをオンと指示し、副操縦士はガスト・ロック オンの操作を行なう。ガスト・ロック オンとした後、TGT600℃以下になるまでタキシーの為のパワー・レバーをアドバンスしてはならない。ランディング・ロール中のフラップ・アップの操作の時期は、ランウェイ上のスラッシュ、水等でフラップが破損する恐れがある場合のほかは、ブレーキの使用が終わった後とする。キャプテンは適正な速度で地上滑走を実施しなければならない。副操縦士のコール・アウト・アイテム、「ライト・オン」ロー・ストップ・ライトが点灯したことを確認した後「ライト・オン」「エンジン・ノーマル」をコールする。
「DC ノーマル」
「60」
「ガスト ロック オン」
 揚力を失ったYSは重力に押しつけられ、風の抵抗で急激に減速した。副操縦士は正常に電源が供給され、操舵系統をロックした旨をコールした。甲高いプロペラ音がコックピットにごうごうと響く。
「トーアドメス634 クリア トゥ ランド 32ライト ウインド220 ディグリーズ 2ノット」(東亜国内航空634便へ。滑走路32Lへの着陸を許可します。風は220度から2ノットです)日本近距離航空9175便の後から進入してくる東亜国内航空634便が着陸許可を貰った。日本近距離航空9175便はまだ滑走路32レフトで減速しながら滑走路末端に向かっている。

▼大阪空港のチャート
大阪空港のチャート

「(トーアドメス)634 クリア トゥ ランド 32ライト」(滑走路32Lに着陸します)
「キンキョリ9175 タキシーウェイ ターン ライト ウイスキー7 タクシーウェイ ホールド ショート 32ライト」(日本近距離航空9175便へ。誘導路W7に入って滑走路32Rの手前で待機して下さい)管制官が日本近距離航空9175便へタキシングの指示を出す。
「キンキョリ9175 ラジャ ウイスキー7」(了解しました。W7に進入します)
「そこですね…ホールド ショート Aランウェイ」
 日本近距離航空9175便は速やかに滑走路32レフトから離れ、滑走路32Rの手前まで走行を続けた。

アフターランディングのメカニズム

 パイロットは着陸後、次の点について点検を行う。ロー・ストップ・レバーがグランド状態にあるか、プロップ関係の各ライトが全て点灯しているか、ガスト・ロックをオンとしているか、レディオ・ラック・クーリング・ファンをオンとしているか、防氷系統は全てオフとしているか、無線航法機器は全てオフとしているかなどを確認点検する。フュエル・ブースター・ポンプは1基ずつ使用し、トリム・タブは中立位置に戻し、フラップをアップにする。ウォーター・メタノール系統は全てオフとする、客室与圧が完全に抜けているか否かを点検し、コックピットのテンプ・オート・マニュアル・スイッチをオフとする。

タクシーウェイに入った後、またタクシーウェイが無い空港ではランウェイ末端で180度旋回後、アフター・ランディング・チェックリストを実施する。
「オールニッポン211 ホールド ナンバー2 サプライ ワン ミニッツ」(全日空211便へ。貴機の離陸は2番目です。1分後です)大阪発福岡行きのボーイングB747-SRである。
「オールニッポン510 クリア トゥ ランド 32レフト ウインド 220 ディグリーズ 3ノット」(全日空510便へ。滑走路32Lへの着陸を許可します。風は220度から3ノットです)
「(オールニッポン)510 クリア トゥ ランド 32レフト リービング」(滑走路32Lに着陸します。降下中です)管制官が宮崎発大阪伊丹空港行きの全日空510便ボーイング767に着陸許可を出した。つづいて管制官は花巻発大阪伊丹空港行きのTDA634便YSに着陸を許可した。
「タワー (トーアドメス)634 コンファーム クリア トゥ ランド?」(大阪タワー管制へ。東亜国内航空634便ですが、着陸しても宜しいですか)
「634 …クリア トゥ ランド 32ライト ウインド210 ディグリーズ 4ノット」(滑走路32Rに着陸して下さい。風は210度から4ノットです)
「ラジャ クリア トゥ ランド 32ライト」(了解しました)
 副操縦士は着陸直後の計器操作を終えた後、YSが正常に働いているかの計器チェックを行い、それが終わったことを機長に知らせた。
「アフター ランディング チェック オールコンプリートです」
「はい、どうも」
「クランド クーリング ファン 入れますか?」
「いいんじゃない」
 着陸後、速度を落とす為に使用したブレーキ板の熱を下げる冷却装置を作動させるか聞いたが、まもなくスポットインするのもあって、必要がなかった。
「オールニッポン475 タクシー イン トゥ ザ ポジション アンド ホールド 32ライト」(全日空475便へ。滑走路32Rに進入し待機して下さい)
 大阪発高松行きのYSである。
「ラジャ (オールニッポン)475 イン トゥ ザ ポジション アンド ホールド 32ライト」(了解しました。滑走路32Rに進入し待機します)
「トーアドメス634 ターン ライト C(チャーリー)4 タクシーウェイ コンタクト グランド コントロール」(東亜国内航空634便へ。誘導路C4に入り、以後は大阪グランド管制へ交信して下さい)
 日本近距離航空9175便につづいて東亜国内航空634便YS-11が地上管制に移管した。
「トーアドメス634 C(チャーリー)4 コンタクト グランド」(誘導路C4に入り、大阪グランド管制へ交信します)
「キンキョリ9175 フォロー イング トーアドメス YS オン ユア ライト クロス ランウェイ コンタクト グランド コントロール」(日本近距離航空9175便へ。東亜国内航空のYSの後に続いて、滑走路を横断し、以後は大阪グランド管制へ交信して下さい)

▼大阪空港地上走行プロシージャー
大阪空港地上走行プロシージャー

「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました)
 後から着陸した東亜国内航空634便の後ろに続いて滑走路32Rを横断する許可が出た。管制を大阪グランド管制に移管するよう指示された。
「オールニッポン5…コレクション 211 コメンス タクシー ホールド ショート 32レフト」(全日空5…訂正します。211便へ。タクシーを始めて滑走路32L手前で待機して下さい)離陸を待つ大阪発福岡行きのボーイングB747-SRである。
「211 ホールド ショート 32レフト」(滑走路32L手前で待機します)
「はい、ランウェイ クリアです」
「コンタクト グランド 121.7」
副操縦士は右側を確認し、全日空475便が滑走路内で待機している姿が見える。大阪グランド管制の周波数121.7メガヘルツに合わせると、東亜国内航空634便が交信しているのが聞こえた。
「トーキョー…オオサカ・グランド トーアドメス634 C(チャーリー)4 リクエスト タクシー スポット15 オーバー」(東京…大阪グランド管制へ。東亜国内航空634便です。誘導路C4にいます。駐機所スポット15まで地上走行の許可願います)
「トーアドメス634 ラジャ ターン ライト アルファ タクシーウェイ タクシー ヴィア E(エコー)4」(東亜国内航空634便へ。右に曲がりA誘導路を通って、E4を経由して下さい)
「ラジャ アルファ タクシーウェイ ヴィア E(エコー)4」(了解しました。A誘導路、E4を経由します)
続いて、日本近距離航空9175便は大阪グランド管制へ交信した。
「オオサカ・グランド キンキョリ9175 S(シエラ)4 オーバー」(大阪グランド管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。駐機所S4です)
「キンキョリ9175 ラジャ ターン レフト アルファ タクシー トゥ ゲート」(日本近距離航空9175便へ。左に曲がり、A誘導路を通って、駐機所に向かって下さい)

▼大阪空港スポット
大阪空港スポット

「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました)
「OK、レフト サイド クリア」
機長はタクシーする方向、左側に障害物がないか確認し、ステアリングを左に切った。
少し奥に視線を転じると、駐機所S4が見える。まもなく、スポット・インである。YSは甲高いダートサウンドを奏でながら、走行を続ける。
「えーっと…一番端っこの方ですね、ジャンボの向こうにある…あー居ますね、迷子になんなくて良かったですね」航空機を誘導するマーシャラーが視認(インサイト)出来た。
「大体、定刻通りですかね」
「そうですね、予定より5分、早かったかね」
「出発が10分、早かったですから」
「そうですね」
「マーシャラー インサイト…はい、インサイト」
マーシャラーが両手に持っているパドルを振り、YSを停止位置まで誘導する。
「新聞社の前ですね、こりゃ分りやすいわ」
「ライト ターン ライト サイド クリア」
マーシャラーが右手で右に曲がるようにパドルを振り、誘導する。
「トリマー ディグリーズ」
「カット オフ」
エンジンが切られ、プロペラの回転数が下がる。機長はフライトの最後の確認であるパーキング・チャックリストを副操縦士にオーダーした。
「パーキング チェック」
「ウインド アンド ピトー ヒーター…オフ」
「スターター システム…オフ」
「ブースター ポンプ…オフ」
「インバーター…オフ」
「オルタネーター…オフ」
「アンチ コージョン ライト…オフ」
「キャビン サイン…ワン オフ」
「フラップ…アップ」
「フュエル スイッチ コックピット ヒーター…マニュアル オフ」
「レーダー レディオ アンド トランスポンダー…オフ」
「ウォーター メタノール…オフ」
「トリム タブ…ニュートラル」
「パーキング ブレーキ…オン」
「パーキング チェックリスト コンプリート スリー トゥ ゴー」
「はい、お疲れさまでした」

YS東京-大阪 離陸して着陸するまで1時間25分のフライト。丁度、新幹線の半分の時間であった。

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第9回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

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ラッシュアワーで混雑する大阪伊丹空港へ着陸

 大阪城にライトが照らされ、威風堂々とした風貌は昔と変わらないであろう佇まいである。その大阪城の上を一機、また一機と飛行機が次から次へと伊丹空港へ帰って来る。ある人は仕事が終わった安堵感、あるグループは旅先での楽しい思い出をカバンにたくさん詰め、ある家族は先祖に手を合わせ清々しい気持ちを胸におさめ、それぞれがそれぞれの
思いを乗せ、住まいを構えるこの大阪に帰って来る。
 左には高層ビルが乱立する大阪・梅田が見えるが機長は目も暮れず、前に見える伊丹の滑走路を捉えている。滑走路の側では離陸機が待機し、YS-11の着陸を見守っている。
 風が強くなった。機体がかなり揺れている。YS-11は横風15ノット以上あると着陸できないので、ゴーアラウンドするか他の空港へダイバート(代替空港へ着陸)することになる。また突然のウィンド・シェア(気流の乱れ)で着陸失敗するケースも多く発生しているのでコックピットには緊張感が増した。
「チェック エア スピード フラップ10」
 機長は所定の高度と速度に達した時、フラップ・ダウン角度を指示し、副操縦士は機長の指示にした角度までフラップ・ダウン操作を行なう。
 副操縦士も復唱し、フラップを10度にセットし、無線機の周波数を大阪伊丹空港タワー管制の118.1メガヘルツに変えた途端、流暢なネイティブ英語を思わせる交信がコックピットに響いた。
「トラフィック ジャスト トラフィック インフォメーション ワイエス イレブン アプローチング 7マイル ファイナル フォア 32ライト」(飛行情報です。滑走路32ライトの7マイル先にYS-11が進入中です)
 全日空296便鳥取発のYS-11が進入していることを管制官は離陸機、日本航空321便大阪発福岡行きのDC-10へ告げた。
「あそこね」と機長が前方を下降するYS-11を確認する。そして「あと5マイルだろ…」と 機長が進入最終ポイントでローカライザーに乗るロメオ・キロまでの距離を予測して言った。
「ジャパンエア321 タクシー イントゥ ザ ポジション アンド ホールド 32レフト」(日本航空321便へ。滑走路32レフトに進入し待機して下さい)
「イントゥ ザ ポジション アンド ホールド (ジャパンエア)32レフト」(進入し待機します)
 管制官が滑走路32Rに全日空296便YS-11が進入中であるので、離陸準備が終わっている日本航空321便福岡行きDC-10を滑走路32Lに入れた。灰色の霞の中で微かであるがDC-10の姿を視認(インサイト)できる。
 伊丹空港は14R/32L(Aランウェイ)と14L/32R(Bランウェイ)の2本の滑走路が平行していて、機体の大きさによりどちらかを使い分け、運用効率を上げている。しかし滑走路が2本あるので一度に2機の飛行機が離着陸できると思われるが、滑走路間の間隔が狭すぎるので同時の運用は出来ない。片方が着陸したと同時にもう片方で離陸する変則的な運用方法である。また着陸機は、近隣への騒音関係から逆噴射(リバース)を極力抑えることになっている。

▼大阪空港ランディングチャート図
大阪空港ランディングチャート

▼大阪空港トラフィックパターン図
大阪空港トラフィックパターン図

「オオサカ・タワー キンキョリ9175 アプローチング ロメオ(R)キロ(K)スポット…シエラ(S)4 オーバー」(大阪タワー管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。現在RKに向かっています。…駐機所はS4です)
「…」他機と同時に交信したので、管制官が新聞社のヘリコプターと交信している内容と混じってボイスが聴き取れない。
「(他機との交信が)被るな…」
 時として、他機と交信が重なることがある。交信を担当するパイロットは割り込ませまいと、そして割り込もうとして少しでも機の状況を報告し、いち早く着陸したいという心理なのだろう。この割り込みこそ交信を担当するパイロットの腕が試されるところでもある。引っ切り無しに交信がコックピットに響く。
「オールニッポン296 ディパーテッド アウターマーカー」(全日空296便です。アウターマーカーに到達しました)鳥取発の全日空296便YS-11が最終進入に入った。
「オールニッポン296 ユア ライト ブレイク?」(全日空296便へ。右側に針路を取っていますか?)
「アファーム ナウ ライト ブレイク」(はい、右側に針路を取っています)
「296 ラジャ コンティニュー アプローチ リポート 3マイル フォア 32ライト」(了解しました。そのまま進入を続けて下さい。滑走路32Rの3マイル手前で報告して下さい)
「ライト ブレイク 3マイル」(右側に針路を取りし、3マイル手前で報告します)
「…オオサカ・タワー ハウ ドウ ユー リード」(…大阪タワー管制です。聴こえていますか?)
 機長が副操縦士にギアレバーを指さして車輪を降ろすように指示する。副操縦士はギアレバーを降ろし管制官と離陸しているヘリコプターとの交信の途切れの一瞬の隙に再度、交信を試みた。
「オオサカ・タワー キンキョリ9175 アプローチング ロメオ(R)キロ(K)オーバー」(大阪タワー管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。現在RKに向かっています)
 ランディング・ギアを下に引き下げると同時に、前輪と主輪が姿を現し、大きなうねり声にも似た、風を切る音が響く。
「キンキョリ9175 ラジャ リポート ライト ブレイク ランウェイ 32ライト」(日本近距離航空9175便へ。了解しました。右側に針路を取ったら報告して下さい。着陸滑走路は32ライトです)管制官は日本近距離航空9175便を全日空296便の後につけて32ライトに降ろすつもりである。
「キンキョリ9175 ラジャ スポット シエラ(S)4」(了解しました。駐機場はS4です)
 速やかに交信がなされ、最後に駐機場の場所を告げた。
 伊丹空港のスポットはS4で、空港北側にある沖合いの場所、滑走路04L付近である。YS-11はPBB(パッセンジャー・ボーディング・ブリッジ)と接続できないので、乗務員を始めお客様は一旦外に出て、バスでターミナルに向かうことになる。
「ダウン アンド スリー グリーン」 副操縦士が計器で車輪が降りている確認をした。ランディング・ギアが完全に下がり、指示灯がグリーンに点灯し、ウォーニング・ライトがレッドに消灯したのを点検し、「ダウン アンド スリー グリーン」をコールする。そして現速度を確認しフラップ角度を20度にセットするよう指示した。
「チェック エア スピード フラップ20」
 YS-11は順調に下降を続けている。
「ジャパンエア321 トゥ ディパーチャー コントロール フリクエンシ ウイル ビー119.5 ウィンド220 ディグリーズ 6ノット クリア フォア テイクオフ 32レフト」(日本航空321便へ。離陸後ディパーチャー管制へ交信して下さい。周波数はおそらく119.5になるでしょう。風は220度から6ノットです。滑走路32Lからの離陸を許可します)
「ジャパンエア321 クリア フォア テイクオフ」(離陸します)
 管制官は日本航空321便福岡行きのDC-10に離陸許可を発出した。続いて32ライトに降ろす全日空296便YS-11に指示を出す。
「オールニッポン296 クリア トゥ ランド 32ライト ウィンド コレクション ウィンド 200 ディグリーズ 5ノット コーション タービランス DC-10 デパーティング 32レフト」(全日空296便へ。滑走路32Rに着陸して下さい。風は200度から5ノットです。32LからDC-10が離陸滑走中です。タービランスに注意して下さい)
「ラジャ 296…」(了解しました)
 副操縦士は、着陸直前のビフォア ランディング チェックリストを読み上げた。
「フュエル ヒーター…オフ」
「プロップ ライト…」
「ギア…ダウン グリーン」
「ハイドロ・プレッシャー…チェック」
「HPCレバー…ロック アウト」
「レーダー…スタンバイ」
「ビフォア ランディング チェックリスト コンプリーテッド ビフォア トゥ ゴー」
「はい、了解」
 ビフォア・ランディング・チェックリストは、1000フィート プラス エレベーションまたはギア・ダウン後に実施することになっている。不必要な防氷系統とフュエル・ヒーターをオフとし、ウォーニング・ライトが消灯していることを確認する。スピル・バルブをマニュアルとし、フット・ウォーマーをオフとする。ロー・ストップ・レバーがフライトの位置にあり、ロー・ストップ関係の指示灯が消灯していること及びハイ・ストップ関係の指示灯が点灯していることを確認し、HPCをロック・アウトとする。
 斜め横からかなりの風が吹いて機体を揺るがせている。「風が強いね…」と機長は操縦桿を持つ手に力を入れた。YS-11は主翼が空(くう)を捉え、プロペラが空を切り裂き、ダート・サウンドが空を震わせ、大阪・伊丹空港32Lに向かっている。全てのギアは既に機外に出て着陸態勢を整えている。
 ランディング・チェックリストの残り、トリムの計算をして副操縦士が報告した。
「デイ・トリム、84%です。」
「はい、了解」
 フュエル・トリマーをデイ・トリムにセットする。レーダーはスタンバイとする。
 YS-11は高層ビルが乱立する梅田上空に差し掛かろうとしている。着陸前のランディング・チェクリストを完了し、あとは地面に着地するだけである。コックピットには否応無しに緊張感に包まれる。飛行機事故の大半は、離陸の4分と着陸の7分の計11分間に発生し、クリティカル11ミニッツ(魔の11分)と云われている。
 日本近距離航空9175便の後ろを飛行している東亜国内航空634便花巻発大阪伊丹空港行きが大阪タワー管制に入って来た。
「オオサカ・タワー トーアドメス634 ディセンド トゥ 2500 アプローチング ロメオ(R)キロ(K)オーバー」(大阪タワー管制へ。こちら東亜国内航空634便です。RKに向かって、現在2500フィートで降下しています)
「トーアドメス634 ラジャ リポート ライト ブレイク ランウェイ 32ライト」(東亜国内航空634便へ。了解しました。滑走路の右側に進入する針路を取ったら報告して下さい。着陸滑走路は32ライトです)管制官は後続のTDAのYS-11に滑走路32ライトを指示した。
「634 リポート ライト ブレイク ランウェイ 32ライト」(右側に針路を取ったら報告します。滑走路は32ライト)
 着陸態勢を取りつつも、機体は刻一刻と滑走路ライトに向かっている。
 このとき管制官は後続機の都合で日本近距離航空9175便に滑走路ライトからレフトへの着陸変更を交信してきた。
「アンド ア- レフト ブレイク キンキョリ9175 チェンジ ア- ブレイク ランウェイ 32レフト リポート アウターマーカー」(日本近距離航空9175便へ。航路を左側に変更して滑走路32レフトに進入して下さい。アウターマーカーに到達したら報告して下さい)
「32レフトですね」と急に滑走路の変更があったので副操縦士が機長に確認した。そしてATCのマイクをとる。
「キンキョリ9175 ラジャ 32レフト リポート アウターマーカー」(了解しました。滑走路32レフトに進入し、アウターマーカーに到達したら報告します)
「32レフトね」機長は再度確認した。

▼大阪空港ランウェイ32R進入図
大阪空港ランディングチャート

▼大阪空港ランウェイ32L図
大阪空港トラフィックパターン図

 YS-11は機体が小さいので通常、伊丹空港では約1800mの滑走路14L/32Rを使用することか多い。
「32レフトとなるとですね…」
 副操縦士は着陸滑走路が変わったので、着陸後の誘導路の確認する。
「(滑走路)エンドまで行くんですよ、それから(誘導路)に入って行きますからね」
と機長は3000mの滑走路の端までタキシングして誘導路に入ることを指示した。
「了解しました」と副操縦士。そのとき管制官から32レフトへの着陸許可が出た。
「キンキョリ9175 クリア トゥ ランド 32レフト ウィンド220 ディグリーズ 6ノット」(日本近距離航空9175便へ。滑走路32Lへの着陸を許可します。風は220度から6ノットです)
「キンキョリ9175 ラジャ クリア トゥ ランド」(了解しました。着陸します)
 管制官はつづいてTDA679便大阪発米子行きのYS-11に呼びかけた。
「トーアドメス679 ユー レディ?」(東亜国内航空679便へ。離陸準備は整っていますか?)
「679 クリア フォア テイクオフ?」(離陸していいですか?)
「679 ラジャ タクシー イントゥ ザ ポジション アンド ホールド 32ライト」(滑走路32Rに進入して待機して下さい)
「(トーアドメス)679 32ライト」(了解しました。進入します)TDAの米子行きのYS-11は滑走路32ライトからの離陸が決定、日本近距離航空9175便を32レフトに変えてその着陸を待たずに離陸させようとしている。管制官は一時も滑走路を無駄に使わないのだ。日本近距離航空9175便は刻一刻と滑走路に近づいている。
「チェック アウターマーカー」
 機長は空港の最も外側にある着陸用の無線発信機があるアウターマーカーを通過したことをコールした。このマーカーの上を通過するとき、ピーピーピーという無線発信音が鳴り、空港の着陸進入の指定高度と進入進路が間違っていないことをパイロットに知らせる。
 現在、高度は約1500フィート。京都・大阪の水瓶である琵琶湖から大阪湾に流れ注ぐ淀川上空を通過し、滑走路が正面に姿を現した。微かに離陸した飛行機が左旋回をし、32Rには東亜国内航空679便YS-11が滑走路脇に待機しているのが見える。
「ランウェイ インサイト」 機長が滑走路を確認した。
「真っ直ぐ、前」
「オッケー アウターマーカー ノーセンス」
「えーっと、そのままで行きますからね」
「はい、了解しました。」
 日本近距離航空9175便は、真っ直ぐに滑走路32ライトに向かっていた機首を若干左側に寄せて降下を続ける。前方の滑走路32レフトには前を飛行していた全日空296便YS-11が着陸するのが見えた。管制官が着陸した全日空296便YS-11に呼びかける。
「オールニッポン296 ターン ライト チャーリー(C)4 タクシーウエイ コンタクト グランド コントロール」(全日空296便へ。右に曲がり誘導路C4に入って、以後は大阪グランド管制へ交信して下さい)
 全日空296便が滑走路32レフトから抜け出している様子がコックピットからも見える。
「ウイスキー(W)8 タクシーウエイのチャーリー(C)5に入る感じですかね」
「そうですね」
 着陸後の誘導路の再確認を行った。次から次へと離発着を繰り返している空港である為、速やかに滑走路から離れなければ、次の飛行機に影響を及ぼしてしまう。
「デイ・トリム セット」
 副操縦士は復唱した。いま飛行状態は安定し降下を続けている。
「トーアドメス679 ディパーチャー コントロール フリクエンシー119.5 ウィンド200 ディグリーズ 5ノット クリア フォア テイクオフ 32ライト」(東亜国内航空679便へ。離陸後ディパーチャー管制119.5 へ交信して下さい。風は200度から5ノットです。滑走路32Rからの離陸を許可します)管制官は滑走路32ライト横に待機していた東亜国内航空679便YS-11に着陸してくる日本近距離航空9175便より先に離陸の許可を出した。待機していた東亜国内航空679便はすぐ離陸滑走を始めた。
 日本近距離航空9175便は刻一刻と滑走路に近づいている。
「デイ トリム OK ワン タウザンド…125(ノット)」
 副操縦士が、デイトリムの確認と現在の高度(1000フィート、約300メートル)と速度(125ノット、約時速200キロ)を同時に読み上げる。
「オン コース オン グライドパス」副操縦士は計器を見ながら進入経路上に飛行機が飛行し、降下経路を示すグライドパスの周波数に一致していることをコールした。
「ウォーター メタノール オン…ツー グリーン」
 ウォーター・メタノール系統を作動させた場合は、指示灯により系統の点検を行なうことになっている。
「じゃあ、スピルは任せますね」
「はい、了解しました。もうスピル、マニュアルにします」
「あと、フラップだけです。」
「はい、了解」
「500(フィート)… チェック エア スピード フラップ35」
 あと着地まで約150メートル滑走路が目の前に近付いてきた。フラップを35度にセットするよう指示した。滑走路が手に届く程に目の前に広がる。
「フラップ35 コンプリート ランディング ダブル チェック オールコンプリートです。」
「はい、了解」
 ランディング・フラップ35度にセットした後は、作動油圧、作動油量及びギア・ダウンを再確認する。副操縦士は高度500フィート プラス エレベーションから100フィート前に高度及び速度のコールを行ない、以後スレッシュ・ホールド(滑走路末端通過)するまでそのコールを続ける。そして、着陸の最終確認したことを機長に報告する。
「インナーマーカー」 空港の内側、滑走路の入り口にある進入着陸用の無線信号機の上を通過する。この無線の発信音を聴いてパイロットは進入決定限界高度を確認する
「200(フィート、約60メートル)… デシジョン・ハイ」
 高度200フィート通過。
「オオサカ・タワー オールニッポン510 エスタブリシュド ローカライザー」(大阪タワー管制へ。こちら全日空510便です。ローカライザーに到達しました)
「オールニッポン510 ラジャ リポート アウターマーカー 32レフト」(全日空510便へ。了解しました。アウターマーカーに到達したら報告して下さい。滑走路32Lです)
「32レフト」管制官は進入している全日空510便767を滑走路32レフトにつけて日本近距離航空9175便のあとを飛行させた。その前を東亜国内航空634便が32ライトに向かって進入している。この時刻、次から次へと伊丹空港に向かって飛行機が進入して来るのだ。
 日本近距離航空9175便は徐々に高度と速度を落とし、眼下で滑走路が段々と大きく、そして北へと続いている。
「100(フィート、約30メートル)…102(ノット、時速160キロ)」
「100(ノット)…」
「98(ノット、約150キロ)…」
「スレッシュ ホールド」
 滑走路末端を通過した。32Lの文字上を駆け抜け、目の前に長さ3500メートルの滑走路32のアスファルトが続いている。コックピットの緊張感は最高潮に達していた。
 機長はスレッシュ・ホールドを高度約50フィート プラス エレベーション、適正なVスレッシュ・ホールドで通過し、正しく接地点に接地するよう操作をした。必要着陸路長は正しいグライド・パスを進入し、適正なスレッシュ・ホールド・スピードでスレッシュ・ホールドを50フィート プラス エレベーションで通過することを基準としている。スレッシュ・ホールド通過後、沈みに応じて徐々に飛行を起こし、グランド・エフェクトが現れる所から、静かにパワー・レバーをミニマムまでリデュースし、その間ノーズ・アップの姿勢で接地する。因みに、通常ノーズ・アップは約10度にすると、胴体リブ下面が地面に接触することがある。
「タワー (トーアドメス)634 ライト ブレイク」(大阪タワー管制へ。東亜国内航空634便です。右側に針路を取りました)管制官は日本近距離航空9175便のすぐ後に進入中の花巻初のTDA634便YS-11が呼びかけてきた。
「トーアドメス634 ラジャ …コンティニュー アプローチ…」(了解しました。進入続けて下さい)
「ラジャ コンティニュー アプローチ 634」(了解しました)
 日本近距離航空9175便は着陸地点に迫った。機長はスラストレバーをアイドル状態にし、コックピットは一瞬の間、静寂に包まれた。
「ゾーン」
 副操縦士が着地点を示す位置をコールしたと同時に、YS-11はメインギアを接地させる。「ドン」とメインギアが接地した音の後に、ノーズギアが静かに接地する。フラップとプロペラに強烈な風が当たり、YS-11は急激に減速した。
 日本近距離航空9175便は無事、雨が上がった大阪伊丹空港へ着陸した。時刻は17時25分である。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第8回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

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大阪伊丹空港へアプローチ

 YS-11は現在、奈良県を飛行している。この先、大阪伊丹空港への進入口ヤマト・ポイント上空で高度を6000フィートにしなければならない。
「キンキョリ9175 ターン ライト ヘディング 310 メインテイン 6000」(日本近距離航空9175便へ。機首を310度に右旋回して、6000フィートに降下して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ ターン ライト ヘディング 310 メインテイン6000」(了解しました。機首を310度に右旋回して、6000フィートに降下して下さい)
「ライト クリア」と機長は、副操縦士に右方向に異常がないか確認を指示した。
「ライト サイド クリア」(右方向、異常なし)
 予定より早めに右旋回を始め、伊丹空港へ向かう。 続けて管制官は日本近距離航空のYS-11のすぐ後から下降している花巻発大阪伊丹空港行きのTDA634便YSに指示を出した。
「トーアドメス634 イクスペクト ライト ターン イン 5マイル」(東亜国内航空634便へ。5マイル先で右旋回を予定しています)
「634 ラジャ」(了解しました)
 今度は宮崎発大阪伊丹空港行きの全日空510便ボーイング767へ7000フィートまでの下降許可を出した。
 これで日本近距離航空9175便YSの後に東亜国内航空634便YS、そのあとに西から進入してきた全日空510便767がつづく。そして日本近距離航空9175便YSの前方下には、全日空296便鳥取発のYSが3500フィートで、その前をロメオ・キロを通過して最終進入に入ったシンガポール6便が伊丹に下降している。
「オールニッポン510 フライ ヘディング 080 ディセンド アンド メインテイン 7000」(全日空510便へ。機首を080度に旋回し、7000フィートまで降下して下さい)
 高度12000フィートを飛行している全日空のボーイング767へTDAのYSの後へ7000フィートまで下降して7000フィートで高度を維持する旨、指示が出る。
「510 ヘディング 080 ディセンド 7000 リービング 12000」(080度に旋回し7000フィートまで降下します。現在の高度は1万2000フィートです)
「このまま、(空港まで)真っ直ぐですね…」ランウエイ32へのアプローチはこのあと、生駒上空を3500フィートで通過してロメオ・キロで2500フィートにならなければならない。

▼大阪伊丹空港ILS RWY 32Lアプローチチャート
大阪ヤマト進入チャート

「ラジャー・キング(ロメオ・キロ)まで15マイルの内、2500(フィート)まで落とさないといけないからね」
「キンキョリ9175 ディセンド アンド メインテイン 5000」(日本近距離航空9175便へ。5000フィートまで降下して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ ディセンド トゥ 5000 リービング 6000」(了解しました。6000フィートを離れ5000フィートまで降下します)
「1000 ビフォア」副操縦士は飛行高度の1000フィート前のコールをした。現在高度4000フィートである。
 管制官は福岡発大阪行きの日本航空320便DC-10を呼んだ。
「オオサカ・アプローチ ジャパンエア320 メインテイン フライト レベル150」(大阪アプローチ管制へ。こちら日本航空320便です。1万5000フィートを飛行しています)
「ジャパンエア320 オオサカ・アプローチ レーダー コンタクト ディセンド アンド メインテイン7000 リデュース 250ノット」(日本航空320便へ。大阪アプローチ管制です。貴機をレーダー捕捉しています。7000フィートまで降下して、250ノットまで減速して下さい)
「ラジャ ディセンド 7000 リデュース 250 ジャパンエア320」(了解しました。7000フィートに降下し250ノットに減速します)
 管制官は日本航空DC-10を全日空767の後へつける様だ。そしてヤマト・ポイントの手前を飛行中のTDAのYSをロメオ・キロに向ける。
「トーアドメス634 ターン ライト ヘディング 200」(東亜国内航空634便へ。機種を方位200度へ右旋回して下さい)
「634 ライト ヘディング200」(200度へ右旋回します)
 次々と伊丹空港へ進入する航空機の交信が飛び交っている。
「ナンバー2、ILS入れときます?」ADF2無線機へILSの信号を入れるかどうかを副操縦士が尋ねた。
「まだ、いいです」まだ、ロメオ・キロまで達してはいない。ILSはその先の生駒VORにある。
「ヤマト(ポイント)、過ぎましたね」現在、大阪への進入、ヤマトポイント上空を通過した。
「オールニッポン296 4マイル フロム ロメオ(R)キロ(K) ターン ライト ヘディング290 ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア アプローチ コンタクト タワー 118.1」(全日空296便へ。RKから4マイル手前で機首を290度に右旋回して降下し、高度2500フィートを維持し、以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「ラジャ 290 2.5 クリア フォア アプローチ 296」(了解しました。290度に旋回し、2500フィートに降下、維持します)管制官は日本近距離航空9175便の 前を飛んでいる鳥取発の全日空296便鳥取発のYSを空港タワーコントロールに移管させた。
「オーケー、それじゃね、ナンバー2を…」
 機長は副操縦士にADFの周波数をILSに合わせる指示を出すと同時に、管制官から新たな交信が入った。
「キンキョリ9175 ディセンド アンド メインテイン 3500 フォア ザ ローカライザー」(日本近距離航空9175便へ。3500フィートに降下し、ローカライザーに乗って下さい)まさに最高のタイミングで管制指示が出た。
「9175 ディセンド 3500 リービング 5(000フィート)」(3500フィートに降下します。現在5000フィートです)
 副操縦士が中央ペデステルにあるADFを操作しているので、機長が替わりに交信を行なった。
「ILSをセットして、そちら(ナンバー1)をラジャー・キング…じゃなかった113.9入れといて…」
 113.9とは伊丹空港内に設置されているVOR/DMEの周波数である。
 雨雲が切れて奈良から大阪につながる市街地が灰色の中に浮かび上がる。
「トーアドメス634 ターン ライト ヘディング 230 メインテイン 5000」(東亜国内航空634便へ。機首を230度に右旋回して、5000フィートに降下して下さい)
「634 ライト ヘディング 230 メインテイン5000」(了解しました。230度に右旋回し5000フィートに降下します)
  管制官はTDAのYSを日本近距離航空9175便の後へ並ばせようとしている。次ぎにTDA634便の後にいる全日空510便宮崎発のボーイング767へ指示を出す。
「オールニッポン510 リデュース 210ノット」(全日空510便へ。210ノットに減速して下さい)速度が遅いTDA634便YSが前方にいるので、管制官が全日空510便進入速度の調整をした。
「510 ラジャ」(了解しました)
 機長は伊丹空港に進入する際の確認項目、アプローチ・チェックリストを副操縦士に指示する。
「はい、アプローチ・チェックリスト」
「ブースター ポンプ…ボース オン」
「フュエル ヒーター…」
「キャビン サイン…オン」
「アンチ スキッド…オン」
「ギア レバー…ニュートラル」
「プレスシャリゼーション…チェック」
「ハイドロ レバー…ノーマル」
「アプローチ チェックリスト コンプリーテッド」
 アプローチ・チェックリストは通常、3000フィート プラス エレベーション(空港の標高)に到達した時に実施する。
「はい、オーケー、非常にいい天気だね、レーダースタンバイしましょう」
 今までの豪雨が嘘のように去り、まだ所々に灰色の雲が残ってはいるものの、視界が鮮明になった。右手前方には大阪と奈良の境目である生駒の山並みが、東大阪市から八尾市にかけて、八尾空港を眼下に眺めながら、家々そして中小企業の工場が密集していて、遥か先の左手には高層ビルが乱立している梅田が霞んで見える。
 伊丹空港に着陸する他機の交信が、このエリアを飛び交っている。混雑空港である伊丹空港の進入は、シビアな高度と速度が求められるのでコックピットはもちろん、管制官との間に緊張感が漂っている。この空港は全国的に類を見ない、都市部と住宅街の上空を高度を下げながら着陸する空港である。騒音訴訟、それに伴ってジェット機枠や離陸高度の制限、空港運用時間の制限と縛り付けが多い空港であるが、利便性が良く、羽田に次いで全国各地との路線を持っている有数の空港である。
「あと10マイルで1000フィートね」現在高度4000フィートなので生駒山上空を3500フィートで通過するにはあと10マイルで1000フィート下降しなければならない。
「オールニッポン510 ターン レフト ヘディング060」(全日空510便へ。機首を060度に左旋回して下さい)
「510 レフト ターン 060」(060度に左旋回します)宮崎からの全日空B767が左旋回を始めた。
「ジャパンエア320 ディセンド アンド メインテイン 5000 ディパーテッド シノダ ヘディング 080 フォア レーダー ベクター」(日本航空320便へ。5000フィートに降下し、信太VOR/DMEに到達したら、機首を080度に旋回し、レーダー誘導を行います)
「ラジャ ジャパンエア320 ディセンド アンド メインテイン 5000 ディパーテッド シノダ ヘディング 080」(了解しました。5000フィートに降下し、信太VOR/DMEに到達したら、機首を080度に旋回します)
 西から進入してくる全日空510便767機の後に日本航空福岡発のDC-10機が続く。前方に再び薄い雨雲が広がり始めた。
「エンジン・アンティアイス 入れときましょうか?」
「いや、いいです」
「まだ、ラジャー・キングまで持っていくから」
 機長はエンジンの防氷装置を入れずに、そのまま進入することを伝えた。管制官は花巻発のTDAYS-11を日本近距離航空9175便の後へそろえラジャーキングに向かわせようとしている。
「トーアドメス634 ターン ライト ヘディング 270 ディセンド アンド メインテイン 3500」(東亜国内航空634便へ。機首を270度に右旋回して3500フィートまで降下して下さい)
「634 ライト ヘディング 270 ディセンド トゥ 3500」(270度に右旋回して3500フィートまで降下します)
「14マイル…」3500フィートで生駒のVORを通過した。ラジャー・キング(ロメオ・キロ)まであと14マイルである。そして、空港まで残り22km。着陸に向けて高度を下げ、眼下の建物が迫ってきた。
「キンキョリ9175 6マイル フロム ロメオ(R)キロ(K)ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア アプローチ コンタクト タワー118.1」(日本近距離航空9175便へ。RKから6マイル手前で2500フィートになるように降下し下さい。進入を許可します。以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア アプローチ コンタクト タワー」(了解しました。2500フィートに降下し進入して下さい。以後は、大阪タワー管制へ交信します)
 最終進入態勢を整えたYSは大阪タワー管制へ交信を始める。灰色に煙る地上の景色が降下と共に、段々と速く後に消えていく…。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第7回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

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大阪アプローチ

 まもなく大阪伊丹空港への進入が始まるが、ここまでのルートを整理してみると、午後3時56分に羽田空港の滑走路15Lから離陸し、東京ディパーチャー管制へハンドオフし、浦賀を7000フィートで通過後、機首を266度に右旋回し、横須賀VORを目指し上昇。その後、横田アプローチにハンドオフし、高度1万フィートに到達後、巡航に入った。静岡県の焼津、浜松に設置しているVORをほぼ定刻に通過し、愛知県の渥美半島の先端にある河和に設置しているVORを通過した。離陸してから雲の中を飛行し、雨が降りしきる中、順調に飛行を続ける日本近距離航空9175便は、現在伊勢湾上空を飛行している。
「ちょうど今、伊勢湾の上ですね」
 機長が大阪アプローチ管制へ交信を始めた。
「オオサカ・アプローチ キンキョリ9175 オーバー」(大阪アプローチ管制へ。こちら日本近距離航空9175便です)
「キンキョリ9175 オオサカ・アプローチ アイデント メインテイン 10000」(日本近距離航空9175便へ。大阪アプローチです。貴機を認識しています。10000フィートで飛行して下さい)
「メインティニング 10000」(10000フィートで飛行します)
「キンキョリ9175 レーダー コンタクト」(貴機をレーダーで捕捉しています)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました)
 大阪アプローチ管制との最初の交信を終えた。これから着陸まで大阪の管制官から細かな飛行指示が出されるはずだ。現在1万フィートで飛行している。
「(方位)276(度)に出ちゃいますけどね」
「しょうがないね」
 上空の風なのか、方位276度から少し外れる。
 コックピットには、千歳空港から伊丹空港へ戻ってきた全日空776便とアプローチ管制の交信が行き交う。
「オールニッポン 776 4マイル ロメオ(R)キロ(K) ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア ILSアプローチ ランウェイ32レフト コンタクト タワー 118.1」(全日空776便へ。RKから4マイル手前で2500フィートに降下し、滑走路32LにILSで進入して下さい。以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「776 ラジャ ディセンド 2500 クリア フォア ILSアプローチ」(了解しました。2500フィートに降下し、ILSで進入します)
「オオサカ・アプローチ トーアドメス634 9000 インフォメーション ビクター(V)オーバー」(大阪アプローチ管制へ。東亜国内航空634便です。現在9000フィートで飛行し、航空情報Vを受信しています)
「トーアドメス634 アイデント」(東亜国内空港634便へ。貴機を認識しています)
「(トーアドメス)634 アイデント」(了解しました)
「トーアドメス634 レーダー コンタクト ディセンド アンド メインテイン 8000」(東亜国内航空634便へ。貴機をレーダー捕捉しています。8000フィートまで降下して下さい)
「(トーアドメス)634 ディセンド アンド メインテイン 8000」(8000フィートに降下します)
 岩手・花巻空港から大阪へ向かう東亜国内航空のYS-11であった。
「(方位)276(度)にそろそろ持って行きますか?」
 機首を方位276度に合わせ、一路ウエイポイントであるYAMATを目指す。
「オールニッポン296 フライ ヘディング140 フォア レーダー ベクター」(全日空296便へ。機首を140度にし、レーダー捕捉します)
「ラジャ フライ ヘディング 140 (オールニッポン)296」(了解、機首を140度にします)
 間もなく、鳥取から大阪へ戻ってきた全日空296便との交信を傍受した。296便もYS-11である。
 寸刻の中でアプローチ管制と到着機が交信している。
「オールニッポン166 リデュース 180ノット」(全日空166便へ。180ノットに減速して下さい)
「ちょっとスピード落とそうか」
「そうですね、ちょっとしんどいですね」
 天候のせいもあるが、エンジンがフル回転のまま飛行して来た。もう間もなく、降下が始まる。シンガポール航空が西から大阪アプローチ管制へ交信した。
「シンガポール6 ディセンド メインテイン 5000 ディパーテッド シノダ ヘディング050 フォア レーダー ベクター」(シンガポール航空6便へ。5000フィートまで降下し、信太VOR/DME上空に到達したら機首を050度に旋回し、レーダー誘導を行います)
「ヘディング…コレクション 5000 ヘディング 250」(5000フィートに降下、機首を250度にします)
 突然、YS-11は雲を出た。周囲が幾分明るくなったが、依然として下はまだ、別の大きな雲海が続いている。
「シンガポール6 アフター シノダ ヘディング050」(シンガポール航空6便へ。信太VOR/DMEを通過後、機首を050度に向けて下さい)
「オーケー アフター シノダ 050 フライ ヘディング 5000 シンガポール6」(了解、信太VOR/DMEを通過後、機首を050度に向けて、5000フィートに降下します)
「おー、(雲から)出ましたね」
「ちょうど、(雲)の真上だから揺れるんだよ」
 雲が二層になっていて、上の雲を抜け出したが、下の雲のトップを霞めながら飛行するので、機は小刻みに揺れている。
「トーアドメス634 フライ ヘディング 140 フォア レーダー ベクター」(東亜国内航空634便へ。機首を140度に旋回し、レーダー誘導を行います)
「トーアドメス634 レフト ヘディング140」(機首を140度に左旋回します)
「トーアドメス634 ディセンド アンド メインテイン 7000」(7000フィートまで降下して下さい)
「トーアドメス634 コンティニュー トゥ 7000」(そのまま7000フィートまで降下します)
 管制官より伊丹空港への下降の交信が入った。
「キンキョリ9175 ディセンド アンド メインテイン 7000」(日本近距離航空9175便へ。7000フィートに降下して下さい)
「9175 メンテニング トゥ 7000 リービング トゥ 10000」(7000フィートに降下します。現在1万フィートです)
 YSは再び灰色の雲に包まれながら、地上の景色を探り出すかのように高度を下げて行く。
「オールニッポン296 ディセンド アンド メインテイン 3500」(全日空296便へ。3500フィートに降下して下さい)
「じゃあ、こっから(操縦を)代わろうか」
「はい、ユー ハブ」
「アイ ハブ」
「7000ですね」
 ウエイポイントであるYAMATの手前で操縦が代わった。これから副操縦士が交信を担当する。副操縦士は降下を始めたことを管制官へ報告を始めた。
「キンキョリ9175 ナウ リービング トゥ 7000」(日本近距離航空9175便です。現在7000フィートに向かって降下中です)
 伊丹空港への進入経路を説明すると、愛知県渥美半島にある河和VORを経由したYSは伊勢湾を横切り、紀伊半島上空に入る。そして、進入ポイントであるYAMATのウエイポイントを高度6000フィートで通過し、機首を321度に向ける。その方角が大阪・伊丹空港の滑走路32の方向になる。これを「ヤマト・アライバル」といい、東から飛んできた飛行機はこの進入経路によって伊丹空港へ着陸する。空港への進入はSTAR(スタンダード・ターミナル・アライバル・ルート)と各方角から飛んでくる飛行機によってその経路が異なる。

※大阪ヤマト進入チャート(クリックで拡大します)


大阪ヤマト進入チャート

「オールニッポン166 ターン レフト ヘディング 320 フォア ザ ローカライザー」(全日空166便へ。機首を320度に左旋回して、ローカライザーに乗って下さい)
「320 ローカライザー」と、端的に復唱した。
長崎から大阪へ向かっている全日空166便が計器着陸装置の軌道に乗る。
「それじゃあね、ナンバー1のADFをラジャー・キングにセットして」
 大阪・伊丹空港への最終進入地点である大阪NDBの周波数をセットするよう指示した。
機長は「ラジャー・キング」と言っているが、大阪NDBはRK(ロメオ・キロ)というポイント名である。独自の言い方なのか定かではないが、「ラジャー・キング」とも言えるのだろう。
「トーアドメス634 ディセンド アンド メインテイン 6000」(東亜国内航空634便へ。6000フィートに降下して下さい)
「634 コンティニュー ディセンド トゥ 6000」(そのまま6000フィートに降下します)
「キンキョリ9175 フライ ヘディング 270 フォア レーダー ベクター」(日本近距離航空9175便へ。機首を270度にして下さい。レーダー誘導を行います)
 副操縦士は端的明瞭に復唱した。伊丹空港は羽田、成田に次ぐ混雑空港なので、引っ切り無しに飛行機が飛び交っている。特に着陸機は飛行計器の確認などロードワークが煩雑なので、端的明瞭な交信をすることが大事である。
「オールニッポン166 4マイル ロメオ(R)キロ(K)ディセンド アンド メインテイン 2500 クリア フォア ILSアプローチ ランウエイ32レフト コンタクト タワー 118.1」(全日空166便へ。RKから4マイル手前で2500フィートに降下し、滑走路32LにILSで進入して下さい。以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「ラジャ 2.5 クリア フォア アプローチ」(了解。2500フィートに降下し、ILSで進入します)
 ここでも端的明瞭な交信が行なわれている。「2.5」とは2500フィートのことで、通常「ツー タウザンド ファイブ ハンドレッド」だが、「ツー ポイント ファイブ」と交信することもあり、簡略ながら管制官に伝えることが出来る。
 機長は伊丹空港32R末端の数10メートル手前に設置されている大阪VOR/DMEの電波周波数を合わせるよう副操縦士に指示をした。
「そっち(ナンバー2のADF)を大阪、入れといて…伊丹」
「シンガポール6  ディセンド アンド メインテイン 4000」(シンガポール航空6便へ。4000フィートに降下して下さい)
「シンガポール6 ディセンド アンド メインテイン 4000」(シンガポール航空6便へ。4000フィートに降下して下さい)
「113.9」
 副操縦士はADFのナンバー2に大阪VOR/DMEの周波数をセットし、機長は確認した。
「トーアドメス634 ディセンド アンド メインテイン 5000」(東亜国内航空634便へ。5000フィートに降下して下さい)
「634 ディセンド トゥ 5000」(5000フィートに降下します)
「アンド トーアドメス634 セイ スピード ナウ」(現在の速度を教えて下さい)
「(トードメス)634 ナウ 210(ノット)」(210ノットです)
「634 ラジャ リデュース 190ノット …ナンバー4 イン ファイナル」(190ノットに減速して…着陸は4番目です)
「ラジャ リデュース 190 ナンバー4」(了解しました。190ノットに減速します)
 機長は大阪・伊丹空港への降下の打合わせを始めた。
「プレスシャリゼーション セット」
「インフォメーション ベクター トゥ オオサカ」
「ランウエイ32 アルティメーター2987」
「ILSアプローチ ランウエイ32」
「ディション・ハイ(着陸を決定する最終高度)が261フィートですね」
 ここでYS-11の下降時のテクニカルを説明すると、まずパイロットは降下に伴い航法計器、ADF、VOR、ILS等を点検し、所要の周波数の設定を行なう。燃料系統については、フュエル・ブースター・ポンプを全てオンとする。フュエル・ヒーターはインディケーターOATが、20℃以下では2分間マニュアルとして予熱し、その後オフとする。但し、この操作は飛行中、インディケーターOATが摂氏5℃以上あった場合は行なわなくよいことになっている。フュエル・トリマーは目的地のデイ・トリムの2分の1にアプローチでセットする。ギア・レバーを中立位置とし、バイパス・レバーをノーマルとする。作動油圧はノーマル、すなはち規定内にあり且つ油量に変化がないことを確認する。尚、切り替えスイッチはノーマルに戻す。レディオ・アルティメーターの進入限界高度のインデックス及びカウンターを499フィートにあることを点検する。但し精密進入を行なう場合には、その時のディシオン・ハイ・アルチュードにセットする。
「シンガポール6 アプローチング …シノダ ヘディング 050…」(シンガポール航空6便です。…信太で機首を050度…)
「シンガポール6 ディス スタンバイ ディパーテッド ヘディング 040 ディセンド アンド メインテイン 4000」(シンガポール6便へ。通過後機首を040度に旋回し、4000フィートまで降下して下さい)
「ワン タウザンド ビフォア」副操縦士は8000フィートを通過したことをコールした。
降下の準備が整い、機長は副操縦士にディセンド・チェックリストを指示した。
「ディセンド チャックリスト」
「プレスシャリゼーション…セット」
「アルティメーター デシジョン・ハイ…セット アンド クロス チャック」
「ランディング・データ アンド ブリーフィング…チェック アンド レディオ」
「リクエスト 89」
「はい、89…90でもって行きますから」
「はい、了解しました」
「ディセンド・チャックリスト コンプリーテッド」
「はい」
「ミスト・アプローチ(進入復行)をやっておきますとね。アット デシジョン・ハイでメイク イミーディエート クライムで(方位)321(度)、そのままのヘディングですね。アンティル インターセプト125 フロム オスカー…イタミですね。ゼン コメンス レフト ターン…ソウ アス トゥ クロス イタミNDB アット オア 1200(フィート)。500 ビフォア…。コンティニュー クライム トゥ 3,500フィート オン200 フロム イタミ(NDB)。ゼン レフト ターン ウエスト シノダ。プロシード トゥ シノダですね。一応、それで行きます。」
 着陸のやり直しの場合、事前に設定していた着陸決定高度から速やかに上昇し、方位321度に飛行する。但し伊丹NDBから方位125度に飛行に際しての障害物がある。それから、左旋回を始めて、1200フィート以上で伊丹NDBを横切り、3500フィートまで上昇を続けて伊丹NDBから方位200度で飛行、それから左旋回して信太NDBに向かう
「トリマー、50」
「オオサカ・アプローチ オールニッポン510 インフォメーション ビクター オーバー」(大阪アプローチ管制へ。こちら全日空510便です。空港情報Vを受信しています)
「オールニッポン510 アイデン…レーダー コンタクト ディセンド アンド メインテイン 1200」(全日空510便へ。貴機をレーダーで捕捉しています。1200フィートまで降下して下さい)
「510 メインテイン 1200」(1200フィートまで降下します)
宮崎空港からのB767、全日空510便に降下の指示がおりた。
「シンガポール6 ディセンド アンド メインテイン 2500」(シンガポール6便へ。2500フィートまで降下して下さい)
「シンガポール6 2500」(2500フィートまで降下します)
「(オールニッポン)296 3.5」(全日空296便です。現在3500フィートです)
「296 エクスペクト イン 25マイル」(全日空296便へ。25マイルまで維持して下さい)
「ラジャ」(了解しました)
 アプローチ・チェックリスト、ミスト・アプローチの打ち合わせが終わると直ぐに、降下の指示がきた。
「キンキョリ9175 ディセンド アンド メインテイン 6000」(日本近距離航空9175便へ。6000フィートまで降下して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ ディセンド トゥ 6000」(了解しました。6000フィートまで降下します)
 雨は止み、土を掘り起こすが如く雲を掻き分け、YSは6000フィートに向かって徐々に高度を下げて行く。YAMATポイントまであともう少しである。このポイントで機首を310度に右旋回をして、ほぼ伊丹空港滑走路32の延長線上を飛行する。伊丹空港に進入する機体の交信が引っ切り無しに飛び交う。
「オールニッポン510 リデュース 250」(全日空510便へ。250ノットに減速して下さい)
「510 ラジャ」(了解しました)
「あと30マイルですね、大阪まで」
「はい」
 大阪VOR/DMEまで30マイルを切った。
「ヤマト・ポイントは、あと10マイル」
まもなく右旋回が始まる。
「シンガポール6 ターン レフト ヘディング 350 ディセンド アンド メインテイン 2500 5マイル ロミオ(R)キロ(K) クリア フォア ILSアプローチ 32レフト コンタクト タワー118.1」(シンガポール6便へ。機首を350度で左旋回し、RKから5マイル手前で2500フィートに降下し、滑走路32LにILSで進入して下さい。以後は、大阪タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい)
「オールニッポン296 ターン ライト ヘディング230 メインテイン 3500」(全日空296便へ。機首を230度に右旋回をして下さい。高度は3500フィートです)
「ラジャ 230 メインテイン3.5 オールニッポン296」(了解しました。3500フィートで飛行します)
「6000」今、6000フィートに達した。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第6回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

 現在、浜松上空。
「(方位)272(度)」YS-11はわずかに右旋回して河和に向かった。機長が浜松上空通過のレポートを管制官に伝える。
「トーキョー・コントロール キンキョリ9175 チェック ハママツ 10000 コウワ…」(東京コントロールへ。日本近距離航空9175便です。浜松を通過しました。高度1万フィートです)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました)
「まだ入ってますね、カンパニー(無線)が」VHF無線の3チャンネルに入れておいた羽田空港の近距離航空運航部とのカンパニー無線が浜松を過ぎてもまだ聞こえている。
「これから河和に向かいます。河和まで29マイルですね。ちょっと予定より1,2分遅れていますね」と副操縦士が確認して窓から外を見る。
「ずっと、今日は雲の中ですね」言わずもがなであるが、こんな梅雨前線の中を操縦していささか、疲れを感じていた。そして大阪への進入方式を確認した。河和からは大阪への進入航路になるので機長と交代できるかもしれない。それにしても、疲れた、と思った。
「河和からヤマト・アライバルですね」
「(方位)249度」
「じゃあ、河和まで(操縦を)やって下さいね。河和から交代しますからね」
 大阪・伊丹空港に進入を始める辺りで操縦桿を引き継ぐことを副操縦士に伝えた。まもなく操縦から解放されることにホットして副操縦士は愚痴を言う。
「オーパイ(オート・パイロット)が付いてないと、こういう時大変ですね」
「そうね」
「三宅(島)・大島ぐらいだったら良いですけど…」
「オーパイ ついてないのですか?」、の問いに機長は、
「ついてないです、ここについてないと駄目なんですけどね」
「この飛行機だけなんですよ、他のは全部ついてるんですけどね」
 このYSにはオート・パイロットが装備されていない。雲の中を、雨が降りしきる中をマニュアル(手動)で飛行している。雲に入ると飛行機は上下左右に揺れる。それを如何にして揺れを抑制出来るかが、マニュアル操縦するパイロットの腕の見せ所である。しかし疲れる。
 空を飛んでいる時に相手にするのは、気まぐれな風と天候である。オート・パイロットが装備されていない機体であれば、パイロットは急変する天候と風による機体の飛行状況を体で感じる。つまり計器にそれらの動きが出て来てから動作をすれば遅いのである。そんな状況の中、飛行姿勢を維持しなければならないのは並大抵なことではない。操縦桿を握る両手、ラダーを踏み込む両足、状況を目視する両目、それらを判断する脳と、全神経をそれらに集中させなければならない。そういう意味ではオートパイロットが装備されていないYSは、パイロットの技量を磨ける飛行機であり、人間的な飛行機であろう。
「そうね。YAMATまで(操縦を)やってもらおうかな」機長は伊丹空港に下降する最初の地点YAMAT・POINTまで副操縦士に操縦桿を握ることを伝えた。離陸、上昇、そして下降、着陸は機長が操縦桿を握るということだ。
「はい」と答えながら、副操縦士はこりをほぐすように肩を上下させ、首を大きく回した。まだまだつづく泥濘ぞ、である。現在、渥美半島上空。相変わらず雨の中を飛行して下界はみえない。
「だんだん、(天気が)悪くなって来ましたね」 レーダーを見ながら副操縦士が言った。
「まぁ、それ程でもないから…まだ、明るいからね」 機長はレーダーの中の緑色の雲を指さして答える。
「雨がひどいですね」レーダースクリーンに映る雨の影を見て副操縦士がため息をついた。こんな時、手動での巡航が大変なんですよ、と心の中で愚痴っているようにも見えた。
「雨なんです、今レーダー上に出てるのが雨なんです」
「雨が、ずーっと続いていきますからね」機長がレーダーの距離範囲を伸ばしてニャニャ笑う。コーパイは苦労してなんぼなんだよ、と言わんばかりだ。それにしても見渡すばかり雲、雲だ。
 突然、厚い雨雲につっこんで窓の外が少し暗くなった。
「(コックピット内が)少し寒くないかね…ちょっと(温度を)上げてくれる」
 YSは頑丈に製作された為、機体重量が重く、その割に馬力がそれ程ない、夏のコックピットは暑い、冬は股引を履かなければならない程の寒さ、雨が降れば機内に入り込んで、電気系統が濡れて誤作動を起こしたり、部品を錆び付かせるなど、色々と酷評に晒された。然し、この「じゃじゃ馬」を誰も見放さなかった。初の国産旅客機なだけに、立派に育てようと航空関係者だけではなく多くの人々が一生懸命になり、その愛着は桁外れであった。 その結果、30年の長期に亘って日本を始め世界中を飛び回った。YSは他機にはない”親しみ”と、それ以上に”味”があった。
 名古屋空港から離発着する他の日本近距離航空のカンパニー無線と上空を飛行している全日空300便が東京コントロールと交信している。
「ワイパーは全然、必要ないですね」フロントガラスに雨が滝のように流れて全く視界がきかない。なぜ、こんなときワイパーを使わないのかという質問に機長が答える。
「これで、スピードで飛んでると一緒なんですよ」
「スピードが遅くなってから、使いますけどね」
 大粒の雨が叩きつける中、YSは順調に飛行を続けている。
視界が全くない上に、雨が降っている中で、且つオートパイロットが装備されていないYSは、地上から発せられるVORの電波を頼りに確実に飛行ルート上を飛んでいる。YSに限らず旅客機には車と同様、正面の窓にワイパーが装備されているが、地上走行や離着陸時以外に使うことはない。上昇中や巡航中は、もの凄い速度で飛んでいるので、雨が窓に当たっても後方に吹き飛んでしまう。
 雨が当たる音とプロペラ音で他機との交信が聞き取り難い。
「トーキョー・コントロール ジャパンエア120 グッドアフタヌーン クライミング トゥ190 フォア リービング ワン ツー タウザンド オーバー」(東京コントロール管制へ。こちらは日本航空120便です。1万9000フィートに向けて、現在1万2000フィートを通過中です)
「ジャパンエア120 トーキョー・コントロール スクォーク アイデン」(日本航空120便。了解しました。貴機を認識しています)
この近距離航空9175便と同じように羽田を16:00に出発し、伊丹へ向かう日本航空120便、B747SRの交信が入ってきた。
「ずっと大阪まで雨じゃないですか」 うんざりしながら、副操縦士が、又、首のこりをほぐすように首を左右にまわした。
「ずっと雨ですね」 機長は又、笑ってとぼける。そしてウエザーレーダーの説明を始めた。
「これが現在30マイルなんです。」
「これが10マイルずつ、これやると80マイル…これが180マイル」
「雨やエコーの解析は30マイルなんです。ここの中が真っ黒になるんですね」
 レーダー・アンテナは機首部分レドームの中に取り付けられており、上下15度の範囲で作動する。画面は中央ペデステルのレバー関係の前に設置している。ウエザー・レーダーはスイッチを入れれば作動する訳ではなく、中央ペデステル後方の機長側にレーダー関連のスイッチが配置されていて、左のツマミをスタンバイ位置にして、ウォームアップを行なう。レーダーは3段階に切り替えられ、最大180マイル先の雲の状態を捉えることが出来るが、密度の薄い雲は反応しない。
「ジャパンエア120 レーダー コンタクト 30マイル ウエスト…」(日本航空120便へ。レーダーで捕捉しています。西30マイル先…)
「ジャパンエア120 ラジャ リクエスト クライム トゥ 230」(了解しました。2万3000フィートへの上昇を要求します)
「ジャパンエア120 ラジャ クライム アンド メインテイン フライト レベル 230」(日本航空120便へ。了解しました。2万3000フィートまでの上昇を許可します)
「120 ラジャ サンキュー コンティニュー クライム 230」(ありがとうございます。2万3000フィートまで上昇します)
「オールニッポン776 ディセンド アンド メインテイン 150…」(全日空776便へ。1万5000フィートまで下降して下さい…)
「オールニッポン776 ディセンド 150…」
「オールニッポン776 アファーマティブ」(その通りです)
 雨が叩きつけ、小刻みに揺れることでコックピット内は雨の激しい音で交信が聴き取り難い。窓の外は飛沫が上がってまるで潜水艦のようである。
「すごい雨ですね…アイシングがまだないですね。今ちょうど、プラス2℃ぐらいですから」
 雨が降れば気温が下がるのでエンジンが凍りつく可能性がある。これだけの豪雨の中を飛行しているが、高度が低いのが幸いして外気温はまだ摂氏2℃なので、そこまでには至っていないようだ。
「あと、河和まで7マイルですね、河和から(方位)256度、アウトバウンド。それから信太(シノダ)の(方位)276度にインターセプトです」
「はい」信太は大阪の和泉市の信太山にある航空標識である。
 ウエイポイントの河和まで、もう少しである。そこから伊丹空港に向かうルートの概略とフライトプランを副操縦士は再度確認した。
「クリアランスリミットはヤマト・ポイントです」 羽田を離陸する際に管制に貰った飛行終点は大阪に進入を始めるヤマトまでである。その先伊丹までは再度、大阪のアプローチ管制からクリアランスを貰わなければならないのだ。
 雨が激しくなった。「福岡も大雨が凄いらしいですね」と機長の家がある福岡の話を始めた。無線からは名古屋から長崎へ向かう全日空機の交信が聞こえている。
「オールニッポン372 レーダー サービス ターミネイテッド スクォーク 0200…」(全日空372便へ。レーダー補足の限界です。貴機の認識番号は0200です…)
「ラジャ オールニッポン372」(了解しました)
 今、河和上空を通過した。
「(方位)256(度)」
 河和を通過したので機首を256度に左旋回し、紀伊半島の大台ヶ原上空から大阪・伊丹空港への進入経路であるヤマト・ポイントに向かう。
「キンキョリ9175 パッシング コウワ 10000 オーバー」(日本近距離航空9175便です。河和を通過しました。1万フィートです)
「キンキョリ9175 ラジャ」と、管制官は応答し、YSは一路ヤマト・ポイントに向かう。
「えーと…53分、いいとこだね」
「40ノットぐらい、吹いてるんじゃないですかね、ジャスト・オン・タイムですね」
 凡そ河和を予定時刻に通過し、伊勢湾上空に差し掛かった。現在高度は1万フィート。
「オールニッポン776 レーダー サービス ターミネイテッド コンタクト オオサカ アプローチ」(全日空776便へ。レーダー捕捉の限界です。以後は大阪アプローチに交信して下さい)
大阪から千歳へ向かうB747SRである。
「776 ラジャ スイッチング」
 管制エリアが変わる度に、「コンタクト〜」と言う場合と、「スイッチ トゥ」または「スイッチング」と表現する場合がある。交信内容は同じだが、パイロット毎に表現が変わるのは面白い。
「256」と方位を副操縦士が確認し、「256度だから」と機長も確認する。副操縦士は「ライトサイド・クリアー」と右の窓から外を確認し灰色一色で何も見えない雲の中をゆっくりと左旋回を始めた。
しばらくするとレーダー・スクリーンの緑色の雲影に小さな空間が見え始めた。
「穴が開いてるんですかね…そうじゃないですかね」
「ここがちょっと、空いてるとこなんだ」 機長が雲影を指さす。そこだけが緑色が幾分薄くなってきている。
「あ、そうですか…あんまり良くないですね」
「もう、まもなく空くと思うよ」 まもなく雲から出ると長年の勘で機長が予測した。そして、もう、雲はうんざりだ、というような顔をしている副操縦士に笑いかけた。
2に切り替えて、(信太VOR/DMEの)276度、チェックして」
「はい」浜松に入っていたADF2を信太に切り替える。大阪の信太にあるVOR/DMEは、大阪・伊丹空港に進入する経路(ヤマト・アライバル)のウエイポイントであるYAMATの延長線上にある地上誘導施設である。
「福岡の空港もすぐに水が出たんじゃないですか」
「空港そのものが排水が悪いからね。あそこに水が溜まるんですよね。もう洪水だったよ。」
「バスなんか使えなかったんじゃないですか」
「バス、使うしかないんだよね。お客さん、歩いて行く訳にいかんしね」
 以前として雨が機体を叩きつけ、プロペラ音と重なって、パイロットの声も自然と大きくなる。
「トリマー、ちょっと絞りますか」
「もうこれ以上、絞れない」
 今、黒い雨雲を抜けた。
「大阪のATIS、入りますかね」
「まもなく、入るでしょ」
「入れてみますか、ATISは128.6(メガヘルツ)です。」
 大阪・伊丹空港の現況を聞く為、機長は周波数を合わせた。ATISとはAutomatic Terminal Information Serviceの頭文字を取ったもので、空港近辺の気象や滑走路の使用状況を知らせる自動放送である。気象は刻一刻と変わり、それによって使用滑走路が変わる場合があるので、その度に新しいATISが放送される。放送の最後にアルファベットが付される。着陸する飛行機はどのATISを聞いたかを管制官に報告をしなければならない。
「ディス イズ オオサカ・インターナショナル・エアポート インフォメーション ビクター オオサカ 0800 130 トゥ 230 ディグリーズ 7ノット ビジビリティー 10 キロメーター 1…1500フィート 3…5000フィート 5…8000フィート テンプラチャー24 デューポイント21 QNH2987インチズ ユージング ランウエイ 32 ILS アプローチ インフォ オオサカ・アプローチ オア オオサカ・グランド イニシャル コンタクト ザッツ ユー ハブ レシーブド インフォメーション ビクター」
(大阪国際空港情報V、国際標準時 0800時現在です。風の方位は130度から230度の範囲で7ノット、視程は10キロメートル、1500・5000・8000フィートに雲があります。気温は24度、露点は21度、気圧は29.87インチ、使用滑走路は32のILSアプローチ、大阪進入管制または大阪地上管制へ空港情報Vを受信したことを通報して下さい)
「いい天気だね」機長は空港の状況に安堵したのか、少し笑顔を見せた。
「2987」気圧を復唱しセットした。
 管制官は飛行ルートや空港など、その地点の気圧を飛行機に伝える。気圧は飛行する上で非常に重要で、その気圧値によって高度計が示す高度の変調を修正するのに必要な大事な値である。管制官が間違って伝えたり、パイロットが聴き間違いをすればニアミスなどの惨事を招くこともある。もちろん他の事柄にも注意を払うが、気圧に関しては非常に神経を尖らせる。
「今日みたいに、本当にこんな風に飛んでると 腕が疲れちゃいますね」 副操縦士が右手を操縦桿からはなして手首を揺らして疲れを取る。
「そうだね」と機長、少しは同情気味に微笑んで副操縦士を見た。
 先程も触れたが、このYSにはオートパイロットが装備されていない。体で外の状況を瞬時に判断し操縦桿を操作するので、集中力が途絶えることがない。然しパイロットも人間なので疲れも出てくる。そんな中パイロットの2人は余裕とも言えるような笑顔である。
「このシートの改修は、まだやらないんですかね」
「やらないそうです」
「慣れちゃうと、そんな気にもなんないんですけどね、私なんてこればっかりずーっと乗ってますから」
「私は、これ好きなんだよ」
「私も好きなんですよ」
長年に亘って飛行しているとパイロット・シートも劣化してくる。そんなシートに長時間座っていると疲れて来るものだが、パイロットはこのYSのパイロット・シートに愛着を感じているみたいである。
「オールニッポン300 コンタクト トーキョー・コントロール 118.3」(全日空300便へ。以後は東京コントロール118.3メガヘルツに交信して下さい)
「ラジャ 119.3 グッディ」(了解しました。さよなら)
鳥取から羽田へ向かうYS-11が、9175便とすれ違うように東京コントロールへと抜けていった。
 エンジン音が雲を震わせ、プロペラが切れ間を見せない雲を掻き分け、そして雨を振り払うロールスロイス製ダートエンジンが、勢いよく回っている。現在、伊勢湾上空に入った。
「しばらく(雨雲から)出ますね。3分間ぐらい」
 レーダー上に映っていた雨雲の隙間が段々、近付いて来た。
「キンキョリ9175 コンタクト オオサカ・アプローチ 124.7」(日本近距離航空9175便へ。以後は大阪アプローチ124.7メガヘルツに交信して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ コンタクト オオサカ・アプローチ 124.7 サンキュ」機長は復唱し、大阪アプローチ124.7メガヘルツに合わせた。
いよいよ伊丹空港へのアプローチが始まる。依然として雲の中を飛行し、雨は降り続いている。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第5回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

静岡上空、豪雨に突入

 管制エリアが再び東京コントロールに変わった。
「トーキョー・コントロール キンキョリ9175 メンテニング 10000 スコーク 4672 オーバー」(東京コントロール管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。高度1万フィートでレーダー認識番号は4672です)
「キンキョリ9175 トーキョー・コントロール ラジャ エリアQNH 2990」(了解しました。QNHは2990です)
「ラジャ 2990 9175」(了解、2990)   
 周囲が少し明るくなり、雲と雲の間に出た。
「エンジン・アンティアイス 切っときますか」
「はい」
 雨が止んだので副操縦士がエンジンの防氷装置をオフにする。そして窓から下界を眺めた。
「ずーっと、下(地上)が見えないですね」下界は 雲、雲、雲、無数の灰色のこぶのように連なっている。
「現在、伊豆半島上空ですね」 計器を見ながら機長がいう。
「伊豆の所を通る時、ちょうど熱海の上を通るんですよね、熱海の上、丁度通って行きますね、横須賀からダイレクト(直行)すると」副操縦士も地図を見ながら言う。
「そうですね」 と機長、そのとき、又、YS-11は大きな暗い雨雲に入った。
「(エンジン・アンティアイス)入れときますか…また降ってきたな」
 梅雨前線の影響で雨が再び降り出した。目まぐるしく猫の目のように天気が変わる。
「もう横須賀のVOR・・・」横須賀のVORを受信していたADF2を見て副操縦士が言った。
「ナンバー2(ADF)も浜松、入れときますか」
「はい、どうぞ」
「これはVORだけです」副操縦士はADF2を浜松のVORにセットした。
 雨が激しくなった。フロントガラスに音を立てて雨の水滴が飛び散る。
「トーキョー・コントロール ジャパン42スケジュール96 メンテニング セブン タウザンド オーバー」
「ジャパン42スケジュール96 トーキョー・コントロール ラジャ エリア QNH2990」
「ラジャ 2990」(了解しました。2990ヘクトパスカル)
「アファーマティブ」(その通りです)
「今、TASが215(ノット)ですね」 エアースピードを副操縦士が読み上げる。
千歳空港から大阪へ向かう全日空のB747SR機とのやり取りが入ってきた。
「オールニッポン776」(全日空776便です)
「オールニッポン776 トーキョー・コントロール ラジャ」(全日空776便、了解しました)
「20分で着くな…ちょっと(到着が)早くなるね」機長が浜松までの時間を予測して言った。正面からの風が予想したようには強くない。
「GS(グランド・スピード)195…(風が)40ノットも出てないですね…30ノットぐらいのとこですね」
「これ(雨)、強いよ」機長がレーダーを見ながら行く手に待ち受ける大きな雨雲をさして言った。
「あと…15マイルか、7分後…あれだな」
「正面(の雨雲)ですね」 副操縦士が窓から外を確認する。15マイル先の黒い雲は肉眼で見ても周囲の雲より険悪に聳えている。
「トーキョー・コントロール トーアドメス463 クライミング 230 オーバー」(東京コントロール管制へ。こちら東亜国内航空463便です。2万3000フィートに向かって上昇中です)
「トーアドメス463 ラジャ スクォーク4701」(東亜国内航空463便へ。了解、貴機の認識番号は4701です)
「ラジャ」(了解)
東京コントロールから、名古屋空港から仙台空港へ向かう、東亜国内航空のDC9に認識番号が付与された。
「あと浜松(VORまで)、50マイル」
「そうですね」
「丁度いい高度、通ってるからね」
 高度10000フィートあたりで雲の層が上下に分かれており、飛行航路は上下の雲の間、いわゆるBetweenといわれる状態になっている。
「丁度、いいですね」
 又、雨が激しくなった。レーダーの前方にも濃い雨雲が映っている。YS-11のコックピットは大型ジェット旅客機に比べてエンジン音や外の音が身近に聞こえる。ジェット旅客機を車に例えると外音を遮断した大型リムジン内部と、布の幌をかけた小型スポーツカーの内部にいる違いと言えるだろう。それだけに空を飛んでいるという実感もするとパイロットは言う。
「大阪が…1時間半…ちょうど(午後)5時ぐらいですか」
「そうですね」
「(午後)6時ぐらい…5時半…あと1時間…5時半ですね、やっぱり。予定通りですね」
 大阪のETAを計算して副操縦士は予定通り伊丹空港に到着する旨を機長に伝えた。こんな天候でもYS-11はすこぶる元気に飛び続けている。就航当時は雨に弱いというクレームが多かったYS-11も今は改良されて強固になっている。
「トーキョー・コントロール トーアドメス463 ナウ リポート リーチング 230 オーバー」(東京コントロール管制へ。こちら東亜国内航空463便です。現在、予定高度の2万3000フィートに到達しました)
「トーアドメス463 ラジャ」(了解しました)
 飛行機は飛行プランで承認した高度に到達すれば、管制官にその旨を報告しなければならない。
 レーダーに映っていた濃い大きな雨雲に飛び込んだ。飛沫がフロントガラスにバチバチと音をたてて飛び散る。まるで荒海でモーターボートに乗っているみたいだ。
「トーキョー・コントロール オールニッポン314 メインテイン200」(東京コントロール管制へ。こちら全日空314便です。2万フィートを飛行しています)
「オールニッポン314 トーキョー・コントロール ラジャ メインテイン200」(全日空314便へ。東京コントロール管制です。了解しました。そのまま2万フィートで飛行して下さい)
「200(フィート)」(2万フィートで飛行します)
名古屋から新潟へ向かうB727である。
「今、浜松のNDBのインバウンド トラッキングで(方位)260(度)、インターセプトしています」
 雨音とエンジン音でコックピットの騒音が高くなり会話も自然と声高になる。
「ぜんぜん(地上が)見えないですね」
「そうですね」
「そう(雲の厚さが)強くないから大丈夫、雨は降ってるけどね」
「フライトレベルよりも、(雲が)ずーっと高いですね」
 機体全体を雲が覆いつくし、周りの景色はおろか、地上さえも見えない状況が続いている。1万フィートで飛行しているが、濃い雲はそれよりも遥かに高くそびえているのでラッキーといえばラッキーだ。。
「よし、(方位)260(度)」浜松への方位をインターセプトした。
「あー、また(雨雲に)入ってきたな」
「キンキョリ915…コレクション キンキョリ9175 コンタクト トーキョー・コントロール125.7」(日本近距離航空917…、訂正します、日本近距離航空9175便へ。以後は東京コントロール管制125.7メガヘルツに交信して下さい)
「トーキョー 125.7」(東京コントロール125.7メガヘルツに交信します)
 管制エリアが東京コントロール管制の近畿東セクターに移管された。離陸してから半分の位置まで飛行してきた。現在、静岡の駿河湾上空を飛行中だ。
「オールニッポン334 リバイズ メインテイン 10000」(全日空334便へ。1万フィートに訂正します)
「334 ラジャ 10000 ターン ライト ヘディング 050」(了解しました。1万フィートで飛行し、方位050度に右旋回します)
「オールニッポン334 ラジャ」(了解しました)
「トーキョー・コントロール キンキョリ9175 メンテニング 10000」(東京コントロール管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。現在1万フィートです)
「キンキョリ9175 トーキョー・コントロール ラジャ エリア QNH2989」(了解しました。気圧は2989インチです)
「2989」(気圧2989インチで了解しました)
「オールニッポン334 エリア QNH2989」(全日空334便へ。気圧は2989インチです)
「(オールニッポン)334 ラジャ 2989」(了解しました。気圧は2989インチ)

「河和から(方位)270度」 河和は知多半島の東側にある町で知多湾に面している。ここにあるVORは大阪へ飛行する際の進入地点となっている。
 副操縦士は河和から大阪・伊丹空港へ進入するルート(ヤマト・アライバル)の方向を確認した。
「オールニッポン326 エクスペクト 0200 レーダー サービス ターミネイテッド コンタクト ナゴヤ エアポート」(全日空326便へ。貴機の認識番号は0200です。レーダー捕捉の限界ですので、以後は名古屋空港へ更新して下さい)
「0200 コンタクト ナゴヤ エアポート オールニッポン325…コレクション 326」(当機認識番号0200、名古屋空港に交信します。全日空325…訂正します、326便)
「オールニッポン326 アファーマティブ」(全日空326便へ。その通りです)
「オールニッポン334 リバイズ メインテイン 9000」(全日空334便へ。高度9000フィートにして下さい) 熊本発名古屋行き全日空334便B727が名古屋小松空港へ下降中である。
「ラジャ 334 ディセンド 9000 パッシング 112」(了解しました。高度9000フィートに降下します。現在1万1200フィートです)
「オールニッポン334 ラジャ レーダー サービス ターミネイティド スクォーク0200 コンタクト ナゴヤ エアポート」(全日空334便へ。了解しました。レーダ捕捉の限界です。貴機の認識番号は0200です。名古屋空港へコンタクトして下さい)
「ラジャ スイッチ トゥ ナゴヤ グッディ」(了解しました。名古屋と交信します。さよなら)
「オールニッポン27 ディセンド アンド メインテイン 150 クロス 」(全日空27便へ。1万5000フィートまで降下して下さい)
 羽田発大阪空港行きB747SR全日空27便が河和VORへ向けて高度を下げ始めた。雲の中の飛行機が次々と管制官に誘導されていく。
 上空の雲が少し薄くなって来た。が、他の機影は見えない。下は一面の雲海が見渡す限りつづいている。まもなく焼津上空だ。
「そうですね、あと22マイルぐらいですね、浜松が」
「(浜松市街が)全然見えないですね」
「浜松の競艇場がいつも見えるんですよね」
 一切の視界を与えない雲に阻まれ、計器のみで位置を確認しなければならない。
「焼津、いま過ぎましたね」
「焼津、チェック」
 日本屈指のマグロとカツオの水揚げを誇る焼津上空を通過した。これから掛川から浜松へと飛行する。
 副操縦士が機長に自衛隊に居た時の話を始めた。
「機長は静浜(基地)にいらっしゃらなかったんですか」
「私は居たことはないですね」
「あの、メンターをね、(受け)取りに行ったこと、一回あるのね」
「(受け)取りにですか?」
「だから、あそこに降りたことはある、それから3機ぐらい、持って帰ったことあるね」
「あと、何て言うの…後方飛行と言うのかね、あれで行って…何回か行ったことはあるんだけどね」
「昔はメンターは空幕だったじゃないですか」
「海幕でも貰ってね、貰うということで、3機貰ったんですよね。」
「いい飛行機だったね」
「ええ、今はもう全部T-3」
「そうね」
 静浜基地は航空自衛隊の操縦士の初等教育を任務としている。卒業生は戦闘機、旅客機、ヘリコプターと多種多様なパイロットを輩出していることで有名である。この基地には、操縦の教育や整備を担当する「第11飛行教育団」、基地を離発着する飛行機の管制や周辺の飛行機を管制する「静浜管制隊」、飛行教育団に気象情報を提供する「静浜気象隊」、司法警察業務や保安業務を任務とする「静浜地方警務隊」の4部隊が配属されている。滑走路は1,500メートルの1本のみで、全国にある飛行部隊を有する基地としては最小規模でる。また操縦士の初等教育としては適地である。
「あーだいぶCUが発達してきましたな」
「(浜松まで)あと14マイル、39分…40分ちょっと過ぎるくらいですかね」
「あーちょっと寄りますか左に」
「大丈夫 大丈夫」
 副操縦士が飛行方向の右舷に大きな雨雲を避けようとしたが機長は問題ないと、ベテランとなると幾多の経験からであろうか、余裕である。
 レーダーに再び大きな雨雲が映った。また豪雨に入る。
「(浜松到着が)42分になるな」
「トーキョー オールニッポン372 メインテイン 250」(東京コントロール管制へ。こちら全日空372便です。2万5000フィートです)
「オールニッポン372 トーキョー・コントロール ラジャ クリア ナゴヤ・レーダー・ビーコン ヴィア コウワ ダイレクト メインテイン 250」(全日空372便へ。了解しました。名古屋のレーダー・ビーコンに乗って河和を経由したら、2万5000フィートで飛行して下さい)
「ラジャ クリア トゥ ナゴヤ・レーダー・ビーコン エアポート ダイレクト メインテイン 250」(了解しました。空港のレーダー・ビーコンに乗って2万5000フィートで飛行します)
「オールニッポン372 アファーマティブ」(全日空372便へ。その通りです)
 YS-11の先を飛んで河和に向かっている全日空372便への交信である。中部地域も上空一面、雲に覆われて視界が遮られているので、念を押すかの如く確認を行なう。
「3マイル」(浜松まで残り3マイルです)
 乱気流に入りYS-11はガタガタと音をたてて揺れだした。フロントガラスに雨が飛び散る。
「チェック 浜松」
「はい」
 楽器メーカー、自動車関連業者など様々な企業が拠点としているは浜松上空を通過した。これから機首を272度に向けて、一路大阪・伊丹空港への進入の玄関口である河和に向う。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第4回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

※「▶」の再生ボタンをクリックすると航空サウンドが流れます

横田アプローチ管制へ

 東京ディパーチャー管制からアメリカ軍が管轄・管制する横田アプローチ管制へ交信するよう、指示が来た。
「キンキョリ9175 コンタクト ヨコタ・アプローチ 118.3」(日本近距離航空9175便へ。横田アプローチ管制118.3メガヘルツで交信して下さい)
「キンキョリ9175 ラジャ コンタクト ヨコタ 118.3」(横田アプローチ管制118.3メガヘルツで交信します。)
「118.3ですね」
「はい」
 副操縦士が横田アプローチの周波数を合わせた。
「ヨコタ・アプローチ ディス イズ キンキョリ9175 パッシング 7000 オーバー」(横田アプローチ管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。7000フィートを通過しました。)
「キンキョリ9175 ヨコタ・アプローチ ヨコタ アルティメーター2993クライム アンド メインテイン 10000 ターン ライト プロシード ダイレクト ヨコスカ」(日本近距離空港9175便へ。こちら横田アプローチ管制です。気圧は2993インチです。1万フィートまで上昇して、右旋回して横須賀まで直接飛行して下さい。)
無線からアメリカ人管制官の声が呼びかけた。
「キンキョリ9175 ラジャ 2993 ライト ターン プロシード ダイレクト ヨコスカ」(了解しました。気圧は2993インチ。右旋回して横須賀に直接飛行します。)
羽田空港を離陸して178度の方向へ浦賀に向かい、そこから機首を西へ向けて飛行承認の際に指示があった横須賀を経由する許可が出た。
「キンキョリ9175 アファーマティブ オールソー クライム アンド メインテイン 10000」(日本近距離空港9175便へ。その通りです。1万フィートまで上昇して下さい。)
「9175 ラジャ クライミング トゥ 9000…コレクション 12000」(了解しました。9000フィート…訂正します。1万2000フィートまで上昇します)
「キンキョリ9175 ネガティブ クライム アンド メインテイン 10000」(日本近距離空港9175便へ。違います。1万フィートです。)
「キンキョリ9175 ラジャ クライミング トゥ 10000」(了解しました。1万フィートに上昇します)
 ここで横田基地について触れておく。戦時中、旧帝国陸軍の多摩飛行場が建設され、航空機の試験場として運用されていた。戦後アメリカ軍が接収し、拡張が行なわれ現在に至っている。滑走路は3350メートルの1本で、基地の主な任務は極東地域に於ける米軍の物資などの輸送の中継基地として機能させており本州最大の米軍基地である。基地でありながら戦闘部隊は配属されていない。過去、ベトナム戦争で戦死したアメリカ兵の死体がこの横田に運ばれたと言われている。また物資輸送の基地であるので、アメリカの航空貨物会社の飛行機が飛来することもある。
 また、この近辺の空域を横田空域といい、北は新潟から南は伊豆半島近辺まで跨る、本州を縦断する空域である。民間の航空機はこの空域を避けて飛行することを余儀なくされている。この空域がなければ高速道路に例えると、両側5車線が両側1車線ずつになる為、ニアミスを起こし易いと言った人もいるが、その通りかも知れない。徐々にではあるが空域の一部が返還されてきているが、全面撤廃という訳にはいかないようである。YS-11の限界巡航高度が2万フィートまでなので、横田空域を通過せざるを得ない。
 YS-11のあとを離陸した全日空広島行き767が横田アプローチに入ってきた。
「じゃあ、(ADF1を横須賀に入れて下さい。」
機長が横須賀のVORを確認するためにADF1を横須賀の周波数に、そして次ぎの通過点である浜松の周波数にADF2を合わせる合わせるように指示する。
「はい」
「ADFをヨコスカ…(ADF2の方を浜松に入れて下さい」
「はい」
「ヨコスカIDオーケーです」
「はい、了解」
 YS-11にはADF(Automatic Direction Finder:自動方向探索機)が搭載されている。ADFではNDB(Non-Directional Beacon:HF帯〜VHF帯の電波で誘導する無線標識)が発信する電波を捉え、各操縦席の前方にあるADF表示器を見ながら、目的ポイントまで飛行できる。あくまで方向を探知するだけで操縦はパイロット自らが行なわなければならない。
 軍用機との交信につづいて横田アプローチと全日空677便広島ゆき767との交信が聞こえる。677便はYS-11の北側を高度12000フィートで飛んでおり高度24000フィートへ上昇するよう指示を受けている。
「1000 ビフォア」
 予定飛行高度10000フィートの1000フィート手前を通過した。
「DC チェック ノーマルです」
「了解」
「DC ノーマル」
「低いね…」 今まで雲と雲の狭い空間を飛行していたが、暗くて低い雲が眼前に立ちはだかった。
「そうですね」
「ちょうど、ビトウィーンで行くから」
「エンジン アンチェイス 入れときますか」
「エンジン アンチェイス オン」エンジンの防氷装置を入れた。
 機長は巡航高度に達すると同時にスムーズに機体を水平姿勢に操作した。この時の巡航出力は1420回転で、TGTを770℃にセットする。
 巡航に入り機体が安定した後、機長と副操縦士は各種点検を行なった。プロップ関係のライトが全て消灯しているか、電源は指定電圧で正常に作動しているか、その他の諸計器が正常に作動しているかを確認する。上空の気温が低いとエンジンが凍りつくことがある。副操縦士はそれを防ぐ為に防氷装置のスイッチを入れる。
 横田基地のATCが雲の中の飛行機の位置を知らせるトラフィック・インフォメーションの交信が続く。現在、横須賀上空を通過。高度1万フィートでYS-11は巡航に入った。
「エンジン・データを一応、取っておいて下さい」
「はい、スタビライズしてから」
「そうですね」
「一応、大阪のウェザー、貰っときましょうか」
「ええ、そうですね」
 巡航に入り必要な点検が終わり、機長は悪天候なので念の為にエンジンの回転数などのデータをカンパニー無線で取るよう副操縦士に指示した。
 西日本全域に亘り梅雨前線が張り出し、出発前のブリーフィングの時に見た大阪の天候状況がどうなっているか心配だった。
「近距離東京、近距離9175、16時、大阪ウェザー 入っていましたらお願いします」
「了解しました」
「ATC お願いします」
「あと浜松まで…98マイルです」浜松まで98マイルの位置を飛行している。
 操縦は機長、管制との交信は副操縦士が行なっているが、カンパニー交信を行なう場合は管制との交信を機長が行う。
「9175、東京」
「はい、どうぞ」
「16時、大阪、200度の3ノット、視程は10キロ以上。モデレート・シャワー 1CU 1500、3CU 3500、6SC 5000、25度、2988、リマークとしてモデレイト・タービュランス、インクラウド1万フィート、オーバー大津、YS-11というリマークが入っております。」
「はい、了解しました。有難う御座いました。」
 16時現在の大阪・伊丹空港の天候状況は、風が200度の方向から3ノット、視程は10キロ以上、小雨で気温は25度、気圧は2988インチと着陸するには問題はない。1500フィートと3500フィート辺りに垂直の積雲、5000フィート辺りに低い層積雲がある。追加事項として他機のYS-11からの情報だと、1万フィートの雲の中で乱気流が滋賀県大津上空で観測された旨の情報が伝えられた。機長はディスパッチでの状況よりも少し良くなったと、胸を撫で下ろした。
「少し天候が良くなったね。多分、大阪はCB(悪天候)が通過したんだね」
 YS-11は伊豆半島に向かって西へ機首を向け雨雲の間を飛び続けている。
「ユー ハブ」
「アイ ハブ」
 副操縦士はカンパニー無線での交信を終え、機長と操縦を交代した。ATCは機長が行なう。
「大津上空で1万(フィート)でモデレイト・タービュランス、リマーク入ってましたね」
「うん…1万フィートね」
 カンパニー無線での情報を互いに確認し合った。周辺の天候を把握しておくこともパイロットして重要なことである。
 軽い乱気流に飛び込み、機体がガタガタとは揺れ始めた。
「富士山の後流ですかね」
「多分、そうだと思うけどね」
 富士山からの流れてくる気流なのだろうとパイロットは推測した。
 日本一の富士山の景観は素晴らしいが、パイロットにとっては近付きたくない所である。この気流は山岳地帯で発生する特有の乱気流で、山岳波と言う。その気流が相模湾にまで流れてきているのだろう。1966年に英国海外航空のボーイング707型機が、この状況を知らなかったのか、空中分解したことがある。その日は雲一つない天候であった為、機長は乗客に富士山を近くで見せようと思い、富士山に近づいたのではと憶測を呼んだ。それ以来、天気の良い日には富士山に近付くことはないと言う。
「ブロー・アウト 読んでくれない?」
「ブロー・アウト、左が7.2、右が4.5です」
「4.5、了解」
「えー、188ノット」
「189ノット」 左右の速度計の調整確認である。
「キンキョリ9175 コンタクト トーキョー 120.5」(日本近距離航空9175便へ。東京コントロール管制120.5メガヘルツへ交信して下さい)
「ラジャ 120.5」(了解しました)
 横田アプローチ管制から東京コントロール管制の関東西セクターに移管された。YS-11はウェイポイントの浜松に向かって西へと飛行している。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第3回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

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東京湾を上昇、横須賀へ

「オールニッポン589 トラフィック 12 オクロック 12 マイル サウス バンド オールニッポン ワイエス イレブン リービング 7900 アンド クライム トゥ 11000」(全日空589便へ。12時の方向12マイル先に南から離陸したYS-11が7900フィートに向けて現在1100フィートを通過しています。)
「ラジャ オールニッポン589 ルッキング」(了解しました。確認中です。)
 今日は西日本から東日本にかけて梅雨前線が停滞し、厚い雲が広がっている。その雲の中を飛ぶ飛行機に管制官がニアミスを避けるために各飛行機に周辺に飛ぶ他の飛行機の位置を刻々と伝えている。
 管制官がこの周波数にいる全ての飛行機に一斉に交信した。
「オール ステーション QNH2990」(この管制周波数にいる全ての飛行機に伝えます。気圧は2990にセットして下さい。)
 管制官がこの周波数にいる全ての飛行機に一斉に交信した。天候のせいで気圧が、コロコロと変わっている。
「浦賀7分、横須賀12分の予定です。」
「はい」
 YSは東京湾上にいる。副操縦士は、ウエイポイントである浦賀に4時07分、横須賀には4時12分に通過することを機長に知らせた。
「上がりますかね?」
「上がるでしょう」
 雲の中を飛行しているので、なかなか上昇が出来きない。
「オールニッポン589 トラフィック リービング8000 セバレーション 10マイル」(全日空589便へ。10マイル先で他機が現在8000フィートを通過中です。)
「ラジャ オールニッポン589」(了解しました。)
 雲に入れば辺りは真っ白。近隣を飛んでいる飛行機は全く目視できない。頼りは管制官のレポートだけである。
「(浦賀まで)あと13マイル」
 刻々と次のウエイポイントである浦賀が迫ってきた。お客様の搭乗がない分、機体は軽いが、この天候である。思うように進まない。
「大丈夫、軽いからね」
「ギリギリってところですね」
「そうだね」
「4分で(高度)7000(フィート)」
「トーキョー・ディパーチャー オールニッポン677 フライ ヘディング パッシング 150 オーバー」(東京ディパーチャー管制へ。全日空677便です。方位150度に機首を向けて上昇中です。)羽田発広島行きの全日空B767が離陸して上昇中である交信が聞こえる。
「オールニッポン677 トーキョー・ディパーチャー レーダー コンタクト フライ ヘディング150 フォア ベクター トゥ ハネダ クライム アンド メインテイン フライト レベル 140」(全日空677便へ。レーダーで捕捉しています。機首を150度に向けて羽田VORに誘導しますので、1万4000フィートまで上昇して下さい。)
「ラジャ ヘディング150 ベクター トゥ ハネダ クライト トゥ 140」
(了解しました。150度で羽田VORに向かって1万4000フィートまで上昇します。)
「オールニッポン589 ナウ セイム アルチュード ユア クライム アンド メインテイン フライト レベル 280」(全日空589便へ。今の高度から 2万8000フィートまで上昇して下さい。)羽田から松山に向かっている全日空767への交信である。
「ラジャ 589 280」(了解。2万8000フィートまで上昇します。)
大阪のウエザーをカンパニー無線で聴くように機長は副操縦士に指示した。雲はますます濃さを増して今や完全に視界が取れない。その不安を払拭するように力強いエンジン音がコックピットに響く。
上昇を続ける全日空677便へ管制官が問いかけてくる。
「オールニッポン677 セイ アルチュード?」(全日空677便へ。今の高度を教えて下さい。)
「677 ラジャ 3200 オーバー」(3200フィートです。)
「ケア トラフィック 12 オクロック 5 マイル サウス バウンド キンキョリ ワイエス イレブン リービング 4200 ベイ・ワン ディパーチャー」(12時の報告5マイル先に、南から離陸した日本近距離航空のYS-11がベイ・ワン出発方式で南方向4200フィートを通過中です。注意してください)
「677 ラジャ ウィ インクラウド ネガティブ インサイト」(了解しました。現在雲の中にいますので、目視できません。)
 雲又雲で視界ゼロがつづく。
「オールニッポン589 コンタクト トーキョー・コントロール119.7」(全日空589便へ。東京アプローチ管制119.7メガヘルツで交信して下さい)
「119.7 グッデイ」(了解、さよなら)全日空松山行きの767が東京コントロール管制に移管した。
「こちらを横須賀にいれておきましょうか?」
「はい。入れて下さい」
 副操縦士がADF2の無線を横須賀にセットした。ADF1は現在、向かっている神奈川県の浦賀にセットしてある。
「オールニッポン677 コメンド レフト ターン ディレクト ハネダ クロス ハネダ ビトウィーン12000 フライト レベル140」(全日空677便へ。左旋回して直接羽田VORに向かい、羽田VORを1万2000フィートで通過したら、1万4000フィートまで上昇して下さい。)
 羽田空港周辺は離発着機が針の穴に糸を通すが如く、細かく設定されたルートに従い飛んでいるので、引っ切り無しに交信が続く。
2 IDオーケーです。」
「はい、ありがとう」
「大阪のウェザー貰っときましょうか、カンパニーで…」
「レベル オフ(巡航高度に)なってからでいいでしょう」
「浦賀から横須賀 インバウンド 266 11マイルです」 浦賀上空から横須賀へは飛行時間5分、 266度方位で11マイル飛ぶ。
「はい、了解」
 果てしない雲と雲の間をYSは跳び続ける。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第2回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

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羽田空港離陸

 現在3時53分。今日の羽田は梅雨の影響で小雨模様、周囲は暗く一面、雲が低く垂れ込めている。ランウエイ15に向かうYSに東京グランド管制から東京タワー管制へ連絡せよ、との移管の交信が入った。
「キンキョリ9175 コンタクト タワー 118.1」(日本近距離航空9175便へ。以後は東京タワー管制118.1メガヘルツに交信して下さい。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
 東京タワー管制は航空機の離発着をコントロールする。その東京タワー管制と離発着機が引っ切り無しに交信している。
「オールニッポン698 リクエスト ゲート ナンバー」(全日空698便へ。スポットは何番ですか。)
全日空698便は山口の宇部空港発のB767で現在、羽田空港へ下降中である。
「698 シナガワ マイ スポット71」(品川の上空を飛行しています。スポット71番です。)
「オールニッポン698 ラジャ」(了解しました。)
「タワー オールニッポン589 オン ユア フリクエンシー レディ フォア テイクオフ」(東京タワー管制へ。全日空589便です。タワー管制の周波数に合わせています。離陸の準備は出来ています。)
 羽田空港発、松山空港行きの全日空機B767に離陸許可が出た。
「オールニッポン589 フライ ランウエイ ヘディング フォア レーダー ベクター ウインド 210 ディグリーズ 12ノット クリア フォア テイクオフ ランウエイ15レフト チャーリー7」(全日空589便へ。誘導路C7から機首を滑走路15Lに向けてレーダー誘導します。風は210度から12ノットです。離陸を許可します。)
「ラジャ チャーリー7 クリア フォア テイクオフ フライ ランウエイ ヘディング589」(了解しました。誘導路C7より機首を滑走路に向けて離陸します。)
「オールニッポン698 クリア トゥ ランド ランウエイ22 ウインド210ディグリーズ 12ノット」(全日空698便へ。滑走路22への着陸を許可します。風は210度から12ノットです。)
「クリア トゥ ランド 698」(着陸します。)
 タワーの管制官はすかさず下降中の全日空698便に着陸許可を与えた。引き続いて女満別発TDA182便のDC-9機と交信を始めた。
「トーキョー・タワー トーアドメス182 アプローチング シナガワ」(東京タワー管制へ。東亜国内航空182便です。品川上空に進入中です。)
「トーアドメス182 トーキョー・タワー ランウエイ22 リクエスト ゲート ナンバー」(東亜国内航空182便へ。滑走路は22です。スポットは何番ですか。)
「ラジャ ゲート02」(スポット2番です)
離陸準備が整った旨を東京タワーに交信するよう副操縦士に伝えた。
「レディ(離陸準備完了)を掛けて(交信して下さい)」
「トーキョー・タワー キンキョリ9175 レディ フォア テイクオフ チャーリー7 オーバー」(東京タワー管制へ。日本近距離航空9175便です。離陸準備が完了しています。現在位置は、誘導路C7です。)
「キンキョリ9175 ホールド ショート ランウエイ ユー ウィル ビー ナンバー2」(日本近距離航空9175便へ。滑走路手前で待機して下さい。2番目の離陸になります。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
「ライトサイド クリア」副操縦士は離陸する方向を目視して確認した。
9175便の前に離陸する松山行きの全日空589便B767が、エンジンパワー全開で滑走を始めた。
「ホールド ショート…了解」滑走路手前で待機する旨を副操縦士はコールした。目の前を全日空698便B767が着陸した。
「オールニッポン698 ターン レフト ブラボー4 コンタクト グランド 121.7」(全日空698便へ。誘導路B4に入り、東京グランド管制121.7メガヘルツに交信して下さい。)
「ラジャ ブラボー4 コンタクト グランド 698」(了解しました。誘導路B4に入り東京グランド管制へ交信します。)
「キンキョリ9175 タクシー イン トゥ ザ ポジション アンド ホールド」(日本近距離航空9175便へ。滑走路内に進入し待機して下さい。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
「ファイナル クリア…ランウエイ クリアです」
 副操縦士は滑走路上に何も無いことを確認し、機長は滑走路に進入してくる飛行機がいないことを確認して、プロペラの回転が再び上がり始め、機体はゆっくりと滑走路内に進入し、離陸の許可の交信を待っている。
 機長は離陸前の最終確認であるテイクオフ・チェックリストを副操縦士にオーダーする。
「はい、テイクオフ チェックリスト」
「フュエル ヒーター…オフ」
「グランド クーリング ファン…オフ」
「ウォーター メタノール…アズリクワイアード」
「トランスポンダー アンド DME…オンにして下さい」
「ガスト ロック アンド フライト コントロール…スタンバイ…はい、ガスト ロック オフ」
「コントロール フリー」
「ラダー フリー」

 ウォーター・メタノールとは、離陸時の出力を増加させる為にエンジンに噴射させる液体のことで、メタノールが37%、蒸留水が63%の混合液である。YS-11はドライ・テイクオフの場合、等価軸馬力が2660馬力あるが、ウォーター・メタノールを使用すると一気に3060馬力になる。
航空機は通常、離陸前に操舵系の確認、コントロール・チェックを行なう。YS-11の場合、離陸直前までエルロン、エレベーター、ラダーの確認を行なわないと言うか、行なえないのである。中央ペデステル右側のグリップのレバーをガスト・ロック・レバーと言って、これらの操舵系が動かないようにしている。タキシング中に突風に襲われて操舵系が損傷したり、風で煽られたりするのを防ぐ為である。離陸直前にそのレバーを手前に押すと解除する。
 9175便は延々と続く滑走路の果てを見続け、離陸許可を待っている。管制官が全日空836便八丈島発のB737に進入許可を与える。
「オールニッポン836 トーキョー・タワー コンティニュー アプローチ ランウエイ22 ウインド200 アット 11 リードバック」(全日空836便へ。こちら東京タワー管制です。最終進入を続けて下さい。滑走路22は風が200度から…)
「ラジャ コンティニュー アプローチ スポット1」(了解しました。進入を続けます。スポットは1番です。)
 東京タワー管制から離陸許可の交信が入ってきた。コックピットには緊張が走った。
「キンキョリ9175 ウインド200 アット1 1クリア フォア テイクオフ ランウエイ15レフト」(日本近距離航空9175便へ。ランウエイ15Lからの離陸を許可します。風は200度方向から11ノットです。)
「キンキョリ9175 ラジャ」と副操縦士は応答し、機長に対し離陸する準備が全て整ったことを伝えた。「ダブル チェック オール コンプリートです」
「(ヘディング)151」
「オーケー レッツゴー!」
 機長はパワー・レバーを奥まで押し込むと、プロペラが勢いよく回転すると同時に角度が傾き離陸速度が上がる。
「フライト スリーオン スリーアウト…レッツゴー!」
 副操縦士はプロペラの角度が元に戻らないようにローストップ・レバーを前に押し込む。
「ウォーター メタノール インジェクション」
 ウォーター・メタノールがエンジンに噴射され、一気に回転数が上がった。
「オール エンジン イズ ノーマル」
 テイクオフパワーが安定したことを確認した。エンジンはダート・サウンドを奏でながら、滑走を続ける。
「80!」
「V1!」機長はコントロール・ホイールを握った。スピードが上がり続ける。
「ローテーション!」機首が上がった。
「V2!」
「ポジティブ クライム!」
「ポジティブ ギア アップ!」メインギア、ノーズギアが機体に引き込まれる。

テイクオフのメカニカル

 副操縦士はローストップ・レバー前に押し込む際、引っ掛かりなど異常を感じた時、機長に速やかに報告する。機長は離陸滑走の初めはラダーとステアリングによって方向を維持し、副操縦士の80ノットのコール後、左手でコントロール・ステアリングに持ち替えて、ラダーによって方向を維持する。副操縦士は中央パネル上部にある予備パネルの左にあるローストップ・アンド・セーフ、ビロー・ローストップの№1と№2のランプが消えたことを確認し、ウォーター・メタノールが噴射されているのをコールする。副操縦士のV1のコールで右手をパワー・レバーからコントロール・ホイールに持ち替えて両手とラダーで方向を維持する。ローテーションで機首を10度まで引き起こす。副操縦士は80ノットに達するまでコントロール・ホイールを押さえる。副操縦士は離陸滑走中にエンジン計器などを注視し、副操縦士側にある速度計にて速度のコールを行ない、異常があった場合は速やかに機長に報告する。機体が地上から離れ安定した上昇率を示したなら、ギアを上げる指示を副操縦士にコールし、副操縦士は中央パネル右側にある車輪の形をしたランディングギア・レバーを引き上げる。その際にブレーキを軽く踏んで車輪の回転を止める。
機長は高度200フィートでフラップを上げる指示を副操縦士に指示した。
「チェック ウィ ウィル トゥ フラップ アップ」とフラップが完全に上がったことを副操縦士はコールした。
 機体は猛スピードで加速し上昇している。
 東京タワー管制より東京ディパーチャー管制へ交信せよ、との連絡が入った。
「キンキョリ9175 コンタクト ディパーチャー」(日本近距離航空9175便へ。東京ディパーチャー管制へ交信して下さい。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
「クライム・パワー セット」
 高度400フィートを通過すると、パワー・レバーを上昇出力に設定し、副操縦士はその援助を行なった。
 副操縦士は東京ディパーチャー管制へ現在の高度を報告した。
「トーキョー・ディパーチャー キンキョリ9175 パッシング 900 オーバー」(東京ディパーチャー管制へ。900フィートを通過しました。)
「キンキョリ9175 トーキョー・ディパーチャー レーダー コンタクト クライム ベイ・ワン ディパーチャー ヨコスカ トランジション クライム アンド メインテイン 7000」(日本近距離航空9175便へ。レーダーで捕捉しています。ベイ1出発方式に従い、横須賀DMEを経由して7000フィートまで上昇して下さい。)
「キンキョリ9175 ラジャ」(了解しました。)
「クライム トゥ 7000」

 YSは離陸後、原則的に400フィートまでは直進上昇をしなければならず、130〜160ノットの速度で上昇する。離陸後、すぐ低い雨雲の中へ入った。高度1000フィート以上で、離陸後の計器チェック、アフター・テイフオフ・チェックリストが始まった。
「アフター テイクオフ チェックリスト」
「レディオ ファン…オート」
「フュエル ヒーター…オート」
「ランディング ライト…リトラクテッド アンド オフ」
「キャビン サイン…ワン オフ」
「ギア…アップ」
「フラップ…アップ」
「プレッシャリゼーション ノーマル スイッチ…チェック ナンバー1」
「ハイドロ レバー…バイパス」
 チェックリスト中に管制から交信が入った。
「キンキョリ9175 セイ アルチュード?」(日本近距離航空9175便へ。現在の高度を教えて下さい。)濃い灰色の雲が飛行機をつつみ全く視界がとれない。
「キンキョリ9175 パッシング 1600」(1600フィートです。)
「9175 トラフィック ワン オクロック スリー マイル アルチュード タイプ アンノーン」(貴機の前方1時の方向3マイルに飛行機がいます。機種は不明です。)
「キンキョリ9175 ルッキング フォア」(確認中です。)
「ラジャ」
 東京ディパーチャー管制が現在の高度を確認してきた。この悪天候で他機との間隔に神経を尖らしているようだ。
 副操縦士は途中で中断したチェックリストを再開した。
「(チェックリスト)コンティニュー」
「ウォーター メタノール…オフ」
「HPC レバー…オート」
 上昇出力に設定後、ウォーター・メタノールをオフ、フュエル・トリマーで適正なTGTを維持する。外気温度によりフュエル・ヒーターをオートにする。
 機長はチェック後、エンジンに異常がないことを確認し、会社のカンパニー交信を副操縦士に指示した。
「(エンジン)ナンバー1…(エンジン)ナンバー2…オーケー オペレーション ノーマル」
「近距離東京、近距離9175。50分、56分 オペレーション ノーマルです。」
「近距離9175、近距離東京。50分、56分 了解です。いってらっしゃい」
「はい、いってきます」
 羽田空港内にある日本近距離航空の事務所に、3時50分にランプ・アウト(タキシング開始)、3時56分に離陸、運航状況に異常がない旨を報告した。YSは梅雨雲の中を遅々と上昇していく。

YS-11が誕生するまで

ここでYSが製作されてから終了するまでの経緯を簡単に記す。昭和20年11月18日、大東亜戦争により敗戦した日本は、アメリカ連合軍最高司令部(GHQ)により骨抜き政策を次々と実行した。その一つが航空に関する全ての事項を禁止した。日本は零戦という機動力に優れた戦闘機を製造し、欧米列強を振るい上がらせた。その恐怖からか日本に飛行機を作られると零戦をも凌ぐ飛行機を作り、世界に台頭されてはアメリカに対する新たな脅威になりかねない。それを阻止すべくこの政策を打ち出したと言われている。GHQの占領政策に終止符が打たれる昭和26年にサンフランシスコ講和会議が開催され、日本は48ヶ国と平和条約を締結、翌27年に講和条約が発効し独立した。それと同じくして航空関連法が施行されて民間航空が再開した。昭和32年5月にローカル線専用輸送機の基礎研究を行うべく、財団法人輸送機設計研究協会が設立した。その研究を担当したのは、「5人のサムライ」と言われる木村秀政氏、堀越二郎氏、土井武夫氏、菊原静男氏、太田 稔氏であった。この5人によって種々検討した結果、以下のように機種が決定された。

(1)離着陸滑走路長の短いローカル線輸送機とし、滑走路長1200mとする。
(2)離着陸性能の優れたターボプロップ双発とする。
(3)航空需要の増加に対応して、60席以上とする。
(4)DOC(Direct Operation Cost=直接運航費)を最低にする狙いで決定する。

これを基本にYS-11は製造された。因みにYS-11は輸送機(Yusoki)設計(Sekkei)の頭文字に、機体がナンバー1、エンジンがナンバー1ということで名付けられた。昭和33年12月に実物大模型が公開され、翌34年には特殊法人日本航空機製造株式会社(日航製)が設立し、初代社長に財団法人輸送機設計研究協会理事長の荘田泰蔵氏が就任、新三菱工業の東條輝雄氏を技術部長に迎え、YSの設計が始まった。初年度の予算は3億円、補助金は6000万円。昭和36年、日本屈指の鉄鋼会社が名を連ね、試作一号機の部品製作が開始された。計画図面1000枚、製造図面約1万2千枚になったという。昭和37年7月11日、念願の国産旅客機が姿を現し、諸々の試験・検査や地上走行を繰り返し、同年8月30日午前7時32分、愛知県・小牧空港を離陸し約50分程の検査飛行を行った。その時の高度は1万フィート、気流は概ね安定していたと言う。同年10月にはANAより20機の契約で量産が開始、昭和39年に形式証明を取得し、量産初号機は昭和40年3月に運輸省航空局、翌月に航空会社に納入された。昭和47年にYS-11は生産を終了し、昭和52年に日本航空機製造株式会社が解散するまで、航空会社のサポート業務を続けた。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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YS-11コックピット・ドキュメント「雨中航路」第1回

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航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」

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梅雨の中の羽田空港

 東京国際空港(羽田空港)から大阪国際空港(伊丹空港)への主要空路には、過去、定期便としてYS-11は飛んだことがない。しかし、今日は珍しく東京国際空港の空港ターミナルから離れた駐機場のスポット26番に日本近距離航空のYS-11が、大阪国際空港(伊丹空港)へ向けて静かに出発の時を待っていた。
 大きなプロペラの羽を4枚備え、ロールスロイス社製のエンジンがその羽を大きく鋭く力強く回転させる。甲高く重々しく耳を突き刺すようなダート・サウンド・エンジンは、周りの音を一切シャットアウトし、その存在感を十分に主張するに足りる。YS-11はプロペラ、主翼、後援翼が大きいが、垂直尾翼は小さく見える、むしろ丸くなっているようにも見える。機首部分は尖がっているようにも見えるが、丸みを帯びた愛くるしい表情を見せる。YS-11を「鵞鳥」と例える人がいるが、そう見えてくるのが不思議である。鵞鳥は群れをなして、池から池へ、川から川へ餌を求めるが、YS-11は群れを成すことはない。過酷な状況でも勇敢に飛び立つ姿は、立派に巣立った鵞鳥であるかも知れない。

出発1時間前。いつもであれば、搭乗待合室は土産を手に提げ旅行を思い出に華を咲かせ談笑している人、疲れからかソファにドッと腰を掛け溜息をつき、おもむろに缶ビールを開け喉越しが聞こえるぐらいに勢いよく胃に流し込んでいる人、、そんな色んな想いを抱えてる人達で溢れ返っている。
 然し今日はいつもと全く雰囲気が違う。グランドスタッフもいなければ、お客さんさえいない。閑古鳥も鳴かないくらいである。とにかく全く誰もいない。ましてや、このYS-11には荷物も積まなければ、誰一人搭乗者も乗らない。乗るのはパイロット2名と燃料だけである。
 今日のフライトは東京国際空港(羽田空港)から大阪国際空港(伊丹空港)まで、このYS-11をフェリー(輸送・空輸)するのである。普通「フェリー」というのは、乗客と車両を運ぶ船のことを指す。輸送はトランスポート(transport)、空輸はトランスポート バイ エア(transport by air)若しくはエア トランスポーテーション(air transportation)と言う。
 航空業界ではしばしば船舶用語を使うことがあり、フェリーも船舶用語から来たのであろう。さて、フェリーというのは機材(飛行機)繰りや整備の関係で一人の搭乗者も乗せず、飛行機だけを次の出発点や整備工場まで輸送することである。また航空機製造メーカーで造られた飛行機を発注先の航空会社に輸送することもフェリーと言う。

 パイロットがディスパッチルームで詳細に亘ってブリーフィングを行っている。今日は飛行ルート付近に梅雨前線が張り出し、梅雨時の雲中飛行を余儀なくされる緊張するフライトが予想される。雨と風が強くなるとの報告を受け、慎重に且つ的確にフォーキャスト(天気図)を睨み、飛行データを基にプランを検討している。キャプテンがディスパッチャーが作成した飛行プランにサイン、同じくディスパッチャーもサインをし、これで飛行計画が承認され、あとは運輸省航空局へ申請することになる。
 パイロットはYS-11が待つ駐機場スポット26番までランプバスで移動する。飛行機には既にタラップが付けられて、機体の下部に機内の空調を行なう銀色の大きなパイプが付けられ、横付けされた電源車が機体に電源を供給している。YS-11は現代の飛行機と違い、APU(自助電源装置)が装備されていないので、外部から電源を供給されないと交信はおろかエンジンや空調さえ動かすことが出来ない。
 到着するなり、1名は飛行機の外部点検へ、もう1名はコックピットに入り、飛行日誌、スイッチ類のチェックを行い、キャビンを始め機内から主翼の上部などチェックを行う。
外部点検では機首から時計回りに機体を一周する。先ず機首部の速度や高度を計測するピトー管や静圧孔が詰まっていないか、レーダー・アンテナが収納されているレドームに傷がないか(あれば正確なレーダー情報が得られない)、右エンジン(№2エンジン)のプロペラを手で軽く回し異常音がないかスムーズに回るか、各ギアのタイヤのチェックと胴体を繋ぐ脚柱に異常はないか、エルロン、フラップ、空調や与圧の為の空気取り入れ口(ヒートエクスチェンジャー)、エレベーター、ラダーを確認する。その後、コックピットに戻り、2人のパイロットでプリフライト・チェックが行なわれ、機長は副操縦士にコックピット・チェックリストをオーダーした。

プリ・フライト計器点検のテクニカル

「プリ フライト チェック…コンプリーテッド」
「レディオ マスター アンド レディオ フォーム…オン」
「インバーター…オン」
「キャビン サイン…オン」
「プロップ ブレーキ…オン」
「プロップ システム…チェック」
「ファイアー リレイター…チェック」
「フライト レコーダー…セット アンド ノーマル」
「フライト インストルメント…チェック」
「アンチ スキッド…チェック」
「フュエル アンド ウォーター メタノール…チェック」
「ハイドロ リック…チェック」
「フュエル スィッチ…マニュアル」
「ハイドロ レバー…バイパス」
「プレスシャリゼーション…セット 1200」
「レディオ…セット」
「フュエル トリマー…セット スタート 10%」
「コックピット・チェックリスト コンプリーテッドです」
「レディ トゥ スタート お願いします」
エンジンを始動させる前に、コッピットにある計器とスイッチ類が正しい位置にあるかを確認し、機長は飛行プランの承認を受ける為、副操縦士に東京グランド管制へ交信する指示を出した。
「トーキョー・グランド キンキョリ9175 レディ トゥ スタート オーバー」(東京グランド管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。エンジン始動準備が出来ています。)
「キンキョリ9175、クリア トゥ ヤマト ヴィア ベイ・ワン ディパーチャー ヨコスカ トランジッション フライト プラン ルート メインテイン 10000 ディパーチャー フリクエンシー ウィル ビー 126.0 スクォーク4672」(日本近距離航空9175便へ。ヤマトまでの飛行を承認します。ベイ1出発方式で横須賀VORを経由し、飛行高度は1万フィートです。離陸後、東京ディパーチャー管制126.0メガヘルツで交信して下さい。貴機のレーダー認識番号は4672です。)
「了解」と、機長が確認の合図をし、副操縦士は交信内容を復唱した。
「キンリョリ9175 ラジャ クリア トゥ ヤマト ヴィア ベイ・ワン ディパーチャー ヨコスカ トランジッション フライト プラン ルート メインテイン 10000 ディパーチャー フリクエンシー ウィル ビー 126.0 スクォーク4672 オーバー」(了解しました。ヤマトまでベイ1出発方式で横須賀VORを経由し、高度1万フィート、離陸後は東京ディパーチャー管制へ交信します。当機の認識番号は4672です。)

 ベイワン出発方式で東京湾上を右旋回し横須賀VORを10000フィートで通過後、方位259度で伊豆半島を横断、焼津の北をぬけて浜松VORに向かうという飛行コースである。
管制官との交信中にも頻繁にカンパニー交信が飛び交っている。
「キンキョリ9175 ラジャ」と、副操縦士はタキシングする際に交信する指示を受けた。
「今、何かカンパニーが呼んで来ましたね」
「いやいや、あれは…向こうの84…なんぼですか…」
 副操縦士は飛行プランの復唱している間に自社がカンパニー交信してきたものと思い機長に尋ねたが、そうではなかったと少し安堵した。
 カンパニー交信は離発発着する航空機と自社との間で交わされるもので、スポットを離れた時間や離陸した時間の報告、また到着するスポットの確認、或いはお客様の人数の報告など飛行に関わる情報を伝える為に必要な無線である。
 エンジン始動前のチェックをする為、機長と副操縦士は自席横にある開閉式のドアを開けて、チェックを始めた。
「オーケー ドア ライズ チェック」
「ブースター ポンプ…1オン」
「アンチ コージョン ライト…オン」
「プロップ ブレーキ…オフ」
「パーキング ブレーキ…オン」
「ナンバー 2(右側エンジン) クリア」
「レフト サイド(左側エンジン) クリア」
 チェックと同時に機長は左腕を窓から出し、地上誘導者に右側エンジンから始動することを手信号で伝えた。いよいよ、ロールスロイスのダート・サウンド・エンジンが回りだす。
「スタート マスター スウィッチ ナンバー2 スタート クリア コンタクト」
「コンタクト」
「21 ライト オン」
「アイム スタート」
「ローテーション」
「200 フュエル フロー」
「RPM…TGT-R」
「オール プレッシャー カミング アップ」
「ハイドロ ストップ アウト ウォーニング ライト オン」
「3000…4000…68…スラビライズ」
「ナンバー ツー デイトリム セット」
「セレクト オフ」
「レフト サイド セレクター ワン」
「セレクター ナンバー1 コンタクト」
「21…43」
「ハイドロ ストップ ライト オン…ローテーション…フュエル フロー」
「RPM…TGT-R」
「オールプレッシャー カミング アップ」
「ハイ ストップ ライト オン…3400」
「ライド アップ…4000…デイトリム セット」
「ノーマル スタート セーフ アンド オフ…」
「オン アンド バッテリー」

エンジン始動のテクニカル

 まず機長はナンバー2のエンジン(この場合は右エンジン)からスタートすることを必ずコールしなければならない。ナンバー1のエンジンからスタートとすると、障害物や地上整備員がプロペラの巻き込みが考えられるので必ずコールする。その次に、オーバー・ヘッドパネルにあるスターター・マスター・スイッチをスタートの位置にし、その右にあるエンジン・セレクター・スイッチを№2の位置にする。スターター・マスター・スイッチの左にあるスターター・ボタンを押しながら、中央パネルの中段の左側にあるエンジン回転計を見ながら500回転になるまでに押し、その後はパワー・レバーを手に添える。その間、副操縦士は中央ペデステル右側にある2本のHPC(ハイ・プレッシャー・コック)レバーに手を添えて、機長の指示で操作する。HPCとはプロペラのピッチ(角度)と燃料をコントロールするレバーである。機長はエンジンの回転数が上がった時に「ローテーション」をコールする。引き続き1200〜1500回転に達したら「フュエル フロー」とコールし、副操縦士は燃料を注入する。TGT(タービン・ガス・テンパラチャ=排気温度計)の上昇が止まり、副操縦士はエンジンが4000〜4500回転を確認した後、HPCレバーを一番奥に押し込みロックアウトする。№2のエンジンのTGTが安定したのを確認し、№1のエンジンも同じ要領で始動する。全てのエンジンが始動し回り始めたら、外部の温度が10℃以下の場合はウインド・シールド・ヒーターをオンにセットする。オーバー・ヘッドパネル右側にあるジェネレーターを作動させ、その右のバッテリー・スイッチをバッテリーの位置にセットする。同じく左側にあるオルタネーターを作動させ電圧をチェックする。スターター・マスター・スイッチをセーフの位置にし、エンジン・セレクター・スイッチをオフの位置にする。そしてHPCレバーの下にある4つ並んでいる右から2つ目のフュエル・トリマーをTGTが700℃以下に下がったことを確認してスイッチを入れる。オーバー・ヘッドパネルの中程にあるフュエル・ブースター・ポンプを全てオンにする。次に副操縦士の右サイドパネルにあるハイドロ・レバーをノーマルの位置にセットする。これは油圧系統機器の流れをノーマル状態にすることで、例えばタキシングする時にはブレーキやステアリングを使う為に油圧が必要となるので、今までバイパスしていたハイドロを使用する為に通常の管を通して上げることである。レーダーとトランスポンダーをスタンバイし、機長は地上誘導者に機体に横付けしていた電源車が離れるよう指示し確認を行なう。甲高いダート・サウンド・エンジンの音の中、機長は副操縦士にエンジン始動後の確認、アフター・スタート・チェックリストをオーダーした。
「アフター スタート チェックリスト」
「ウインド シールド ヒーター…オン」
「ジェネレーター アンド バッテリー スイッチ…オン アンド バッテリー」
「フュエル ヒーター…オン」
「オルタネーター…オン」
「スターター システム…セーフ アンド オフ」
「ハイドロ レバー…ノーマル」
「HPC レバー…ロック アウト」
「フュエル トリマー…セット フォア テイクオフ」
「レーダー アンド トランスポンダーDME…スタンバイ」
「グランド イクイップメント…ディスコネクテッド」
機長は、チェックが終わったと同時にタキシングする為に、副操縦士に東京グランド管制に交信するよう指示した。
「タクシー」
「トーキョー・グランド キンキョリ9175 リクエスト タクシー スポット 26 インフォメーション エクスレイ(X)オーバー」(東京グランド管制へ。こちら日本近距離航空9175便です。空港情報エクスレイ(X)を聞いています。駐機所スポット26番にいます。地上走行を許可願います。)
「キンキョリ9175 ランウェイ15 ヴィア チャーリー7 ヴィア Aランウェイ」(日本近距離航空9175便へ。誘導路チャーリー7、Aランウェイを通過して滑走路15レフトへの地上走行を許可します。) (注 15L滑走路は旧A滑走路で1988年に改装されて16Lとなった)
「キンキョリ9175 ラジャ チャーリー7 ヴィア Aランウェイ」(了解しました。チャーリー7、Aランウェイを経由します。)
「ライト サイド クリア」
「レフト サイド クリア」
 地上誘導員により手信号にて出発の了解を確認したパイロットは機体の左右に障害物がないかを確認し、機長はパーキング・ブレーキを解除した。通常ジェット機ではインターホンによって連絡を取るのだが、YS-11は機体が小さい為、手信号でも十分に確認が取れる。 エンジンが回っているが、パーキング・ブレーキを解除しても動くことはない。プロペラの回転数を1万1000回転以上を超えなければプロペラの角度が傾かない。
 機長は右手でスラスト・レバーをゆっくりと前に倒し、左手で機体の方向を操縦する左サイドパネルにあるステアリング・ハンドルを握り、機体は静かに動き出した。
 タキシング中に機長は、ノーマル・ブレーキとエマージェンシー・ブレーキの点検をする。ノーマル・ブレーキは両足を置いているラダーの先をつま先で踏み込む。エマージェンシー・ブレーキは中央ペデステルの機長側にあるハンドルを静かに引いて、その効果を点検し効果の確認後、静かに元に戻す。副操縦士はフラップを下げて、必要に応じてエンジンの防氷系統の点検を行なう。フラップを下げる作業はタキシングを始めてからでないと行なってはならない規定になっている。タキシング初期の確認作業を終えると、機長はテイクオフ・データの再確認を行なった。
「ハイドロ・プレッシャー ノーマル」
「ランプ・アウト 50分」
「テイクオフはノーマルパワーのローリング・テイクオフ フラップ10ね」
「ビフォア V1はいつもの通り…」
「アフターV1は ユーズ フラップ 15ね」
「クリアランスは10000 フライトプラン通り」
 飛行データで承認された事項を機長は副操縦士と共に再確認を行ない、離陸滑走中にトラブルがあった場合の打合わせも同時に行なう。この作業はフライト毎に必ず行なう。

タキシングのテクニカル

 ここでタキシングの操作に触れておく。先程も書いたが、プロペラの回転数が1万1000回転以上でないとプロペラの角度が傾かない。これを「ゼロ・ピッチ」又は「ウインドミル」と言う。YS-11のタキシングは適正な速度と円滑な操作、プロペラ出力の調整、ブレーキ及びステアリング操作をスムーズに行なえれば、習得したと言っても過言ではない。エンジン・スタート後、タキシングするまではプロペラはアイドリング状態で、プロペラの角度はゼロ・ピッチ、つまり推力が全くない。1万1000回転以上にすると角度が傾いてきて推力を増して走行し出すのだが、これの操作が非常に難しい。タキシー・ウェイに勾配があったり風が吹いていたりすると、その難しさは一層に増す。スピードを落としたり、停止する際にラダーの先端をつま先で踏み込むのだが、両足同時に踏み込まなければならない。例えば右のラダーを踏み込むと機体は右に曲がってしまう。そうなると変な横揺れが起こり、飛行機酔いを起こしかねない。それほどYS-11の地上走行は難しいのだ。
 テイクオフ・データの確認後、機長はタキシング中に行なうタクシー・チェックリストを副操縦士に指示した。
「タクシー チェックリスト」
「ハイドロ プレッシャー…チェック」
「フラップ…ワンゼロ(10度)」
「テイクオフ データ ブリーフィング…チェック アンド レディオ」
「タクシー チェックリスト コンプリーテッド」
「はい、どうも」
 YS-11は15Lに向かって地上走行を続けている。

つづく

桃田素晶・武田一男

<おことわり>本作は1985年当時の音源を使用し当時の模様をお届けしておりますが、文中で使用している図は、当時のものと異なります。特に伊丹空港のチャート図などは、当時のものを使用しておらず、スポットまでのルートに違いが生じていますが、参考に必要と考え、そのまま掲載しております。

航空ドキュメンタリー YS-11コックピット「雨中航路」/全10回
解説 桃田素晶/録音 武田一男 ©Director’s House

【著作について】「雨中航路」収録している音声、音源のすべては武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」最終回

[title_taifuhikou]
航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

奄美大島へ着陸

東亜国内航空鹿児島空港支店運航課

「まだ、着陸していないのか?」早川所長が時計を見ながらいらいらした調子で尋ねた。
「着陸すれば、奄美から連絡がある筈です」心配しているのはこの部屋にいる運航課員全員なんですよ、と言い返したい気持を押さえて松田運航課長が応えた。
「いいから、こっちから連絡してみろよ」
「ですが、彼等も567と569の着陸を控えて多忙なときですよ」
「いいから、電話しろよ。そしてその電話を切らずにつないだままにしておけよ」
 所長の剣幕に運航課員のひとりが電話で奄美大島支店を呼んだ。
「こちら鹿児島です。567は? …え!…はい、わかりました。忙しいときにおそれいりますが、電話は切らないで着陸までつないだままにお願いします」
 電話が終わると運航課員が現在の状況を説明する。
「今、ちょっと(コックピットは)忙しい時期だと思います」
ー まだ、着陸決定をしていないのですか?
「ええ。今から着陸体制に入っていきますので、それで(風の具合が)悪かったら、もう一度上がって(ゴーアラウンドして)、(滑走路の)状態が良ければ、もう一回、トライをしますが、悪ければそのまま、(鹿児島に)返ってくると思います」
 現在14時05分。

567便コックピット

 右旋回が終わると灰色の海の向こうに雲の切れ間から北へ伸びた滑走路がぼんやりと見えた。
「ランウエイ・インサイトだね」(滑走路確認)
 滑走路を視認したことを小山副操縦士がすぐ無線で奄美レディオに伝えた。
「トーアドメス567。ランウエイ インサイト」
「ギヤ・ダウン!(車輪下げ)」
 風とエンジン音の中で大井機長の声が響く。油圧の音が響いて車輪が降り始めるとさらに風の抵抗が強くなった。突風が機体を駈けぬける。
 風は今、330度方向から吹いていた。大井機長は機首方向を風に合わせて567便を斜めにしながら下降を続けた。
 横風着陸の場合、機軸と滑走路方向に角度をとって進入する。567の場合は機首方向330度、進入方向は020度でおよそ50度の編流修正角度を持っている。この操作をクラビング(CRABBING)という。文字通り、蟹の横ばいである。
 そして横風に対抗しながら斜めに進入し、接地直前に機首を滑走路に正対させるのだ。この操作をデクラブという。
 この横風着陸は航空機の機種によってどれだけの横風に耐えうるか限界値が違うが、ジェット旅客機と違って機重が軽く、進入スピードも遅いYS-11の場合はその操作が非常に難しい。しかもオートパイロットが無い567便はなおさらである。
 大井機長は吹き付ける風にこの葉のように翻弄される機体を全力で操って下降を続けた。
「コンタクトはストレート・インで」
 小山副操縦士が無線で奄美レディオを呼び掛けた。
「トーアドメス567。ベースレグ ナウ」
(こちら東亜国内航空567便です。これから最終進入です)
「ラジャ。ベースレッグ。トーアドメス567。クリア トウ ランド ウインド 340ディグリー アット23ノット レポート 3マイル フロム ランウエイ ファイナル」
(最終進入、了解。東亜国内航空567へ着陸を許可します。現在、滑走路上の風は340度方位から23ノット。最終進入時、滑走路の3マイル手前を通過するときは報告して下さい)
「ラジャ。チェック 3マイル」
(了解、3マイル手前で報告します)
「デイトリム セット」
 上下、左右に激しく揺れつづけるコックピットでは着陸の最終計器点検が始まった。
 そのとき、コックピットの裂風とエンジンの騒音を突き破るようにスピーカーが鳴った。
「トーアドメス アマミ。一方送信(返事を必要としない送信)です」奄美大島の東亜国内航空運航課からのカンパニー無線である。
「ちょっと風が強くなった状況です。だいたい330度方向から22(ノット)のステディ・ウインド(一定方向からの風)のようにとれます。それと(突風は)28ノット。お気をつけて下さい!」
 一般的には着陸前、運航課員は飛行機からの要請で滑走路などの状況を無線で伝えるのが普通であるが、このときは運航課が自発的に567便を呼んだ。それだけ滑走路上の状態が急激に悪化していたのだ。
 激しく揺れるコックピットの中でクルーは最終の計器チェックに忙殺されていた。再び、地上の運航課員のボイスがたたみかけるようにスピーカーから聞こえた。
「567.こちら奄美です…」
 あらんかぎりの力で機体を操りながら、大井機長は副操縦士に指示した。
「了解、と言ってくれ」
「はい」と答えながらもクルーにはその時間がなかった。すぐに着陸前のファイナル計器点検を続行する。
「アンチ・アイス」
「オン」
 ……計器点検の最中も気流は悪くなる一方だった。
 何時、着陸を断念してその場を離脱してもおかしくない嵐の中で大井機長はYS-11を操っていた。
 DCー10の名機長だったハーレクイン・エアーの三宅機長は、「昔、僕はYSを操縦しているとき、どんな嵐の中でもYSを落す(墜落させる)という気がしなかったね。ともかく自信があった」と言う。大井機長も同じ気持だったと後で述懐するが、その自信は訓練されたパイロットとしてもさることながら、YS-11に関してはパイロット一人一人がまるで整備マンのように機体構造を熟知していたからだともいう。
 第ニ次大戦の頃、アフリカの僻地をDCー3で飛んでいたイギリス人のパイロットが或る日砂漠に不時着させたダコタ(DCー3)を見ながら、「大丈夫だよ。俺だったらドライバー一本あれば、こいつを元通り飛ばしてみせるよ」と言い放つその自信と同じように。
「レディオにウインド・インフォメーションを貰おう」
 下降の打合せ通り、スレッシュールド通過時で20ノット以上の風があればゴーアラウンドする。そのためにも滑走路の瞬時の風の情報を管制官に知らせてもらう必要があった。
 小山副操縦士が奄美レディオを呼ぶとすぐにインフォメーションが入ってきた。
「アマミレディオ。トーアドメス567。ファイナルアプローチ ウインド・インフォメーション コール プリーズ」
(奄美レディオへ。こちら東亜国内航空567便です。最終進入に入りますので、滑走路上の風の状況を知らせて下さい。お願いします)
 管制官はウインド・インフォメーション コールが依頼されると、風の方位、速度が変化するごとに逐一、航空機に知らせることになっている。
「アマミ ラジャ。ランウエイ020 ウインド 340ディグリー 12ノット」
340度方位から12ノットの風。一瞬風が弱まった。風が弱い息に入ったのだ。
「330 アット 19」(330度から19ノット)
 YS-11は海から再び陸地に入った。突風で右に流される。
「320 アット 26ノット」
 又風が強くなった。機体が激しく上下に揺れる。
 タッチダウンまであと3マイル(約4・8キロ)。管制官が着陸の許可を出した。
「567.ランウエイ クリアー ウインド 330 22ノット」(567便へ。滑走路はクリアーです。330度から22ノット)
 大井機長が横目で滑走路を確認した。機首と滑走路の角度は依然として約50度の開きがある。567便は斜めの姿勢のまま進入を続ける。
 急激な乱気流で再び機首がはね上がった。渾身の力で立て直す大井機長。そして呟いた。
「これは…ちょいと無理かな?」

東亜国内航空鹿児島支店運航課

 567便の着陸の様子は逐一、つないだままの電話で奄美大島から報告されていた。
「ちょっと、きびしいって。見ていてもハラハラするそうです。充分気をつけてやって(着陸して)欲しいって・・」
 運航課員は祈るように言った。

567便コックピット

 耳を圧する風とエンジンの騒音。ウインド・インフォメーションを告げる管制官の声がとぎれとぎれに聞こえる。
「330 アット 14」
 330度と風の方位は変わらないが、風速は14ノットに落ちた。小山副操縦士は最終の計器点検を確認して報告した。
「350 アット 15」
 風は15ノットと若干落ちたが、350度と横にまわった。
 奄美大島の場合は横風のリミットが16ノットに制限されている。限界ぎりぎりである。
「110ノット!」
 小山副操縦士が大声で進入スピードを告げた。
「340 アット 15ノット」
 再び、風が落ちた。そして少しづつ正面にまわり始めた。
「スレッシューホールド!」
 着地直前、高度50フィート(約15メートル)通過。大井機長が機首を正面に向けた。それに合わせるように風が正面に来る。
「010 アット 15 」
 010度、ほぼ真正面から15ノットの風。着陸は今だ。滑走路がうしろに飛ぶ。
 567便YS-11は滑るように奄美大島空港の滑走路に着陸した。

東亜国内航空鹿児島支店運航課

 電話のベルが響いた。さきほど運航課員が祈るような気持で電話を終えるとき、思わず、受話器を置いてしまっていたのだった。
 全員に緊張が走る。
「え! あ、そうですか! はい。わかりました。どうもありがとうございました」そして運航課員はしっかりと受話器をかけて、早川所長に報告した。
「着きました。567、奄美到着です!」
 早川所長はほっとして無性に熱いコーヒーが飲みたくなった。それは松田も同じだろうと思いながら、「俺の部屋でうまいコーヒーでもどうだ」と運航課長の肩を拳固でつついて立ち上がった。

 YS-11の伝説的な名パイロットとして知られる浜園広幸機長が、離島運航に携わる航空マンの気持を熱く語った。

「私はまあ、無理はしていませんけど、フライトしていてですね。少なくとも可能性があれば挑戦します。これは飛ぶため、運ぶためもとは別に、離島の人がいかに航空路を大事にしているか分かるからです。(離島では)船以外は飛行機しかありませんから。だから少しでも可能性があれば、これに応えなければと思っています。このときの(無事、着陸したときの)島の人の表情は、言葉では言い表せませんね。ほんとうにジーンときますよ。…言葉にはなりませんね。

▼奄美大島進入図
奄美大島進入図

▼奄美大島地図
奄美大島上空地図

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第8回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

嵐の中のアプローチ

「ラジャ。567。チェック オーバー アマミ」と小山副操縦士が管制官に答えた。
(567便。了解しました。奄美空港上空で報告します)
 今日の奄美大島へのアプローチは島の北から入り、機首を南に向けて島の北部を横断して一端、空港上空を飛び抜け南の海上に出て、再び、右旋回でUターンをして機首を北に向け直して滑走路020へ着陸する。チェック オーバー アマミとは、空港上空を通過するとき管制官へレポートするということである。
「サーキットブレーキはオールOKです」と小山副操縦士。
 頷いて、大井機長は再度、着陸を断念する風の限界スピードを確認した。
「(風の方向が)330度あるからさ、20ノットまでだな」
「はい。20ノットまでです」
 ランウエイが020度なので、風の方位330度ということは進入方向の50度左前方、すなはち、時計方位の10時方向から横風気味に吹くことになる。
「プラス10でギリギリだからさ。スレッシュールドを通過するとき、大きい声で(進入スピードが)何ノットか言ってくれ。それからさ。リミットを(風が20ノットを)オーバーしたときは、オーバーと叫んでくれ」
 スレッシュールドとは着陸寸前の高度50フィート(約15メートル)のことで、その地点を失速速度の1・3倍以上の進入速度で通過することが規定されている。
 今日の場合、風の方向を考えてスレッシュールド通過時に20ノット以上の風が吹いていれば、着陸を断念してゴーアラウンド(着陸やりなおし)することになるのだ。
「そして…」と大井機長は着陸時の打合せを続けた。
「ゴー・アラウンドは、(エンジン出力を)マックス・パワーにしてフラップは15(度)」
 それから、大井機長は小山副操縦士を振り向いてにっこりと笑った。
「あわてないでいいからね。その他のコールアイタム(着陸時に二人のパイロットが相互に声で確認する事項)はカンパニー・スタンダード(通常の会社規定)だ」
 そして二人は雲に閉ざされた薄暗いコックピットの中で、下降(ディセント)計器点検を始めた。
「サーキット・ブレーカー」
「チェックド」
「フェルシステム」
「チェック&オート」
「アンチ・スキッド」
「オン」
「キャビン・プレッシャー」
「セット」
「プロップ・シンクロ」
「オフ」
「ランディング データ ブリーフィング」
「えー、チェック&コンプリート」
 計器点検が終わる頃、雨雲を抜けた。現在高度6000フィート。 周囲が幾分明るさを増して、雲の切れ間から奄美大島が見え始めた。
 日頃は緑豊かな美しい島が南の蒼い海に浮かぶが、今日は灰色の霧の中にまるで不吉な亡霊のようにかすんで沈む。
 風で機体が左に大きく流された。
 眼下の海は無数の白波が蛇のウロコのように縞をなして幾重にも広がっている。
 風は高度を下げるにつれて強く吹いているようだった。大井機長は海面を眺めて言った。
「ファイナルは、さ。コンテニュー ウインド インフォメーションを貰おうな」
(ファイナル・アプローチのときは、連続して風のインフォメーションを貰おうな)
 一般の着陸の場合は管制官が着陸許可を出すときに、滑走路上の風の強さと方向を飛行機に知らせるだけであるが、今日のように風が強い場合は最終進入から接地するまで、管制官に滑走路上の風の変化を連続的にコールしてもらうことが出来る。
 奄美大島の最北にある笠利崎の半島が足下に迫った。
 暗い灰色のシートを広げるように急速に低い雨雲が島の南部を覆い始める。島の上空ではもっと風が強くなることが予測された。
「ADF NO2アプローチだからね」大井機長は今日の奄美大島への進入方式を確認した。
 ADFNO2進入方式はハイステーション(空港上空)を2000フィート以下で通過し、機首方向170度で南の海へ出て、高度を下げながら右旋回、機首を010方向にして滑走路020へ進入するのだ。
「よし、カンパニーへ風の状況を聞いてくれ」
 大井機長は奄美大島の東亜国内航空運航課に無線で連絡するように指示した。
 もし、島を離脱するならこれ以上高度を下げたくない。この嵐の中では出来るだけリスクが多いゴーアラウンドは避けたいのだ。
 再び機体が激しく左右に振れる。小山副操縦士が背中にかかるハーネス式のシートベルトをきつく締め直してマイクをつかんだ。
「トーアドメス アマミ 567 風の状況は如何ですか?」
 奄美大島空港の一室で、固唾を呑んで567便の進入を見守る運航課員の不安気な声が、すぐにスピーカーから流れた。
「はい。先程から(風のインディケーターを)見ておりますと、やはり(風の)センターは330方向からの14、5ノットのステディ・ウインドになります。だいたい弱いときで10ノットから12ノット。そのときの方向が310度前後、20ノットから45、6ノットのときは340度方向を出しております。丁度、今は弱い域に入っている状況です。どうぞ」
「了解」と大井機長。
 機が薄い雲の流れに入った。すぐ激しいレインシャワーが窓をたたく。奄美大島の民家が眼下で雨に霞んだ。
「タイミング良さそうだね」
 たしかに今は滑走路上の風の状態はいい。だが、着陸時に風の弱い息にあたる何の保証もない。願わくば、今の状態が着陸まで続いてくれることを祈るのみだった。
 前方に雲の間から奄美大島の空港が視野に入る。現在、高度2000フィート。
「トーアドメス アマミ こちら569。どうぞ」
 10分遅れて飛行している569便が奄美大島の運航課を呼ぶ無線が聞こえる。
「はい。トーアドメス569。トーアドメス・アマミです」
「こんにちは。569の着予定は14時25分。オペレーションはノーマルです。14時のウエザーがありましたらお願いします」
 569便が下降を開始するにあたって着陸データを作成するために最新の奄美大島の天気情報をリクエストしているのであった。
「プラップ10」(フラップを10度に下げて下さい)
 進入体制に入った。強風の中でフラップを下げると翼が風を捕まえて揚力が強くなる分、制御が難しくなる。
 機体が急激に上に浮き、突風が激しく機体を揺った。YS-11の両翼がまるで鳥のようにばたばたと羽ためいている。
 大井機長は額に汗をにじませて全力で激しく揺れる機体を押さえ込んだ。
 すぐ下に奄美大島空港の滑走路が、流れる霧の灰色のベールにつつまれて長い帯びのように横たわっている。
 567便は滑走路上空(ハイステーション)を高度1700フィートで横切って一端、海へ出るのである。
「このまま、ハイステーションを出ますからね」
 567が海へ機首を向けると風の音がエンジンの音に混じって豪々と響き始めた。

奄美大島ランディング

東亜国内航空鹿児島運航課

「おい。奄美大島から何か言ってきたか?」
 早川所長が運航課に入ってくるなり、大声で尋ねた。数人の運航課員が落ち着かない様子で机のまわりを立ち動いている。
「奄美大島から連絡はありません。まだ着陸していません。多分、現在、アプローチ中ですよ」
 567便が無事着陸したかどうかを知るには奄美大島運航課から直接、電話で聞く以外に方法はない。
 松田課長が身体をずらせて、所長のためにソファーの空間を明けた。所長はそれを無視して隣の机から椅子をひっぱり出して、電話の側に後向きに座った。そして我慢の限界にきている子供のように両足で交互に床を踏み鳴らす。
「静かにして下さいよ、所長」たまりかねて松田が大声で怒鳴った。こんなとき、待つ身はつらい。過去、台風のたびに数え切れないほど経験していることだったが、いつもいたたまれない気持に追い込まれる。
 そのとき電話のベルが鳴った。一斉に全員の視線が黒い電話に集まる。担当の運航課員がすぐ受話器を掴んだ。
「オーバー・ステーション? ああ、ターニング インバウンド。ああ、ちょっと(風が)強いですね。はい。そうですか。風の息としてはどんな感じですか?…・はい。わかりました。じゃまた、トライしたら教えて下さい」
 受話器を置いて運航課員が現在の567便の状況を説明する。
「今、ちょっと風が強くなっているみたいですね。今、オーバー・ステーションといいまして滑走路の近くに無線標識があるんですが、そこをヒット(通過)して、もう一回(海へ)出ていって(海から滑走路に)入ってくるところをやっていますから」

567便コックピット

 567便は奄美大島を横断して南側の海上に出た。予想したように追い風が強くなり飛行機が小刻みに揺れる。
「アウトバウンド170度」と機長。高度1700フィート、機首方向170度。
 小山副操縦士がマイクをとって奄美大島空港レディオにハイステーションの通過を知らせる。
「アマミレディオ。トーアドメス567。ADF NO2アプローチ」
(奄美レディオへ。こちらは東亜国内航空567です。これからADF NO2方式でアプローチします)
「567、ラジャ。ウインド 340ディグリー 16ノット。リポート ターニング インバウンド」
(567便了解。現在の風は340度から16ノットです。旋回し終わって最終進入に移ったら報告して下さい)
 風は横風であるがまだ弱い息のままである。この状態があと5分続けばと思いながら小山副操縦士は交信を終えた。
「フラップ20」と大井機長。
 復誦しながら副操縦士は下げ翼の位置を20度にした。油圧でフラップが下がる振動が風の音に混じって機体に伝わってくる。
 アプローチの計器点検が始まった。
「アプローチ・チェックリスト」
「シートベルト&ノースモーキング」
「オン」
「フュエル ブースターポンプ」
「ボース オン」
「フュエル ヒーター」
「オン」
「ギャレバー」
「ニュートラル」
「バイパス レバー」
「ノーマル」
「ハイドロ プレス&QTY」
「チェツクド」
「フュエル トリマー」
「ハーフ セット」
「レディオ アルティメイター」
「セット」
「アプローチ チェツク イズ コンプリーテッド」
 進入時の計器点検が終わると、567便はUターンポイントに近づいた。右旋回を始める地点は空港から南に約10マイル(約16キロ)の海上である。
 眼前には灰色の太平洋。その水平線は黒く厚い雲に閉ざされ、眼下の海は白波が沸き立っている。
「インバウンドはライト・ターンで010だね」(最終進入は右旋回して進入方向は010度だね)
 大井機長が確認した。
「はい。(高度)1200フィートです」と小山副操縦士。そして右側の空に機影がないことを目視して、
「ライト・サイド・クリアー」と機長に伝えた。
 大井機長は567便をゆっくりと右旋回させる。
 右に旋回を始めると、今まで真うしろから吹いていた風が次第に正面にまわって豪々とした風音とともに機体が上下に揺れ始めた。
 高度1200フィート、約360メートル、右に傾いた主翼が泡立つ水面を切り裂くように思えるほど海がすぐ近くに見える。
 突風が果断無く吹きつけて右へ右へと流される飛行機を、大井機長は全力で正面の進入コース010方位に向けた。オートパイロットの装置がない567便YSは、離陸から巡航、そして着陸まですべてマニュアル操作である。その操縦は滅法体力を使う。とくにこの嵐の中では。
「やっぱり2000フィートあたりから気流が悪いね」ぶるぶると振るえる操縦悍を握り締めながら大井機長が言った。
「山の陰に入りますからね」
 奄美大島空港は島の北にあり、空港のすぐ横(北)に大刈山という181メートルの山がある。その山を越えて吹く北風が乱流を起こす原因のひとつになり、奄美大島は着陸が難しい空港に指定されている。
 高度が下がるにつれて山の影響が現われて、再び機体が激しく上下し始めた。

つづく

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第7回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

離島の緊急フライト

 日頃は”乗り合いバス”のような離島運航も、離島住民の緊急医療には欠かせない使命がある。長年、離島に飛ぶYS-11は空の緊急車の役目を果たしてきた。早川所長は次のように語る。

早川所長インタビュー

「例えば離島方面は(本土に比べて)医療体制が遅れています。離島の人たちが重い病気で手術をしなければならないというとき、(病人を)鹿児島や沖縄まで飛行機で移動させなければならないなどは、離島運航やローカル(運航)の大きな特色であります。私たちは一年間に150回あるいは200回も患者輸送をします。それは本土では考えられないことです。(患者)を担架のまま(飛行機の)座席に結び運びます。場合によっては医者同行で酸素吸入をしながら患者を運ぶことも一週間に2回くらいあります」

東亜国内航空の客室乗務員も次のように話す。
― 離島で病気の人を運ぶことがありますか?
「はい。それはしょっちゅうですね。離島で交通事故にあって(患者を都市の)大きな病院に移さなければならないときなど、急遽YSのうしろの座席に担架をセットして運んだというケースや医師同行で点滴をしながら運ぶなど多々ありますね。離島には小さな病院しかないので・・・」
 大井機長もそんな緊急輸送の経験が沢山あるという。この奄美大島へ567便で飛行する一週間ほど前にも緊急フライトがあったばかりであった。
 それは奄美大島の木工所に勤める男性が、誤って機械で親指を切り落した。その男性を急遽、手術のために鹿児島まで運んだフライトである。
 そのときの様子を奄美大島の東亜国内航空の運航課員と大井機長は次のように語っている。
 運航課員「木工所で(指を)切断したんです」
 大井機長「奄美では手術が出来ないから、(患者を)鹿児島の市民病院まで運ぶというので、(奄美大島空港から鹿児島空港へ飛ぶ)最終便に乗せたのです。(指を切断した状態なので)時間的に余裕がないのです。なぜなら(切断された)指が(手に)くっつかなくなってしまうから、気を使いました」
 運航課員「そうですね。(指を切断してから)24時間以内に縫いあわせの手術をすればOKということだったので。それでね。大井機長。翌日、(無事手術が成功したので) そのときのパイロットの方々に何とお礼を言えば良いのかと、身内の方から、わざわざ、お電話がありましたよ」 
大井機長「いや。(それは)嬉しいですね。いやー、(その後、患者さんが)どうだったかと思ってね。(切断された指は)新しければ、新しい程(時間が経過しなければしない程)くっつきやすいでしょうからね」
 運航課員「はい。(あのとき、患者の)奥さんが切断された指を冷凍してナイロン袋に入れましてね。それで(患者に同行して)持って行かれましたからね」
 そのとき、血にまみれた夫の切断した親指を、氷を詰めたビニール袋の中に入れて傷ついた夫に寄り添い、最終便の後部座席に座っていた奥さんの姿が忘れられないと、運航課員は話すのだった。
 大井機長も手術に間にあわせるために、可能な限り飛ばしましたよ、と当時を回想する。

奄美大島下降

 奄美大島に近づくにつれて空の様子は一変し、険悪になっていった。
 今まで続いていた灰色の雲は暗い雨雲に変わり、幾重にも層を作って牙を剥き出すように行く手に立ちはだかっている。
 雲の中から那覇コントロールの無線が奄美大島への下降許可を告げた。
「ラジャ。567。クリアー トウ アマミ レディオ ビーコン バイ プレゼント ポジション ディレクト アマミVOR ディレクト ディセント メインテイン3000 ナウ リービング12000」
(了解しました。567便。奄美ビーコンに沿って現在地からダイレクトに奄美大島VORに向かいます。直ちに高度12000フィートを離れて高度3000フィートまで下降開始します)
 管制官に567便が応答して、奄美大島への進入が開始された。「ラジャ。567。リポート リービング9000」
(こちら那覇コントロール、了解。567便へ。高度9000フィート通過時に報告して下さい)
 流れる暗雲が激しい雨を呼び、コックピットの窓を打つ。窓ガラスにはその雨が滝になって流れている。
 客室乗務員がコックピットに客室の準備が出来たことをインターホンで知らせてきた。小山副操縦士が応える。
「はい。どうも有難うございました。キャビンはOKです」
 大井機長は頷いて、9000フィート通過時には管制官に報告する旨、小山副操縦士に確認した。
「リポート リービング9000だからね」
 雲の中で機首が下がって567便は下降を始めた。コックピットの空気がピーンと張り詰める。
 客室ではキャビンアナウンスが流れた。
「当機はこれより次第に高度を下げて参ります。尚、高度降下に伴いまして気流の関係で揺れて参りますので、お座席のベルトをしっかりとお締め下さい。尚、途中ご気分の悪くなられたお客様はご遠慮なくお座席の前のポケットの白い袋をご使用下さい」
 さすがに乗り合いバスの中のように寛いでいた乗客も窓越しに険悪な雲を眺めて、身を引き締めるようにシートベルトを着けて椅子の背を立てる。先ほどから焼酎を呑んでいた中年の男性も、ビンを足元のバッグにしまって不安そうな表情になった。
 高度が10000フィートを切ると、再び厚い雨雲に入った。
 コックピットは夜のように暗くなり、小山副操縦士が計器類の照明を点灯した。オレンジ色のライトが灰色のコックピットの中ににじむように光る。
 一瞬、機体が激しく上下に揺れた。高度を下げるにつれて気流がますます悪くなる。
「キャビン・プレッシャー(客室の与圧)。セット。それから13時ウエザーでランディング・データーを作って下さい」
 機長の要請で小山副操縦士が、素早く13時の気象データを基準にして着陸に必要なデータを作成する。
「はい。風は340度から16ノット。ガスト28(ノット) QNは2950(ミリバール)です。エレベーションは59。OAP28度。デイトリムが75%。ランディング・ウエイトは5万1515(ポンド)、スレッシュールドが97(ノット)、99(ノット)フラップUPスピードが113(ノット)、ファイナルが124(ノット)です」
 機長は前方を見つめたまま言った。「プラス10でいくとディスタンス(着陸に必要な滑走路の距離)がどれだけになる?」
「トーアドメス567 QNHアマミ 2958」
 大井機長は管制官が気圧を間違えてレポートするのを聞きながら、「今、間違えているな。プラス10でディスタンスは?」と、再度、滑走路の距離を確かめた。
 最低16ノット、最悪の場合28ノット以上の強風が予測されるランディングには通常の進入スピードより速くしなければ、機体が風に流されてしまう。
 大井機長はプラス10ノット(着陸データ上の進入速度より10ノット速いスピード)で着陸するつもりだった。しかし、進入スピードが上がればそれだけ、使用する滑走路の距離が多く必要になる。
「トーアドメス567 QNHアマミ2950 アンド セイ ユア アルティテュード?」
(東亜国内航空567便へ。奄美空港の気圧は29・50インチです。現在の高度を知らせて下さい)
 管制官は再度、気圧を訂正した。飛行機の気圧高度計は滑走路上の気圧を基準としてセットすることで、正確な現在気圧が必要なのだ。
「トーアドメス567。リービング9400」
(東亜国内航空567便です。現在高度9400フィートで降下中です)
「ラジャ。567 クリアー フォー アプローチ トウ アマミエアポート コンタクト タワー アマミ・レジオ」
(了解しました。そのまま奄美大島空港への進入を許可します。以後は空港タワー・コントロールの奄美レジオとコンタクトして下さい)
 飛行高度が10000フィート前後まではACC那覇コントロールの管轄であるが、それ以下は空港管制が担当する。
「ラジャー。クリアー フォー アプローチ アンド コンタクトトウ アマミ・レジオ」
 副操縦士が交信を復誦して、無線周波数をアマミ・レジオ118・1に合わせた。
 567便は雨雲を抜けるとすぐ又、黒い雲の層に突っ込んだ。激しい上昇気流につかまり機体がふわりと持ち上がって、すぐに高速エレベーターに乗っているようにスーッと下がる。パチパチと激しい音がしてフロントガラスを小さな氷の粒が打った。
「1200ギリギリだな」
 左右に揺れる飛行機を操りながら大井機長が言った。プラス10のスピードで進入すると、計算では滑走路の距離は1200メートルぎりぎりまで使うことになる。奄美大島空港の滑走路は1200メートルであった。
「先にアマミ・レディオにコンタクトしておこう」
 今度は突風で機体がぎしぎしと軋んだ。小山副操縦士が奄美大島空港を呼ぶ。
「アマミ・レディオ。トーアドメス567。パッシング9000 エスティメート アマミ 1410 オーバー」
(奄美レデオ。こちら東亜国内航空567便です。現在高度9000フィートで進入中、奄美大島到着は14時10分の予定です)
「トーアドメス567。アマミ・レディオ。ランウエイ020 ウインド 330ディグリー 22ノット テンパラチャー28 QNH2950 レポート オーバー アマミ」
(東亜国内航空567便へ。こちら奄美レディオです。使用滑走路は020。風は330度方位から22ノット。気温28度。気圧は29・50インチです。奄美VOR上空に到着したら報告して下さい)
 雲中飛行の不安を和らげるように、暗雲を抜けて奄美レディオの無線のボイスが力強く響く。

つづく

武田一男

【特別付録】このドキュメンタリーは航空サウンドでも楽しめます。
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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第6回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

奄美大島へ

 薩南洋上、高度12000フィート。眼下は見渡すかぎり雨雲である。
 灰色の絨毯を敷き詰めた広い雲の層に、所々、らくだの瘤のような黒い塊がいくつも突き上げて険悪な様相をみせ、すぐ上空にはやや明るい灰色の厚い雲が、低い天井のように覆っている。
 567便は、その雲の層に挾まれた細長い空の空間を一路、奄美大島に向けて南下していた。今は10分遅れて後続する僚機569便YS以外は、20000フィート以下の高度に他の航空機は全く飛行していない。
 567便の飛行コースは薩摩半島を枕崎上空で抜け、東シナ海に入り、機首方向207度で屋久島の西約40マイルを通過して北緯30度線に向かう。
 30度線を東経129度49.16度にあるBOMAPポイントで通過。ここまで鹿児島からおよそ100マイルの飛行距離である。その後、機首方向207度で東シナ海を南下、奄美大島の北北西約30マイル洋上にあるポイントSATLAへ向かう。
 SATLAはBOAMPからおよそ65マイルの洋上の地点、そしてSATLAから奄美大島へ左旋回し、機首を166度に変えて下降を開始する。
 奄美大島に至るエンルートの気流は、心配するほど悪いものではなかった。
 鹿児島の南端から種子島付近にかけて9000フィート近くまでの高さに伸びていた雨雲の中では、かなり揺れたが、雲を抜けてからは、強い追い風による小刻みな揺れ以外は激しい気流の乱れはなく、台風時の飛行とは思えないほど平穏な巡航であった。
 巡航中は定期的に計器類に目を走らせ、管制交信に耳を傾ける以外、とりたててする仕事もないコックピット・クルーにとって比較的くつろげる時間帯である。
 しかも、普段ならこの薩南諸島の海上を飛行するときは、大きなガラスの窓越しに南の太陽が燦々と降り注ぎ、コックピットの中は暖くて眠りさえ誘う居心地の良い場所になる。
 だが、今日はまるで違っていた。
 日差しが雲に遮られたうす暗いコックピットの中で、二人のパイロットは口数も少なく落ちつかない様子を見せていた。
 嵐の奄美大島への着陸を考えると、この一時的な平穏が早く終わればいいとさえ思える。それは戦場で数時間後に始まる総攻撃を前に落ち着かない気持で待機する兵士のように、つかの間の平穏な時間がよりいっそう緊張感を高めるような気がするのだ。
「やっぱりさ…」
 大井機長は張り詰めた雰囲気を和らげるように副操縦士に話しかけた。
「鹿児島で勤務するかぎり、台風に当たる確立は多いよね」
「多いですよ。毎年、必ず当たりますね」
「東京で勤務するときは、めったに当たったことはなかったけどね」
そして大井機長はしみじみとした調子で呟くのだった。
「鍛えられるよ…」
「運の悪い人なんか毎回当たるんですよね」
「(鹿児島へ)来るたびにな…」
 雲を隔てた上空から沖縄や本土に飛ぶジェット旅客機の交信が聞こえてくる。
「フクオカ・コントロール。ジャパンエア611。メインテイン310」
(こちら福岡コントロールです。日本航空611便へ。高度3100フィートを維持して下さい)
「ジャパンエア611。ラジャ」
(日本航空611便、了解)
「フクオカ・コントロール。オールニッポン98。リービング290 フォー 170」
(全日空98便へ。こちらフクオカ・コントロールです。高度29000フィートから17000フィートへ降下して下さい)
「オールニッポン98。ラジャ」
(全日空98便。了解)
 そのとき、567便の無線が鳴った。
「569?」
 10分あとを飛行している569便が無線で呼び掛けてきたのだ。小山副操縦士がマイクを取る。
「トーアドメス567。トーアドメス569。呼ばれましたか?」
 高度7000フィート前後を上昇中の569便が雲の中から、先行する567便に現在の飛行高度と気流の状態を尋ねてきたのだ。
「(567便の現在高度は)10000(フィート)ですか?」
「(現在高度は)12000(フィート)です」小山副操縦士が答える。
「10000(フィート)でも、やはり雲がかかりますか?」と569便が尋ねた。
「10000でもいけると言ってくれ」
 大井機長が10000フィートで雲が切れることを569便に伝えるように副操縦士に指示を出す。
「10000でも問題ないと思います」小山副操縦士がすぐ機長の指示を無線に乗せる。
「はい。了解です」と569便。
 飛行中に他の飛行機と交信を交わすことは多々ある。例えば、電波の具合で管制官と連絡が出来ないとき、先行する他の航空機にコンタクトして管制官へ到着予定時刻や飛行高度などを伝えてもらう場合や、これから飛行するルートの天候などを尋ねる場合などである。
 569便と交信が終わると、大井機長はインターホン電話で客室乗務員を呼んだ。キャプテン・アナウンスをするためである。
「あの、13時ウエザーをもらったのですが、12時と変わっておりません。そういう状況で(奄美大島への)着陸は五分五分ですね。それでは(アナウンスを)始めますのでお願いします」
 そして機内放送のためにマイクを取った。

「ご搭乗の皆様。本日もTDA東亜国内航空をご利用頂きまして真に有難うございます。操縦席より飛行状況のご案内をさせて頂きます。567便奄美行きは定刻より約1時間ほど遅れて出発しております。
 現在、飛行高度12000フィート、約3600メートル。飛行速度、毎時400キロメートルで順調に飛行を続けております。
 只今の位置は薩摩半島の南端から約50キロの所を飛行しております。当機はこれより北緯30度線を13時38分に通過いたしまして、目的地奄美空港には14時15分の着陸を予定しております。尚、航路上の天候は目的地までは、ほぼ現在のように、大きな雲もなく順調な飛行が続くものと思われますが、着陸進入に関しましては、かなりの揺れが予想されます。
 目的地奄美空港の天候は出発前に、ご案内申し上げました通り、台風の影響でかなり風が強くなっておりまして、現在のところ着陸出来るぎりぎりの状況でございます。
 最悪の場合には鹿児島空港に引き返すことも充分考えられますのでご了承ください。何かご不便な点がございましたら客室乗務員までお申し出下さい。本日はご搭乗有難うございました」

 乗客たちは”最悪の場合、鹿児島に引き返す”という機長のアナウンスなど気にもしていない様子だった。そんなことは離島では日常茶飯時なことだった。
 乗客たちは機内に持ち込んだ手弁当をおいしそうに食べ、ちびりちびりと懐から取りだした焼酎を呑む者もいた。
 乗客の大半は顔見知りで、機内はさながら村から村へ走る乗り合いバスの車内のように打ち解け、寛いで、機窓から嵐の雲を心配気にながめているものなど一人もいなかった。

567便乗客の客室インタビュー

「しょっちゅう乗っておるんですけどね。毎月いっぺんぐらいはね。台風のときは欠航があったりするんですよ。で、欠航とか、しょっちゅう風が強いときなんか、奄美空港なんか、よう着かんですものね。上まで飛んできて、また引っ返すとか。40分くらい乗ってから、もう、帰ったことがあるんです。(奄美大島は)空港が小さいからYSがいちばん良いです」

567便コックピット

 567便は北緯30度線を予定より早く過ぎた。北風が予測したより速いためだ。
 まだ上空には雲があるものの、下は雲も切れ始めて灰色の荒れる海が所々見渡せるようになった。
「やっぱり、白波が立っているね。まっ白だな」
 大井機長は身を乗りだして海を眺めた。
 いつもは青く澄んでいる南の海は灰色に濁り、大きな波頭が帯を連ねたように海面一帯に伸びている。その波頭を見るかぎり海面にはかなりの強風が予想された。
 台風の中心が過ぎたと考えられる奄美大島もまだこんな風が吹いているのだろうか?
 大井機長は現在の奄美大島の出来るだけ詳細な情報が欲しかった。 しかし、情報を得るにしても、この位置からは奄美大島の東亜国内航空運航課と交信するには、距離が遠過ぎてカンパニー無線はつながらない。しかも奄美大島空港にはATIS(空港情報サービス)もないので、直接、空港から情報を得ることも出来ない。
 そのとき、ふと思いついて大井機長は無線機のマイクを取り上げた。
「564、こちら567。どうぞ」
 564便は奄美大島空港で台風をやり過ごし、今日鹿児島空港へ向かう予定のYS-11である。奄美大島の状況を聞くためにその飛行機に呼び掛けようと考えたのだ。
 もし、564便が予定通り奄美大島を離陸していれば、こちらに向かっているので無線は届く筈である。
 しかし、受信機はザーという空電を発しているだけで、飛行機からの応答はなかった。
「130.1(メガヘルツ)にしているかな?」
 YS-11に搭載している無線機はVHF1とVHF2の二つで、VHF1は管制との交信にあて、VHF2は離着陸前後はカンパニー無線の周波数に合わせ、それ以外を130.1メガヘルツにして緊急時や飛行機間の交信にあてている。
「まだだと思いますけどね」小山副操縦士が小首を傾げながら答えた。
「忙しいときだからな…」と大井機長は、もし、564便が離陸していれば今は上昇中で何かと多忙な時だろうと思いながら呟いた。
 しかし、何としても奄美大島の最新ウエザーが欲しかった。ここまで飛んで来て、みすみす鹿児島に引き返したくはない。
「トーアドメス564。こちら567。感度如何?」
 再度、大井機長は564便を呼ぶ。だが、564便からは応答はなかった。
 無線の受信機からは日本航空903便へ、福岡コントロールから那覇コントロールへの移管を呼び掛ける管制交信が聞こえる。
「ジャパンエアー903。レーダーサービス・ターミネイテッド コンタクト ナハ・コントロール1193」
(日本航空903便。こちら福岡コントロールです。レーダー誘導の限界です。以後は那覇コントロール周波数119.3メガヘルツに連絡して下さい)
 北緯130度線は福岡コントロールと那覇コントロールの管制エリアの分岐点である。
 日本航空に引き続き、福岡コントロールが567便を呼んできた。「トーアドメス567。レーダーサービス・ターミネイテッド。コンタクト ナハ・コントロール120.5」
(東亜国内航空567便へ。こちら福岡コントロールです。レーダー誘導の限界地点です。以後は那覇コントロール120.5メガヘルツへご連絡下さい)
「トーアドメス567。ラジャー。120.5」
(東亜国内航空567便です。120.5了解しました)
 VHF1の周波数を120.5メガヘルツに変えて、小山副操縦士は大井機長に管制が変わったことを報告した。
「今、コンタクトはナハ・コントロールです」
 大井機長はVHF2で564便とのコンタクトに腐心していた。どうしても情報が欲しい。そして、何とかこの飛行機を奄美大島に降ろしたい。それは離島を飛ぶパイロットの使命であった。
「今、まだ、(564便は無線のボリームを)しぼっているみたいだな」
 大井機長は再び、564便を呼ぶ。
「こちら567。564。感度いかが?」
 そのとき、564便が応えた。大井機長の顔に安堵の色が走る。
「お忙しいところお手数ですけども、奄美の状況を少し聞かせて頂けますか?」
 上昇中のコックピットの多忙さに気使いながらも、大井機長は気が急く思いで尋ねた。
「えー、了解しました」
 564便のボイスは明瞭にスピーカーから流れた。
「奄美はデータ通り、320(度方向)から360(度方向)くらいで、だいたい12、3ノットの風が多いんですが、ときどき20ノット、あるいは25ノット、ときには30ノット吹くこともありました。空港のインディケーターによると、12、3ノットの風が1分か2分くらい続きまして、それから20から25ノットの風が30秒くらい続くといったような繰返しの状況でした。風の変化が非常に激しいようでした。どうぞ」
 奄美大島の状況は予想した以上に悪いものだった。大井機長は礼を言って無線を閉じた。
 着陸時、320度から360度方位の風は、ほぼランウエイヘディングで正面の風になり20ノット以内なら問題はないだろう。  しかし、25ノットから30ノットの強風が混じるという風の変化は厳しいものがあった。
 実際、着陸の瞬間にその風が吹けば、翼面荷重が少ないYS-11の特性から考えて機体が翻弄され着陸を断念せざるをえない。
 しかし、接地するとき12、3ノットの風に当たれば着陸はたやすいものになる。
 唯、風がそれほど西に回っていないのが唯ひとつの救いであった。「これはタイミングだな」
 大井機長は小山副操縦士の顔を見て言った。
 奄美大島に近づくにつれて、コックピットは次第に緊張感が増し始めていた。

つづく

武田一男

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第5回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

航空整備マンの功績

 567便が奄美大島に向かっている間、YS-11の運航を影で支える航空メカニックの人達の影の努力を紹介しょう。この努力があってこそYSの離島運航があったのである。

鹿児島支店整備主任のインタビュー

― 台風時のYS-11の整備についてお話を伺いたいのですが?
「まず、台風の時はその規模によって(YS-11)を他の空港に逃す(エバゲーション)するか、(鹿児島空港に)スティさせるかどうかを台風対策本部と相談して決めます」
― 待避(エバーゲーション)する場合はどんな点に気を使いますか?
「それはまず、何処に待避させるかということです。台風の進路によって空港を決めます」
― 待避するときは整備員も同乗するのですか?
「待避する空港に整備員がいない場合はもちろん同乗します」
― 待避が出来なくて鹿児島空港にスティさせる場合は?
「7機ともスティさせるのは大変苦労があります。整備員を一機一機に張付けて、夜の11時過ぎ風が強くなるころからエンジンを回してYS-11を風に正対させました」
― 風に飛行機を正対させるとはどういうことですか?
「ええ。風の方向に飛行機を向けて駐機する、正対させるんです」
― そのとき何故、エンジンを回すのですか?
「風に飛ばされてしまうからですが、普通はトーイングカーを飛行機に繋いで正対させます。台風の時は風が強いので煽られて危険ですから、飛行機に整備員が乗ってエンジンを回し、タキシングでそのときの風の方位に機首を合わせて向きを変えるんです。又、機内に鉛のバラストを積んだり、燃料を満タンにして機重を重くして風に煽られにくいようにします」
― そのとき留意されるのは?
「なにしろ夜中に7機のYSを並べて、同時にエンジン・ランをするものですから、風もさることながら飛行機同志の接触事故に最も注意を払います」
 夜、嵐の中で駐機場に並んだ7機のYS-11が、翼を揃えて一斉に回すエンジンの音は耳を轟する騒音となる。
 そして風の方位が変わるたびに、まるで海に泳ぐ魚の群れのように、全機が一斉に機首を風に向けて方向を変える。
 その長い繰返しの中で、雨と風に打たれながら各飛行機の間を走り回り、懸命に飛行機を守る整備マン逹・・・。
 インタビューを終えた整備主任が一言、漏らした言葉が印象的であった。
「要は、うち(整備)の連中は、滅法、飛行機が好きなんですよ。子供みたいにね・・・。」

 ここで簡単にYS-11の歴史を振り返って見ると、第二次大戦後、純国産の旅客機としてYS-11の構想が正式に発表されたのが昭和31年の5月、そして製造を担当する会社、日本航空機製造が昭和34年6月に設立され、1号機(試作機)が初飛行したのが昭和37年8月30日であった。
 それから約12年間、昭和49年2月1日に最終号機がロールアウトして製造が打ち切られたが、YS-11は今だに現役旅客機として世界の空を飛行している。
 YS-11が長寿である理由は、むろん、航空機自体の設計、製造が優れていることもさることながら、YS-11を使用している航空会社の優秀な整備技術がその理由であると言われている。
 中でも東亜国内航空の整備は優秀なことで知られていた。それはこの台風飛行が行われた当時の就航率に如実に現われている。
 昭和54年には95・8パーセントの高率で、この就航率が100パーセントに至らない理由は、ほとんど台風など天候によるものであったという。
 これは驚異的な数字である。何故ならこの時、すでにYS-11は製造を中止して6年も経っていたからだ。
 昭和55年、東亜国内航空はYS-11を42機所有する世界最大のYSオペレーターであった(自社所有は36機、リースが6機)。その42機の他に東亜国内航空の整備スタッフが整備契約を結んでいたのは、運輸省航空局のチェツカー機が5機、南西航空の所有機が5機で、合計52機のYS-11のメンテナンスを行っていたのである。
 当時、彼等メンテナンス・スタッフは「YS-11は、(製造を中止した以後)今、自分たちが手塩にかけて完成品となった」と胸を張ったという。
 そのことは昭和55年9月号の航空ジャーナル社の記事に明解に記されている。
「TDA(東亜国内航空)のYS-11は、LANSA(LANSA航空ブラジル)やVASP(VASP航空ブラジル)、VARIG(ヴァリグ航空ブラジル)、PAL(フィリピン航空)など南米や東南アジアで使われていた中古の買戻し機やリース機が、現在15機もある。
 中古機にはそれぞれ固有の特性がしみついているので、(東亜国内航空機としての)信頼性を同等に保つためにはTDAになじませる改修等が必要になる。……中略……
(これら)中古機については、かならず総分解し、TDAショップ(註 当時、東亜国内航空メンテナンスが誇った豊富なYS-11の部品ストックのこと)の部品と交換し、トラブルがなくてもTDAの整備方式でオーバーホール、リペアを施し、その後、路線に投入した。……中略……
TDAの技術陣は、YS-11と共に育ったと言ってよいだろう。YSを通じて航空技術の基礎を学び、実績を積み重ね、時代の流れの中でYSに近代化を施し、自らも成長すると共に、YSという機体も成長させてきた」

YS-11、JA8643号機の奇跡

 奄美大島へのフライトから横道にそれるが、YS-11の整備マンたちの優秀さと飛行機にかける愛情を現わすエピソードをご紹介しよう。
 それは事故でスクラップと認定されたYS-11を復元修復して、再び、飛べる飛行機に戻して空に帰した奇跡のような整備マンの話である。
 その事故は昭和42年1月22日に函館で起こった。
 事故を起こしたYS-11は、東亜国内航空の前身である日本国内航空の所有するJA8643機「黒耀号」であった。(註 日本国内航空と東亜航空が昭和46年5月に合併して東亜国内航空となり、昭和63年4月1日に日本エアシステムに社名を変更した)
 JA8643号機の製造番号2007。すなはちYS-11の第7番目の機体である。
 事故の様子は、そのときの朝日新聞の記事を引用する。

YS-11機、離陸に失敗。国内航空 函館で乗客4人けが。

 〔函館〕22日午前11時40分ごろ、北海道函館空港で、日本国内航空のYS-11機「黒耀号」(飛田武男機長ら乗員四人、乗客十二人)が離陸に失敗、滑走路から約二百メートルとび出して畑の雪の中に突っ込んで止まり、乗客四人が頭や腰などに軽いけがをした。

 函館航空保安事務所は同五十分、滑走路を閉鎖して現場を保存、運輸省航空局の楢林主席検査官が同夕刻現場に到着して、二十三日から本格的な原因調査に乗り出す。

 同機は同日午前十一時すぎ、いったん滑走路に出て、離陸体制に入ったが、飛田機長が操縦系統の故障に気づいて一度エプロン(駐機場)に引返して点検、予定より約五十分遅れて滑走を始めた。
 飛田機長の話によると、滑走路の中ほどでプロペラの回転数が上がらず離陸出来ないと断念、同機長は非常ブレーキなどを使ったが、間にあわなかったという。
 滑走路から約百メートルはずれたところには、左右のプロペラと車輪がもぎとられて散乱していた。
 乗客の話を総合すると、止まったときは左エンジンから火をふき、水道のジャ口をひねったようないきおいで油がふき出していたという。乗客はスチュワーデスの誘導で後部右側にある非常口から脱出して大事にはいたらなかった。
 飛田機長の話  滑走中にレバーが激しくゆれるので離陸を中止、非常ブレーキも使って急ブレーキをかけた。

朝日新聞 昭和42年1月23日付け朝刊

 車軸が折れプロペラをとばしたYS-11「黒耀号」JA8643機は、地面に激突し、そのまま約200メートル、胴体のまま滑走したことで、雪の上とはいえ機体は歪み、主翼やプロペラは大きな破損をうけた。
 航空局の事故調査を受けた後、機体は函館空港の日本国内航空の格納庫に保管された。
 そして一ヶ月後、保険会社の調査も終わり、「黒耀号」JA8643機は全損扱いとなり、スクラップと認定されたのであった。
 松尾整備部次長(東亜国内航空)は当時を振り返って、次のように語った。
「スクラップと認定された事故機の残骸は、保険会社が処分するとしてもお金がかかるし、うまくいってもわずかな金で屑鉄として売るしかない。それで、保険会社は格納庫に積み上げた機体をそのまま国内航空に譲り渡したのです。とりあえず我々はスクラップの中から、まだ使える部品を取り外すことにしました」
 昭和42年当時は、YS-11はまだバリバリの新鋭機であった。 とくにローカル路線を中心に運航していた日本国内航空にとっては主力機であり、YSを製造する日本航空機製造も世界中から受注を抱えてライン生産が全盛だった頃なので、YSの部品類は貴重なものであった。
 それで日本国内航空の本社整備部や技術課、各支店の整備スタッフは我先に函館を訪れ、機体から可能な限り、使用出来る部品を抜き去ったのである。中には”記念品”として持ち帰る者もいたという。その結果、JA8643号機はいっそう無残なスクラップと化した。
 その頃、本社整備部の鳴神部長も函館を訪れた。
 彼は函館の格納庫に積まれた残骸をみたとき、かっては美しい姿で大空を自由に飛んでいた飛行機の姿とはとても思えず、胸に迫るものがあったという。そして彼はそのとき決意した。「この残骸をもう一度、飛行機として空に帰してやることは出来ないものだろうか?」と。
 もともと、鳴神部長は日本航空の整備会社JAMCOから日本国内航空に引き抜かれた整備のエキスパートであった。彼は日本航空整備時代から大きな整備を担当していた。
 かってアメリカ人の指導で胴体がバラバラになったダグラスDCー4のケタをつなぐ大修理の経験もあり、骨の髄からの整備マンであった。
 それで鳴神部長は会社にJA8643を復元修復することを提案したのである。
 しかし、大破した飛行機を修復して空に帰すことは、当時としては夢のような話であった。
「その話を聞いたとき、吃驚しましたね。あんなスクラップを修復して、本当に空を飛ぶようになるのかな?」
 整備技術課の内田課長をはじめ整備部スタッフの間でもその提案は信じられないものだったという。
 そんな状況の中で、鳴神部長の整備魂は燃えた。
「この復元修理は日本国内航空の整備マンを育成するには最適の教材になる」と鳴神部長は会社を説得し、会社は復元修復案を了承したのである。
 事実、この復元修理に携わった人たちが、後に整備部の中枢として、東亜国内航空がYS-11の整備にかけては世界一と言われるようになった礎と伝統を築いた。

 年が変わって昭和43年1月、鳴神部長を中心にした修復グループが発足し、JA8643号機の復元修復が始まった。
 しかし修復スタッフは事故以来、一年間、函館の格納庫に寒風にさらされ放置されていた飛行機の残骸を目にして、改めてこのスクラップが再び、空を飛べるようになるのか、という疑念を払拭することは出来なかった。
「当時は空港の中を通れないので、格納庫まで外側のフェンス沿いに、うさぎの小道みたいな雪道を歩いて毎日、通いましてね。寒かったなあ。しかも氷点下に近い格納庫の中には電気すらもなかったんですよ。
 それで農業用の小さな発電機を調達しましてね。薄暗い裸電球を灯して細々と残骸の仕分け作業をしました。が、まだ、(飛べるようになるのかどうか)疑問はありましたね・・・」(松尾整備部次長)
 たしかにそれまで、日本の航空界では事故で大破した旅客機を復元して空に帰したという事例は一件もなかったので、整備マンが尻込みするのは無理もなかった。
 鳴神部長はその一人一人に、「これは絶対に飛べるようになる」と整備マンの魂を吹き込んでいったという。
 彼は日本航空から修理のベテランといわれた故山川技師を参加させ、復元計画は徐々に進み始めた。
 しかし、問題は山積みしていた。まずその一つは、函館空港では工具も設備も不足しているので、飛行機の残骸を日本国内航空のベースである羽田空港へ運ぶ必要があった。
 問題はその輸送方法である。
 当時はまだ、東北自動車道路もなく、北海道と青森を結ぶ青函トンネルもなかった。機体がバラバラであるとはいえ、これ以上破損紛失しない方法で羽田空港まで運ぶことは復元には絶対条件であった。
 これを解決したのは当時の日本通運の函館支社の途方もなくユニークな発想であった。
 それは筏による輸送案である。大きな丸太を並べた上に角材を敷いた特製の筏を組み、バラバラにした飛行機を乗せてタグボートで引っぱり、函館から海伝いに羽田空港のBランウエイ側の運河まで運ぶという海上輸送案である。運河からはクレーンで機体を釣上げてそのまま格納庫に入れるというものであった。
 この輸送案は結果として大成功を納めた。
 筏は10日間ほどかかって羽田に到着し、スクラップは格納庫102ハンガーに無事、収納されたのである。
 本格的修復作業は時を移さず開始された。
 この航空史上、稀に見る修復作業には日本航空や日本航空機製造も全面的に協力を惜しまなかった。
 作業の第一歩はスクラップを完全な飛行機に復元するまでの緻密な作業プランの作成である。そのプランニングには工程管理を担当した斎藤整備部室長があたった。
「事故が起こった昭和42年の暮れは、私は胃潰瘍の手術をして入院していましてね」
 病後の身体にもかかわらず、徹夜を重ねて斎藤室長は工程プランを作成した。
「ともかく(修復作業は)初めてのことばかりなので、何から手をつけて良いのか分からないというのが実感でした。そんな中で若い連中が頑張ってくれましたね。彼等の努力がこの修復作業の支えでしたね」
 その工程プランを略記すると次のようになる。
 1月15日から2月末までは整備の人員手配(スケジュール)とジグ(工具)の準備、そして機体の故障個所の洗い出し。
 2月末から板金作業。3月6日から胴体、4月中旬には前胴(コックピット)、5月には胴体の接続、5月中旬には翼と胴体の接続。そして7月初めにパワー・イン(電源をつなぎ稼働させる)、7月20日テストフライト。
 鳴神部長の指揮のもとに作業はプラン通りに順調に進んだ。
 スクラップだった残骸が次第に飛行機の姿に変わるつれ、それまで疑心暗鬼だった整備マン一人一人に自信と希望がみなぎっていったという。
「正直、最初は疑念がありましたが、(作業を)やり始めて、だんだんと自信が出てきたというか、俺たちにもこの飛行機を飛ばすことが出来るのかもしれない、と思えるようになりましたね」(斎藤室長)
 だが、苦労も並みではなかった。
 まるごと飛行機を一機製造する、いや、むしろ、それ以上の難しさが求められた。
 航空会社の整備格納庫は、基本的に新しい飛行機を製造する工場とは大きく異なる。だから、胴体と胴体、胴体と翼などを理想的に組立結合するジグ(工具)類はない。
 修復作業はそれら一つ一つを自分たちで作り、工夫することから始まったのである。しかも、YS-11の部品はヨーロッパ製が多く、部品調達も苦労が多かったという。
 そんな状況の中でスタッフの「整備魂」は燃えた。
 そして予定通り、7月20日に新しいJA8643号機は完成しロールアウトしたのである。
 普通、YS-11一機をオーバーホールするには、延べ整備時間は3500から4000時間かかるというが、JA8643号機は完成まで約40000時間かかった。
 すなはち、YS-11を10機オーバーホールした分の整備時間を要したことになる。
 テストフライトは当時、YS-11の最高のパイロットといわれた日本国内航空査察操縦士の紺谷隆一機長が担当した。
 無事、飛行が完了したとき、鳴神部長はじめ整備マン逹は溢れる涙を押さえられなかったという。そして結果としてこの修復作業は鳴神部長の意図したように人材を育てあげた。
 JA8643機の修復で、整備マン逹が得た自信と技術は日本国内航空から東亜国内航空へ、そして日本エアシステムへと引き継がれ、誇り高き「整備魂」の伝統を築く礎として残ったという。
 尚、驚くことに、このJA8643機はその後、「ひだか」号と名を変えて現役に復帰し、日本エアシステムが平成元年12月4日にアメリカに売却するまで日本の空を飛んだ。そして現在もアメリカの空を飛行していると考えられる。
 斎藤かつ馬整備室長は今年(平成13年)で75才。今は引退して富士宮市で元気な余生を送っているが、彼は今だに空を飛んでいるJA8643機のことを聞いて、
「それは、多分、修復作業をした整備の連中の魂が入っているからだろうよ」と嬉しそうに笑うのだった。

つづく

武田一男

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

【著作について】「台風飛行」の文章、または付録の音源に収録している音楽、音声の一切は武田一男、及びディレクターズハウスが著作権を保有しています。商用、非商用に関わらず無断転載、複製の一切を禁止いたします。詳細については当ブログ管理人までお問い合わせください。

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」第4回

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」

嵐の奄美大島ウエザー

東亜国内航空鹿児島運航課

 運航課のテレックスが鳴って、午後1時(13時)の気象情報が入った。鹿児島気象台が一時間ごとに知らせてくる航空気象情報である。
 松田課長がテレックスを見ながら奄美大島の最新気象情報を語った。
「340度の16。ガストが28。10キロ以上、2オクタスのキューモラスの2000。28度、22度、2950なんですが、風が280度からバリアブルで20度ですね」
 奄美大島空港の滑走路上では、340度方向(ほぼ北)から16ノットの風。16ノットの風は強風に違い無いが、数時間前に比べ、台風の通過によって幾分良い状態であることを示してした。しかし、ガスト、いわゆる時々、28ノットの突風が吹いており、依然として台風下の影響が残っている状況であった。
 視程は10キロ以上と良好で霧や雨雲でランウェイが見えないということもなく、雲は高度2000フィートに2オクタスの積雲があり、温度は28度、露点温度は22度で29.50インチで普段の寒冷前線の通過時の気圧とあまり変わりはなかった。
 唯、風の方位と域が問題であった。280度(ほぼ西)から020度(北北東)の約100度の広がりで変化する風の方位と16ノットから28ノットの突風まで強弱があることを示していた。
 とくに特殊空港に指定されている奄美大島空港は、横風が16ノット以上であれば着陸が不可能になる。使用するランウエイは020方位なので、風が正面(020度)から吹いている時は着陸可能な状況になるが、進入するときに280度の西風を受けると着陸する状態には程遠かった。
「(先ほどよりは良くなったが)まあ、風が020度まで行くとランウエイはヘディング(正面方位から受ける風なので)ですから、問題は無いのですが、(現状では)ウエスタリーのクロス(西側の横風)なので何とも言えません。(着陸するには)タイミングが必要ですね」

567便のコックピット

 すぐ運航課は567便へ13時の奄美大島の気象情報をカンパニー無線で知らせた。
「トーアドメス567。トーアドメス薩摩。えー、13時の奄美の天候をどうぞ…」
 大井機長は管制との交信モニター(VHFNO2)を副操縦士に替わって引き受けて、小山副操縦士が運航課との交信に応じた。
「はい。567です。どうぞ」
「13時の奄美は340度16(ノット)。マキシマム(最大風速)28(ノット)。10キロ以上(視程)、2オクタス・キュームラスの2000(雲量)。28度(気温)、22度(露点温度)、2950(気圧)。ウインドディレクション(風の方位)はヴアリアブル(変動的)で280度から020度です」
 奄美大島では13時現在、西から北北東にかけて約100度の範囲から、16ノットから、最大28ノットまでの風が不規則に吹いているのだ。
 小山副操縦士はすばやくウエザーリポートの一つ一つの数字を丹念にメモしていく。
 もし、奄美大島空港にATIS(エアポート・ターミナル・インフォメーション・システム)の設備があれば直接、奄美大島空港の周波数に機内の無線周波数を合わせて随時、情報を得ることが出来るが、昭和56年当時には、奄美大島空港にはATISがなかった。それで、奄美大島空港の管制エリア以遠から奄美大島の最新天候情報を得る場合には、各航空会社の運航課が飛行機に無線で知らせるのが普通であった。
 続いて運航課は567便に奄美大島周辺の島の天候を伝えた。
「徳之島は350度、23(ノット)、10キロ以上(視程)、3オクタス(雲量)、2500(フィート)、29度(気温)21度(露点温度)、2956(気圧)」
(徳之島空港滑走路の天候は、風が350度方向から23ノット吹いています。視界は良好で10キロメートル以上、雲は高度2500フィートに3オクタスの雲量です。気温は29度、露点温度は21度、気圧は29.56インチです)
「沖永良部島は340度、20(ノット)、マキシマムが32(ノット)、10キロ以上、2の2000、テンプが28、20度、2957。尚、与論島は330度18(ノット)、マキシマムが26(ノット)、10キロ以上、3オクタス3000、28度、26です。どうぞ」
(沖永良部島は340度方向から20ノットの風、最大風速が32ノット)、視程は10キロメートル以上で雲は高度2000フィートに2オクタス、気温は28度、20度、29.57インチです。 尚、与論島は330度方向から18ノットの風、最大風速は26ノット、視程10キロメートル以上、高度3000フィートに3オクタスの雲、気温28度、26度です。どうぞ)
「はい。了解しました」
 小山副操縦士がメモを終えて交信を閉じたとき、567便の飛行高度が10000フィートに達して雲を抜けた。
 大井機長が鹿児島レーダー管制に報告する。
「カゴシマ・レーダー。トーアドメス567。リービング10タウザンド」
(鹿児島空港出発管制へ。こちら東亜国内航空567便です。現在高度は10000フィート)
「トーアドメス567。カゴシマ・レーダー・コントロール。5マイルズ ビフォー マクラザキ。チェンジ&コンタクト フクオカ・コントロール135.3。レーダー コントロール ターミネイテッド オーバー」
(東亜国内航空567便へ。こちらは鹿児島出発管制です。現在地は枕崎(註 薩摩半島の南にあるポイント)の5マイル手前です。以後は福岡コントロール135.3メガヘルツへ交信して下さい。こちらのレーダー誘導の限界地点です)
「ラジャー、567。フクオカ 135.3 グッデイ」
(567便、了解しました。福岡管制の周波数は135.3。グッディ)
 鹿児島空港のレーダー誘導は空港を中心に約30マイルの半径内をそのテレトリーとし、又、航空機が高度10000フィートを超えると、高高度の飛行をコントロールする福岡管制のレーダーが担当する。
 すなはち、567便はこのあと、福岡コントロールと那覇コントロール、そして着陸、進入時は奄美レジオに引き継がれるのだ。
 詳細に言えば、日本の高高度空域は航空交通管制部(ACC)が、日本の空域を四つに分けてコントロール(北から札幌、東京、福岡、那覇の各管制エリア)しているが、567便の飛行は、まず福岡コントロールの南九州西セクターが担当(飛行高度が23000フィート以上は133.85メガヘルツ。22000フィート以下は135.3メガヘルツの周波数)して、北緯30度線付近で那覇コントロール、沖之北セクター(132.3メガヘルツ)に引き継がれ、最終的には奄美大島レジオ(118.1/126.2メガヘルツ)に替わるのである。
 鹿児島レーダー・コントロールと交信を終えた大井機長が、小山副操縦士と管制無線を交代しながら、
「スクォークは?」と、福岡管制エリアに入ったときに指定されている567便のレーダー認識番号を確認した。
「4421です」と小山副操縦士。そして「福岡コントロールへコンタクトします」と、周波数を135.3メガヘルツに切り替えて福岡コントロールを呼んだ。
「フクオカ・コントロール トーアドメス567 リービング10300 アサイン 12000」
(福岡コントロールへ。こちらは東亜国内航空567便です。現在高度10300フィート通過。指定高度12000フィートへ上昇中です)
「トーアドメス567、フクオカ・コントロール。スクォーク 4421」
(東亜国内航空567便へ。こちら福岡コントロールです。貴機のレーダー認識番号は4421です)
 桜島を通過した頃から567便はかなり厚い雲の中に入った。そして高度10000フィートを過ぎるとやっと雲のトップに出たが、青空は見えなかった。
 上空20000フィートくらいに厚い雲の層があり、それが頭上を覆い、丁度今は上下ふたつの雲海に挾まれて雲が作る空間を飛行している。
「やっぱり、風の振れ幅が西に回ってきたな」大井機長が奄美大島の天候に話を戻した。
「ええ、280度まで振れていますね」と小山副操縦士。風がこのまま西に振れれば着陸は困難である。
「ベロシティは変わらないけどさ…」と言って、大井機長は窓越しに広がる暗雲の彼方の奄美大島を見つめるように、前方に視線を投げた。
「はい。13時、奄美です」
 コックピットのスピーカーから、すぐ後を飛ぶ569便へ運航課が天気情報を知らせるカンパニー無線が流れてきた。
 その無線と重なって福岡コントロールが567便へ飛行高度を問い合わせて来る。
「トーアドメス567。レーダー・コンタクト。25マイルズ サウス オブ カゴシマ。セイ、アルティテュード?」
(東亜国内航空567便へ。貴機をレーダーで捕捉しています。現在地は鹿児島の南25マイル地点を飛行中です。現在の飛行高度を知らせて下さい)
 小山副操縦士がマイクを取って答える。
「ラジャー、567。リービング 10タウザント 600ハンドレット」
(了解。こちら567便です。現在高度は10600フィートで上昇中です)
「トーアドメス567、ラジャ。エリア QNH 2956」
(東亜国内航空567便へ。了解しました。現地域の気圧は29.56インチです)
 管制コールを復誦して無線交信を終えた小山副操縦士は、再び、機長との会話を続けた。
「(奄美大島の)クラウド(雲)は減ってきているみたいですけどね…」
 だが、この時点で気象データをどのように分析予測しようとも、奄美大島が台風22号の余波を受けていることには間違いなかった。 大井機長は全日空機の交信を聞きながら、独り言のように呟くのだった。
「しかし、このウエザー(気象情報)だけでは(現地の天候を知るには)限界があるな。(要は)状況を知るにはさ。行ってみなければわからないよね」
 YS-11は一路、奄美大島へ向けて飛び続けた。

つづく

武田一男

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航空ドキュメンタリー YS-11「台風飛行」/全9回
録音&解説:武田一男 ©Director’s House

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